【1013】 きせかえ姉妹僉教えて  (春霞 2006-01-02 07:02:55)


「おかーさん、ねえ、おかーさん。」 
 階下から大きな声がする。 まったく祐巳の奴は、今日も朝からけたたましい。 3年生になっても、結局落ち着かなかったな。 我が姉ながら、この幼さはどうしたもんだか。(畜生、可愛いじゃねえかっっっ!!) 
「ここどうするんだっけー?」 
「あらあら、祐巳ちゃん。 縦矢結びは覚えたんでしょう? 」 
「うん、一応。 でも瞳子ちゃんはきっと、匂袋か松竹梅か、華やかな結びにしてくると思うの。 やっぱりお姉さまとしては、何かの拍子に歪んだ帯を、奇麗に直してあげて株を上げたいし。 」 
「まあまあ。 背伸びしてるのね。」 
「そりゃね。 それで、匂袋のほう。 蛇腹にした三つ山ひだが、奇麗に水平にならないの」 
「ああ、そこは仮ヒモでわがけにしてあげないと駄目よ」 

 なにやら良くわからない会話だが。 冬休みに入ってから、祐巳は連日着付けの特訓をしている。 理由は言わずもがな。 というより自分で公言している通り。 瞳子ちゃんにいいところを見せたいらしい。 正月に2人で振り袖を着て初詣に行くんだと。 
 おかげで、階下の和室には入りづらい状況だ。 一度『出来たー』という声を聞いて見に行ってみたら、ようやく肌襦袢を着る順番を覚えたばっかりだったりして。 あの日は晩御飯まで口をきいてもらえなかったな。 (目の保養だったけど) 
 おかげで、呼ばれるまでは階下に行きづらくなって、ってか。 俺は受験なんだけど… 祐巳の艶姿が脳裏に氾濫していて、勉強が手につかないぞ。 落ちたら祐巳のせいだと言って責任をとってもらうか? 

 それは置くとしても、着物の着付け自体は2日くらいで一人で着られるまでに覚えたし。 何回か見せてもらったけど、そのたび毎に衣装が違うんで訊いてみたら、祥子さんのお下がりとか、清子さんとか綾子さんとかから、取っ替え引っ換え贈り物が届くおかげで、かなり衣装もちになっているらしい。 
 ふつうなら、高価な (着物って物によってはうん百万なんだって、凄) 贈り物はお断りする所だけど。 なんか、最初に綾子さん( あ、瞳子ちゃんのお母さんね) からの着物を、お母さんが断りに行って失敗して、そこから先は清子さんも参戦してのプレゼント合戦が始まって、一時保管に使っていた階下の応接間がひと頃は完全に埋まりかけた。 
 まあ、そこは祥子さんと瞳子ちゃんに泣き付いて、お2方に自省してもらえるようになったし。 一通り引き取ってもらったと思っていたけど、やっぱり好意からの贈り物だけに、いくつかは断りきれずに受け取ったそうだ。 

 で、話を戻すと。 一通り着方を覚えたら終わりかと思ったんだが、そこから先は俺には良くわからない世界になった。 帯の結び方には色々、色々、本当に色々あるらしい。 何となく形が違うのは解るけど、何がどうなってああなるのかは、さっぱりわからん。 で、それを含めて現在修行中という状況だ。 

「祐麒ー、ちょっと下りて来てー」 
 おや、お呼びだ。 今日の着付けは終わったのか。 すると今度は立ち振る舞いの練習だな。 やれやれ。 
「俺、受験生なんだぜ。」 一応ぼやきながら、クールなそぶりで階段を下りる。 姉の艶姿に鼻の下を伸ばすなんて見っとも無いしな。 
「いいじゃない。 あんた、頭良いんだし。 気分転換と思いなさいよ。」 着物着る方が大変なんだから。 とか無茶を言う。 
 着物を着ると、いろいろな立ち振る舞いに支障が出るらしい。 帯が邪魔だから椅子に座るのにも浅く腰掛けるとか、胸元が窮屈なので落としたものを拾うにもテクニックが要るとか。 だから、動き方をある程度練習するわけなんだけど。 まあ、それは祐巳だから。 よく転ぶ。 裾が絡まったり。 椅子に勢いよく深く座ろうとして、背中の帯がバウンドして押し返されたりして。 
 だから、俺が補助要員として借り出されることになってる。 おかげでこの数日、何回祐巳の下敷きにされた事か。 着物って、帯が邪魔で胸の感触は良く解らなくなるけど、なぜか腰まわりの色っぽさが3倍増するんだよな。 それに、香袋を袂に入れるせいか、いつもの祐巳の匂いとはちょっと違う感じがまた… だあ! 俺は何を口走ってるんだ orz。 
 「そろそろ、俺の補助が無くても良いようになってないと、本番に間に合わないんじゃないのかー? 」 と気の無いふりをしながら和室に入ると。 わお。 

 今日は、軽く髪を結い上げていて本格仕様だ。 ツインテールだっていつもうなじを見せているはずなのに、アップにするとうなじの色気が増しているような。 

 どおって振り向く君に、正直言葉を失った。 


                           ◆ 


 どおって、ふりむく祐巳さまに、正直言葉を失いましたわ。 

 あの夏に。 白の清楚なワンピース姿を拝見したときには、そのいたいけな愛らしさにくらくらしたものですが。 今日の母の生地の見立てと私の図案の合作である、描き上げ友禅は、清楚さを失わないままにさらに匂い立つような色気が有って。 やはり大ぶりな薔薇の花ではなく、小ぶりで愛らしいミニローズを幾つも連ねたコサージュのように配したのは正解でした。 我ながらGoood Jobですわー! はあはあ。 

「どうしたの? 瞳子。 息が荒いよ。 帯が苦しかったりする? 」 
「いえ。 いえいえ。 ちょっと唾が変なところに入っただけですわ 」 
「そう? 風邪とかじゃないよね? 」 こつん。 額に軽い衝撃が。 
 お姉さまのお顔が突然どアップににに。 息が頬にかかかって。 芳しい香りが鼻腔いっぱいに!! 心には巨大な衝撃が。 
「うん。熱は無いみたいだね。 瞳子は私との約束を守ろうと、時々無茶をするからね。 心配」 無邪気に笑いながら、今まで私の額に当たっていた、ご自分の形の良い額をコシコシと撫ぜています。 ああ、神さま。 今年は春から縁起が良いですわー。 
「? でもちょっと顔が赤いかな。 あ、解った。 お屠蘇を飲みすぎたんでしょう。 」 しょうがないな、と言いながらお姉さまの腕が、私の腕に絡んできます。 
「支えてあげるから。 早く初詣に行こう。 」 
「だだだ、い丈夫です。 酔ってなどおりません。 お屠蘇も唇を湿した程度です。 無問題です。 一人で歩けます。 」 ほらほらと。 その場でくるくると回ってみせる。 
「素敵でしょうこのお着物。 お姉さまとおそろいのガラ違いなんですの。 お姉さまのは淡い桜色の地にミニローズを胸・袖・裾に配置して。 あえて総柄にしないことでお姉さまの清楚さを際立たせているのですわ。 私は、ちょっと派手目のほうが似合いますので、地色を金紅にする代わりに、同じ配置の蝶柄を淡色にする事でお姉さまのお着物と、一種のペアになっておりますの。 」 くるくるくる。 
「すとーぷっ。」 がし。 
 また腕を組まれてしまいました。 
「瞳子が可愛くて奇麗なのは充分見せてもらったから」 さあ、初詣に行こう。 ずるずる。 

 ああ、さからえません。 袂の匂い袋から漂ってくる、いつもとは少し違う香りが私の心を鷲掴みにします。 はうう、私はいつの間にこんなにもお姉さまに振り回されるようになってしまったのでしょう。 確か一年位前は、まだ、私のほうが主導権を握ってお姉さまを振り回せていたはずですのに。 

 私の心は乱れるばかりです。 


                           ◆ 


 正月元旦の初詣。 神社の人出の凄まじさを甘く見ていたらしい。 
「随分乱れちゃったね、着物」 
 とにかくぎゅうぎゅう詰の参道を、人の波にあっぷあっぷしながら押し流されてお賽銭箱までたどり着き。 何とかお参りを済ませて、今度は人の波から抜け出るのに四苦八苦。 よく溺れ死ななかったものだと感心するが。 おかげで着物はぐちゃぐちゃである。 
 なんとか、拝殿の裏の方の人気の無いところまで行き着いたときには、お互いみるも無残に着崩れていた。 折角のお姉さまとの初詣なのに、きっとお姉さまはご不快に思われてしまっているわ、嗚呼。 とばかりに、失敗に終わりそうなお正月デートの予感に瞳子がしょんぼりとうなだれてベンチに座っている。 

 と、当の祐巳は、その目の前で立ち尽くし奇妙に生き生きとして自分の帯を緩め始める。 
「お姉さま? 」 
 瞳子が声をかける間にも、あれよあれよと祐巳は自分の姿を直してゆく。 しゅるしゅる、きゅっきゅ。 最後に、帯をぽんぽんと叩いて締め具合の調整。 
「まあ、お姉さまはお着付けがお出来になるんですのね。 凄いですわ。 瞳子は出来ませんもの。 」 
「うん。 他人(ひと)の着付けも出来るよ。 瞳子は出来ないんだ。 でもそれじゃあトイレの後とか困らない?」 いつになく悠然とした祐巳の微笑みに、新たな魅力発見でドキッとしてしまった。 
「その時のゆるみ位でしたら、流石に直せますから。 」 でも、ここまで乱れてしまっては、私には直せません。 と。 ちょっと弱気な瞳子ちゃんの珍しい表情を祐巳が堪能していると、ふと疑問が口をついた。 
「へえ、じゃあ普段は誰が?」 
 お付きメイドの彩子さんにお願いしておりますので。 という瞳子の答えに一度は納得しかけて。 
「あれ? 衣装係は 次席メイドのベリーザさんの役じゃ?」 
「ええ、普段なら。 でもベリーザったら自分の着物は着付けられるくせに、人の着物は着付けられないんですの。 なんだか左右だか、裏表だかが逆になるとか。 だからこの時期、私の着付けを彩子さんに取られていつもちょっとブルーになるんですけど。」 ふふ。 可愛らしく微笑む。 
「? けど、何?」 
「きっと『あの不器用な祐巳お嬢さまに着付けが出来て、何故自分が出来ないんだー』って、今年からは更に泥沼に落ち込むかも、ですわ」 くすくす。 
「ふうん。『あの不器用な』ねえ。 」 ちょっと怖笑いな祐巳が、瞳子の頬を摘んでふにふにと引っ張る。 「そうゆう悪いことを言う口は、この口かな〜」 
「ふぐぐ。 でも、お姉さまが不器用なのは、厳然たる事実ですわ。」 ぷいっと顔を背けるところを、祐巳はさらに追い詰める。 
「へー。 すると不器用な姉が助ける事の出来ない瞳子ちゃんはー、一体どうやってそこまで乱れちゃった着物を直すのかなー?」 にまにま。 まあ、私には目の保養だから良いけど。 家に帰るまでに、きっと沢山の人に見られちゃうねー。 と不適に笑う祐巳。 

 折角アップにして、小さ目のドリルを幾つも垂らした新作の髪型が歪んでいるのはもちろん。 襟元は緩み、半襟もよじれ。 帯は斜めになってずり落ちそうで。 当然袷はがぱがぱである。 ここまで歩いて来るときこそ、あちこちを手で押さえていたので何とかなったが。 やれやれとベンチに腰を下ろしてしまったおかげで更に乱れがひどくなってしまった。 油断するとただ座っているだけでも内腿の辺りまで露わになってしまう。 

 ぐぅ。 赤くなった瞳子がそっぽを向いたまま葛藤する。 祐巳が言わせたい言葉は見当がついた。 姉妹になってからは随分と素直になった瞳子にとって、その言葉を言う事自体には、もはやさほどの抵抗感はなかったが。 自分の方は乱れていて、祐巳だけはすっきりとした姿に直っていて、なんだか屈辱感を刺激される状況でその言葉を言わなければならないことに、表現しがたい羞恥心を感じていた。 

「…………」 
「ん?」 
「………します」 
「んん? 何か言った? 」 
「お願いします。 瞳子の着物を直してくださいませ、お姉さま!」 怒りか屈辱か。 半分涙目になりながら言い切った瞳子の頬に、祐巳の頬がすりすりされる。 
「うん、よく出来ました。 」 

 祐巳の指が、瞳子の襟元をなぞる。 半襟がよじれているのを直そうとしてくれている。 と、思えたが? 
「お姉さま?」 襟元をそんなに広げないと着付け直せないのですか? 
「私は着物を着付けられる。」 
 鎖骨をついっとなでる祐巳の指の感触に、背筋を震わせながらも平静を保っているふりの瞳子。 
「はい、ですからちゃんとお願いしましたわ」 ぷい。 
「うん。 着付けられるということは、瞳子がもっと乱れた姿になっても、ちゃんと直して上げられると言う事よね。」 
 へ? 間抜けな声が漏れたが、瞳子本人は気付かない。 
「ねえ、もっと乱れさせても良いでしょう?」 
 疑問形の体裁を取っているが、瞳子の許可をえられると確信している祐巳の言葉の内容を理解すると、瞳子の体温は一気に上昇した。 
「…え? えええっ! まさか、こんな所で?」 

「瞳子。 私たちはずっとプラトニックな関係だったけれど。 もう一歩踏み出してもいい頃合いだと思うの。 
 ねえ、貴女の僉(すべて)を、教えてくれる? 」 

 瞳子は、その今までみた事の無い妖艶な祐巳の表情に、返す言葉を失った。 
 蝶は。 蝶は花に惹かれ、花無しでは生きてはいけない。 
 図らずも選んだ着物の柄は、或いはこの暗示だったのか。 それとも自分の無意識の願望が現れていたのか。 



 いとしげに  手折る花枝  触るる蝶
     なおあでやかに   初春のばら



                         ◆ 



 瞳子のお正月デートは、ある意味この上も無く成功だったかもしれないね。 
 まあ、判断は読者のご想像に任せよう。 

 新年、明けましておめでとうございます。 


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