【2393】 希望ってどうよ?  (海風 2007-10-17 11:34:53)


とてもとても長いです。注意してください。
【No:2382】の続き




    山百合会に対する意識調査アンケート別枠編

     項目に従って、山百合会メンバーの名前を書き込んでください。よろしければ理由もお書きください。

      ・第1項目  先代三薔薇さまを含む、人として一番信用できない人は? 名(   )
           理由(                           )

      ・第2項目  先代三薔薇さまを含む、誰にも言えない秘密の趣味を持ってそうな人は? 名(   )
           理由(                           )

      ・第3項目  先代三薔薇さまを含む、志摩子さんと乃梨子さんの関係を本気で疑ってそうな人は? 名(   )
           理由(                           )

      ・第4項目  先代三薔薇さまを含む、姉妹を交換。誰と誰がベストスール? 名 姉(   )妹(   )
           理由(                           )

      ・第5項目  先代三薔薇さまを含む、私はこの一言であの方を確実に怒らせることができる 名(    )
           理由(                           )

      ・第6項目  先代三薔薇さまを含む、一番「写真部のエース」に隠し撮りされてそうな人は? 名(   )
           理由(                           )

      ・第7項目  先代三薔薇さまを含む、祐巳さんを人扱いせずペット扱いしてそうな人は? 名(   )
           理由(                           )

      ・第8項目  先代三薔薇さまを含む、この人を姉妹にして後悔してそうな人は? 名 姉(   )妹(   )後悔してる人(   )
           理由(                           )





 それを見た時、私はすぐに憶えのある恐怖感に震えた。
 ――悪夢は終わっていなかったのだ。



 あの逃亡劇から数日。
 祐巳さんと乃梨子ちゃんが脱出組に非常に冷たいことと、志摩子さんがトラウマを得たことを除けば、リリアン……いや、山百合会は普段通りの生活を送っていた。
 恐怖のアンケート結果は、企画者自らが白紙に戻し、それにより平和が戻ったのだ。
 ……が。
 どうやら、それはただの仮初の平和にすぎなかったらしい……



 思わず目を逸らしてしまった現実から、とても静かな声。

「どうしたの由乃ちゃん? 挨拶は?」
「ダメだねー。高等部二年生にもなって挨拶もできないなんて」
「言っておくけど、今度逃げたら追うわよ? どこまでも追うわよ?」

 どうやら、一瞬の目の錯覚でも、まだ記憶に新しい恐怖が見せた幻覚でもなかったらしい。
 なんで……なんでこの人たちがまたここにいるんだ!

「よ、由乃さぁん……」

 弱々しい声が聞こえた。
 目を逸らす恐怖に耐えるのも限界だったので、私は恐る恐る声の主を見た。
 ――真美さんと日出美ちゃんが、先代三薔薇にガッチリ捕まっていた。顔真っ赤にして半べそかいて。
 ああ……ああ、このメンツは……このメンツって……!

「由乃さん、邪魔。どいて」

 部屋に入れず凍りついた私の背後から聞こえたのは、やたら冷たい祐巳さんの声。 ……まあ先日見捨てて逃げたわけだから、当然の仕打ちだと納得はしている。
 目の前のことに気を取られすぎて、祐巳さんが上がってくる階段の音に気づかなかったわけだけど……
 私は横目で、祐巳さんを見た。

(祐巳さん、逃げろ! 今なら祐巳さんだけなら逃げられる!)

 必死で意志を送る。念じる。通じろ!

「睨んだって許さないからね」

 ああぁぁぁ……違うんだ、違うんだ祐巳さんっ。そうじゃないんだっ。

「――江利子、由乃ちゃんの後ろに誰かいるわ!」

 あ、気づいた!? まずい!

「OK蓉子!」

 江利子さまは足音もなくオデコを輝かせて、こちらに走ってくる!

「祐巳さん逃げて! ここは私が抑え――あぁおうっ!?」

 通せんぼするように両手を広げた私の、もうものすごくがら空きになった胸をむにっと揉まれ、思わず身をよじる。く、くぅ……初めて令ちゃん以外に揉まれた相手がよりによってオデコさまだなんて……!
 羞恥と屈辱に身を縮ませた隙に、江利子さまは脇を抜け、「え?」と疑問符を浮かべていた祐巳さんをたやすく捕獲してしまった。

「ひっ、ひいっ!? ええええええ江利子さま!?」
「はい、お久しぶり☆」

 祐巳さんは全身で震えていた。数日前の「処刑」を思い出したのだろう――ちなみに私は、脱出失敗組がどんなことをされたのかまでは知らない。あと志摩子さんは必殺技を食らった直後から、記憶が曖昧でその後のことをよく憶えておらず、また思い出したくもないのか話題として避けている。なので志摩子さんは冷たくないしいつも通りだ。
 江利子さまを見て瞬時に青ざめる祐巳さん。
 相当ひどいことをされたのだけは、嫌でも容易に想像できた。



 捕獲された私と祐巳さんは、強制連行で椅子に座らされた。……悔しいけど、私たちの脚力では、頭も運動神経も良い先代の追跡を振り切ることはできないだろう。
 もう観念するしかなかった。

「ご、ごめんね由乃さん……私、由乃さんのこと、信じなかったから……」
「もう気にしないで」

 祐巳さんは、私のアイコンタクトを一応読み取れてはいたらしい。ケンカ中でもさすが親友である。

「健気よね。友達を守るために盾になるなんて」
「そうね。でも由乃ちゃんって、確かこの前祐巳ちゃん見捨てなかったっけ?」

 捕獲に成功したハンター蓉子さま、聖さまは、獲得物を見てニヤニヤ笑っている。

「それはどうでもいいけれど、由乃ちゃん、胸はもう少し成長させた方がいいわよ? 『お碗』とは言わないけれど、『お皿』じゃ寂しいでしょう?」

 余計なお世話だオデコ! 人の胸勝手に揉んでおいて言うことはそれか!? というか同情するような寂しげな笑みを浮かべるな!

「いったいなんなんですか!? アンケートはもう終わったじゃないですか!」

 怒りに任せて噛み付く私に、蓉子さまは真面目な顔を向けた。

「それが、終わってないのよ」

 その顔、その目が、遊び半分で無理やり騒動を起こしに来たわけではないことを語っていた。

「最後の空白。私たちはその結果を聞いていないわ」

 ……最後の空白……
 そう言えば、あのアンケートには、十項目の設問の最後に自分で項目を書き、答える欄が存在していた。
 意識調査アンケート自体、思い出したくない出来事だったので今まで気にも止めなかったが、確かに蓉子さまが言う「最後の空白」はあった。私もちゃんと憶えている。

「それにね」

 逃げる意志なしと判断したのか、それとも逃げてもまた捕まえられると判断したのか、聖さまは紅茶を煎れ始めた。テーブルにあるカップから察するに、私たちの分か。

「新聞部の部費から捻出されたアンケート……というかプリント代ほか諸々の経費ね。そういうの、ちゃんと活動に反映しないといけないんだって」

 聖さまは軽く説明してくれたけど、要するに、使った経費分はなんらかの形で部活働に活かさないと部費横領になってしまう可能性があるとか。
 つまり、このままアンケートをすべて闇に葬ると新聞部が横領の疑いを掛けられるかも、ということだ。

「でね」

 と、今度は江利子さま。
 少し前に、焼却炉にて証拠隠滅を謀ろうとした真美さんはそのことに気づき、「このまま焼いたら横領の疑いが掛けられるかも」と江利子さまに相談した。
 その相談を、江利子さまが蓉子さま聖さまに伝えて三人で話し合っていると、最後の項目を聞いていないことにも気づいた。
 「じゃあ今度は新聞部のためにもう一度集まろうよ」ということになり、また薔薇の館に集合した、とのことだ。
 ……うーん。
 まあ、話は、わかった。
 今回は先代の意向というより、新聞部の都合なわけだ。
 元を正せば、発案した人たちが一番悪いと思うけど、責任を丸投げしない分だけ尊敬はできると思う。
 なんだかんだ言っても、あのアンケート結果で一番傷ついたのは、やっぱりこの三人だろうから。またやると聞かされて集まるのにも勇気が必要だっただろう。
 ……もう失うものはない、とばかりに開き直っちゃったような気もするけどね……まあ深くは言うまい。

「その話に添うなら、今度のアンケートで新聞部の活動に結果を出す必要があるんですよね?」

 問うと、聖さまじゃなくて江利子さまがうなずいた。

「由乃ちゃんが言いたいのは、どのような形で反映させるのか、でしょ?」
「はい。空白欄のアンケート結果をかわら版に載せるんですか? それとも前の結果を?」
「どちらでもない。抜け道があるわ」

 抜け道? あるの?

「あの、その前に、私からも質問いいですか?」
「ん?」

 やや引きつっている祐巳さんが問い掛けた。

「話の流れでは、この集まりは真美さんたちが計画したようなものですよね?」

 そりゃそうだ。真美さんたちは横領に発展するかもしれない、って先代に泣きついたわけだから――というか「責任を取れ」と遠回しに言ったわけだから。

「じゃあ、どうして捕まってるんですか?」

 ……確かに。なんで泣きそうな顔して蓉子さまと江利子さまにガッチリ肩組まれてるのよ、真美さんと日出美さん。

「ああ、これ? これはかるーく前回逃げたおしおきをしたから」
「え!? や、やったんですか!? アレを!?」
「ええ、やったわ。遠慮なくやったわ」
「な、なんてひどいことを……!」

 祐巳さんはガタガタ震えていた。
 ……アレってなんだ。でもここで聞いて「じゃあやってあげる」なんて流れはごめんだ。絶対に。とにかくロクなもんじゃないだろう。

「ところで」

 聖さまがカップを運んできて、私たちの前に置いた。ふわりと香りが漂う。

「祥子たち遅くない? 遅れるとか言ってた?」
「あ、いえ……」

 祐巳さんはチラッと私を見た。……はいはい、私から説明しますよ。

「志摩子さん以外、脱出に成功した人と失敗した人がケンカ中になってまして。特に祐巳さんに冷たく当たられる祥子さまは、ここに居づらいみたいです。だから最近は多少遅れて来ることも多いですよ」

 令ちゃんも険悪ムードに耐えられないのか、来るのも遅いし引き上げるのも早い。部活に逃げたいらしいけど、それは私が許してないしね。私だって険悪ムードのここに一人でいるのは絶対嫌だ。

「じゃあ、来ない可能性も?」
「それはないです。なんとか仲直りしたいようで、必ず顔は出してますから」

 むろん、私も同じ理由で、居づらいここに必ず顔を出すようにしている。
 ――結果論ではあるが、こうして先代三人が来たことで祐巳さんがまともな口を聞いてくれたことだけは感謝したい。まあ原因もこの人たちだけどね。
 おっと、そういえばだ。

「でも祥子さまはともかく、乃梨子ちゃんが遅いっていうのは珍しいかも」

 唯一の一年生である乃梨子ちゃんは、いつも一番にやってきては紅茶を煎れたり軽く掃除をして待っていたりするのが常だ。ケンカ中でも態度は露骨に冷たいが、一応先輩として扱ってもくれていた(記憶が曖昧な志摩子さんが、普通に姉として機能しているからだと思われる)。

「あ、乃梨子ちゃんと志摩子は私たちが私用を頼んだから、ちょっと遅くなるよ」

 ん? 私用?
 それ含めて諸々まだ聞きたいこともあるけど、後は二度手間になるから全員が揃ってからということになり、私たちはのんびりと、だが強制的に来る恐怖をも待つことになった。
 空白欄ね……あのアンケートを考えるに、絶対にただで済むとは思えない。



 それぞれ衝撃の悪夢再来に動揺したり、逃げたりする現役薔薇さま。というか、祥子さまと令ちゃん。
 二人が揃って蜘蛛の巣に突っ込んだ後、すぐに志摩子さんと乃梨子ちゃんがもやってきた。
 とある人物を連れて。
 ――これが江利子さまが言っていた「抜け道」だということは、すぐに理解できた。



「ごきげんよう」

 出ました、写真部のエース武嶋蔦子さん。こういう「秘め事」やら「やや危ない用件」には信頼の厚い……というか、同じ穴のなんとかって感じの人。
 とにかく、蔦子さんの口からこの件が漏れることはないだろう。
 志摩子さんと乃梨子ちゃんに連れられてやってきたところを見ると、先程聖さまが言った「私用」とは、蔦子さんを呼んでくることだったようだ。

「大まかな話は志摩子さんたちに聞きましたので、詳しい説明は無用です。私はお客様を兼ねた写真係を務めればいいんですね?」

 先代三人が用意した抜け道は、前回アンケートでプレゼントとして用意した「先代三薔薇さまも座る茶話会に抽選五名様をご招待」の実施だ。
 アンケート中止とはもう発表済みではあるが、それを逆手に取って「お詫び」と称しての小規模(というか蔦子さん一人。それもT・T等の匿名で)となったお客さま入り茶話会の記事を載せかわら版を出す。すると一応は新聞部の活動に反映させているので、横領疑惑を解消できる――という狙いだ。
 まあ実際、新聞部が部費をアンケートに使った事実は、アンケートに答えたみんなが知っていることだ。
 ただの帳尻合わせではあるが、疑惑を解くだけならそれで十分だと思う。

「それでは、一時間くらい経ったらまた顔を出しますので」

 あれ? 帰るんだ?
 不思議に思ったが、なるほど、たとえ秘密が流出することはないと信頼できる蔦子さんでも、アンケート結果を外部の人間に知られるのは、兵揃いの先代といえど絶対に嫌なんだろう。



「それでお姉さま方、本日は……?」

 蔦子さんが去り、いつも自信満々の祥子さまが、探るような上目遣いで先代を見る。
 数日前の脱出に対する報復を恐れているのだろう。というか、ほとぼりが冷めるまで会いたくなかったはずだ。令ちゃんも目がすごく泳いでるしね。

「最後の空白よ」

 先程私たちに説明してくれたことを、先代はまた繰り返して語る。さっき聞いたこととまったく一緒なので、私も確認程度にまた耳に入れておいた。
 新事実といえば――そう、志摩子さんが、蔦子さんと乃梨子ちゃんとやってきた時のこと。



「――ふぅぐっ!? え、江利子さまっ、おでこはもう使わないって言ったじゃないですかっ!」
「――え? あ、ごめんなさい。ついいつもの癖で」
「――本当にお願いしますから、もう私の前でおでこを出さないでください! 今日も最初からそう約束していたじゃないですか!」
「――わかった、ほら、ヘアバンドはずすから、ね?」

 志摩子さんはイヤイヤと首を振りながら訴える。
 「おでこ症候群」のトラウマを植え付けられた志摩子さんは、私が考えていたよりずっと日常生活に支障を来しているらしい。笑いながらも大声で必死に抗議する志摩子さんなんて、初めて見た。
 そして江利子さまの罰の悪い顔も、初めて見た。
 
「――少しでも光らせたら帰りますからね! 今度はきっと死にます!」

 志摩子さんの言い分も言葉的にどうかと思うが、その鈍い閃光に瀕死にまで追い込まれた彼女の主張は、何も間違ってはいないと思う。

「――家でだって父にカツラの着用をお願いしてるんですからね!」

 え? 父にカツラ? ……あ、そうか、和尚さんだから常にピカッとしてるもんね。オデコどころじゃないもんね。
 ……志摩子さんの主張は何も間違ってはいないけど、思わず笑っちゃいそうなほどにおかしいとは思う。志摩子さんの必死ぶりも。
 なお、余談だが、志摩子さんのおとうさんは、時々不意にカツラを取っては志摩子さんを笑わせるのがマイブームらしい。
 傷の深さを知らないって、罪なことである。



 今日の集まりの説明が済んだところで、三年生二人は深く深く溜息をついた。

「お話はわかりましたわ」

 祥子さまも令ちゃんも、気が進まない顔で納得した。志摩子さんも乃梨子ちゃんも若干嫌そうだし、私も露骨にぶすっとした態度でいるけどね。祐巳さんはおろおろしてる。
 先代が困るのは正直放っておきたいけど、新聞部――というか真美さんが困るのはいただけない。
 過ぎた悪ふざけに巻き込んでしまった仲間の尻拭いだけど、気は進まないけど、でも真美さんを見捨てる気はさらさらなかった。少なくとも私は。祥子さま辺りは逃げたいかもね。
 なので、大人しく身を委ねることにした。
 終わっていなかった悪夢に、今度こそ決着をつけよう。



「あ、えっと、それでは始めたいと思います……」

 先代の恐ろしさを実体感した真美さん日出美ちゃんは、顔色は悪いが自分たちの仕事をするべく立ち上がった。
 元は饅頭でも入っていたような日出美ちゃんの持つ箱が、今は悪意がパンパンに詰まったパンドラの箱に見える。最後に希望が残っていればいいけど、その願いこそ私のささやかな希望でしかない。

「その前に、いいかしら?」

 蓉子さまは皆の視線を集める。

「前回の最後、3位に『姉もしくは妹にしたい人は?』で祥子が選ばれたわよね? その理由を聞いていないわ」

 内容的にワーストではなくベストを選ぶわけだから、言われて皆も気になった。……いやごめん、正直に言うと、ワーストでも私は気になるわ。自分のじゃない限りは好奇心で知りたい。

「もうこの際、逃げたことはお互い忘れましょう。いつまでも引き摺っていたってしょうがないわ」

 蓉子さまは微笑みながら「一つずつちゃんと片付けましょう」と言葉を締めた。一年前の、いつもの蓉子さまの顔だった。

「あ、はい。それではまず、『姉もしくは妹にしたい人は?』で3位に入った祥子さまの理由から始めます」

 こうして再び、パンドラの箱はまた開かれた。

「えー……あー……」

 真美さんは「えー」で普通に目を通し、「あー」で声と表情が思いっきり沈んだ。 
 つまり、「あー」な内容なわけだ。前回の例に漏れず。

「……早く済ませましょう」

 祥子さまは目を伏せて、軽く顎をしゃくった。いいから早く言え、と。祐巳さんは露骨に顔色が悪くなったが、たぶん隣にいる私しか気づいてないだろう。

「では……『姉でも妹でも、小笠原家とお近付きになれるから』、『多少のワガママに耐えるだけでなんかオゴッてくれそう』、『祥子さまが用意するロザリオは純金製か純銀製でとても高価だと思うから』、『私が祥子さまの姉になることで、祐巳さんの苦労を半分は軽減できそう。というか絶対軽減させてみせる』、『祐巳さんがかわいそうで黙ってられない』……などです」

 パキ
 乾いた音が響いた。
 見ると、祥子さまのカップの、取っ手が、取れていた。
 顔は、うつむいていて、よく見えなかった。
 でも、背後に、黒……というより、もはや闇が、見えた。
 ――だから嫌だったのに! だから嫌だったんだ! この殺意を見るのが嫌だったからとにかく嫌だったのに!

「「ぶはははははは!!」」

 更に先代が遠慮なく笑って祥子さまを刺激するのも嫌だったのに! というかあの人たちまた笑いに来たのが目的なんじゃないの!?

「あ、あ、あの! 少数ですが『憧れの紅薔薇さまの妹になりたかった』、『お美しい祥子さまのお側にいたい』、『バレンタインで唯一チョコを渡せる祐巳さんが羨ましい』という意見が……!」
「そっちが少数であることこそ一番腹立たしいのよ!!」

 ごもっともな雷が落ちた。この嵐は長引きそうだ。
 ――と思っていたら、突然祐巳さんが勢いよく立ち上がった。

「わ、私はお姉さまの妹で後悔したことなんて一度もありませんし、お姉さまを譲る気もありません!」

 ドーンと言い切った。おぉ……祐巳さんから「これぞ妹!」と言わんばかりのオーラが見える……!

「祐巳…!」

 祥子さま大感激。悪魔もかくやという殺意が、今は至福へと変わっていた。

「わ、私を……私を許してくれるのね!? 祐巳を見捨てて逃げた私を……!」
「いやそれとこれとは話が別です。それは許してないです」
「…………」
「…………」

 …………祐巳さんすごいや。このタイミングでそれを言う祐巳さんすごいや。大物だわ。ほら、先代たちもあまりのセリフに笑うのやめてるよ。
 よっぽど自分を見捨てて逃げた脱出組を恨んでいたんだ、祐巳さん。
 まあ、そりゃそうか。あの祐巳さんが数日だが冷たい態度を貫いてきたんだから、裏も表も表情でわかるだけに、本当に態度が示す通りだったんだ。
 私はさっきので許された……と思っていたけど、たぶん、まだまだ信用を取り返すには至っていないのかもしれない。
 本当に、祐巳さん含む脱出失敗組は、先代に何をされたんだ。
 ……だが、ゆえに私は思う。
 祐巳さんをこんなにも変えてしまった先代のおしおきから逃げたことは、間違っていたかもしれないが、限りなく正解に近かったんだと。トラウマなんかいらないし。
 いずれ何をされたか知る時が来るかもしれないが、できれば一生知らずにのうのうと暮らしていたいものだ。



「はい、次に行きましょう」

 絶望の祥子さま、無表情の祐巳さん。
 見詰め合う二人の空気に身動きが取れなかった私たちは、蓉子さまの「いかにも作り物で無理しました」という明るい声に引き戻された。

「これで前回のアンケートは全て終了ね?」
「あ、は、はい。これで終わりです」
「それで、これから最後の空白欄のアンケート結果を通達するのね?」
「はい、そうです」

 滑稽なほどわかりやすく、わかりきったやり取りをする蓉子さまと真美さん。
 だがその甲斐あって、雰囲気が若干柔らかくなった。
 ……たとえそれが気休めだったとしても、その場しのぎでも、今だけはとても助かる。
 だから、私も便乗してみた。

「あの、祐巳さん、座ったら……?」

 かなり及び腰で、かなり控えめに、立ったままの祐巳さんの袖を引っ張ってみる。

「あ、うん」

 なに!?
 なんと、祐巳さんは笑みすら浮かべて、素直に私の言葉に従った。
 え? つまり、私は許されたってこと!? ほんと!? 信じていいのね祐巳さん!? その顔を信じるわよ!?

「…………」

 だが嬉しさはなかった。多少ホッとしたけど、それ以外のマイナス要因が強すぎるのが原因だ。
 あえて確認はしない。
 祥子さまが恨み妬みを全開にした視線を私に向けているような気がするけど、いや絶対気のせいじゃないけど、ここはそれを確認しないことが一番重要だ。
 とりあえず(私と祥子さま以外は)雰囲気も和んだところで、真美さんは悪意満載の箱から新しい悪意を取り出した。

「それでは、空白欄の発表に移ります。これは皆が空白に書いた項目を、ニュアンスが近いと思われるものを総合して上位八項目を割り出しています」

 真美さん自ら、説明をしながらテーブルを回り、いわば「アンケート別枠編」を私たちの手元に残していく。

「先に触れておきますが、これは前のアンケートのようなリリアンの総意ではなく、ごく一部の生徒たちの主張であるということ。それを頭に入れておいてください。全体の一割にも満たない意見ですから」

 なるほど。まあそうよね。面倒にもわざわざ空白を埋めようって人、そんなに居そうにないもんね。
 ちょっとだけ気楽になって、配られたアンケート第二弾に目を落とす。
 ――凍りついた。
 き、危険度が……危険度が増してるじゃないか! 前の先代の考えた十項目なんて子供の遊びのようなものじゃないか! 二項目減ってるけどそれが何になるのよっ!
 私たちが無言のまま動かなくなったのを見て、配り終わって定位置に戻った真美さんは慌てて言った。

「各項目の総評数なんて、本当に二十票ありません! これは総意ではなくごく一部の意見をまとめただけですから!」

 ごく一部。その言葉がどれだけの慰めになるんだ。
 何が最も嫌なのか、自分の中の疑問がようやくわかった。
 少なくとも私は、こういう痛いワーストだかベストだか、どういう結果が出ても少ししか気にしない。元々他人の意見なんて右から左に等しいんだから。
 ただ。
 何より嫌なのは、それを仲間に知られることだ。それも正面から指差して笑うような人たちにも割れてしまうことだ。
 ――いや。
 むしろ笑い飛ばしてくれた方が、笑える話になっていいんだろうか。
 そうじゃないと、帰ってから布団の中で枕を濡らしてしまいそうだから。

「……よし、行きましょう!」

 なぜか気合いを入れた蓉子さまの額には、冷や汗と思われる類の雫があった。



「それでは山百合会に対する意識調査アンケート空白欄の結果を発表します。前回と同じく『先代三薔薇さまを含む』は省きますのでご了承ください」

 真美さんの声をBGMに、私たちの目は手元の第1項目に釘付けだ。
 ……絶対痛いよこれー……

「第1項目は、『人として一番信用できない人は?』です」

 これは、どうだろう。
 前の「裏表のある人」と、ちょっとだけリンクしているかも知れない。
 ということは……1位だった祐巳さん?
 チラッとうかがうと、祐巳さんはプリントを持つ手が露骨に震えていた。……あやしいよね、祐巳さん。でも大丈夫、もしもの時は私が絶対慰めるから。

「1位は――支倉令さまです」
「ええーっ!?」

 みんなの「え?」とか「あ?」とかの声を掻き消して、令ちゃんは大声で叫んでいた。

「な、な、な、なんで!? どうして!?」

 ……あ、理由聞かなくてもわかっちゃった、私。

「その……『いつでも由乃さん最優先』、『人としてどうかと思うほど由乃さん主義』、『もはや妹の下僕みたい』、『一緒にお出掛けする機会があったんですが、私と由乃さんを間違えて呼ぶなんて最低』……全部由乃さん絡みです」

 最後の田沼ちさとだな。あいつめ。
 だけど、まあ、今回だけは許そうと思う。確かに令ちゃんは最低だったから。

「もう一度言いますけれど、これは本当に十数名の意見でしかないですから! 総意じゃないですからね!」

 だが令ちゃんは聞いておらず、ズドーンと落ち込んでいた。まあ、ほんの少しだけでも、令ちゃんは落ち込めばいいと思う。田沼ちさとが泣いた分だけは。

「2位は島津由乃さん」

 って2位は私かよ!?

「『姉にロザリオを返すなんて…それはまだいいとして、マリアさまの御前で返すなんてひどすぎる』、『令さまを泣かせて楽しいですか? 人としてどうかと思います』、『少しは祐巳さんのことも考えて』……」

 う……うはぁ……
 これ、反論できないな。本当に。
 少数意見なだけに的確なんだ。イメージじゃなくて、自分の目で見た意見なんだ。
 ――本当に、総意じゃなくて全体の一割だなんて、ただの気休めだ。
 痛い。痛いよこれ。想像以上だよ。
 言い訳一つできないところと笑えないところがまた痛いよ。

「「……ぷふーっ! ぶわははははははっ!!」」

 って、……ええー……
 さすがに笑えないと思っていたのに、先代三人大爆笑。

「由乃ちゃん過激ねー! そういう子だったのね!」

 一年生の頃の一年間、その半分以上を猫かぶりで過ごした私への認識は、蓉子さまの中ではギャップがありまくったようだ。……なんか最後の方だけ本当の自分を出しちゃってすみません。やっぱり、できれば蓉子さまにももっと私を知って欲しかったと、少しは思います。

「由乃ちゃん、お姉さんにこっそり教えてごらん? 本当は令を泣かせたり困らせたりするの好きなんでしょ?」

 聖さまはドSチックなことを言う。そんなわけあるか。心が暴走するだけです。

「歪んだ愛情☆」

 オデコさまの光るオデコよりずっとマシだ! 少なくとも、私の愛は第三者(具体的には重度のおでこ病に掛かった志摩子さん)を直接巻き込まないから! ……関節的には巻き込むこともあるけど……

「真美さん次行って!」

 とにかく、もう先に進むに限る。こんなの早く終わらせるのが一番いいんだから。

「あ、はい。えー、3位は……佐藤聖さまです」

 うわっ、こんな痛すぎる質問で聖さまが!?
 本人を見ると、なぜかニヤニヤ笑っていた。あの余裕は何……?

「『聖さまって浮気者だから』、『ナンパだから。でもそういうところも好き』、『あの日のことは私の大切な思い出です。でもきっと私だけじゃないから』、『根本的に信じられない。けどそれ以上に自分が信じられない。聖さま大好きです』、『誰とは言いませんが、あの人にキス的なことをしている現場を見ちゃいました。私にあんなことをしておいて』……ということらしいです」

 あの人本当にマリアさまのお庭で何やってるの!? というか、なんだ、何人に手を出したんだ!? どこまでアレしたんだ!?

「聖、あなたね……」

 蓉子さまの呆れが入った睨みに、聖さまは喉を曝け出して空に向けて言い放った。

「記憶にございましぇーん」

 決まりだ! あの人こそ絶対信用できない人で決まりだ! もうマリアさま、あの人に天罰食らわせてやってくださいよ! 本当に!

「お姉さまってお盛んなんですね」

 心の中でエキサイトしている最中、唐突に聞こえたその声に、瞬間冷凍されてしまった。
 恐ろしく冷たい声だった。
 祐巳さんや乃梨子ちゃんの冷たい態度なんて、これに比べたら可愛いものだ。ヘビー級とモスキート級くらいの差があった。

「…………」

 聖さまも、瞬時に青ざめた。
 声の主は、……志摩子さんだった。しかも笑顔。恐ろしい……怒り狂う祥子さまとは違う形で恐ろしい。見た目じゃわからない分だけ危険度は確実に上だ。

「――江利子、力を貸して!」
「あっ」

 蛇に睨まれたカエルになった聖さまは、江利子さまの額に手を伸ばし、おでこを全開にした。

「うぶっ!?」

 志摩子さん、テーブルに沈没。もう志摩子さんを殺さないで……

「ちょっと聖っ、色々言いたいけれど、まず人のおでこ勝手に使うのやめてよ! というか本気で志摩子がかわいそうだわ!」
「命の危機だった。正当防衛だ」

 真っ当な文句を言う江利子さまに、聖さまはこの場の全員が呆れるに足る理由を口にした。
 聖さま、なんて卑怯な人だ……人のオデコまで使って。あの人絶対信用できないよ。私や令ちゃんなんて、あの人と比べたらどうってことないよ。
 ――人として、ちょっとホッとした。情けないけどホッとした。
 下には下がいるものだ。
 でも、それでもなぜか許せるのだから、やっぱり聖さまはお得というか、……乙女心を鷲掴みなんだろう。厄介な人だ。



 真美さんたちを入れて全員が呆れたので、聖さまなんてほっぽって次に行くことになった。

「第2項目は、『誰にも言えない秘密の趣味を持ってそうな人は?』です」

 これは……うん、これは私はないだろう。
 予想としては、令ちゃんか、祐巳さんか、……志摩子さんは怪しいけど、でも入ってないと思う。銀杏が趣味だからね。
 乃梨子ちゃんなんて「仏像鑑賞」だ。最初からオープンだから絶対入ってないよ。

「1位は、これまた支倉令さま」
「ま、また!?」

 令ちゃんは泣きそうな声を上げた。落ち込んでいるところに追い討ちって感じね。

「『家でふりふりのフリル付きドレスとか着てそう。中等部時代に由乃さんに着てほしいけど拒否されたことで目覚めた感じで』、『乙女チックなことが大好きそう』、『えっちなBL小説が三度の食事より大好物』、『小さい頃は由乃さんと一緒に寝てた。今は別々。寂しいからクマさんを抱いて寝てる』」

 ……みんな結構鋭いとこ突いてるじゃない。

「…………」

 ほら、令ちゃんもあんまりショック受けてないし。思いっきり気まずい顔してるだけだ。

「令」
「は、はい。なんですか、蓉子さま?」
「えっちなBL小説、好き?」
「……き、嫌いでは、ないです」

 ええそうね。本棚の奥に隠してるもんね。濃いのを。

「令」
「な、なんでしょうお姉さま?」
「ふりふりのドレスとか着てる?」
「それはないです」

 ええそうね。フリル分が足りなくなったら、私に土下座してでも着させるもんね。下着まで。

「令」
「聖さま……」
「いつまで由乃ちゃんと一緒に寝てたの?」
「あ、それは由乃が中等部一年生の一学期の終業式までです」

 ええそうね。やたら暑い夜、ベタベタしてくる令ちゃんが鬱陶しかったから蹴り飛ばしてベッドから追い出して、その頃から別々に寝るようになったんだよね。
 しかも、何度か一人寝が寂しくて泣きながら私のベッドに潜り込んできたよね。それに気づいた時は叩き出してたけど、気づかなかった時は朝一で殴ってあげたよね。
 ――病気の心配をしてくれるのはありがたかったけど、明らかに自分の欲求も含まれてたよね。というか自分の欲求の方が優先的だったよね。
 まあ、いいけどね。今更だし。

「次に行きます。2位は……小笠原祥子さま」

 え、祥子さま? 誰にも言えない秘密の趣味……あ、いや、そうか。お金持ちのお嬢さまの趣味って、なんか一般人とは違いそうだもんね。

「ちなみに祥子、本来の趣味は何かある?」

 祥子さまが具体的に反応するより先に、江利子さまが口を開いていた。

「基本は読書です。それとお稽古事で気に入っていたものは、今でもたまに師を尋ねて趣味としてやっています」

 うん、祥子さまらしい。改めて聞いたことはなかったけど、とても祥子さまらしい趣味だ。華道とかかな? 姿勢がいいからクラシックバレエもやってただろうし、乗馬とかも?

「了解。どうぞ」

 江利子さまは、様子をうかがう真美さんにGOサインを出した。

「あ、はい。――『女王様っぽい趣味。祐巳さまの背中には無数の鞭の痕が……』、『家にいるメイドさんを困らせたりする趣味。わざと床を汚したりして』、『祐巳さんを泣かせることがもはや趣味の域に達していると思う。祐巳さんが本当にかわいそう』、『祐巳さんいじめ』……」

 ビリビリバリ
 なんか布が裂けたような音がしたけど、発信源と何が犠牲になったのかは見るまでもない。
 というか、今は見るべきじゃない。
 私もそろそろ、祥子さまを見て恐怖のあまり悲鳴を上げちゃいそうだ。睨まれそうだから目立ちたくない。

「「ふふふふふふ…………!!」」

 先代たちは本当にすごいなぁ。この状態の祥子さまを笑えるんだから。
 そして祥子さまが理性を取り戻してから次に行くわけだ。
 ……はあ。
 最近、季節外れの嵐が多いな。我、疾く切に平穏を望むもの也。

「…ん?」

 突然やってきた温かい感触に、目をやる。
 祐巳さんがテーブルの下で、私の手を握っていた。その手は寒さに震えるように激しくブルブルしている。
 わかる。わかるわ、祐巳さん。
 度合いは違うだろうけど、私も同じ気持ちよ。
 そっと、壊れ物でも扱うかのように、私も祐巳さんの手を握った。安心させるように。また、仲間がここにいることを知らせるように。
 こちらも、見るまでもない。祐巳さんがどんな顔をしているかなんて、見なくてもわかるから。

「次!」

 祥子さまが顔を真っ赤にして怒鳴る。真美さんはビクビクしながら次に進んだ。

「さ、3位は水野蓉子さまです」
「な…!」

 笑顔が一転、恐怖に引きつる蓉子さま。聖さま江利子さまは「それは聞き捨てならん」とばかりに、瞳を輝かせて耳を傾ける。無邪気な子供のような笑顔だけど、それだけに残酷な顔だ。

「『外では凛々しいけれど、家ではボロいジャージとか着てゴロゴロする無気力な無趣味。部屋も散らかってる』、『日頃のストレス発散にサンドバックをしこたま殴ってる。美容も兼ねたそういう趣味がありそう』、『服のセンスが悪そう。でも本人は良いセンスだと思い込んでる、そんな感じの変な洋服集め』、『鏡の前でどんなポーズが自分に合うかとか研究する重度のナルシスト趣味』……」

 ……ぷっ。
 なんか、言われてみるとありえそうな気がしてくるから怖い。特にサンドバックとか。「聖めっ、聖めっ」とか言いながら一心不乱にサンドバックを殴り続ける姿なんて、すぐに想像できるもん。

「普段とのギャップから来ているもののようです」

 大噴火は、ない。だが全員プルプル震えて笑うのを堪えている。祥子さまや、あの志摩子さんでさえ。
 慰めにはならないかも知れないが――

「いいんじゃない? 全部健全なんだから」

 笑いながらばしばし蓉子さまの肩を叩く聖さま。そう、聖さまの言う通り。

「……なんだかなぁ」

 蓉子さまは、怒るどころか苦笑している。

「私ってそういう目で見られていたのね」
「見られていた、というか、一部の生徒にでしょ? こんなのあくまでもイメージだわ。まあ想像しやすいだけに面白いけれど?」

 江利子さまも笑いながら、たぶんフォローではない本音を言う。

「でも、一つだけ参考にしたい意見があったわ」

 蓉子さまは、ニヤリと意地悪そうに笑った。

「ストレス解消用のサンドバック、ね。そういう発想はなかったけれど、ぜひ購入するわ」

 どうして在校中にそれに気づかなかったのかしら、と、蓉子さまは意味ありげに聖さまを見ていた。

「私からプレゼントしようか?」

 だが聖さまはどこ吹く風で、小さく肩をすくめた。聖さま強し。



「第3項目は、『志摩子さんと乃梨子さんの関係を本気で疑ってそうな人は?』です」

 関係、って言われても。
 実際のところはよくわからないけど、志摩子さんの反応を見る限りでは、そういう事実はないだろう。
 一重に、乃梨子ちゃんの「志摩子さん大好き」が原因だ。
 乃梨子ちゃんはハラハラしながら志摩子さんの様子を観察し、志摩子さんは「関係って何かしら?」とのんびり首を傾げている。

「疑ってそうな人、ってところがポイントよね」

 ポツリと出てきた江利子さまの意見には同感である。

「1位は小笠原祥子さま」
「私?」

 しょうもない、と言いたげな不機嫌そうな顔の祥子さまは、更に不機嫌そうに眉を吊り上げた。

「えー……いくつか意見が寄せられていますが、意味は全て一つのことに集束しています。理由は『ご自分の参考に』……とのことです」

 ……しーん。
 なぜか、その理由に全員が静まり返った。
 参考に。
 ご自分の参考に。
 つまり、……まあ、そういうことだろう。
 祐巳さんの、私の手を握る力が微妙に変わったような気がするけど、きっと気のせいだ。違う意味での恐怖心が伝わってくるような気がしたのも、きっと気のせいだ。

「……次に行きなさい」

 祥子さまは「聞かなかったことにするわ」という態度で、進行を促した。誰もがその方がいいと判断していた。
 志摩子さんだけ空気が読めないのか、乃梨子ちゃんに「どういう意味かしら?」と尋ねていたが、乃梨子ちゃんは曖昧に笑うだけだ。それでいい。

「2位は、鳥居江利子さま」
「ん? 聖じゃないの?」

 江利子さまは意外そうな顔だ。

「私は邪推せずにすぐわかるよ?」

 ええ、聖さまなら一目で見抜けそうですよね。疑うんじゃなくて確信を持ちそう。

「これも色々意見が寄せられましたが、言い分は一つだけで、『暇潰しの面白半分の好奇心』だそうです」
「「ぷっ」」

 全員が軽く吹いたが、江利子さまは「なるほどなー」とうなずいていた。本人、特に反感も反論もないらしい。

「3位は令さまですが、これも結局一つです。『そういうの好きそうだから』とだけ」

 笑いはしないが、これも令ちゃん含めて全員が納得してしまった。

「……そういうのって、どういうの?」

 志摩子さんだけよくわかっていないようだが、誰も彼女には説明せず、視線が合うと曖昧に微笑んで誤魔化すのだった。



「第4項目は、『姉妹を交換。誰と誰がベストスール?』です」

 経験談として言わせていただきたい。
 今まで「これは安全だ」と判断した質問は、その都度裏切られてきたように思う。良くも悪くも……悪い方が8割増くらいで。
 ゆえに、これも絶対に安全じゃない。
 むしろ平和そうな質問ほど、毒性が強いんじゃないかとさえ思えるのは、考えすぎなんかじゃないだろう。

「1位は、姉に支倉令さま、妹に福沢祐巳さんです」

 お……令ちゃんと祐巳さん?
 思わず振り返ると、二人は「そうなの?」って視線でお互いを見ていた。

「『この二人は絶対合う。間違いなく』、『一番安全な組み合わせ』、『お世話好きで包容力のある令さまと、無邪気でちょっと失敗の多い祐巳さま。姉妹じゃなくても仲睦まじく見える時がある』、『令さまは早まったと思う』、『令さまは人を見る目がない』、『一般的な姉妹関係が、この二人ならすっと想像できます』などの意見がありました」

 …………

「確かにねぇ」

 江利子さまはうなずき、令ちゃんと祐巳さんを交互に見る。

「令ってお菓子作り好きだし、祐巳ちゃんは甘い物が好き。需要と供給は合うわよね」

 聖さまが「だね」と深く同意した。

「令は世話好きだし、祐巳ちゃんってなんか世話焼きたくなっちゃうんだよね。その点では相性は絶対悪くないよね。姉が妹を導くって典型的な形には自然となる」

 蓉子さまが「うーん」と腕組みする。

「性格的に、どっちも攻撃性がまったくないものね。個性面では傍目にはつまらないかも知れないけれど、特に衝突もケンカもない、ほのぼの姉妹になることは間違いなさそうだわ」

  うんそうだね  でしょ  問題ないじゃない

 そんな言葉が、右から左へ。
 なんだろう、この気持ち。
 正直なところ、腹にもやもやっと来ている。来てはいる。
 でも、なんだ。
 なんだか妙に説得力があって、最初から反発したい自分ですら、納得できる部分が多々ある。

「バカなことを仰らないで!」

 バンとテーブルを叩いて、祥子さまは立ち上がった。

「私と祐巳は、それはもう切っても切れない野太い荒縄のような絆があるのよ! 相性とか、そういう要素では表せない姉妹だけの『何か』が確実に存在しているわ! それが祐巳と令にあるとでも!?」

 ――そうだ! 祥子さまの言う通りだ!

「言葉や見た目ではわからないプラスアルファこそ、姉妹に必要不可欠なものだと思います! そうじゃなければただの仲の良い先輩後輩で済む話です!」

 祥子さまの後押しをするように、私も強気に前へ出た。
 ……が、先代三人は真顔になった。

「でも令と祐巳ちゃんなら、深く傷つけあったりなんてしないと思うわよ?」
「この前だって、我先にと姉妹を見捨てて逃げるなんて、絶対ないと思うよ?」
「言い分はわかるけれど、姉妹になってからプラスアルファが生まれることだってあると思うわよ?」

 …………
 祥子さま、すとんと着席。そしてほがらかに微笑んだ。

「次に行きましょう」

 これもなかったことにしたらしい。……祥子さま、なんか痛々しいです……
 まあ、もしも話だからね。
 祐巳さんだって「まさかぁ」って顔して笑ってるし。
 こんなの、真剣に聞くようなものでもないよね。
 ――令ちゃんが本気で思案げな顔さえしてなければ、笑って済ませてもよかったんだけどね。
 また「自分は支倉令である」ことを忘れてるようだから、帰ったら再教育するからね。

「2位は、姉に佐藤聖さま、妹に水野蓉子さまです」

 お、同級生の二人が。

「これは姉妹逆の意見もまとめてあります。――『蓉子さまが聖さまの姉なら、聖さまの抑えはバッチリ』、『妹の聖さまにたぶらかされる姉の蓉子さま。凛々しい蓉子さまが聖さま色に染められて……燃えるシチュエーションです』、『蓉子さまのツンデレぶりに期待』、『ケンカしつつも仲良さそう』、『ベストスールというか、ベストカップルっぽい』とのことです」

 ふうーん。
 興味津々って注目を集めた蓉子さまは、顔を真っ赤にしていた。聖さまは余裕の笑みを浮かべていた。

「蓉子ちゃん、ロザリオあげようか?」
「いらない。絶対いらない」
「遠慮しなくていいよ?」
「触るな」

 からかうように頬をつつく聖さまと、すっごい恥ずかしそうな蓉子さま。こうして見ていると、そういう姉妹に見えなくもないから不思議だ。

「蓉子ちゃん可愛い☆」

 江利子さまは、ここぞとばかりに蓉子さまをからかっている。そして蓉子さまは子供の癇癪のように「うるさい! うるさい!」と叫ぶ。……可愛いな、確かに。なんか蓉子さま年下みたい。
 みんなでひとしきり「蓉子ちゃん」を堪能し、発表は続く。

「3位は、姉に二条乃梨子さん、妹に福沢祐巳さん」

 え? 乃梨子ちゃんと祐巳さん?

「『クールな乃梨子さんと、それに付いて回る子犬のような祐巳さま。なんか微笑ましいです』、『やっぱり祐巳さんの姉はしっかり者がいい』、『なんとなくお似合いな気がする』、『並んでる姿にあまり違和感を感じない』」

 表情にとぼしい乃梨子ちゃんと、表情豊かな祐巳さんか。
 うーん……悪くはないかもしれないけど、パンチが弱いせいか、みんな特に反応ないけどね。
 本人たちも「へー」って感じだし。

「あと、順位とは関係ないですが、一票だけ例外的なものがありました」

 ん? 一票? 例外的?

「えー……姉は祥子さま以外の誰でも、妹に福沢祐巳さん。『祐巳さんがかわいそうだから、どなたでもいいので姉になってください。特に志摩子さんがいいです』と――」
「その意見の方、一連の『かわいそう』に関わっているでしょう!? 誰なの!? アンケートをよこしなさい、筆跡鑑定して特定してやるわ!」

 祥子さま、ついにキレた。
 先代、大笑い。
 志摩子さんと乃梨子ちゃん、急に窓へ視線を向けて現実逃避。
 私と祐巳さんは、強く強く手を握り合った。
 祥子さまじゃないけど、「かわいそう」は本当に誰が書いてるんだ? というか真美さん、わざと祥子さま怒らせてない? 順位に入ってないなら言わなくていいじゃない。
 怖いんだから遊び半分でいじるのやめてよね……って、本人詰め寄られて半泣き入ってるし、わざとではないのかなぁ……



 笑いっぱなしの先代になだめられ、祥子さまはようやく落ち着いた。まだプリプリ怒ってるけど、あれくらいなら日常茶飯事だ。

「第5項目は『この一言であの方を確実に怒らせることができる』です」

 つまり、一撃必殺の悪口ってやつ?
 まあコンセプトは面白いと思うけど、どうせ怒りっぽい人が選ばれるんだから、こんなの中の住人としては予想を越えるとは思えない。
 どうせなら私や祥子さまみたいな自他ともに認める短気じゃなくて、志摩子さんや祐巳さんを怒らせてみなさいよ。親友の私ですら滅多に怒った姿を見たことないよ……この間の脱走を抜かせば。

「えー、これだけは発表方法を変えます」

 真美さんは書類から顔を上げ、私たちを見回す。

「皆さんも多少は頭にあるかと思いますが、これは一言で言えば悪口です」

 うんまあ、そうだろうね。

「でもただの悪口を集めたところで、なんの意識調査にもなってないと思うんです。そんなに数も集まってませんし、低レベルな悪口を真に受けて怒る人もいなさそうですし」

 確かに。高校生だからね。姿も見えない誰かが言った悪口なんかどうでもいい。

「なので、いただいた意見の中からこれぞ、というものを一つだけ、新聞部から選出しました。題が示す通り、ただの一言で勝負したいと思います」

 勝負なのかこれは。真美さんも段々、この意識調査アンケートの意味を履き違えてきたな。

「それでですね。肝心の発表方法なんですが、これは順位ではなく全員一言ずつ言わせていただこうと思っているんですが、いかがでしょう?」

 全員一言、か……
 そう言われると、なんだか本当に勝負のような気がしてきた。
 つまりこれから真美さんが言う一人一言の悪口に、怒らずにいれたらこっちの勝ちなわけだ。
 特に異論もないので、真美さんは先に進む。

「それでは、一年生の二条乃梨子さんから行かせていただきます」

 まず指名された乃梨子ちゃんに視線が集まるが、本人はいつも通りの表情で「どうぞ」とつぶやく。気負いもなく、構えもせず。自然体だ。

「では――」

 真美さんはコホンと咳払いし、肝心のその一言を腹の底から搾り出した。

「『志摩子さんをあなたの欲望の犠牲にするな!』」
「…!」

 乃梨子ちゃんは相当ムカッと来たらしく、真美さんを見る表情がにわかに険しくなった。

「乃梨子?」

 志摩子さんが心配げに声を掛けると、乃梨子ちゃんはハッと我に返る。

「あ、あ、あははははは。あはははは。はははは……おでこフラッシュ!」
「ぶはっ!?」

 誤魔化した! 乃梨子ちゃん、自分の失態を自らのおでこで誤魔化した!

「の、乃梨子! それはやめてちょうだい!」
「ごめん志摩子さん、つい」

 ……うやむやにしたよ、乃梨子ちゃん……
 しかし、あの乃梨子ちゃんが志摩子さんを傷つけてでも力で乗り越えるとは。なかなか貴重なものを見た。
 今まさに欲望の犠牲にされちゃったね、志摩子さん。

「次は志摩子さんに……行こうかと思っていたんですが、笑ってるので後回しにします」

 そうね。今正気じゃないからね。

「というわけで、次は由乃さんに」

 わたっ、私か!? よしいいだろう、掛かって来い!
 身構える私を見て、なぜか真美さんは挑戦的にニヤリと笑う――やはりアンケートの意味を取り違えてきているようだ。
 主に祥子さまの殺意をぶつけられたせいで、少々おかしくなってきたのかもしれない。祐巳さんは言うに及ばず、真美さんもかわいそうな犠牲者となってしまった。

「では――」

 真美さんはコホンと咳払いし、肝心のその一言を腹の底から搾り出した。

「『令さまの心を食い荒らすシロアリみたいな由乃さんバンザーイ』」

 な、なにい!? 

「真美さんもっぺん言ってみなさい! ぶってあげるから!」
「いや私が言ったけど、私が考えたわけじゃないから!」

 なんだと!? ……いや、そうか。そうだよな。
 ふと我に返り、今度は愕然とした。
 ま、負けた……誰だ、あんなこと書いた奴は……
 もしもあの言葉が「〜シロアリみたいな由乃さん」で止まっていたら、なんというか、ただの普通の悪口程度のレベルだった。私だって我を失うほど怒りもしなかっただろう。まあ、ちょっとだけ、って感じで。
 だが最後に「バンザーイ」を付けることで、えもいわれぬムカツキ感が増した。真美さんはともかく日出美ちゃんまでバンザイしたのが原因だろうか?
 たとえるなら草原を駆け回る子犬――が、めちゃめちゃデカイ蜘蛛とかトカゲとか狩ってきて、見ろと言わんばかりにそれをくわえて無邪気に追いかけてくるかのような。
 遊んでるわけじゃない! 真剣に逃げてるのよ!
 ……っていう恐怖と焦りと子犬の無邪気さと己の真剣さの狭間に存在するギャップから生じる、本気の怒りだ。
 うまく表現できないけど、とにかく最後の「バンザーイ」でカッと来た。
 これはなかなか……手強いかも知れない。
 だが(やはり爆笑している先代たちを見なければ)一過性の怒りだったようで、すぐに頭も冷えてきた。祐巳さんが、私が怒っていても手を離さなかったのも一要因だ。なんだか体温を感じるだけで心が落ち着く――こういう怒りと恐怖が突如発生する不安定な状況では特に。
 まあ、ひとまず落ち着こう。
 ここで考えるのはお題に負けた自分とその一言ではなく、隣でオドオドしながら私の横顔をうかがう平和主義の祐巳さんが、お題に負けて怒るのかどうなのか。同じ意味で志摩子さんも気になる。
 個人的に、ちょっと楽しみになってきたな。喉元過ぎたからね、私は。

「次は福沢祐巳さん」
「あ、はい」

 よし来た! 行け真美さん! 祐巳さんを怒らせてみろ!

「では――」

 真美さんはコホンと咳払いし、肝心のその一言を腹の底から搾り出した。

「『祐巳さんは可愛い。でも祐麒さんの方が美人』」
「……ぐ、くっ……!!」

 うわすごい! あの祐巳さんが怒った! すんごい怒ってる!
 その横顔、天敵に威嚇するタヌキのごとし。果たして怒りの矛先は真美さんなのか、意見を出した正体不明人物なのか、はたまた祐巳さんより美人な祐麒君なのか。

「「あはははは! はーっはーっ……ひーっひっひっひっひっ!!」」

 しかも先代たち笑いすぎ。
 笑っていられるのも今のうちだ。
 人畜無害の祐巳さんすら怒らせたこの項目、きっと誰も勝つことはできない。蓉子さまなんて結構怒りっぽいんだからね。

「次は、支倉令さま」

 なぜか満足げな真美さんは、次のターゲットに移る。今度は令ちゃんだ。
 ……また私絡みかな?

「では――」

 真美さんはコホンと咳払いし、肝心のその一言を腹の底から搾り出した。

「『私は見た。令さまに男の証が付いているのを』」
「…!? つ、付いてないよ!」

 令ちゃんは珍しく怒った顔で反射的に叫んだ。すごいなリリアン生。私たちをよくわかっている。
 私が言うのもアレだけど、祐巳さんほどじゃないにしろ令ちゃんも案外温厚だ。剣道で精神修行も積んでいるし、ただの悪口くらいじゃまず怒らないのに。
 ちなみに、必要ないだろうけど証言しておく。令ちゃんは正真正銘女性です。まあ女として怒るのも無理ないような気はするけど。
 あと、先代やっぱり笑ってる。本当に笑いすぎ。

「次は、小笠原祥子さま」
「……私は遠慮するわ」

 祥子さまは嫌そうに視線を逸らすが、往生際の悪いお嬢さまの言い分なんて真美さんは聞いていなかった。

「では――」
「聞いているの?」

 聞いてないですね。
 真美さんはコホンと咳払いし、肝心のその一言を腹の底から搾り出した。

「『祥子さまの前髪って73分け? 82? まさか91?』」
「…………」

 先代の腹立たしい笑い声がピタリと止んだ。

「そういえば、祥子の前髪って何分け?」
「聞いたことも気にしたこともないわ」
「んー? ……位置的に73じゃないわよね」

 聖さまが蓉子さまに聞き、江利子さまは祥子さまをじっと見詰めている。
 確かに、私も気にしたことがなかったけど……あれって何分分け?
 みんなも気にし始めたのか、じろじろしげしげと祥子さまの髪型に注目する。当の祥子さまは「見るな」という厳しい視線で応えていた。

「比率的に82?」
「角度的に91?」
「直感的に73?」

 個人的に82?
 だが、ここはアレだ。
 この私が、この島津由乃が、一番相応しい答えを知っていたりした。

「あれは祥子カットです」

 それを聞いた反応って、すごかった。祥子さまは睨んだけど。こわ。

「それだ!」
「それよ由乃ちゃん!」
「シンプルかつ納得できる答えだわ。前提として分け目がどうとかいう話じゃないのね」

 すっきりした笑顔の先代が強く強く支持したところで、皆口を揃えて「祥子カット」を口に慣らしていく。

「祥子カットか……」
「祥子カット……」
「さっちーカット」
「祥子カット……」
「……祥子カット?」
「――今誰か『さっちーカット』って言ったでしょう!? どなた!?」

 真美さんです。バレなかったからよかったようなものの……大胆だな真美さん。……というか、どうしても怒らせたかったという傍迷惑なプライドが芽生えてきたようだ。

「そろそろ次へ行っても?」

 祥子さまは納得していないが、真美さんは強行した。

「次は鳥居江利子さま」
「どうぞ」

 ついに先代の番が回ってきた。だが江利子さまは余裕だ。傾向を見たので対策……というか心の準備ができたのだろう。

「では――」

 真美さんはコホンと咳払いし、肝心のその一言を腹の底から搾り出した。

「『鳥居江利子5歳、父と兄たちが自分を取り合うドロドロの修羅場を初体験』」
「惜しい。初めては1歳、自覚したのは3歳よ」

 すごい! 江利子さま、チラッと覗いたオデコを光らせて笑顔でかわした! 冷静に考えると家庭環境もすごいぞ!

「……ちっ」

 かすかに真美さんが舌打ちしたが、誰もその意味を察することはできなかった。

「次は佐藤聖さま」
「はいどーぞ」

 こちらも余裕である。

「『もう十年くらい前になるけれど、聖ちゃんかわいー、って言ったら冷ややかに睨まれた』」
「え、誰!? それ誰!?」

 怒るより興味津々って感じだ。まあそれはそうだろう。

「えー? 年下にかわいいって言われたことあったっけ?」

 そうそう。在校生によるアンケートだから、その意見を寄せた人は確実に、少なくとも聖さまの二つ下の下級生ってことになる。十年前だから、小学部の頃よね。
 ……でも想像はできる。十年前、聖さまはすごくかわいかっただろう。性格は知らないけど見た目はすごく目立ってかわいかったはずだ。

「『by江利子』」

 ポツリと付け加えられた真美さんの言葉に、聖さまはカッと江利子さまに掴みかかった。

「おまえか!? おまえが書いたのか!?」
「知らないわよ! 私アンケートに答えてないもの!」
「他の人なら年下でも構わない! でもおまえは許せない!」
「だから知らないってば!」

 ニヤリ。視界の端で真美さんが笑った。……最後の「by江利子」って、まさかとは思うが、真美さんが今この場で付け加えたのでは……?
 …………
 まあ真偽を問うのは(真美さんが)怖い結末を迎えそうだから置いといて、怒ったから聖さまも負けてしまった。
 今のところ堂々の勝利を得たのは江利子さまだけか。

「次は水野蓉子さま」
「ちょっと怖いわね……」

 モメてる親友を横目に、蓉子さまは憂鬱そうな溜息をつく。ええ、その警戒心は必要です。

「では――」

 真美さんはコホンと咳払いし、肝心のその一言を腹の底から搾り出した。

「『在校時代、聖さまとデキてるのがバレバレで、見てるだけで恥ずかしかった』」
「できてないわよ!」

 瞬殺だったな……祥子さまの影に隠れていただけで、蓉子さまも怒りっぽい。あの姉にして妹あり、逆も然りか。

「ついにバレちゃったね、蓉子」
「肩を抱くな! 紛らわしいことも言うな! あなたは江利子と遊んでなさい!」
「江利子? もう飽きたよ」
「ひどい。私とは遊びだったのね。蓉子が憎い、蓉子が恨めしい」
「憎むな! 恨むな!」

 先代たちによる三角関係勃発。蓉子さま以外やたら楽しそうだ。

「最後に藤堂志摩子さん」

 乃梨子ちゃんの思わぬ攻撃にダウンしていたが、いつの間にか復活していた志摩子さんの身体がビクッと跳ねた。
 今までの惨状(あと今先代たちがモメてるの)を見て、志摩子さんも怖くなってきたようだ。
 それと真美さんが、自分で気づいてないかもしれないけど、サディステックな笑みを浮かべているのも怖いんだと思う。私もちょっと怖いから。

「では――」

 真美さんはコホンと咳払いし、肝心のその一言を腹の底から搾り出した。

「『おとうさんに殺意を抱いたことがあるはずだ』」
「……、いえ、ありません」

 …………じゃあ、なぜ目を逸らす? なぜ即答できなかった? どうして気まずいような顔をしてるの?
 気まずいのは志摩子さんだけではなく、そのような反応を見てしまった我々も同じだ。真美さんですら正気に戻ったのか、急に心配げにそわそわしている。
 ――よし。
 この話題はこれ以上追求すると祥子さま以上の恐怖を感じさせてくれそうだし、あと今後の志摩子さんとの付き合い方もかなり変わってしまいそうだから、綺麗に流してしまおう。

「真美さん、時間ももったいないし、さっさと終わらせてよ」
「賛成」
「異議なし」
「早く済ませましょ」
「そうね」
「そうだね」
「そうですね」
「早く帰りたいですしね! ね、志摩子さん!」

 私の提案に皆が口々に賛同し、志摩子さんの件をなかったことにした。
 ……志摩子さんがホッと息を吐いたなんてことは、断じて存在しないことである。
 それにしても、この項目で勝てたのは江利子さまと志摩子さんだけか。
 針で急所を突くような正確さは感じていたけど……痛いなぁ空白欄……



「第6項目『一番写真部のエースに隠し撮りされてそうな人は?』」

 祐巳さんじゃないの? 一年の時も今も同じクラスなんだし。

「祐巳ちゃんじゃないの?」
「祐巳ちゃんでしょ?」
「祐巳ちゃん以外考えられないけれど」

 先代も同じ意見のようだ。というか、本当にそれ以外考えられない。

「はあ、まあ、大方の予想通り1位は祐巳さんなんですけど」

 あ、やっぱり。

「理由としては『蔦子さまにストーキングされてるのを目撃した』、『体育の着替えの時に蔦子さんはやたら祐巳さんを見ている。時々カメラも構えている。イチゴ柄の下着を着けてた時はすごくテンションが上がっていた』、『蔦子さまに見てもらいたいがために祐巳さまと同じ髪型にしてみたが、本人の反応は淡白で、自分ではダメだということを思い知らされた。祐巳さまが憎い』」

 ヤバイよ蔦子さん! それは危なすぎるだろっ! いやそもそも隠し撮り的なことしてる時点でアレだけどっ!
 それと最後の意見、内藤笙子ちゃんでは? よりによって蔦子さんを慕ってしまったあの子も不憫だ。

「イチゴ柄は燃えるよね」
「……聖……」
「……ちょっと離れてくれる? あと今後絶対触らないで」

 聖さま、同意を求めた親友二人にドン引きされる。
 そんな些細な出来事はいいとして、在校生組はなんとも表現しづらい雰囲気になってしまった。
 友人として、先輩として、姉として、後輩として、「武嶋蔦子に気を付けろ」と言うべきなのか?
 それとも、「そんな意見無視すればいいよ」と、蔦子さんをフォローするべきなのか?
 恐らく全員が考えていることだろう。
 現在同じクラスで、退学などの途中退場を除けば、少なく見積もってもあと一年ちょいの付き合いを続けるだろう自称写真部のエースにしてただの友人との交友関係は、薔薇さまとしても友人としても手放すべきではないと思う。
 盗撮問題さえ目を瞑れば、蔦子さんはとても頼りになる人だ。自他ともに認められるほどに。
 ……肝心の祐巳さんは、どういう反応をしているかと言えば。

「……」

 ふーん、って感じだった。特に引っ掛かりもないような、普段通りのちょっと抜けた顔だった。
 私は令ちゃんに「聞いてみろ」という意志を視線に乗せて送ってみた。
 令ちゃんは一瞬「うわ嫌な役を……」なんて視線を返してきたが、睨みつけたら観念したのか、唇を湿らせてから慎重に口を開いた。

「あの……祐巳ちゃん、今のどう思う……?」
「え? なんですか令さま?」
「だから……写真部のエースの意見」
「へ? いえ、特に……何かおかしなところでも?」

 あるよ。なんで平気で居られるばかりか疑問すら抱かないのかおかしいよ。

「一年生の時からそうでしたから、今更別に……」

 慣れたのか!?

「あ、イチゴ柄が子供っぽいって意味ですか? 自分でも多少は思うんですけど――」
「イチゴ柄はいいのよ! イチゴ柄はかわいい祐巳にピッタリだわ! それで生地がピンクなら文句なしよ!」

 祥子さまが余計なところに力強く突っ込んだ。聖さま、ここに仲間がいましたよ。
 そんな姉の激しい反応に戸惑うが、祐巳さんは結局、蔦子さんの問題点に気づかなかったようだ。
 ……本人がこれなら、実害はないと判断していいんだろうか。被害者に被害者の自覚がないんだから。

「2位は、島津由乃さん」

 お? 私?

「『写真だけ見ると由乃さまは下手なアイドルより良い被写体だと思う。そんな良質素材を蔦子さまが見逃すわけがない』、『祐巳さんと由乃さんが笑っているツーショット写真にズキューンと来た。撮ってる人もズキューンと来てるはず』、『怒ってる由乃ちゃんがかわいく見え始めた私は末期かもしれない』、『私的な意見ですが、感情激しい由乃さんは、いつも微笑んでいる志摩子さんより魅力的に見える。写真だと尚更』」

 ほう。ほうほう。
 写真“だけ”とか“末期”とか、なんとも腹の立つ表現があるものの、これってもしや私のファンの意見じゃない?
 なんかテンションの上がってきた私の耳元で、祐巳さんが笑いながらこそっとつぶやく。

「アイドルより良い被写体だって」

 やめろよ祐巳さん、頬が緩んじゃうじゃない。

「あ、もう一つ」

 にへらっとしてきた私の耳に、真美さんが忘れていたように一言付け加えた。

「『写真は性格が写らないからいい』……という意見も」

 ……おい待て。

「真美さん、わざと怒らせようとしてない?」
「……それ、何度も泣きそうになってる私に言うの? 本格的に泣くわよ?」

 そう言われちゃうと引くしかないわけだけど。祐巳さんや令ちゃん以上のドMじゃないと、祥子さまや先代に睨まれて嬉しいはずもない。さっきは狂ってたようだけど、今はいつもの真美さんだし。
 ――後から判明したが、この辺の(引っ掛かる意見を次の書類に書くことで発表を遅らせる等の)小細工は、実は日出美ちゃんがやっていたことらしい。曰く「お姉さまの泣きそうな顔にキュンと来る」という理由で。
 この件については、あえてコメントは控える。まだ妹がいない私からは特に言うべきことはない。妹とはきっとそういうものなんだろう――とでも納得しておく。

「3位は、支倉令さま」

 おや令ちゃん。二回目は大人気だな。

「『剣道で汗で火照った顔と身体を、蔦子さんは見逃さない』、『剣道で熱くなった身体を必ず激写しているはず』、『剣道で打ち込まれて悶えている表情は見逃せない』、『剣道で敗北した時の悔しそうな顔はシャッターチャンス』とのことです」

 ほとんど「剣道で」を抜かしたら、ちょっといやらしい気がする。
 けど、気持ちはわかる。ミスターリリアン限定の税金のようなものだ。
 それくらいは私の令ちゃんでであっても許容しようではないか。私はいつでも見られるからね。泣き顔を。

「それと少数ですが『汗だくの由乃さまと一緒にいるとアブノーマルな妄想を掻き立てられる』という意見もあります」

 出すなそんな意見。剣道部行きづらくなっちゃうだろ。……最近サボり気味だけど。

「…………」

 あと令ちゃん、私を見てそういう妄想を今掻き立てるな。モロに顔に出てるから。



 モメていた麗しき先代たちは、なぜか「じゃあ黒のレースならいいのか!?」「いいわ! それならいい!」「でもカッコイイのじゃないと認めないからね!?」なんて方向で、満場一致で合意しカムバックした。
 イチゴ柄ではダメでも黒レースのカッコイイのならOKのようだ。
 本気でどうでもいい。

「第7項目は『祐巳さんを人扱いせずペット扱いしてそうな人は?』です」

 それは聖さまだろう。……それ以前に項目自体に問題がありすぎる。

「聖じゃないの?」
「聖よね?」
「私じゃない?」

 ええ、先代の言う通りですね。というかこれさっきと一緒ですね。

「ええ、まあ、大方の予想通り1位は聖さまなわけですが」

 真美さんの答えもさっきのと一緒だ。

「理由は『見ればわかる』、『戯れる二人はそのような関係にしか見えない』、『祥子さまと一緒にいる時とは違う祐巳さんの魅力的な一面が眼福』だそうです」

 祥子さまと一緒にいる時とは違う……だからさ、祥子さまをあんまり刺激しないでよ。ほら、怖い顔してるじゃない。祐巳さんも怯えてるよ。

「あ、そう言えば」

 聖さまが、ふと気づいたと人差し指を立てた。

「この中で祐巳ちゃんを抱きしめた人って、いる?」
「はい」

 祥子さまが誰かに対抗するかのように、素早く手を上げた。
 それに続く者は――実は私だった。

「私も一度だけ……」

 ギョリッと祥子さまの目玉が私の方を向いたが、この程度なら気にしないことにした。本人によるそれ以上のものを見てきたせいで、これくらいではあまり動じなくなってきた。怖いけどね。

「いつ? どこで? どのような状況で? あなたと祐巳はどんな気持ちで?」
「今年の夏休みに入る前の梅雨の季節ですけど、本当に詳しく聞きたいですか?」
「……やめておくわ」

 あの頃のことは、祥子さま内でもタブーになっているようだ。私も祐巳さんがひどく落ち込んだ時期のことなんて詳しく思い出したくない。そう言えばあの時、ついでに呼び捨てにもしたのよね、私。

「二人だけ?」

 大体はわかっているのだろう聖さまは、梅雨の話を流した。

「あ、私も卒業前に一度だけ」
「あれ、蓉子も? ふーん」

 へー、意外な事実が浮上したもんだ。

「ってことは、私を入れて四人なわけね。なるほど」
「それが何か?」

 伏兵が二人もいたことで若干むくれている祥子さまは、聖さまが何を言いたいのか気になって仕方ないらしい。

「経験者ならわかるでしょ? 祐巳ちゃんはすごく良い」

 …………あ、ええ、まあ、わかりますけどね。
 リリアンの制服は体型が出にくい……というのもあるけど、実際に祐巳さんを抱きしめてみると、見た目の想像とは結構違っているのに内心驚いたのはよく憶えている。
 もう柔らかいし甘い匂いはするし重なる胸から生命の鼓動が伝わって、こう、なんというか、そう、なんか良かった。
 欧米でもあるまいし、誰かを抱きしめる機会も早々ないから比較できないけど、とにかく祐巳さんは良かったと私も断言できる。ただ、小柄な私からすると「ちょっと大きい」という感じはしたが。
 聖さまや蓉子さま、祥子さまからすると、身長差なんかがちょうどいい感じなんだろうね。

「良いって、何が?」

 よくわかっていない江利子さまは顔を曇らせる。

「それはやった人にしかわからないと思う。――さあ祐巳ちゃん、今こそ立ち上がる時だ」
「は?」
「君の身体で皆を魅了するのだ」
「はあ?」

 そりゃ祐巳さんだって呆れるわ。「はあ?」とか言いたくなるわ。

「そうね、後学のために一度は経験してみるべきよ。祐巳ちゃんの身体は魅力的だわ」

 ――蓉子さまの無責任な後押しが付け加えられると、江利子さまもその気になったらしく、祐巳さんに立つよう命じた。
 無論、祥子さまが黙っているわけがない。が、黙ろうが黙るまいが先代には勝てず、ずるずるとそういう方向で説得させられてしまった。祥子さまがその有り様なのだから、もちろん私がかばうこともできず、祐巳さん自身が抵抗できるわけもなく。

「ゆーみちゃん☆」
「ひゃあ」

 かくして、「福沢祐巳を抱きしめる祭」が急遽執行されることとなったのだった。
 祥子さまもがんばった。
 先代三人相手に「経験者は絶対ダメ」という譲歩案を飲ませたのだから、大したものだ。

「良いわ」
「良いですね」
「ええ。良いです」
「い、意外と……」

 この機会に経験した江利子さま、令ちゃん、志摩子さん、乃梨子ちゃんは、ほわわ〜んと余韻に浸っていた。特に乃梨子ちゃんは顔が赤い。意外となんなのか非常に気になるが、その先の言葉が告げられることはなかった。
 ちなみに祐巳さんは「なんかやだなぁ」と言いたげな情けない顔。きっと「自分よりプロポーションの良い人ばかりなのになんで私が……」とでも思っているのだろう。
 なんで祐巳さんなのか?
 その答えは、これで祐巳さんは“誰が”“誰に”という垣根を越えて「山百合会のペット」になってしまったからだ。抱き心地とかそんな感触の問題と見せかけて、実は全員の意識の問題なんだ。
 ……と、傍目に見ていた私はそう思った次第です。

「それでは2位に行きます」

 ついでに経験した真美さんと日出美さんもほわわ〜んとしていた。
 これで多数に認められた、魅惑の肉体を持つ女・祐巳の誕生である。……なんてね。

「2位は、水野蓉子さま」
「え? 本当に?」

 怪訝な顔をする蓉子さま。納得できないのは、たぶん山百合会一の常識人を自認しているからだろう。

「『無責任にかわいがる三年生、叱る二年生、オモチャにされていた祐巳さん。これがかつての紅薔薇家族だ』、『祥子さんの目を盗んではコソコソかわいがってそうな感じがしてました』、『蓉子さまが見詰めるだけで祐巳さんのお顔が真っ赤に! これは一種の暴力では!?』」

 いや暴力ではないと思う。オモチャ扱いって感じ。

「『年下をたぶらかす年上の女みたいに、祐巳さんで遊んでる人は多そう。その筆頭に蓉子さま』、『あの蓉子さまの顔はドSだ。間違いない』『ある意味祐巳さんがおいしいと思う』、以上です」

 祐巳さんがおいしい?
 ……人間扱いされないでかわいがられるのがおいしい? 私なら御免だけど。
 いや、誰にもいじられないよりは、おいしいかもしれない。

「今更かも知れないけれど」

 さっきの怪訝な顔のまま、蓉子さまは言った。

「これ、結構当たっているところも多いわよね」

 別に意見を認める気はないけれど、と付け足し、蓉子さまは溜息をついた。
 そんな蓉子さまを、聖さまは横目で見る。

「と言うよりは、やっぱり起因が問題なんじゃないの?」
「起因?」
「意識調査、でしょ。真実憶測イメージ全てをひっくるめて意見を募った結果がこれ」

 ふむ……起因か。

「結論だけ言うと、蓉子の夢がどれほど遠く険しく叶えづらいものだったか形になった、ってところね」

 あーなるほど。山百合会の神聖視ってやつね。で、蓉子さまの夢は、開かれた山百合会だっけ?

「ま、冗談みたいな意見が寄せられるだけ、ずいぶん前進してると思うけど」

 確かに。先代たちが薔薇さまだった頃は、半分は冗談でもこんな冗談みたいなアンケートに答えてくれなかった可能性は大いにある。
 ――まあ、それは置いといて。
 なんとなーく空気が「このアンケートってやってよかった」という方向に向かっているけど、私は断じてやるべきじゃなかったと思う。こんなのやるべきじゃない。
 だから、言ってやったとも。

「早く終わらせて帰りませんか?」
「「異議なし」」

 多くの賛同を経て、何事もなかったように意識調査アンケートは進む。

「3位は藤堂志摩子さんです」
「はあ……え?」

 まだ祐巳さんの魅惑の肉体の余韻に浸っていた幸せそうな志摩子さんは、ふと我に返ったようだ。……くそー、私ももう一度堪能したかったなー。あとで頼んでみるかなー。
 それにしても、志摩子さんが入るなんて想定外だ。案外私かも、って思ってたのに。

「『単純な祐巳さんを意のままに操ってそう』、『その微笑みだけで祐巳さんは身を粉にして下っ端働きをする』、『笑顔で騙す。笑顔で騙される。そんなご主人様とバカな犬のような関係』、『乃梨子ちゃんに飽きた時は祐巳さんで楽しむ』……だそうです」
「…!」

 志摩子さん、影を背負ってズドーンと落ち込む。いつも白く淡いオーラが見えるような志摩子さんなのに、今は周りが妙に黒い。横で慌ててフォローしようとしている乃梨子ちゃんの方が輝いて見えるほどくすんでいる。

「…………」

 何気に祐巳さんもダメージ負ってるけどね。ほら、“単純”とか“バカな犬”とか言われてるから。

「「志摩子、黒っ! ははははははっ!」」

 ……それと、祐巳さんはペットかもしれないけど、先代たちは鬼だと思う。



「ついに最後の項目です。皆さんお疲れ様でした」

 ああ……ついに最後までやってきたか。今回も長かったな……
 この悪意満載の場所に居続けることが、どれだけの精神的苦痛とストレスになってるんだか……うーん……単位で言うなら、「令ちゃん21キック分」くらいかな? トゥーでね、トゥーで。
 まあとにかく、これで本当に終わりだ。
 今回は前回の清算として幕を開けたのだから、もう後日に引っ張ることなんてないだろう。
 鬼の先代たちと会うのもしばらくはいい。正直見飽きたくらいだしね……鬼っぷりを。

「「…………」」

 ……と言っても、ついさっきまで笑っていた先代たちも、今は怖いくらいにギラギラした目で私たちを睨みつけていた。
 最後の項目が、最後の項目らしく、

「第8項目『この人を姉妹にして後悔してそうな人は?』」

 ――ダメよね、これ。これ絶対ダメだよね。
 もう想像しなくても死の香りが漂ってきてるもん。これ絶対、誰かが死ぬことになるよ。
 ガシッと、祐巳さんが手を握ってきた。
 その手はもう、生命の危機に直面していることを察したのか、それとも本能なのか、ガタガタブルブルのレベルを超えて削岩機並の振動を起こしていた。
 ……任せろ、祐巳さん。
 前回は逃げたけど、今回こそは、私があなたを守るから。
 祐巳さん、たぶん、1位だから。
 今度こそは……!

「…あー……おほんおほんっ。んんっ、おほんげほん、げふん」

 非常にわざとらしい咳払いをし、真美さんはダラッダラ溢れ出したヤバめの量の冷や汗をハンカチで拭き拭き、震える手で死の香りのするアンケート用紙に目を通す。

「い、い、い、1位は……!」

 真美さんもかわいそうだな……こんな役押し付けられて。
 でも、今一番危険なのは、私だと思う。

「――姉に小笠原祥子さま、妹に福沢祐巳さん、後悔してそうな人は祐巳さんです!」

 ぞっとした。
 ちらっと見た瞬間、本気で魂まで凍っちゃうかと思ったよ……!
 今地球上で一番、祥子さまが危ない。
 今薔薇の館が、世界一の無法地帯だ。
 あの人、背中に悪魔憑けてるよ!

「どういった理由で?」

 冷たっ。声冷たっ。身も心も魂も未来までも冷え切っちゃいそうだっ。
 そんな祥子さまに見詰められている真美さんは顔面蒼白で、後ろから日出美ちゃんに支えられているような状態だ。正気を失わないだけすごいと思う。

「……『普通にかわいそうだから』、『祥子さまと一緒に居る時、祐巳さんが幸せそうに見えた試しがない』、『私が姉なら祐巳ちゃんを幸せにしてみせる!』、『日に日に痩せ細る祐巳さまを見ているだけで涙が止まりません』」

 ダッ!
 あ、また真美さんが逃げた! 日出美ちゃん連れて!
 いや、あの二人はいいだろう。逃げたって。ほとんど無関係に近いんだから。
 それより問題は私だ。

「祐巳さん逃げて!!」

 私は椅子を鳴らして立ち上がると、祥子さま目掛けてダイブした。
 恐怖に膝がガクガクしてうまく走れなかったから、身を投げるように頭から飛んだ。
 そう、死のダイブだ。

「「え!?」」

 祐巳さんと、祥子さまの声が綺麗に重なる。
 
「行け! 振り返るな! 私の屍を越えてゆけ!」

 「うお細っ、胸でかっ」なんてチラリと思いつつ、私は全身全霊で祥子さまと椅子の背を抱き締める。
 いくら悪魔が憑いてても本体は人間、ほんの数秒は私でも持ち堪えられるはずだ!

「よ、由乃さん……?」
「早く逃げろ! 私が祥子さまに殺される前に逃げて!」
「いや、あの、由乃さん……」
「私を無駄死にさせる気か!? 早く行け!」

 くっ、祐巳さん何をグズグズと……!
 焦る私の顔を、ガッと祥子さまの手が掴んだ。意外と温かかった。

「由乃ちゃん、何か勘違いしていない?」
「……え?」

 苦笑が混じったような祥子さまの声に、私は戸惑った。

「――どうせ殺すなら意見を書いた人でしょう? 祐巳を殺してどうするの?」

 ひっ。殺意が近いっ。……あ、でも、いやまったくその通りで。
 祥子さまはそのまま、こんな細腕のどこにここまでのパワーが……と思うような力で、身体にへばりつく私の顔を押してべりぃっと引っぺがした。

「…………」

 あ。
 至近距離で苦笑した祥子さまと目が合った瞬間、まさかのアイコンタクトを読み取ってしまった。

(これ以上祐巳と仲良くなったら……わかっているわね?)

 私の直感が正しければ、これで間違いない。
 そして振り返ったところで、その意味で正解であることを悟った。

「由乃さん……」

 うわ…!
 若干引いちゃうほどの親愛と友愛と……あとなんか色々なプラス感情が、私に向けられていた。
 祐巳さんから。
 ……今の私の捨て身アクションに、祐巳さんちょーかんげきー、ってやつ?
 あとなんか、他の人達の私を見る目が優しげだ。
 なんだ? なんなんだ?
 やめてくれ。
 そういうの慣れてないんだから! やめてくれ!
 ……いや、落ち着け私。
 死を覚悟していたけど幸運にも免れたわけだし、とりあえず今回の一番危険な部分は乗り越えたんじゃなかろうか。
 少なくとも、今回だけは逃げずに済むはずだ。

「――ただいまー」

 こっそり肩を撫で下ろしていると、聖さまがなぜかドアから入ってきた。
 両手に、逃げたはずの真美さんと日出美ちゃんを捕まえて。
 ……さすがはたらしの女子高生ハンター佐藤聖。私は祥子さまの抑えに必死だったから出て行くのにも気付かなかったけど、狙った獲物は逃がさない。

「ダメよ、今度は逃がさないんだから」
「懲りないわね」

 蓉子さま、江利子さまがそんなことを言い、仕事をやり遂げた聖さまとハイタッチ。……本当に嫌な三人だ。今後絶対揃えたくない三人だ。
 そして、本当に何事もなかったかのように発表は続く。

「2位は……姉に支倉令さま、妹に島津由乃さん、後悔してそうな人は令さまです」

 一番キツイところを乗り越えた真美さんは、なんの躊躇いもなくそれを口にした。
 まあ……たぶん入ってるとは、自分でも少しは思ってたけど。
 思ってた分だけ怒りも薄いけど。
 でも、なんでだろうね。
 令ちゃんがハラハラした顔で私と真美さんを交互に見てると、なんで怒りが増して行くんだろうね!

「『あの妹はつらい』、『友達としてはいいけど妹にするのはちょっと……』、『姉でも妹でも由乃さんと姉妹になると、リリアンの姉妹制度自体が嫌になると思う』、『リリアンの姉泣かせ、それが由乃さまの別名』、『令さまがかわいそう。でも令さま責められて嬉しそうだからお似合いと言えなくもない』、『令さまは従姉妹であり妹の責任を取ってほしい。責任を持って留年して由乃さんを野放しにしないでください』」

 …………野放しって何よ。私は野獣か。

「「ぶぁーーはっはっはっはっ!!」」

 先代の笑い声がまた腹立たしいものの、ここで怒ると更に笑われそうだ。
 耐えろ、耐えるのだ。
 どうせ何も知らない外野の数人が適当に言ってるだけ。そうよ、ただの悪口程度のものじゃない。それならさっきの一言悪口の方がよっぽどムカツいたじゃない。 
 …………
 少しは令ちゃんに優しくしよう。誰のためでもなく私のために。……とは思うものの、

「……」

 私の視線から逃れまくる令ちゃんを見ると、そんな気はすぐに失せる私の気持ちもわかってほしい。情けないというかなんというか。
 とりあえず、帰ったら蹴ろうっと。気が済むまで。
 先代たちの(腹の立つ)笑いも引き、ようやく本当にやっと最後に辿りついた。

「3位は――」

 これで終わり。これで最後。
 みんなも緊張の糸が緩んできているのがよくわかる。
 これで終わりだ。
 これで……

「姉に鳥居江利子さま、妹に支倉令さま、後悔してそうな人は令さまです」

 ……え? また令ちゃん?

「『妹の由乃ちゃんもアレだけど、かわいいからまだいい。でも江利子さまはかなりひどい』、『姉の役目を果たしてないと思う。いろんな意味で』、『おでこばかり光らせてないで令さまの面倒も見てください』、『江利子さまがつまらなそうな顔してる時、令さまは何をしていたんでしょうね』、『令さまという妹がいながら男なんて作って。不潔です』……だそうです」

 「おでこ」のところで志摩子さんが吹き出したけど、……けど、これは……
 もちろん、私も来てる。今必死で堪えてる。みんなも何かを我慢している。
 あの江利子さまに表立って悪口なんて言えなかったけど、私の心を代弁するかのように、真美さんが言ってくれた。
 ほら見てよ、江利子さまのショックを受けている顔……! 笑わずに居られるか、っての!
 だが、待て。
 笑う前に、この後1分満たない間に、未来に何が起こるのか。それを考えなくてはいけない。
 なぜなら、それこそ私が江利子さまに表立って悪口を言えない理由なのだから。
 答え――リリアンは年功序列です。

「「あっははははははは!!」」

 先代たちによる、三すくみまたは抗争が起こる。
 そして私たちは、それを止める術など一切持たず、また――

「祐巳さん」
「う、うん」

 私は祐巳さんの手を引き、こそっと荷物を持って立ち上がり、こそこそっとドアへと移動する。

「何笑ってるのよあなたたち!?」

 ――それに付き合う理由もないのだ。本当に。
 巻き込まれるのはこの辺まででいい。これまででもお釣りが出るほど十分だ。



 真美さんたちも含め、またしても全員が無言のまま同じ考えにいたり。
 笑う二人に文句を言う一人が共食いしている間に、今度こそ現役全員で脱出に成功。
 志摩子さんだけ先の「おでこ」で笑っていたが、乃梨子ちゃんがうまいこと連れ出した。
 まだ笑っているハンターの追手を振り切るように、皆無言のまま、ほとんど全力疾走で校門へと走る(真美さんたちはいつの間にか消えていた)。
 足が遅い私は、いつの間にか祐巳さんに手を引かれていた。
 そう、この庇い合う精神こそ、リリアンの美しい友情のあるべき姿である。



「あ」
「ん? どうしたの祥子? 帰らないの?」
「……ねえ、令。何か忘れていない?」
「…?」
「そう言えば何かを……乃梨子、何か憶えている?」
「もしや蔦子さまですか?」
「「あ」」

 ――もちろん、私たちは誰一人として、あの悪意渦巻く薔薇の館に戻ろうなんて思いもせず。
 乃梨子ちゃんが口にした、憶えていたことなんて、すっかり忘れていることにした。



 翌日から少しの間、蔦子さんが山百合会の面々と口を聞いてくれなかった。話し掛けても冷たい眼差しを返すだけだ。
 ……ああ、思えば。
 パンドラの箱のように見えたあの箱の底には、蔦子さんという希望が居たのかも知れない。――生贄とか犠牲者とか被害者とか、そういうものではない。絶対。
 あと令ちゃんが二日三日ほど、体調不良で休んだ。全身がやたら痛い、とのこと。「自分は支倉令である」ということを思い出していただけただけで、妹として満足だ。
 まるで見ていたかのような「先代たちも座る茶話会(お詫びの縮小版)」も無事記事として発行されて、ようやく悪夢は終わったことに安堵の溜息が漏れる。
 いつの間にか、前回の脱出組と脱出失敗組の垣根もなくなり、山百合会は今度こそ本当に平和を取り戻したのだった。
 あのアンケート結果についても、全員が言葉もなく胸の内に秘めておくことを決し、またそれが裏切られることなど絶対にないだろう。私たちが傷付けあう理由なんてないのだから。
 とにかく。
 山百合会は、今日も平和である。










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