【2219】 我が姉ながら……リコたんは  (Mr.K 2007-04-06 11:11:28)


「萌えっ!!!」

 けっしてさわやかでない朝の叫びが、澄みきった青空にこだまする。
 親を騙し、自らの信念を貫くために。
 二条家の次女は千葉の実家を出てマリア様のお庭へと出陣した。
 その名は、二条友梨子という。

(この話は【No:2182】の続きです)


「……は?」

 お昼休み、友梨子の叫びを聞いたクラスメイトは状況が読めず聞き返してきた。
 言ってる言葉が分からなかったのだろうか、それともあまりにもリリアンに似つかわしくなかったのだろうか?

「いやだから、我が姉ながらリコたんは萌えって言ったの」
「え、えっと」

 もしかしたら後者かもしれない。
 友梨子は戸惑うクラスメイトの観奈(みな)さんの姿を見てそう思った。
 確かに、“萌え”なんて言葉はリリアンには似合わなすぎる。
 それに自分が萌えなんて用語が通じる人間だと周りに知られたくはないだろう。

「えっと、燃えね。 確かに乃梨子さまは市松人形みたいに綺麗だし、凛々しくてかっこよくて……素敵なお姉さまよね」
「いやそれは“燃え”……私が言うのは芽が出るとかに使う漢字の萌を使ったほう」

 それに、市松人形みたいにというのは、日本人のような綺麗さとも悪い意味で古臭いとも取れてしまう。
 それをここまで美化した言葉に昇華させるとは、さすがリリアン、さすが薔薇さま一族の威光。

「その乃梨子さまの実妹だなんて、友梨子さんがうらやましいわ」

 うわ、逃げに走りやがった。
 私の言葉をあっさり無視、リリアンの生徒は自分に不利な話題を有利にするのも得意なのか?

「うらやましいだなんて……お姉ちゃんなんて去年まではかなりぺったんこだったし、リリアンに来た経緯なんて笑いものじゃない……ヤバ鼻血」
「失敬、そんな乃梨子さまの実妹が友梨子さんだなんて危険ですわ」
「あ、それ私も認める……ってそうじゃなくて!」

 ああ、もうどんどん会話の内容がおかしくなってきた。
 友梨子はこれ以上の会話は無駄だと判断し適当に話を終わらせ、残りの弁当を胃へ流し込んで教室を出た。
 とはいえ、教室以外に行き先などない。
 リリアンの敷地こそ広いものの友梨子の知っている散歩スポットなどほとんどないのだ。
 友梨子は、とりあえず外の空気を吸うためなので適当に足を動かせていた。
 校舎を出て、適当に歩き、ふと目に入った講堂、その裏。
 そしてふと気づくと、友梨子は一本の桜の木に出会っていた。
 複数の銀杏の木に混じって一本だけ咲く桜。
 不思議な光景、なのになぜこんなに桜が似合うのだろう。

「綺麗……」

 リリアンの敷地に、こんな場所があったなんて思わなかった。
 どう説明すればいいのだろう。
 分からない、分からないけどすごく綺麗な光景だと言えるのは間違いなかった。
 お姉ちゃんも、この光景を知っているのかな?
 ふと、友梨子は姉のことを思い出す。
 これは今まで友梨子が見たどの光景より美しく目を奪われる。
 もし、姉がこの場所を知らずに「リリアンはいいところ」と言い出したらすぐにでもここを案内してやろう。
 そして、この場所で姉のロザリオを受け取るのだ。
 姉のロザリオは、この桜の木の下こそ相応しい。
 そう心の中で姉の独り自慢と妄想に精を出していると、ふと突然他の人が小走りで近づいてくる音が耳に入った。

「あら、の……いえ、ごきげんよう」
「え……?」

 突然、誰かに声をかけられ友梨子は声の先へ振り返る。
 そこにいたのは、美と愛の女神アフロディテだった。
 普通はここでマリア様と思うのだろうが、マリア様は姉をこの学び舎に監禁したのだ。
 だから、マリア様=シマコサン、だからここにいる人はアフロディテだ。
 いや、友梨子はアフロディテの詳しいことは知らないが、美と愛の神であることは知っている。
 色白で、茶色く静かに舞うような髪がこの空間を一段と幻想的かつ華やかな光景に仕立て上げる。
 舞う桜の花びらでさえ、彼女の前ではその人の美を高める背景にしかすぎないのだろう。

「……ご、ごきげんよう」

 友梨子は反応を遅らせながらも、口ごもりながら何とか返事をした。
 彼女の声を聞けば、余計に可憐さと神々しさを感じてしまう。
 何、この白いの。 彼女もリリアンの生徒なんですか?
 ストレス社会と呼ばれる現代日本に癒しを与えるために舞い降りたとか何かですか?

「一年生? あなたもこの桜の木に誘われたの?」
「誘われる?」
「ええ、毎年誰かが誘われるの。 だからあなたも、誘われてきたのではないかしら?」

 そう言われるとそうかもしれない。 友梨子は桜へと視線を移した。
 友梨子は足の向くままに動いて、気づいたらここにいる。
 無意識のうちに、この桜の木に誘導されていたのかもしれない。 そう思えてきた。
 でも、本当に誘われたのはどちらなんだろう?
 友梨子は視線をアフロディテへと移した。

「どうかしました?」

 友梨子は、恐る恐る声をかける。
 アフロディテは、静かに笑っているように見えたからだ。

「え、あ。 ごめんなさい、あまりにも反応が似ていたから」
「似ていた、ですか?」
「妹に」
「妹……ですか」

 誰なんだろう、そのアフロディテの妹とは。
 きっと姉に似て綺麗な人なんだろうな。
 我が姉に、アフロディテに、その妹。 リリアンってとんでもない美少女の宝庫ではなかろうか?
 ていうか、お姉ちゃん。 シマコサンじゃなくてこの方のロザリオを貰ってよ。

「どうしてこの桜に引きつけられるのかしら、私もあなたも」

 独り言のように桜を見上げた彼女は、そのまま友梨子は視線を移した。

「独りきりだからこそ、孤独な生徒を導いている?」
「え?」

 彼女は、思わず声が漏れるほど驚いていた。
 なんとなく、自分に意見を求めている気がし、深く考えず口にした言葉だったが、そこまで驚かれる言葉なのだろうか?
 ……って、あれ。
 自分の言い方だともしや。

「あ、違うんです。 先輩を孤独だと言ってるんじゃなくて」
「分かっているわ」

 その微笑みは、「そうかもね」と言っている気もした。
 その言葉に友梨子が返すこともなく、相手も次の言葉もなく、ひたすらに桜を眺める時間が流れた。
 ちょっと前までは、姉といっしょにこの桜を眺めたいと思ったけど、なぜだろうか彼女でも心が安らぐ。

「そういえば」

 ふと、友梨子はいま気づいた疑問を口にする。

「今日、先輩の妹は……誘われないのですか?」
「来るわ、もうそろそろだと思うのだけれど」

 彼女がそう話したとほぼ同時に、まるで時間が戻ったように自分たちへ向け小走る音が聞こえた。
 その足音の主は、別の空間から掻き分けるように現れると、自分たちへ……否、彼女へ向け口を開いた。

「ごめんなさい、志摩子さん。 少し遅れました」
「お、お姉ちゃん!!」

 本来答えるべき人より先に、友梨子は驚きのあまり“先輩の妹”へ向けて叫んでしまう。
 先輩の妹……いやお姉ちゃんは、私に気づき視線を向けると、露骨に嫌な顔をして。

「げ、友梨子。 なんでここにいるのよ」

 なんてのけぞったりしていた。

「乃梨子、もしかしてこの子が」
「はい、この前話した実妹の友梨子です」

 と、お姉ちゃんは姉に自分の紹介をすると、今度は「なんで友梨子がお姉さまと一緒にいるの?」と聞いてきた。

「なんでって、お昼の散歩をしたら桜に誘われて……って、お姉さま!?」

 お姉ちゃんと麗しのアフロディテを交互に見て、友梨子はもう一度叫んだ。

「もしかして、この人が噂の宿敵シマコサン!?」
「噂のって何の宿敵よ」
「お姉ちゃんを救うためにきまってます、お姉ちゃんを洗脳し飼いならせた宿敵のシマコサン」
「あら、私そういうことになってるの?」
「そんなことありません、友梨子……誰が言ってたのそんなこと」
「誰が言わずとも丸分かりだよ、家に帰ってきたときはシマコサンとのイチャイチャストーリーを三時間は軽くぶっ通し、夜にはシマコサンに会いたいと一粒の涙、朝の挨拶はごきげんようお姉さま、挙句には仏像展よりシマコサンに会うことを優先に家を出ちゃうし!」

 ここ一ヶ月間、ご無沙汰だったマシンガントークを一番やりたかった内容で実姉に披露した友梨子。
 だけれど、それでも何か足りないとすら感じるのは、現場だからかそれともシマコサンの前だからか。

「いや、あれは志摩子さんだからじゃなくって山百合会の……」
「お姉ちゃんの場合イコール、シマコサンでしょ!」

 どうせ生徒会なんてシマコサン目当てに決まっている。
 そこにいる限りはお姉ちゃんは呪縛からは逃れられない、ならば姉と生徒会を引き離すしか。

「そもそもリリアンの雰囲気じたいがおかしいのよ、何なの、この学校。 ここは生徒をレズに引き込む洗脳施設? 右を向いたらごきげんよう、お姉さま。 左を向いたら同性同士でハートマーク。 こんな所に長期間いたら発狂するかお姉ちゃんのように染まるかしかないじゃない」
「ちょっと、友梨子」

 さすがに、一年間通った学び舎を侮辱された姉は完璧にカチンときたようだ。
 ちょっと興奮気味な友梨子でも、姉が本気で怒っているのくらいは見て理解できる。
 それでも、友梨子の口が止まるのは不可能で。

「それじゃあ、お姉ちゃん。 最初ここに来て“いったい、何時代?”って思わなかったの?」
「ぐっ……」
「この学園の異様な思想に頭痛感じなかったのですか?」
「う……」

 どうやら、友梨子が辿った道を我が姉もしっかりと経験したようで。

「それじゃあ何で、お姉ちゃんは今そこまで“頭痛を感じる”学園に順応しているの、朱に交わったせいでお姉ちゃんが染まった結果じゃない。 それを洗脳と言わずしてどうするの」
「友梨子……」
「そして、その思想操作の第一人者が、そこにいるシマコサ……」
「それは絶対ない!」

 姉の一段と強まった怒声に友梨子は一瞬ビクッと退いてしまう。

「それに言いたいこと言ってくれるじゃない友梨子。 ええ、そうよ。 あなたから見れば私はこの一年で染まったかもしれないわ、でも最初と最後のだけはいただけないわ。 この学園も生徒も悪意なんてないし志摩子さんはそんな人間じゃないわよ」

(なっ……!)

 予想はしていた、していたけれども実際に姉が全力でシマコサンの味方をして、自分へ敵意のある言葉を発するのはショックを受けた。
 友梨子はまず姉を見てから、チラっとシマコサンの様子を伺う。
 姉の乃梨子は私へ向けて牙をむき出しにするような怒りを露わにし、シマコサンは先ほどから何一つ言わずに俯いている。
 なぜ、シマコサンは怒らないのか? それとも怒っているのか?

(ああ、駄目だ。 このままだと自分の立場を悪くするだけだ)

「私、そろそろ教室へ戻るね」

 友梨子は姉たちに向けそう吐き捨ててから後ろを向く。
 背中越しに感じる姉の視線が痛かったが、ここは一旦逃げておきたかった。

「友梨子!」
「友梨子ちゃん」
「ごきげんよう」

 ここにきてやっとシマコサンが重い口を開いた気がしたが、それに対し返す気にはならなかった。
 重い足も、一度動かせば、あとはすいすい進んで、いつのまにか友梨子は全力で走っているのだった。


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