がちゃS・ぷち

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No.3143
作者:RS
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2010-03-07 00:17:25
萌えた:13
笑った:1
感動だ:5

『お茶飲んでます全力で』

【No:3132】の続きっぽいものです。





 体育祭が終わり、薔薇の館にお手伝いが来るようになって何日か経った。
 その日は、三人のつぼみと助っ人二人が、校内のあちこちで予定されていた打ち合わせのために外回りに出ていた。
 春から六人で仕事をしてきたけれど、それでは学園祭の準備に人手が足りないことは明らかだった。そこで、二学期に入ってすぐ、二年生である紅薔薇のつぼみと白薔薇のつぼみに、その姉である二人の薔薇さまから、一年生のお手伝いをさがしてくるようにという指示があったのだ。
 二人のつぼみはその指示にこたえて、一年生を二人連れてきた。二人は仕事の呑み込みも早く、基本的なことを教えただけで、充分に薔薇の館の新戦力となった。

 予定されていた最後の来客が、打ち合わせを終えて会議室から出て行ったところだった。
「今日はもう打ち合わせの予定はないから、ちょっと休憩にしようか」
 祐巳がそう言って立ち上がると、由乃が椅子にすわったままでちょっと背伸びをして、肩をトントンとたたくまねをした。
「そうだね。打ち合わせばっかりで疲れちゃった」
「由乃さん、このあとは劇の小道具の修理よ。目先が変わっていいでしょう?」
「わかってるわよ。自分でこわしたんだから、自分で修理する。当然じゃない」
 小道具をこわしたのは由乃だけではないけれど、自分が使うものは自分で手入れするのは当たり前のことだと言いたかったようだ。
「修学旅行前はしかたないよ。ある程度は打ち合わせの予定をこなしておかないと、二年生が帰ってきてから大変な目に遭うもんね」
 祐巳は相づちを打ちながら流しに立って、手早く三人分の紅茶を入れた。
 いつもは、下級生たちがいれてくれる紅茶を、久しぶりにいれてみたくなったのだ。
 紅茶を配り終えて祐巳が席に着くと、お礼を言って志摩子がカップを手に取り、由乃はカップに二つ目のパウダーミルクを入れた。
 祐巳が紅茶に口をつけるのを待っていたかのように、由乃がベージュ色になった紅茶を一口すするように飲み、うんうんと軽く頷いた。
「祐巳さんがいれた紅茶も久しぶりだけど、三人だけってホントに久しぶりじゃない?」
「そうね。……一年生のとき以来?」
「うーん、どうだろう。でも、すぐに思い出せないくらい前みたい」
 いれたての紅茶が入ったカップをそれぞれ手にして、少しの間自分たちが一年生だったときのことを思い出していた。
「あの子たち、紅茶を入れるのも上手だよね」
「一年生のこと?」
「うん」
「祐巳さんの腕は落ちてないわよ」
「自分じゃもっと上手くできたような気がしたんだけど、カンが鈍ったかな。……でも、紅茶だけじゃなくて、仕事も呑み込みが早いよね」
「ほんと、ずいぶん助かってるわね」
「つぼみたちが、持ち帰り残業しなくなったみたいだものね」
「あ、気がついてた?」
「まあね。乃梨子ちゃんと瞳子ちゃんが菜々の分まで持ってっちゃうから、菜々はほとんどしていなかったはずだけど」
「分量はそこそこなんだけど、クラブや委員会と打ち合わせに出たりすると、学校にいる間に整理がつけにくいのよね」
 打ち合わせた結果が、口頭での報告や連絡だけですませてかまわないようなこともある。たいていは、その場限りで終わることだ。そうではなくて、他のところにも影響するような内容であれば、ある程度の記録が必要になる。ときにあやふやになってしまう記憶ではなく、記録にとどめておくことは、前例として後の者の助けになることも多かった。
 しかし、学校にいるうちに記録すべきものの整理を済ませるのは、なかなか手間のかかることであった。
「うわっ。明日の打ち合わせ、今日より多いんだ」
 壁に貼ってある学園祭のスケジュール表を見ていた祐巳が、さっき自分が言ったばかりのことを忘れたようにつぶやいた。
「修学旅行前に入れられる予定は全部入れたからね。しかたないわよ」
「そうなんだけど……」
 スケジュール表を見ながら指を折って何かを数えていた祐巳が、メモ用紙に数字を書き始めた。
「祐巳さん、なにしてんの?」
「うん、ちょっと……仕事は増えてるんだけどなあって思って」
 そばにあった電卓も使ってメモ用紙に数字を書いていた祐巳が、その紙を由乃に見せた。
「ね? 仕事は以前より三割り増しなのよ。でも、感覚的にはずいぶん楽になってると思わない?」
「うーん。仕事は打ち合わせだけじゃないから、その数字で比べるのは……ちょっと待ってね」
 メモ用紙を見せられた由乃が「念のため」と言いながら、そばにあった別のメモ用紙で計算を始める。
「二人が来る前の仕事の量を一として、六人でやっていたから、一人当たりは六分の一。三割り増しだっていう祐巳さんの意見に従えば、三割増えた後の仕事を二人増えた八人でこなしてるとして、一人当たりは……」
 筆算をやめて、電卓に数字をタタタッと打ち込んだ由乃が、計算結果を祐巳に向ける。
「仕事は確かに増えてるけど、楽になってるのは単純に人数が増えたからよ」
「計算上はそうかもしれないけど……」
 納得しきれていないようすの祐巳を見ながら、志摩子が声をかけた。
「由乃さんも、前より楽になってる感じはするでしょう? あの二人には助かってるもの」
「でしょーっ。数字は数字だけど、助かってるよね」
 うれしそうに言う祐巳に、由乃の声が重なる。
「助かってるのは確かにそうだけどさ、人数が増えてるからね」
「一人当たりの仕事は、単純に計算すればその電卓のとおりだとして、そこから言えるのは……」
「言えるのは?」
 祐巳も電卓を持ったままの由乃も、志摩子の次の言葉を待った。
「あの二人が、とても優秀だということよ」
 それを聞いて、祐巳と顔を見合わせた由乃が尋ねた。
「優秀なことに異議はないけど、どうしてその結論?」
「もしも、二人があわせて一人前だったら、と考えたらどうかしら? あの二人が来てから、薔薇の館の仕事の効率は、落ちるどころか上がっているわ。それは、二人がほかのメンバーと同じくらいに仕事ができるということよ」
「ああ、それはそうね」
「だから、さっきの計算は、二人が前からのメンバーと同じだけ仕事ができることが前提だということ。そして、わたしはみんなはとても優秀だと思っている。そこに加わった二人が、みんなに引けをとらないなら、やはり優秀だということになると思うわけ」
「ということは、由乃さんの計算は、二人の優秀さを証明したことになるのかも」
「つぼみのレクチャーもよかったのかもね」
「どっちがどっちに教えたのかしら?」
「来てすぐは、いつも四人でいたから、どっちがってことはないんじゃない?」
 お手伝いの二人が来てからも仕事は増え続けていたけれど、つぼみが仕事を持ち帰るようなことはなくなっていた。仕事は増えているのに、滞ることがない。それどころか、メンバーの負担は軽くなっている。
 それに、お手伝いは、劇に参加することを含めてであることもつぼみから充分に言ってあったので、配役についても不安無く決めることができた。劇は、このまま練習を続けていけばだいじょうぶ。きっと成功する。それは確信に近いものとして、みんなが共有している思いだった。
 二人の一年生は、つぼみの妹になるならないは別にして、一緒に仕事をして気持ちがいい人物であることは確かだった。
「わたしね、あの二人が来た日か次の日に、どっちがどっちの妹になるのって聞いたのよ」
「それはまた、由乃さんらしいストレートな聞き方ね」
 志摩子が冷やかすように言うと、由乃は気にしていないように答える。
「志摩子さん。答えを知ってるわね?」
「乃梨子から聞いたもの」
「まー、姉妹仲のおよろしいことで」
「どういたしまして。それより、祐巳さんが続きを聞きたそうよ」
「祐巳さん、気になる?」
「うん。私もそのことは聞くつもりでいたんだけど、どうやって聞こうか考えてるうちに由乃さんに先を越されてたってことね……。教えて」
「それがね、答えは無しっていうかノーコメントだったの。照れるでもなく、笑ってごまかされた感じね」
「それで引っ込むとは、由乃さんらしくないわね」
「わたしだって、そういうときの引き際は心得てるわよ。妹候補をつれて来いって言ったわけじゃないから、なんのことですかって反応されても仕方なかったのよね。先輩が冗談を言ったんだけど、はずしてしまったってことにしてもらったんだから、それ以上言うのは野暮ってモノよ」
「ふーん。どっちがどっちというわけでもない……か。つぼみの二人は、一年生はあくまでも助っ人だというのを崩さないつもりなのかな……」
「たぶん、学園祭が終わるまではね」
 祐巳に答えるように、志摩子がぽつりと言うと、由乃も祐巳もつぼみたちの考えがなんとなく分かったような気がした。
「つぼみの妹のことは置いておくとして、あの二人似てると思わない?」
「置いておくって、いつまで?」
「あら、祐巳さん、意外とせっかちね」
「だって、妹の妹候補っぽい存在が現れたのに、今忙しいからって放っておくのも……」
「今年の茶話会に影響しちゃうから、早くはっきりしたらいいのに、とは思うんだけどね。あせらなくても大丈夫だって」
「祐巳さんがせっかちになって、由乃さんがのんびり構えてるのは面白いわね」
「志摩子さんはあんまり変わらないわね。……わたしがのんびりして見えるのは、わたしの妹の妹は、まだ中学生なのは間違いないからよ。あせっても仕方がないのがハッキリしているから、せっかちになりようがないわ」
「ですって、祐巳さん」
「わかったわ。由乃さんを見習って、のんびり構えるようにする。……で、似てるって誰のことだっけ?」
「一年生にね、仕事を頼むときに間違えたのよ。そっくりに見えて」
 ときどき、双子でもない二人の一年生が瓜二つに見えることがあった。身長はそんなに変わらないけれど、顔かたちが似ているわけではない。髪型も違っている。よく見なくても別人なのはわかるのに、間違えたことが一度ならずあるのだ。
 書類仕事の最中に、みんなに紅茶を配っている二人を見て、一瞬区別が付かなかったことがある。お茶のお礼を言おうとして間違いそうになったこともある。資料を渡して仕事の指示をするときに、急に自信がなくなり一呼吸置くようにしていたこともある。それは、意識が仕事に集中していたから、新しくこの部屋にいる人に慣れていなかったから、そういうことがあったと思うようにしていた。
 助っ人がいる状況に慣れてからも、名前を呼ぶのは控えめにしている。それでも、あまりにそっくりに感じて、劇の練習の時には、観客から一人二役だと思われないだろうかと心配する気持ちになって、自分でも妙だと思ったくらいだった。
「見慣れないうちはしょうがないけど、今でも似てるなって思うの。祐巳さんも志摩子さんも、そう思ったことない?」
 由乃の勢いに、祐巳と志摩子は顔を見合わせた。
「言われてみれば……そうかも」
 祐巳に志摩子も同調する。
「わたしは、自分が間違えるようなことはないと思うけれど、誰かが間違えても不思議ではないくらいに似ていることがあると思うわ」
「間違えても仕方ないってことね」
 由乃が要約して言うと、志摩子が「そうよ」と頷いた。
「ここに出入りする前から、あの二人はあんな感じだったのかしら……」
「菜々は同級生だけど、ずっと知らなかったって言ってたわ。中等部でも特に目立っていたわけじゃないみたい」
「どっちも成績はいいって、菜々ちゃんは言ってたよね」
「祐巳さん、気になるの?」
「……ちょっと」
 成績がすべてではないけれど、同級生の弟がいることもあって、進路のことが家族の話題になることが多い祐巳には、確かに「ちょっと」関心のあることだった。
「安心して。菜々の情報では、二人とも学年のトップグループだそうよ」
「それは、たいしたものね」
「志摩子さんだって、一年の時からベストテンの常連じゃないの」
「そのうえ、妹は首席入学の学年トップ……。そういえば、それについても情報っていうより、噂があるんだって」
「なになに?」
「新入生代表は、本当はあの二人のどちらかだったらしいって噂」
 由乃が声を潜めて言うと、祐巳も志摩子も「ほんとかしら?」という表情になった。
「だから噂よ。二人とも最高点で同点だったけど、強く辞退したんで他の人にお鉢が回ったっていうの」
「本当とは思えないわ」
 志摩子が言うと、祐巳も同意するように大きく頷いた。
「きっと、一学期の定期試験で二人が同点トップでもとったんじゃないかしら? それが続いたのかもしれないわね。だから、入試の時のことにさかのぼって、そんな噂が出てきた。そんなところじゃないかしら……」
「わたしも、そう思うわ」
 由乃があっさり言うと、祐巳が驚いたように声をかけた。
「由乃さん、信じてたわけじゃないの?」
「信じちゃいないわよ。わたしは、そんな噂が出るくらい成績がいいんだなって思っただけ。噂というのはね、祐巳さん。現実と違っていても、そのギャップが小さいほど受け入れられやすいものだから、放っておくと事実と同じ扱いを受けることもある。そういうことよ」
 由乃と祐巳は幼稚舎から、志摩子は中等部からリリアンにいるけれど、学年を超えての情報はほとんど持っていない。特別な有名人でもなければ、学年を超えて知られることもないのは校風と言えるかもしれない。一学年下のこともよく知っているとは言えず、二学年下ともなると皆目分からないというのが実情だから、それについては黄薔薇のつぼみの情報に頼ることが多い。
 同じ学年の菜々にしても、中等部で同じクラスになったことがない同級生の情報は、間接的に集めるしかなかったのだ。
「祐巳さんのときは、ちょっと違ったけどね」
「どちらかというと、祐巳さんが薔薇の館に来るようになって、みんなホッとしてたみたい。あの頃は、薔薇さまがみんな優秀すぎて、近寄りがたかったみたいだから」
 由乃が言い出して、志摩子が引き取った。
「そうだよね。わたしなんか、下のドアをノックするのに、手に汗握って、ドキドキして、足まで震えてたもん」
 志摩子が微笑んだ。
 それは、二年近く前のこと。薔薇の館の前で、祐巳に声をかけたときのことを思い出したようだ。
「でも、祐巳さんが来るようになってからは、祐巳さんのことを自分たちの代表みたいに思っていた人も多かったみたいよ」
「なにぶん、わたしは平均点が売りの一般人でございますから」
「あら、祐巳さんが自慢するなんて珍しいわね」
「由乃さーん。志摩子さんがいじめるー」
 由乃は、祐巳の泣きまねにとりあわない。
 成績が上位というのは悪いことではない。それは、成績は良いに越したことはない、という一般論以上に、薔薇の館に出入りする際に意味を持つかもしれないからだ。
 それでも、あまりに薔薇さまたちが優秀であるというイメージが強くなれば、自分のことをごく普通だと思っている生徒からは、薔薇さまや薔薇の館と距離があることを当然のこととされてしまうだろう。そんなときに、薔薇の館に出入りしている祐巳のことを、自分たちの代表のように受け止めたのは、ある意味自然なことだったのかもしれない。
 成績のことだけが理由ではないだろうけれど、一年生の二人が薔薇の館に来るようになっても、菜々から聞く限り、反感めいたことを言う人はいないようだ。中等部の頃から、高等部に進学したらどちらかが、または二人ともが薔薇の館に行くことになるのではないか、いずれは薔薇さまになるのではないか、ということを言う人もいたらしい。本人がなりたいと言ったのではなく、周囲の人が、いずれは薔薇さまになっても不思議ではない人物だと思っていたということだろう。
「でも、なんでああも目立たないのかしらね?」
 泣きまねを相手にしてもらえなかった祐巳が推理する。
「目立つのを避けてるんじゃない?」
「なぜ?」
 本当に不思議そうに由乃が言う。
「さあ? 目立つとまずい事情があるとか?」
「薔薇の館に出入りしたら、いやでも目立っちゃうじゃない」
「さっきの話とも関係するんじゃないかしら」
 ちょっと考えている風だった志摩子が由乃に答えた。
「どういうこと?」
「成績が良くて、薔薇の館に出入りして不思議じゃないって思われている人が、これみよがしにとは言わないけれど、目立ってしまっては、いまの薔薇の館が進んでいる方向と合わないことを知っているから、とか……」
「薔薇の館と生徒たちの距離、か……」
 由乃のつぶやきに、祐巳の口調もつぶやくようになってしまった。
「いまの薔薇さまたちがその距離を縮めているところなのに、自分たちのせいで、薔薇の館は普通の生徒からは縁遠い、一部の成績優秀な生徒のたまり場みたいに思われたら困る、ってことなのかなあ……。こっちからそんなことを言った覚えはないし、わたしを見てれば、成績優秀なのは一部だってわかりそうなもんだけどなあ」
「出入りするうちに感じたとか……?」
「つぼみたちから、目立たないように言ったという線もあるわね」
「以前から目立たなかったっていうじゃない。わざわざ言うまでもないと思うけど」
 なんとなく三人とも黙ってしまった。
 もともと目立ちたくないだけなのかもしれないし、そうではないのかもしれない。薔薇の館に出入りするだけで注目を浴びることになるのは、祐巳も自分の経験としてよく知っている。
 新聞部が二人を追いかけ回したらしいことは真美さんに聞いた。真美さんに、記事の扱いをあまり大きなものにしないようにお願いしたら、それは快く了承されて恩に着たのだけれど、あとで薔薇の館に助っ人が現れただけであまり大きな記事にすると、つぼみの妹が決まったときにバランスがとれないという、とても現実的な理由があったということを聞かされた。それでも、つぼみたちが助っ人探しをしているときに、事態をややこしくするような記事が出なかったことは感謝している。
 目立つことが望ましいわけではないけれど、意図的に目立たないようにしているのでは、という気持ちは消えない。たいしたことではないような気もするし、考えておかなくてはいけないことのような気もする。

 ふと、志摩子が顔を上げて、椅子から立ち上がり、窓のところに立って外を見下ろした。
「どうしたの」
「さっきから、乃梨子の気配がしてるのに、いつまでも来ないから……」
 祐巳が、追いかけるようにして志摩子のそばに立って外を見ると、一階の扉からいくらか離れたところに、乃梨子と菜々がいて、その向かいに生徒が二人立っている。声は聞こえないけれど、二人組がつぼみの二人に何かを訴えるような身振りで話して、乃梨子と菜々がときどき顔を見合わせながら聞いているように見える。
「もめごとかしら……?」
 祐巳が言うと、お茶を飲み干して立ち上がった由乃が二人のところに来た。
「作業の場所のことか資材のことで注文付けに来たんでしょ。そうでなかったら、日程のことか、学校に残れる時間を延ばしてほしいってところじゃないかしら」
「実行委員会に窓口があるのに、どうしてこっちに来るかなあ?」
「薔薇さまは実行委員を兼ねてるから、こっちに来たからといって、たらい回しするわけにはいかないわね」
「あれっ、帰ってくよ」
 祐巳が言うとおり、つぼみを残して二人の生徒が校舎に歩いていく。二人は中庭側の昇降口に入る前に振り向いて、つぼみに会釈をした。
 見送るように立っていた菜々が、軽く手を振ってから薔薇の館の方に歩きだすと、乃梨子が二階に視線を向けるように窓を見上げた。
「見てるのがわかったのかな? あそこからだと見えにくいはずだけど」
 志摩子が、乃梨子に向かって軽く手を振って頷いた。
「とりあえずは解決したみたいね」
 そのまま志摩子は流しに向かい、あとに続こうとした由乃が、一度立ち止まって祐巳の肩をツンツンと指で突いた。
「うん?」
 祐巳が由乃の指さした方を見ると、瞳子がまるで二人の一年生を引率するかのように歩いてくる。身長は二人の方がやや高いけれど、態度を見ればどちらが上級生かは一目瞭然だ。
「あっ、……わたしもお茶いれるね」
 振り向いた祐巳に、流しに先に着いてカップを取り出していた由乃が「座っているように」という手振りをした。
「こんどは、わたしと志摩子さんにまかせなさいって」
「瞳子ちゃんもすぐ来るわよ」
 ポットを持とうとした志摩子が言うと、祐巳がテーブルから答えた。
「うん。もう窓から三人で帰ってくるのが見えたの」
「あら、そう。順番に帰って来てくれてよかったわね、由乃さん」
「そうね。菜々たちが来たら、すぐ祐巳さんに替わってあげましょ」


††† おまけor蛇足 †††

 戻ってきた者たちは、薔薇さまが自分たちのために紅茶をいれておいてくれたことをとても喜んで、打ち合わせ結果の報告にも熱が入った。熱が入りすぎて、お茶を飲みながら始めた報告が終わる頃には、下校時刻が迫っていた。
 早々に一年生を帰すと、つぼみたちがそれぞれの姉に、何かを見せてくれと言うように手を差し出した。
 真っ先に気がついた志摩子は、申し訳なさそうに小道具を乃梨子の手のひらに載せた。
「打ち合わせが終わったあとに、ちょっと休憩したら修理するつもりでいたんだけど……」
 次に気がついた祐巳も、面目なさそうに下を向いたまま、瞳子の手にこわれたままの小道具を載せた。
「すぐできると思ったんだもん……」
 二人のようすを見ていた由乃は、菜々が差し出す手を無視するように、こわれた小道具を握りしめてそっぽを向いた。
「明日までにできてれば、問題ないでしょう。今日はまだ終わってないんだから、今日中にやるわよ」
 菜々は差し出した手を引っ込めて椅子を離れ、由乃の後ろに立つと、そのまま背中にしなだれかかって抱きしめた。
「ちょっ、菜々。みんなが見てるじゃない」
「見てたっていいじゃないですかー」
「自分でこわしたんだもの。自分でやるわよ」
 顔を由乃の肩にのせた菜々が、自分の頬を由乃の頬にくっつけ、手は由乃の胸の辺りでぶらぶらさせながら、ゆらゆらと体を動かす。
「ねー、おねえさまー、わたしも小道具の修理がしたいですー」
「だから、自分でやるって――あっ、こら、どこ触ってんのよ」
 動き回る菜々の手を押さえ、振り向いた由乃の動きが止まってしまった。菜々の大きな目から、涙がポロポロとこぼれている。
「なっ、なっ、なに泣いてんのよ。されたのはわたしなのに、なっ、なっ、菜々が何かされたみたいに見えるじゃないっ」
「お姉さまは、意地悪です」
 菜々は、その場で地団駄を踏むように足をバタバタさせた。
「乃梨子さまも瞳子さまも、おうちに小道具を持って帰れるのに、わたしだけがお姉さまの小道具を持って帰れないなんて。お姉さまの意地悪ー」
 乃梨子と瞳子は、二人のようすを見てそっと顔を見合わせた。
「菜々ちゃんは、泣きまねが上手だね」
「泣きまねより上手いのは、由乃さまの扱い方よ。令さまからいろんなことを聞き出したそうだけど、たいしたものだわ」
「それが、令さまだけじゃなくて、江利子さまからもいろいろと聞いてるらしいわよ」
「黄薔薇姉妹が仲睦まじいのは、薔薇の館の平和のためには大事なことだわ」
 祐巳と志摩子も話に加わって四人で見ているうちに、あっさりと勝負はついたようだ。
「あーもう、わかったわよ。渡すわよ。渡せばいいんでしょう。ほら」
 菜々は、由乃から受け取ったものを大事そうに胸に抱えた。涙をぬぐおうともしない。
 由乃は立ち上がり、「もう泣きやみなさい」というように、菜々の肩をやさしくポンポンとたたき、そのまま抱き寄せた。
「あんなふうに泣けるのは、才能としか言いようがないわね」
「瞳子だって上手いでしょ」
「姉の前で瞬時に泣けるのがすごいわ。わたしは、お姉さまの前では無理だもの」
「そっか、菜々ちゃんとは逆なんだ。……だけど、どっちもすごいや」
「菜々ちゃん、同級生の前ではお姉さまに甘えにくかったのかしら……。乃梨子も甘えていいのよ」
 志摩子がささやくように言うと、乃梨子の顔が瞬時に赤くなった。
「瞳〜子〜」
 祐巳が不満そうに妹を見ると、瞳子は耳を赤くしながら「あとで」と言うように小さく首を振った。

 マリアさまの前で手を合わせる三人の薔薇さまたち。
 その後ろで同じように手を合わせているつぼみたちは、久しぶりの持ち帰り残業に、我知らず笑みが浮かんでくるのを止めることができなかった。




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