【2349】 確か聞いたことがある深夜営業山百合会  (若杉奈留美 2007-07-30 22:22:15)


そろそろ新暦のお盆も近づき、外ではセミが鳴き始める、そんなある日のことだった。

「『暗やミール』の世界へようこそ」

その記事は、都内のとあるお寺で催された一風変わった食事会。
なんと何の照明設備もない真っ暗闇の中で、

「最初は前菜です」
「次は汁物です」

という主催者のアナウンスと、自分の味覚だけを頼りに食事をするというもの。
その記事を読んだ紅薔薇のつぼみの妹は、小さくため息をついた。

「うちもそろそろ、『闇しつらえ』の季節か」

紅薔薇のつぼみの妹、大願寺美咲。
かつては奈良県に拠点をおく旧家だったが、戦後の農地解放により没落。
今ではごく普通の庶民として、リリアンのある都内某所で暮らしている。
それでも旧家時代から受け継いできた伝統行事はしっかりと守り続けている。

そのひとつが、『闇しつらえ』と呼ばれる暗闇での宴だ。
家の名が示すとおり、もともとは寺だった大願寺家。
当初は非常に貧しい寺で、夏から秋にかけての月の美しさだけが財産であるようなところだった。
そのため住職が月見の宴に人々を招いても、照明設備がろうそく1本もない。
困った住職は一計を案じた。

「いっそ暗闇での宴も悪くないではないか」

わずかなご飯と、器に残った味噌と、野菜の漬物。
欠けたおちょこの中身は水。
それでも住職の心意気に感じた人々は、援助を惜しまなかったという。

のちに還俗(僧侶をやめること)して始めた事業が成功し、それなりの地位を築くことができてからも、
この貧しい時期を忘れることのなかった彼は、暗闇の宴を伝統行事として子孫に受け継ぐように言い残してこの世を去った。
現在では主に妻や娘など、女性が受け継ぐ行事になっている。

「美咲、今年の『闇しつらえ』は任せたわ」

母親のその言葉は、娘が子どもから大人になったことを意味するものであった。
このとき美咲は16歳を迎えていた。
どんな料理を作り、どうもてなすか。
それは美咲ひとりの腕にかかっていた。

1時間ほどして戻った美咲の両腕には、1人暮らしなら2週間分はあろうかという大量の食材が入ったビニール袋がぶら下がっていた。

「ただいま。ごめんなさい、遅くなって。これだけあればなんとかなるわ」

それだけ言うとさっさと台所へと消えた。

「…いったいどうするつもりなのかしら」

娘のことは良く分かっているという自負のある母親でも、さすがに今回のメニューは見当もつかなかった。


台所でメニューのメモを傍らに、美咲が料理にいそしんでいる。
たとえ娘が悪戦苦闘していても、親は口も手も出してはならない。
これが大願寺の掟である。
5時間もの格闘の末、ようやく全メニューを作り終えた美咲。

「お母さん、『緑風庵』はまだ使えたかしら?」

『緑風庵』というのはその昔大願寺家が都内に所有していた別荘で、今は空き家となっているが、
何かのときには使えるよう、月に1回は掃除に入っている。

「大丈夫よ。昨日業者の方が掃除にきてくださったばかりだから」
「分かった。じゃあ行ってくるから、お父さんによろしくね」

母親の言葉にうなずくと、美咲は泊まりじたくをして出て行った。
そう、『闇しつらえ』は夜の宴。
事前に山百合会メンバーに出した招待状には、お泊りセットを持参するようにと書いておいた。
あとは緑風庵の準備を整え、夜11時を待つだけだ。


そして夜11時。
山百合会メンバーが続々と集まってきた。

「ごきげんよう美咲ちゃん。夜中の宴会なんておもしろいわね」

こういう刺激的なイベントが大好きな江利子は満面の笑みだ。

「うちの伝統行事なんですよ」

返事をする美咲の横で、祥子が何かに気づいたような顔をする。

「そういえば私…だいぶ前に大願寺のおうちでお食事をいただいたことがあったけれど、あのときも暗闇だったわね」
「あのときは確か母が主催していたはずです」

祥子たちの後ろでは、新旧白薔薇さまが何やらにやついている。

「へへ、この暗闇に乗じて…」
「聖さまもワルですねぇ」
「真里菜ちゃんだってそうだろ…ぐはっ!」

悪代官と悪徳商人の腹に、白薔薇のつぼみの妹が強烈な一撃を放った。

「真里菜さま、美咲は主催側なんですから無理です。
それからそこのエロ親父、おとなしくしてねぇと自分の身が危ないぞ」
「…あいかわらず涼子ちゃんは厳しいなぁ」

やがてこの由緒ある建物の中に、美咲の声が響き渡った。

「ごきげんよう、お姉さま方。
本日は夜分遅くにご参加くださり、まことにありがとうございます。
この『闇しつらえ』はわが大願寺家の先祖が月見の宴として始めたのが最初でございます。
我が家に伝わる心づくしのお料理と今宵の月。
皆様どうぞご堪能くださいませ」


食事開始。

「まずは右手側の杯をおとりください」

全員一斉に右手側を探すが、目指す杯を探し当てるのが一苦労。

「これかな?」

右手にすっぽりおさまりそうなその杯は、高さがあった。

「食前酒でございます」

口に持っていこうとして、智子はなぜか鼻にぶちまけてしまった。

「いててて…誰かティッシュ持ってない?」
「へたくそ」

隣に座っていた純子があきれながら、智子にティッシュをさしだした。

「次は先付けでございます」

運ばれてきたお皿とその上に乗るものの正体は、しかしながらまったくつかめない。
だいぶ目が慣れてはきたが、それでもおぼろげにしか見えない。

「先付けは3品ございます」

一番左にあった小さな塊はつるつるしていてつかみにくい。
悪戦苦闘している間に、祐巳はそれを床に落としてしまった。

「ああっ、やっちゃった。美咲ちゃん、ごめんね」
「祐巳さま、すぐ新しいのをお持ちします」
「もう、祐巳ったら何をやっているの」
「すみません、お姉さま…」

やがて新しいのが運ばれてくると、はしでつかむことをあきらめた祐巳は、
それを突き刺して食べることにした。

(多少お行儀悪いけど、仕方ないよね)

口に含むと潮の香りと固い食感、それに辛味と柑橘系の香りが鼻を通り抜けていった。

「これは海草の寒天寄せね…芥子には柚子の香りがつけてあるのかしら」

真ん中のは米粒の食感と酢の味。
それに柔らかく脂の乗った何か。

「あっ、これお寿司だ」

どうやらさゆみはその料理の正体をつかんだらしい。

「サーモンですね」
「横のやつは何だろう?なんかどろっとしてるけど」
「…ゆばですね。わさびが乗ってたみたいですよ」

その頃乃梨子は、口と間違えて自分のほっぺに箸を押し付けていた。

「しまった、ここ口じゃないや」
「乃梨子、もうちょっと左でしょう」
「志摩子さんは平気なの?」
「自分の顔のことだもの。いくら暗闇だってわかるわよ」

その次にやってきたのは吸い物。

「あら、おそばの塊ね。揚げそばがき(*1)かしら?」
「このおつゆは…なんとなく大根おろしが入っていそうな感じ」

蓉子と江利子が吸い物の中身を推理していると、いきなりずるっという音。

「ぶはーくしょん!」
「聖、あなたも智子ちゃんと同じことしてるじゃない」
「いやぁ、面目ない」

食前酒のときに鼻に吸い込んでむせた智子を、聖は笑っていたのである。

「次は焼き物でございます」

真里菜はお皿を持ち上げ、焼き物のにおいをかいでいる。

「エビだね。しかもこれ結構大きいよ」
「その横になんかありますね。何だろう、これ」

口に含むととろりとした食感。

「なすだ」

このころになると、全員だいぶ目も慣れてきた。
口と鼻を間違えたり、つかんだ料理を落としたりすることもなく、
おいしく料理をいただいている。

「次は揚げ物でございます」

丸い塊が串にささった状態で出てきた。
食べるとさっくりとした食感と、もそっとした食感が同時にくる。

「…令ちゃん。これはあげるわ」
「どうして?由乃」
「だってこれ、サトイモだもん」
「お姉さまはサトイモが苦手ですからね」
「あら?これはお魚の揚げ物ね。菜々の好物じゃない」
「これはきすとわかさぎですね。きすの方はコーンフレークが衣になってますし、
わかさぎは…いりゴマが衣ですね」

黄薔薇家がなごやかなのは、たぶん由乃と江利子が離れた場所にいるのと、菜々が由乃のそばにいるためだ。
令は心から、この席次を決めた美咲に感謝していた。

(こんな席で由乃とお姉さまがもめたら立つ瀬がないよ。美咲ちゃん、ありがとう)

「止め椀と香の物でございます」

出されたご飯はプチプチとした何かが入っていた。

「雑穀ごはんね」
「お味噌汁は白味噌かしら?どことなく甘いわね」

最後のデザートの正体は、祐巳がいちはやく言い当てた。

「白玉だんごだvv」
「お姉さまも本当に、甘いものには目がありませんわね…」

瞳子は隣で溜息をついていた。

食事が終わって、皆くつろいでいる。
中には眠っている人も。
それもそのはず、今は夜中の1時なのだから。
その眠りを覚ましたのは、きれいに響き渡る美咲の声だった。

「さて皆様、今宵の月もひときわ美しさを増してまいりました。
ここで皆様方には、1曲聴いていただきましょう。
お庭へどうぞ」

案内されるがまま庭へ行くと、今までどこにいたのか、ちあきが着物をまとって立っている。
しかも右手には何か棒らしきものがある。
その姿は、まるで月の世界からきた人のよう。
この世ならぬ美しさだ。

「ちあき…あんた、今まで何してたのよ」

解せない、という表情で真里菜が言った。
ちあきはまったく動じない。

「普通にお食事していたわよ。少し早めに切り上げて、準備をしていたのよ」
「そういえば…今回はあまりうるさく言わなかったわね、ちあき」
「お姉さま。さすがに暗闇でマナーがどうのとか言ってられませんよ」

相変わらず仲のいいちあきと瞳子。
しばしの沈黙のあと、おもむろに棒を口にもってゆく。

「横笛か」

聖がつぶやいた。
次の瞬間、闇を切り裂く鋭い音色があたりに響いた。
笛の音に合わせ、風がゆらぐ。
月はまるで潤んだような光を、地上に投げかける。
横笛の奏でる旋律は、不思議にどこか懐かしく、切ない。

笛の音がひときわ優雅に響いた、そのとき。
山百合会一同の目に、僧侶の姿をした男性の姿が見えた。
黒い僧衣に袈裟をまとった僧侶は若くりりしく、ちあきの笛に合わせ軽やかな舞いを見せている。
それを見た美咲は、一筋涙を流した。

(ああ…ご先祖さまが、来てくださった…)

知らず知らずのうちに、ちあきを除く山百合会全員は手をあわせていた。
笛の音が静かにおさまると、僧侶は月の光に導かれ、天へと還っていった。


後日美咲は、両親にこの夜のことを報告した。

「そう…美咲はご先祖さまに認めてもらえたのね…」

しみじみつぶやく母親の隣で、父親が感慨深そうだ。

「闇しつらえがうまく行けば若い頃のご先祖さまに会えるという言い伝えはあったが…
よくやったな」

寡黙な父の、ほめ言葉。

「来年もあなたにやってもらうわ」

期待に満ちた母のまなざしを、美咲は多少複雑な気持ちで受け止めた。

(来年は次世代だけに…したいなぁ、できれば。19人分1人で作るの大変だもん)


〜今夜のメニュー〜

食前酒:紀州産青梅の実入り梅酒

先付:海草の寒天寄せ 柚子の香りの芥子を添えて
サーモンの押し寿司
くみ上げ湯葉わさび添え

吸い物:揚げそばがき(*1…そば粉を水で練り、細く切らないで油で揚げたもの)の
みぞれ仕立て

焼き物:手長エビの姿焼 なすの白味噌和えを添えて

揚げ物:サトイモの串刺し天ぷら
きすとわかさぎの変わり衣揚げ

止め椀:十六穀ご飯
豆腐とわかめの味噌汁 白味噌仕立て

甘味:白玉だんごの黒蜜かけ


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