【2539】 リリアン大騒動  (若杉奈留美 2008-02-06 19:05:47)


ある水曜日。
リリアン女学園の教卓には、上部に穴のあいた箱が鎮座していた。
それを目にしたひとりの生徒が、別の生徒とアイコンタクトをとる。

(ごきげんよう)
(ごきげんよう)
(そうか。今日はアレの日ね)
(ええ。アレの日よ)
(先日はお気の毒だったわね)
(今日こそ負けませんから)
(こちらこそ)

わずか0.5秒ほどの間に100万ボルト以上の火花を散らしながら静かな会話を終えると、
表面的には何事もなかったかのように席に着き、授業の準備を始めていた。

しばらくして他の生徒たちも一見ごくふつうに登校してくるが、天使のような表情の裏では、名誉と地位に飢えた悪魔が顔をのぞかせていた。

「ごきげんよう。今日のホームルーム、楽しみね」
「ホームルーム?本当のお楽しみはそのあとでしょう?」
「参ったわね。あなたもなかなかワルじゃないの」
「さあ、どうかしら」
「「うふふふふふ」」

およそさわやかとは程遠い会話が、あちこちの教室で飛び交うのだった。


そして6限目、ホームルームの時間がやってきた。

「はい、皆さん注目してくださ〜い」

クラス委員が全員に呼びかけた。

「皆さんもうご存じかと思いますが、明日は紅薔薇のつぼみの妹、1年桃組の大願寺美咲さんへの差し入れ許可日です。
今からお配りする紙に皆さんの出席番号を書いてこの箱に入れてください。
この中から10枚選んで番号を読み上げますので、読み上げられた方は放課後に2年桜組の紅薔薇のつぼみのところに行って差し入れボックスと交換していただいてください」

そう、毎週木曜日は選ばれし一般生徒が紅薔薇のつぼみの妹に堂々と差し入れできる「差し入れデー」なのだ。
なぜこんな日が制定されたか。
それには深いのか浅いのか、よくわからない理由があった…。


ことの発端は、だいぶ前のとある昼休みにある。

「なんなの、この行列は」

別の用事で薔薇の館を訪れた新聞部部長、神崎沙織がまゆをひそめたその先には、お弁当箱を持った生徒たちがズラリと並んでいる。
ご丁寧にも最後尾を示す札まで持った生徒がいる。

「紅薔薇のつぼみの妹への差し入れ最後尾はこちらで〜す!」

(なんかまるでどこかのイベントみたいじゃないの…)

どうも様子がおかしいと思った沙織。
さっそく最後尾札を持っていた生徒にインタビューを試みた。

「すみません、新聞部ですけれど。紅薔薇のつぼみの妹に差し入れですか?」
「はい、皆さん全員美咲さんのファンでして、美咲さんに少しでもたくさん食べていただこうと必死みたいですよ」

(これはスクープ!)

さっそく暴走記者魂に火がついた沙織。
次のかわら版にはこんな文字が踊ることとなった。

『紅薔薇のつぼみの妹、差し入れ天国!』

大きな見出しの下には、差し入れのお弁当をガツガツ食べる美咲の写真がドンと真中に載っている。
本文もセンセーショナルなもので、これを読んだちあきは激怒した。

「あなたは仮にも将来の紅薔薇さまでしょう!無制限に食べてばかりじゃ体に悪いわよ!」
「…すいません」
「別に差し入れを受けるなとは言わないからさぁ、多少減らしたら?
いくら美咲でも、人の胃袋ってそんなブラックホールなわけないんだから」
「あら智子、珍しくまともな事言ってるわね」
「珍しくはよけいです、お姉さま」

紅薔薇家のやりとりを黙って聞いていた黄薔薇さまはある提案をした。

「それならさ、曜日と人数、こっちで決めたら?」
「「「それいいっ!」」」

賛同するメンバーたちに、ひとり涼子だけが渋い顔をした。

「別に制限する必要ないじゃないですか」

その表情から何かを読み取った純子は言った。

「涼子、おうちの人のごはんは自分で作りなさいね?」

涼子は耳まで赤くして反論した。

「なっ…何言ってるんですか、俺が人のおこぼれにあずかろうなんて、
ましてやそれでガキどもにタダ飯食わそうなんて、んなこと思ってませんって!」
「思ってるじゃん」

理沙に突っ込まれてあっさり撃沈。

「言い訳が下手な人はおいといて…細かいところを詰めましょうか」
「賛成!」

それで今回のシステムが実現したわけである。
ところが…鉄壁に思えたこのシステムも、思わぬところから崩れることになる。


〜そのころ、瀬戸山家では〜

「…減らせっていってもあの子のことだ、きっと断れなくて全部食べちゃうに違いない…それに美咲だけ差し入れOKってのもなんだかなぁ…」

相も変わらず足の踏み場もない部屋で、智子が考えを巡らせる。
ややあって、突然立ち上がった。

「そうだ!お酒を持ってこさせればいいんだ」

さっそく智子は計画書を書き始めた。


その週の土曜日。

「皆さん、山百合会に近づくチャンスがまた増えました!
今度は紅薔薇のつぼみにお酒を差し入れする権利があたるくじ引き開始です!
美咲さんにお弁当を差し入れできなかった人、薔薇の館に行ってみたい人、
くじを当ててぜひ薔薇の館へ!
詳しくはクラス委員、もしくは2年桜組、瀬戸山智子まで!」

ビラや放送を駆使して宣伝した結果、次の月曜日から智子にも差し入れがくるようになった。

「智子さま、シャトー・マルゴーの当たり年のワインです!よろしければどうぞ」
「沖縄から特別に取り寄せた10年ものの古酒泡盛です!」
「地元でもめったに出回らない幻のお酒です!美咲さんの差し入れにピッタリだと思いますよ」

美咲のときと違い、智子は曜日を限定しなかったため、毎日のように生徒たちが押し掛けて仕事にならない。
しかも真里菜が生徒たちを片っ端からナンパしまくり、純子の気苦労が絶えない。

「ねぇ、今度は2人で食事にいかない?うちの最高級イタリアワインをごちそうするよ」
「君の携帯の番号教えてくれるかな?」
「今度デートしようよ」

ここに至って、ついに世話薔薇総統は爆発した。

「いい加減にしなさ〜い!」

これ以後ビスケット扉には、ある張り紙がされるようになった。

「紅薔薇のつぼみとその妹にエサをやらないでください」

おあとがよろしいようで。


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