【3797】 若干変態気味暇潰しの会話  (ものくろめ 2013-11-03 21:11:36)


このSSは【No:3709】の少し後のお話です。



「あら? 今日は私が2番目かしら?」

 志摩子が扉を開けると、黄薔薇のつぼみである島津由乃が退屈そうに椅子に座っていた。
 かわいい顔を一秒でも早く見ようと、お姉さまは掃除が終えてすぐにやってきたというのに、どうやら愛する妹はまだ来ていないようだった。

「残念、志摩子は3番目。一番手はあちらよ」

 お互いにごきげんようと挨拶を交わしてから、面倒くさそうに由乃が流しの方を指さした。
 志摩子がそちらに顔を向けると、こっちにも人がいますよとアピールするかのように流しの方からカチャカチャという音が聞こえてきた。

「白薔薇さまがいいのかしらね。御自分でそんなことをして」
「何をやっているの、乃梨子は?」
「本人から聞いてちょうだい。ただひとつ言っておくけど、私は別にサボってるわけじゃないから」
「私はそんなことは言わないわ、由乃。ただそう見えることは否定しないけれど」
「それはどうも」

 志摩子の言葉をあっさりと流す由乃。
 由乃の正面の椅子に座りながら、由乃も変わったものよね、と志摩子は思った。
 少し前まではさっきみたいなことを言われたら、きっとムキになって反論していたのに。
 由乃がこうも変わってしまったのは何が原因だっただろうか?
 ほんの少し考えてから、きっと流しで何かをやっている親友のせいなのだろうと志摩子は結論づけた。
 もっとも、その親友がその結論を聞いたら半分は志摩子のせいだと言っただろうが。

「えへへ、今日こそは祐巳にストレートの美味しさを教えてあげるんだ〜」

 流しの方から、満面の笑みを浮かべた乃梨子がお盆を持ってやってきた。
 両手に持ったお盆の上には見慣れたティーポットとティーカップが載せられている。
 ティーカップは三つとも赤と白と黄色の花が描かれたカラフルなもの。
 去年、乃梨子が誤って由乃のカップを割ってしまった際に、せっかくだからと3人で買ったおそろいのティーカップ。
 どうやら言葉とは裏腹に、とりあえず今いる人だけに白薔薇さまが淹れてくれた紅茶は振舞われるらしい。
 まあ、白薔薇さまが溺愛する実の妹にぬるくなった紅茶を振る舞うとは誰も思ってはいなかったが。

「家でもできることをここでやらなくたっていいでしょうに」
「ダメダメ。家ではコーヒーか玄米茶しかいれてくれないから。あ、志摩子ごきげんよう」
「ええ、ごきげんよう乃梨子」
「玄米茶?」
「そう。最近玄米茶にこってるんだ、菫子さん」
「それなら乃梨子が自分で淹れればいいじゃない」
「あー……家だと面倒だからティーパック使っちゃうんだよね。さすがにあれだとミルクなしの方が美味しいとは言えないし」
「だからって自分で淹れなくてもいいでしょうに」
「乃梨子は自分で淹れてあげたいのではないかしら」
「そっ、志摩子の言うとおり。まあ、ちょうど今日は早く来れて時間もあったしね。というわけで、試しに飲んでみて」

 お盆を机の上に載せ、乃梨子はティーポットからそれぞれのカップへと紅茶を注いでいく。
 薔薇の館には砂糖もミルクもあるはずだが、それらはお盆の上には載せられていない。
 どうやら今日は問答無用で無糖のストレートティーらしい。

「私たちは毒見役か」
「あっ、そんなことをいう人には淹れてあげないよーだ。志摩子はいるよね?」
「ええ、貰うわ。私は味見役でもかまわないから」

 空のティーカップを一つ残して、乃梨子は志摩子の前に紅茶の入ったカップを置いた。

「はいはい、私が悪うございました。謝るから私にも淹れてちょうだい」
「りょーかい。で、どうかな? これなら祐巳も気にいるよね?」
「ええ、きっと」
「たぶんね」

 乃梨子が祐巳の好みと自分の好みを同じにしようと試みるのはこれが初めてではなかった。
 そういうことをするから嫌がられるのに、と志摩子と由乃は思っているが、二人共今更それを口に出す気はなかった。
 志摩子は落ち込む乃梨子を慰めるのも、祐巳から実の姉の愚痴を聞くのも嫌ではなかったから。
 由乃はそんなことよりも今飲もうとしている紅茶を楽しむことの方が大事だったから。
 そして、理由は違うかもしれないが、山百合会の他のメンバーも同じように何も言わなかったことだろう。
 祐巳が薔薇の館にくるようになってから、まだ一ヶ月も経っていない。
 だけど、乃梨子の祐巳に対する行動については、乃梨子と祐巳を除く全員の考えが一致していた。
 言うだけ無駄だと。

 志摩子と由乃の間に乃梨子も座る。
 そうして三人並んで紅茶を飲みながら、静かに他の人が来るのを待つ――なんてことには当然ならなかった。
 だって女の子が三人集まったのだから。
 何も喋らずただ紅茶を飲むだけなんてもったいないじゃない。

「ねえ、乃梨子。祐巳ちゃんをスールにしようって思わなかったの?」

 初めに口を開いたのは由乃だった。
 この三人が一緒にいる時はツッコミ役にまわることの多い由乃ではあるが、彼女の気質は決してそれだけではないのだった。
 現に去年のある時期――手術が終わった直後――は由乃が二人を振り回していたのだから。
 もっとも、祐巳の進学が近づくにつれて乃梨子の暴走がひどくなったので、それ以降は振り回されることのほうがはるかに多くなったのだけど。

「……なに、突然に?」
「ダメよ由乃、そんなことを聞いては。乃梨子は私の祐巳に捨てられたんだから。傷を抉るのはかわいそうだわ」
「そうそう、私は捨てられたんだから傷を――って、ひどいっ! 志摩子ひどいよ」
「大丈夫よ、乃梨子。ちゃんと私が拾ってあげるから」
「いや、スールの申し込みは振られたけど、捨てられてはないから! それに“私の祐巳”って、祐巳は志摩子のものじゃないから!」
「妹は姉のものよ。実の姉妹は例外だけれど」
「なにそれ!?」
「……ねえ、話をもどしていい?」

 このままだと埒があかないと、由乃が二人のやり取りにストップをかけた。
 やっぱりかという納得が半分に、なんでこうなるのかという怪訝が半分の由乃。
 そろそろ諦めてもいいんじゃないかと思うけれど、そうもいかないのだから困りものだ。
 だって来年はこの二人と一緒に薔薇さまをやっていくのだから。

「……話ってなんだっけ?」
「由乃は乃梨子が祐巳に捨てられたのではなくて、そもそも乃梨子が祐巳をスールにしようとは思わなかったと言いたいみたいよ」
「ひどいよ由乃っ! 私が祐巳をスールにしようと思わなかっただなんて本気で思うの!?」
「現実になっていないのだから由乃がそう思うのもしょうがないと思うわ、乃梨子」
「そんな……あんなに私の祐巳への思いを熱く語ったのに……」
「いや、だからこそなんで……というか私の話聞こえてる?」
「あの時の乃梨子の話は長かったからしょうがないわね。私も覚えてないわ」
「二人ともひどいっ!」

 他の人がいるときは決してこんなことにはならないのに、三人だけになるとすぐにこうなるのだから不思議だ。
 それは白薔薇さま、紅薔薇のつぼみとして他の人に恥ずかしいところを見せたくないという気持ちのあらわれなのかもしれない。
 だとしたら、それを目の前で見せてくれるのは気のおけない親友だからか。
 もしそうなら嬉しいような悲しいような。
 なんとも言えない複雑な気持ちになる由乃だった。

「ああ、もう! 説明不足だったのは謝るから」
「うぅ……せっかく家からお気に入りの紅茶を持ってきたのに。恩を仇で返された……」
「仇でなんか返してないでしょうに。大げさな」
「そうね、この前乃梨子の家で飲んだ紅茶と同じだったから、特に恩は感じなかったわ」
「訂正。志摩子には当てはめてもいいと思うわ」
「今度から志摩子に出すのは玄米茶にしてやるんだからっ!」
「じゃあ、次からは祐巳にミルクティーを淹れてもらうことにするわ」
「そんなのずるいっ!」
「もう乃梨子も祐巳ちゃんと同じミルクティーにすればいいんじゃない?」
「えっ、流石にあれは甘すぎてちょっと……」

 実の姉である乃梨子が引いてしまうほどに祐巳は大の甘党だ。
 そして無糖のストレートティーを好むことからわかるように、乃梨子の好みは甘さ控えめ。
 似たところを探すほうが難しい二条姉妹だが、やはり味覚も違うらしい。
 それがわかっていながら、祐巳に無糖のストレートティーを振る舞おうとするのはどうなのだろうか。
 私の好みはどちらかと言えば乃梨子の味の好みに近いのか、と目の前の紅茶を飲みながら由乃は思った。

「それで、話を戻すけど、どうして?」
「え、えーと……なんだっけ? この紅茶を買ったお店だったっけ?」
「違う。わかってるのに、話をそらすな。あと、お店は後で教えて」
「う、いや、なんというか……」

 やや強引に由乃が話を元に戻した。
 乃梨子はとぼけるが、そうは問屋がおろさないとばかりに由乃が追い込む。
 一年前に会った可憐で儚げな少女は、はたしてどこに行ったのか。
 乃梨子は今だけでいいからあの時の由乃に戻って欲しいと願う。
 その願いが届いたのかどうかはわからないが、隣から救いの手が伸びた。

「ダメよ由乃。あんまり乃梨子をいじめては」
「だって気になるじゃない。あんなに祐巳祐巳言ってたのに」
「それだけ瞳子ちゃんに魅力を感じたってことでしょう」
「そ、そうそう。祐巳が家に瞳子を連れてきた時に、なんというか、こう、ビビっときちゃったんだよ」
「ふーん、なるほど。瞳子ちゃんに一目惚れしたってことね。スールってそういうものなのかしらね」
「まだ妹のいない由乃にはわからないかしらね」
「それは言わないでよ」

 痛いところをつかれ、追求を止める由乃。
 やや不満気な顔をしてはいるが、とりあえず一息つこうと由乃はティーカップを手にした。
 完全に納得しているわけではないが、今日のところはここまでにしておいてやろうというところか。
 そんな由乃に気付かれないように、乃梨子が目で志摩子に「ありがとう」と伝えた。
 それを見て、志摩子は口元を緩ませた。
 もちろん、由乃には気付かれないように。
 志摩子の言ったことが正解でないことは二人共理解しているから。
 といっても、瞳子のことが気に入ったからというのも嘘ではない。
 ただ、一番大きな理由ではないというだけで。
 乃梨子が祐巳にスールの申し込みをするのを戸惑った最大の理由は黄薔薇革命だから。
 終わったこととはいえ、由乃の前でそれを口にするのは流石に躊躇われるのだった。

「それでもさっきはあんなに騒ぐんだから。本当にシスコンよね、乃梨子は」
「そんなに褒めても何もでないよ。あ、紅茶のおかわりいる?」
「いる。あと、褒めてないわよ」
「志摩子は?」
「私はいいわ」
「りょーかい。そろそろ祐巳と瞳子も来るだろうし、もう一回お湯を沸かそうかな」

 乃梨子がお盆を持って席を離れた。
 妹たちに紅茶を振る舞うところを想像しているのか、その後姿はうきうきとしていてスキップでもしそうだった。
 乃梨子の姿が見えなくなってから、両手で口を覆って、由乃がつぶやいた。

「いつかは私にも教えてくれるのかしらね」

 それはひとりごとだったのか、それとも志摩子へ聞かせるものだったのか。
 寂しさを感じさせる仕草ではあったが、その声は決して暗いものではなかった。
 どことなく強さを感じさせるそれは、一年前の由乃にはなかったものだ。
 志摩子が由乃に優しく微笑みかけた。 

「私も別に教えてもらったわけではないのよ」
「……そうなの?」
「ええ」
「……それはそれで、なんか悔しい」

 両腕をテーブルの上にのせて、肩の力を抜いてため息をつく由乃。
 志摩子がわかっていることを自分がわからないということで、落ち込んでいるらしい。
 そこで「なら教えてよ」と志摩子に聞かないのは、自分の力だけでわかりたいと思っているからだろう。
 そんな由乃を見て、志摩子もため息をついた。
 志摩子は決して由乃の察しが悪いわけではないことを知っている。
 病弱だったせいもあるのだろう。
 自分が前に出ずに、一歩引いた立場でいるときの由乃は、きちんと周りを見て些細なことも拾うことのできる優秀な少女だ。
 だから志摩子と乃梨子は安心して暴走できているのだから。

「元気をだして、由乃。そんな風に落ち込んでいるのを祐巳が見たら、祐巳の可愛い顔が曇ってしまうわ」
「ありがとう……相変わらず一言余計な気がするけど」
「気のせいよ」
「……ああ、そう」

 また、ため息をつきたくなる気持ちを抑えて、由乃は「よしっ」と気合を入れた。
 もうすぐ他の人も来るだろうし、落ち込んでばかりはいられない。
 暴走しがちな二人を抑えることができるのは自分だけなのだから。
 紅薔薇さまは孫にご執心だし、自分のお姉さまはヘタレで頼りにならない。
 この薔薇の館の平穏は由乃の手腕にかかっているといっても過言ではないのだ。
 元気をだした由乃を見て、志摩子が安心したように再び微笑んだ。
 ちょうどそこで扉の外から階段を登る足音が聞こえてきた。

「この足音は祐巳と瞳子ちゃんとおじゃ……お姉さまね」

 扉越しに聞こえる足音だけで人物を特定する志摩子。
 それを聞いて呆れた顔をする由乃。
 言いかけた言葉の続きは気にしないほうが良さそうだった。
 
「私も妹を作ろうかなあ」

 由乃の口から漏れたつぶやきは、今度は誰にも聞かれることなく室内に消えた。
 親友二人がこんなにも夢中になるのだから、きっと妹というのは素晴らしいものなのだろう。
 できればこの苦労をわかちあってくれるか、ねぎらってくれる妹がいいのだけれど。
 その願いが叶えられるのかはわからないけれど、とりあえずあの時望んだ楽しい学園生活を送れてることは確かだった。
 ただ、そのことをマリア様に感謝するべきなのかどうかについては悩む由乃だった。


一つ戻る   一つ進む