ARIAクロスの続きです。もう少しお付き合いください。
【No:1328】→【No:1342】→【No:1346】→今回
『クゥ〜』
乃梨子が祐巳さまが行方不明に成ったことを知ったのは、夜、一人自分の部屋で今日買ってきた『田の神さぁ写真集』を見ようとしていたときだった。田の神とは各地の田んぼの中にある石仏のことで、由来や製作者が不明なものが多いが各地の土地の特色があり。実に興味深く、どう見ても仏ではないだろうと思うものも多い。
乃梨子は脇にインスタントのコーヒーと新発売と書かれて買ったクッキーを袋のまま用意して、ワクワクしながら本を開く。
プロロロロロ!!プロロロロ!!
「うっ」
乃梨子はせっかくの楽しみを邪魔されて動きを止める。
「なによもう」
文句を言いながらも、部屋に持ち込んでいた電話の子機を手に取る。
「はい、もしもし」
『すみません!!二条さんのお宅でしょうか?』
「……はい、私ですが?」
乃梨子は相手の少し大きい声に驚きながら、なんだろうと首をかしげた。
『あぁ、誰に相談していいか分からなくって、ごめんなさい』
「相談?それはいいですが、どちらさまでしょう?」
『えっ、あぁ、ごめんなさい!!私です。内藤笙子です』
「えっ?笙子さん?」
今度は意外な相手に乃梨子が驚く番だった。笙子さんは由乃さまが提案した茶話会のとき、祐巳さまが何かしたらしく。祐巳さまの何かで写真部の蔦子さまと姉妹に成られたと噂がある人。その後、蔦子さまと一緒にいることが多いためか山百合会、特に祐巳さまにはお世話になった関係からか祐巳さまともよくお喋りしていて、その関係で乃梨子も少し親しくなった相手だった。
だが、こんな風に電話をかけてくるほど親しくはないと乃梨子は思うし、まして相談事を受けるような間柄ではないのだが。
「相談?」
『そう』
何だか笙子さんの声が震えている。
「でも、それならお姉さまである蔦子さまに話したほうが良いのでは?」
『えっ!いえ、蔦子さまとは……その、姉妹とかではないし、その』
「そうなの?」
意外だなと思った、あれだけ一緒にいて姉妹に成っていないなんて……そういえば最初、志摩子さんとの関係って別に姉妹でなくてもいいやとか思っていたんだ。でも、それは乃梨子が外部受験組みだからであって、生粋のリリアン子である笙子さんと蔦子さまがまだロザリオの授受をおこなっていないのはやっぱり不思議だ。
『あの、乃梨子さん』
「あぁ、ごめんね。でも、それでも蔦子さまに先に相談したほうがいいのでは?」
『それは考えたんだけど、でも、相談の内容が祐巳さまのことだから』
「祐巳さま?」
何だ?どうして祐巳さまの相談?どうして笙子さんが祐巳さまのことで相談してくるの?しかも乃梨子に?
「あの、祐巳さまの相談となるとやっぱり相手が違うと思うけど」
『でも、私、蔦子さま以外に祐巳さまと親しい人は乃梨子さん以外に知らないから』
だったら蔦子さまで良いのではと思うが、乃梨子はとにかく話だけ聞くことにした。
『……祐巳さまが消えたの』
「はい?」
イキナリの言葉に失礼だとは思うがそう言い返してしまう。
『あのね、私、最近写真を撮り始めたの。写真といっても使っているのはお父さんのデジカメなんだけど、蔦子さまみたいに被写体は決めずに放課後の校舎を歩いては気に入った風景や人を撮っていて』
蔦子さまは少し変だと乃梨子は思い、願わくば同じ道を笙子さんが通りませんようにと祈る。
「それで」
『それでね。今日も何か良い写真が撮りたいなぁと思っていたら祐巳さまを見つけたの』
「祐巳さまね」
既に遅いかもしれない。
『そう、祐巳さまは野良猫を追いかけていて、それが何だか可愛らしくって写真に撮ったんだけど。祐巳さまは私には気が付かずそのまま猫を追いかけ、私も祐巳さまを追いかけたの』
手遅れだったようだ。
それにしても祐巳さま、何をしているんだか。
『そうしたらね……』
笙子さんの言葉が詰まる。どうしたのだろう、嫌な予感がする。
『ねぇ、乃梨子さん』
「なに?」
『乃梨子さんは校舎裏の桜を知っている?銀杏の中にあるたった一つの桜なんだけど』
乃梨子は勿論知っていた。そこは志摩子さんとの思い出の場所だから。
「う、うん。知っているけど」
『そこの桜にたどり着いたの』
今の時期、そんな場所に行ってもただの枯れ木のような桜しか見れないだろうに、まぁ。祐巳さまは猫。笙子さんは祐巳さまを追ってそこにたどり着いただけだろうから。
「それで?どうしたの笙子さん」
『桜がね。桜が咲いていたの』
「はい?」
祐巳さまのような言い返しだなぁと思いつつ、そんな返事しか出来ない。
「今の時期に桜?」
『うん、それも満開の桜』
そんなことになれば学園どころか、テレビ局までやってきそうな話になるだろう。いくら校舎裏とはいえ、掃除する人や志摩子さんみたいに休憩する人もいるはずだから。
「それで、祐巳さまは?」
『祐巳さま、消えちゃった』
「えっと」
何だか話が飛んだような感じだ。
『ごめんなさい、話すと変に感じるかもしれないけど。桜がまるで吹雪のように散って祐巳さまがその中に飲み込まれ、そのまま居なくなってしまったの』
う〜ん、なんとなく感じは掴めるが、それはただ祐巳さまがその場から離れただけではないのだろうか?
乃梨子が思ったことを話すと。
『えぇ、私もそう思ったの、でも、写真を見るとやっぱり消えているとしか思えなくって』
「写真?」
『うん、私、その桜の下の祐巳さまが綺麗で写真を撮っていて、今、お姉ちゃんに写真をプリントしてもらったところなの。それを見ているうちに怖くなって、誰かに相談したほうが良いかなって、それで乃梨子さんに電話したの』
話を聞いてなんだが、乃梨子は冷めていた。確かにそんな場面を目撃した笙子さんにとって見れば興奮してしまうことかも知れないが、乃梨子にしてみれば蔦子さまに連絡して祐巳さまの所在を確認してもらうだけで済むことでしかないと思う。
「わかった。なら、私が祐巳さまのお宅に電話して聞いてみるから少し待っていて」
なぜ、自分が蔦子さまの代わりを?と思いつつ乃梨子が祐巳さまのお宅に電話をかけることにして、笙子さんとの電話を切った。
「ふぅ、もう、笙子さんも慌て者よね」
わざわざ電話してこなくても明日になれば会えるというのに。
「さて」
乃梨子は生徒手帳を探し、メモされた祐巳さまの自宅の電話番号を探す。こんなときは携帯があると楽かなと思うが、生憎、乃梨子は持っていない。確か祐巳さまも持っていなかったはずだ。
「え〜と」
祐巳さまの自宅の電話番号を見つけ、少しドキドキもので子機を取る。考えてみれば志摩子さん以外の先輩に電話をかけるのはこれが初めてなのだ。
プロロロロロロロ!!プロロロロロ!!
「わっ!」
ドキドキしていたところで電話が鳴る。乃梨子は笙子さんまだ早いと思いつつ電話に出た。
それは志摩子さんからの電話だった。
「ふわぁ」
「大丈夫?乃梨子」
「そう言う志摩子さんこそ」
乃梨子も志摩子さんも寝不足気味だ。昨夜の志摩子さんからの電話、それは祐巳さまが家に帰っていないということだった。乃梨子はその話に驚き、急いで志摩子さんに笙子さんの話を伝えた。しかし、まだ深夜ともいえない時間のためもうしばらく様子を見ることにしたのだが、結局、祐巳さまは深夜に成っても帰らず。乃梨子と志摩子さんは笙子さんの話を由乃さま、令さま、祥子さまに伝えた。
だが、あまりにも現実離れした話しに、ご両親に伝える前に確認しようということになり。早朝、リリアンに集合することになった。
この話は、祥子さまから祐巳さまのご両親ではなく弟さんの祐麒さんには話してあるとのこと。
早朝、リリアンに着くと既に皆さまそろっておられた。由乃さま、令さま、祥子さま、笙子さんになんと蔦子さままで。
既に皆さまは笙子さんが撮ったという写真を眺めていて、挨拶の後、乃梨子たちも写真を見せてもらう。
「これって……」
写真には季節外れの満開の桜と祐巳さまが写っていた。
そして、写真を進めていくと連射で撮ったのか確かに桜の中に祐巳さまが消えていくように写っていた。
「祐巳さん」
志摩子さんが写真を見ながら呟く。乃梨子は写真から視線をはなし、皆さまを見る。由乃さまも令さまもやっぱり寝不足のようだ。祥子さまにいたっては憔悴感も漂っていた。
笙子さんと蔦子さまも同じ感じ。
皆、祐巳さまが心配なのだ。
「校門が開くわ」
乃梨子たちは驚く守衛さんに挨拶しながら、校舎へと急ぐ。
……祐巳さま、いつまで皆に心配をかけているんですか!!早く、戻ってきてください!!
乃梨子は一番最後を駆けながら、皆の姿を見て祐巳さまに愚痴を呟く。
銀杏並木を抜け、マリア像に祈りを捧げる。たぶん、皆、同じ願いだろう。
「あぁ、小笠原さん!!皆さん!!こちらに!!」
「あれ?シスター?」
乃梨子たちの向かう先に、数人のシスターが集まっていた。
「今朝、連絡したのよ。学校側にも祐巳のことは連絡されていたから、笙子さんの話を聞いて伝えておいたの。私にはその程度しか出来ないから……」
そう応える祥子さまは辛そうだ。大事な祐巳さまのことなのに何も出来ないことが、どれほど辛いことか。
シスターたちと一緒に問題の校舎裏へ急ぐ。
そこには更に数人のシスターたちがいて。
「なにこれ?」
乃梨子は足を止める。いや、乃梨子だけでなく、祥子さまも志摩子さんも皆立ち止まる。
笙子さんから簡単な話は聞いた。でも、実際に目にしたのは枯葉一枚つけていない桜の木の周囲に広がる桜の花びらの絨毯。今の時期、何処を探しても見ることのない光景が存在した。いや、これほど不思議な光景は春でも見られないだろう。
「祐巳……」
「祥子さま」
笙子さんの話と写真を見た後、この光景を見せられては本当に祐巳さまが桜の中に消えたのではと思ってしまう。
祥子さまはフラフラと桜の絨毯に足を踏み出していく。
「小笠原さん!!」
シスターが叫ぶが、乃梨子たちもそれぞれ桜の絨毯に足を踏み出していた。そこに祐巳さまを求めて。
「あっ!」
少し先に行った由乃さまが声を上げ、桜の花びらの中から何か黒い物を引き出した。それは間違いなくリリアンで使われている鞄。
「これ、祐巳さんの鞄」
由乃さまは鞄についた小さなキーホルダーを見せながら青ざめた顔で震えた声を出す。それは祐巳さまが修学旅行で買ってこられた自分用のお土産だった。
乃梨子たちはただ呆然と立ち尽くすしかなかった。
祐巳さまが行方不明と成ったことは一応学校側は伏せてはいたが、校舎裏の桜の絨毯は目撃され噂話として広まっていたが、乃梨子は正直ホッとしていた。
祐巳さまが行方不明、この話が今のリリアンにどれほどの衝撃を与えるか考えるだけで怖い。祐巳さまは、ただの一生徒ではなく、紅薔薇の蕾の名を持つ一年生憧れのお姉さまなのだ。
瞳子の例を見ても明らかなように、嫉妬が醜いことと分かっているリリアン生であっても、嫉妬が生まれるような人なのだ。
それに乃梨子には、行方不明の祐巳さま以上に気にかけないといけない相手がいる。
未だ、クラスで孤立気味の瞳子だ。瞳子は祐巳さまが行方不明になったことを知ったときどうするのか?
一匹オオカミ的な乃梨子や可南子さんとは違い、瞳子は意地っ張りだが昔から多くの友人に囲まれていたタイプだ。その瞳子が孤立し、乃梨子は手が出せない。
これの原因は祐巳さまにあるので、少し前なら祐巳さまにおまかせしてサポート程度を考えていたのだが、その祐巳さまが行方不明と成った今は乃梨子が動くしかないが、動き方を間違えるととんでもなく収集がつかなくなる予感がある。
乃梨子は考えた末、瞳子に話さないことに決めた。だが、世の中には情報が早い人もいるもので。
「乃梨子さん、少しよいかしら?」
やってきたのは可南子さんだった。正直、乃梨子は最初に一番悪い相手がやってきたと感じていた。
「なにかしら、可南子さん?」
「祐巳さまのことで聞きたいことがあるのだけど?」
予感は当たっていた。乃梨子は不味いと思いながら急いで可南子さんを教室から連れ出す。教室を出たとき、一度だけ振り向くと瞳子と視線が合ってしまった。
乃梨子は可南子さんを連れ非常階段に移動する。
「それで、聞きたいことって?」
「祐巳さま、今日、お休みなのだけど何か知らない?」
「へぇ〜、そうなの祐巳さまどうしたのかな?風邪?」
「しらばくれないで!!祐巳さまが昨日から行方不明に成っていると聞いたのよ!!」
「わ!わわわ!!!」
乃梨子は身長差を考えないまま慌てて可南子さんの口を塞ぐ。
「……ど、どこからその話を?」
「日出美さんから聞きました。もっとも、日出美さんも詳しいことは知らないらしく困っている様子でしたが」
新聞部が嗅ぎつけている。どこから情報が漏れたかは分からないが、祐巳さまの件が公に漏れるのは時間の問題かも知れない。
「あれ?でも、日出美さん、私のところにはまだ来ていないけど」
「日出美さんとしては情報を集めてから、乃梨子さんたちに取材すると言っていましたから、しばらくは来ないでしょう」
「そうなのか……て、可南子さん貴女」
可南子さんは小さく頷く。新聞部の情報を流したのだから教えろと、その目は言っている。まったく、祐巳さまのストーカーは辞めたのではなかったのだろうか?
「ストーカーはしていませんが、祐巳さまがこのリリアンで一番大事な先輩であることは変わりありませんから」
などと可南子さんは臆面もなく言った。
乃梨子は仕方がなく、今、話せる情報だけということで祐巳さんが昨夜から行方不明に成っていることを伝え、今朝、鞄が今噂に成っている校舎裏の桜の中から見つかったことまでを話す。
「そうですか……」
可南子さんは呟きながら非常階段を開いた。
「あっ!」
「きゃ!!」
「瞳子!?」
可南子さんが勢いよく開いた扉の向こうには驚いた瞳子がいた。乃梨子は今一番知られては不味い相手に知られたことを知り、逃げ出す瞳子を追いかけようと走り出す!!が、目の前を可南子さんが行く手を塞ぐ。
「可南子さん?!ちょっと退いて!!」
「行ってどうするの?乃梨子さん」
「えっ?」
「行ってどうするのかと聞いたの、今、彼女の側に居ても意味はないわ。祐巳さまが戻られない限りは何も動かない。それに彼女にはいい機会かも知れないわよ。祐巳さまから逃げ出している彼女にはね」
「えらく自信があるようで……」
「あるわよ。だって、経験者ですから」
可南子さんは笑いながら言ってのける。可南子さんの言う経験とはどんなことなのか乃梨子には分からなかったが、もしかしたら祐巳さまは知っているのかも知れないなと感じ、瞳子がいなくなった非常階段から続く廊下を見つめていた。
その日の午後、乃梨子たちは薔薇の館に集合した。今は別段忙しい時期ではないせいもあって仕事はないのだが、祐巳さまの件で皆ジッとしていられないのだろう。だからといって、何が出来るわけでもなくこうして集まるしかないのだ。
志摩子さんなんかは暇を見つけては礼拝堂で祈り、なんと、由乃さままで一緒に礼拝堂に足を運んでいたと聞いて驚いた。
皆さま、それだけ必死なのだ。
薔薇の館に集まったからといって何かが分かるわけではない。ただ、話もしない時間が流れるだけだ。そこに、ついにというべき人たちが尋ねてくる。
新聞部の部長にして祐巳さまの友人の真美さまと妹の日出美さんだった。既に乃梨子から新聞部が動いていることを知らされていた山百合会の面々は落ち着いて二人を出迎えた。
「それで、どうして蔦子さんや笙子ちゃんまでいるのかしら?」
意気揚々と乗り込んできた真美さまであったが、ごく普通に迎えられ、しかも、祐巳さまと親しいとは言え何故かいる写真部の二人。真美さまは出された紅茶を飲みながら不機嫌に成っていく。
「お姉さま」
日出美さんが怒っている真美さまを宥め、真美さまはどうにか落ち着いたのか一息ついて話を戻す。
「それで祐巳さんが行方不明と聞いたのだけど本当の事なのでしょうか?」
真っ直ぐ祥子さまを見つめる真美さま。その目は、新聞部部長というよりは祐巳さまの友人として心配しておられるように見える。
「……本当よ。祐巳は昨夜から行方不明になっているわ」
「えっ!」
「本当だったのですか?」
「嘘は言わないわ」
そう言って祥子さまは笙子さんの写真を二人の前に差し出す。
「これって、噂に成っている桜の」
「そうよ、あそこから祐巳の鞄が今朝見つかったわ」
「それにこの写真は……祐巳さんが消えていく?」
「それで祐巳さまはいったいどこに居られると考えておられますか?」
日出美さんの言葉にいっせいに冷たい視線が向けられる。そんなことは乃梨子たちのほうが聞きたい。言葉は悪いかも知れないが、日出美さんは祐巳さまとそんなに親しい間柄ではない。せいぜい、憧れのお姉さまの一人くらいでしかないはずだ。だから、乃梨子たちが恐れる結論を聞こうとなどするのだ。
「祐巳さん」
「それで真美さん、いえ、新聞部に頼みたいことがあるのだけど」
「はい、情報を流すなということですね。理由はよく分かりますから協力はいたしますが、残念ながら時間の問題かも知れません」
真美さまの情報では既に各学年で噂程度には流れ始めているらしく。数日中には公の噂に成ってしまうだろうということだった。
だが、今は情報を隠すことで一致した。証拠がない噂である限りは祐巳さまは風邪をこじらせてお休み中で通せるかもしれないと思ったからだ。
「そう、助かるわ」
そう言った祥子さまの顔は今朝以上に憔悴していた。
数日後、祐巳さまが行方不明に成っている事件はリリアン中に知れ渡ってしまった。
祐巳さまは、まだ見つかっていない。祐巳さまのご両親も捜索願を出し、鞄が見つかった桜の周囲に警察の調査が入ったのだ。こうなれば隠しておける状態ではないが、学校側から正式なコメントがない以上。山百合会としてもコメントは出せない。
なにより祥子さまが日々の疲れから倒れられ、昨日はお休みまでとったらしい。今日は出てきていらしゃるようだが。
その中で祐巳さまの噂は一人歩きをはじめ、ついには桜の噂と関連づけた噂まで聞くようになった。
乃梨子は少しでも情報を得ようとするクラスメイトたちから逃げて、薔薇の館に逃げ込もうと教室を出る。
「瞳子?」
薔薇の館に向かおうとして乃梨子は、校舎裏に向かう瞳子を見つけた。
乃梨子は周囲を見渡し、瞳子の後を追う。
校舎裏に今は何もない。綺麗に敷き詰められた桜の花びらは片付けられ、あるのは枯れ木のような葉をつけていない桜と銀杏の木々が何時ものようにあるだけだ。
校舎裏に来てジッと桜を見上げる瞳子。
「……ごめんなさい」
乃梨子は心配になりゆっくりと瞳子に近づくと、か細い声でそう聞こえた。
「ごめんなさい、ごめんなさい」
瞳子は繰り返し謝っている。たぶん祐巳さまに謝っているのだろうが、その理由が分からない。
「瞳子?」
「!!乃梨子さん!」
瞳子は泣いていた。ただ一人、こんな寂しい場所で。
「どうしたのさ」
「なっ!何でもありませんわ!!」
「まちなよ!!瞳子!!」
乃梨子は逃げ出す瞳子の手をとる。
「離してください!!乃梨子さん!!私は、私は!!」
「離さないわよ。祐巳さまがいないいま、瞳子を一人に出来るわけないじゃない!!それに瞳子、祐巳さまにどうして謝っていたの?」
「それは……」
瞳子は言いよどむ。乃梨子は無理に聞き出すかどうか考え、無理やりにでも聞きだすことにした。
「それはなに!!」
「それは、それは……乃梨子さんには関係ありません!!」
「あっ、瞳子!!」
瞳子は激しく手を振り、乃梨子から逃げ出す。乃梨子は慌てて瞳子を追おうとするが、逃げる瞳子の前になんと聖さまが現れ抱きとめた。
「あっ!聖さま?」
「ごきげんよう、ドリルちゃん」
「ド、ドリルって何ですか!!」
瞳子が怒る。まぁ、怒ってもしかたがないが。
「ごきげんよう、瞳子ちゃん。久しぶりね」
「ごきげんよう、お二人さん。私は二人とも初対面ね」
志摩子さんのお姉さまである後ろに現れたのは、ショートボブの綺麗な大人を感じさせる女性と、少し意地悪な笑い顔のこちらも綺麗な女性だった。
話からすると聖さまの知り合いの方のようだが。
「蓉子さま?それに江利子さままで」
蓉子?江利子?どこかで聞いた事のある名前だ。
「あっ!前の薔薇さま方!!」
「正解、乃梨子ちゃん」
「あの、聖さま!!離してください!!」
「いや〜ん、瞳子ちゃん。もう少しこのままが良いなぁ……それとも、祐巳ちゃんだったら許しちゃうのかな?」
乃梨子はそれは爆弾だと思った。案の定、瞳子の様子が変わる。まるで親の敵でも見るように睨んでいる。
「いいかげんに離してください!!」
声もヒステリックだ。乃梨子は慌てて聖さまに手を出そうとするが、その手を江利子さまが掴む。
「離さないって言ったでしょう?せめて、騒ぐのと逃げ出さないと約束してくれないと離せないのよ」
「そうそう、祥子の様子が気になる蓉子を説得して連れてきているんだから、瞳子ちゃんも薔薇の館に連れて行かないと意味がないのよ」
「薔薇の館?」
「私はそんなところには行きません!!」
瞳子、薔薇の館をそんなところ扱いか?
「いえ、貴女は来ないといけない。なぜなら、祐巳ちゃんのことを知りたいから、噂話にすがるほど祐巳ちゃんのことを思っているから、それに、祐巳ちゃんに何かの負い目を感じているから?そうでしょう」
江利子さまが淡々と話す。その言葉に、瞳子は黙ってしまった。
確かに笙子さんの写真が出ていない以上、桜の話は噂でしかなく。よく考えれば瞳子はそんな噂に頼らないといけなかったことになる。
「はぁ、凄いこと」
時々見せる祐巳さまの貫禄を数倍したような貫禄に乃梨子は唖然としていた。
「分かりましたわ」
瞳子は渋々頷き、聖さまは瞳子をあっさりと離す。
乃梨子なんかは瞳子が嘘をついて逃げ出すのでは思ったが、そんな様子もなく聖さまたちについていく。その顔は不満そうだが。
乃梨子には何も出来なかったが、瞳子の様子を見て少しだけ安心し乃梨子も薔薇の館に向かおうとする。
「ニャ〜ン」
「えっ?」
乃梨子は突然聞こえた猫の声に振り返る。猫は校舎の側にちょこんと座っていた。
「乃梨子ちゃん、行くよー」
「はい、今、行きます」
乃梨子は猫をチラッと見て聖さまたちの後を追った。
猫はまだ校舎の側で鳴いていた。
「ごきげんよう」
「お姉さま!!聖さま、江利子さままで!!」
そろって登場した前薔薇さまに祥子さまと令さまは驚いていた。しかも、その後に瞳子を連れた乃梨子が現れたので更に驚かれていたが、何故か志摩子さんと由乃さまは驚いた様子はなかった。
「志摩子、由乃ちゃん。頼まれたとおりに瞳子ちゃんを連れてきたわよ」
「えっ?」
聖さまの言葉に、乃梨子だけでなく瞳子も祥子さまも令さまも驚いていた。
「あの……お姉さま、いったいどういうことなのですか?」
「えっ?あぁ、瞳子ちゃんのことを頼んだのよ。薔薇の館に連れてきて欲しいって、祐巳さんが居なくなって瞳子ちゃんの様子がおかしかったから」
「私たちでは警戒するだろうし、力押ししか出来ないから」
十分力押しだった気もするが……。
「祥子」
「お姉さま、祐巳が祐巳が」
「えぇ、聞いていたわ。よくがんばったわね祥子。本当はもっと早く来たかったのだけど私たちが来たら大事になると思ったのよ」
蓉子さまが優しく祥子さまを抱きしめる。
「貴女たちもよく祥子を支えたわね」
そう言って江利子さまが令さまと由乃さまに優しく声をかけ、聖さまは志摩子さんにただ笑顔を見せていた。なんか不満だ。
そこに「ごきげんよう」と真美さまと、蔦子さまに笙子さんの写真部コンビが入ってくる。
流石にサロンにこれだけ入ると大変だ。
笙子さんは驚いていたが、真美さまと蔦子さまは前薔薇さまの訪問を知っていたような感じで挨拶している。
本当にこれに祐巳さまが加わったらとんでもないことになる人たちだ。はっきり言って勝てない。
「さて、蓉子さま、聖さま、江利子さまそして瞳子ちゃん、コレを」
蔦子さまはそう言って笙子さんの写真を取り出す。
「これは?」
「今、噂に成っている桜と祐巳さんです。祐巳さんが行方不明になった日に笙子が写真を撮りました」
「本当に桜吹雪ね」
「祐巳ちゃんが消えていく姿」
「話、聞かせてもらえる?」
乃梨子は志摩子さんに手伝ってもらって、皆さんに紅茶を配り自分の席に座る。乃梨子は一度笙子さんから聞いた話だったが、そのまま静かに聞く。
「そう、そんなことが」
「これは本当に」
「ふぅ」
笙子さんの話を聞き終えた御三方は言葉もないとばかりに黙ってしまう。
「誘拐ではない、それは救いなのかな」
「誘拐のほうがましですわ!!誘拐なら、私が何億でも用意いたします!!」
「祥子……」
江利子さまは少し笑った。少しこの場では不謹慎かも知れないが、祥子さまの発言はやっぱり凄すぎてついていけない。
「さて、ここまでで瞳子ちゃんは何か発言はあるかしら?」
蓉子さまが瞳子を見る。だが、瞳子は俯いたままだった。静かな時間が流れる。
誰も話さない。
そんな沈黙の中、瞳子がポツリと話し出す。
「私の、私の責任なのです。祐巳さまがいなくなったあの日、私、祐巳さまに一緒に帰ろうと何度も誘われたのに、いいえ!!……それまでも祐巳さまは何度も誘ってくださったのに一度も帰らなくって、あの日もさっさと帰ってしまって……あの日、一緒に帰っていれば、祐巳さまは、祐巳さまは」
瞳子の言っているのは結果論でしかない。
「私、祐巳さまに謝りたい、謝りたいの」
瞳子の静かな嗚咽が響く。だれも瞳子に声をかけられない。今の瞳子の涙を止められるのは祐巳さましかいないから。
既に外は夕暮れの赤い光に染まっていた。乃梨子は冷めて冷たくなった紅茶を口に運ぼうとして止めた。温かいお茶を入れなおした方が良いだろうと思ったからだ。そうして静かに立ち上がったとき、乃梨子は動きを止めた。
?
????
乃梨子は信じられないものを見てしまった。
乃梨子の頭にありえない。幻聴だいや幻覚だと全否定の言葉が浮かぶ。
乃梨子が見てしまったもの、それは赤い夕日の中に浮かぶ祐巳さまだった。
祐巳さまはあの懐かしいツインテールのままだったが、その服装はリリアンの制服ではなくオシャレな感じの白い服を着ていた。その隣には同じような服装の美少女といえる祐巳さまと同じ歳くらいの女性が祐巳さまを支えている。
その人は泣いている祐巳さまを慰めているようだ。
幽霊?お化け……あぁ、同じだ。
混乱する。いや、混乱していた。
乃梨子は祐巳さまのことを皆さまに伝えないといけないと思うが言葉どころか、動くことさえ出来ない。
祐巳さまが泣いているのに、瞳子も泣いているのに。
何も出来ない自分がいる。
そう感じていると、ゆっくりと祐巳さまと乃梨子の視線が合わさった。向こうからも見えているようだ。
祐巳さまが驚いた表情に成る。
そして、乃梨子の異変に気がついたらしい蓉子さま、聖さま、江利子さまの前薔薇さまの三人が乃梨子の視線を追い。固まった。流石の前薔薇さま方も言葉が出ないようだ。
一方の祐巳さまは前薔薇さまが気がついたのが分かったようだ。そして、乃梨子、前薔薇さま方に続き、真美さま、蔦子さま、笙子さんが乃梨子の視線に気がつき。
「ゆ、祐巳さま!!!」
笙子さんが叫んだ。
その一言で、令さま、由乃さま、志摩子さんが振り向き。
瞳子が立ち上がる。
光の中の祐巳さまは微笑んでいた。そして、祥子さまが立ち上がる。
「祐巳?」
祥子さまとは思えないような、かれた声で祐巳さまを呼び。ゆっくりと窓に近づいていく。
「祐巳!!」
そして、祥子さまは窓を開いた。
だが、そこに祐巳さまはいない。ただ、夕日の光だけが窓の外を染めていた。
「どうして?」
「祐巳さま」
「ゆ、祐巳!!」
「あっ!!祥子!窓を閉めなさい!!」
「えっ?」
「早く!!」
祥子さまは嫌だと駄々をこねたが、蓉子さまと江利子さまによって窓は再び閉められた。
「あの蓉子さま?」
「祐巳ちゃんは窓の外にいたのではないわ。祐巳ちゃんはこの窓に映っていたのよ」
容子さまはそう言って窓を叩くが、もうそこに祐巳さまはいない。
「今のは現実だったのでしょうか?」
「さぁね、カメラちゃんたちは写真撮った?」
聖さまの言葉に首を振る蔦子さまと笙子さん、まぁ、あの状態でシャッターを切れる人などいないだろう。
「証明できない以上、祐巳ちゃんを思うあまりの集団幻覚かもね。それにしても、あの祐巳ちゃんの格好はなに?」
聖さまが笑った。
「そうそう、こっちがこんなに心配しているのに隣には凄い美少女を連れてなにしているんだか」
「そうね、祐巳ちゃんなんだか余裕もあるようだったし」
「あの格好って本当に何なのでしょうか?」
幻覚とか言いながら、何故か皆の表情は明るい。
「祐巳、元気そうだったわ」
「……本当に」
祥子さまの一言が皆の気持ちを代弁していた。祐巳さまは何処にいるのかわからないが、元気でいるらしいことが分かっただけでも嬉しいのだ。
ガラス越しの祐巳さまの笑顔、それだけで皆笑える。祐巳さまの持つ凄い力なのかもしれない。
「瞳子」
「乃梨子さん、どうして祐巳さまはあんな状態でヘラヘラ笑えるのでしょうか?」
瞳子は少し膨れっ面で文句を言っている。なんだか、瞳子らしい姿だ。
「それで、皆はこれからどうする?」
「勿論、待ちますよ。祐巳さん笑っていたから、もう一度姿を現すそんな気がしますから」
由乃さまの言葉に乃梨子は頷いた。見れば皆、同じ意見のようだ。
「それなら待ちましょう、でも、今度は簡単でも準備をしておかないとね」
「準備ですか?」
「そう、カメラちゃんと笙子ちゃんは写真を撮って、ガラスに映った姿だけど上手く撮れる?」
「私のほうはレンズが合わないので無理かも知れませんが、笙子のデジカメもありますしなんとかやってみます」
蔦子さまと笙子さんは頷く。
「それと真美さん」
「はい?」
「筆談をお願いできるかしら」
「筆談ですか?」
「えぇ、祐巳ちゃんが答えてくれない可能性もあるけど出来るだけ祐巳ちゃん側の情報が欲しいから」
「分かりました」
真美さまが頷くとそれじゃぁとテーブルを片付け、椅子を窓辺に動かしまるで記念撮影のようにそろう。
祐巳さまがまた現れるとは誰にも保障は出来ないはずなのに、何故か皆、乃梨子も会えると思っていた。
それが起こったのは、皆で並んでどのくらいたった頃だろうか?窓の外は真っ暗で、なんだか馬鹿みたいなことをしていると感じた頃だった。
窓が明るく輝き、その中に祐巳さまがいた。祐巳さまの隣にはあの美少女と、今度は祐巳さまの後ろに微笑んでいる二人の女性。
改めて見てみれば祐巳さまが着ている服と隣の美少女の服は所々違い。祐巳さまの服は新たに現れた二人の女性のほうと同じものらしいことが分かる。
窓の中の祐巳さまは微笑んでいた。
その微笑に祥子さまが駆け寄ろうとして蓉子さまたちに押さえつけられ、由乃さまは怒っていた。そんな由乃さまを志摩子さんが宥め、乃梨子はその志摩子さんを支えた。
乃梨子の後ろでは蔦子さまと笙子さんが写真を撮っていて、蔦子さまは驚いて呆然としていた真美さまに声をかけ、真美さまは慌てて筆談を始める。が、祐巳さまは小さく首を振って微笑む。
「祐巳さま」
瞳子の小さい声が乃梨子に聞こえた。そして、窓の中の祐巳さまも瞳子を見つめ今までとは違う笑顔を見せていた。それは志摩子さんが乃梨子に向ける笑顔に似ていて、祐巳さまはなんと白い服の下からロザリオを取り出し輪を作ると瞳子に差し出した。
「祐巳さま」
瞳子は驚きの声を上げた。蔦子さまたちも写真を撮るのを止め、その光景に見入っている。
「瞳子」
乃梨子はそっと瞳子の背中を押し、瞳子はゆっくりと瞳を閉じた。
だが、突然光は失われ。祐巳さまは笑顔のままその姿を消した。後には真っ暗な窓が残っているだけだった。
「これでお別れみたいね」
蓉子さまが呟く。何故だか乃梨子もそう感じていたが、不思議と悲しくはなかった。
「そうですね」
祐巳さまの笑顔、それは乃梨子たちへの最後の別れの挨拶だったのだろう。
「いいえ、違います。祐巳さまはまた会えるそう確信しての笑顔ですわ」
「そうね、私も瞳子ちゃんの意見に賛成だわ」
だが、瞳子と祥子さまは違う意見だったようだ。
「瞳子」
「それに乃梨子さん、祐巳さまは、あんな卑怯な方法でロザリオの授受をしようとしておられたのですよ。これは直接会って文句の一つでも言わないと収まりがつきませんわ」
「そうね、祐巳にあんな方法でロザリオの授受をしないように叱らなくてはね」
そう言う祥子さまは優しく瞳子を見つめている。祐巳さまのロザリオ授受を見て何かが吹っ切れたような微笑だ。
「そうですわよ、祥子さま。そして、今度は……」
「そうね。瞳子ちゃん」
「でもさぁ、祐巳ちゃんが何処にいるのか分からないんだよ?帰ってこれるかも分からないのに」
「あら、聖さまらしくもない。それならこちらから探しに行くだけですわ。祐巳が生きていた、それだけでも探す理由になります」
「はぁ……まぁ、私らしいとかは別にして、貴女たちがそう言うのなら付き合えるだけ付き合ってあげようか……ね。皆」
「そうね」
「祐巳さんとは親友ですしね。志摩子さん」
「えぇ、約束もあるから破ってもらっては困るわ」
「ま、楽しそうだしね」
「江利子ってば」
瞳子と祥子さまに触発されいつの間にか薔薇の館には、いつか祐巳さまに会えると根拠のない思いが膨れ上がっていく。
「しょうがない。瞳子、私も付き合うよ。祐巳さま探し」
「乃梨子さん」
乃梨子としては笑顔を取り戻した瞳子の泣き顔を見たくないと思う気持ちと、瞳子と祐巳さまのロザリオの授受を見届けたいと思う気持ちが心を満たす。
本当のところ、祐巳さまにもう一度会えるのかは、誰も分からないことだろう。でも、それを望み頑張っていけるのならそれでも良いと乃梨子は思う。
薔薇の館の夜は更けていく。
乃梨子は、もう祐巳さまが映らない窓を見つめ……祈る。
祐巳さまに続く道は見えないけど、祐巳さまに会えると感じる想いは嘘ではないことに……いつか、祐巳さまの元にたどり着ける事を。
何とか薔薇の館の話が書けましたが、上手くまとまったか不安です。
読んで気になった点がありましたら修正入れますので書いてください。
『クゥ〜』