【3618】 素敵な後輩  (海風 2012-01-18 14:47:02)


【No:3157】【No:3158】【No:3160】【No:3162】【No:3170】
【No:3171】【No:3174】【No:3177】【No:3183】【No:3187】
【No:3196】【No:3205】【No:3233】【No:3249】【No:3288】
【No:3327】【No:3380】【No:3397】【No:3443】【No:3464】【No:3498】【No:3501】 解説書【No:3505】
【No:3509】【No:3515】 【No:3538】【No:3541】【No:3589】【No:3593】【No:3597】【No:3601】【No:3613】【No:3616】【No:3617】から続いています。









 そこに集められた面々は、リリアンで有名な兵達である。


 紅薔薇勢力総統“紅蓮の魔犬(ケルベロス)”
 紅薔薇勢力突撃隊隊長“十架(クロス)”

 黄薔薇勢力総統“銃乙女(ガン・ヴァルキリー)”
 黄薔薇勢力副総統“夜叉”

 元白薔薇勢力総統“九頭竜”
 元白薔薇勢力隠密部隊隊長“宵闇の雨(レイン)”

 無所属“複製する狐(コピーフォックス)”
 無所属“鴉”


 築山三奈子は緊張していた。
 よくもまあ、これだけの人材が集まったものだ。
 この8人が手を組めば、本当に山百合会を超えるかもしれない。本気でそう思わせるようなすごいメンバーが揃った。
 8人もの人物が入って手狭になってしまった新聞部で、

「では、始めたいと思います」

 ――明日から始まる「対“桜草”作戦」の会議が始まった。




 新聞部が会議を始めたその頃、ようやく保健室のベッドで福沢祐巳が目を覚ました。
 時刻はすでに放課後を少し回り、一般生徒の多くは帰途についている。

「……」

 見慣れない天井を見上げる祐巳は、大体何が起こったのかを憶えていた。
 右手の甲を見る。
 記憶に誤りがないことを確認するように。

 ――やはり“十字の烙印”があった。

 自分で体験しておいて、なのに疑うしかないくらい普段の自分とかけ離れてしまったあの騒動は、やはり真実だった。

「祐巳ちゃん?」

 横を見ると、椅子に座る紅薔薇の蕾・小笠原祥子と、その傍らに立つ黄薔薇・鳥居江利子がいた。

「ああ、よかった。目を覚まさないから心配していたのよ」

 江利子は本当にほっとしたらしく、安堵の息を漏らしていた――やってしまった張本人だから。
 額に食らったかつてない衝撃も、祐巳はちゃんと憶えている。それから身体が動かなくなり、意識がおぼろげになった。
 だが、ちゃんと憶えている。
“烙印”を押されたところまで、ちゃんと憶えている。

「それじゃ私は行くから」

 江利子は早々に出て行った。祥子を置いて。
 ――祐巳は知らないが、新聞部で“桜草”対策会議が行われている現在、薔薇の館で山百合会も会議を行うことになっている。未だ目を覚まさない祐巳を心配して、江利子は遅刻を申請していたのだが、心配はなくなったので今から会議に出席するつもりなのだ。
 慌しく江利子が出て行ったことを確認して、祥子は微笑んだ。

「体調はどう?」
「あ、はい、大丈夫で――うぐっ」

 動こうとして、悲鳴が上がった。

「か、身体中が、痛いです」

 なぜだ。
 江利子から貰った“消しゴム”は額に当たり、しかし頭は痛くない。
 体調も感じる限りでは異変はないはずだ。右腕は普通に動くし。
 だが、身体を動かそうと全体的に痛い。尋常じゃないほどに。無理に動くとバラバラになるんじゃないかと心配になるくらいに。

「筋肉痛よ。寝てなさい。あとで志摩子も来るわ」
「筋肉痛?」
「慣れない筋肉の使い方をしたから。目覚めたばかりの頃は、意識と身体と能力の全てが噛み合わず、身体に負担を掛けることがよくあるの。すぐに慣れるわよ」

 さらっと触れたが、やはり祥子は、祐巳の覚醒の話を受けて目が覚めるのを待っていたのだろう。だからここにいるのだ。

「自分に起こったこと、憶えているわね?」
「はい」

 祐巳はちゃんと憶えている。
 自分に何が起こって、何をして、どうしてここで寝ているのか。

「使い方はわかる?」
「……なんとなく」
「なんとなく。結構よ。なんとなく感覚で理解できるなら、きっとコントロールできるわ」

 そう、具体的には言えないが、感覚でわかるのだ。
 自分が何をどうすればどうなるか。
 どうやったら力が使えるのか。

「祐巳ちゃん、少し時間を上げる」
「え?」

 突然、祥子は祐巳に覆いかぶさってきた。
 祥子の顔が祐巳に迫る。
 祐巳は目を見開き、その美しい顔が近付いてくるのを、およそ現実として受け入れられないまま凝視して。
 美しい髪がぱさっと頬を撫でたりして、良い香りがしたりして。
 そして。

 ――祥子は祐巳の頭の後ろに手を回し、上半身を起こし、その首に掛かる多すぎるロザリオを全て頭の上を通して外した。

 何が起こっているのかさえ理解できていない祐巳は、蝋人形ばりに固まったまま、再び横にされた。

「祐巳ちゃん――いえ、祐巳」

 芯の通った声が祐巳を呼ぶ。

「私はあなたを妹にしたい。だから姉候補としてこれは持ち主に返してくる」

 「文句は?」と聞かれても、今の祐巳にはどんな言葉も右から左である。完全に魂が口からポロリしているような状態である。
 それがわかっているのかいないのか、祥子は「すぐ戻るから待っていて」と、大量のロザリオを持って保健室を出て行った。
 ――今現在、山百合会は会議中である。しかし祥子はそれに出席せず、祐巳の傍にいた。
 答えは簡単で、祐巳を妹にする気になったからだ。
 山百合会の義務より今は祐巳を優先したからだ。――無論、今の祐巳を放っておけないという三薔薇の意志も含めて。

「…………」

 ドアの閉まる音が聞こえて、布団をかぶって声もなく、祐巳はバタバタもだえた。
 今はそれしかできなかった。




 そして、そんな祐巳に更なる衝撃が襲い掛かる。

「青春だね」
「……えっ!?」

 祐巳はバッと布団をめくった。
 ――隣のベッドで寝ているその人が、じっと見ていた。

「み…………見てた?」
「うん。全部」

 祐巳は「ぎゃー」と言いながらまた布団をかぶってバタバタもだえた。
 今はそれしかできなかった。
 恥ずかしかった。
 とにかく恥ずかしかった。
 恥ずかしいところを見られたのもあるが、恥ずかしがっているところを見られたのも更に恥ずかしかった。

 隣のベッドで寝ていたのは、華の名を語る者“竜胆”だ。祐巳とは親しくはないが浅からぬ縁がある。

「な、なんでいるの?」

 顔が真っ赤になっていることを自覚している祐巳は、目から上だけを覗かせて問う。

「黄薔薇の遊撃隊にぼっこぼこ」

 至極わかりやすい回答だった。別に祐巳がどうこうではなく、単にやられて寝ていただけのようだ。

「まあ、負けてはいないけどね。本当に今日は朝からろくなことがないよ」

 ちなみに自然治癒力もかなり高い“竜胆”は、すでに寝ている理由はないが。

「祐巳さん、目覚めたの?」
「う……うん、たぶん」

 さっきの会話や祥子のアレやらコレやら見ているのだ、今更誤魔化しても通用しないだろう。

「なんか聞く前に答えがわかってる気はするんだけど、でも聞かせて。――祐巳さんは私達の仲間になるの?」

 私達の仲間。
 つまり“契約者”の下に集うのか、と。

「……」

 祐巳は右手を上げ、手の甲の“十字架”を見る。

「正直、まだ色々ピンと来てなくて……」

 これを見ても、まだ昼休みのアレは嘘だったんじゃないか。そんな気がするのに。
 あの時のことを振り返る間もなく、いきなり祥子には「妹にしたい」だの言われて迫られて、今“竜胆”には今後のことを聞かれて。
 一度に色々ありすぎて、祐巳はまだ何も考えていない。

「でも、一度“瑠璃蝶草”さまには会いたいと思ってる。それから決めても遅くないと思うんだけど……」
「祥子さまの妹になることも?」
「それも含めてね」

 祐巳の力は、あの時、“契約者”たる“瑠璃蝶草”に与えられたものだ。そのことは忘れていない。あの人は「あなたが助けを求めるなら、私はいつでも助けに行きたい」とまで言ってくれた。絶対に一度は会うべきだろう。
 ただ、現段階で確かなのは、すでに“竜胆”達の仲間になるのは抵抗があるということだ。
 祐巳は、山百合会の正体を知っているから。
 華の名を語る者は、山百合会の敵である――それくらいは祐巳も知っているのだ。

「力は貰った。でも仲間にはならない。……なんて、虫が良すぎるかな?」
「いいと思うよ」

 自分でもかなり不義理なことを言っていると自覚している祐巳だが、しかし“竜胆”の返答は予想と違った。

「あの頃とはまた状況も違うからね」

 動揺も何もないらしく、“竜胆”はいつも通り淡々としていた。死んだ目で。
 ――祐巳が“教室”に招かれた時とは、状況が違うのだ。
 なぜなら“契約者達”はすでに解散し、個別で動いている。互いに心の繋がりはあると信じてはいるが、形としては残っていない。“瑠璃蝶草”を含めた“契約した者”四人で集まることは、今後はないかもしれない。
 合理主義にして、自分の立場と力の恐ろしさを知る“瑠璃蝶草”である。
 誰であろうともう“契約した者”を傍に置くことはないだろう、と“竜胆”は思っている。不要な疑惑を掻き立てるだけだ、と。それが祐巳であっても同じことだ。

「ただ、敵にはならないでほしいな」
「“竜胆”さんの?」
「私はいいよ。別に。でも“瑠璃”を傷つける奴は許さないし、許す気もない」

“竜胆”はベッドから抜け出し、立ち上がった。

「お大事に」

 微妙にズレた言葉を残し、“竜胆”は保健室から去った。

「……」

 しんと静まり返った保健室に、祐巳一人。
 祐巳はまず、痛い身体を引きずるようにして、衝立に仕切られた向こう側を覗いてみた。果たして本当に一人きりだろうか、と。今一度痴態を見られたらもう泣いてしまう。
 幸い、誰もいなかった。一応ベッドの下も覗いて誰もいないことを確認した。

「……はぁ」

 今度は悶えることもなく、代わりのように疲れきった溜息が一つ。
 ――考えることはたくさんある。
 が、とにかくまず考えねばならないことは、祥子のことだろう。
 目を覚ますなり、いきなり美しい顔を近づけたりなんかして「私はあなたを妹にしたい」である。傍から見ていても赤面しそうなシーンなのに、あろうことか相手役は祐巳である。おもいっきり当事者である。
 そりゃ恥ずかしいわ――と、祐巳は再び身悶えた。

「本気、かなぁ……」

 いや、本気だろう。疑う余地もなく本気だろう。本気じゃなければ、それこそ何が目的なのかわからない。
 それに、ロザリオも持っていかれてしまった。
 祐巳でさえどれが誰のなのか把握できないほどの数があったのに、祥子はどうやって持ち主を探し出すつもりだろう――だが不思議と「祥子なら必ずやるだろう」という予感はあった。
 言葉通り、すぐ戻ってくるだろう。
 それまでの短い間に、祥子への返答を考えねばならない。

「……」

 もう一度“刻印”を見る。
“こっち”関係のことも考えねばならない。

 今度はちゃんと“理解”できた。
 あの時、自分が感じた感覚が、間違いではなかったことを。

 あの時、自分の力が“枯れた”ことを。




 手短に、かつ要点のみをまとめて説明を終えた築山三奈子は、隙のない目で己を見詰める8人を見渡す。

「――以上が、あなた方が集められた理由です」

 開始の時こそそうでもなかったが、今新聞部には独特の緊張感が満ちていた。
 それはそうだろう、誰も彼もが大将クラスだ。腕っ節だけではなく頭も切れる。要点のみの説明に対し、きっと説明した以上の推測を立てている。
 突然の呼び出しに対して文句が出ないのは、予想以上――紅薔薇が動くに値する事件が起こっているからだ。
 そして退室しないのは、力を貸すべき事件だと納得できたからだ。

「何か質問は?」
「その話の質問じゃないんだけど」

 と、手を上げたのは黄薔薇勢力総統“銃乙女(ガン・ヴァルキリー)”だ。

「“狐”はまだいいけど、“鴉”はなんでここにいるの? 一番相応しくないと思うんだけど」

 威嚇するように一瞥した視線に“複製する狐(コピーフォックス)”は笑って見せ、その近くに立っている“鴉”は真正面から“銃乙女(ガン・ヴァルキリー)”を見た。鋭い眼光が悪意の塊のようだ――別に素の視線だ。

「紅薔薇に呼ばれたから。あなた方と同じですよ」
「なぜ断らなかった?」

“銃乙女(ガン・ヴァルキリー)”が疑問に思うように、“図書室の守護者”こと“鴉”は、基本的には図書室にひきこもってその場を護る者である。そのスタンスを崩さないから放っておかれていた部分もある。

「図書室が戦場になる可能性を口にしたから。――聞いた限りでは可能性はあると判断しました」

 無関係そうなら退室しようと思っていたが、紅薔薇・水野蓉子の言葉通り、これは図書室どころかリリアン全体に及ぶ事件だと判断した。

「ついでに質問しても?」

 口を開いたついでに、と“鴉”が三奈子を見る。三奈子は「どうぞ」と促した。

「私は具現化と操作系。“思念体”への対処は不可能だけれど、それでも役に立てる?」

 それはこの場の半数以上が同じ立場にある。
 多くは、能力は違えど物理法則を越えていない。だから“思念体”をどうこうはできないのだ。
 ――さすがだ、と三奈子は思った。
 「正体不明の異能使いである“桜草”なる“思念体使い”に対抗するために集められました」という不透明極まりない部分には触れない辺り、“鴉”どころかこの場の全員が切れ者であるという証である。
 そして、集められた以上、指揮者に従うことを第一に置いているということだ。

 無論、それらには期待が込められている。
 彼女らはまだ協力者ではなく、協力しようかどうか様子見をしている段階だ。きっと誰もが紅薔薇・水野蓉子には信を置いているのだろう。だから多くも聞かず無条件で集まり、こうして会議に参加している。言ってみれば水野蓉子だから実現できたメンバーである。
 だが、まだ手を貸そうとは思っていない。
 もし自分が協力できない・従えないような会議や作戦になったら、すぐに離れるだろう。それなら一人か、信じられる仲間を募って独自に動いた方がマシ――そんな選択肢を選んでも何ら支障はない力を持っているのだ。
 「自分達を使うなら相応の指揮を取れ」という誇り高い意志が、沈黙と視線に込められているのが、三奈子にはちゃんとわかっている。

「その質問に答える前に、概要への質問は?」

 やはり誰も触れなかった。
 今回の危険度と、敵の情報さえわかっていれば、背景は後からどうとでも調べられると思っているのだ。
 そして、説明になかった情報は、三奈子にもわかっていないことを理解している。
 だから無駄なことは聞かない。

「では作戦についてお話します。“鴉”さんの疑問はここで解消するから」

 言うと“鴉”は頷く。

「ちなみにこの作戦は私が考えたものですから――“レイン”さま」
「ん?」
「“夜叉”さま」
「あい?」
「拙い部分、行き届いていない部分は、お二方の知恵もお貸しいただければ幸いです。そしてそのまま全体の指揮を頼みます。他の方は戦闘に集中してください」

 ここまではいい。皆納得している。だから口を出さな――

「“九頭竜”は?」

 言ったのは“紅蓮の魔犬(ケルベロス)”だ。
 自身も紅薔薇勢力を率いる優秀な指揮官だが、三奈子の選定に文句はない。元白薔薇勢力隠密部隊隊長“宵闇の雨(レイン)”と黄薔薇勢力副総統“夜叉”が指揮官兼参謀という割り振りになるのは納得できている。
 だが、元白薔薇勢力総統“九頭竜”を外すのは解せない。彼女は地味で表向きはあまり動きを見せないが、裏ではこれ以上ないくらい優秀な動きをしている。
 学園最高の情報機関のトップである三奈子のことだ、“九頭竜”を外すとは思えない。外すだけの理由があるとしか思えない。
 だから解を求めた。多くの者も口には出さないが同じ疑問があった。

「“九頭竜”さまは、」

 当人は、特に興味もなさそうに三奈子を見ていた。

「今非常にお忙しい立場にありますから、時間を取らせないポジションに入っていただこうかと。――“九頭竜”さま、いかがでしょう?」

 三奈子はきっと知っている――だから“九頭竜”は笑った。

「大好きよ、三奈子さん」
「恐縮です」

 軽く頭を下げる三奈子を見て、“九頭竜”は立ち上がる。

「“レイン”、“夜叉”、私のことは任せるわ」

 ――“九頭竜”は今非常に忙しく、とても大事な時間にある。
 1秒でも早く新しい白薔薇勢力を作ること。そのために駆けずり回っている“九頭竜”は、正直会議どころではなかったのだ。
 確信はないがそれを察している三奈子は、“九頭竜”の意をちゃんと汲み取った。
 ならば“九頭竜”が協力する理由は、それだけで充分である。
“九頭竜”が退室しようとドアを開けた時、“宵闇の雨(レイン)”がその背中に言葉を投げた。

「今度はきっちり働いてもらうわよ」

“九頭竜”は振り返らず、後ろ手を振ってそのまま出て行った――任せる、と。




 その頃、紅薔薇勢力二年生長“送信蜂(ワーク・ビー)”は、相変わらず掲示板の前にいた。
 昼休みを境に、掲示板の前に人が増えていた。
 それもそのはず、“戯言を囁く地図(バベル・クラフト)”上から“契約書”を表す紫点が一つ消えたからだ。
 つまり、一枚だけ本当に行方不明になったということだ。「持ち主がわからない」のではなく「どこに行ったのかわからない」という不可解現象が起こっている。

 ――消失や消滅等、“契約書”自体が消えた可能性を上げる者。
 ――“地図”の力の及ばない“結界”に入れられた、と推測する者。
 ――中には“地図”の故障あるいは人為的操作を疑う者までいる。

 周囲の声に耳を傾けながら、“送信蜂(ワーク・ビー)”も考える。
 昼休みの「紅薔薇勢力が三枚揃えた」事件は、紅薔薇の蕾・小笠原祥子があの“鴉”に奪われた、という形で崩された。
 恐らく、その一枚が行方不明となっている。
 ここで拾った目撃情報によると、“鴉”はその直後に、あの噂の“天使”――“雪の下”に渡したそうだ。
 そして、そこから消息を絶った。
 問題の“雪の下”から話を聞ければ、もしかしたら見つかるかもしれない。だが普通に考えて簡単に口を割るわけがないだろう。

 ところで。

(気になるわ……すごく気になるわ……)

 人と情報が頻繁に飛び交うこの場にいて、長く留まる者の顔はすでに憶えている。それらの伝令の顔も憶えている。命令系統も大体把握している。
 伊達にずっとここにいるわけではない。
“送信蜂(ワーク・ビー)”は集められる情報は全て拾い上げている。
 ――だから、気づいてしまった。

(声を掛けるべきかしら……いや、でも、どう見てもこっそり来てるわよね……)

 意識も視線も向けていないので、相手は気付いていないが。
 しれっとした顔で混じっているその人物は、中等部三年生“折紙絶対防御装攻(インスタント・イージス)”松平瞳子である。特徴的な縦ロールを髪を下ろして制服を変えただけのようだが、受ける印象はかなり違う。
 一人だけ流れに乗っていない違和感に、“送信蜂(ワーク・ビー)”は瞳子の存在に気付いたが、しかし――

(目的だけでも確かめるべき? って、ここにいるってことはまさか“契約書”狙い?)

 瞳子の目的がわからない。
 遠縁に当たる祥子を訪ねてきた?
 いや、わざわざ校内で訪ねるほどの理由があるだろうか。
 そんな風に悩んでいる間に、瞳子は目的を定めたのか、歩き出した。

(……まあ、仕方ないか)

“送信蜂(ワーク・ビー)”は瞳子の背中を見送る。ここで話しかければ周囲にもバレるかもしれない。
 何が目的で高等部まで来ているのか想像もつかないが、高等部の知り合いを通さず自ら乗り込む時点で、何かしら目的はあるのだろうとは察することができる。
 今のところ“契約書”狙いの可能性が高いが、まさかそこに手を出すほど浅はかではないはずだ。手を出したら祥子や山百合会への責任追及は当然として、紅薔薇まで飛び火するだろう。
 そして何より、危険すぎる。
“契約書”の所持は襲われる理由になる。無論それに手を出そうとすれば容赦なく返り討ちだ。
 こんな時でもなければこっそり護衛――というよりお目付け役でもつけたいところだが、生憎今は“送信蜂(ワーク・ビー)”が動かせる護衛兼用の隠密がいない。

(祥子さんに会ったら伝えよう)

 それくらいが精一杯で、やはり今は見送るしかなかった。




 それはただの障害でしかなかった。
 そして、自分はその障害を越えることはできないだろうと思い知ったような気がする。
 このままではダメだ。
 それは強く思うが、どう足掻いても前に進めない。

 ――紅薔薇勢力遊撃隊隊長“鍔鳴”は、壁にぶつかっていることを自覚していた。

 昼休み、中庭で。
 黄薔薇勢力総統“銃乙女(ガン・ヴァルキリー)”と闘っていた“鍔鳴”は、しかし、決着がつかないまま終わってしまった。
 本意ではないが、そのことには不満もない。あのまま続けていても負けていただろう――さすがは黄薔薇勢力総統と言うべきか、三勢力総統にはまだ届かないと思った。
 だが、問題は“銃乙女(ガン・ヴァルキリー)”ではなく。

(瞬殺、か……)

 問題は、二人の闘いに割り込んできた、同勢力突撃隊隊長“十架(クロス)”である。
 思い出すだけで憂鬱になる。
 真剣勝負の場に割り込まれれば、誰であろうと敵――少なくとも“鍔鳴”はそう思っている。特に一対一を邪魔するなど愚の骨頂だ。
“鍔鳴”も“銃乙女(ガン・ヴァルキリー)”も同じ結論を出し、間に入った“十架(クロス)”に同時に仕掛けた。

 本当に半年近いブランクがあったのか疑うような動きだった。

“十架(クロス)”は“鍔鳴”の居合い――それも集中力が極限まで高まっている、従来よりも更に速い剣撃を、簡単にかわして見せた。
 それも、六太刀も。
“銃乙女(ガン・ヴァルキリー)”の銃弾にも対処しながら。

 攻め手を変えようと“鍔鳴”の手が止まった瞬間、“十架(クロス)”は待っていたかのように懐に入っていた。
 そして刀を“封じ”られておしまい、である。

「はあ……」

 油断もなかったし、遠慮もなかった。
 たとえ相手が同勢力の“十架(クロス)”であっても、いや、だからこそ本気で斬り捨てるつもりだった――彼女も“鍔鳴”が越えなければならない壁だからだ。
 だが、実際はどうだ。
 数ヶ月寝ているだけだったような相手と、努力を重ねてきた自分。
 全く距離が縮まっていないではないか。
 ――そう思うと憂鬱にもなる。

 あの後、もし紅薔薇が入らなかったら、どうなっていただろう?
“銃乙女(ガン・ヴァルキリー)”と“十架(クロス)”。
 一年生の頃から小競り合いを続けてきたあの二人は、今度こそ闘っただろうか。
 もうすぐ卒業である。
 決着を付けたいとは思わないのだろうか。

「今私は機嫌が悪い。言葉遊びなら付き合わない」
「へえ? そんなに“銃マニア”に負けたかったの?」
「その方がよっぽどよかった」
「“十架(クロス)”?」
「……」
「図星だ」
「死合いたいなら付き合うけれど?」

 悔恨の念に伏していた“鍔鳴”のまぶたが開き、目の前の曲者を見据える。
 二年生、無所属の“鋼鉄少女”だ。

「中に用がある。通して」

 中――“鍔鳴”が背にしているドアは、保健室の出入り口だ。
“鍔鳴”は現在、小笠原祥子の指示で保健室を封鎖している。すぐ戻ると言っていたので、それまでの間は護るつもりだ。
 祥子のことだからそう時間は掛からないとは思うが、さすがに行ったばかりなので、まだ戻っては来ないだろう。恐らくは藤堂志摩子の方が先に来るはずだ――彼女の入室は許可されている。
 だが、その他は祥子から指示がなかった。
 ゆえに通せない。

「志摩子さんならいない。怪我ならしばらく我慢して」
「怪我……まあ怪我と言えば怪我だけど」

“鋼鉄少女”の怪我は、プライドに負ったものだ。

「福沢祐巳さんに借りを返しに来たのよ」

 昼休み、ミルクホールにて、祐巳から一撃貰っている。そのお返しに来たのだ。
 無所属の武闘派は、舐められたら終わりだ。
 それに、もうすぐ新生白薔薇勢力の一員として無所属を卒業することになる。だからこそ汚点は確実に拭わねばならない――あまりに無様だと新生白薔薇勢力としての汚点にもかりかねないのだから。

「答えが変わるとでも?」
「いや、思わない。でもお願いがある」
「お願い?」
「祐巳さんに、私が来たことを伝えてほしい。それで祐巳さんが会う気になったら通して」
「伝えたら諦める?」
「今は諦める。約束する」

 ここで“鋼鉄少女”とやりあえば、きっと保健室に害が及ぶだろう。何より封鎖を維持できなくなる。
“鋼鉄少女”は一撃必殺が簡単に入るほど未熟ではない。負ける気はないが無傷で勝つのは難しいだろう。
 ここは条件を飲んだ方が、穏便に片付くかもしれない。

「じゃあ伝えてくるけれど」
「その間、私がここを封鎖する」
「約束だから」
「OK」

 もし裏切ったら確実におまえを斬る――そんな物騒なことを目で語りつつ、“鍔鳴”は保健室に消えた。
 入れ替わりに、約束通り“鋼鉄少女”がドアの前に立った。さすがに紅薔薇勢力遊撃隊隊長に睨まれるのは避けたかった。
 まあ、用件が用件である。そんなに時間も掛からないだろう。

「入っていい」

 程なく戻ってきた“鍔鳴”は、入室を許可した――つまり祐巳が会う気があるようだ。

「ちょっと意外。拒否されると思ったのに」
「気をつけて」

“鍔鳴”は、擦れ違いながら言った。

「早く用件を済ませないと、私より怖い人が帰ってくるわよ」
「え? 誰?」

“鍔鳴”は背を向けたまま答えない。
 しばらく待ったがやはり返答がないので、“鋼鉄少女”は諦めて保健室に踏み込んだ。




 祐巳は驚いていた。
 あの時々校内で見かけた美人(“鍔鳴”)が、事もあろうか祐巳の名を呼ぶとか、いったいどういうことだ。祥子に続いていったいどんなモテ期到来だ。
 なんて一瞬いろめきだった祐巳だが、その美人の伝言を聞いて一気にテンションが下がった。

「来たのか……」

 昼休みに、自分でも信じられないような蹴りを入れてしまった相手が。やったことも蹴りの強烈さも信じられないような。

「うぉぉぉぉぉ」

 小さく声を上げながら、ぎしぎし軋む身体を起こし、なんとか立ち上がろうともがくが――ダメだった。

「うぅ……」

 身体中が痛いし重い。
 きっと文句を言いに来たのであろう相手を、まさか寝たまま迎えるという失礼な真似はしたくなかった。だが本当に身体が動かない。
 もう一度チャレンジする祐巳だが、その最中に衝立が退けられた。

「ごきげんよう、福沢祐巳さん」
「あ、はい」

 タイムアップのようだ。

「あの……先程は大変失礼を」
「気にしなくていいよ」

 と、“鋼鉄少女”は、さっきまで祥子が座っていた椅子に座る。
 怒っているかと思えばそうでもなく、別に笑顔じゃないし友好的にも見えないが、あまり怖くもなかった。彼女が童顔というのもあるのだろうが。

「でもあなたの能力に興味がある。もし悪いと思うなら教えて。それで貸し借りなしでいい」
「ああ……すみません。自分でもよくわからないんです」
「わからない?」
「ああして使えたのも初めてだったので。おかげで全身が痛くて今動けません」
「へえ……そんな気はしてたけどね」
「え?」
「だって祐巳さん、力も身体も何一つ自力でコントロールしてるようには見えなかったから」

 まったく仰る通りで。

「まあ、余談はいいわ」
「へ? 余談?」

 他に本題があるというのか。

「祐巳さん」

 ぐいっと“鋼鉄少女”が顔を寄せた。その瞳はまっすぐで、怖いくらいに真剣だった。

「由乃ちゃんとはどういう関係? 劇の稽古の頃からだいぶ仲良さそうだけど」
「……え?」
「ずっと聞きたかった。ずっと機会をうかがってた。由乃ちゃんとはどういう関係なの? どうして仲が良いの? つまりそういう関係なの?」
「……」

 それが能力云々より大事な話なのか――どう考えてもそうは思えなかったので、祐巳は呆れるしかなかった。




 新聞部の会議は滞りなく進んでいた。

「役割は大まか二つです。片方は遊撃、もう片方は拠点の防衛です」

 三奈子の作戦はこうだ。

「先程見ていただいた“映像”からわかるように、思念体は1体1体が意志を持っていて、かつ意識を共有していると考えることができます」

 中等部・“多目的記録媒体(スイートメモリー)”高地日出美の能力で、水野蓉子の“紅い薔薇”から抽出した“映像”から、久保栞が複数体いてどんな動きをするのかは直接見てもらった。
 視線の配り方や表情から“全自動”ではないことは確かだ。だが“会話”できたり使用者の遠隔操作が可能などという点を見れば、“全自動に近いもの”と考えた方がより正確だろう。もしかしたら意識は“桜草”と直結しているかもしれないが。
 そしてあれだけの数でぶつからないほど見事な連携が可能というのは「意識が独立している」のではなく「意識を共有している」という推測が成り立つ。普通に49人で一人を囲んで攻撃を加えるなら、どうしても互いがぶつかり合うような摩擦があるはずなのにそれがない。
 要するに、だ。

「49の思念体は、一斉にリリアン全土を襲えるということです。一階も二階も三階も、校庭も中庭も。同じ場所に固まるのではなく、1体1体がどこへでも現れる可能性がある。ならば“契約書”三枚を同時攻略、なんてことも可能でしょうね」

 三奈子は、自分がかなり無茶なことを話しているという自覚があった。
 こんな異能使い、いるわけがない。
 そう思っているが、状況証拠と蓉子からの証言で、こんな信じがたい推測を立ててしまった。
 リリアン全土どこにでも現れる思念体なんて、どんな冗談だ。珍しい空間系で、かつ支配領域が無制限だなんて規格外にも程がある。
 だが、得た情報から最悪の推測を立てると、そう考えるしかなかった。
 間違っているならそれでいい。
 三奈子の考えすぎなら、それでいいのだ。
 ――しかし、三奈子のありえない推測を、有能なブレイン達は否定せずに聞いている。
 笑ってしまいたいようなその可能性を、確かに彼女達も感じたから。
 そして、そんな無茶な話だからこそ、紅薔薇と新聞部が動き、自分達が集められた。そう考えられた。

「まず、拠点――暫定として『クロスポイント』と呼びますが、何名かはそこを死守してもらいます。何のための拠点かと言うと、これは他の生徒達の安全地帯として働きます。“桜草”がどんな行動にでるのかわからないので、確実に安全な場所を確保してもらいたいんです」

“桜草”は、蓉子にはっきりと「覇道を行く」と言ったらしい。手っ取り早く頂点に行くには、やはり今は“契約書”争奪戦だろう。
 もし兵隊の数を用意できるのであれば、三奈子なら、“契約書”所持に関係なく、強い奴を片っ端から片付けていく策も考える。端からリタイア宣言を取っていけば、最終的に自分が残って女帝誕生だ。49人もいれば「選んで潰す」のではなく「総当りで潰す」方が返って効率的かもしれない。
 久保栞は思念体で、多くのリリアンの子羊が対処できない。闘いが始まれば一方的にやられるだけになってしまう。
 そこで、安全地帯を作ることで、久保栞に対処できない者達を護る。そのための場所だ。

「“十架(クロス)”さま、お願いできますか?」
「いいけれど、それなら私より優秀な“結界使い”にそういう場所を“創って”もらった方がいいんじゃない? 私のは“結界”としては弱いから」
「知ってます。だから言っているんです」

 三奈子はちゃんと考えている。

「『ただの安全地帯』なら、ただの逃げ場所になってしまいます。そんな場所を堂々と利用する人は少ないでしょう。――“十架(クロス)”さまには、思念体を破壊した後に再生するという流れの、再生部分を遮ってもらいたいんです」
「……ふむ、“再生阻止”か。なるほど」

 言われてみれば確かにそうで、「ただの安全地帯」なら誇り高いリリアンの子羊は利用しないだろう。逃げて誰かに護ってもらうくらいなら負けた方がマシ、なんて考える者も決して少なくないはずだ――ここにいるメンツは全員負けを選ぶだろうし、ならば三勢力幹部達も同じ結論を出さないとは言いがたい。
 ならば、「ただの安全地帯」じゃなければいい。
 「ただの安全地帯」じゃなければ利用する。

「思念体と闘える場所を提供する。『クロスポイント』はそんな感じになるのね?」
「はい」
「ちなみに私の名前を掛けたの?」
「そこは偶然です。交差点という意味ですから」

 だから、あまり強い結界じゃなくていいのだ。それに下手をすれば結界を張った使用者に害が及ぶので、“十架(クロス)”くらい強いものが張らないと、“結界”が崩されるおそれがある。使用者を倒せば“結界”は消えるのだ。

「――気に入った」

“紅蓮の魔犬(ケルベロス)”は挑発的に笑った。

「ならばその拠点、私が護ろう。“番犬”に相応しい」

 三奈子は頷く。

「“紅蓮の魔犬(ケルベロス)”さまと“鴉”さん。それと“九頭竜”さまに『クロスポイント』を任せようかと思っています。特に――“紅蓮の魔犬(ケルベロス)”さまの持つ“契約書”には、思念体が殺到する可能性があります」
「敵は思念体のみではない。そういうことね?」
「――ちょっと待った」

“夜叉”が口を開いた。

「三奈子ちゃん、『クロスポイント』以外へ割り振った人達、遊撃に使おうと思ってるでしょ?」
「あ、はい。そのつもりです」
「じゃあ“契約書”は、拠点にいる人が持っているべきじゃないね。遊撃の人に渡して囮にするか周囲の的になってもらうか、そっちの方が合理的」
「危険すぎます」
「知ってるよ。でも拠点に“契約書”があると、その拠点は『安全』じゃなくなる。思念体もただの強奪者もたびたび襲い掛かってくるような場所、『安全』じゃない。
“桜草”の動きが読めないっていうのは同意する。だから一般生徒の危険も視野に入れた方がいいと思うんだ。一般生徒のためにも『安全地帯』は安全な場所として用意するべきじゃないかな」
「……確かに」

 それは考えないでもなかったが、“桜草”のゴール地点――強者こそ絶対のルールを覆すことは、即ち一般生徒に手を出すようなものではないと自然と思った。
 しかし、ないと言い切れるだろうか?
 三奈子はこの時、自分の想定した最悪の、更に奥の最悪を見つけてしまった。

「……拠点の目の前で、一般生徒が襲われて、襲われ続けて、守護者が拠点から引きずり出される可能性ですね?」

 そんなもの、まさしく愚行でしかない。誇り高いリリアンの子羊には我慢できない光景だ。
 だが、そう思うからこそ、有効だ。
 その光景を見て冷静でいられるなら、そっちの方こそ問題だ。だからこそおびき出すには有効な手段となる。

「私ならやるわね。どうしても果たしたい目的のためなら」

 言ったのは“夜叉”ではなく、“宵闇の雨(レイン)”だった。汚れ仕事も進んでやってきた彼女らしい言葉で、だから重みがある。

「だから拠点には二人必要になる。そんな可能性を潰すためにね」

 一人は拠点を護り続け、もう一人は有事の際に拠点から出て攻撃を加える。“宵闇の雨(レイン)”はそんなマンツーマンのチーム編成を提案した。

「それで行きましょう。編成は皆さんにお任せします」
「この場にいない人でもいい?」
「構いません。なんなら三人四人でもいいでしょう。協力者にどこまで状況を説明するかも各々の判断でいいと思います」

 そして、だ。

「次に、“夜叉”さまが触れた遊撃の方ですが。これも“十架(クロス)”さまの“再生阻止”の“烙印”を押してもらい、自由に動き回り発見し次第排除してもらいます」

“十架(クロス)”の復帰が戦術を広げる。やはり彼女の“簡易結界”は需要が高い。何せ弱く脆いながらも“移動”もできるのだから。

「“銃乙女(ガン・ヴァルキリー)”さま、お願いします」
「わかった……って、私だけ?」
「あ、言い忘れてました。遊撃には山百合会が参加しますので」
「なるほど。じゃ数的には問題ないか」

 そういうことになる。

「以上で作戦会議を終わります。これから『クロスポイント』の割り出しに入るので、興味がない方は外していただいて結構です。ご足労いただきありがとうございました」

“銃乙女(ガン・ヴァルキリー)”が真っ先に席を立ち、同じく居ても邪魔になりそうなので“紅蓮の魔犬(ケルベロス)”と“鴉”、“十架(クロス)”も部室を出ていく。
 そして、問題のこいつも立ち上がった。

「“レイン”さま、明日はよろしくどーぞ」

“複製する狐(コピーフォックス)”だ。どうやらこの狡猾な“狐”は、自分にどんな役目が振られているかちゃんと理解しているようだ。

「こき使うからね」

 ――“宵闇の雨(レイン)”と“複製する狐(コピーフォックス)”は、“桜草”本体を探す隠密兼捜索隊である。表立って言わないのは、味方にもできるだけ秘密にしたいからだ。知っている者が増えると、それだけ“桜草”に伝わる可能性が高くなる。知られたら警戒もするだろう。
 もっとも、「正体を探さないだろう」なんて暢気なことを考えるような間抜けが相手なら、非常に楽なのだが。
 その問題児も去り、新聞部は一気に風通しがよくなった。

「――あー緊張した。三勢力総統を揃えるとか、さすが紅薔薇って感じだよね」

“夜叉”は肩を回し、緊張に固まった身体をほぐす。

「同感です」

 三奈子はもっと緊張したし、今も結構している。ハンカチで額の汗を拭った。

「そう? あの“十架(クロス)”が真面目な顔して会議に参加してたのが面白くて笑いそうだったわ」
「あ、わかるー。私も笑いそうだったー。久しぶりに会ったってのに『何よそ行きの顔して飾ってるの?』って何度か言おうとしたー。顔変えるならまず寝癖直せよって思ったー」

“宵闇の雨(レイン)”の言葉に“夜叉”が子供丸出しで同意し、二人は笑いあう。

 さすがは三年生である。
 さすがに三奈子は共感できなかった。





 新聞部の会議が簡潔に終了した頃、薔薇の館でも話がついていた。

「――じゃあ、そういうことで」

 紅薔薇・水野蓉子から“桜草”問題の概要が説明され、山百合会の仕事として各々には各個撃破の遊撃を任せたところだ。
 当然対処できない者には「“十架(クロス)”の“烙印”がある」ということも話してあるので、疑問の声も上がらなかった。
 黄薔薇・鳥居江利子が少し遅れてやってきたこと、祥子が欠席していることを除けば、こちらも問題なく話し合いは終了した。

 まあ、問題はむしろこれからだろう。

「祐巳さんの容態は!?」

 終了を告げるなり、島津由乃は江利子に問う。
 この場の全員が、福沢祐巳の覚醒について知っている。
 だから江利子が遅れてきた理由を知っている。
 そして、祥子が欠席している理由も、おぼろげながら想像がついている。

「無事よ。意識もしっかりしていた」

 意識が戻ったから会議に参加しに戻ったのだ――まあ理屈ではそうだが、やはり聞きたいものである。
 それだけ確認し、由乃は落ち着いた。
 色々複雑なのだ。

「……祥子さま、祐巳さんを妹にするつもりなんですか?」

 もしそうなれば、祐巳とは敵同士ということになる。
 覚醒云々はどうでもいいが、祐巳を敵には回したくない。立場からすればそっちを真っ先に心配するべきなのだろうが。
 なんだか皮肉な話である。
 祐巳を山百合会に連れてきたのは由乃で、祥子と姉妹になることを願っていたのも由乃なのに。
 だが、今は、なんだか複雑だ。
 それを喜ばないでもないが、あまり歓迎もしたくない。

「祥子が今まで妹を持たなかった理由、知っている?」

 蓉子はまだ、祥子から「祐巳を妹にしたい」という言葉を聞いていない。
 でも姉である。
 姉だから、祥子が考えることは、だいたいわかるつもりだ。

「理由は由乃ちゃんよ」
「私? ま、まさか……」
「いや由乃ちゃんが欲しいとか由乃ちゃんを妹にしたいとかじゃなくて」
「あ、そうですか」

 思わず動揺しちゃったが、そりゃそうだ。冷静に考えてありえない。

「由乃ちゃんの苦労を見ていたからよ。自分もそれなりに苦労して、去年山百合会の一年生として過ごした。でも由乃ちゃんの苦労はその比じゃなかった。半端に強いだけの一年生じゃ心配になったんでしょう」

 そんな悩みもあっただろう。だからもうすぐ二年生になるのに、後継者を探せずにいた。
 そこに、少し前に強大すぎる祐巳の力の覚醒を目の当たりにし、以来ずっと気にはなっていたはずだ。
 そして、今になってそれに見合う覚醒を果たした祐巳。
 知らない仲でもないし、嫌いでもないし、未来予想図では姉妹にもなっているし、覚醒もしたし。
 ここまで揃えば、逆に「妹にしない」理由の方が少ない。

「ま、問題は祥子が祐巳ちゃんを落とせるかどうかよね」
「あら白薔薇。私の祥子がしくじるとでも?」
「いやあ、祥子には女心はまだ早いんじゃないかな」
「いや祥子も女だから」

 だが、女心のくだりは、なぜだかなんかわかる気はするが。




「――でも、祥子の妹云々はともかく、祐巳ちゃんのことはなんとかしないとね」

 祐巳はまだ知らない。
 ミルクホールでの一件が、すでに校内中を駆け回り。
 保健室の前には、三薔薇の二人に同時にケンカを売ったという一年生を一目見ようと待ち伏せしているお姉さま方が沢山いて。

 すでに、祐巳を狩って名を上げようと考える者までいる、ということを。












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