【413】 黒志摩子ハンドブック  (柊雅史 2005-08-24 00:18:29)


最近、志摩子は悩みを抱えていた。
妹問題に揺れる紅薔薇・黄薔薇姉妹に比べて、白薔薇姉妹は平和で平穏で猫が縁側でぬくぬく欠伸をしちゃってるのだ。
「はぁ……これが倦怠期というものなのかしら」
図書館で『倦怠期を乗り越えろ・結婚3年目の夫婦に贈る日常の刺激』を読みながら、志摩子はそっと溜息を吐いた。
乃梨子に不満は感じない。自分にはもったいないくらいの妹だとは思う。
けれどそれ故に、何かこう、縁側で緑茶片手に猫のノミ取りに励んで一日が終わるような気分なのだ、最近は。
「倦怠期のピークは3年だと書いてあるのに。どうして私たちにはこんなに早く倦怠期が来てしまったのかしら? いやだわ、相性が悪いのかしら?」
それは困る。もはや志摩子は乃梨子ナシでは生きていけない。貴重なツッコミ役――もとい、大事な支えなのだ、乃梨子は。
もしも乃梨子も同じように感じていたらどうしよう。志摩子は身震いした。
「――ふふふ、悩んでいるようね、志摩子」
「え? ――あ、あなたは!?」
いきなり背後に現れた人影に、志摩子は驚きと共に立ちあがる。
志摩子に声を掛けたのは、仮面で顔を隠した女性だった。顔は分からないし、声もボイスチェンジャーでも使っているのか、変な声だった。
けれど、志摩子は仮面の上、燦然と輝くオデコに見覚えがあった。
「あなたは――とり」
「おおっと、私は退屈仮面! 日々、退屈と戦う謎のセクシーウーマンよ!」
志摩子の先を制して、見覚えのあるオデコの退屈仮面がポーズを決める。
「分かる、分かるわよ志摩子。退屈は敵。退屈は悪。退屈は銀杏王子だわ!」
「はぁ……」
「そんな志摩子にはこれを上げるわ。日々を刺激的に過ごすためのノウハウを凝縮した、退屈印の指南本よ!」
「……退屈印じゃダメなんじゃ」
「シャラーップ! 細かいことを気にしちゃダメ。バウムクーヘンが何巻か数えちゃダメ。死にたくなるから」
「いえ、そんなことはしませんけど」
「これを実践すれば、あら不思議。退屈な姉妹関係とはオサラバ、これまでとは違った雰囲気が訪れること間違いなし! ヒトラーもナポレオンもネロ皇帝も愛用した小冊子、それがこの本よ!」
退屈仮面が手渡してきた本に視線を落としてみる。
『黒志摩子ハンドブック・平成版  著者・退屈仮面』
すげーツッコミどころ満載だったが、あいにく志摩子は乃梨子のようなツッコミ技能を有していなかった。
黒志摩子ってなんですか?
平成版って書いてあるんですけど?
そもそもヒトラーもナポレオンもネロ皇帝もちょっとマズイんじゃないですか?
どのツッコミがベストか志摩子が考えている間に、退屈仮面は高笑いを上げながら、颯爽と図書館を出て行ってしまった。
残された志摩子は、真っ黒な表紙のその本を手に立ち尽くす。
「えっと……どうしよう……?」
困ったように呟いて、志摩子はちょっとその本をめくってみた。
その本には、挨拶編から始まるシチュエーション別黒志摩子のススメが、ぎっちりと書き込まれていた。


「あ、志摩子さん!」
翌朝、マリア像の前で志摩子は乃梨子に声を掛けられた。
乃梨子の弾んだ声に微笑みを浮かべながら振り向きかけ――志摩子はそこでふと、昨日目にしたシチュエーション別黒志摩子のススメを思い出す。
「志摩子さん、ごきげんよう!」
「いつも機嫌が良いと思ったら大間違いだーーーーーーーーーーーーーーーーー!」


乃梨子に指を突きつけながら、志摩子は思う。
えり……退屈仮面さま。これはちょっと、違うんじゃないでしょうか……?
心の中でひっそりとツッコミを入れながら、しかし志摩子は巷で蔓延する黒志摩子への脱皮を、確実に開始したのだった。


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