ハンドルを握ると人が変わる。
あなたの身近にも、そんな人が結構居るだろうと思います。
例えば家族、友人、学生なら同級生、社会人なら同僚や上司、先輩後輩など。
そして、私の妹もそんな一人だったりします…。
「志摩子さん」
「乃梨子」
リリアン高等部での三年間で、私の意識は大きく変貌しました。
友人たちとの関り、妹との出会い、山百合会や環境整備委員会を通じての人との繋がり…。
それら全てが、私を変えました。
今では、変わって良かったと心の底から思っています。
私は高等部卒業後、大学部に進学しました。
そして、妹の乃梨子も、同じリリアン大学部に進学。
三代に渡るかつての白薔薇さまが全員大学部にいるのは、ありそうであまり無いことではないでしょうか。
「お待たせ。さ、乗って乗って」
高等部卒業後、すぐに教習所に通い出した乃梨子は、同時にネットで株を購入し、免許を取得する頃には、中古車1台を買えるだけの資金を得ていました。
そうして乃梨子は今、買った車に乗って、私を家まで迎えに来てくれたのです。
「それじゃぁ、お願いするわね」
「うん」
乃梨子の車は、赤い色のスポーツカー。
フロントグリルには『H』のマークが輝き、ヘッドライトの形が涙を溜めているように見える、ちょっとずんぐりしているけど同時にシャープでもある、スリードアのクーペ。
「乃梨子、この車、なんて言ったかしら?」
「ああコレ、インテグラって言うの」
そう、乃梨子が買ったのは、『ホ○ダインテグラiS(LA-DC5)』という車でした。
「シートベルト締めた?」
「ええ、大丈夫よ」
「では、しゅっぱ〜つ♪」
ご機嫌な乃梨子は、パーキングブレーキを下ろし、素早くシフトノブを『D』に入れ、滑らかに車を前進させました。
彼女はもちろん、私も今日は上機嫌です。
さすがに大学部となると、学年ごとのギャップが大きく、なかなかスケジュールを合わせることができません。
校内で少し顔を合わせたり、電話のやりとりは頻繁に行っていますが、プライベートでは、時間が非常に取り難いのです。
そんな中、私たちは久しぶりに、二人だけでお出かけが出来るのですから。
エンジン音は、ステレオから聞こえるアヴェ・マリアの曲に掻き消され、ほとんど聞こえず、窓の外を流れる見慣れたはずの景色は、普段と違う環境にいるせいか、少し変わって見えました。
私の家小寓寺の辺りは、民家は少ないものの、比較的曲がりくねった坂道が多いので、途中バスとすれ違いながら、乃梨子は慎重に走らせます。
しばらくして国道に出た私たちは、休日にしては交通量が少ない道を、他愛の無い会話をしながら走り抜けて行きました。
「ん?」
ルームミラーに目をやりながら、訝しげな表情をする乃梨子。
助手席側のドアミラーを覗けば、やたらゴツイ格好の車が、後にぶつかりそうなぐらい近くに寄っているではありませんか。
しかも、パッシングまでする始末。
「ちっ、野郎…。ケンカ売ってんのか?」
いつもの乃梨子らしからぬ、剣呑な口調。
「…ねぇ乃梨子?あなた、まだ初心者よね?」
「ええそう…ってしまったぁ!マーク貼り忘れた!」
どうやら後の車は、レーシーな雰囲気のこの車に対し、勝負を吹っかけようとしているみたいです。
「クソッタレ、このまま舐められっかぁボケェ」
多分ノーマルのオートマチック車で、走り屋仕様っぽい車に勝てるわけないのですが、乃梨子のハートはごうごうと燃えている模様。
まさか、乃梨子がハンドル握ると豹変する人だったとは…。
しかも、口調まで変わっています。
「志摩子さん、速いん平気?」
「え?ええ、大丈夫…だけど」
お姉さま…聖さまの乱暴な運転によって、耐性が付いてしまった私、多少のことでは動じなくなっています。
良いことなのか悪いことなのかはさておいて。
「ほな、シートに深く座って、ベルトしっかり締めといてや。行くで!」
グイっとアクセルを踏み込む乃梨子。
ATとはいえ、5速まであるiS、キックダウンが効いて、一気に加速します。
「一応リミッターは外してんねや。下手な走り屋ぶった連中なんぞに、負ける車やあらへんで!!」
i-VTECエンジン(と言うらしいです)が唸りを上げ、スピードメーターの針が、180をあっさりと突破しました。
「オラオラオラオラオラァ!ついて来れるもんならついて来さらせンダラァ!」
車体がビリビリと振動し、風景がまったく形を成さない状態。
後に来ていた車は、とうの昔に視界から姿を消していました。
「乃梨子!?」
「何!?」
「スピードを落として!」
いくらなんでも、こんなスピードで捕まってしまえば、免停は確実。
しかも走っているのは国道、他の車も通るし、信号もあれば人もいます。
すぐにスピードを落す乃梨子。
「あちゃー、やっちゃったよ…」
赤信号で停車した乃梨子は、落胆の言葉と共に、ハンドルに突っ伏しました。
日中に国道にて200オーバーで走ったのは、ひょっとしたら乃梨子が最初で最後かも知れません。
「乃梨子?」
「何?」
「…まぁ、過ぎてしまったことは仕方がないわ」
「そうだね…」
「取りあえずは…そうね、当初の予定通り」
「うん。はぁ…」
溜息を吐きつつ、再び慎重に走り出す乃梨子でした。
結局、捕まることはなかった乃梨子でした。
あとで聞いた話なのですが、煽ってきた例の車は、花寺の卒業生で見知った某二人組が乗っていたそうです。
ちょっとした悪戯のつもりだったのに、いきなりブッちぎられて、どうしようもなかったと。
しかも、外装だけ先行していたので、中身はまったくノーマルのまま。
普通に走っていても、乃梨子の車に勝てたかどうかって代物だとか。
お姉さまも乃梨子も、ハンドルを握ると性格が変わる人。
ひょっとして私も、二人と同じなのでしょうか。
そう考えると、怖くて免許を取る気になれません。
白薔薇さま経験者ながら、こんなに白薔薇さまを(別の意味で)恐れるとは、思いもしませんでした。
願わくば二人とも、事故だけは起こしませんように。
アーメン。