【1836】 同じ穴の  (まつのめ 2006-09-06 17:33:06)


 昼休みの薔薇の館は微妙な緊張感に包まれていた。
 ビスケットの扉から見て、手前は祐巳、窓を背にして由乃、左手に乃梨子と志摩子がそれぞれお弁当を広げている風景はいつもと同じ。
 これに、菜々、瞳子が加わるといい感じにマリみて第三世代になるのだけど、今は微妙な時期なのでこの二人の姿は無い。ちなみにこのことは物語にはあまり関係ないことを断っておく。


 さて、由乃は今朝から祐巳の態度がおかしいことに気づいていた。
 なにか話し掛けてもよそよそしく、休み時間でも一緒に行動したがらないのだ。
 何回か、悩み事でもあるのかと聞いてみたが、愛想笑いを浮かべてそんなことは無いと否定するばかり。
 明らかに何か隠し事をしている。
 そんなことだから「どうして話してくれないの?」と憤慨するやら、「頼りにならないって思われてるの?」と不安になるやらで、逆に由乃の方が情緒不安定になる始末。
 その気まずさを引きずったまま昼休みを迎えたのが、この異様な緊張感の原因である。
 もともと変な緊張感をまとっていたのは由乃と祐巳の二人なのだが、それは今やいつも平和な白薔薇姉妹にまで伝播していた。
 お弁当箱に箸があたる音だけが響く会議室。
 その、嫌な雰囲気を破ったのは祐巳だった。
「由乃さん?」
 ちょっと緊張気味に呼びかける祐巳に、由乃はぶっきらぼうに答えた。
「なによ?」
 その態度に少し引きつつそれでも祐巳は言った。
「わ、わたしね、狢(むじな)になっちゃった」
 なんでどもるのよ、と思いつつ由乃は答えた。
「なによそれ?」
「だから狢、だよ?」

  むじな 【狢/貉】
   1)アナグマの異名。
   2)タヌキのこと。

「どっちよ?」
「えっと、多分2」
「いつから?」
「生まれつきだと思う」
「ふうん」
 なにやら微妙な表情になった由乃はお弁当に入っていた大葉(おおば・しその葉のこと)の天ぷらを箸でつまんで祐巳の弁当のご飯の上に置いた。
 祐巳がきょとんとしてそれを見ていると、由乃は言った。
「葉っぱ。化けるんでしょ?」
「いらないよ」
「狢が好き嫌いしちゃダメでしょ?」
「信じてないでしょ?」
「信じるも信じないも、今朝から祐巳さんワケ判らなすぎ」
「え?」
「何か悩んでると思ってずっと心配してたのよ? なのに、なに? 狢になった? 私のこと馬鹿にしてるの!?」
 と、怒りとか不甲斐なさとか悔しさとか、とにかく涙ぐみながら声を荒げる由乃だった。
 それを見た祐巳は言った。
「ご、ごめん。でも由乃さんが悪いんじゃないんだ。悪いのは祐巳、あいや、わ、私なの。私が悪いんだから」
「……」
(なに、この祐巳さん?)
 慌てた様子で、弁解する祐巳。だが、由乃の目にはあからさまに違和感があった。
「……あなた誰?」
「え!?」
 祐巳の声が裏返った。
「祐巳さんじゃないわね?」
「そそそ、そんなことない、よ?」
 思い切りうろたえる祐巳に確信を持った由乃はゆらりと立ち上がった。
 窓は正面なのに何故か逆行になって目だけがギラリと光っておどろおどろしい迫力がある。
 そして地の底から沸いてくるような声で言った。
「……どこの狢が化けてるのかしら?」
「ちょ、ちょっと待って!」
 冷静に考えれば由乃の戦闘能力はそんなに高くないから恐るるに足りないのだけど、この祐巳にはそんなことを考える余裕は無かったようだ。
 慌てた祐巳はあたりを見回した。
 そして背後にちょっと外に張り出している出窓が目に止まった。
 不気味に怒る由乃はテーブルの向こうだ。
 窓を開けて、そこから飛び出すくらいの余裕はある。
 とっさにそう考えた祐巳(?)は椅子を蹴って立ち上がり、振り返って出窓に手をかけた。
 そのときだった。
「待って、祐巳さん?」
 緊張した空気にそぐわない、やわらかい言葉が響いた。
「うわぁ!」
 いつ移動したのか祐巳のま横に志摩子が立っていた。
「ここは二階なのよ? 飛び降りたら怪我をするわ」
 おっとりとそう言う志摩子に、祐巳は窓から飛び出す機会を失ってしまった。
「……逃がさないわよ?」
 そして、由乃に背後からがっつり抱きつかれた。
 思わず、祐巳(?)は叫んだ。
「ちょっ、島津さん、やめて」
「『島津さん』?」
 何故か頬を赤くして慌てる祐巳(?)だった。
 それを見た志摩子さんは言った。
「もしかして、祐麒さん?」
「「えぇ?」」
「なんで判るんだよ?」「祐麒さんなの?」
 二人の言葉が重なった。
 彼(彼女?)の反応からそれは正解のようだった。
「でも、胸、あるわよ?」
 と、まだ抱きついて、両手を祐麒(?)らしき少女(?)の胸に這わせている。
「島津さん、ちょっと離れて、その、……あたってるから」
 ますます顔を赤くしてそういう祐麒(?)。
 由乃は背中からお尻にかけてべったり身体を押し付けていた。
「え? きゃっ!」
 祐麒(?)の反応が男の子っぽかったので、意識してしまい、由乃は急に恥ずかしくなって背中から離れた。
 が、感触はまるっきり女の子だったから離れた後、首をかしげた。
「祐麒さん、女の方だったんですか?」
 志摩子さんが祐麒(?)をまじまじと見ながら言った。
「いや、そういうわけでは……」
「それで、狢なんですね?」
「はあ、別名、妖狸ともいいますが……」


 
  *



「実は、俺、追われている身でして」
 とりあえず祐巳の姿をした祐麒は由乃の尋問を受けていた。
 でも、この祐麒、姿も声もまるで祐巳だった。
 でもまあ、口調は完全に男の子だったので、とりあえず由乃は信じた。
「何か犯罪を犯したの!?」
「いや、犯罪というほどのものでは……」
「じゃあ、なにか他人に恨みを買うことをしたのね?」
「ちょっと生徒会権限で写真を没収して処分しただけなんだけど」
「写真? 誰の?」
「いや、リリアンの方々の写真」
「リリアンの誰よ? まさか不特定多数じゃないわよね?」
「ああ、有名どころで祥子さんとか令さんとか」
「令ちゃんの!?」
「あと、祐巳と島津さんと藤堂さんのも……」
「私のも?」
「うん、でもほら、やっぱり、男子ってそういう写真をさ、変な用途に使うからさ」
「変なってなによ?」
「いや、その……」
 祐麒は口篭もった。まあどんな用途かは『お察しください』。
 だから、全部強制的に没収して全て焼いたそうだ。
 ここで由乃はその『用途』を「まあ予想はつきますけど」と言った乃梨子に耳打ちで教えてもらって使い物にならなくなったので志摩子と選手交代。
「それで、恨みを買ったのですね?」
「まさか体育系、文科系が共謀して来るとは思ってなくって、」
「学校に居場所がなくなったのね?」
「いえ、家の周りにも闇討ちを仕掛けようと複数の人間が潜んでいて、好きあらば家に乗り込んで誘拐も辞さないほど……」
 それで、やむなく、妖狸の力の封印をとき、祐巳に協力してもらって、ほとぼりが冷めるまで姿を変えて何処かに身を隠そうということになった、それが祐麒の説明であった。
「姿を変えてこれなんですか?」
「う、うん。恥ずかしながら」
 そこで、復活した由乃が言った。
「ま、待ちなさい、じゃあさっきの茶番はなんだったの?」
 『狢になっちゃった』というあれのことだ。
「あいや、あれは祐巳が」
「祐巳さんがなに?」
「ああすれば、薔薇の館のみんなの協力が得られるからって」
「なによそれ」
「なるほど、理にかなってるわ」
 志摩子が手を合わせてそう言い、微笑んだ。
「何処が!」
「さりげない自然な告白の仕方かしら?」
「不自然もいいことよ!」
「でも協力するのでしょう?」
「ま、それはそうだけど……」
「本当ですか? ありがとう、島津さん」
 そう言って由乃の手を取る祐麒であった。
 しぶしぶという態度をしているけど、ちょっと頬を赤く染めているのは、実は祐麒に協力できて嬉しいのかもしれない。

 その時、どばん、とビスケットの扉を開けて何者かが侵入してきた。
「ちょっと待った!」
 振り返ると、リリアンの制服を着ているからここの生徒か? が息を切らして立っていた。
 髪は結わず、肩にかかるくらいのくせっ毛を自然に流して、顔は何処となく祐巳に似ていた。
 でも背は祐巳より高くみえる。
 とはいえ、
「あなた、誰?」
 見覚えのない顔だった。
 その見覚えのない顔はびしっと祐巳の姿をした祐麒を指差して言った。
「それは、偽者だぞ!」
「え?」
 祐巳の姿をした祐麒(?)に視線が集まった。
「な、何を言うんだ! 俺は祐麒だぞ!」
「嘘だ! みんな騙されるな、それは祐巳が演技してるんだから!」
「ええっ!?」
 驚いたのは由乃。
「そういうあなたは誰?」
 冷静にそう聞いたのは志摩子だった。
「え? 俺は、いや、私は福沢唯(ゆい)よ、祐巳の従姉妹なの」
「もしかして、そっちが祐麒くん?」
「えっ! いや、お、私は唯よ! 祐麒がここに居るわけ無いじゃない」
 怪しい。
 というか、あからさまにうろたえている。
 そう考えれば、この生徒、女装した祐麒に見えてきた。
「じゃあ、こっちは祐巳さんなのね?」
「ち、ちがうよ、祐麒だよ?」
「変だとは思っていたのよね。だって見ても触っても祐巳さんだったし」
「違うってば」
「祐巳さん、もう演技じゃなくなってるわよ? 朝から仕込んでてご苦労様だけどもう騙されないわ」
「うーっ」
 不満げにうなる祐巳(推定)であった。
「……まったく姉弟して何やってるんだか」
 もう二人のいうことは完全に信用していない由乃。
 そんな様子を見て志摩子は言った。
「でも、祐麒さんが追われる身というのは本当なのね?」
「それも嘘じゃないの?」
「でも、祐麒さんがここに居るってことは」
 そこで自称唯が言った。
「あのね、祐麒が追われてるって言うのは本当なのよ? だから撹乱するために私もリリアンに潜入したんだから」
「あー、まあそういうことにしておきましょう、祐麒君」
「……本当なのに」
 志摩子が言った。
「でも男の方が潜入しているとなるとちょっと問題ね?」
「そういうこと。観念しなさい。祐麒君は男でしょ? 調べたら判っちゃうわよ?」
「じゃ、調べればいいんです。ほら」
 そう言って自分のローウエストのワンピースを両手でへそが見えるまで捲り上げた。
「きゃーっ! 何するのよ祐麒君っ!」
 といいつつ、顔を覆った手の指の隙間からしっかり見ているのはお約束だ。
「って!?」
 由乃が目撃したのは、かわいらしい横ストライプの女物のショーツであった。
「あら?」
 志摩子はそう声をあげるだけで全然驚かなかった。
「“無い”じゃないっ!」
「だから言ったのに」
「じゃあ、祐麒君は何処?」
「さあ?」
 自称唯がとぼけるようにそう言うと、祐巳(推定)がぼそりと言った。
「……騙されてるよ? 狢は化けるんだよ?」
「え?」
「だから、私が祐麒じゃないって証拠もないよ」
「あなたは祐巳さんでしょ?」
「まあ、そう思っていてもいいけど、確証はないよね?」
 そんなやり取りを見ていた自称唯はまた言った。
「でも私が祐麒君だって確証もないよね?」
「……」
 確かにそう言われてしまっては全てが確証がなく、祐巳(推定)がやはり祐麒だったのかもしれないし、そうでないかも知れない。
 由乃にはそれを確認する手段がないのだ。
 回答につまった由乃は虚空を睨んでじりじりと冷や汗をかきつつ沈黙した。
 そして、やがて、投げやりにこう言った。
「あー! もうどうでも良いわっ! どっちかが祐麒君でどっちかが祐巳さんでしょ! 追われている祐麒君に協力するってのは判ったからもう終わりにしましょ?」
 由乃は面倒なことが嫌いだった。
 だから、福沢姉弟をまとめて扱うことで事態の終結を図ったのだ。
 しかし。
「あの、由乃さま?」
 居たのか。今まで存在感が無くて、帰ったのかと思っていた。ここで乃梨子が発言した。
「なあに、乃梨子ちゃん」
「気になるのは、『化けられる』と言うことは、たとえば私や志摩子さんが祐麒さんという可能性もありますよね?」
「はぁ? 何を言ってるの?」
 そうだ、可能性は二つに一つではなく、もっと沢山ある。
 その、事態をさらに混乱させる乃梨子の発言に、志摩子は嗜めるように言った。
「そうよ、乃梨子、まだそれを明かしてしまうのは早かったわ」
「ちょっと志摩子さん台詞が違うでしょ?」
「いいえ、いいのよ」
「え?」
 そして志摩子は言った。
「俺が祐麒だからね?」
 そして、志摩子らしからぬ少年っぽい笑顔で笑った。
 続けて乃梨子もこう言った。
「それでね、私が祐巳だったの」
 その笑顔は確かに祐巳の笑顔だった。
「うそっ! じゃ、じゃあ、こっちの祐巳さんと祐麒君は……」
 そう言って振り返った。
「……あれ?」
 祐巳が立っていると思っていたところには雨で湿った木の幹があった。
 そして、ビスケットの扉があったはずの方向は、鬱蒼と茂った雑木林広がっていた。
 




(狢)


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