期待すると足下をすくわれる話。
その1
「ごめん、祐巳ちゃん。私はあなたに近づきすぎちゃったみたいだ」
「え?」
どうやら居眠りをしていたみたいだった。
けど、眠る前のことが良く思い出せない。
まだ半分まどろみから抜け出していない私の意識は、祐巳が車の助手席に座っていることを認識できた。
「……ここ、何処?」
窓の外は知らない風景だった。
知らないといっても海外とかじゃなくて、何処までも平坦で、緑の畑とか田んぼとかが広がってて、家もぽつぽつとあるような、関東近県に見られる余り面白くもない風景だった。
「どこか」
「どこかって……え?」
改めて外を眺めると車はあまり混んでいない片側二車線の広い道路を走っていた。
そこで祐巳はちょっと前のことをようやく思い出せた。
思い出すのに時間がかかったのは、今の状況が、居眠りしだす前の状況とあまりに違っていたから。
だって、祐巳はたしか薔薇の館でお姉さま方が来るのを待っていたはずなのだから。
「えーーっ! せ、聖さまっ!?」
「ん? 大声出してどうしたの?」
「どうしたのって……私、なんで……」
「祐巳ちゃんがあんまり可愛いから持ってきちゃった」
聖さまは悪戯っぽい笑みを顔に貼り付けたまま、ハンドルを握っていた。
持ってきたって、物じゃないんだから。
「ごめんね、ちょっとだけ私と失踪するの付き合って」
ってなんか不穏なこと言ったぞ。失踪ってなんだ失踪って。
祐巳が不可解な聖さまの言動に混乱しているうちに、車はターミナル駅の駅前へ至る大きな交差点を折れてにぎやかなところに入っていった。
「あの、何処に向かってるんですか」
「とりあえず、お買い物かな」
とりあえずということはここはが目的地じゃないらしい。
車を路肩に停めて、祐巳たちは駅前のショッピングセンターの中を歩いていた。
「あの、お買い物って」
「ん? 祐巳ちゃんそろそろお腹すいたかな?」
「え? いえ」
そういえばそろそろ夕飯時。
「あ、家に連絡しないと」
公衆電話を探そうとあたりを見回していたら、聖さまに肩を抱き寄せられた。
「やめて。さっき言ったでしょ」
「さっきって? あ!」
失踪するのつきあって。
「で、でも」
やっぱり両親に心配かけるのは困るし、もしかして心配した両親がお姉さまに連絡でもしたら……
って、お姉さま! 何も連絡しないてお姉さまきっと心配してる。
「大丈夫よ。ちゃんと書置きしてきたから」
口に出す前に聖さまの返事が返ってきた。いつものことだが、顔に出てたようだ。
書置きと聞いてちょっと安心したが、さっき不穏なことを言ってたことを思い出し恐る恐る聞いてみた。
「あの、書置きって、何を書いたんですか?」
「んー、失踪っていったらやっぱり『探さないでください』かな」
「さっ、さっ、さっ」
探さないってくださいって、家出じゃないんだから…
あまりのことに言葉が出ないでいたら
「あ、ちゃんと『祐巳ちゃんを貰っていきます』って書き添えたから」
「全然だめじゃないですかーー!」
〜 〜 〜
令がビスケットの扉を開けると佇んでいる祥子の背中があった。
「あれ、祥子どうしたの」
いつもなら一人でもお茶くらい入れてくつろいでるのに。
近づいてよく見るとなにか肩を震わせている。
「さ、祥子?」
「これは、私にたいする挑戦とみたわ」
ばん、と掌で紙切れをテーブルにたたきつけた。
「なにそれ」
『思うところあって旅に出ます。
探さないでください。
佐藤 聖
PS.一人じゃさびしいので祐巳ちゃんを貰っていきます』
(続く)
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これだけじゃあんまりなのでもう一ついきます。
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その2
「祐巳ちゃんこっち」
聖さまは婦人服コーナーに祐巳を引っ張っていった。
「あの、これは……」
「これなんか祐巳ちゃんに似合いそうだな」
なんか嬉々としてワンピースを選んだりしてる。
さすがの祐巳にも先の展開が読めてきたので先手を打って言った。
「服なんか買ってくれても受け取りませんからね」
「なーに言ってるの、これからずっとそのと制服着て生活するつもり?」
「そんなわけ無いじゃないですか家に帰ったら着替えますよ」
「あら、帰さないわよ」
「え?」
「私の服もあるからそれでもいいんだけど私ってあんまり可愛い服持っていないのよね。やっぱり祐巳ちゃんには可愛い服着て欲しいし」
「ちょっと、待ってください、まさか本気でしっそ……」
肩を抱き寄せられて口を塞がれた。
「声が高いわよ。不審に思われて通報されたらどうするの」
ほ、本気なのーー?
結局、買ったワンピースに着替えて、あと少しの食料を買って、車に戻った。
「聖さま」
「ん? 食べなよ。おなかすいてるでしょ?」
聖さまはコンビニで温めてもらった鍋焼きうどんを食べながら陽気に話し掛けてくる。
失踪なんて言葉は大げさなのかもしれないけど、聖さまは私に連絡を取らせてくれなかった。
「どうしてこんな事するんですか」
もう7時過ぎ。お姉さまは心配しているだろうか。もしかしたら先に帰ったと思って何も知らないかもしれない。でも両親はきっと心配してる。だって、無断で夕飯時にも帰っていないなんて。
聖さまは黙ってしまった。
車はまだ路肩に停車していた。
窓の外は会社帰りらしい背広姿の男の人やスーツ姿の女の人が通り過ぎていく。
「私は誘拐犯なのかな……」
聖さまがぼそっとつぶやいた。
「帰ってもいいよ。駅はすぐそこだし」
こんな顔もするんだ。聖さまって……
祐巳はダッシュボードのまんなかの窪みになったところに置かれたお金を見た。さっき、コンビニで食料を買う時、小銭が足りなくて聖さまが1万円札を出したんだけどそのおつり。
逃げる気になったらそれを奪って車から飛び出せばいい。そう言っているみたいだった。
でも祐巳はそうしてまで逃げ出そうという気にはなれなかった。
「聖さまなんか変」
「そうかもね」
誘拐まがいのことをしたり、服を買ってくれたり、普段から何を考えているのか判らないのに、今日の聖さまはいっそう訳がわからなかった。
「祐巳ちゃん、ごみ、これに入れて」
聖さまはコンビニ袋をごみ入れにして後ろの座席に放り込んだ。
その後は何も言わずにキーをまわしてエンジンをスタートさせた。
車は先ほど走っていた片側二車線の広い道路に戻り更に先へと向かっていた。
「さて、祐巳ちゃんの同意が得られたってことで」
「ど、同意なんてしてません!」
本当はさっきお金を借りて家に電話をしてきたかったのだが、あの時、聖さまを残して車から出て行ったら何か聖さまが取り返しのつかないようなことになってしまうような気がして言い出せなかったのだ。
「でも、帰ってもいいよって言ったのに帰らなかったじゃない」
「それはそうですけど……」
あんな顔して『帰っていい』なんて反則だと思う。
でも今はいつもと同じに祐巳をからかうような軽薄な聖さまに戻っていた。
もしかして取り返しのつかないことになってしまったのは祐巳の方かもしれないのだった。
かさっ、かさっと紙の音がする。
気が付くと車は止まっていて聖さまはなにやら地図を広げていた。
「まだ寝ててもいいわよ」
祐巳は自分の位置がさっきより後ろになっていることに気づいた。
居眠りをしている祐巳が寝苦しくないように聖さまがシートを倒してくれたようだった。
「あの、何処に向かっているんですか?」
緑色に光るデジタル時計が八時三十分を示している。
「んー、北の方」
いや方角を聞いているのではなくって、目的地を聞きたかったのだけど。
「もうすぐパーキングに寄るから、お手洗いは我慢してね」
「パーキングって?」
改めて外の景色を確認すると、オレンジ色の高い外灯がずっと遠くまで並んでいる、これっていわゆる高速道路ってやつ?
車は車両専用道路の脇の停車できるところ、なんていうんだっけ名前は忘れたけど、そこに停車していた。
〜 〜 〜
「北だわ」
蓉子さまは言った。
「前に聖は車で遠出するんだったら流氷を見に行きたいって言ってたのよ」
祥子が聖さまの置手紙を見てから2時間。
聖さまがらみということで急遽、蓉子さまを呼び、もともと仕切る人なので、彼女が対策本部長的立場で動いていた。
場所は薔薇の館から小笠原邸の居間に移り、今は祐巳ちゃん連れ去り事件の対策会議が行われているところだ。
「聖さまが祐巳ちゃんを連れて行ったっていうのは確実なの?」
「目撃者が居たわ。聖さまらしき人が祐巳らしき生徒を背負って車に乗り込んで行くのを見たって」
(続く【No:906】)
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さて、どうしたものか。