「カツミさん!」
『はい?』
誰かの呼ぶ声に、振り向いた克美。しかし、呼んだであろう人物は、笑顔で手を振りながら、そのまま廊下の影に消えていった。
『なんだ、人違いか…』
気のせいか、すぐ近くで、違う声音の同じセリフが聞こえる。
はてな?と思いつつ声の方を見やると、顔は知っているけど、名前は知らない恐らくは同級生が、同じようにこちらを見ていた。
『えーと…』
再び声が揃い、見詰め合う二人。
『………』
無言のまま、しばしの時間が過ぎる。
「失礼ですけど…、あなたも克美さん?」
「ええ。そうおっしゃるあなたも克美さんね」
「知ってらっしゃるの?」
「学年トップファイブ常連、内藤克美さんを知らない方がおかしいと思いません?」
「有名だと思ったことは、一度もないんですけれど」
「それでも、何かに秀でている人は、自然と名を知られるものよ」
そんなものなのだろうか。
でも確かに、ライバルに当たる成績優秀者の名前は知っているものだし、クラブ等で活躍している生徒は、学園内ではよく知られているのも事実。
特に山百合会関係者は注目度が高いせいか、その本質はほとんど知られていなくても、薔薇さま、あるいはその姉妹というだけで、知らないものはいないぐらいだ。
「なるほど。おっしゃる通りね、えーと…」
「佐々木です。佐々木克美」
「と言う事は、佐々木克美さんと内藤克美、そして先程誰かさんが呼んでいたカツミさんとで、高等部には最低3人はカツミがいると言う事ね」
「そうね、何年生なのか分からないのが残念だけど、出来れば三年生であって欲しいわ」
謎のカツミがいたらしい廊下の角を見ながら、何故か楽しそうな佐々木克美だった。
「ではごきげんよう克美さん」
「ええ、ごきげんよう克美さん」
再び見詰め合った二人は、どちらともなくクスクスと笑い出した。
「それでは」
「ええ」
そのまま二人は、微笑を浮かべて、渡り廊下の向こうとこちら、それぞれの方向へ歩き出した。
ほんの数分の珍しい経験。
でもそれは、高校生活勉強一本だった内藤克美の心に、遅まきながら学園での楽しさに対する自覚を芽生えさせていた。