私は、彼女達が嫌いだ。
私は、あの人が世界で一番気に食わない。
昼休み。
私は今、大して来たくもないリリアンの教室で、大してうまくもない菓子パンを甘ったるいコーヒー牛乳と一緒に流し込む。
目の前でニヤニヤしているのはいつの間にか近づいてきて今や腐れ縁の武嶋蔦子だ。
「祐巳さん、この写真欲しくない? タイトルは『躾』、でどうかしら」
差し出された写真に写っていたのは紅薔薇のつぼみに呆然とした私がタイを直されている。
いや、これは私じゃあない、祐麒だ。
あの良く似た弟にはしょっちゅう朝寝坊した時に一時間目を受けさせているから。
リリアンに異常な執着を見せるあの母親に遅刻の報告が行ったとしたらどうなることやら。第三者として見るなら大歓迎だが当事者になるのはお断りだ。
「ホント、ここまでくると長年見てきた私も見分けがつかなくなってくるわ。きっと声さえ出さなかったらリリアン生百人に聞いても全員祐巳さんって答えるわね」
「くどい。言いたいことは別にあるんでしょ? 私がこれ食べ終わるまでに言って」
この女がこういう話をする時は決まって私の都合の悪い話をする。
せめて話の主導権だけでも私が持たないと殊に写真に関してはいいようにやられる。過去何度それに屈辱を喫しただろうか。
普段の盗撮まがいの写真も表向きはモデルの同意を得てから公開すると言うが、本当に気に入った写真の場合は手段を選ばない人間だ。
「ふぅ、この写真を今度の学園祭で写真部の目玉にしようと思うのよ。で、祥子さまに許可を取ってきてほs」
「嫌」
「にべも無いわね。憧れの祥子さまと話すチャンスじゃない」
「馬鹿なこと言わないで。知ってるでしょ? 私が山百合会のこと嫌いだってことくらい。虫唾が走るわ。交渉だったら自分でやってよ」
そんな問答の繰り返しでこの場においてはこの話は終了した。
が、蔦子は予想以上に本気だったらしい。
放課後、教室から出ようとしたところを呼び止められた。
「福沢祐巳さん、ね? 少し時間あるかしら。あなたを薔薇の館にご招待したいのよ」
周りの視線が突き刺さる。
目の前の人物は紅薔薇さま・・・・・・だったか。
これだから嫌いだ。こんなに人がいては一般的に憧れとされている場所を拒否することなどできないじゃない。
私はせめてもの反抗にキッと睨み返すが相手はさらりとかわして「待っているわ」の一言を残して去っていった。
全く、食えない人だ。
古い扉の向こうには山百合会役員が勢ぞろいしていた。
突然の闖入者に七対の目線が私に集まる。
「いらっしゃい、祐巳さん。そこに座ってお茶でもいかがかしら?」
先の紅薔薇の指し示す椅子に無言で座り、飲み物は断った。
もともとここに長居するつもりは全く無い。
「あなた、あいさつくらいはするものではなくて?」
「それはとんだご無礼を、黄薔薇のつぼみ。では、ごきげんよう・・・・・・これでよろしいですか?」
「ちょっとあなた――令ちゃん!」
「由乃」
後輩からタメ口などそちらの方こそ教育がなってないのではないか。
白薔薇と黄薔薇らしき三年生は傍らでニヤニヤしながらこちらを傍観するのみで、間に入ろうという意思はないらしい。
そのまま泥沼にはまるかと思われたが、それを断ち切ったのはやはり紅薔薇だった。
「令、そこまでにしておきなさい。祐巳さんも、上級生をもう少し敬う気持ちを持った方がいいわよ」
「で、用とは何でしょう?」
視界の端で騒いでいるのは無視することにした。
今の最大の強敵は目の前の人物だ。
「あなた、この写真の展示を断ったそうね」
私は頭を抱えたくなった。蔦子は本当にここへ持ってきたのか。
「山百合会としては、この写真を展示させてあげたいと思っているの。山百合会が開かれた場所になってほしいということもあるわ。あなたもリリアンの一員として協力していただけないかしら」
「お断りします」
「何故、と聞いてもいいかしら」
紅薔薇の目がいぶかしげに細まる。
いいだろう、受けて立つ。
「山百合会が、嫌いだからです」
白薔薇と黄薔薇が面白いものを見つけたとばかりに笑みを浮かべる。
「リリアンに喧嘩売ってるね〜、うん、面白い」
「そうね、興味深いわ」
「白薔薇さま、黄薔薇さま、もう少し真面目にやって。それにしても、山百合会が嫌いとはどういうことかしら」
「私は、美人と権力が嫌いなだけです。中でも小笠原祥子は特に。大体、リリアンにいるのも元々母の希望ですから」
小さく吹き出した音が聞こえた。私は面白いことを言ったつもりは無いのに、ここの人たちはTPOという言葉を知らないのだろうか。
「妹が侮辱されるのは気に食わないわね。訂正してもらえないかしら」
「拒否します。ただでさえ小笠原という財閥の娘という肩書きを持っている上に薔薇の名という強力な影響力と美貌によるアイドル性で学園を動かす権力を持っているんです。私が彼女を好きになる可能性は塵ほどもありません。まぁ、その全てを投げ出すというのなら話は別ですけれども」
「あなたッ・・・・・・いいかげんに」
普段冷静な人は大事なものに関わると途端に沸点が低くなりやすい。
その例たる紅薔薇が私に手を振り上げたところで扉がけたたましく鳴り響いた。
「お姉さま! 私が花寺の生徒会長と踊るなんて聞いてませんわ!」
場が一気に冷めた。
紅薔薇が手を戻しながらひとつ深呼吸をして、気分を落ち着かせている。
「それはあなたが会議を欠席したのが悪いんでしょ?」
「だからといって私がいないときを狙って決めることはないじゃないですか!」
流石に妹の前で醜態を晒すほど愚かではないということか。
咄嗟に態度を変えた紅薔薇は伊達ではない。
対してあの妹はヒステリーが過ぎるのではないか? あんな状態で権力を行使されてはたまったものじゃないわ。
しかし、話が見えない。どうやら紅薔薇のつぼみが何やら文句を言っているようだが。
「あら、未だに妹もできないあなたにそんなことを言えて?」
「そ、それは・・・・・・」
目をそらした紅薔薇のつぼみと目が合った。
コイツは私を巻き込むつもりだ。
「あなた、お姉さまはいらっしゃるのかしら?」
「そんなことあな」
「その子はフリーよ、安心しなさい」
なっ、黄薔薇め余計なことを・・・・・・
「お姉さま、私はこの子を妹にします。それで文句はないでしょう」
「名前も知らない子をシンデレラが嫌だからって押し付けるの?」
「いえ、彼女は知っています。その証拠がこの写真です」
嘘だろ・・・・・・蔦子め、こっちにも根を回していたのか。
だが、これでわかった。この騒ぎ、結局はこの女の我侭か。
「もうロザリオは渡したのかしら?」
「いえ、まだですが。何でしたら今ここで渡しましょうか。受けてくれるわね、『祐巳』」
あきれた。
結局は誰も彼も同じか。
「お断りします。・・・・・・紅薔薇さま、やはり彼女は好きになれません。実際に貴女も紅薔薇のつぼみも権力で何もかもできると思っている。そのことが今はっきりと確信できました」
ロザリオを差し出したまま固まっている紅薔薇のつぼみの横をすり抜けてドアへと向かう。
「では、ごきげんよう。もう私のところへは来ないで下さい」
後には扉が閉まった音だけがむなしく響いていた。