「つり橋効果っていうの知ってる?」
「つり橋効果?」
薔薇の館の前で、由乃さんはなんとなくといった感じにそう言った。
祐巳の疑問は、その言葉自体の意味を聞いているわけではなく、なんで今そんな話を出すのか。
という疑問だった。
「うん。私は思うんだけど……」
「うんうん」
どこか真剣な顔の由乃さんに合わせて、思わず祐巳も真剣に聞き入ってしまい、足も止まってしまう。
「―――志摩子さんは、すごく可愛いと思うの」
「―――はぁ?」
由乃さんは拳をグッと握ってさらに熱弁をする。
「あんな可愛い人を乃梨子ちゃんが1人占めしていていいのだろうか!そんなハズはない!!
志摩子さんの親友である私達にも志摩子さんを独占する権利はあると思うの!!」
「(私達って、すでに私も同意済みになってる!?)」
もはや赤信号になることはない由乃専用信号機が青色のみを点灯させているようで、祐巳は言いそうだった
言葉をグッと飲み込んだ。こういう時は逆に火に油になってしまう。
「…それで、由乃さんはつり橋効果をどうしたいの?」
「普段はおっとりしてて私達には普通に接してる志摩子だけど、つり橋効果を利用すれば乃梨子ちゃんに対する
態度を私達にも見せてくれるかもしれないじゃない?」
じゃない?と聞かれても、祐巳としては困ってしまうわけで。
そんな話をしながら2階への階段を上るのもどこか不釣合いな気がしてきた。
と、そんな時。さらに由乃さんを焚きつけることが起きた。
「きゃあー!!!!」
「!!あれは志摩子さんの声!!?」
由乃さんは会議室から聞こえた志摩子さんの叫び声に反応すると、ものすごいスピードで走っていった。
あのまま由乃さんを放っておくのも、志摩子さん、さらには乃梨子ちゃんにまで悪い気がしたので祐巳も
続いて走ることにした。
会議室の中には、床の一点を見つめて怯えた顔でいる志摩子さんと、どこから取り出したのか新聞紙を
丸めて振りかぶっている由乃さんだけがいた。
志摩子さんが見つめているその一点というのが……
「(あ、Gさんか……)」
黒いあんチクショウこと、Gさん(仮名)が出たようだった。志摩子さんはこれに驚いて声を出したのだろう。
というか、祐巳は自分が案外冷静でいるのに驚いた。まぁ、家でも祐麒といっしょにGさん(仮名)を追い掛け回している
くらいだから当然だね。ということにしておいた。
「成敗ッ!成敗ッ!!」
由乃さんはやけに嬉しそうにGさん(仮名)を追い掛け回している。なので、祐巳はとりあえず志摩子さんの元に
行くことにした。
「大丈夫?志摩子さん」
「あぁ……祐巳さん。ごめんなさい、大声を出してしまって…」
少し苦笑いを浮かべながら、座り込んだ志摩子さんはなかなか『そそる』ものがあって、なるほど由乃さんの言葉も
一理ある。と、祐巳は納得した。
そんな2人のもとに、満面の笑みの由乃さんが近づいてきた。
「志摩子さん!私がちゃんと始末しておいたよ!」
「ごめんなさいね、由乃さん」
おぉ、由乃さんがすごい満面の笑みってレベルを超えた笑みだ。なんだか凄い。
と、どうやら志摩子さんは腰が抜けてしまったみたいだった。Gさん(仮名)と遭遇して腰が抜ける志摩子さん……
「(なるほど、これは可愛い……)」
いつのまにか、由乃さんの思惑通りなのかすっかりと志摩子さんに夢中になっている自分がいたのを、祐巳は自覚した。
「あーあー。志摩子さん怖かったよねーよしよし」
そしてあろう事か、由乃さんは座り込む志摩子さんの隣にしゃがむと、そのまま横から抱きついた。
それには、祐巳どころか志摩子さんも驚いている。
「ちょ…ちょっと由乃さん…」
「えー。いいじゃん志摩子さん怖がってるんだし」
なるほど、一種のつり橋効果か。などと納得してしまった祐巳なので、じょじょに自分も……みたいな感情が出てくる。
志摩子さん自体も、苦笑いを浮かべつつもそんなに嫌そうではない。
「(えぇい、ままよ!)」
いつだか言った言葉をリピートしながら、祐巳も由乃さんとは逆の方から抱きついた。
1人の少女が、2人の少女に挟まれるようにして抱きつかれている。しかも座りながら。
どこかシュールな絵だ。と祐巳は感じた。
「ゆ、祐巳さんまで……」
「大丈夫だった、志摩子さん?」
さすがに志摩子さんも困惑してきたみたいだけど、特に嫌そうではない=じゃあしててもいいや。という謎の思考が働いた。
というか、由乃さんはすでにもういろいろと間違った方向にいっている。髪に顔を埋めているし。
「こうやって見ると、志摩子さんの髪ってすっごくやわらかいねー」
「肌も白くて綺麗だなー」
「ふ、2人とも……あまりジロジロ見ないで……」
いつのまにか、なんだか当初の慰める。っていう流れから逸脱していた。
まぁそういう祐巳も、志摩子さんの肌の白さにうっとりとしているのだけれど。
「いいなー。乃梨子ちゃんってばこんな志摩子さんを1人占めして…」
「いいなー」
なにか、もはやGさん(仮名)とかどうでもよくなってきたように思える。祐巳自身も由乃さんも。
志摩子さんは志摩子さんで、今の状況に落ち着いているのかわりと普通だった。
それはそれで凄いことだけど。
「そんな…私は別に、誰のものでもないわ。乃梨子は可愛い妹だし、由乃さんは大切ないい友達で、祐巳さんだってそうよ」
…あ、今のはズルイ。かなりグッときてしまった。
「志摩子さん……」
どうあら、由乃さんも同じようで、目をウルウルさせている。
「だから、1人占めとかそういうのはないわ。それに私達、親友でしょ?」
トドメの一撃がきた。すごく綺麗な笑みでそれを言われちゃあ、たとえ女の子だろうと誰でも『オチてしまう』。
案の定、由乃さんは……
「……志摩子さんってば大好き!」
なんていいながら、志摩子さんお頬に軽くキスをした。
志摩子さんは、少しの間停止してから、ほんのりと顔を赤らめた。ムムッ。
「私だって志摩子さん大好きだよ!」
なぜかムキになって対抗して、祐巳も反対側の頬にキスをする。
そして、向かいに座る由乃さんと祐巳の視線が合うと、そのまま何故か志摩子さんへキスの応酬が始まった。
当の志摩子さんはというと。
真っ赤な顔で機能停止しているようで、そのあと乃梨子ちゃんが来て般若のような顔をして由乃さんと祐巳を蹴散らすまで
そのままだった。
そして、後に『蕾戦争』とも呼ばれる、志摩子さんをめぐる激しい戦いが1週間続いたのだけど、それはまた別の話。