【85】 お姉さまに負けるな  (ますだのぶあつ 2005-06-23 13:20:26)


 放課後、薔薇の館の前で祐巳さまと一緒になった乃梨子は、年明けに行われる山百合会幹部選挙の話をしながら、入り口の扉をくぐった。
 ぎしぎし音を立てる階段を上り、いつものビスケット扉を開こうとすると、突然中から扉が開かれ、誰かが飛び出してきた。

 うわっと淑女らしからぬ悲鳴を上げかろうじて乃梨子は飛び出てきた人を避けたが、飛び出てきた人は後ろにいた祐巳さまにぶつかってしまった。

「ぎゃっ」
 飛び出てきた人が小柄だったから、倒れることはなんとか免れたようだ。

「だ、大丈夫?、瞳子ちゃん!」
 祐巳さまの胸に頭突きをするような形になってしまった瞳子は、初め悪い夢でも見たように目を見開いて呆然としていたが、急に我に返るといつものように祐巳さまに食ってかかった。

「と、突然、扉を開けないでくださいまし、お姉さま!! 危うく怪我をするところじゃないですか?!」
「ご、ごめん」
 祐巳さまは瞳子の剣幕に思わず謝ってしまったが、どう考えても飛び出してきた瞳子が悪い。つい先日、ロザリオを授受して姉妹になり、互いの本当の気持ちを知っているとはいえ、その理不尽さに憤慨して、瞳子に注意をする。

「瞳子、今のはどう考えても飛び出てきたアンタが悪いでしょ?」
 見ると祐巳さまがいいのいいのと笑顔で手を振ってるが、瞳子の方は乃梨子の言葉が相当効いたのか、唇を噛んで俯いた。
 ああ、何だか判らないけど、混乱してつい動揺の矛先が祐巳さまに向けてしまったのか。乃梨子は瞳子が反省してると判って、それ以上言葉を重ねるのを止めた。

 瞳子は決まり悪そうに視線を彷徨わせると、一歩後ろに下がって頭を下げる。
「……ちょっと、頭を冷やしてきます。祐巳さまには後できちんとお詫びします」
 最後の方は私に言ったのか自分に言ったのか凄く小さな声になっていたけど、確かにそう言った。そして顔を上げ、怒ったような赤い顔で祐巳さまを睨むと、踵を返し音高々に薔薇の館を出て行った。

「……ま。すぐ戻ってくるでしょ。お茶入れて待ってよう」
 慣れているのか信じているのか、祐巳さまは何もなかったかのように部屋に入った。


 紅茶を入れ、祐巳さまに差し出すとありがとと言ってカップを受け取った。左手には先ほどからテーブルの上に置いてあった国際便用封筒を握っている。

「祐巳さま。先ほどから気になっていたんですが、その手紙はなんなんですか? まだ封もしてないみたいですが」
「あ。これ? これはねえ。今イタリアに留学している先輩への手紙なんだ」
「イタリア留学って言うと、リリアンの歌姫とかいう……」
「乃梨子ちゃんも知ってるんだ。そう、蟹名静さま。とっても綺麗な歌声なんだよ」
「私が知っているのは、瞳子やお姉さまから聞いたことだけですけど……」

 ロサ・カニーナと呼ばれ、志摩子さんと1年前、山百合会幹部選挙で争った人。それが縁で親しくなり、志摩子さんは今も手紙でやり取りしてると聞いている。
 瞳子は、その人が賛美歌を歌うと、本当に神様が身近に感じられるとか言ってたな。

「そうだよね。志摩子さんと静さま、ペンフレンドだって言ってたもんね。いろいろあったけど、ちょっとだけ悪戯好きで凄く優しい素敵な先輩なんだ」
 遠い空の向こうにいる先輩を思いやってか、祐巳さまは目を細めた。

「それにしても祐巳さまもペンフレンドだと言うのは初めて知りました」
「あ、これは違うの。ただの報告。修学旅行で出会ってね。妹ができたら報告するって約束してたの。昼食のあと、ここで書いてたら、置き忘れちゃて」

 えへへとはにかむ祐巳さま。
 ……何だかさっきの瞳子のおかしな態度の原因が見えてきた。

「報告……ですか。ひょっとして、それって瞳子のこと、詳しく書いてあるんですか?」
「そりゃそうだよ。静さまは瞳子ちゃんのこと知らないんだから、瞳子ちゃんが演劇部の看板女優で、舞台でどれだけ輝いてるか、とか。普段はキツイこと言って素直じゃないんだけど、そこが可愛いんだ、とか。本当は繊細ですごく優しくて心配りできる子なんだよ、とか。そういうこと書かないと静さまもどんな様子か判らないでしょ?」

 ああ、それをそのまま書いたわけですね、祐巳さまは。しかも、あろうことかそんな恥ずかしいことが綿々と書かれた手紙をこんな目立つ場所に置き忘れてたわけですか。
 乃梨子は額に手を当てて、頭を抱えた。祐巳さまはちょっと不思議そうに乃梨子の反応を見ていたが、気にしないことにしたのか、その手紙を大事そうに鞄にしまった。

「後で二人っきりになったときに静さまの話、瞳子にもしてあげてください」
「うん。そうするつもりだよ」

 窓の外を眺めると、どこまで行っていたのか瞳子が戻ってくるところだった。まだ少々頬は赤いままだったが、両手でぺちっと叩き気合いを入れて、こちらにずんずんといった歩調で向かってくる。

 そんな瞳子に乃梨子は、大変かも知れないけど幸せ者だよ、アンタはと、心の中で声をかけた。


一つ戻る   一つ進む