No.545 『乃梨子、逆行すれば』
> 書かれないんですか・・・・それは残念。
> 続けてみませんか?
続けるとこうなりますが……。
「いかがかしら?」
「え? あ、ごめんなさい、今日はちょっと用事があって」
一緒に聖書を学びましょうという敦子さんのお誘いを断わったんだけど、今回は前回と違い本当に用事があった。
「せっかく誘ってくださったのに、ごめんなさい。ごきげんよう」
私は鞄を抱えて、教室を飛び出した。ぐずぐずしていていられない。
そうなのだ、今日のために、すぐにでにも会いたいのを我慢して前と同じ行動をしてきたのだ。
志摩子さんと出会える今日という日のために!
(さてと)
学園の敷地を歩きながら前回のこの日のことを思い出していた。
神々しい、神社のご神木のように気高く美しい桜。
入学式の日に五分咲きのそれを見て心引かれてまた今日という日に見に行った。
確かあの時は……
講堂に向かって小走りに駆け出した。
桜の木々が、次第に銀杏の木に取って代わる。
講堂の壁まで来て薄紅色の小さな花びらが落ちているのを見る。
(もうすこし……)
建物の角を曲がる。足下の花びらはどんどん増えていく。
次の角を曲がったところでその光景が見えるはずだ。
前回も見た角からはみ出した一枝が目に入った。
(……そこだ!)
あのときのマリア様のような志摩子さんの姿がそこに……
「あ! 乃梨子ちゃんだ。ごきげんよう」
……なかった。
「ゆ、祐巳さま……」
そこでは何故か祐巳さまがニコニコと微笑んでいた。
(な、なんで……)
全身の力が抜けた。
志摩子さんは祐巳さまの後から不思議そうな顔でこちらを見ていた。
「祐巳さん、お知りあい?」
志摩子さんは祐巳さまにそう言った。
(……あ、あれ? なにか違和感が)
「え……、あ!」
祐巳さまは口に手を当てて「しまった」って顔をした。
「あ!」
同時に私も。
だって、祐巳さまに会うのは初めてのはずなのに。
私が思わず祐巳さまの名前を言ってしまったのだけど、その前にどうして「乃梨子ちゃん」って私を呼ぶの?
これじゃまるで戻る前の……ってまさか?
「祐巳さん?」
祐巳さまの様子に志摩子さんが首をかしげてる。
「そ、そうなのよ、ちょっと前に知り合っちゃって」
取り繕うように祐巳さまは志摩子さんにそう言った。
「あの時は、お世話になりました」
と、話をあわせつつ、私は疑いの視線で牽制するのを忘れない。
「ど、どういたしまして」
「あ、はじめまして。祐巳さまのお友達の方ですよね」
思い切りびびってる祐巳さまはおいといて、志摩子さんに挨拶した。
もしかしたら志摩子さんもかと思ったけどさっきの台詞からしてそれはない。
だとしたらちゃんと挨拶しないと。初対面の印象は大事だし。
「あら、はじめまして。藤堂志摩子です」
包み込むような優しいマリアさまのような微笑みで志摩子さんはそう言った。
その光景に心を奪われた。
背景に舞い散る桜。
輝くような志摩子さんの笑顔。
そのとき、私の視界にはその二つしかなかった。
なんか志摩子さん前のときよりパワーアップしてるよ?
「……忘れてしまったかしら?」
「乃梨子ちゃん?」
「え?」
気が付くと祐巳さまが横から私の顔を覗き込んでいた。
なにを? と思っていたら祐巳さまが言った。
「『言葉』を忘れちゃったのかなって」
「あ、いえ、私、二条乃梨子です」
「よろしくね」
「あ、はい」
祐巳さまに邪魔されてしまったわけだけど、そこには微笑む志摩子さんの顔を見ながら「こんな出会いも良いかな」なんて思っている私がいた。
「祐巳さま」
「な、なに?」
じとっ、と睨んでたと思う。だって怒ってたから。
「あとでお話が」
「う、うん、わかったよ」
〜 〜 〜
「『この桜も見頃は今日まで。一人で鑑賞するにはもったいなかったから、お客様が増えてよかったわ』」
「あの?」
ここは古い温室。
前回と違って祐巳さまも一緒だったけど、会議があるといって志摩子さんが行ってしまうまで心ゆくまで桜を堪能して、そのあとだ。
「『あの、毎日いらっしゃるんですか』『ええ。桜が咲いてからはだいたい。この木に誘われて』『誘われる?』『そう、誘われるの。あなたも誘われてきたのではないかしら?』」
「乃梨子ちゃん?」
「『どの桜もきれいだわ……でも、この木のように特別に引き付けられることはないの』」
「おーい」
「『どうしてなのかしらね』『独りきりなのに、こんなにきれいに咲けるから……?』『そうね。……本当に。あなたの言うとおりだわ』」
「帰ってきてー」
「祐巳さま」
「え!?」
祐巳さまのせいで失われた志摩子さんとの会話の再現をひとしきり堪能した後、私は祐巳さまに向き直った。
「いえ、あえて言います福沢祐巳」
びしっと祐巳さまに人差し指を向ける。
「いきなりフルネーム? しかも呼び捨て!?」
「あなたも未来から戻った。そうですね」
「う、うん」
「私はやり直しなんて必要なかった。なのに気が付いたら受験前。そう、約一年弱巻き戻っていた」
「そうだったんだ。私は二年生のクリスマスから高等部の入学式だったよ」
「え? じゃあ始点は同じなんですね」
「そうだよ。なんか奇遇だねっていうのも変だけど」
「その時間に何かあるのかな……って違います! 私が言いたいのは」
危ない危ない、祐巳さまのペースに巻き込まれるところだった。
「なにかな?」
「どうしてあそこに祐巳さまが居たんですか!」
「えっと……」
「この出会いのためにこの数ヶ月、会おうと思えば幽快の弥勒像を観にいくとかなんとか、いくらでも理由付けられたのにそれを我慢して……」
「行けばよかったのに」
のんきな祐巳さま、あなたには悩みってものがないみたいですね。
「いいえ! 私は未来を変えようなんて思いません。だから退屈なのを我慢して前とまったく同じ行動をしてきたっていうのに」
「そうだったんだー」
なんですか、その「無駄なことしてたねー」みたいな表情は。
祐巳さまは私が志摩子さんとの時間をどれほど大切に思っているか全然判っていませんね。
「いいですか、もうこれ以上未来を変えるような行動は慎んでください」
そうだ、まだ遅くない。
ちょっと違っちゃったけどさっき志摩子さんとだって似たような会話ができたし。
そのとき、祐巳さまは手を合わせて申し訳なさそうにこう言った。
「ごめん、乃梨子ちゃん。それ手おくれ」
「は?」
手おくれって?
「志摩子さん、いま別に落ち込んでないし、寂しそうにしてもいないんだ」
「そ、それって、どういうことですか?」
この時期は前の白薔薇さまが卒業されて志摩子さんは不安定になっていた時期のはず。
だから私がその心を埋める存在として登場して……、あのマリア祭は悔しかったけど未来のために甘んじてだまされようとまで思っていたのに、それが手おくれっていったい?
「なんか入学してすぐ志摩子さんに声をかけたらそのあとが全然変わっちゃって……」
「なっ……」
あはははと頭をカキカキ愛想笑いする祐巳さまに私は……
「なんて事をしてくれたんですかーーーーー!!」
夕暮れの古い温室に私の悲痛な叫びが響き渡ったのだった。