【162】 がちゃがちゃ江利子さま一撃入魂  (柊雅史 2005-07-05 22:01:34)


木曜日の放課後。
いつものように祐巳が掃除を終えて薔薇の館の二階へ足を踏み入れると、そこには以前に見たことのあるような、異様な光景が待ち受けていた。
「……」
なんかまた見てはいけないものを見た。そう思って今度こそ無関係を貫くべく、そっと扉を閉めようとするけれど、案の定そこにいた人物はとっくに祐巳のことに気付いていて、当然のように呼び止めてくる。顔をこちらに向けもしないで。「祐巳さん」と。
「ご、ごきげんよう」
渋々挨拶をした祐巳をじろりと見上げ、由乃さんはちょっと口を尖らせる。
「祐巳さん、また逃げようとしたでしょう」
「とんでもない。逃げようだなんて、そんなこと」
「いーや、逃げようとしていたわよ。『前回』だって逃げようとした、前科持ちなんだから祐巳さんは」
それを言われると痛い。確かに前回も祐巳は逃げようとしたし、正直に言えば今回も逃げようかなって思った。
だってどう考えても、これから待ち受ける事態は前回同様、ロクなものではないに決まっているのだから。
薔薇の館で一人佇む由乃さん。じっと椅子に座って目の前の箱を睨みつけ、微動だにしないその姿に、デジャビューを感じたのは祐巳だけではないはずだ。
ただ前回と違ったのは、由乃さんの前に置かれていた箱の種類。前回はクッキーの詰め合わせバラエティギフトだったのだけど、今回のそれはまず材質からして違う。
前回は紙。今回は金属。
具体的に言うと、それは4つのダイアルが付いた金庫だった。
「それで」
祐巳は由乃さんの隣に腰を下ろして、むっつり黙っている由乃さんに、恐る恐る伺った。
「今回のそれ『も』江利子さまからなの?」
「ん」
由乃さんが一枚の紙を突きつけてくる。そこには流暢な字で、こんな文章が。
『由乃ちゃんへ。来年には開くと思うから、それまでお楽しみにね。 江利子』
ああ、やっぱりと祐巳は溜息を吐いた。しかも今回は由乃さん名指しの、差出人名付きだ。
「字もやっぱり、江利子さまだね」
「そうよ。――この時期に仕掛けてくるなんて、なんのつもりなのかしら?」
由乃さんが爪を噛む。
この時期、というのは、前回の賭けが一応の決着を見た――由乃さんが会場で出会った菜々ちゃんを即席の妹として紹介した――あの剣道大会から、週が明けての木曜日、というこの日付設定のことだろう。
確かに、これはもうきな臭い。今度はどんな仕掛けを施したのかと、由乃さんが身構えるのも仕方のないことだと思う。
「これって、4桁の数字を入れて開けてみろ、ってことだよね?」
「でしょうね」
「全部で1万通りかぁ……一個一個当たっていくのも手だと思うけど」
「ダメよ、そんなの。そんなの負けと一緒だわ」
祐巳の予想通りに由乃さんが首を振る。
別にどこにも勝負、なんてコトは書いていないのに、既に由乃さんの頭の中では、これは江利子さまとの勝負に変わっているらしい。
由乃さんのそんなところが、江利子さまに気に入られてしまっている要因だと思うのだけど。
「賞味期限――なんて、ないよね」
「どうぞ祐巳さん、食べれるものなら食べて下さいませ。ばりばりと」
「言ってみただけだってば」
でも4桁の数字ってことは、日付なんかはいい線行っているんじゃないかな、と祐巳は思う。
「今日の日付、剣道大会の日付、後は――菜々ちゃんが入学してくる入学式の日付」
「どれも試したけど、全部だめ。私の誕生日も無関係、令ちゃんの誕生日もペケ」
「んー……そんなに単純じゃない、かぁ」
相手は何しろ江利子さま。そんな単純な話で済むはずがない。
結局由乃さんに巻き込まれて、祐巳もうんうんと唸りつつ、金庫と手紙を交互に見る。
「――あれ?」
そこで気付いた、手紙の裏に描かれた、正体不明の記号、のようなもの。
 『 □|□□−|□ 』
「……なに、これ?」
「わかんない。ヒント、だとは思うんだけど」
「四角・縦棒・四角・四角・横棒・縦棒・四角……? 何の意味があるんだろ?」
「私は、この四角に数字を当てはめる、と睨んでいるんだけどね」
「あ、なるほど!」
由乃さんの指摘に祐巳はポンと手を打った。確かに意味不明の記号だけど、四角の数が4つというのは怪しいこと、この上ない。
四角と縦棒と横棒。果たしてここから導かれる答えは――?
「……郵便番号、とか」
「それって、昔は3つでそれから5つ、今は7つじゃない」
「郵便番号が4つの地域ってなかったっけ、一時期。例えば菜々ちゃんの家とか」
「さすがに郵便番号は知らないわよ。住所を調べれば、すぐに分かるとは思うけど。でも、多分4つじゃないでしょ。都内だし」
「そっか……」
四角・縦棒・四角・四角・横棒・縦棒・四角。この意味不明な記号の羅列を相手に、祐巳はしばらくあーでもない、こーでもないと頭を回転させていたけれど、これはダメだと降参することにした。
祐巳は気持ちを切り替えて、今度は江利子さまからの手紙を手に取る。
「さっき読んだけど、この手紙もちょっと変だよね」
「どこが?」
「ここ。『来年には開くと思うから』っていうところ。江利子さまなら、由乃さんが意地でもその場で開けようとすることくらい、予想しそうなものよね」
「ちょっと祐巳さん、それってどういう意味よ! 祐巳さんは私のことをどういう目で見ているわけ?」
「え、どういう目でと言われても……」
見た目は可憐な美少女だけど、その実猪突猛進でイケイケで、いつでもGOGO青信号。
「まぁ、確かにそうなんだけど、さ……」
渋い顔をしながら、それでも由乃さんは肯定した。
「でも確かに。そう考えると変よね、この言い回し。来年には開く?」
「来年、ってキーワードから連想するのは……」
「菜々、でしょうね。江利子さまに名乗ってたし、菜々」
「じゃあ、菜々ちゃんの誕生日とか」
「確かにそれなら、来年までは手が出せない。蔦子さんか真美さんにお願いすれば、調べてくれるかもしれないけど、それは避けたいところよね」
それは確かに、わざわざリリアンかわら版のトップを飾る一大スクープを、自ら提供するに等しい愚行だと思う。
「あー、悔しい! 来年までこのままってこと? 蛇の生殺しだわ!」
頭を抱えて突っ伏す由乃さん。確かに菜々ちゃんの誕生日だったらそういうことになるけれど。
でも、江利子さまだってそう簡単に、菜々ちゃんの誕生日を調べることは出来ないんじゃないかな、と祐巳は思う。江利子さまなら必要であれば執念で調べるとは思うけど、さすがに日曜日に出会って木曜日の時点で、調査が終了しているとは思えない――と、思う。
いや、あの人はちょっと尋常じゃない方なので、そのくらいのことしても不思議ではないけれど。
それに、菜々ちゃんの誕生日だとすると、例の記号はどうなるのだろう?
 『 □|□□−|□ 』
これにどうやって誕生日が当てはまるのか。
「どうしようかなー……思い切って菜々に聞いてみようかなぁ……。あー、でもダメだ。それは江利子さまの狙い通りかもしれないし……」
ぶつぶつ呟く由乃さんは、既にいかにして菜々ちゃんの誕生日を調べようか、ということに頭を巡らせているようだ。
それを試してダメだったら次を考えれば良いじゃないか、というのが、きっと由乃さんの考えなのだろう。まぁそれはそれで、菜々ちゃんと会う口実にはなりそうだし、由乃さん的にはありなのかもしれない。由乃さんの性格上、来年の春までじっと我慢する、なんてことは出来そうにないから。
「……ん?」
そこでふと、祐巳の頭に思いついたことがあった。
「えーと……あれ? だとすると、真ん中が……」
ぐりぐりとこめかみの辺りを指でマッサージしながら、ふと思い立った数字を当てはめていく。
いやそんな馬鹿な、どうして私なんかが答え出しちゃうんだ。クイズは苦手な方なのに――などと思いつつ、祐巳の頭の中でキラーンと4つの数字が輝き始める。
「……祐巳さん?」
「えーと……どうしよう、由乃さん」
訝しげな視線を向けてくる由乃さんに、祐巳は困ったような笑みを向けた。
「私、解けちゃったみたい……」
祐巳のセリフに由乃さんは目を丸くして。
「言ったら叩くからねっ!」
猛然と、金庫と手紙を祐巳からひったくった。

どうやら祐巳に解けたのがよっぽど悔しかったらしく、うんうん唸って金庫と格闘している由乃さんに、祐巳はちょっぴり苦笑する。
なんとも、バカバカしい。
バカバカしいのだけど――きっと思いついた江利子さまは、それはもう、大喜びだったのだろうな、と思ったりする。

箱の中身は何なのか。
きっと可愛い孫とその妹への、お祝いの品に違いない、と思いつつ――祐巳は奮闘する由乃さんのために、美味しい紅茶を淹れてあげようと、席を立つのだった。


※【No:166】解答編へつづく


一つ戻る   一つ進む