【2252】 白薔薇の悪戯  (朝生行幸 2007-05-08 00:07:08)


 いつものように、薔薇の館には薔薇さまがいて。
 いつものように、紅茶を嗜みつつ、仕事に励む。
 そこに、
「ごきげんよう、遅くなりました!」
 慌てて飛び込んで来たのは、紅薔薇のつぼみ福沢祐巳。
 掃除当番だから、少し遅れることは朝のうちに伝えていたが、思いのほか時間がかかってしまったため、彼女の顔は少々不安そうだった。
「ごきげんよう祐巳。いいのよ、遊んでいたわけではないのだし」
 寛容な笑みで祐巳を許すのは、紅薔薇さま小笠原祥子。
 祐巳は、申し訳ありませんと謝りながら、祥子の隣の席に腰を下ろした。
「あら?」
 妹の横顔を見ていた祥子が、小さく呟いた。
「お姉さま、どうかなさいました?」
「祐巳、貴女の唇、随分荒れているのね」
「あはは……。こう寒い上に乾燥してると、どうしても荒れちゃうみたいで」
 日増しに寒くなりゆくこの季節。
 しっかりと保湿しないと、荒れるのは当然だ。
「祐巳、こっちを向いて」
「はい?」
 ポケットから、フランス語らしい文字が書かれたいかにも高級そうなリップクリームを取り出した祥子は、こちらを向いた祐巳の顎にそっと手を添え、少し上を向かせると、それで祐巳の唇をなぞり出した。
 祐巳にちらと見えたそのリップクリームは、当然新品ではなく、幾度か使われたような形跡があった。
 それはすなわち、クリームを間に挟んで、互いの唇が触れたことに他ならない。
「おおおおおおおおおお姉さま?」
 顔を真っ赤にして、これ以上にない位動揺する祐巳。
「荒れたままにしてはダメよ。これをあげるから、しっかり保護しなさい」
「はい……」
 消え入りそうな声で、頷く。
 祥子は、黄薔薇さまと白薔薇さまを一瞥すると、勝ち誇ったように微笑んだ。
 二人の薔薇さまは、内心ムッとしたが顔には出さず、仕事を続けた。

「ごきげんよう、遅くなりました!」
 しばらくして、慌てて飛び込んで来たのは、黄薔薇のつぼみ島津由乃。
 本日は日直だから、少し遅れることは朝のうちに伝えていたが、思いのほか時間がかかってしまったため、彼女の顔はちょっとばかり申し訳なさそうだった。
「ごきげんよう由乃。いいんだよ、日直だったら仕方が無いよね」
 寛容な笑みで由乃を許すのは、黄薔薇さま支倉令。
 由乃は、ゴメンね令ちゃんと謝りながら、令の隣の席に腰を下ろした。
「おや?」
 妹の横顔を見ていた令が、小さく呟いた。
「お姉さま、どうかしたの?」
「由乃、貴女の唇、ちょっと荒れてるね」
「大分寒くなって来たし、乾燥してるから、どうしても荒れちゃうのよね」
 日増しに寒くなりゆくこの季節。
 しっかりと保湿しないと、荒れるのは当然だ。
「由乃、こっちを向いて」
「なに?」
 シンクの棚から何やら瓶のような物を取り出して来た令は、こちらを向いた由乃の顎にそっと手を添え、少し上を向かせると、瓶の中身を指で掬い取り、由乃の唇をなぞり出した。
 由乃にちらと見えたその瓶には、金色をした透明な液体が満たされており、蜂の絵が描かれたラベルが貼ってあった。
 それはすなわち、令の指先が、蜂蜜越しながらも直接由乃の唇に触れるということ。
「れれれれれれれれれれ令ちゃん?」
 顔を真っ赤にして、めずらしく動揺する由乃。
 なにせ令は、由乃の唇に触れたその指に付いた蜂蜜を、ペロリと舐め取ったのだから。
「荒れたままにしてはダメよ。蜂蜜で代わりになるから、これで保護しとこう」
「うん……」
 消え入りそうな声で、頷く。
 令は、白薔薇さまと紅薔薇さまを一瞥すると、勝ち誇ったように微笑んだ。
 二人の薔薇さまは、内心ムッとしたが顔には出さず、仕事を続けた。

「ごきげんよう、遅くなりました!」
 慌てて飛び込んで来たのは、白薔薇のつぼみ二条乃梨子。
 特に用事は無かったが、何故かいろいろ頼られる乃梨子は、今日もクラスメイトにとっ捕まって遅れてしまったため、彼女の顔は少々困惑気味だった。
「ごきげんよう乃梨子。いいのよ、貴女のことだから、きっと理由があるのよね」
 寛容な笑みで乃梨子を許すのは、白薔薇さま藤堂志摩子。
 乃梨子は、ごめんなさい志摩子さんと謝りながら、志摩子の隣の席に腰を下ろした。
「あら?」
 妹の横顔を見ていた志摩子が、小さく呟いた。
「し……じゃない、お姉さま、どうかなさいました?」
「乃梨子、貴女の唇、割れているわ、大丈夫?」
「あー……。さっきまではなんとも無かったんだけど、教室で瞳子にツッコミ入れた時に、パリっと来ちゃって」
 日増しに寒くなりゆくこの季節。
 しっかりと保湿しないと、荒れるのは当然だ。
「乃梨子、こっちを向いて」
「はい?」
 志摩子は、こちらを向いた乃梨子の頬に両手を当て、少し上を向かせると、そのままゆっくりと顔を近づけた。
 夏でもほとんど汗をかくこともなく、冬でも全く乾くことのない志摩子の顔が、どアップで迫る。

 ちゅ。

 志摩子の潤い溢れる唇が、乃梨子の乾いた唇に触れた。
「しししししししししし志摩子しゃん?」
 顔を真っ赤にして、今まで見たことがない位動揺する乃梨子。
「荒れたままにしてはダメよ。乾いたら潤してあげるから、いつでも言ってね」
「はい……」
 消え入りそうな声で、頷く。
 志摩子は、紅薔薇さまと黄薔薇さまを一瞥すると、嘲笑うかのように黒い微笑を浮かべた。
 二人の薔薇さまは、内心カッチーンと来たが、出来るだけ顔には出さないようにかなり努力しながら、仕事を続けた。

 帰り道、祥子と令が、らぶらぶな白薔薇姉妹の背中を見ながら、地団太を踏みつつ辺りを憚ることもなく悔しがるのは、当たり前の光景だった……。


一つ戻る   一つ進む