※パラレルワールドっていうの? 原作と設定が違うけど、大目に見てね。
六月の薔薇の館。
二年になった乃梨子は、今年もまた書類の山と格闘していた。
昨年は部活に力を入れていた黄薔薇姉妹と紅薔薇姉妹の諸々のあおりを受け、姉妹になったばかりの志摩子さんと事実上二人で薔薇の館の仕事を回していた。それでも昼休みに黄薔薇姉妹がやってきて手伝ってくれたり、やがて紅薔薇姉妹が復帰したりですぐにその状況は改善された。
だが、今年は違う。
乃梨子もだが、祐巳さま、由乃さまが妹を作らず、現在薔薇の館の住人は四人しかいない。
志摩子さんは環境整備委員会の仕事に忙しく、由乃さまはラストチャンスに賭けるとかで部活に入り浸り……要するに今年も事実上二人で薔薇の館の仕事を回しているのだ。キャリアを積み上げた二人だから対処できないということはないが、行事目白押しの二学期にはどうなる事か。
この状況を打破すべく乃梨子だって動いてはいる。だが、仕事が詰まってくると薔薇の館にいる時間がほとんどで、出会いを求めに行く暇は少ない。
数少ない接触の機会にささやかにアプローチを試みると、向こうが引いていく。「誰でもいいから妹にしたい」というオーラが出てしまっているのだろうか。そこまではがっついていないつもりだったのに。
「ごきげんよう」
「ああ、ごきげんよう、乃梨子ちゃん。来て早々に悪いけれどこれをコピーしてこれとそれを処理しておいて。私はクラブハウスを回ってこなきゃいけないから」
薔薇の館に足を踏み入れた途端に仕事に迎えられる。同じく仕事に忙殺される祐巳さまは大量の資料を抱えて出て行った。
テーブルの上に山と積まれた書類を片付けなくてはならない。それでも、今日は志摩子さんが来てくれる日なので大丈夫だろう。お茶を入れていると志摩子さんが階段を上ってくる足音が聞こえた。
「由乃さんに気になる子ができたらしいって聞いたのだけれど、祐巳さんは何か聞いていて?」
祐巳さまが戻ってきて、一息ついていると志摩子さんが尋ねた。
「え? 私は聞いてないなあ」
「そう? 私も小耳にはさんだ程度だから事実かどうかはわからないわ」
滅多に人の噂に乗らない志摩子さんだがさすがにこの話題は気になったようだ。
「桂さんが言うには部活の後、親しげに後輩らしい生徒とミルクホールに向かっていた所を見たんですって」
「初めて聞いた。同じクラスなんだから教えてくれたっていいのに」
「うまくいっているなら直にわかるのではないかしら」
眩しいほどの志摩子さんの笑顔。
現在薔薇の館で唯一妹を持つ志摩子さんは気にしていないようだが、乃梨子たち妹を探す立場の者からするとこれは喜ぶべきことでもあるがプレッシャーでもある。由乃さまはそこを理解して気を使っているのかもしれない。
去年までなら素直に喜べたが今年はそう思う乃梨子であった。
◆◇◆
「ちょっと、いい?」
由乃はちさとさんに呼び出されていた。
ちさとさんは部長、由乃は副部長なのでたまにこういうこともある。
しかし、今回引っ張られてきたのは体育館倉庫。人目を気にするようなこととなると今現在心当たりがあるのは一つだけである。
「何よ?」
「部長というか、事情を知っている者として確認しておかなくてはいけないことがあるんだけれど」
「回りくどい言い方ね」
「あの子の事情、知らないってことはないわよね?」
遠まわしに気を使っているつもりなのだろうけれど、それがカチンとくる。
「ええ。でも、あの子のことは口を挟まれたくないわ」
口に出したら自分でも言いすぎなくらい強い口調になってしまったが、仕方がない。
「二人のことに口を挟むつもりじゃなかったのよ。ただ、事情を知っている私が祐巳さんたちに聞かれたときに『由乃さんは知ってると思っていた』では済まされないから――」
「それは気を遣わせたわね。でも、ちゃんと私が薔薇の館に連れて行って説明するから――」
全てを察したちさとさんは目を白黒させて由乃の顔を改めて見つめた。
「用ってこれだけ? では、失礼するわ」
ショックで固まってしまったちさとさんを放っておいて由乃は体育館倉庫を出た。
おかしなことになる前に計画を実行してしまおう。
由乃はポケットの中に手を入れて緑の石の付いたロザリオを確認した。
◆◇◆
薔薇の館にやってきた客人は写真部の蔦子さまだった。いつも伴っている笙子さんはおらず、一人だった。
乃梨子は蔦子さまの分のお茶を用意する。
「今聞いたばかりなんだけどね」
挨拶もお茶もそこそこに蔦子さまは三年生の二人に切り出す。
「由乃さんがどうやらロザリオを渡そうとしているらしいのよ」
乃梨子は初めてかもしれないというほど蔦子さまが興奮、というより焦っていることに気が付いた。
「その話なら今志摩子さんとしていたところだけれど」
「ええ、桂さんから聞いたわ」
「相手の子については聞いてる?」
「知らない」
三人は首を振った。
喋る前に蔦子さまはお茶をぐいっと引っかけるように飲んだ。
「海外から短期留学生で来てる子なのよ」
「えっ!?」
一斉に三人は飛び上がった。
「海外に渡ったお祖母さまがリリアンの卒業生だったみたいで少しでもここで学ばせたいって無理を言って来させたって話よ。その子と由乃さんが前から親しくしていたのは知っていたし、短期留学生だからノーマークだったんだけど……」
「ち、ちなみにいつまでいるの? その子」
「来週帰国するって聞いてる」
三人は絶句した。
その時、ギシギシと階段が鳴り、当の由乃さまが見覚えのない生徒を伴ってやってきた。
「あら、蔦子さんちょうどよかったわ。後で写真を取って頂戴」
由乃さまは来週帰国する妹を紹介し始めたが、驚きのあまり乃梨子は話の半分も入ってこなかった。
衝撃を与えた由乃さまは部活に戻らなくてはいけないと言って妹と蔦子さんを連れて出て行った。
祐巳さまはまだ固まっているし、志摩子さんもしばらく沈黙、そして。
「……今日はもう仕事をする空気ではないわね。明日にしましょう」
と言った。
めでたいはずなのに微妙な空気のまま三人は薔薇の館を後にし、マリア像の前に来る。
「あら、皆さまごきげんよう」
手を合わせ終わった瞳子が微笑んだ。
「ごきげんよう」
取り繕うように薔薇さま方は微笑む。
「菜々は紅薔薇さまは初めてだったかしら?」
振り返り、瞳子は妹に聞くと、彼女は頷いて一歩前に出た。
「はじめまして、紅薔薇さま。私、瞳子さまの妹の有馬菜々と申します」
深々と頭を下げる瞳子の妹。
「菜々ちゃんっていうんだ、よろしくね。よかったら今日は一緒に帰る?」
「申し訳ありませんが、本日はお姉さまと一緒に演劇部の資料を借りに行く予定でして――」
「あら、それは失礼」
「いえ」
「この子、演劇部期待の脚本家なんですよ」
嬉しそうに瞳子が胸を張った。
「へえ、瞳子ちゃんが言うなら間違いないね。菜々ちゃんが脚本を書いた舞台があるときは教えてね。見に行くよ」
「ありがとうございます」
「そろそろ行きましょう。ごきげんよう、皆さま」
妹の手を引いて瞳子は去って行った。
瞳子は祐巳さまの妹候補と言われながら結局そうはならなかった。今は妹と一緒に演劇部に専念していて、たまに会うと楽しそうに妹とののろけ話を披露するようになった。そういえば可南子さんも先週ロザリオを渡したとか言っていたっけ。
自分たちにも菜々ちゃんのような可愛らしい妹が現れるのだろうか、ますますプレッシャーを感じた乃梨子はため息をつく。
「はあ〜っ」
全く同じタイミングで祐巳さまもため息をついていた。
どうやら忙しい薔薇の館の状況は今年はしばらく改善されないようである。