「乃梨子? ・・・ちょっといいかしら」
三学期になって早々、志摩子さんが一年の教室に訪ねてきた。
志摩子さんに会うのは正月以来だったので、人知れず頬が緩んでしまう。いかんいかん、御主人様に喜ぶ犬のようだ。若干熱を帯びた顔を意識しつつ乃梨子は廊下に向かった。
「ごきげんよう志摩子さん。久しぶりっ!」
「ごきげんよう乃梨子。 ・・・今、大丈夫?」
慈愛に満ちた微笑って、こういうのをいうんだろうなぁ。と、見惚れていると志摩子さんが小首をかしげた。
「・・・?乃梨子?」
「あ、ごめんなさい。久しぶりに会えたから嬉しくって」
胸の前で両手をあわせる。別に仏像が趣味だからでは『断じて』無い。
「御免なさいね。やっぱり正月は実家の方が忙しくて・・・もっと乃梨子と色々出かけたかったのだけれど」
「いいよいいよ、そんなの。私も実家に帰ってたし、もっと落ち着いたらゆっくりと行こうよ。もうすぐ選挙もあるしさ」
そうなのだ。次期、生徒会役員選挙までそんなに日もない。祥子さまや令さまは三年生だから進学とか色々あるのだが、白薔薇家は志摩子さんが二年生の為、三学期のイベントは選挙くらいのものなのだ。選挙といっても今年は他に立候補者が出そうも無いし、つぼみ達が全員二年だしで、混乱も無く終るだろう。 ・・・と、思っていた。
「その事なのだけど・・・。私ね、立候補しないつもりなの」
「・・・・・・・・・・・は?」
「乃梨子に・・・立候補してもらいたいのよ」
「・・・・・・・・・・えぇと、あれ?」
「駄目かしら?」
「っっ!駄目駄目駄目っ!なんで私なの?っていうか志摩子さんは?」
「私は今年一年白薔薇さまを勤めたし。来年は他の事にも挑戦したいの。大丈夫よ乃梨子、あなたなら立派に出来るわ」
「ちょっと待ってよ!志摩子さんは白薔薇さまやめちゃうの?」
「結果的にはそうなるのかしら、ね?」
ね。って、そんな可愛く言われても。もう頭の中がぐちゃぐちゃで何も考えられない。ああでも志摩子さんってホントに可愛いなコンチクショウとか、そんなどーでもいい事は考えれるから不思議だ。
「・・・志摩子さんの挑戦したい事って、何?」
乃梨子は真っ直ぐ志摩子さんを見据え尋ねる。山百合会よりも、そして、ひょっとしたら私よりも『それ』は重いのだろうか?もし、そうだとしたら自分はどうしたらいいのだろう?自分には何が出来るのだろう?
「進路をね、一年間じっくりと考えていきたいの」
志摩子さんは穏やかな微笑をたたえたまま言葉を紡ぐ、きっと私の心のうちの不安とか全部わかっているのだろう。
「今のまま白薔薇さまとしてもう一年すごせば、私はきっと進路を決められずに卒業を迎えると思うのよ。もっとマリア様の近くに身を起きたいの、シスターにも色々お話をお伺いしたいし・・」
「・・・山百合会にいたら、それは出来ない事なの?」
すがるような目で乃梨子は訴える、いやだ、志摩子さんが遠くに行ってしまう。姉妹をやめるわけではないけれど、志摩子さんのいない薔薇の館なんて想像したくもない。
「・・・? 山百合会はやめないのよ?」
きょとんとした目で志摩子さんは言う。ああもぅ一々可愛いなぁキスしちまうぞ。とか物騒な考えが頭を掠める。じゃなくて。あれ?やめないの?んん?
「だって、乃梨子が白薔薇さまになれば、姉がその手伝いをするのは当然の事でしょう?」
さも当然と、志摩子さんは眩しそうに笑う。なんか話してるうちに志摩子さんに誘導されてるような気がしないでも無いのだが。現状が大きく変わる訳でもないし、第一、志摩子さんの力になれる事が嬉しいかもしれない。
「・・・ぅん。じゃあ、やってみようかな?」
乃梨子が言うと志摩子さんは乃梨子の両の手を取り「ありがとう」と微笑む。
「それに、私が白薔薇さまになったら由乃さまのブレーキになれそうですよね?祐巳さまは、むしろアクセル?」
「乃梨子ったら・・・。駄目よ、祐巳さんを悪くいうものではないわ」
怒られてしまった。ちょっと調子にのっちゃたと自覚してたら
「祐巳さんは、ね。サイドブレーキたらん、としてるのだと思うの。・・・ただ『ちょっと』効きが甘いのね」
にっこりと酷い事をおっしゃる。先輩を話のタネにするのは不謹慎と思いつつも、祐巳さまにはそれを許してしまうなにかがある。
「・・・ちょっと、ね」
「ええ、ちょっと」
二人でクスクス笑い合う。横を通り過ぎるクラスメイト達が志摩子さんの微笑みにきゃあきゃあ言いながら教室へ入っていく。ふと、自分も来年、ううん数ヶ月後には下級生から白薔薇さまと呼ばれる様になるのかなと思った。
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由乃は悩んでいた。祐巳さんはそうでもないのかもしれないけど、私にとっては死活問題なのだ、だってこの私が主導権をにぎれないなんて・・・。
「次はこの案件なんだけど・・・」
この度、めでたく黄薔薇さまになった由乃がプリントをひらひらさせつつ言うと、
「却下です」
白薔薇さまである乃梨子ちゃんが即答する。
「・・・まだハナシ終ってないんだけど」
ジト目で睨みつつ返すが、乃梨子ちゃんは、にべも無く繰り返す。
「ですから却下です。次の案件に行きましょう」
「ちょっと!なんで乃梨子ちゃんが勝手に決めるのよ」
テーブルに両手を打ち付け勢い良く立ち上がる。祐巳さんがちょっとびっくりしてこっちを伺う。
「そうよ!祐巳さんはどうなの?」
同士を得んとばかりに迫っても最近の祐巳さんははっきりしない。
「私はどっちでも・・・」
「何よそれ!」
バンバンバンとテーブルを平手で殴打する、テーブルに罪は無いのだけれど、ストレスを溜め込むのは良くない。由乃式健康法だ。
「・・・分かったわ、じゃあ決を採りましょう」
「反対に1票」
乃梨子ちゃんが間髪いれずに答える。むぅ可愛くない。
「賛成に1票」
乃梨子ちゃんの方を見やりニッコリと微笑みつつ言う。多少顔がひきつっているかも知れない。
「反対に1票」
瞳子ちゃんだ。今や紅薔薇のつぼみであり、(由乃にとって)不幸な事に奴は乃梨子ちゃんの親友というポジションにいる。意見も乃梨子ちゃんよりになるのも仕方ないところか。
「じゃあ・・・私も反対に」
「祐巳さんっっ!」
親友よりも妹なのっ、私達の方が付合い長いじゃないっ!と目で訴えるが、祐巳さんは、はなっからこっちを見ちゃいない。もう瞳子ちゃんしか目に入らないのね・・・。
「由乃さん、ごめんなさいね。反対に1票」
ええ、あなたは乃梨子ちゃんの姉ですとも。聞く前から分かってましたよ。
「反対に一票」
「・・・菜々、あんたね」
「なんでしょう、お姉さま」
「姉を助けるのが妹じゃないの?」
「姉妹の有り様はそれぞれだと思います、それに・・・」
菜々は続ける
「剣道部でいえば、ライバル校の太仲に姉もいますし・・・」
菜々はにっこり笑う。由乃は菜々に初めて会った時の事を思い出していた。そう、菜々は誰かに似ていたのだ。髪型と、なによりもその『おでこ』に特徴のあるあの方に・・・
「私は姉と闘う事が趣味みたいなものなので。」
さりげなく爆弾を落とす。なんで私は菜々を妹に選んだのだろう・・・
「じゃあ、賛成1、反対5でこの件は却下します」
乃梨子ちゃんがテキパキと進めていく。由乃は机に突っ伏してぼんやりとそれを見ている。
ふと頭をよぎる。もし志摩子さんが白薔薇さまだったなら、乃梨子ちゃんはもっと控え目だったのではないだろうか。志摩子さんも自己主張はするものの、真っ向から由乃に向かって来るタイプではない。つまりは、由乃が先頭をとって歩いて行けたのではないかと思うのだ。
ちら、と志摩子さんの方に目をやると、今や白薔薇さまたる乃梨子ちゃん以上の発言権を持った(姉の言う事は絶対だしね)マリア様が、嫣然と微笑み返してくる。
「・・・志摩子さん。選挙辞退したの進路の為じゃないでしょう?」
由乃の問いかけに「うふふ、どうかしらね」と、志摩子さんは答える。
そして今日も令ちゃんの体には青アザがつくのだ、ごめんよぅ令ちゃん。(うさばらし)