「あそこにいるのは誰ですか、お姉さま」
瞳子が指を指した先にいたのは、リリアンの制服を着た金髪で翠色の瞳をした、とても綺麗な美少女だった。
身長は瞳子と同じくらいだが、その凛々しい顔や背筋を伸ばして椅子に座るそのたたずまいからは、祐巳よりも年上に見えてしまうぐらい。もしも、このシチュエーション以外で命を救われたりしたら一目惚れしてしまうかもしれない。
……そう、このシチュエーション以外ならば、だ。
今現在、彼女は瞳子に頼んで持って来て貰った4段重箱お弁当と格闘していた。というより、最初の由乃さんとのやりとりからずっと食べていた。
彼女は、瞳子に指を指されたのもなんのその。未だハムハムとお弁当を食べていた。しかも、そのお弁当がよほど美味しいのか、一口食べる事にコクコクと確認するようにうなずいている。その首の動きに合わせて頭のぴょこんと飛び出た髪の毛がピョコピョコと動いている。
それは最早、凛々しいとかではなく、可愛いや愛らしいと言った表現がぴったりだった。それは祐巳ですらお持ち帰りしたいと思う程に。
結局のところ、シチュエーションが違っても別の意味で一目惚れだった。
そんなみんなの視線(一部妖しい視線)の中、彼女はしばらくしてお弁当を食べ終えた。
「ごちそうさまでした」
礼儀正しく合掌した後に、漸く全員の視線に気付いた彼女は少し不思議そうな顔をした後、祐巳に向き直る。
「ユミ。素晴らしい食事でした。前に居た所も素晴らしいかったのですが、このお弁当はそれ以上かもしれません」
「って、ちょっと待てや」
彼女の的外れな言葉に由乃さんが吠えた。
「今! この状況で何故お弁当の話なのよ! 普通なら私達の事とか、この視線の意味とか聞くでしょう!」
由乃さんの言葉に彼女は何故か驚愕した顔をした。
「な、何を言っているのです! こんなに素晴らしいお弁当を頂いたのですから、それへの謝辞が第一優先ではありませんか!」
彼女の言葉は、言葉だけ聞けばまともだが、やっぱりどこかずれていた。
「ちょ、ちょっと二人とも喧嘩しないで。私から説明するから」
祐巳が止めに入ると、二人とも我に帰り、お互いにばつの悪そうな顔をした。
「ごめん、祐巳さん。少し熱くなりすぎたわ」
「すいません、ユミ。少々我を忘れていました」
二人とも祐巳に向かって素直に頭を下げると大人しく自分の席に戻っていった。案外この二人は似た者同士なのかもしれない。
「それで、お姉さま。その人は誰ですか?」
祐巳達がそんなやりとりをしていると瞳子が、何故か、とても素晴らしい笑顔で微笑みかけてくる。
その祐巳を見る目は、在りし日のお姉さまと同じくらい恐かった。ひきつった口も怖かった。ひきつった頬も恐かった。――その顔が恐かったのだ。ついでにドリルも恐かった。
「さあ、早く」
「う、うん。分かったから、そんな顔しないで」
瞳子の顔に脅えつつ、祐巳は彼女と出会った時を思い出しながら語り始めた。
それは2日前の土曜日に遡る。
その日、祐巳は、最後の予算の報告を引き受けて職員室に行っていた。いつもなら瞳子と一緒に行くのだが、瞳子は今日演劇部に出ており、部活が終わった後も家の用事があるとの事で大急ぎで帰っていった。去年、祥子さまも家の用事で帰られる事が幾度かあった。瞳子も祥子さまよりかは少ないものの家の用事があるらしく、さらに演劇部にも所属していて大忙しである。
そんな瞳子を見て、これは姉としても頑張らなくてはならない! と意気込んでやったはいいものの、時間を忘れてすっかり遅くなってしまった。さらに、由乃さんは定期健診で途中退場。そして、志摩子さんが時間に気付いて、おひらきにしましょうと言ったのが、つい30分前の事。なんだか二人を付き合わせるような形にしてしまったので、報告を引き受けて解散したのが、ついさっきの事である。
そして今、午後6時。日はほとんど沈みかけており、人もほとんどいなかった。 そんな時である。帰ろうとした祐巳はふと気になるものが目に止まった。
それは何故か電気のついている薔薇の舘。最後に舘を出たのは祐巳だったが、さすがに電気の消し忘れなどはしていない……はずだ。
「一応、確かめてみますか」
そう一人呟いて、さっそく薔薇の舘へと向かった。そして、案の定というか、扉の鍵もかかっていなかった。
「誰かいるのかな……?」
恐る恐る扉を開けて中に入ると、階段の上から誰かの声が聞こえてくる。
そのまま、最近瞳子から教わった歩き方で、音を立てないように静かに階段を上り、ビスケット扉を静かに開いて中を窺うと――――
「えろいむえっさいーむ。えろいむえっさいーむ」
菜々ちゃんが怪しげなローブを着て、呪文を唱えながら床に魔法陣らしきものを書いていたのだった。
【続く】