【3176】 祐巳の日記  (bqex 2010-05-25 15:41:22)


『マリア様の野球娘。』(『マリア様がみてる』×『大正野球娘。』のクロスオーバー)
【No:3146】【No:3173】【これ】【No:3182】【No:3195】【No:3200】【No:3211】
(試合開始)【No:3219】【No:3224】【No:3230】【No:3235】(【No:3236】)【No:3240】【No:3242】【No:3254】(完結)

【ここまでのあらすじ】
 平成のリリアン女学園に通う福沢祐巳はありさに連れられ時空を越え、大正時代の東邦星華女学院の桜花会の面々とともに野球をすることになった。
 そんなこととは知らない祐巳の周囲は誘拐かと勘違いして小笠原祥子を巻き込んで大騒ぎになっていた。



 平成。
 祥子は家の車で登校した。普段は電車とバスを利用して通学しているが、祐巳が行方不明になり、脅迫状のようなものが届いている以上、断ることが出来なかった。
 背の高い門をくぐり、銀杏並木を歩いていくとマリア像前についた。マリア像に向かって手を合わせて祥子は祈った。

 祐巳が無事でありますように。
 祐巳が帰ってきますように。

 いつもより長く祈りを捧げ、昇降口で上履きに履き替えるとそのまま教室には向かわず薔薇の館に向かった。

 薔薇の館。
 そこはリリアン女学園高等部の生徒会──山百合会というが──の本部で、中庭の片隅にある小さな建物である。
 山百合会の正式な役員は三人。生徒会長と会計と書記とその他を併せたようなもので、称号で呼ばれる。

 紅薔薇さま(ロサ・キネンシス)
 黄薔薇さま(ロサ・フェティダ)
 白薔薇さま(ロサ・ギガンティア)

 祥子は紅薔薇さまと呼ばれる生徒会長の一人であった。
 三人の役員をサポートするのはその妹たち。彼女たちにも姉の称号を含んだ称号が与えられていた。

 紅薔薇のつぼみ(ロサ・キネンシス・アン・ブゥトン)
 黄薔薇のつぼみ(ロサ・フェティダ・アン・ブゥトン)
 白薔薇のつぼみ(ロサ・ギガンティア・アン・ブゥトン)

 祐巳は紅薔薇のつぼみと呼ばれている。
 山百合会の幹部たちは一般の生徒たちにとっては尊敬と憧れの対象であり、学園のスターのような存在であったが、同時に才色兼備の集団となり、いつしか近寄り難い存在でもあった。
 しかし、自分を平均的な庶民と称する祐巳は庶民派のアイドルとしてぐっと山百合会を身近な存在にしていた。
 そんな祐巳が行方不明になってしまった。
 薔薇の館の扉を開け、古びた階段を上ってビスケットのような扉を開いた。

「ごきげんよう」

 祥子が到着した時には他の四人はすでに来ていて、祥子を待っていた。
 四人が何か言う前に祥子は言った。

「きちんと説明するから。コートぐらい脱がせて」 

 コートを脱ぎ、カバンを置いて席につく。

「昨日から電話などでなんとなく何かが起こっていることを感じているでしょうし、今日の全校集会で説明があると思うけれど、皆には先に言っておくわ」

 祥子は一呼吸置いた。

「祐巳が行方不明になっていて……どうやら誘拐されたようなの」

「えっ」

 全員が驚いていた。

「誘拐って……」

 黄薔薇さまの支倉令がようやくそう言った。

「昨日、祐巳の家と学校、それに私の家に手紙が来たのよ。『福沢祐巳さんは預かっています。騒がないでください。すぐにお返しします』って」

「そんな……」

 黄薔薇のつぼみで祐巳のクラスメイトの島津由乃ちゃんはそれきり言葉を失ってしまった。

「ところが、それきり犯人からの連絡が途絶えてしまって。それで祐巳のご両親と学校側と私の父が警察と話し合った結果、公開捜査ということになって、今日の全校集会で発表することになったのよ」

 全員が苦しそうに息をした。

「……不可解ですね」

 少しの沈黙の後、白薔薇のつぼみの二条乃梨子ちゃんがそう呟いた。
 乃梨子ちゃんは一年生だったが、高校受験でリリアンに首席で入学したしっかり者で、祥子たちのように幼稚舎からリリアンに通うものとは違う視点で物事を見ることが出来た。

「何が不可解なのかしら?」

「あ、いや……」

 隣にいる白薔薇さまで祐巳と同じ学年の藤堂志摩子を見て乃梨子ちゃんは言ってもいいのかどうか迷っていたようだったが、祥子が促すと、「個人的な感想ですが」と前置きしていった。

「いろいろありますが、まず一つ。今どき、手紙が来たんですか?」

「ええ」

「仮に私が犯人だったら、あくまで例えですが、私が犯人だったら、筆跡などで証拠が残る手紙なんかだしません。プリペイド携帯か偽名で契約した携帯で証拠が残らないように連絡を取ります」

 それは、よく報道されている犯罪者の手口の一つだった。

「それから、三か所に手紙というのも不自然です。身代金目的なら一か所に絞って素早くコトを済ませます」

「たしかに、推理小説の犯人のセオリーよね」

 由乃ちゃんが頷く。

「動機が恨みからなら、恨みごとの一つも書くでしょう。でも、それらしいことは書いてません」

「いえてる」

 令も頷く。

「それから……祐巳さまが可愛くていかがわしいことをという目論見であれば第三者からの手紙ではなく、本人からのものを装うか、本人に書かせます。お互いに合意の上で思いを遂げたのであれば罪にはなりませんし」

「乃梨子」

「あ」

 志摩子が乃梨子ちゃんを注意したのは、祥子の顔色が悪くなったからであろう。婉曲な表現を使っても、男嫌いの祥子にとっては酷な話であった。

「し、失礼しました」

「いいのよ。昨日も同じような話が出たから」

 そういう話になった途端ダウンした祥子は今朝、父親からいろいろと説明を受けたのだったが、その辺の経緯はこの際どうでもいいことにする。

「そうですか」

「それで?」

「とにかく。何をどう意図しているのかさっぱりわからないものを送りつけて、連絡を絶ってしまっただなんて。本当に誘拐なんでしょうか?」

 乃梨子ちゃんがうかがうように聞いてくる。

「昨日もそういう話になって、祐巳が自分の意志で失踪した可能性やイタズラである可能性について考えてみたわ。でも、祐巳には失踪する動機はないし、ましてやこんな悪質なイタズラをするような子ではないでしょう」

 全員が頷く。
 それに祥子との遊園地デートを楽しみにしていた祐巳のことは全員が知っていた。

「誘拐とか、失踪とかいろいろ言っているけど、祥子はどう思ってるの?」

 令が聞く。

「……失踪でないのであれば、誘拐になるのかしらね。ただ、誘拐にしても何が目的で祐巳を連れ去ったのか……」

 そう言うと祥子は黙った。
 ずっとそのことを考えて、堂々巡りになっていたのだ。

「……そろそろ教室に行きましょう。朝拝の時間になります」

 志摩子の言葉で五人は薔薇の館を後にした。


 全校集会で祐巳が行方不明になっていることが説明されると、予想された事だったが、多くの生徒たちが動揺した。
 先生たちがなだめ、今後の対応について説明する。
 全校集会が終わると予定通り二学期末のテストになり、放課後は祐巳の無事を祈るミサが開かれた。
 高等部のほぼすべての生徒が参加し、祐巳の無事を祈った。
 その帰り道。

「祥子さま」

 呼び止める声に振り向くと、そこには祥子の遠縁の親戚で、乃梨子ちゃんのクラスメイトでもある松平瞳子ちゃんが深刻な表情で立っていた。

「あのっ」

 瞳子ちゃんはそう言うと複雑な表情になる。

「祐巳の事?」

 しばらく考えるようにしてから、瞳子ちゃんは言った。

「祥子さまは、時間が遡ればいいとか、実際に遡るとかを考えたことがおありですか?」

「……今となっては結果論でしかないし、あくまで仮定の話だけれど、もし、私がその瞬間に戻れるのであれば、どんな手段を使ってでも祐巳がいなくなることだけは阻止したわ」

「時間を遡ることは出来ないというお考えですか?」

 ピントが外れたことを瞳子ちゃんが聞き返す。

「ええ。そんな事は誰にも出来ない事よ。もし、目の前にそんな人がいたら、絶対にその瞬間に連れて行ってもらうわね」

「……変なことを聞いて申し訳ありませんでした。忘れてください。ごきげんよう」

 瞳子ちゃんは走り去った。
 この時点の祥子には情報が何もなかった。
 だから、瞳子ちゃんが『遡る』といった時間が『どの時点』を指してのことかには気づかないのは当たり前である。
 小笠原家の車に乗って帰宅する間も、瞳子ちゃんとの不自然なやり取りではなく、祐巳のことを考えていた。

「ただ今帰りました」

「おかえりなさい、祥子さん」

 母が出迎えてくれた。挨拶して自室に戻ろうとすると、お待ちなさい、と呼び止められた。

「これ」

 母が差し出したのは生徒手帳だった。

「蔵の中に落ちてたのよ」

「ありがとうございます」

 受け取って部屋に戻るとコートを脱いだ。
 そして、胸ポケットに先程の生徒手帳を指し込もうとして、ようやく気付いた。
 祥子の生徒手帳はずっと胸ポケットに入っていたのだ。

(……どうかしているわ)

 ずっと入っている生徒手帳に気づかないなんて、とため息をつく。

(じゃあ、これは?)

 表紙をめくると身分証明証が入っていた。

『二年松組 福沢祐巳』

「えっ」

 行方不明になっているはずの祐巳の生徒手帳!?

「お母さま」

 祥子は母のところへ急ぐ。
 母は一般家庭でいうところのリビングにあたる部屋にいた。

「まあ、どうしたの、祥子さん。着替えもしないで駆け込んできて」

「これ、どこにあったんですかっ」

 祐巳の生徒手帳を手に祥子は聞いた。

「蔵よ。クリスマスツリーの飾りをとろうとしたときに落ちていたの」

「鍵は?」

「今日はいろいろと出したりしまったりしているから開いているけれど──あっ、祥子さん!?」

 話の途中だったが、祥子は蔵に向かって走り出した。
 敷地の隅にある蔵は母が言っていた通り鍵が開いていた。
 扉を開け、薄暗い中に入る。

「祐巳」

 祥子はそっと呼びかけた。

「祐巳、隠れているの?」

 蔵の中から返事はない。

「祐巳、いるなら出てきなさい」

 祥子は蔵の奥に入っていく。

「祐巳、返事をして」

 蔵の中を歩き回るが、人の気配はない。
 長持ちの陰、棚の裏、行李の中まで見るが、誰もいなかった。
 上の方に続く梯子があった。

「祐巳」

 上の方に向かって一度呼びかけると、祥子は梯子を登りだした。
 高いところは得意ではなく、むしろ苦手な方だったが、いかなくてはならなかった。

「祐巳、どこにいるの?」

 梯子を登り切り、辺りを見回すが、人の気配はない。

「祐巳、お願い、でてきて!」

 上の方もくまなく探す。

「祐巳……祐巳……」

 その時、下の方で人の気配があった。

「祐巳?」

 慌てて梯子を降りると、懐中電灯を持った母が立っていた。

「どうしたの、祥子さん? 急に走ってきたかと思ったら、今度は蔵の中に飛び込んだりして。ああ、埃だらけになってしまってるわ」

 母が祥子の髪についた綿ぼこりを取ろうとした時、祥子は母にすがって聞いた。

「祐巳はっ! 祐巳をどこに隠したんですかっ!」

「祥子さん……」

 母の目が同情を含んで見つめてくる。
 理解した祥子はその場に崩れ落ちた。
 祐巳はここにはいないのだ。


 それから、随分と時間が流れたように感じるが、同じ日付の出来事である。
 少し落ち着いて、祥子は部屋に戻って、ぼんやりと祐巳の生徒手帳を持って食事もとらずにソファに座っていた。
 もう一度、生徒手帳を開く。

『二年松組 福沢祐巳』

 やはり、祐巳のものらしい。
 続いてページをめくる。
 お約束の校則などが載っているページに続いてメモ用のページが出てくる。
 山百合会の仕事だけではなく、プライベートの予定までが祐巳の字で書かれていた。
 シャープペンで書かれたその文字を愛おしいというように指でなぞる。
 祥子の都合で何度か中止になった春の予定、夏休みに行った小笠原家の別荘のハウスナンバー、花寺学院に向かうための乗継バスの時刻表、学園祭のスケジュール、茶話会の詳細、行方不明になった日に決める予定だった遊園地デートのためらしい日付と時間のメモ……。
 祐巳の記録がそこにはあった。
 そして、その隣には必ず自分の姿があった。
 なのに、なぜ今はいないのだ。
 次のページをめくると、祥子は固まった。

『8/1土
今日は大変なことになった。
お姉さまのピンチと言われて
こんなところに来てしまった。
しかも一週間って言っていたのに
聞けば試合は9日だって。
ひどいよ。
お姉さま、心配なさってるだろうな。
お姉さま、必ずお助けします』

 この文章で祐巳が自分の危機と聞かされて連れ出されたということは分かった。
 しかし、試合? 一体何のことだろうか。
 しかも日付は夏。
 この頃は学園祭の準備で学校に来ていたハズだ。
 祥子は理解できなかったが、続きを読む。

『8/2日
現在桜花会は合宿中ということで
今日から毎日トレーニングだって。
制服姿で某養成ギプスみたいなのを
つけて人力車を引くの辛いんだけど
みんなは平気みたい。
大正時代ってこうなのかな?
お姉さま、無事でいてください』

 人力車? 大正時代?
 何か辛い目にあわされているようだ。
 今すぐ駆け付けて助けたいが、それがどこなのかはわからない。

『8/3月
鏡子さんの手が早く治りそう。
本当に良かった。
でも、フル出場は厳しいから、
乃枝さんと途中交代になるみたい。
私も頑張ろう。
お姉さま、待っていてください』

 人の名前が出てきたが、誰なのか。
 この人達が祐巳を連れ去ったのか。
 一体祐巳に何をさせる気なのか。

『8/4火
今日はちょっと落ち込んだ。
みんな14歳だって。私は17歳なのに。
お嬢なんて私より大人びて綺麗だし。
スタイルだっていいし。
お嬢の事見ていたらお姉さまに
会いたくなってきた。
あと5日で帰ります、お姉さま』

 そういえば、と日付を読み返す。
 これが日記だとすると、4日前は祐巳は行方不明にはなっていない。
 なのに、なぜ。
 まだ『日記』は続く。

『8/5水
疲れがピークに来てるのか
授業中に眠ってしまって、
アンナ先生にお仕置きされた。
恥ずかしかった。反省。
ああ、まだ眠いよう。
おやすみなさい、お姉さま』

 授業中に眠ってしまったのであれば多少のペナルティはありかもしれないが。
 辛いなら、もうやめてもいいと言ってあげたいのに。

『8/6木
昨日は早く寝たので今朝はスッキリ。
乃枝さんの目覚めがエスカレートして
ちょっと怖い。
守備練習で静さんとの連携に
失敗してしまったので
なんとかせなあかんな。
って、何故に関西弁?
お姉さまがいたら突っ込まれるよ。
明日も頑張ります、お姉さま』

 静さん、祥子の知っている静さんもいるにはいるが、どうなのか。

『8/7金
今日はアンナ先生にバーベキューを
ご馳走になった。美味しかった。
静さんとはまだうまくいってない。
明日は休みなので静さんと
ちゃんと話そうと思う。
明後日の試合が終わったら帰ります、
お姉さま』

 祐巳は何かの試合のためにそこに留まって、トレーニングをしているようだったが、ここまで読んでも何の試合なのかがわからない。

『8/8土
今日は長い一日だった。
乃枝さんがデートに行ったり、
雪さんがお母さまに誘拐されたり、
いろいろあったけど、
いよいよ明日だ。
静さんとも話をしたし、後は明日。
お姉さまのためにも頑張ります』

 誘拐の文字に一瞬ドキリとするが、お母さま相手では誘拐ではない。
 この次の日がいよいよ試合である。

『8/9日
どうしよう。負けてしまった。
お嬢は大丈夫っていうけど、
ありささんは来なかった。
負けたせいで、お姉さまが生まれて
こなくなってしまったらどうしよう』

 祥子が生まれてこなくなる?
 どういう意味なのか。
 ページ数が残り少ない。
 次は8/10月だが、その日にちはなく、8/11火になっていた。

『8/11火
ずっと私は大正時代に取り残されて
生きていかなくてはいけないのか。
どんな状況でお姉さまと巡り合っても
お姉さまはたぶんわかってくれる。
でも、頑張って大正、昭和、平成と
いろんなことを乗り越えて
お婆ちゃんになって
お姉さまと再会できても
心を通わせることが出来るのだろうか。
妹とは呼んでくれないかもしれない。
お姉さま。お姉さま。
瞳子ちゃんは無事に帰っただろうか。
それも心配だ』

 何かが祐巳の身に起こった。
 祐巳が助けを求めている。
 助けに行きたいが、祐巳は一体どこにいるのか。
 身を切られるような思いで読み進むと最後に瞳子ちゃんという名前が出てきた。
 あの瞳子ちゃんなのか、と思った時に祥子はようやく学校でのかみ合わない会話を思い出した。

『祥子さまは、時間が遡ればいいとか、実際に遡るとかを考えたことがおありですか?』

『時間を遡ることは出来ないというお考えですか?』

 瞳子ちゃんは何かを知っているのではないか。
 祥子は電話をかけようとして、やめた。
 夜中の一時を回っていたのだ。
 さすがにこの時間に電話をかけるわけにはいかない。
 祥子は急いで寝支度をすると目覚まし時計を早めにセットした。


 翌朝、リリアン女学園の正門前に祥子は立っていた。
 多くの生徒が祥子に挨拶して通り過ぎる中、瞳子ちゃんの姿が見えた。
 祥子は瞳子ちゃんの手を取った。

「ごきげんよう、瞳子ちゃん。ちょっと付き合ってもらえるかしら」

 有無を言わせず祥子は瞳子ちゃんを引っ張って、マリア像の前をスルーして、薔薇の館の裏にまで来た。

「あ、あの……」

 戸惑う瞳子ちゃんをよそに、祥子は祐巳の生徒手帳を取り出した。

「これ、祐巳の生徒手帳なの。ここに、祐巳の日記が書いてあって、瞳子ちゃんの名前が出てきたわ」

「え……」

 瞳子ちゃんが固まる。

「昨日『時間を遡る』なんて話をしていて、その時はわからなかったけれど、これを読んでようやくわかったわ。祐巳は時代を越えて大正時代にいってしまったのでしょう?」

 真っ青な顔で瞳子ちゃんが祥子を凝視する。

「お願い。どんなことでもいいから、教えて」

「ごめんなさいっ!」

 瞳子ちゃんは頭を下げた。

「祐巳さまは、私のせいで、私のせいでっ。私のせいでっ!」

「落ち着いて、瞳子ちゃん」

 激しく自分を責める瞳子ちゃんを祥子はなだめる。

「自分を責めないで。とにかく事実を──」

 予鈴が鳴った。
 間もなく朝拝が始まる。
 我に返ったように校舎に向かって駆けて行こうとする瞳子ちゃんの手を掴んで、祥子は言った。

「どんなことをしてでも私は祐巳を取り戻してみせる。やっとつかんだ手がかりをそう簡単には離さないわ」

「さ、祥子さま」

 普段とは違う祥子の態度に瞳子ちゃんは狼狽している。

「先生には私から説明するわ。だから」

「わ、わかりました。わかりましたからっ」

 祥子が手を離すと、ようやく瞳子ちゃんが話し始めた。

「私、実は一昨日、祐巳さまが消えるのを見てしまったんです」

「消える?」

「はい。マリア像の前で、祐巳さまがたぶん上級生だと思うのですが一人の生徒と話していたと思ったら、急にその上級生に手を掴まれて、手品のように消えてしまいました。驚いて、辺りを探して見ると、その上級生らしい生徒が着物に袴姿でマリア様の後ろあたりにいて、どういう事か聞こうとして、肩に手をかけたら、眩暈がして、気がついたら、その……あの、嘘じゃないんですけど」

 瞳子ちゃんは躊躇うように祥子を見る。

「信じてないなんて一言も言ってないわ。続けて」

 祥子が促すと、瞳子ちゃんは意を決したかのように言った。

「私、大正時代にいたんです。そして、そこで祐巳さまに会いました」

 祥子は日記の内容を思い出す。

「祐巳さまは大正時代にきて10日目と言ってました。ありささまは祐巳さまを平成に戻すために来たのを私に見つかってしまい、私はありささまの体に触れたため巻き込まれたのだ言ってました。そして、三人で平成に戻ろうとして」

 一瞬、瞳子ちゃんの顔が険しくなる。

「そこで、はね返されてしまったんです」

「はね返された?」

「はい。ありささまは四、五人と行き来したことがあるので支障はないはずだって、何度かチャレンジしたんです。でも、駄目で、祐巳さまの提案で一人ずつ戻ることにしようって……それで……私だけが戻されてきたんです」

 悔しいとも無念ともとれるような表情で瞳子ちゃんが言う。

「あれ以来、ありささまも祐巳さまも見ていません。もし、私があの時ありささまに触れなければ──」

「そんなことがあったなんて」

 8/10の空白の一日。
 瞳子ちゃんの言ったことを正しいと考えると日記とのつじつまが合う。
 しかし──

「私、いまだに信じられません。時間を遡ることが出来るだなんて事。でも、祐巳さまはいなくて、もう、どうしていいのか──」

 祥子は言った。

「瞳子ちゃん、まずはそのありさという人物を探しましょう。もちろん協力してもらうわよ」

 瞳子ちゃんは小さく頷いた。

「では、ありささんの──」

「君たち、こんなところで何をやってるんだ?」

 不意に声がして、振り向くと教師が怖い顔をして立っていた。
 時間になっても現れない二人を心配して探しにきたらしい。

「申し訳ありません。私の勝手で彼女をつきあわせてしまいました」

 祥子が瞳子ちゃんをかばって謝る。
 心配そうにしている瞳子ちゃんは『呼び出された気の毒な下級生』ということにして、祥子は二倍叱られることにした。こんなに叱られたのは生まれて初めてかもしれないが、落ち込んでいる暇はない。
 ありさという人物を探し、大正時代の祐巳を救出するために、祥子は動き始めた。
 放課後になると薔薇の館に仲間の四人+瞳子ちゃんを集めて、祐巳の生徒手帳を見せ、今朝瞳子ちゃんから聞いた話をかいつまんで説明する。
 四人は急展開についていけないようでキョトン、ポカンという顔で聞いている。

「……祥子、本気で言ってるの?」

 令が呆れたように聞いてくる。

「もちろんよ」

 祥子の返事に四人は顔を見合わせる。
 時空を超えるなんていうことは無理に決まっている。
 これはつまり、落ち込む祥子を元気づけようと瞳子ちゃんが一芝居打ったのだろうという空気に包まれる。

「それで、みんなにも協力してほしいの。時空を超える能力を持つありさという人物を探してちょうだい」

 見つからないだろうありさなる人物を探すよう頼まれて、四人は困惑していた。
 乃梨子ちゃんは瞳子ちゃんを何か言いたげな表情でじっと見ていた。

「どんな細かいことでもいいし、この際時空を超えられる人物でもいいの。とにかく探して」

 瞳子ちゃん以外誰も話を信じてはいない。
 必死な祥子に四人は憐れみの視線を送った。
 だが、後に四人は祥子の言葉の正しさを知ることになる。

【No:3182】へ続く


【マリア様がみてる派へのフォロー】
『物語の舞台』
 物語の舞台として原作などに明記されている。大正十四年(1925年)の東京麻布周辺が舞台である。
 2年前に関東大震災があり復興を果たした。治安維持法が制定されたり、一般の成人男性に選挙権が与えられたのもこの年である。
 平成とは大きく感覚が異なり、家制度があったり、婦人参政権を求める運動があったりした。
 女性にも普通中等教育をということで多くの女学校が大正年間に設立されているが、東邦星華女学院は明記されてはいないものの、明治の頃には学校設立の動きがあった模様。(『帝都たこ焼き娘。』より)

『吉屋信子』
 登場人物ではなく実在の作家で、当時の女学生に人気のあった少女小説『花物語』を執筆した。『ジャンル:百合』の内容が含まれている。小梅も読んでいるらしく、作中、名前が挙げられている。

【大正野球娘。派へのフォロー】

島津由乃(しまづよしの):外見は三つ編みで可憐な美少女。しかし、中身は乃枝の行動力、巴の猪武者ぶりを併せ持つイケイケ青信号である。令の従姉妹。彼女の思いつきと奇行は時にリリアン中を巻き込むから危険だ。趣味スポーツ観戦で野球も好きらしい。改造人間ってモノローグで言っちゃった(笑)

支倉令(はせくられい):剣道二段の腕前にして運動神経抜群の少女。外見はミスターリリアンの通りの凛々しさだが、中身は誰よりも乙女である。由乃の従姉妹。地味に成績優秀という設定もあるが、作中では「由乃ぉ」しか言わないヘタ令であり、「令ちゃんのばか」である。

藤堂志摩子(とうどうしまこ):おっとりしているように見えて結構芯は強い。感情をあまり外に出さないのでいろいろ誤解されやすい。自己犠牲精神にあふれすぎていたが、乃梨子のカードを探したいと駄々をこねるまでに成長した。日舞は名取の腕前。志摩子かわいいよ志摩子。

二条乃梨子(にじょうのりこ):受験に失敗し仏頂面で人付き合いを避けていたおかっぱ娘だが、志摩子に落とされて以来可愛くなった。一体何があったのかはお察しください(え)普段は冷静。彼女を夢中にさせるアイドルは仏像である。マリみてが初めて世に出た時はコイツが主人公でした。

松平瞳子(まつだいらとうこ):祥子の従兄の従妹。大好きな祥子お姉さまを祐巳に取られてツンがひどく一時は先輩クラスメイト読者をも敵に回した。そのヘアスタイルからファンの間ではドリルと呼ばれる。演劇部所属の自称女優。


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