【271】 翼をください  (いぬいぬ 2005-07-28 01:07:56)


今 私の願い事が 叶うならば

  翼が欲しい


「本当?!令ちゃん」
「うん。次の日曜に隣町の競技場で、サッカーの日本代表と高校生選抜の交流試合があるんだって」
「うわぁ・・・見たいなぁ」
「行ってみる?」
「ホントに?!・・・あ、でも、令ちゃん部活があるんじゃないの?」
「大丈夫。その日は無いから」
「それなら行く!」
「じゃあ、朝9時に迎えに来るから、一緒に行こう」
「うん!」


今年、令は中等部へと進学した。
入学からまもなく、令は剣道部へ入部した。同年代の少女ばかりという、いわばライバルには事欠かない環境の中で、厳しくも充実した毎日を送っていた。
しかし、それは由乃と離れている時間が増えるという事でもあった。
由乃は、生まれつき心臓に持病を抱えている。そのため、通院を繰り返し、授業も休みがちになってしまう。リリアンの初等部に、それを理由に由乃を除け者にするような子供はいなかったが、どうしても、腫れ物に触るような態度で接してしまう事になる。そして、由乃自身も、その事を敏感に感じ取っていた。
そして令はある日、一人ぼっちで下校する由乃を見てしまった。うつむきながら歩く、寂しそうな由乃を。その時令は、自分が由乃を置き去りにしてしまったような錯覚に囚われたのだった。
その日から令は、できるだけ由乃と一緒にいる時間をとるようになった。
しかし、そこは飽きっぽい子供のこと、二人の会話も徐々にマンネリ気味となり、由乃も暇を持て余すようになるのに、それほど時間は掛からなかった。
そんな訳で今日、サッカーの交流試合の話を聞いた令は、家に着くなり真っ先に由乃に報せたのである。
「令ちゃん、麦茶持ってこうね」
「お砂糖入れる?」
「・・・入れない。もう、子供じゃないもん!」
くるくると変わる由乃の表情が、予想以上に嬉しそうだったので、令もつられて微笑んでいた。
(日曜日、晴れると良いな)
暮れてゆく空を見上げ、令はマリア様に祈った。



「令ちゃん!早く早く!」
「そんなに慌てなくても、まだ時間に余裕あるってば」
「もう!良い席無くなってたら、令ちゃんのせいだからね!」
子猫のように落ち着きの無い由乃の様子に、令は思わず微笑んだ。
「よし!じゃあ行こうか」
靴を履き終えた令が立ち上がると、由乃はもう待ちきれないとばかりに、令の前を歩き出す。令は財布を開き、バスの運賃に使う小銭があるか確認してみる。
ふと、由乃が立ち止まる。
「どうしたの?何か忘れ物?」
由乃は答えない。
「由乃?」
そして、その場にうずくまってしまった。
「由乃!!」
由乃は心臓のあたりを押さえて、激しい痛みに耐えていた。
「うっ・・・・・・くはっ・・・」
令は由乃を抱き抱え、急いで家の中へと運び込んだ。
結局その日は、競技場ではなく、由乃のかかりつけの病院へ、検査を受けに行く事になった。


病院の待合室で、由乃は一人ぼっちで窓の外に広がる空を見ていた。令も一度家に帰ってしまったらしい。お母さんは、診察室で先生の説明を受けている。
真っ白な待合室から空を眺め、由乃は世界に自分しかいないような錯覚を覚える。
(まるで、白いカゴの中にいるみたい)
晴れ渡る空が、今は無性に悲しかった。
(一生、このカゴの中からは出られないのかなぁ)
空は目の前に見えるのに、決して手が届かないような気がして、広い空が無性に悲しかった。
その時ふと、最近初等部で習ったばかりの歌を思い出した。

今 私の願い事が 叶うならば 翼が欲しい

(翼があれば、ここから飛び出せるかな)

この背中に 鳥のように白い翼 付けて下さい

(でもきっと、羽ばたいてる途中で、また発作を起こして落ちちゃうんだわ)

由乃は今、世界に絶望しようとしていた。
(このまま、見たい物も見れず、行きたい所にも行けずに、死んじゃうのかなぁ)
12歳の少女にとって、心臓発作が見せる明確な“死”のイメージは、あまりにも重過ぎるのだ。
(・・・死にたくないなぁ)
「由乃」
「・・・令ちゃん。どうしたの?息を切らせて」
突然現れた令の額には、うっすらと汗がにじんでいた。それに、呼吸も荒い。
「行こう」
「行こうって・・・何処へ?」
「競技場」
令は、サッカーの交流試合を見に行こうと誘っているらしい。普段なら、決して由乃の体に無理な事はさせない令の、らしくない行動に、由乃は戸惑っていた。
「今、叔母様は先生のお話しを聞いてるでしょ?アレに乗って行けば、追いかけてこられる前に、競技場にたどり着くよ」
令の指差す先には、一台の自転車が停まっていた。どうやら、あれを漕いできたので、息が切れているらしい。
「このままここで待っていたら、叔母様とタクシーに乗って家に帰って終わりだよ?由乃はそれで良いの?」
「令ちゃん・・・・・・本当に行って良いの?」
そう問われて、令はさっき診察室で見た由乃の姿を思い出していた。

白いカゴのような診察室の中で、由乃が一人で座っている。その姿はまるで、病院と言う檻に囚われているようで、令は、どうしようもない程の悲しみが込み上げてくるのを自覚していた。
(悲しいのは、あの中にいる由乃なのに・・・なんで私までこんな気持ちになるんだろう?)
由乃を見つめる令の姿が、診察室の窓ガラスに映っていた。
(ああ、そうか)
その顔は、診察室にいる由乃と同じように、絶望に囚われていた。
(私も悲しかったんだ。由乃と一緒に行けなかった事が)
自分の気持ちに気付いた令は、迷わず走り出した。由乃のために、そして自分のために。

診察室で気付いた気持ちを、もう一度思い出し、令は微笑みながら由乃に手を差し伸べた。
「行こう」
由乃は、おずおずと令の手を握った。


「たぶん15分くらいで着くと思う。急ぐから、しっかりつかまっててね」
「うん」
令はまだ呼吸が整っていなかったが、かまわず全力で自転車を漕ぎ始めた。
自転車が走り出すと、心地良い風が、由乃の顔を撫でて行く。
(少し冷たいけど気持ち良いな)
由乃が前を向き、令の事を見てみると、令の髪がふわふわと風になびいていた。
(ふふっ。まるで小さな翼みたい)
そしてまた、由乃はあの歌を思い出す。今度はさっきまでと違い、由乃の中にいきいきとあの歌が響いた。

この大空に 翼をひろげ

(令ちゃん。大好きな令ちゃん)

飛んで行きたいよ

(少しだけ、その翼を貸してね?)

悲しみの無い 自由な空へ

(いつか自分の翼で飛んでみせるから・・・それまでは・・・)

翼はためかせ

(一緒に居てね?)

行きたい



由乃は、令の背中にそっと頬をよせた。












「由乃、待ってってば」
「もう!ついて来ないでよ!」
「でも・・・」
「一人で大丈夫だったら!まったく、早退の許可まで取るなんて・・・」
令は、病院に検査に行く由乃の事が心配で仕方ないらしく、早退してまでついて行くと言い出したのだ。
由乃は逆に、そんな令が心配になる。由乃のためならば、どこまでも無理をしてしまいそうな令が。
(やっぱり、このままじゃ駄目なんだわ)
最近、由乃の頭の中では、ある歌が良く繰り返される。令と初めて二人っきりでサッカーを見に行った時に、心の中で響いていたあの歌が。

今 富とか名誉ならば

(このままじゃ、二人とも良くない方向に進みそうな気がする・・・)

いらないけど 翼が欲しい

(私は私の、令ちゃんは令ちゃんの翼で飛ばないといけないんだ)

子供の頃 夢見たこと

(だから令ちゃん)

今も同じ 夢見ている

(翼を返すわ。オマケ付きでね)



この大空に 翼を広げ 

飛んで行きたいよ

悲しみの無い 自由な空へ

翼はためかせ

行きたい






そして由乃は革命を起こし、自らの翼を手に入れた。


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