ビスケット扉を静かに開いて中を窺うと――――
「えろいむえっさいーむ。えろいむえっさいーむ」
菜々ちゃんが怪しげなローブを着て、呪文を唱えながら床に魔法陣らしきものを書いていた。
「……何してるの菜々ちゃん」
私が話しかけると、
「あ、祐巳さま。こんばんは」
と、なんとも普通に挨拶を返された。
「こんばんは。で、菜々ちゃんは一体、何をしているの?」
ちょっとだけ、先輩風を吹かせて言ってみる。
「魔術の準備です」
全然動じていなかった。
けっこう凹んだ。
「へ、へぇー。そうなんだ」
それにしても、魔術か。菜々ちゃんはいつも突拍子も無い事を始めるが、今回もまたとんでもなく突拍子が無い。
改めて見てみると、その魔法陣はかなり複雑な模様とラテン語らしき文字で書かれており、本格的に思えた。
「でもさ、呪文唱えながら書くのって意味あるの?」
「こういうのは、気分です」
案外、アバウトかも知れない。
「でさ、これは一体何の魔法なの?」
私が尋ねると、菜々ちゃんは一端作業を止めて、祐巳の方を見る。
「祐巳さま。これは魔術で魔法ではありません」
「魔術と魔法って違うの?」
「違います。魔術は科学などで起こせる現象を神秘で起こす術。魔法は現代科学などを用いても起こせない奇跡の事を指すんです」
な、なるほど。なんとか理解出来たぞ。魔術も奧が深い。それにしても、菜々ちゃんは色んな事を良く知っているなぁ。その知識をいくつか分けて欲しい。
「と、へんなおじいさんから教わりました」
「へ……? 教えてもらったの?」
「はい。恥ずかしながら」
そういう事は黙っていた方がいいと思うのだが。だけど、こういう素直な所が菜々ちゃんのいい所なんだろう。
「今回の魔術も、そのおじいさんに教えてもらった物で、何でも昔の英雄を召喚して使い魔にする物らしいんです」
菜々ちゃんは説明しながら、作業を再開した。
「昔の英雄か。もしかして幽霊を呼ぶ魔術とか?」
祐巳の頭には、降霊術のような物しか思いつかない。
「似たような物らしいですが、生前と変わらない姿で、召喚されるらしいです。」
一応、擬似的な肉体もあるそうです、と菜々ちゃんは付け足した。どうやら、生き返りっぽい幽霊という感じらしい。
それにしても、こんな術を教えてくれたおじいさんとやらは、どんな人なのだろう。菜々ちゃんの話によると、腰にガラスの固まりみたいな物を下げていたという。
そうして二人で話している間に、魔法陣はついに書き上がったのか、菜々ちゃんはチョーク(?)をテーブルの上に置いて、部屋の電気を消した後、魔法陣の中に立った。
「私のベスト時間は午後7時です」
もう、そんな時間になるのか。そういえば、瞳子が7時に電話すると言っていたっけ。どう考えても間に合わない。明日、怒られるかも知れないなぁ。
「素に銀と鉄、礎に石と契約の大公――」
でも、菜々ちゃんをこのまま放っておくことなんて出来ない。夜も遅いし、送ってあげねばなるまい。
「――王国に至る三叉路は循環せよ。閉じよ閉じよ閉じよ閉じよ閉じよ――――」
いざとなったら、明日は休みなのだから家に泊めてあげてもいい。ああ、でも由乃さんや瞳子にはばれないようにしないと。
「――――告げる。汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に――」
菜々ちゃんに口止めしておけば、多分ばれないだろう……と信じたい。もしくはよりアドベンチャーなネタを提供すればいいのだ。
「汝、三大の言霊を纏う七天、抑止の輪よりきたれ、天秤の守り手よ――――!」
祐巳がまったく別の事を考えている間に、呪文が唱え終えた菜々ちゃんが、ズバァァァン! と決めポーズを取っているが、やはりというべきか何にも起こらない。
「………………」
「……え、えーっと、菜々ちゃん? そろそろ帰ろうか。今日は家に着くのが遅くなりそうだから私の家に泊まって、いかない?」
祐巳が話しかけるが、菜々ちゃんは先ほどの姿から固まったままた。
「……あのー」「祐巳さま」
祐巳が再度、話しかけようとすると、菜々ちゃんがこちらを向いて手招きを始める。
「……何か用?」
とりあえず、促されるまま菜々ちゃんのいる場所まで行ってみる。
「今度は祐巳さまの番です」
「はい?」
台本のような物を渡された。
巻き添えのお誘いだった。
「さあ、物は試しです!」
「…………」
がしっ、と肩を掴まれた。とてもじゃないが逆らえそうに無かった。
……最近の若い者は強いね。
仕方がないので、先ほど菜々ちゃんがしたように魔法陣の中央に立つ。魔法陣の中央には、良く見ると槍の穂先みたいな物が刺さっていた。
「……えーっと、素に銀と鉄……」
「祐巳さま違います。最初は、『私のベスト時間は午後7時です』からです」
「…………」
そこからなのか。もう7時過ぎているのに。どうやら菜々ちゃんは7という数字には並々ならぬ想いがあるようだ。ただし、縁があるかは分からないが。
「わ、私のベスト時間は午後7時です」
仕方なく、最初からやり始める。でも、いくら菜々ちゃんしか見ていなくても、とてつもなく恥ずかしい。
「素に銀と鉄。い、礎に石と契約の大公。祖には我が大師シュバインオーグ――――」
さっきはいい加減にしか聞いていなかったが、台本を見ると結構つまずきそうな箇所が多い。
「――繰り返すつどに五度。ただ満たされる刻を破却する。」
そして呪文もいよいよ佳境にはいる。
「告げる――
汝が身は我が下に、我が命運は汝の剣に。
聖杯の寄る辺にしたがい、この意、この理に従うならば応えよ
。
――誓いをここに
我は常世全ての善と成る者。
我は常世全ての悪を敷く者。
されど、汝はその眼を混沌に曇らせ侍べるべし。
汝、三大の言霊を纏う七天。
抑止の環よりきたれ、天秤の守り手よっ――――!」
最後は菜々ちゃんの真似をして恰好よく決めてみた。
どうせ何も起こらないだろうに、と思ったのもつかの間。突如、魔法陣が光り始める。後ろでは菜々ちゃんが、やったー! 成功だ! と喜んでいるがこっちはそれどころでは無い。
目の前で小さな嵐みたいなのが起こり、それから発せられる突風や圧力に耐えるのに必死である。
そして、その光がより眩しく輝き、その眩しさに思わず目を閉じた。光が収まったのを瞼越しに感じて恐る恐る目を開けて見ると――
「問おう。貴女が私のマスターか」
とても綺麗な女の子が目の前にいた。
流れるような金髪、強い意志を持つ緑の瞳。身体には蒼いドレスのような服の上に銀色の鎧を纏っていた。
「ま、すたー?」
祐巳が呟くと同じに左手の手首の付け根に焼けるような痛みが一瞬おこり、印のような物が現れる。その娘はそれを確認すると、
「セイバーのサーヴァント、召喚に従い参上した。これより我が剣は貴女と共に在り、貴女の運命は私と共に在る。ここに契約は完了した」
剣を目の前で掲げて、祐巳に向かって祈るように目を閉じた。
その姿は窓から差し込んで来る月の光とあいまって、とても幻想的に見え、祐巳はしばらくの間見とれていた。
そして、それからが大変だった。セイバーさんはどうやら召喚が本当に成功した結果現れたらしいのだが、こっちは特に用も無いのに呼んでしまったのだ。その事を恐る恐るセイバーさんに告げてみると、
「気にしないで下さい、マスター。私は既に呼び出して頂く必要が無い存在です。確かに多少は驚きましたが、マスターが気にするような事ではありません」
と、にっこり笑って言ってくれた。とても良い人だった。
その後は、菜々ちゃん交えて自己紹介などをしたりした。その中で彼女の名前がセイバーではないということが分かったり、祐巳がセイバーさんの名前を「アルトリア?ペンタゴン?」と聞きとると、セイバーさんが何故かがっかりしたようになり「……セイバーでいいです」とうなだれたり、隣では菜々ちゃんが目を輝かせたり。
その他にも、セイバーさんの、何故召喚出来たのかという質問に答えたりした。祐巳と菜々ちゃんの説明にセイバーさんは頷きながら「なるほど。宝石の翁の仕業でしたか。しかし、ユミには魔術師の素質があったのですね」と言っていた。
そして、気がつくと時計の針は8時を過ぎていた。菜々ちゃんは祐巳の家に泊まる事となったが、セイバーさんをどうするかだった。いくらなんでも、この姿のセイバーさんを家に招く訳にもいかない。さすがに言い訳が思いつかない。はてさてどうした物かと考えていると「私に提案があります!」と菜々ちゃんが手を挙げた。
「はい、有馬菜々さん」私も先生みたいに言ってみる。
「セイバーさんには窓から侵入して貰うのはどうでしょうか。その時に、セイバーさんの食事が確保出来ないかもしれないので、予め食事を買っておいた方がいいかもしれません」
「よし! それで行きましょう!」
その後、セイバーさんには家への侵入経路を簡単な見取図で説明した後、ついに「セイバーさんをこっそり家に泊めちゃおう大作戦〜菜々ちゃんと一緒〜」略して「セイおう大作戦with菜々」を開始した。
まずはコンビニに寄って食料調達。セイバーさんの要望によりなるべく多く買った。お金は菜々ちゃんと割り勘で払った。そして、セイバーさんに食料を渡した後、祐巳の家に帰り、多少のお叱りを菜々ちゃん共々受けた後、部屋に入り、なんとかセイバーさんを招きいれる事に成功したのだった。
「で、その後、みんなで一日過ごしたの」
私が説明し終えると、由乃さんに私の右肩を。瞳子に私の左手肩を掴んできた。
「へぇー、そんな、事が、あったのね!」
「お姉さま、詳しく、話を、聞かせて、頂きましょう」
二人の後ろでは、いつの間にか来ていたのか、菜々ちゃんが「私が泊まったは隠しておけばいいのに」と小声で言っている。
「ああああ、あの二人とも! お、落ち着いて。そう……そう! まだ話があるの!」
「へぇー、どんな話が」「あるのでしょうか?」
二人が左右から凄んでくる。
「え、えーっと、セイバーさんの事情とかまだ聞いてないからさ、その後にしない?」
なんとか言い訳を言ってみると、二人とも「まあ、いいでしょう」と言って肩を離してくれた。でも、「「でも後で、話はきっちり聞かせてもらうわ(ます)」」と耳にしっかりと呪いを刻んでいきました。
「……セイバーさん、セイバーさんがこっちに来る前の状況とか教えてくれないかな?」
二人の呪いは一時棚上げして、セイバーさんに聞いてみる。
「ユミ、何故そのような事を? 必要無いように思えますが」
セイバーさんは真剣な顔で聞いてくる。
「さっきのセイバーさんがお弁当を食べている時に、『前にいた所』って言っていたけど、和食のお弁当だったのに普通に比較していたし、もしかしたら日本じゃないかと思って」
祐巳の分かりにくい説明にも、セイバーさんはきちんと理解してくれたようで、「なるほど」と頷いてくれた。
「それで、もしセイバーさんの前のマスターがいたら、探すのを手伝おうかと思って……」
「分かりました。おそらくは別の世界である可能性が高いですが……。マスターの希望ならばお話しましょう」
そしてセイバーさんは語り始めた。
【続く】