【2296】 お茶飲んでます黄薔薇戦線異常なし  (篠原 2007-05-31 23:23:26)


※ このお話には暴力シーンやグロテスクな表現が含まれています。


 それはこの世界に悪魔が現れ始めた頃のこと。
 由乃は、温室で妖精に出会った。



『真・マリア転生 リリアン黙示録』 【No:2231】から続きます。



「あ、妖精」
 由乃の指差す先には、なるほど確かに妖精としか言いようのないものがいた。
 外見は背中から昆虫の羽を生やした少女。ただし大きさは手の平サイズだ。
 本当にいたんだ。と、呟くように言ったのは菜々。

 ネットで悪魔の目撃情報を見つけた菜々は、アドベンチャーな香りがするとばかりに悪魔探索ツアーに由乃を誘った。菜々の中ではアドベンチャーといえば由乃らしい。
 由乃もすぐにのった。アドベンチャーというよりRPGじゃないかと思ったけれども、面白そうだし、何より菜々からのお誘いだ。これまでは基本的に由乃からのアプローチばかりだったから、これは貴重と言えた。
 装備はリリアンの制服。武器はもちろん竹刀だ。
「で、その左腕のは何?」
「これはですね」
 由乃の問いに菜々はちょっとだけ得意そうに答えた。
「ハンドヘルドコンピューター?」
「日本ではPDAという言葉が普及してからはあまり言われなくなりましたけどね。私は腕に装着しているのでアームターミナルと呼んでいます」
 それにはネットで見つけたデビルアナライズ(データ付き)だの悪魔召喚プログラムだのといった怪しげなソフトを落としてあるという。
「ネットにそんなものがあるの?」
「ええ。探せばけっこうあるものですよ」
 アンダーグラウンドとかに。
 こうして二人はその場所、リリアン女学園の温室に来ていたのだった。

「妖精『ピクシー』、ですね」
 菜々がデビルアナライズを立ち上げて確認する。そして首を傾げた。
「どうしたの?」
「いえ、これってフェアリーっていうんじゃないんですかね? ピクシーというと緑色の服を着た小人みたいな印象があったんですけど」
「いや、よくわからないけど」

 例えば、神話の神々が国を渡るにつれて名前が変わっていったりするのとは逆に、同じ名前でも地域によって異なる姿で伝えられているというものもある。
 主にイングランド南西部に伝えられるピクシーは、基本的にはいたずら好きの小妖精だが、場所によって異なる姿で伝えられている(厳密に言えば、呼び方にも若干の差異はある)。
 例えばサマーセットのピクシーは赤毛で鼻が反り返り、眼はやぶにらみで口は大きく、緑の服を着ているという。これがデヴォンだと色白でほっそりとしていて洋服は身に着けないというし、コーンウォールでは緑のぼろを着た小男の老人の姿で伝えられている。
 そしてこの世界のピクシーは、昆虫の羽を生やした手の平サイズの少女の姿をしているということだろう。

「話しかけてみますか?」
「え?」
 そういえば、仲魔にできるとか言っていたっけ。思い出して、由乃はとりあえず声をかけてみた。
「えーと、ごきげんよう」
「?」
 一瞬不思議そうな表情をしたピクシーは、跳ねるように飛び回り始めた。
「ゴキゲンヨウ!ゴキゲンヨウ!」
 気に入ったらしい。
「ゴキゲンヨウって何?」
 わかっていなかった。
「………やめましょうか?」
「まあ、いいじゃない。かわいいし」
 菜々は呆れ顔だったが、由乃は気に入ったようだった。
「え、かわいい? かわいい?」
「うんうん。かわいいかわいい」
 嬉しそうに飛びまわる妖精に由乃もつい笑みがもれる。
「じゃあさ、じゃあさ」
 ピクシーは楽しそうに近付いて来てくすくすと笑った。
「悪魔を殺して平気なの?」
「え?」
 くすくすくす。
 小さな光の玉がバチバチいいながらピクシーの傍らに浮いていた。
「少なくともあなたと戦う気は無いわよ」
「えー、本当にぃ……」

 !

 唐突に、会話が途絶えた。
 背筋がぞわりとする感覚。
 ミシリと空間を裂くような音とともに腕が現れた。続いて現れたのは豚の頭。
 全身が総毛立つ。
 何も無い空間からこぼれ落ちるように、ソレは現れた。
 全体像は概ね人型だが、頭部はどうみても豚だ。背中に剣を背負った豚頭の人型。あるいは2足歩行型の豚か。
 ソレはまず、一番近くにいたピクシーにゆっくりと手を伸ばした。
「あ」
 その手が、バチィッと音を立てて弾かれた。ピクシーが何かしたのだろうけど、由乃にはわからない。
 今度は殴りつけるような勢いで腕を振り回す。
 そして何故か同じく弾かれたように少し後ろに流れていたピクシー。
 当たる、と思った瞬間。
「ピクシー!」
 由乃は間に割って入った。なぜ、と言われても困る。勝手に体が動いたとしか言いようが無い。
 ごっと鈍い音がして視界が暗転する。
 殴り飛ばされたらしい、と気付いたのは、地面に叩きつけられた後だった。
「由乃さまっ!!!」
 遠くから菜々の声が聞こえる。
 そして近寄ってくる気配。
 半分だけ、赤く染まる視界。
 驚くピクシーの顔。
 ああ。駄目だってば。
 こっちに来たら危ないから。
「っ! 逃げて!」
 ソレは今度は背負っていた剣を手にすると、無造作に振るった。
 振りまわされた剣がピクシーの姿を覆うように由乃の視界からその姿を隠す。
 剣はそのまま朽ちかけていた木に当たり、木ごと薙ぎ倒した。
「ピクシー!!」
 その声に反応したのか、ソレは振り返って由乃を見る。そしてそのままゆっくりと近づいて来た。
「あ、ああ、あああああーーっ!!!」


     チ カ ラ ガ ホ シ イ カ


 どくんっ!

 それは頭の中に直接響いてきた。

「ああ、あ?」


   チカラガホシイカ


 え? 何? 誰?


  我は魔王アスタロト
  我らと道を同じくするものよ
  我は汝を選ぼう
  望むのならば力を与えよう


 魔王? それどころじゃ………力?
 ようやく、由乃の頭の中で、先の音が言葉となり、言葉が意味を持った。

  (力が欲しいか?)

 そんなこと、考えるまでもない。
 これまでどれほどそれを渇望してきたか。

 進むべき道を進む為の力を

 全てに抗う力を

 目の前の理不尽を破壊する力を!


  力が欲しいか?

「応っ!」

  欲しいのならばくれてやる


「うおおおおおおおおっ!!」
 由乃は叫んでいた。あるいは咆哮というべきか。
 体の内から爆発するかのように溢れ出す力を抑えきれないかのように。
 その声に反応したのかどうか、由乃に向かってくるソレが剣を構えた。
 それを目の端に捉えた由乃は、竹刀をつかんで獣のように跳びかかる。
 下からすくい上げるように振りぬかれる剣に、弧を描いて振り下ろされる竹刀が叩きつけられた。
 拮抗したのは一瞬。
 キィンと音を立てて、剣が折れた。
 振り抜いた竹刀が肩口に入り、そのまま胴を斜めに断ち割っていく。
 びきぃっと間の抜けた音をさせて竹刀がひしゃげ、砕け散った。
 肩から対角線の腰近くまで文字通り叩き斬られた形になったソレは、驚愕の表情を顔に貼り付けたままどうと倒れた。
「はあっ、はぁっ、はっ」
 その返り血を浴びて激しく息を付きながらも立ち尽くす由乃。
「由乃さま!」
 駆け寄ってきた菜々が由乃の肩に手を置く。その華奢な肩が震えているのに気付いて、菜々は思わず手をひいた。
「ご無事ですか」
「ごぶじ? は、はは、私はご無事に決まってるじゃない」
 顔を染める赤い血は由乃自身のものだ。ご無事も何もあったものではない。自分が何もできなかったことに、菜々は歯噛みした。
 全身に浴びた返り血は拭いきれるものでもないが、せめて顔だけでもと菜々はハンカチを出して由乃の顔を拭う。
 血は既に止まっているようだったが、由乃はいやいやをするように首を振った。
「由乃さま」
「菜々?」
 震える由乃の手を、菜々はそっと握りしめた。
「ピクシーですが、生きてます」
「は?」
「小さいですからね。うまく隙間に入ったというか挟まったみたいで」
 言葉と同時に小さな影が飛び出してきた。
「死ぬかと思ったー」
 冗談にも何もなっていないその言葉に。
「あは、ははは、あははははははは」
 由乃は笑った。
 笑いながら涙をこぼす。
「ははははははははははははははは」
「由乃さま?」
 感情が無茶苦茶だ。
 ほっとして気が抜けたのか、今まで固まっていた感情がいっせいにあふれたのか、自分でもどういう感情なのかわからなかった。

 そして由乃は、そのまま意識を失った。



  選ばれしヒトの子よ
  カオスの道を歩むものよ
  この試練を越え、進むがよい
  世界を混沌に導くために





「ヨシノー!」
 明るい、というよりは軽い調子の声に、由乃はハッとしたように顔を上げた。
「白薔薇動いたー!」
 パタパタと飛んできたピクシーはそう言うと、由乃の肩にちょこんと乗った。
 苦笑して、由乃は手にしたままだった紅茶のカップをいったん机に戻した。

 あの後も、いろいろとあった。
 目を覚ますと、心配そうな菜々の顔がアップで迫っていたり、何故か一緒にはりついていたピクシーが仲魔になったり、時々記憶が跳んだり、まあいろいろだ。

 だが今はどうでもいい。追憶に浸るにはまだ早すぎる。なにより、
「意外ね。白薔薇さんちが動いたか」
「うん」
「ピクシー、人前で呼び捨てはやめなさい」
 横から言葉を挟んだのは菜々だった。人前、といっても会話が聞こえる範囲には由乃と菜々しかいなかったのだが。
「それから気安く由乃さまに乗らない」
 菜々が伸ばした手をひょいとかわして、ピクシーは再び空中へ舞い上がった。
「ナナうるさーい」
「由乃さまは黄薔薇さまなんだから、ちゃんと敬意を持って接するようにと言っているだけです」
「えー、だってアタシ、アクマだし」
 くすくすくす。
 ピクシーはからかうよに忍び笑いをもらした。菜々を怒らせて面白がっているようにも見える。元来、ピクシーは悪戯好きな種族だ。
「ヨシノと契約したのはアタシのが先だからナナこそアタシを敬え」
「悪魔との契約と姉妹の契りは違うの! そもそも由乃さまとのつきあいは私の方が長い……」
 菜々の言葉はなぜか途中から失速する。
「別にかまわないわよ。悪魔なんだし、こっちのルールを押し付けることもないんじゃない」
「黄薔薇さまはピクシーを甘やかしすぎです。そもそも、ほとんど戦闘力皆無なこんなのをいつまで仲魔にしてるんですか」
「まあ、いいじゃない。かわいいし」
「そーそーナナよりアタシのがかわいいし」
「………」
 菜々の目がすわった。
 おもむろに懐から取り出したのはスプレータイプの強力殺虫剤。
「ちょ、何よそれー! 人殺しー」
「悪魔でしょう?」
「悪魔を殺して平気なのー?」
「何を今更」
「菜々、大人気ないって」
「がーん」
 思わず口で言うくらい菜々はショックを受けた。
 由乃さまに大人気ないと言われた!
「………今なにか失礼なこと考えなかった?」
「いいえ? まったく」
 即答する菜々である。
「とりあえず紅茶飲んでる時に殺虫剤はやめて」
「あ、はい」
 それはそうだと、菜々は素直に頷いた。そして代わりのエモノを取り出す。
「ではハエタタキで」
「………いいけど、あなたあいかわらず渋い趣味ね」
「よくないよー! ヨシノのばかー」
 ピクシーの抗議はこのさい置いておいて、由乃は自分の疑問を優先させた。
「なんでそんなもの持ってるのよ?」
「こんなこともあろうかと、家から持ってきました」
 こんなことってどんなこと?
「便利ですよ。うるさい害虫を叩き落としたりとか」
「アタシは虫じゃないー! このオニー! アクマー!」
「だから悪魔はあなたでしょう」
「あなた達、仲良いわよね」
「「良くない(です)(よ)」」
「………まあ、いいけど。それにしても」
 状況はそれどころじゃなかった気がする。
 祐巳さんが望んだことではないのだろうが、人が集まってきているらしい。頼ってきた人を拒否する人じゃないから、可南子ちゃんが動いたのは受け入れの為だろう。
 白薔薇が動いたのはこっちへの牽制なのか、祐巳さんが目当てなのか。
 そして眼前の漫才はいつまで続くのか。
「なんだかあわただしくなってきたわね」
 由乃は他人事のように呟いて、残った紅茶を飲み干した。


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