【1941】 選ばれし者  (33・12 2006-10-18 01:20:48)


 色々なものを混ぜつつ人物設定を弄りまくり、次々と出てくる問題点から目を逸らしながら作った、半分オリジナルな話です。ツッコミ厳禁←これ重要。
 話の都合上、及びこの話に出てくる祐巳の性格上、不快な表現や暴力表現等があります。できるだけ抑えましたが、少しだけグロっぽい表現もあります。主要人物に不幸があり、且つ痛いかもしれません。そういうのが駄目な方は見ない方が吉です。
 【No:1893】→【No:1895】→【No:1897】→【No:1907】→【No:1908】→【No:1911】→【No:1913】→【No:1921】→【No:1926】→【No:1933】→【No:これ】→【No:1943】→【No:1945】




「綺麗に吹き飛んでいるね」
 薔薇の館の会議室で、夜空を見上げながら祐巳さんが呟いた。確かにその通りで、会議室だけではなく館全体の天井部分が綺麗になくなっていた。
 この場所で魔法を使ったのだから仕方がないのだけれど、やはり一番被害が大きかったのは会議室だ。床や壁などには焦げ跡が残っているし、机や椅子などのその場所に固定されていなかったものに関しては全てなくなっている。
「これを志摩子さまが?」
 この部屋の有様が、志摩子の使った魔法によるものだと聞かされて瞳子ちゃんが驚いている。
「ええ、ここまで壊すつもりはなかったのだけれど、しばらく戦いから遠のいていたせいか加減を誤ってしまったの。それにしても、まさかあの時の揺れが祐巳さんの仕業だったとは思わなかったわ」
 ここに来るまで、志摩子たちはお互いの身に起こった出来事を話していたのだけれど。その時に、志摩子の窮地を救ってくれたあのとんでもない揺れが、祐巳さんが校舎を破壊した事によって発生したものであったと分かったのだ。
「感謝してね」
 そう言いつつも、そんな事はどうでも良さそうな感じの祐巳さんは、元は窓のあった場所に立ってそこから校舎があった方を眺めている。
「あんまりそっちに行くと危ないわ。怪我をするわよ」
 ちょうど祐巳さんがいる場所にあった窓を蜂が割って入ってきたので、その辺りにガラスが飛び散っているはずだ。おそらくあの時の魔法によって蟲たちと一緒に空の彼方へ飛んでいったと思うのだが、一応注意しておく。もっとも、祐巳さんが志摩子の注意を素直に聞いてくれるとは思っていないのだけれど。
「怪我しても直るから平気」
「そういう問題じゃありません!」
 志摩子の代わりに、眉を吊り上げて瞳子ちゃんが怒鳴った。
「天使族の自己治癒能力は凄いのよ。お陰でなかなか死なないんだから」
 腕くらいなら千切れても一週間ほどで生えてくるし、と祐巳さんが志摩子たちに背を向けたまま返してくる。
「……志摩子さまからも何か言ってやってください」
 祐巳さんの背中を睨み付けながら、そう言ってくる瞳子ちゃん。
「私が言っても――あ!」
 無駄だと思うわ、と続くはずだった志摩子の言葉が、瞳子ちゃんの首にかかっているものを見て途切れてしまった。
「どうしました?」
 志摩子が途中で言葉を止めた事によって、瞳子ちゃんが不思議そうに首を傾けた。
「その首にかかっているものは、もしかして……?」
「え? ああ。はい、そうです」
 志摩子の質問に答えて、瞳子ちゃんが胸元からそれを取り出して見せてくれる。
 歪に折れ曲がり、ところどころ錆びたそれは間違いなく祐巳さんの首にかかっていたものだ。祐巳さんのお姉さま(グラン・スール)である蓉子さまの残した、唯一の形見にして祐巳さんの戦っていた証。
 それは、この学園における姉妹(スール)の証でもあった。それが瞳子ちゃんの首にかかっているという事は、そういう事なのだろう。
「そう……。あなたの言葉は祐巳さんに届いたのね」
「はい」
 幸せそうに頷く瞳子ちゃんを、とても羨ましく思う。彼女がこんなに幸せそうなのは、きっと祐巳さんの傍にいるからだ。心と心の距離がとても近い所にあるからだろう。それは、過去に志摩子が失ってしまったものだ。
(失いたくはなかったのに……)
 俯いて足下を見ると、木造の床には蟲の体液である青い染みが未だに残っていた。
(私の言葉は祐巳さんには届かない……)
 もしかすると、このまま永遠に届かないままなのかもしれない。それだけは絶対に嫌なのだけれど、ではどうすれば届くのか志摩子には全く分からない。祐巳さんが一人で学園に戻ってきたあの日あの時、祐巳さんが泣いていたあの瞬間に戻れたら、なんてどれだけ願っても叶わないような事まで考えてしまう。
「祐巳さまの事を考える時、志摩子さまは下ばかり向いていますね」
「え?」
 その言葉に驚いて顔を上げると、冷ややかな目をした瞳子ちゃんが志摩子を見つめていた。
「祐巳さまが、志摩子さまに対してきつく当たる理由がようやく分かりました」
「……」
「私が言えるような事ではないんですが、あなたが祐巳さまにした事は私も許せません」
 何も言い返せない志摩子は唇を噛んだ。犯してしまった罪は消えない。永遠に消える事はないのだ。何処までも付いて回る。
「ですが、それでも志摩子さまは、祐巳さまに関わろうとしていますよね」
 そう言って瞳子ちゃんは、ふっと表情を緩めた。
「償うために、よ」
 罪は消えない。でも、償う事はできる。いや、償う事しかできない。けれど、償っただけで本当にあの頃のような関係に戻れるのだろうか。
「それだけですか? なぜ償うんですか? 傷付けたからですか? 罪の意識からですか?」
「……その全てよ。でもそれは、祐巳さんの友人でありたいと思っているからよ」

 あんな罪を犯してしまう前は、彼女とは友人だった。
 彼女を助けた事があれば、彼女に助けられた事もある。私のお姉さまも交えて、三人で穏やかな時間を過ごした事もある。
 本当に楽しそうに笑う祐巳さんの笑顔に、自分でも気付かないうちに笑顔となっていた。お日様のような祐巳さんの笑顔が好きだった。彼女のあの笑顔を取り戻したい。もう一度あの笑顔を見せて欲しい。叶う事ならば、祐巳さんにはあの頃のように笑っていて欲しい。
 祐巳さんにあの素敵な笑顔を取り戻してもらう事。それが、お姉さまや家族、乃梨子を守るという事に並んで私があの世界で戦っていた理由だった。

「志摩子さまの言葉は、祐巳さまに届いていると思いますよ」
「え?」
「本当に届かないのであれば、祐巳さまは志摩子さまに対して怒ったり怒鳴ったりしません」
「それは、私の事が嫌いだから……」
「仮にそうだとしても、志摩子さまの事を意識しているから怒るんじゃないですか? 祐巳さまにとって志摩子さまが本当に取るに足らない存在だとしたら、返事なんかしないで無視すれば良いんですから」
「そんな事、祐巳さんはしないわ。祐巳さんは絶対に他人を無視したりしない。だって……だって祐巳さんは――」
 言っても良いのだろうか。自分にそれを口にする資格があるのだろうか。
 志摩子が逡巡していると、その言葉を瞳子ちゃんが口にした。
「優しいから、ですよね」
「あ……」
「他人を傷付ける事もありますが、確かに祐巳さまは優しいんです。出会ってまだ間もない私が気付いたほど優しいんですから」
 祐巳さんは優しかった。それは、今も同じだと思う。表面上はどんなに変わっていても、根元の部分は昔と同じで優しいままだ。
「だから、きつく当たるんじゃないですか?」
 瞳子ちゃんの言う通りだ。そして、志摩子はその事を――。
「……知っているわ」
「え?」
 志摩子の口から出た言葉に、瞳子ちゃんが目を丸くした。
「本当は、ずっと知っていたのよ」
 志摩子にきつく当たってくるのは、祐巳さんの優しさだ。あれは、志摩子に罪の意識なんて感じて欲しくないからだ。志摩子が感じている罪の意識を少しでも軽くしようと、敢えてきつく当たってくる。
 祐巳さんとは中等部の頃に出会って、それからずっと一緒にいた。その明るい人柄と優しさに触れて、彼女のようになりたい、と思った事さえある。
 彼女の様々な表情をずっと傍で見てきた志摩子には、祐巳さんの感情の変化が分かる。だから、どんな気持ちを抱いて祐巳さんが怒鳴ったりしているのかなんて、ずっと分かっていた。自分の態度が、そんな祐巳さんを余計に苛立たせていたのも分かっていた。でも、それでも償いたくて、自分でそれに気付かないフリをしていたのだ。
 けれど――。
「でも、どうすれば良かったの? あんな事をしてしまった以上、それまでと同じように祐巳さんと接する事なんて私には無理よ」
「それが償いではないですか?」
「……え?」
 どういう事なのか、と瞳子ちゃんに目で問い返す。
「志摩子さまが悩む事を、祐巳さまは望んでないと思います。難しい事だとは思いますけれど、何も考えずに普通に接する事こそ祐巳さまに償う事になるのではないですか? もっとも祐巳さまは、償って欲しいなんて思っていないと思いますが」
 祐巳さんは、もうずっと前から志摩子の事を許している。それは確かだと思う。けれど、志摩子がいつまでも下を向いて悩んでいるから、祐巳さんはあんな態度を取るのだ。
「それは……本当に難しいわね」
「ですが、友人だったんですよね?」
「だった、ではなく、今も友人のつもりよ」
 少なくとも自分はそう思っている。たとえ何度拒絶されても、そうでありたいと思う。
「それなら、大丈夫だと思います。お二人とも優しいんですから」
 祐巳さんはともかく自分はどうなのだろう。そう思っていると、呆れたような声が聞こえてきた。
「誰が優しいって?」
 見ると、先ほどまで背を向けていた祐巳さんがいつの間にか志摩子たちを見ている。
 不機嫌そうな顔して腕を組んでいる祐巳さんに向かって、志摩子の隣の瞳子ちゃんが呆れ顔で溜息を零した。志摩子と同じように彼女も気が付いたのだろう。祐巳さんの怒っているような表情の中に、怒りとは別の感情がある事に。
「勝手に人の事を話して、勝手に優しいとか言われても困るんだけど」
 すぐ傍でそんな事を言われて、どう反応すれば良いのよ、と祐巳さんが視線を下げて困った顔をする。
「祐巳さんは優しいもの」
「だから、私は優しくなんか――」
「ない、なんて事はない。あなたは優しい」
 志摩子はそれをよく知っている。
「あのさ」
 祐巳さんが何かを言いかけた。おそらく、これまで同様に志摩子の言葉に対しての文句だろう。
 志摩子はそれを口にされるよりも先に、祐巳さんに向かって頭を下げた。
「ごめんなさい」
「……いったい何に謝っているの?」
 祐巳さんが目を細めた。
「あなたが蓉子さまを失って帰ってきた時の事。でも、これっきりよ。もう謝ったりしないわ」
「……ふん」
 頭を上げた志摩子を見て、祐巳さんがそっぽを向いた。
 届くのだろうか。それとも、やはり駄目なのだろうか。不安で心が一杯になる志摩子に、祐巳さんがそっぽを向いたまま言った。
「少しは……マシになったようね」
「え?」
 小さく呟くような声だったので聞き取り難かったのだが、志摩子の聞き間違いでなければ『マシになった』と言ったような気がする。でもそれは、志摩子が自分に都合の良いようにそう聞こえた、と思いたいだけなのかもしれない。実際には、どう言ったのだろう。
 悩んでいると、祐巳さんが頬を掻きながら言った。
「『少しはマシになったわね』って言ったの。同じ事を二度も言わせないで、ムカつくから」
(あ――)
 相変わらず言い方は乱暴だったけれど、志摩子には分かった。
(あぁ――)
 間違いなく、志摩子の想いは祐巳さんに届いていた。
「祐巳さんっ!」
 嬉しくて、思わず祐巳さんに駆け寄ってそのまま抱き付いてしまう。
「ちょ、ちょっと、ここは危ないって志摩子さんが自分で――」
 突然抱き付いたので、よろける祐巳さん。けれど、そのまま転んだりしないでしっかりと志摩子を受け止めてくれた。
「ごめんなさいっ! ごめんなさいっ、私っ、私っ、ごめんなさいっ」
「……あのさ、また逆戻りする気? それと、鬱陶しいから離れてくれない?」
 そう言いながらも、祐巳さんは志摩子を振り払おうとはしなかった。志摩子のしたいようにさせてくれている。
 祐巳さんは祐巳さんだった。あの頃と同じ祐巳さんのままだった。隠されていて見付ける事が難しかったけれど、暖かくて優しい祐巳さんのままだった。
「本当に、素直じゃないですね」
 志摩子たちを見ている瞳子ちゃんが、何度目かの溜息を零しながら祐巳さんに言った。
「だから、他の人ならともかく、あなたにだけには『素直に』とか言われたくないんだってば」
 泣きじゃくる志摩子を胸に抱いたまま、ほんの少しだけ頬を朱色に染めた祐巳さんが瞳子ちゃんにそう返す。
「ふふっ」
 そんな二人のやり取りが微笑ましくて、つい笑みを零してしまう。
 そのままクスクスと笑っていると、「私の言った通りだったでしょう?」と瞳子ちゃんが声をかけてきた。祐巳さんに抱き付いたままそちらに顔を向けてみると、瞳子ちゃんは志摩子を見て微笑んでいた。

 届いていましたね。

 声に出してはいないけれど、表情がそう言っている。
 だから、志摩子も同じように瞳子ちゃんへと微笑み返した。

 ええ、届いていたわ、と。



 抱き付いていた志摩子さんが離れた所で、パチパチパチパチと拍手の音が鳴り響いた。その音の出所へと顔を向けると、ビスケットに似た扉のあった場所に少女が立っていた。
 突然現れたその少女を怪しむより先に、目を奪われてしまう。小さな笑みを浮かべているその少女が、あまりにも美しかったからだ。
「余興にしては楽しめたわ。あなたの妹(スール)とやらを連れてきた甲斐があったというものね。私に感謝しなさい」
 瞳子ちゃんは、少女のそんな言葉を聞いても彼女に見惚れているままだった。志摩子さんの方はさすがで、その言葉を聞いてすぐに少女を警戒し始めた。
 けれど、祐巳は警戒の必要はないと判断した。なぜなら、少女の声が少し前に聞いた声と同じだったからだ。それは保健室での、『ねえ、そろそろ起きないと死んでしまうわよ?』という祐巳を起こしてくれた声だ。
わざわざ知らせてくれた、という事は敵ではないのだろう。
 それに、
「あなた誰よ?」
 尋ねながらも祐巳には既に分かっていた。少女の姿を見た時に、一目で彼女が何者なのか分かってしまった。
 その少女の事はよく知っているし、よく覚えている。ずっと昔に何度も見た事がある。それは、鏡の中にあった自分の姿だ。

 この少女は、神様の私だ。

「一応とはいえ、自分に向かって『初めまして』というのはおかしな気分だわ」
 少女が楽しそうに笑うと、肩口で切り揃えられている烏の濡れ羽色の髪が合わせて揺れた。
「でもまあ、初めまして。神様をやっている祐巳よ」
「神様……?」
 神様に会うのは初めてらしい志摩子さんの驚いた表情。
 瞳子ちゃんの方は、未だ彼女に見惚れたままだ。あの神様の少女と祐巳は同じ存在のはずなのだけれど、ちょっと自信がなくなってきた。って、今はそんな事よりも神様の少女の方だ。
「降臨できないんじゃなかったの?」
 桂さんが嘘を吐いたのでなければ、確かそうだったはずだ。
「あの子は、私がこの世界に来る事ができない、とは言ってなかったでしょう? つまり、私がここにいるのは降臨とは別の手段を使ったという事よ」
 確かに、『あなたの身体に神様の祐巳さんが降りる事はないわ。あなたは彼女の端末ではないから』とは言っていたが、来る事ができない、とは言ってなかった記憶がある。
 それにしても、桂さんを『あの子』だって? よくその姿で言えたものね、と彼女を眺めながら祐巳は呆れた。
 なにしろ彼女の姿が、
「どうして子供なのよ?」
 六歳くらいの時の祐巳の姿だったからだ。
 しかも、祐巳よりも遥かに綺麗な顔立ち。薄紅色の唇の上には小さくて可愛らしい鼻がちょこんと乗っていて、ぱっちりした大きな目に煌いて見える瞳なんて反則ものだ。穢れの一点もない透き通るような肌には、清楚な純白のワンピースがとてもよく似合っている。
 もうそれだけで十分だろうと思うのだが、目の前にいる少女からは祐巳では何年経っても到底身に付ける事はできないであろう上品さと高潔さまでもが自然と滲み出ていた。
 同一存在である自分が言うのも何だけど、成長すれば間違いなく絶世の美女と呼ばれるようになるだろう。神様ではない祐巳としては、腹立たしい事この上ない。
「どうしても何も、これが私の身体だからよ」
「へ?」
 予想外の答えが返ってきたので、気の抜けたような妙な声が漏れてしまった。
(って事は、これが神様の私の本体って事? こんな子供が!?)
 驚いて思わずじろじろと見ていると、気分を害したらしく少女の目がすっと細まった。
「子供の姿だからって馬鹿にしないで欲しいわね。あなたなんかよりも、遥かに世界に貢献しているのだから。生まれたばかりの赤ん坊みたいなあなたとは、積み重ねてきた年季が違うわ」
 どうやら可愛らしい外見とは裏腹に、かなり口が悪いようだ。
「神様と比べられたくないわね。それに、年季? ふふん、外見は子供なのに中身は年増――」
 いきなり、ガツンと背中に衝撃を受けた。
「ふっ、ぐぅ――」
 受けた衝撃で一瞬、呼吸が止まる。肺にあった空気が残らず口から漏れてしまった。
「祐巳さまっ!?」
「祐巳さん!?」
 瞳子ちゃんたちの慌てる声を聞いて、ようやく祐巳は自分の身に何が起きたのかを理解する事となった。
 どうやら、凄まじい勢いで壁に叩き付けられたらしい。空中に浮くとか、そういった壁に叩き付けられるまでの過程が全て飛ばされていたので、何が起こったのかすぐに理解できなかったのだ。
「ぁ……く……」
 空気を求めて呼吸をしようとしたのだけれど、それは許されなかった。
 壁に磔にされたまま、胸の上に何かとてつもなく重いものを乗せられたような感覚。胸を圧迫されて呼吸ができず、おまけに指の一本ですら動かせなくなっていた。
 見れば、少女が全く身動きの取れなくなっている祐巳を見て嘲笑っている。
「こ……の……」
 何か一言でも良いから文句を言おうと口を動かしたけれど、それ以上は何も言えなかった。
「次に余計な事を言えば、背中の壁と同化させてやるわ」
 そのままずっと、生きた壁として存在し続けるのはどうかしら? とぼやけた視界の中心で少女が愉しそうに嗤う。
 こいつ、本気で言ってる――そう感じた。彼女は、やると言ったらやるだろう。おそらく、祐巳の命なんて道端に転がっている石くらいにしか思っていない。
(まずい、意識が……)
 脳に酸素が足らないからか、思考が鈍ってくる。瞼もやけに重く感じられるし、本格的にまずい兆候だ。どうやら、神様の自分は慈悲深くはないらしい。
(やっぱり、神様なんて嫌いだ)
 まさか、こんな事で死ぬ事になるとは思わなかった。
「やめてくださいっ!」
 突然、瞳子ちゃんの大きな声が部屋に響いた。それは、悲鳴に近いものだった。飛びかけていた意識を何とか取り戻してそちらを見れば、瞳子ちゃんが身を震わせながらも神様の少女を睨んでいる。
 睨まれている少女が瞳子ちゃんを一瞥して、ふん、と鼻で笑う。
「まあ、これくらいにしておいてあげるわ。そもそも、こんな事をするために来たわけではないのだし」
 その言葉と共に、祐巳はようやく見えない縛めから解放された。
 ズルズルと背中を壁に押し付けたまま、力無くその場にへたり込む。呼吸する事が許されたので、そのままの格好で大きく空気を吸い込むと咳き込んでしまった。
「祐巳さまっ」
 ケホケホと口元に手をやって咳き込んでいると、瞳子ちゃんたちが駆け寄ってくる。それを手で制して、どうにか呼吸を普段通りに戻した所で祐巳は少女を睨み付けた。
「良い目をするわね。この私に向かってそんな目をする人は、私の世界には存在しないわよ」
 床にへたり込んだままの祐巳を見下ろしながら、実に楽しそうに少女が笑う。心底楽しくてしょうがない、というような笑顔だった。
 いつまでも見下ろされているのは気分が悪いので立ち上がろうとして足を伸ばし、ふらついた所で瞳子ちゃんが肩を貸してくれた。
「何の用なのよ」
 瞳子ちゃんに身体を支えてもらいながら少女に尋ねる。
「あなたとお話がしたかったの。少し逸れてしまったけれど、これはこれでなかなか楽しめたわ。後は今回の事についての説明ね」
 そのために、桂さんではなく彼女がここに来たそうだ。お話よりも先に説明をしてよね。その方が大切でしょうが、と思った。
「せっかちね」
 そういう問題ではないと思う。それから、勝手に他人の思考を読むな。人を殺そうとするな。それと、桂さんで思い出したのだけれど。
「あなたなら、蟲たちを操っている神様をどうにかできるんじゃない? 偉いんでしょう?」
 昨日桂さんと会った時に、『神様の祐巳さんの場合は、私たち観察している神様の纏め役』と言っていた。だったら、それくらいの事は簡単にできるのではないのだろうか。そう思いながら尋ねると、祐巳の期待に反して少女は首を左右に振った。
「いいえ、役目が違うから私は手を出せないわ」
「ふーん、そう」
 役目が違うから、ねぇ。神様ってやっぱり変だ。あ、実はそんなに偉くないとか? そんな事を思っていると、突然腕を後ろに引っ張られた。今度は目の前の神様の仕業ではなく、背後にいる誰かに引っ張られたらしい。振り返ってみると、顔を蒼白にした志摩子さんが祐巳の制服の袖を握っていた。
「どういう事なの? 神様が操っているって……」
 嘘でしょう? と縋るように祐巳を見てくる。そんな志摩子さんを見て、しまった、と祐巳は舌打ちした。
 そういえば志摩子さんは、あの世界を滅ぼそうとしていたのが神様だって事を知らないのだった。しかも志摩子さんと言えば魔女っ娘のくせに敬虔なクリスチャンで、祐巳とは違って神様や奇跡を信じている人なのだ。祐巳が初めて桂さんからそれを聞いた時よりも、ずっとショックが大きかったに違いない。
 参ったな、どうしようか? と悩む祐巳の代わりに神様の少女が答えた。
「言葉通りよ。蟲たちを操っているのは、そういう役目の神様なのよ。ついでに言っておくと、あなたの生まれ育った世界は滅びたわ」
「滅びた……? そんな……」
 ショックを受けている最中に、止めを刺すような事を言われて呆然とする志摩子さん。どこを見ているのか、ふらふらと彷徨う視線がとても危うい。
 できれば、あの世界が滅びた事を志摩子さんには知られたくなかった。そうと知らなければ、もしかしたら今も抵抗し続けている、それどころか撃退したかもしれない、と希望を持っていられるからだ。
 知らさなければずっと誤魔化す事ができたのに余計な事を、と神様の少女を睨んでいると、
「しっかりしてください」
 いつの間にか志摩子さんの後ろに控えていた瞳子ちゃんが、よろめく彼女を支えた。
「え、ええ」
 答える志摩子さんの顔色はとても悪いのだけれど、それでもその瞳の輝きは失われてはいなかった。
(……うん、そうだよね)
 志摩子さんは強い。どれだけ傷付いても、結局祐巳の事を見捨てなかった。志摩子さんなら絶対に乗り越えられるはずだ。
 そう判断して祐巳が神様の少女へと視線を向けると、彼女はこちらを見てクスクスと笑っていた。
「あなたはすぐに誤魔化そうとするのね」
 知らなければ良い事も世の中にはたくさんある。できる事なら余計な心配などかけたくない。
「あなたには関係ないわ」
 一々煩いわね、と少女を睨むが、当然の事ながらそれで怯んだりするような神様ではなく、それどころか祐巳を見て益々笑みを深める。
「そうね。確かに関係ないわね」
 嫌な奴、と思っていると、笑みを浮かべたまま少女が言った。
「私はね、人類なんて滅びても構わないと思っているの」
 それって笑いながら言うような事? と祐巳は顔を顰めた。
 だって、目の前の少女は仮にも神様だ。命の大切さなんて、よく知っているはずだ。それとも、神様だからこそ他者の命なんてどうでもいいのだろうか。他者の命なんて、玩具くらいにしか思っていないのだろうか。
ショックだった。自分とこの目の前の少女は違う、と思いたくても、どちらも祐巳で同一の存在のはずだから。
「あら?」
 少女が祐巳を見てキョトンとした表情をした後、それを冷笑に変えて言い直した。
「言い間違えたようね。滅びた方が良いわ」
 もうやめて! 命を何だと思っているの? そんな事言わないで! ……何て言えるはずがなかった。なぜなら祐巳だって、今までに沢山の人を傷付けてきたから。あの蟲たちだって数え切れないほど殺してきた。そんな自分に命をどうこう言う資格なんてない。
「そんな事はないと思います」
 祐巳が何も言えないでいると、背後から志摩子さんの声が聞こえてきた。
 振り向くと、まだ顔色は悪いものの、志摩子さんが瞳子ちゃんの支えなしに立っていた。
「皆、自分にできる事をして懸命に生きています。あの世界の人たちもそうでした。あの世界を守ろうと力を合わせて、必死に戦って傷付いて、命を落として……それなのに、どうしてそんな事をおっしゃるのですか? あなたは、人の命をどう思われているのですか?」
 どうやら神様の言った事が信じられなくて、尋ねずにはいられなかったようだ。けれど神様の少女は、縋るような表情の志摩子さんを見ても顔色を全く変えなかった。
「なくても別に困らないもの。私の中では、そういうものに分類されてるわね」
「――」
 少女のあんまりな返答に、志摩子さんが絶句した。
「あなたたちの命なんて軽いのよ。大した理由もなく騙し合い、傷付け合い、奪い合い、殺し合う。そんなあなたたちの命のどこが重いのよ? 軽いと思っているから、そんな事ができるのでしょう?」
 そんな事はない。誰だって命の尊さ、大切さなんて分かっているはずだ。
「それに――」
 少女が志摩子さんから、叫びたい衝動を堪えている祐巳へと視線を移した。
「力を合わせて? 面白い冗談ね。それとも本気なの? では藤堂志摩子さん。教えていただける? 私の目の前にいるあなたの世界の福沢祐巳は、なぜこんなにも傷付いているのかしら?」
「っ!」
 志摩子さんが顔色を変えて俯いたのが見えた。俯いてしまったので一瞬しか見えなかったけれど、今にも泣き出してしまいそうな表情をしていた。
 カッ、となって思わず叫ぶ。
「黙れっ! 私はもう許しているの!」
 これ以上何か言うようなら力尽くでも止めるつもりだった。
 そんな祐巳に少女が向けてきたのは、
「他者を傷付ける事しかできない愚かな生き物に、天使族のあなたは傷付けられたのね」
 とても優しい眼差しだった。
「あ……」
 不意に思い出す。
 お姉さまを失った時の事。
 どうしようもなく心が痛くて、泣き叫んでいた時の事。
 あの世界の皆に裏切られた時の事。
 化け物、と恐れられた時の事。
 たくさん傷付いた時の事。
 けれど――。
「他者を傷付ける事しかできない、なんて事はないわ。だって、お姉さまみたいな人がいた。自分の命を投げ出しても守りたいって、そう思える人がいた。実際にそうする人たちがいたわ。お姉さまもそうだった。私のために自分の命を――」
「そうは思っていない人たちに、あなたはどれだけ傷付けられたのかしら?」
「私は傷付いても痛みなんて分からないから良いのよ!」
「そんなあなたにしたのは誰なのかしらね?」
「私よ! 自分自身でそうしたのよ! 他人のせいなんかじゃない!」
「では、どうしてそうしようと思ったのかしら?」
「それは……」

 誰かに傷付けられても傷付かないように――。

 言えない。そんな事言えない。絶対に言いたくない。だって、傷付けてしまう。それを自分のせいだと思っている、とても優しくて大切な友人を傷付けてしまう。
「あなたは優しいのね」
 少女が、口を噤んだ祐巳から視線を外して志摩子さんの方を向いた。
「どうかしら? 滅びた方が良いのではなくて?」
「……」
 志摩子さんは俯いたまま何も言い返せなかった。
「でも――」
 そんな志摩子さんをつまらなそうに眺めている少女に、祐巳は俯かせていた顔を上げて言った。
「あんな世界になる前の私は確かに幸せだった。傷付けられたりなんてしなかったよ」
 皆、優しかった。皆、笑顔だった。種族なんて関係なかった。あの世界には優しさが満ち溢れていて、自分も自然なままの笑顔でいられた。
 狂ってしまったのは、あんな世界になってからだ。
「そう。幸せだったのね」
 少女が瞼を閉じて微笑を浮かべた。確かにこの世のものとは思えないほどに美形だけれど、自分の同一の存在である。それなのに、その微笑に思わず見惚れてしまう。
 初めて見る少女のその表情は、深い慈愛に満ちていた。ああ、本当に神様なんだな、とあれほど嫌悪感を持っていた相手なのに、すんなりと認めてしまうほどに優しかった。今の、慈愛の微笑を浮かべている彼女を見れば、きっと誰だって認めてしまうだろう。
 彼女は間違いなく神様だと。
「では、私が間違いなく神様だと分かった所で、今回の事について幾つか説明するわ」
 閉じていた瞼を開いて祐巳に向かってクスリと微笑んだ後、少女が説明を開始する。
「まず、この場所は私がコピーして作ったわ。あなたたちが生きている宇宙の情報を丸ごとコピーよ。ただし生命体と呼べるものは、あなたたちと『彼ら』に蟲、私と『あれ』を除いていないわ。『あれ』が何を指すのかは、当然分かっているわよね?」
 少女の言う『あれ』とは、瞳子ちゃんと二人でいる時に感じた視線の持ち主の事だろう。今は空を覆う雲が厚くて見えないけれど、月と一緒に浮いているのだろう『あれ』の事だ。
「それで合っているわ。あなたたちのいた世界を完全に滅ぼすために、『あれ』や蟲がここに来たのよ」
 祐巳は、どういう事だろう? と首を傾げた。あの世界なら、もう滅びたはずだ。桂さんがそう言ってた。
「生き残りがここにいるでしょう?」
 少女の言葉に、思わず志摩子さんと顔を見合わせる。
「ああ、いるね。確かに」
「そうね」
 祐巳は志摩子さんと一緒に頷いた。
「それで滅ぼしにきたわけなのだけれど、そのまま現実世界に現れたら大騒ぎになるでしょう?」
 それは確かに大騒ぎになる。というか、それどころでは済まないと思う。
「だから、このコピーした世界にあなたたちを連れてきたわけ」
 そして、そんなあなたたち二人を追って『あれ』や蟲もここに来たの、と少女が続ける。
「感謝して欲しいわね。騒ぎにならないようにしてあげたんだから」
 やたらと恩着せがましい神様だ。
「けれど、本当の事でしょう?」
「でも、当然それだけじゃないよね?」
「ええ」
 当然のように首を縦に振る少女。
「だよね」
 人類なんて滅んでも良いって言った神様だ。当然、何か他に理由があると思っていた。
「第六世界のこの星を、あなたたちを滅ぼすついでに、滅ぼす予定は今の所ないわ」
 人類なんてどうなっても良いが星までは滅ぼしたくない、という事らしい。
「でもそれだと、滅ぼしにきた神様に手を出している事にはならないの? 『役目が違うから私は手を出せない』ってさっき言ってたよね?」
 彼女が作ったこの世界に滅ぼす役目を持った神様を招き入れる事自体、手を出している事と同じだと思える。
「ならないわ」
「そうなの?」
「私はあなたたちをここに連れてきただけよ。そこに、あなたたちを滅ぼしに別の神様がやってきた。その神様は第六世界を滅ぼしにきたわけではなく、あなたたち生き残りの二人を滅ぼしにきた。そして、その二人は揃ってここにいる。ほら、私はその神様に手を出してはいないでしょう?」
 そんなので良いのか? と呆れたが、どの範囲までが手を出していない事になるのか分からないので、今の話で納得するしかない。
「まあ、分かった。納得する事にする。後は、祥子さまをこちらの世界に連れてきて、更に接触した理由を聞きたいわね」
 祥子さまに接触した理由とは、正しくは、なぜ桂さんがわざわざ祐巳の名前を使ってまで祥子さまに接触したのか、になる。
 本当は昨日、その事について桂さん本人に尋ねようと思っていたのだけれど、その時の自分の精神状態がそれどころではなくなってしまったために聞きそびれていたのだ。本来は桂さんに聞くべき事なのだろうが、彼女の上司であるらしいこの少女なら間違いなくその理由を知っているだろう。きっと今回の事は、全てこの少女が命じた事だろうから。
 それから、目の前の少女は分かっていると思うが、祐巳は「桂さんが」とは意図的に口にしなかった。普段は普通の人間らしいので、わざわざ志摩子さんの前で名前を出して迷惑をかける事もないだろう、との配慮からだ。ちなみに瞳子ちゃんは覚えているかどうかは知らないけれど、昨日の祥子さまと祐巳の会話時に桂さんの名前を聞いているはずである。
 その瞳子ちゃんと言えば、彼女がなぜここにいるのか、については想像が付いている。
(おそらく、私が原因なんだよね)
 誰にも気付かれないように小さく溜息を漏らしていると、祐巳の心を読んだらしい少女が頷いた。
「そうよ、あなたの考えている通りよ。松平瞳子をこの世界に連れてきたのは、あなたの問題を解決しようと思ったからよ」
 そうだろうと思った。
 ここに現れた時、『あなたの妹(スール)とやらを連れてきた甲斐があったというものね。私に感謝しなさい』とか言ってたし。志摩子さんとの事だろう。瞳子ちゃんのお陰で解決できたと言える。
「あなたはこれから、彼女と一緒に『あれ』や蟲と戦わなければならないの。もしかすると、死ぬ時も一緒かもしれないわ。仲直りできて本当に良かったわね」
 美しい友情だわ、とわざとらしい笑顔で言ってくる少女。
 見ていて、聞いていて、本気でムカついてくる。そして、同時に薄気味悪さも感じていた。だって、おかしい。この少女は祐巳の有益になる事しかしていない。
「何で私のためにそこまでするのよ?」
「あなたにやってもらいたい事があるの。そのために必要な事だったのよ。それについては後で教えるわ」
 神様の言う事なんて素直に聞くとでも思っているのだろうか。馬鹿じゃないの? と祐巳が思っているとまた心を読まれたらしい。
「あなたは必ず、そうしなければならなくなるの。たとえ、それがどんなに嫌で傷付く事であっても」
 そう言って、少女が酷く薄い笑みを浮かべた。何を考えているのか全く読めない上に無駄に整った顔立ちなので、薄ら寒く感じられた。
 何だかとんでもなく嫌な予感がするのだが、尋ねてみた所でこの少女が素直に話すなんて思えない。仕方がないので今の所は、聞き出すのは諦めておく事にする。
「まぁ、今の所は良いわ。それで、祥子さまの方は?」
「小笠原祥子にあの子を接触させたのは、あなたに痛みを取り戻して欲しかったからよ」
「は? 何それ?」
「福沢祐巳に再び会えると思ったから、小笠原祥子はそれ以外が目に入らなくなった。松平瞳子の事を全く見なくなったわ。そうして、あなたと松平瞳子は惹かれあった」
 って事はだ。祐巳と瞳子ちゃんが出会ったのも、惹かれ合ったのも、姉妹(スール)になったのも、全て神様のお膳立てによるものというわけではないだろうか。 
「……いったい何様のつもりよ」
「言っておくけれど、あなたたちがお互いに惹かれ合うだろうとは思っていたけれど、姉妹(スール)になる事までは干渉していないわ。それは間違いなく、あなたたちが自分の意思で決めた事よ。私としては、あなたが痛みを取り戻してくれるのならそれだけで良かったのだもの。だから私がした事としては、小笠原祥子をこの世界に連れてきた事とあの子を接触させた事、それだけよ」
「でも、そのせいで瞳子ちゃんは傷付いた!」
 桂さんが祥子さまに接触しなければ、きっと瞳子ちゃんは傷付く事なく祥子さまと姉妹(スール)になっていただろう。
「それで?」
「それで……って、あなたのせいでしょう? 他人を傷付けて、あなたは何とも思わないの?」
「先ほど言ったわよ。『私としては、あなたが痛みを取り戻してくれるのならそれだけで良かったのだもの』って。それで誰が傷付こうが、私の知った事ではないわ」
 何だこいつは? 本当に神様なのか? 本当に自分と同一存在なのか?
「だいたいそれは、今までたくさんの人を傷付けてきたあなたが言えるような事なのかしら?」
「――っ!」
 そうだ。言えない。言う資格なんて自分にはない。
「それに――」
 少女が、黙り込んだ祐巳から瞳子ちゃんの方へと顔を向けた。それに釣られて祐巳もそちらへと顔を向ける。
 そこでは、瞳子ちゃんが少女を睨んでいた。
 怒って当然だ。彼女の話が真実なら、瞳子ちゃんはずっと、この神様のせいで傷付いてきた事になる。祐巳と姉妹になった事も、今となっては後悔しているのかもしれない。もしかすると、ロザリオも突き返されてしまうかもしれない。
 それは酷く怖い事だけれど、こんな理由があったのなら仕方がないと思う。
 それなのに、
「あなたは福沢祐巳と姉妹(スール)になった事を後悔しているのかしら?」
「してません。するわけがありません」
 瞳子ちゃんは少女の問いかけに、ほんの僅かの躊躇いすら見せずに答えた。
「私の意思で祐巳さまの妹(スール)になったと、祐巳さまの意思で私を妹(スール)にしたと、あなたはおっしゃいました。それなら、それで良いんです。たとえ出会う事が決められていた事だとしても、そのせいでたくさん傷付いていたけれど、自分たちの意思で姉妹(スール)になったんですから。それに、私は祐巳さまが好きだから……今更誰に何を言われても、後悔なんて絶対にしません」
 少女を睨んだまま、決してその視線を逸らさずに瞳子ちゃんはそう言い切った。
 睨まれている神様の少女は、その瞳子ちゃんの言葉を聞いて満足したように瞼を閉じた。
「あなただけだったのよ」
「?」
 少女の言葉に、祐巳は瞳子ちゃんと一緒になって首を傾げた。
「今ここにいる福沢祐巳を救う事。それは、無数にある平行世界の中でも、ここにいるあなたにしかできない事だったの」
「どうしてですか?」
「今まで生きてきた時間、その過程、置かれている境遇にその時々の心境。他にもたくさんの要素があるわ。それらが、少しでもずれていては駄目なの。全てが合致したのが今のあなた。勿論それは――」
 言いながら、瞼を開いて祐巳を見てくる。
「あなたにも言えるわ。同じように無数にある平行世界の中で、この松平瞳子に救われるのはあなただけだったの。彼女と出会って、あなたは痛みを取り戻したでしょう? 世界も酷な事をするわね。もし、あなたたちが同じ世界に生まれていたら――」
 どうしたのだろう、急に少女の表情が沈んだように見える。
「いえ、そうではなくてもこうして一緒にいる……。少し、あなたたちが羨ましいわ」
「え?」
 少女がぽつりと漏らした言葉に祐巳は耳を疑った。
 けれど、それについて考える間もなく、少女がすぐに表情を戻して話を変える。
「今回の事は、あなたの世界が滅ぼされそうになった事が切欠だったの」
 祐巳の顔をじっと見つめながら、少女がそう言ってくる。
 話を戻すのは良い。聞きたい事が新たに二つほど増えたけれど、とりあえずこちらの聞きたかった事は聞いたから。見つめるのも、まあ良いだろう。でも、無表情なのはやめて欲しい。滅茶苦茶怖いから。
「あなたの世界が滅ぼされそうになり、藤堂志摩子がここに飛ばされてきたから私はあなたを見付ける事ができた」
「私を?」
「『彼ら』を使役するあなたを見付けた」
 それだけなら、別に私ではなくても良かったのではないのだろうか、と祐巳は思った。
「それって重要なの? 天使族なら誰だって、『彼ら』を使役できたけど?」
「そうね。でも、それだけでは駄目なの」
「どうして?」
 尋ねた祐巳に対して、
「『彼ら』に愛されているあなたでなければ、神様を殺す事はできないのよ」
 少女はそう言った。


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