【730】 笑顔の力  (六月 2005-10-15 00:18:32)


リリアン女学園の銀杏並木をあても無く歩いていると、晩秋の冷たい風が頬をかすめていく。
どこか寒々しい曇り空は今の私の心を写しているみたいだ。
こんなにも悩み続けるなんて、らしくないじゃないか、武嶋蔦子。
ため息だけが「ふぅ」と零れる。

「ごきげんよう」
「・・・ごきげんよう、志摩子さん」
銀杏拾いに興じる白薔薇さまか、いつもならシャッターチャンスは逃さないんだけど・・・。
「何かお悩みのようね、蔦子さん」
にっこりとほほ笑みながら痛いところを突いてくる、それは白薔薇の血統なんですかね、まったく。
しかも、見つめ合ったままで何も言わないなんて、・・・りょーかい、降参です。
「志摩子さんは乃梨子ちゃんを妹にする時に悩んだりした?」
「えぇ、それはすごく。
 ・・・薔薇さまの称号が乃梨子の重荷になりはしないか、私が妹を持ってもいいのか、悩んだわ」
薔薇さまの称号か、たしかにそれは重いかも。
「でも、乃梨子がその悩みを半分持ってくれた。だから迷うのをやめたの。
 私は乃梨子が好き、一緒に居たいから」
「志摩子さんもストレートに言ってくれるわね」
まったく、こっちはどんな顔して聞いていたら良いのよ。
「笙子さんは嫌い?祐巳さんは喜んでいたわね、蔦子さんにも良い出会いがあった、と」
本当に心臓に悪いことを真っすぐに聞いてくるんだから・・・。
「好き嫌いじゃないの、私はこの学校の生徒一人一人の一瞬を、平等に写し、残していきたいのよ。
 一人だけを特別扱いするようなことは出来ないわ。それは他の人たちに対する裏切りだもの」
私の話聞いた志摩子さんはしばらく小首をかしげたあとポツリともらした。
「ということは、蔦子さんのポリシーはその程度のものだったということじゃ無いのかしら?」

って聞き捨てならないわね。
「どういう意味?たとえ白薔薇さまのお言葉でも怒るわよ」
「だって、特別な人が一人出来ただけで、蔦子さんは蔦子さんで無くなってしまうのかしら?
 笙子さんにのめり込んで、他を捨ててしまうほど、武嶋蔦子さんは弱い人なの?
 だから逃げているのかしら?」
私は・・・逃げている・・・怖いのかもしれない、笙子ちゃんが好きな自分が・・・。
「写真か、笙子さんか、どちらか選ばなければいけない・・・と、そう思い込んでいるのね。
 どちらも手に入れれば良いのに」
その言葉にはっと顔を上げる。柔らかな髪を風に揺らし、まるでマリア様のように微笑む志摩子さんの顔を茫然と見つめた。
「三奈子さまは新聞部の活動をあれだけこなしながら、真美さんをおろそかにしたかしら?
 桂さんのお姉さまは桂さんとテニスのどちらかだけを大切にされていたかしら?
 蔦子さんが笙子さんと写真の両方を大事に思う、これはごく普通のことではないのかしら?」
でも、私が写真に熱中したら笙子ちゃんのことをどこまで思っていられるか自信が・・・。
「それに、笙子さんは写真に夢中な蔦子さんと、写真を捨てた蔦子さんのどちらが好きなのかしら?」
それは私の心の奥を一番突いた言葉だった。笙子ちゃんは私の写真が好きだと言ってくれた。
私の写真の中で輝けると喜んでくれた。そしてこんな私の側に居るために写真部に入部した。
そうだ、笙子ちゃんにとって私は『写真部のエース武嶋蔦子』なのだ。
「姉妹(スール)は姉が妹を教え導くもの、だけど、姉は妹に支えられて成長して行くものでもあると私は思うの」
志摩子さんの指が私のカメラをそっと撫でていく。
「ねぇ、蔦子さん。笙子さんにカメラを教えること、一緒に写真を撮ることは楽しくない?」
えぇ、楽しいわ。撮影技術を教えている時のあの笑顔が好き。カメラ恐怖症を克服しようとしている姿が愛しい。

「人は出会うべくして出会うものだわ」
えぇ、ただシャッターを切るだけじゃない楽しさをあの娘が教えてくれる。
私に力をくれる笙子ちゃんの笑顔のためにも、もう、迷わない!
「ありがとう、志摩子さん。これから笙子ちゃんに妹になって、と言ってくる」
「酷いこと言ってごめんなさいね。ロザリオは持っているの?」
ロザリオか、きっと私達にはそんなものは要らない。
「ううん、これがある。私の一部になっているコレをあの子に託すわ」
私が長年慣れ親しんだこのカメラ。これが写真部姉妹のロザリオよ!


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