今日も今日とて薔薇の館は平和そのもの。
仕事に没頭する紅薔薇さまの面前で、平気で雑誌を開いている白薔薇さまあり。
「へぇ〜、岩盤浴かぁ」
「岩盤浴?」
「ほら見て。ここ、うちの近くだよ」
新しいもの好きの黄薔薇さまがさっそく食らいついてくる。
「わっ、ほんとだ。真里菜さんちから歩いても行ける距離だよね」
あまりにも声が大きい親友たちに、ちあきは多少の苛立ちを隠せない。
「ちょっと、本を見るのはあとにして。仕事が先よ」
「いいじゃない。私たちの分は終わってるんだし」
「だったらせめておとなしくしていてちょうだい」
菜々とちあきのやりとりをそばで聞いていた智子が言った。
「岩盤浴ルームなら、うちにありますよ?」
「へえ、そうなんだ…って、ちょっと待った!
智子!それって自分ちに自前のがあるって意味だよね?」
あまりにもさらりと言ってのけた智子に、思わず菜々が叫ぶ。
「もちろんです菜々さま。そうだ、仕事終わったらうちにいらっしゃいませんか?」
思わぬ話の展開にみんな大騒ぎ。
さっそく全員で瀬戸山家の豪邸に繰り出した。
智子の実家はリリアンからは少し離れたM市郊外にある。
白一色の外観に、屋根の濃いグレーが見事なコントラスト。
飾り気のないシンプルさが、まるでヨーロッパの宮殿を思わせる作りになっている。
「うわ〜、久しぶりだな、実家に来るの」
「何が久しぶりよ。3日前に来てるでしょうが」
「あれ?そうでしたっけ?」
ちょっと前なら覚えちゃいるが、3日前だとちと分からない。
智子はそんな記憶力の持ち主である。
(これで成績は常にトップクラスなんだから…ありえないわよね)
溜息をつくちあきをよそに、智子は意気揚々とインターホンを押した。
『はい、どちら様でしょうか?』
『智子だけど。岩盤浴ルーム、今大丈夫?』
『あっ、お嬢様。今すぐ準備いたしますので、中でお待ちいただけますか?』
『今日は学校のみんなも来てるから、急いでほしいんだけど』
『かしこまりました』
ややあって、中から執事がドアを開けた。
「これはこれはお嬢様方、ようこそいらっしゃいました。
岩盤浴ルームのほうはもう5分ほどで準備が整いますので、
今しばらくお待ちください。
ただいま着替えをお持ちいたします」
しばらくして、智子専属メイドチームが着替えを持って現れた。
「さとみ、岩盤浴ルームはもう大丈夫?」
「はいお嬢様、準備は整いました。今すぐにでもお入りいただけますよ」
「ありがとう」
さとみ、と呼ばれたのはチームリーダー、井上さとみ。
智子にはさとみを含めて4人の専属メイドがいる。
その中で一番智子を理解し、また智子が気を許しているメイドがさとみである。
彼女はすでに9人分の岩盤浴専用ウェアと着替えを万端整えていた。
「それでは皆様方、岩盤浴ルームへご案内いたします。こちらへどうぞ」
案内されたのは、なんと最大100人収容可能な巨大な部屋。
「でっけ〜…」
涼子の口もでかく開いて。
「すごいね智ちん、いつの間にこんな部屋作ったの?」
「自分で行くのめんどくさいし、どうせ使わない部屋だから親父に頼んで改造してもらったのよ」
「隣には7種類のお風呂を備えた露天風呂付大浴場もございますので、
お気軽に汗を流していただけますよ。
詳しいご説明はこちらにいる中村からさせていただきますね」
中村、というのはメイドチームNo.2、中村由佳のことである。
彼女もさとみ同様、智子に最も忠実なメイドの1人だ。
「皆様ごきげんよう。智子お嬢様専属メイドの中村由佳と申します。
本日は当瀬戸山家の岩盤浴ルームをご利用いただき、まことにありがとうございます。
こちらでは瀬戸山家が特別に取り寄せた天然石を床全体に敷き詰め、室内温度40度、湿度98%に保たれております。
こちらに砂時計がございますので、まずうつぶせで5分、次に仰向けで10分というサイクルを繰り返してください。
時間制限はございませんが、あまり長く入りすぎるとのぼせますので注意なさってくださいね。
水分補給のお部屋も近くにございますので、汗をかかれたらこちらでお好きなお飲み物をどうぞ。
また何かございましたらこちらのベルでお呼びください。
それではどうぞごゆっくり」
ひととおりの説明を終えて、メイドチームは去っていった。
次世代が岩盤浴で癒されている、そのとき。
この家には癒されていない人たちもいた。
「江利子、そっち終わった?」
投げやりな声で聖が言う。
「なんとかね。そっちはまだなの?」
江利子もまた答えるのが面倒そうである。
「終わるわけないだろ…こう広くっちゃ」
「確かこの部屋って…」
蓉子が考えこむ。
「20畳ありますわよ、お姉さま」
祥子はすでに臨界を迎えていた。
「その20畳の部屋が、どうしてこれほど足の踏み場もなくなっているのかしら…?」
志摩子は不思議そうに首をかしげ。
「いったいいつ終わるのかな…」
祐巳はため息。
ほかの旧世代メンバーはもはや言葉を発する気力もなく、黙々と掃除に没頭している。
重く疲れ切った沈黙を破ったのは、細川可南子の悲鳴だった。
「ぎゃ〜っ!」
「どうしたの可南子ちゃん!」
その背の高さを買われ、主に天井近くの掃除のために呼ばれた可南子。
おびえた彼女の目線の先に、黒い弾丸が張り付いている。
「可南子さん、Gは大丈夫だと伺いましたけど?」
「そんなこと言ったって瞳子さん、こんな予想外のところから出てこられたら
誰だって驚くわよ!」
ただでさえゴミと悪臭の満ちた部屋でこのありさま。
旧世代の頭には、いつの間にかあるフレーズが浮かんでいた。
『薔薇に代わっておしおきよ!』
さて、次世代はどうしていたのかというと。
「あ〜、極楽極楽」
「涼子さん、そのフレーズ渋すぎるよ」
「うるせえ。昔から風呂入ったらこういうのが相場だよ」
(涼子さんは本当に15歳だろうか…)
理沙は少しだけ考え込んだ。
「お姉さま、お背中流しますね〜」
智子のサービスにちあきは嬉しそう。
黄薔薇ファミリーはお風呂にアヒルちゃんを浮かべて遊び、
真里菜は美咲や純子とともに露天風呂でのんびり。
全員岩盤浴ルームでほぼ1時間粘ったあとだが、脱水症状を起こす者は1人もいない。
みんな日常を忘れ、ゆったりのんびり癒されていた。
「さて、みんな出ましょうか」
ちあきの言葉に、全員お風呂から上がる。
そして部屋に戻ったときであった。
「やあごきげんようみんな…さぞかし気持ちよかっただろうね〜岩盤浴は」
背後にどす黒いオーラを背負って聖が笑う。
その様子に凍りつく次世代メンバー。
すでに床可視面積1%以下、そこかしこに散らばるピザやお弁当のパック。
その上には汗臭い洋服の山脈。
走り抜ける黒い生命体。
飛び回る蝿の群れ。
「どうせ浄化するなら、まずは外面からやったほうが手っ取り早いと思うけど?」
江利子の表情もまた一種独特である。
その手には、「あなたの体と心を浄化する7つのステップ」なる本がある。
「なぜ私たちがいるのか、知りたい?」
「………」
イエスというも地獄、ノーというも地獄。
蓉子のあまりの迫力に、次世代はただ黙り込むのみ。
「祐巳、説明してあげなさい」
祥子に促され、祐巳はたどたどしく説明に入った。
「智子ちゃんさ…3日前メイドさんたちとワインパーティやってたでしょ?
あのときに…泥酔しちゃって手の付けられなくなった人、いなかった?」
そういえば…3日前といえば、お取り寄せで注文したワインとチーズ、その他おつまみ諸々が自分あてに届いた日だ。
智子はそれを使って、日頃自分たちのために働いてくれているメイドさんたちをねぎらおうと、ささやかなパーティを開いたのだった。
最初はみんな穏やかに飲んでいたが、やがて酒がまわってくると、泣く、笑う、脱ぐ、寝る、からむ、吐く、走り回る。
あげくの果てにはせっかくきれいにした部屋を盛大に散らかして大盛り上がり。
翌日、目覚めた智子たちは、あまりの部屋の惨状にこうつぶやいたのだ。
「見なかったことにしよう…」
要は全員酒癖の悪い面々ばかりだったのだ。
それを思い出した智子は真っ青になった。
「これみんな、自分たちで散らかしたんだよ…覚えてないかもしれないけど」
そこまで言うと、祐巳は疲れたように口を閉じた。
「ちょうどネットやってたら、個人の家に岩盤浴ルームができたなんて記事が出てたから、
もしかしたらと思って調べたら智子ちゃんちだったじゃない。
これは何かあると思ってみんなに声かけて行ってみたら、案の定だったってわけよ」
乃梨子は相変わらずクールだ。
「当然タダで使わせてくれるのよね?智子ちゃん」
言外に、断ったらたたき殺すという強い意志をにじませて詰問する由乃。
「も、もちろんですよ…ほかならぬお姉さま方の頼みなんですから」
最後は瞳子が締めた。
「ちあき…少しばかり妹を甘やかしすぎたようね」
ちあきはその場にがっくりと座り込んだ。
その後、メイドチームも含めた次世代メンバーは宴の後始末に追われた。
次の日から1週間、旧世代メンバーは温泉入り放題、岩盤浴し放題。
「いや〜、日本人はやっぱりこれだねえ」
手足を思い切り伸ばして聖は親父モード。
そのほかの旧山百合会もごきげんそのもの。
一方の次世代は…
「ほら智子、次はこの書類よっ!」
「え〜ん、仕事が終わんない〜っ!」
山と積まれた書類を前に、1人泣きながら格闘する智子。
もちろん誰も手伝おうとはしない。
「さあ、これが終わったら実家と寮の部屋のお掃除よっ!」
智子の受難は終わりそうになかった…。