これは、なしだな。
二条乃梨子はそう思った。
ここはパラレルワールドだった。
SSの数だけパラレルワールドがあるといわれ、現にこの作者と関わったものでさえ学芸会のようなARIAクロス【No:2851】の世界に連れて行かれたり、パラレル西遊記【No:2860】という仏像だけは充実した世界を旅させられたり、地蔵を妹にさせられそうになったり【No:2927】、死神をやらされたり【No:2985】、由乃さまが死んでいたり【No:2956】、桂さまと死闘を繰り広げたり【No:3054】、大正時代に野球の試合をしに行ったり【No:3146】。比較的日常に近い世界もあるにはあったが【No:3082】、そこでもマリみての新刊の宣伝どころか【No:2977】釈迦みての新刊まで売らされたり【No:3050】と他にもいろいろあるけど、余りいい目にあってはいない。どうせなら、パレスチナ自治区さんのところのような萌えるSSの乃梨子になりたかった、ちきしょう。
それはさておき、ここはパラレルワールドであった。
朝目を覚ました時は普通だった。
最近家事をやらなくなった菫子さんに代わって、タイマーを合わせて済ませておいた洗濯物を干し、簡単に掃除し、朝食を作り、自分の弁当を作り、もちろん身支度を整え家を出た。そこまでは普通だった。いや、たとえ異常があったとしてもその時点では気付けなかっただけかもしれないが、パラレルワールドにいるだなんて思ってもみなかった。
異変に気付いたのは学校でだった。
いつものようにマリア像の前に行くと、志摩子さんが手を合わせていた。
「ごきげんよう、志摩子さん」
乃梨子は普通に声をかけたのだが、志摩子さんは驚いたように振り向いて、乃梨子の顔を見た。
「ど、どうしたの? 乃梨子」
ごきげんよう、なしで志摩子さんはそう言った。
「え?」
直前の乃梨子の行動におかしな点などなかったはずだ。
「どうしました?」
乃梨子は尋ねた。
「ほら、その他人行儀な言葉遣い。昨日まで、ちゃんと『志摩子』って呼んでくれていたじゃないの」
いくらなんでも志摩子さんを呼び捨てにするなんてことはしたことがない。
「あの、いつ私が志摩子さんのことを呼び捨てに?」
「ずっとそうしてるじゃない。どうしたの、乃梨子」
不安そうに志摩子さんは乃梨子の顔を見つめた。そして。
「熱でもあるのかしら」
と、自分の額を乃梨子の額に当てて熱を測りだした。
「うーん……ちょっと高いかもしれないわね」
ごめんなさい。それは私の興奮と熱気です。たぶん。と乃梨子はいたたまれなくなった。
「おっ、朝から二人とも何やってるのよ」
声がして、見るとそこには聖さまがいたのだが……あろうことか、大学生の彼女が高等部の制服を着ていた。
「ごきげんよう、聖。乃梨子が、なんだか熱があるみたいで」
「聖」!? 志摩子さん、今、自分のお姉さまを呼び捨てにしなかった?
「今日は体育とかないし、乃梨子だって子供じゃないんだから調子が悪かったら帰るでしょう」
聖さま、あなたも私を呼び捨てにしますか。と乃梨子は心の中で突っ込みを入れた。
「ごきげんよう、聖さま。あの、どうして大学生なのに高等部の制服を着てこちらにいらっしゃるんですか?」
というと、聖さまは驚いたように乃梨子の顔を見る。
「あのさ、そんなに老けて見えてる? 乃梨子とおんなじ高一だけど」
「何を言ってるんですか? 私はこの前高二に──」
言いかけて、これは何かが決定的に違うと感じた。
このやり取りで、志摩子さんも、聖さまも、これはおかしいと思ったようだ。
「何があったの、乃梨子?」
「待ってください。聖さまは大学二年で志摩子さんのお姉さま、志摩子さんは高校三年生で私のお姉さま……じゃないんですか?」
二人は驚いたように首を振って教えてくれた。
「私たちはリリアン女学園高等部一年椿組の同級生で親交を深めて仲良くなったんだけど……忘れちゃったの?」
「ごめん。全然その辺り、知らない」
「それって、記憶喪失……」
「待って、志摩子。私たちのことはわかってるみたいだから、喪失とはちょっと違う。ただ、とても混乱してるみたい」
記憶が混乱している、というよりこれは、パラレルワールドに紛れ込んだ、そうに違いない。と乃梨子は結論を出した。
「仕方ない。乃梨子の記憶が戻るように手伝いをしましょう。まず、あなたは入学式の日、新入生代表で挨拶するほどの成績の持ち主で、リリアンのしきたりを教えた私に感謝の意をこめて以後、宿題のノートを欠かさず見せるようになった──」
「乃梨子、後半は嘘よ。聖は幼稚舎から、私は中等部から、乃梨子は高等部からリリアンに入ったのは本当だけど」
聖さまの説明に志摩子さんが割って入る。
「そうそう、昨日乃梨子に千円貸した」
「それも嘘。本当は乃梨子に二千円借りてるのよ」
「あーそうだ。この前乃梨子ってば図書館の本無くしたから、図書館に出入り禁止になってるから」
「それは、聖が勝手に乃梨子のカードで借りた本を古本屋に売ったのがばれただけよ! もうっ、聖、いい加減によして!」
志摩子さんが突っ込みという新しい漫才を見てしまった。
なんだこのパラレルワールド。って、なぜこんな友達を選んだんだ、この世界の私。と乃梨子(自身)は乃梨子(パラレルワールド)に突っ込んだ。
「……と、とにかく何かあったら言って頂戴。私たちは親友なのだから」
「ありがとう、志摩子さん」
「志摩子」
「え?」
「呼び捨てにして。そうしたら早く思い出すかもしれないわ」
「……ありがとう、志摩子」
と、いうわけで、乃梨子は志摩子さん改め志摩子と聖さま改め聖とともに授業を受けて午前中を乗り切り、昼休みを迎えた。
「一緒に行きましょう。お姉さまにも相談しなくてはいけないでしょうし」
あ、お姉さまいるんだ。そっか、そうだよね。志摩子は同級生だものね。志摩子は乃梨子のお姉さまじゃないんだ。……でも、授業中となりの席だったから、いいや。
「あれ、聖も来るの?」
「行かないとお姉さまが首輪つけて引っ張るっていうから」
どんなお姉さまなんだ、聖のお姉さまは。
到着したのは社会科教室という名の特別教室だが、実際は普通の教室とあまり変わらないところだった。
そこにいたのは。
「ごきげんよう、お姉さま」
「聖。やっと来たわね。十日間も顔を見せないだなんて、いい度胸じゃない?」
聖のお姉さまは蓉子さまだった。ちなみに。
「聖ちゃん、ちゃんとそのバタ臭い顔を見せてあげないと。蓉子が寂しがって大変だったんだから」
「お姉さま、変なことおっしゃらないでください!」
蓉子さまのお姉さまは江利子さまだった。
「祐巳さまも聖がいないとさびしかったですかあ?」
と、聖は祐巳さまに抱きついた。
「ぎゃう! 聖ちゃん、やめてっ!! 志摩子だって見てるのにっ」
「聖ちゃん、抱きつくんなら、自分のお姉さまに抱きつきなさいっ!」
由乃さまが強引に聖を引きはがす。
「お姉さま」
「祐巳、あなたもこんなことでいちいち動揺しないの。志摩子ちゃんがみてるでしょう?」
「は、はい……」
呆れたように由乃さまが祐巳さまを叱る。
「……ごめん、志摩子。情けない姉で」
「そんなことはありません。私のお姉さまは祐巳さま一人です」
と、志摩子がなだめている。
……法則がわかってきた。
と、言うことは……
「瞳子さん」
乃梨子が呼びかけると、瞳子は般若のような形相で襲いかかってきて言った。
「乃梨子っ!! 人前で『瞳子さん』はおよしなさいって言ってるでしょう! 人目のあるときは『お姉さま』だって」
「ごめんなさい、お姉さま」
ビンゴだった。
つまり。
元の世界
黄 紅 白
卒 江 蓉 聖
三 由 祐 志
二 × 瞳 乃
というのが。
パラレル
三 江 由 ?
二 蓉 祐 瞳
一 聖 志 乃
となっていたのだ。
その時、乃梨子はひらめいた。
(この法則でいえば)
パラレル
三 菜々
二 瞳子の妹(予定)
一 乃梨子の妹(予定)
のはずである。
(元の世界に戻って、その子に声をかけたらすぐにでも妹が出来るかも……)
「……梨子、乃梨子ってば」
考え事をしていたら、志摩子に呼び戻された。
「へ?」
気づくと、瞳子改め瞳子さんがカンカンに怒っている。
「あなたの記憶が混乱しているっていうから心配しているのに、その態度は何なのよおっ!!」
襟元を掴まれ、乃梨子は瞳子さんにガンガン揺さぶられた。
「ご、ごめんなさい」
いつその話題になったのかも気付かなかった。
「と、瞳子。そんなに揺さぶったら乃梨子ちゃんが危ないって!」
慌てて祐巳さまが止めに入る。
「祐巳は黙ってなさいよっ!! 他藩のお家事情には口を出さないで!」
きっ、と祐巳さまを瞳子さんは睨みつける。
「瞳子、落ち着きなさい。乃梨子ちゃんは記憶が混乱してるんだから、ちょっと何か思い出したのかもしれないでしょう」
蓉子さまの言葉に冷静になった瞳子さんは乃梨子から手を離した。
「ま、そうならそうでちゃんと言いなさい。私はあなたのお姉さまなんですからね」
瞳子さんが怒って言う。
「……乃梨子ちゃん、瞳子はあなたのことが心配で言ってるだけだからね」
こそっと祐巳さまが乃梨子に耳打ちする。
「ゆ、祐巳っ!! 変な事言わないで!」
「ふふ。瞳子が赤くなった」
「二人とも、とにかく話に戻りましょうよ」
蓉子さまがたしなめる。
う〜ん、祐巳さまには悪いけど、この学年、違和感があまりないな。
その時。
バタバタと何者かが廊下を走ってくる音がした。
「大変だ!」
飛び込んできたのは令さまだった。
「どうなさったんですか、お姉さま」
と瞳子さんが聞いた。
え? 令さまの妹は、法則だと祥子さまだと思ったのに、違うんだ。
「小笠原祥子が妹を作った」
「ええっ!!」
全員が驚いている。
「どっちですか?」
蓉子さまが冷静に聞くが、その答えは発せられなかった。
「ごきげんよう」
令さまは言わせてもらえずに、押しのけられた。
押しのけたのは祥子さまだった。
「あなた、またきたのっ!? 志摩子はもう私の妹なのよ!!」
祐巳さまが叫んだ。
何? この世界の祐巳さまって祥子さまと仲が悪いの?
「あら、そんな心配は必要なくってよ! 私にも先程可愛い妹が出来たのですもの。それを『仏像同好会』の皆さまにご紹介しようと思いまして」
ちょ、ちょっと待った。
ここはそういう組織だったのか?
「いらっしゃい」
祥子さまに呼ばれて登場したのはクールな美人だったが、残念なことに乃梨子は今までお目にかかったことがなかった人だった。
「私の妹、蟹名静です。合唱部に所属しているわ」
どこかで聞いたことはあるんだけど、思い出せない。
「合唱部ですって!?」
「じゃあ、『紅薔薇』……まさか!」
乃梨子以外の仏像同好会メンバーが動揺し始める。
何がどうまずいのだろう。
「皆さま、勘がよろしくて助かります。生徒会長のお言葉をお伝えしましょう。『仏像同好会』は廃止です」
「待ちなさいよっ!!」
ダンッとテーブルを叩いて由乃さまが叫んだ。
「そんな一方的な意見は認められないわよ!」
「そんなことありませんわ。リリアンの不文律、文化系の『紅薔薇』と体育系の『白薔薇』。生徒会はその中立であり、どちらかの勢力に偏りがあれば部活及び同好会の数でバランスを保つということはご存知でしょう?」
「そんな身勝手なこと、させないわよ!」
「何をどうしようと勝手ですが、さすがに全校生徒を敵に回すのはきついのではありませんこと?」
ほーっほっほっほっ! と祥子さまは高笑いする。
「では、他の部も回らなくてはなりませんので。失礼」
出ていく直前、静さんは聖のことをちらりと見ていった。
「うわ〜、こんなことになるなんて」
「くっ、生徒会長有馬菜々、妹に命じてあんな妹を作らせるとは……」
待て待て待て待て。
菜々ちゃんの妹が祥子さま!?
「こうなったら徹底抗戦よ!」
「おーっ!」
シュプレヒコールをあげる一同をぼんやりと見ながら乃梨子は思った。
これは、なしだな。
乃梨子は、こんな世界でもあと30分ほどで、本当に家族にさせられた【No:3064】のように馴染んでしまうのだろうな、と漠然と思った。