がちゃS・ぷち
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No.3177
作者:海風
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2010-05-29 09:12:43
萌えた:28
笑った:25
感動だ:55
『世界でただ一人だけ天使の歌が聞こえる』
【No:3157】【No:3158】【No:3160】【No:3162】【No:3170】【No:3171】【No:3174】から続いています。
☆
「――整列っ!!」
なんとも言えない沈黙が、たっぷり3分は過ぎただろう。
“瑠璃蝶草”は、今、己がやるべきことを、ようやく理解することができた。
どう結論付けていいのか――いや、どう考えても福沢祐巳の身にものすごい不幸が起こったことだけは悟り、何を言うこともすることもできなかった面々は、“瑠璃蝶草”の鋭い指揮に動き出した。
「あなた達も並びなさい! 早く! 祐巳さんを大切に想うなら並びなさい!」
未だ“紅夜細剣(レイピア)”を構える小笠原祥子も、拳銃を構えている島津由乃も、なぜだかわからないが“瑠璃蝶草”……いわゆる敵の命令に従う。
強いて理由をあげるとすれば、自分達ではどうしようもない状況であることを悟っているから、だろうか。
この非常に難しい場面で我先にと動いたメガネの彼女は、間違いなく空気が読めない人か、ものすごく人に気を遣うタイプかのどちらかに類するだろう。敵にしておくには勿体無いほどの恐るべき、そして尊敬に値する勇猛さだ。
近くにいた血まみれの“雪の下”、“冥界の歌姫”蟹名静、“折紙絶対防御装攻(インスタント・イージス)”松平瞳子、“竜胆”、遅れた島津由乃と小笠原祥子が端に並ぶ。
理路整然と横一列に並ぶ“瑠璃蝶草”を含めた七名は、悲しい悲しい笑顔を浮かべている祐巳に向かって、
「すみませんでした!!」
「「すみませんでした!!」」
号令に従い、全員が頭を下げた。
詳しい理由は誰もわからない。
特に救出隊の二人には、何一つ……祐巳に大変な不幸があったことしかわからない。
――だが、誰もがそうせずにはいられなかったのである。
理由は、たぶん、自分が能力者であるから、だろう。
三薔薇がここにいても、きっと同じことをしたに違いない。
「い、いやだなぁみんな。私、こんなの平気だから。目覚めてないなんていつものことなんだから。別に今更気になんてしないんだから……あははははは……はははは……は、は…………は……」
――疑問も疑惑も気になることもたくさんたくさんあったのだが、言葉少なに現地解散となった。
この夜、祐巳は少しだけ泣いたらしい。
祥子が由乃を連れて保健室前に居た頃、三薔薇の元でも事件が起こっていた。
――これは由々しき事態である。
図書館付近から体育館を見守る二人は、苦々しい顔をしていた。
やっぱりというなんというか、……まあ、やっぱりだ。
「案の定、失敗したみたい」
「失敗することを100パーセント確信できるってのも、なんだか悲しいね」
小柄なメガネの“瑠璃蝶草”と、ショートカットの女生徒――“鳴子百合”と名付けられた少女は、体育館前に集う山百合会と幹部達をさりげなく見ていた。
「どう思う? 私、あの二人に嫌われてると思う?」
「そんなことより、これからどうする?」
「そんなことってなんだ、簡単に流すには結構大事なことじゃないか」とでも返しそうになったが、はっきり言われたら立ち直れなくなりそうな答えが来るとアレなので、流すことにした。
――“輝く紅夜の蕾”小笠原祥子と“玩具使い(トイ・メーカー)”島津由乃の両名が駆けていくのを見て、校舎か校舎を出たところで起こっているだろう現場のことを推測する。
ターゲットは福沢祐巳。
“竜胆”と“雪の下”には、祐巳の任意同行を任せている――チャンスは一回きり。二度目はもっと難しくなる。それを踏まえた上で、多少強引にでも“扉の奥”へ招待するよう命じている。
「誤算だったのは、送迎係と思しき島津由乃が一緒じゃないこと」
驚いたのは、“純白たる反逆の蕾”藤堂志摩子と、送迎係の由乃が一緒にやってきたことである。
つまり、どんな理由かはわからないが、祐巳は現在フリー……とまでは言えないだろうが、山百合会メンバーという厄介なボディガードが側にいないことを意味する。これは大チャンスである。
もしもの時は強引に事を運ぶよう指示している。“雪の下”なら祐巳を抱えていたって“飛べる”だろう。由乃相手に時間稼ぎをする予定だった“竜胆”にも“扉の契約書”は渡してある。いざという時の脱出ルートだけは問題ない。
それが今日は、由乃が付いていない。
なんのトラブルもなければ、祐巳の任意同行は問題なく行われるはずだった。邪魔だった由乃が側にいないのであれば、説得のみで充分である。祐巳がどういった状況にあるかはわからないが、手荒な真似さえしなければ、山百合会が動く理由はないはずだ。
――が、祥子と由乃の駆ける姿、特に由乃の鬼気迫る表情を見てしまった今、手荒な真似をしてしまったのだろうという推測は間違っていないはず。
まあ祐巳には悪いが、それはまあいい。祐巳さえ確保できれば作戦は成功だ。
だが、最低の成功である。
テストで言えば赤点ギリギリ。
食べ物で言えば賞味期限当日。
焼肉で言えば焦げかけた肉だ。
「山百合会には完全に恨まれただろうね」
「……もう少し力を蓄えたかった」
あの記事のせいで、もう自分達の存在は知られてしまったのだ。
各勢力図に、無所属の孤高の子羊達の把握、信頼できる情報屋の確保、知っていて損はない“創世(クリエイター)”と“反逆者”へのパイプ――何より戦闘訓練。やることは山ほどあったのに、その時間がなくなってしまった。
いずれは闘う相手である。多少の誤差は予定調和範囲内。
……だったのに、あれはあんまりな事件だった。
「新聞に載っちゃうんだもんなぁ……」
「それ、私の知る限りで、十八回目」
「フン。今日だけで百回以上言ってるし」
「ねちっこい性格」
余計なお世話である。
「“瑠璃”の懸念通りになったわけだ?」
「恐らくね」
任意同行に手間取って山百合会中枢――三薔薇に祐巳の確保が伝わった場合、最悪のパターンなら「誘拐・拉致」にしか見えないだろう、と“瑠璃蝶草”は考えていた。
あの由乃の剣幕は、まあ間違いなくそう思われたに違いない。元々ピリピリした空気を発していた幹部会議は、今や目に見えるんじゃないかと疑いたくなるほどの殺気に近い緊張感に満ちている。
――それほどまでに祐巳が肝要なのか? 目覚めてもいないのに?
幹部達はともかく、山百合会が焦る理由はなんだ。祐巳はそこまで大事にされているのか。それとも大事にする理由があるのか。
そもそも、山百合会はなぜ福沢祐巳という弱者を手伝いに加えて劇の稽古などしているのだろう。強い者だけが正しい、などという歪んだ正義の象徴のような組織なのに。
何度考えてもわからない。
可能性さえ掴めない。
唯一考えられた可能性は「もしかしたら祥子が祐巳にベタ惚れ」だが、そんなこともなさそうだし。友達の由乃が無理やり、というだけでは、いくらなんでも三薔薇が納得しないだろうし。
まあ、いい。
今のところ祐巳の確保さえできていれば、問題は残るが一応は喜べる。
――放課後、フリーの時間がまったくない祐巳と接触するのは、まず不可能だった。下手に接触しようとしても、由乃や周囲にいる祐巳のボディガードと思しき人物に阻まれるだろう。一度でも友好的コンタクトに失敗して周囲の警戒レベルを上げられると、ますます接触するチャンスがなくなる。
そもそも休み時間や昼休みで足りる話じゃないから今回の作戦を練ったのだ。きっと祐巳にとっても大事な話になる。
“契約書”に名を記せば、祐巳は目覚める。その是非を問うための接触である。
そして、その代償は山積した負の感情を捨てること。
自分の身を切り捨てて得る力は、捨てるものが大きければ大きいほど、悲しいくらいに強力になる。
もし祐巳が“契約書”に署名すれば、恐らくリリアン最強の力を持つことになるだろう。
だが、支払う代償は人格を変えるほど高くつくかもしれない。
10分やそこらで結論を出さず、できれば持ち帰って一日以上は熟考してもらいたい。
“怨嗟の声”を張り上げるのも、自分自身なのだから。
――この後、説明を聴くどころか深く考えることさえなく、祐巳は“契約書”に署名してしまうのだが。
「どうする? 当初の予定通りでいい?」
「頼める? “鳴子”」
「いいけどさ。でもさすがに三薔薇相手に勝ってほしい、なんて無謀なことは期待してないよね?」
「あたりまえでしょう。私は勝ち星よりあなたの方が大事。何かあったらすぐ逃げて。どんな状況であっても自分の身を最優先して」
「だったらいいわ。これからが本番なんだ」
“鳴子百合”の両手の平が、薄く黄色いオーラに包まれ――その身は一瞬掻き消えた。
「――そこ、何し」
恐らく見回りだろうどこかの勢力の誰かは、言葉を全て言い切る前に、高速で背後に回った“鳴子百合”の攻撃を受け意識を失った。倒れる前に“鳴子百合”が受け止め、怪我しないようゆっくりと横たわらせる。
「ようやく傷も癒えたし、また怪我するわけにもいかないしね」
「腕上げた?」
「やることなかったからね。訓練だけしてた。音、聴こえなかったでしょ?」
自慢気に笑う“鳴子百合”。
存在が露呈することを覚悟しての戦闘は、無駄ではなかったらしい。
「あと、お願いね」
「あいよ」
“瑠璃蝶草”は福沢祐巳に会うべく“扉の奥”へ消え。
そして“鳴子百合”は、三薔薇へと歩んだ。
彼女はゆっくりと歩いてきた。
なんの気負いもなく、敵意も殺意もなく、ただの散歩途中だと言わんばかりの軽快な足取り。
リリアンを掌握するだろう数多くの大きな力に囲まれようと、誰も超えたことのない三つの壁を前にしても、眉一つ動かさない。
「ごきげんよう。山百合会の皆さん」
皮肉にさえ聞こえる普通の声。多少震えてくれた方がよっぽど可愛いのに。可愛げのない奴だ。
――誘拐犯からの使者だろう、と全員が即座に思った。
この面子の中に堂々足を踏み入れ、しかも顔を見せるとは、なんともすごい度胸である。
「随分面白いことしてくれるわね」
正面に立つ紅薔薇・水野蓉子は、威嚇……というより、思いっきり本心からの殺意を駄々漏らしにし始めた。幹部達どころか蕾達まで怯えるほど禍々しく渦巻き、隠すことなく剥き出しになった悪意にはもはや死臭さえ漂う。
「紅薔薇」
白薔薇・佐藤聖は、そんな蓉子の肩に触れる。
「手を出したら、私があなたを許さない」
この使者は、祐巳達の命運を握る者である。手を出せば祐巳達の身の保証はなくなる。
「もうどうでもいいからさっさと済ませましょうよ」
心底興味なさそうに、投げやりに肩をすくめる黄薔薇・鳥居江利子。関係あるのは紅薔薇だけ、黄薔薇は無関係である。
――というポーズを取ってみたのは、使者に「三薔薇は仲が悪い」と心象付けたいからである。話の進み方によってはそれが交渉の材料になったり、今回は時間を稼ぐために役に立つ。本気で揉めてケンカを始めたように見せかけられれば、状況によっては30分以上は時間を稼げる。
打ち合わせもなく、瞬時に自分達がやるべきことを割り出した三人の薔薇は、戦闘能力どころか頭のキレ方も並外れている。
「ああ、その」
そんな一触即発風の三人に、使者は言いづらそうに頭を掻く。
「なんというか……福沢祐巳さんね。私の友達がナンパして、彼女からほんの2、30分ほど時間をいただいたんですよ」
「「……は?」」
「誘拐じゃないよ、と。言いに来ました」
使者は降参の証に両手を上げる。
「嘘ばっかり!」
叫んだのは、この情報を持ってきた祐巳のガードの一人だ。
「松平瞳子さんに攻撃を加えていたわ!」
「そんなことが? ……身内がおかしな真似をしたことは詫びます。でも誘拐じゃないのは本当です。1時間もしない内に祐巳さんはここに来ますよ」
おかしな方向に話が進み出した。
誘拐じゃなくてナンパ。
人質解放の条件などなく、祐巳達は1時間以内にここに来る。
「祐巳ちゃんに何の用?」
「だからナンパですよ」
蓉子の鋭い視線を受けても、使者は笑う。
「祐巳さんあんなに可愛いんだし。妹の居ない上級生だったら、そりゃ声だって掛けちゃいますよ」
「わかる」
「黙ってて」
聖の同意を、蓉子はバッサリ遮った。
「まあとにかくそういうわけなので」
「帰るの?」
「帰してくれないんでしょ? 祐巳さんが来るまで私が人質になります。そのつもりで来ましたから」
なるほど、堂々としているのは、覚悟を決めてきたからか。
だがいまいちよくわからない。
判断に迷い戸惑う蓉子の横から、江利子が口を出した。
「あなたなんのために来たの?」
それだ。いずれ祐巳達が帰ってくるなら、別に放置しておいても構わないだろう。「ちゃんと帰すから祥子達の捜索をやめさせろ」という条件が付くわけでもなし、顔を見せるメリットはまったくないのに。――ちなみに言われない以上、二人を戻す気はない。使者の言葉を信じる理由も根拠もないからだ。こうしている間に連れてきてもらった方がよっぽどいい。
「私達も正義だからですよ」
そこで、初めて使者から敵意が見えた。
「申し送れました。私は“鳴子百合”、今日の瓦版に載った連中の仲間です」
それは、いわゆる宣戦布告だった。
「組織力も戦闘力も、たぶん参謀役も負けてますけどね。でも心構えくらいは対等でいたいですから」
蓉子は「またか」と嫌そうな顔をし、聖は「せいぜいがんばれば?」みたいな興味なさそうな顔をし、江利子だけが面白そうに瞳を輝かせる。
「久しぶりじゃない、正面切っての反対勢力なんて。裏で動いてる連中なら多いけれど、面と向かって宣戦布告なんて、私達が薔薇の名を継いでから始めてじゃない?」
「なんならあなたに譲るわよ。私は面倒だからパス」
蓉子は構いもしない――そう、華の名を持つ人物や新興勢力なんて、珍しくないのだ。“鳴子百合”も珍しくない括りの一人でしかない。たとえ感じられる力は強かろうとも、だ。
「ふうん? ……“鳴子百合”さん、どうする? ちょっと遊んでいく? そうねぇ……5分くらいなら私が直々に遊んであげてもいいわよ? どうせ祥子も由乃ちゃんもいないから稽古もできないしね」
聖の「物好きだこと」という嫌味な呟きと、幹部達のざわめきが重なる。
薔薇が相手になることなんて滅多にない。それもこんなに人が居る、能力を使えば周囲にバレるような状況で闘うことなど皆無に等しい。
いや、闘うのではなく、遊びか。
“鳴子百合”の実力が伴わないのであれば、遊びの範疇は超えない。黄薔薇お得意の“瞬間移動”で翻弄されて終わり、というガッカリな結果になるだろう。
「5分……」
わずかに汗が滲み震える拳を、“鳴子百合”は握り締めた。
――これは願ってもない機会。リリアン最強の一人、薔薇の名を継ぐ者の強さを肌で感じることができるチャンスなんて、早々ない。
自分がどの程度の者なのか。
他の仲間と同様、つい最近目覚めたばかりの“鳴子百合”は、まだ自分の限界を知らない。
明確にわかっていることは、痛いほどの経験不足だけ。
きっと一番下と言われる島津由乃にさえ勝てないだろう。基礎能力や力量は圧倒的に勝っていても。単純な足し算引き算での答えは出ない。
だが、一番上を知っておくのは、マイナスにはならないはず――その差を知って心さえ折れなければ。
「やる気になったみたいね」
次第にみなぎる“鳴子百合”の闘志を感じ、江利子は笑みを浮かべて前に出る。
「言っておくけど、弱すぎたら一瞬で保健室送りだから。あなたの華の名に掛けて命懸けで遊んでね?」
目を見た瞬間から縛られる、全身を押さえつけるような圧力。まるで“重力”付加のようだが、薔薇の名を継いだ者が持つただのプレッシャーである。
これが、代々受け継がれし華の名を冠する者。
――越えられない壁を前に、一寸ほどの矮躯となった“鳴子百合”は重圧に押し切られないよう、気を張って戦闘状態に入った。両手は黄金色のオーラを発し、時折バチバチと雷光を走らせる。
「へえ、驚いた。あなたも力の可視化ができるのね」
「仲間内では一番弱いですけどね」
“鳴子百合”のそれは、“竜胆”や“雪の下”のように煙のごとく立ち昇るわけではなく、両手を薄く覆う程度のものである。
それに“雷使い”も、珍しい能力ではない。皆考えることは同じなのか、あるいは身近にあるせいか、炎・氷・電気の類を好んで使う者は少なくなかった。ベテランなら具現化した武器にまとったり、媒体を通して更に強化したりする。
(“瑠璃”、ごめん)
どうやら自分も、参謀の言うことを聞かない駒だったらしい。
少々遅れはしたものの、予定通り体育館使用による稽古はこなして。
祐巳と瞳子だけを先に帰し、山百合会は薔薇の館に集合していた。
今日は話すべきことが多いので、早朝や放課後すぐでちょこちょこと話す程度では間に合わないと判断し、こうして放課後遅くに顔を突き合わせることになった。
会議室に集うメンバーは、理由は違えど、気が昂ぶっている。
ある者は喜び、ある者は武者震いし、ある者は秘めし野望をたぎらせる。
静かな空気、いつもの緊張感……だがどこか全員の瞳が好戦的に光って見えるのは、気のせいではないのだろう。
「まず私から」
挙手したのは、黄薔薇・鳥居江利子である。
窓の外は暗くなっている。そこらの不良とは格が違う誇り高きリリアン生としては、下校時間くらいは守らねばならない。
「議題は、福沢祐巳送迎の任を果たせなかった島津由乃の処罰について」
今日の問題は、そこからである。約束通り祐巳と瞳子の救出には成功した。だがそれで任務放棄の罪が消えるわけではない。
祐巳も瞳子も、山百合会の客である。
今回のことは黄薔薇だけで処理するわけにはいかない。
「黄薔薇に任せる」
「同じく」
紅薔薇・水野蓉子と白薔薇・佐藤聖の意見は以上だった。蕾はよほどのことがない限り、または意見を求められない限りは姉の意見に付き従うことになる。
「じゃあ、由乃ちゃんの実力不足ってことで送迎係の任を解くから。――何か言いたいことは?」
「私への罰はそれだけですか?」
「それだけで充分だわ。だって誰もあなたがやり遂げられなかったことに対して、不満も不信感もないから。できなくて当然って思っているから」
由乃は無表情のまま「わかりました」とだけ答えた。本音ではものすごく悔しい。だが軽視されるに足る結果しか残せなかったのだ、この程度の嫌味で済んで良かった方だ。
本来なら、自ら罰を求めるところである。
いくら幹部としての自覚に乏しい由乃でも、言い訳できないミスを言葉だけで済まされるほど無自覚ではない。何より下へ、勢力幹部にも示しがつかない。
だが、今の状況は、そんなことを言っている場合ではないのだ。
――このミスを挽回するチャンスがある。
江利子の采配には全員が気付いていて、だからこそ、何も言わない。
きっと由乃には、このミスの挽回をさせるべく、相当危険な仕事が回るのだから。下手に罰して怪我など負ってもらっては困るのだ。
だが、由乃自身も望むべきことである。そろそろ幹部としての実績は作っておきたい。危険であれば危険であるほど、由乃の評価は上がる。
「紅薔薇、後を頼んでいいかしら?」
「いいわ。――祥子、明日から祐巳ちゃんの送迎はあなたがやりなさい」
「わかりました」
これで一先ず、福沢祐巳誘拐(?)事件の処理は終了である。
まあ、むしろ、ここからが本番になるのだが。
「次は……“鳴子百合”かしら」
祥子と由乃は外していたので知らないが、“鳴子百合”なる人物が、山百合会に接触したのだそうだ。
そして当人曰く「福沢祐巳は誘拐じゃなくてナンパした」だとか。焦れて焦れて不安になりながら任務を遂行した救出隊からすれば「なんだそりゃ」って話だが、状況がわからない、信憑性も不明確、という状況に於いて、三薔薇の判断は間違っていない。
「ねえ黄薔薇、実際どうだった?」
聖の質問に、江利子は肩をすくめた。
「見ていた通り、1分も持たないルーキーだったわ。ちょっと期待してたのにガッカリよ」
――逆に言えば、本気じゃないとは言え、黄薔薇の相手をして1分は持ったのだ。目覚めたばかりのルーキーが。
そう考えると、長い目で見れば厄介な相手になることは間違いないだろう。早い内に潰しておきたい気もするし、強くなった彼女を相手にまた遊んでみたい気もするのは、戦闘狂の性である。
「でも初見でかわしたわ」
「3発ね。新記録よ」
そう、江利子の能力“QB”を、“鳴子百合”は3発回避した。ベテランでさえできなかったことをいきなりやったのである。見た目通り、素質だけなら山百合会の誰よりも高いのだろう。
で、面白がってスピードを上げたらすぐに倒れてしまったので、約束通り保健室送りにしてやった。ちなみに祐巳の報告に来たガードに頼んで“瞬間移動”で連れて行ったので、その頃保健室前にいた祥子達には会っていない。
――“鳴子百合”自身はわかっているかどうかはわからないが、彼女はああいう目に合わなければ……華の名を語り山百合会に宣戦布告した以上、なんらかの落とし前をつけないと、山百合会はともかく幹部達は黙っていなかった。祐巳達のこととは別問題として、無傷で帰されることは絶対になかったはずだ。
……と、その時は思ったが、諸々の報告を聞いて納得した。
彼女達には、“加速”や“瞬間移動”とは違う“扉”という移動手段があるらしい。それもどこからでも安全地帯へ直通できる類のものが。
「ま、今後に期待ってことで」
とりあえず江利子の興味は引いたらしい。すぐに潰す気はなさそうだ。
「で、次が問題の情報ね……祥子、お願い」
「はい」
全員が祥子に注目する。
「流れや細々した推察などは、長くなるのでいずれ時間がある時に話しましょう。
問題は、“瑠璃蝶草”なる人物の能力……自らを“契約者”と名乗り、“契約書”という具現化した書類に対象のサインを入れることで、その対象の異能を覚醒させることができるようです」
それだ。この緊急会議で最も気になるのは、この件である。
「普段であれば眉唾もの。確かな情報筋からの話でも、にわかには信じられない話です。しかし私と由乃ちゃんは、祐巳ちゃんが覚醒する現場を見てしまった。あれは間違いなく目覚めた者の力でした」
祐巳も、そして一部始終を見ていた瞳子、偶然居合わせて付いていったという蟹名静もそう証言している。彼女らが、特に瞳子が嘘をつく理由はないだろう。
「そう見せかけた、って可能性は?」
蓉子の問いに、祥子は首を左右に振った。
「“天使”、“重力空間使い”、華の名を持つ者、不自然に強い力を持つ者達、今まで世間に発覚さえしていないのに皆手を組んでいるという事実……どう考えてもそうだとしか考えられません」
“契約者”は“契約書”を行使し味方を増やしている。“契約書”を通してなら薔薇に並ぶほど強い力が目覚める。
そうして目覚めたと思しき者は、現在のところ、“竜胆”、“雪の下”、“鳴子百合”、そして福沢祐巳の四名だろうか。
祥子の言う通り、そうだと考えるべきだろう。そう考えたら事の不自然さの多くは解決する。とても納得はできないが。
「“契約者”ねぇ……」
厄介な能力者が現れたものだ。だが色々と思うことはある。
「ぜひ本人と話がしたいわね」
「大丈夫なんじゃない?」
言ったのは聖である。
「さっき会いにきた“鳴子百合”、たぶん『本当はまだ敵対したくしない』から出てきたんだよ」
「……というと?」
「もし何のフォローもなく祐巳ちゃん誘拐犯として終わっていたら、私達は明日から躍起になって彼女らを探し出し、さっさと潰しちゃうでしょ? それも全勢力を上げて捜索を開始する。有無を言わさず狩る。目覚めていない者の誘拐なんてやる姑息な奴は、私達以外の勢力だって許さない」
というか、許す道理もない。
「向こうはそれが嫌だった。だから彼女が出てきて、単身乗り込み宣戦布告して『一応山百合会と対等な立場にあるつもりですよ』と誠意を見せることで、華の名の誇りに掛けて誘拐じゃないことを主張した。
私達がそれを信じるかどうかはさておき、祐巳ちゃん達の行方を知る者が現れた以上、事の行く末を見届けるまでは手を出さないでしょ――このまま闇に隠れるには、彼女達、目立ちすぎたからね。簡単に言えば捨て身で『恨まないで欲しい』って頼みにきたわけだ」
そして、だ。
「黄薔薇もそう思ったんでしょ?」
「どうかしら」
――江利子も考えた。だから独断で“鳴子百合”にケンカを吹っかけ、色々うやむやにしたまま、山百合会と勢力幹部達とに囲まれた状況から逃がしたのだ。
もしあれが誘拐で、祐巳達の身に危害が加えられるようなことがあれば、由乃の処罰は幹部解任が妥当。仮に黄薔薇にその気がなくても勢力幹部からの嘆願は続くだろう。もし解任まで行ってしまえば、恐らく令も山百合会を抜ける。
江利子は、自分が孤立することくらいはどうってことないと思っている。いや、江利子だけではなく、三薔薇全員がそう思っている。必要なら新たに組織を作ればいいし、片っ端から締め上げていくのも面白そうだ。
しかし、自分が卒業して後継ぎの妹に残せるものは、この勢力だけだ。組織をまとめ上げるのも薔薇の役目、薔薇の名を継ぐ者の仕事である。
この時期、薔薇が考えることなど、そんなに多くはない。
その中で一番大きな比重を持つのは、自分が卒業したあとの妹のことだ。
――後継ぎがいなくなる可能性を消してくれただけでも、江利子にとって“鳴子百合”のもたらした情報は非常に大きかった。ひとまず安心させてくれただけでも感謝だ。
「彼女の処遇をどうするか、なんて話題を出したら、皆絶対に騒いじゃうからね」
蓉子も同じことを考えていた。だがしかし、
「それが“契約者”と話すことにどう関係すると?」
「正式に挨拶に来るんじゃないか、って」
聖の考えはこうだ。
「たぶんその“契約者”本人もわかってると思う。自分の力が周囲にバレたら、今以上の混乱を招くことを。誰も何も知らない昨日までなら、隠密裏に自分のところの兵隊を増やすことができた。でも今は私達が知っている。他の勢力ならまだしも、向こうの最終目標である私達がね。
祐巳ちゃん達の誘拐(?)事件が起こった今回のことで、向こうは最大にして最悪のくじを引いた。それは“契約者”の存在を知られたこと。その子はその子自身の都合も兼ねて、最初から最後まで表舞台に出てきちゃいけない子だった。
次々と不自然なほど強い華の名を持つ者が現れる。何かあるだろう。でもそれはあくまでも疑惑で止まり、核心に至ることはできない、『ありえない能力者の存在』を臭わせるまでが限界。
私達にとっても、彼女達にとっても、リリアンにとっても、“契約者”の存在は絶対に隠しておかなければいけない……って私は思うんだけど」
聖の読みは概ね正解である。“契約者”たる“瑠璃蝶草”が陰でこそこそやっていたのは、何も保身だけのためではなかった。
自分の能力が漏れた場合、リリアンは更なる暴虐の波に飲まれることが簡単に想像できたからだ。
この情報は、目覚めていない者に希望を持たせると共に、目覚めている者には脅威となりえる。今まで虐げてきた存在が、虐げた分だけ力を得る可能性なんて、はっきり言って悪夢である。
この辺りは賛否両論あるだろう。「今まで散々勝手にやってきたのだからやり返されるのも仕方ない」と因果応報を口にする者もいるだろうし、現在と同じく見て見ぬふりをして無関係を装う者もいるだろう。“瑠璃蝶草”や山百合会のように、望まれざる事態だと見る者もいるはずだ。
山百合会は唯一無二のルールの執行者。
それ以上でもなければ、それ以下でもない。
強い者が増えるのは歓迎するが、上ではなく下を狙うようであれば、特に無力な者に力を振るうのであれば、それは誇り高きリリアンの子羊として、いかなる理由があろうと許されない。
「つまり、“契約者”自身が、自分の今後を伝えに来るってわけね?」
「そう。私達が知ってしまった以上、もう勝手に兵隊を増やすことはできない。下手に動けば私達がどう出るか――もしかしたら“契約者”の存在を全校に明かすよう瓦版辺りに依頼するかもしれない、という可能性は無視できないでしょう。何せ向こうも正義なんだから。これ以上の惨劇を自分の手で生むとは思えない。
それを防ぐためにも、必ず一度は、私達の誰かに接触があるはずよ。理想を言えば、こうやって全員がいる場所に来てもらいたいけど、こっちの都合に合わせる筋合いはない。たぶんその“契約者”の顔を見た祥子か由乃ちゃん……案外祐巳ちゃんや瞳子ちゃんも候補に入るかもね」
向こうも正義。だからこそ会いに来る。これ以上の惨劇を生まないために。
だが勘違いしてはいけないのは、山百合会が優位にいるわけではない、ということだ。向こうが犠牲を必要と考え、周囲に知られることを覚悟して兵隊集めを続けるケースだってかなりの確率で考えられる。
このリリアンを本当に変えたいのであれば、いっそ一度全てを破壊してから作り直す方が簡単かもしれない。良い部分も、悪い部分も、全てをひっくるめて。
過去、正義のルールを変えることは、いかなる勢力も、いかなる人物も成し得なかった。
もしかしたら、「山百合会を倒す」という目標を果たした後でさえ、ルールを変えることはできないかもしれない。
このリリアンの頂点、華を手折りし女帝となろうとも。
――まあ、とりあえずだ。
「とにかく、これ以上異常な能力使いが増える場合は、何かしらこっちに合図があってからだと思うよ」
聖の言うことももちろんわかるが、何より「手の打ちようがない」と言った方が早いだろう。
“召喚”とは違う、“人を招く空間”を扱う者がいる以上、捜索も難しそうだ――今日の一件は、向こうの油断が追跡を可能にしただけだと判断するべきだ。祥子・由乃の異空間突入作戦など、もう二度と実行できないに違いない。
何せ計画を聞いただけでも、よく実践しようとしたものだ、と全員が思ったのだから。推測だらけで穴だらけの策に打って出るなど、潔癖な祥子にしてはかなり思い切ったものだ。
「じゃあ“契約者”は接触待ちってことでいいわね?」
「できれば私達全員が話を聞きたい……とは思うけれど、その辺は相手次第かしら」
「そりゃ仕方ない」
蓉子、江利子、聖は、“瑠璃蝶草”のことに一応の決着をつけた。
「それじゃ……次も大問題ね」
全員が溜息をついた――福沢祐巳の覚醒の話である。
正直、溜息しか出ないのだ。
悲惨すぎて。
「力が枯れるなんてあり得るの?」
「そもそも私達と同じように考えることがナンセンスじゃない?」
言ってみれば自然覚醒と人工覚醒である。根本的な相違点があったところで何の不思議もない。
「でも」
由乃が眉をひそめて言った。
「でも、あの力、想像を絶する強大さでした。たぶん紅薔薇よりも……」
「それはそうなんじゃない?」
もはや「紅薔薇を超えるような力」では、誰も驚きもしない。
「こっちはこっちで、ついさっき私を超える人に会ったしね。ねえ?」
「そうね」
「“鳴子百合”ね。あれは確かに紅薔薇を超えていたわ」
“契約者”経由で目覚めた者は、きっと共通して皆高いのだろう。瓦版号外に載った“天使”も“重力空間使い”も、力だけなら山百合会の誰よりも優れているに違いない。
だが、それくらいは由乃もわかっている。
「そんなものではなく、なんというか、もっと異質な感じで……」
形容に困る由乃を次いで、祥子が口を開く。
「私も同感です。あれは力量がすごいだとか強大だとかだけではなく、もっと違う何かを感じました」
「……見ていない私達には、なんとも言えないわね」
蓉子の顔は深刻だ。
通常、能力の使用は使えば疲れるような、肉体疲労に似たものである。その回復速度には個人差があるものの、消費したまま回復しないなんてありえない。
しかし、あらゆる可能性はまだ手付かずだ。
「案外明日になれば、祐巳ちゃんの力がまた復活してるかもしれない。何より、覚醒したのは事実なんでしょう? 傍目には目覚めていないように見えても、何らかの能力を身につけた可能性はとても高いわ」
蓉子の言うことは説得力があった。
だが、だからこそ、わかるのである。
戻ってきた祐巳からは、悲しいほどに何も感じられなかった。極少量の力しか持たない由乃でさえ、思いっきり集中して感じ取ろうと近くに寄ればなんとなくは感じられるのである。
なのに祐巳は、その肌に触れるほど接近しても、なんの力も感じられなかった。
何より、自分の覚醒に気付かないことはあるが、意識すれば他人の力は感じられるのだ。
リリアンでもトップクラスの力の持ち主である山百合会に囲まれて、それでも祐巳が何も感じられないのであれば、それはもう……
本人が言う通り、「枯れた」のではなかろうか。そういう感覚も本人だからこそわかるのだ。
「テストしてみたらどうでしょう?」
令が引きつった笑顔で言った。
「力そのものは尽きたかもしれませんが、基礎能力は上がってるかもしれません。私のように常時強化型という変な異能もあることですし、もしかしたら力が使えない代わりに基礎能力が異様に高くなっている可能性はあります」
基礎能力テストは、肉体強化の方向性で己の異能の傾向を調べるテストである。
そう、目覚めたのであれば、基礎能力は上がっているはず。
上がって……いる、はず……
「……言っちゃ悪いかもしれないけど」
「……だったら言わないでいいわよ」
聖の悲しい呟きは、蓉子の悲しい声に殺されてしまった。なんと悲しいやり取りだろう。
全員がまた溜息をついた。
――少なくとも、今日の稽古を見る限りでは、祐巳の基礎能力が上がっているようには見えなかった。
「テスト……するの?」
その結果に、祐巳は更なる現実の残酷さを知るのではなかろうか。傷口に塩を擦り込まれるに等しい余計なお世話にならないだろうか。
何せ説明を全て聞く前に、喜び勇んで“契約書”とやらにサインしてしまったらしいから。どれだけ露骨に覚醒を渇望しているか垣間見えるエピソードではないか。それがまさかの「枯れる」という結果である。ぬか喜びにも程があるだろう。
確かに令の言う通り、目覚めた以上は基礎能力も上がっているはずなのだ。戦闘系ではなくても、多少の差は確実に現れているのが通例である。
しかしテストの結果如何では、なんというか、もっとえぐいことになるかもしれない。
――テストはしない方向で、というかこの一件は極力触れないことになった。
長かった水曜日はこうして過ぎていく。
考えるべきことは多々あった。
小笠原祥子は、松平瞳子に連絡を取り、あの空間で何が行われどんな会話が交わされたのかを聞き出す。
色々と時間が押していたので、大まかな流れしか知らない。
特に偶然居合わせて付いて行ったという“冥界の歌姫”蟹名静の存在も忘れてはならない。
明日の朝にでも山百合会から使いが出るだろう。
島津由乃は、昼休み終わり頃に会った“複製する狐(コピーフォックス)”から、「明日明後日には“竜胆”と“雪の下”の異能解析が終わるだろう。取引に含んでいるから黄薔薇に聞いてくれ」と接触があった。どうやら彼女は、黄薔薇経由で“複製品”を調べるよう依頼したようだ。
たとえば、である。
もし“竜胆”と“雪の下”両名、もしくは片方だけでもいい、とにかく“契約した者”として、特別な何かを持っているかもしれない。
まあ、“契約した者”も気になるが、よっぽど気になるのは“契約者”の方である。
――たとえば、目覚めている者の力を更に引き出す“契約”が可能だったら?
元々“覚醒させる力”など、冗談でも冗談じゃなくても悪質極まりない異能が出現してしまった。ならばこそ、これ以上の悪質な冗談だって充分ありえる。そもそも“契約”とは何か、そこからしてわからない。
“契約による覚醒”を含め、あからさまなパワーバランスの崩壊は、本当にリリアンを更なる混沌に誘い、破滅に向かわせるだろう。
推測では、“契約者”はすぐにでも山百合会に接触するらしい。
山百合会の舵を取っている三薔薇の決定は、特に気になるところである。
由乃の推測通り、紅薔薇、黄薔薇、白薔薇は、話もしなかった色々なことを考えている。
そこから先は打算と策略と、己の野望の道だからだ。
一番気になるのは、やはり“契約者”のことだが、黄薔薇・鳥居江利子はもう一つの楽しみのことを考えている。
直接闘ったからこそわかった、例の華の名を持つ“契約した者達”のことである。
圧倒的な経験不足だが、拙い動きから窺い知れる力量と基礎能力。
あと三回も接戦をこなせば、きっと化ける。
五回も死線を潜り抜ければ、己の弱さを知る。
そこから先は、戦闘狂だけが歩む道。
そしてそこまで行けば、きっと各勢力さえ無視できない存在になるだろう。
……まあ、個人的な楽しみはともかく。
要はカリスマ性である。
三薔薇を超える華の名を持つ新興勢力、しかも一人は“天使”だそうだ。その偶像は崇め、持ち上げられるに相応しい。これで実力さえ伴えば、彼女らの下に付く兵隊や勢力も確実に現れることだろう。
既存の正義に異を唱え、彼女らが掲げる正義が支持されるのであれば、そういうこともありえる。革命とはそういうものだ。
三薔薇勢力だって無関係ではない。規模の大きい組織であればあるほどアジテーターはいるものだ。向こうが強くなればなるほど、その名前が売れれば売れるほど、各薔薇勢力からも人員が流れることになるだろう。特に白薔薇勢力はまずい。あそこは聖と勢力の仲が非常に悪いのだ。
どうあれ、近いうちに戦局は大きく動く。
――ここから先は、きっと退屈せずに済むだろう。
そして紅薔薇・水野蓉子は、今現在、非常に重大な岐路にあることを悟っていた。
木曜日。
朝一番で“純白たる反逆の蕾”藤堂志摩子に会いに来たのは、“小さな暗殺人形(ミニチュアドール)”と呼ばれる二年生だった。
「なんとか歩けるようにはなったんだけど――」
アバラ数本が折れ右足大腿骨にヒビが入り、右上腕部と左手の人差し指、中指がそれぞれ綺麗に骨折という、とんでもなくひどい有様だった。
巻いた包帯は“創世(クリエイター)”の力で固めてギプスにし、それでなんとか登校できたらしい。
そう、彼女は治療を求めてやってきた。粗悪な“複製品”では間に合わない大怪我で、歩くのがやっとという状態まで回復したので、こうして一年桃組まで“反逆者”を訪ねてきたのだ。
顔に擦り傷や痣などを残したまま苦笑する彼女に対し、志摩子は治療を施しながら、いつになく厳しい顔をしている。
「歩くのがつらいなら呼んでください。私はどこへでも行きます」
「はは、次からそうする」
もちろん嘘である。
怪我をしたのは自分の責任、その責任に“反逆者”を巻き込むのは……まあ仕方がないとして、その厚意に必要以上に甘えてはいけない――それが“反逆者”に頼る者の暗黙のルールである。
歩けないほどの重態ではなくなったのだから、これ以上甘えるわけにはいかない。
「ところで、山百合会にはもう伝わってるの?」
「何がですか?」
「華の名を持つ者、って言えばわかると思うけど。昨日は号外にまで載ったんでしょ?」
“小さな暗殺人形(ミニチュアドール)”は、自分に大怪我を負わせたのは、“鳴子百合”という華の名を名乗ったという。
その名前には、志摩子も聞き覚えがあった。
「その人なら、昨日、黄薔薇と闘ってましたけれど」
「え、ほんと!? あの薔薇が直接!?」
「『遊び』って括りらしいです」
「そりゃ貴重な体験したわね。……そっか。黄薔薇と……」
“小さな暗殺人形(ミニチュアドール)”は小さく溜息を吐く。その横顔はどこか悲しげだ。
「志摩子さんは、彼女……彼女達と話したことは?」
「ありません」
だが今思うと、一昨日の放課後、由乃が「ちょっと話してくるから先に行ってくれ」と言っていた相手こそが、噂の存在だったのだろう。
「……志摩子さんは今のリリアンが正しいと思う?」
「いいえ。暴力を制するために暴力を振るうなど論外です」
だが志摩子には闘う意思がなく意味も見出せないので、それを変えることはできない――ただ“反逆者”であり続けることが、自分ができる最大の反抗だと思っている。
力を振るわない闘いを、志摩子はずっと続けている。それはただ闘うことより難しい。
「そう……そうか。そうだよね」
「それが何か?」
「いや別に」
単に顔を知ってるくらいの仲の者が、早々突っ込んだことなど言えない。
その後、お互い黙ってしまう。
何かを考え込む彼女と、それを邪魔しない志摩子。
ほどなく治療は終わり、彼女は右肩を回した。
「おおー痛くない。指も動く。便利な能力だ」
“創世(クリエイター)”の能力を解除して、巻いていた包帯をさっさと解き始める“小さな暗殺人形(ミニチュアドール)”。彼女は元々戦闘用異能を持ち合わせていないので、基礎能力が低い。色々と不便はあるが、何より怪我の治りが遅いのが辛いところだ。
ちなみに“反逆者”――ではなく志摩子の能力“憂志の理”は、直接触れることで発動し、完治するまで触れ続けなければならない。
もしかしたら、歩きながら等の行動と能力発動とを同時に行うことができるかもしれないが、志摩子自身はこの力の応用を考えていない。
「痛いところはありませんか?」
「うん、完全完治。大丈夫。どうもありがとう」
「いえ。それでは私はこれで」
志摩子は一礼すると、感慨もなくさっさと教室へ戻ってしまった。
余計なことは言わず詮索もしない。
本当に「治療のみ」に努める“反逆者”の姿勢は見事である。
「……あれも正義か」
潔さだけを見せ付ける背中を見送った“小さな暗殺人形(ミニチュアドール)”は、そう呟くと歩き出した。
正義が動き出す。
立場も人も状況も違えば、正義の在り方も違う。
とある正義はただの偽善と化し、とある悪意は正義の鉄槌と呼ばれることもある。
だからこそ、リリアンには「強者こそ正義」などというルールが脈々と伝えられてきた。
シンプルにしてベスト。
誰にとっても単純明快だからこそ浸透し、誰にとってもわかりやすいからこそルールは今も健在なのだ。
言い訳のできない敗北者、野望にやぶれた脱落者、力量差に絶望し闘う気力を失った臆病者……言うなれば、それらは全て正義に負けた者達である。
絶対勝利、常勝無敗が当然の三薔薇。
その薔薇の名を手折ろうと頂点を目指す者が尽きない裏では、当然のようにそうじゃない者もいる。
だが。
多くの者が、自分だけの正義を持っている――あるいは持っていた。
それは人によって様々で、思想と呼べないほど漠然としていたり、明確なビジョンを見出していたりもするし、己が正義を持たないからこそ正義があると考える者までいる。
正義とは何か。
一言で言えば、自らを証明する旗である。少なくともリリアンでは。
旗が立派であればあるほど、その下に人が集まる。
旗持ちが強ければ強いほど、その周りに人が集まる。
そして、同調できない邪魔な旗を食らっていくのだ。
力で、技で、言葉で、状況で。
「今こそ動く時」
“本来リリアンに存在しない教室”で、教卓に立つ“瑠璃蝶草”は、力強い瞳で仲間を射抜いた。
“竜胆”。
“雪の下”。
“鳴子百合”。
以上の三人は、適当に座ってあまり緊張感なさげに注目している。
「…………と言いたいところだけど、まず“鳴子”」
「あい?」
「殴らせて。思いっきり。グーで」
「やめてよ怪我してるんだから」
「だから殴らせろと言っている」
あれほど「闘うな逃げろ」と言ったのに、“鳴子百合”は“瑠璃蝶草”と別れた後、戦闘を――しかも黄薔薇とやりあったという。
幸い軽い打撲程度で済んでいるので、怪我をしたことは百歩譲って許してもいい。だが山百合会の誰かと闘うなんて冗談では済まない行為だ。自分達の最終目標がどこにあるかを考えれば、あまりに軽率すぎる。
それに何より、指示を聞き入れなかったが一番腹立たしいのだ。どいつもこいつも言うことを聞かない。なんだこの組織は。本当に組織か疑わしいくらい参謀の言うことを聞かない。
「それよりこれからどうするか話し合おうよ」
“瑠璃蝶草”は泣きたくなった。
「それより」ってなんだ。
どうしてどいつもこいつも計画を狂わせる。
そして狂わせた挙句に人に指示を求めるのだ。
どうせ言う通りにする気もないくせに。
なんなんだ。
泣かせたいのか。
本気で泣かせたいのか。
「どうもこうも、打てる手があるとでも?」
どう考えても、もう無理なのだ。
この数日の内に、あっと言う間もなくここまで行く手が塞がるだなんて思わなかった。
色々と言いたいことはあるが、まず決定的なのは、“契約者”の存在が山百合会に知られたことである。
いずれはバレると思っていた――このマヌケな奴らを抱えている以上、隠し通せるなんて微塵も思っていなかった。どうせ口止めしたってポロッとやってしまうのだろうと、悲しくなるくらい確信していた。
だがまだ早すぎる。いろんなことが早すぎる。
どんなに時間がなかろうと、最低あと1週間は欲しかった。
強くなるために、仲間を増やすために、そしてリリアンを揺さぶるためにも、あと1週間欲しかった。
「だいたいあなた達だってわかっているはず」
山百合会は予想以上に強い。いや、山百合会だけではない。名の知れた者――二つ名持ちは大概が強い。
力量的に考えて、ここにいる者達はリリアンでもトップクラスである。いや、力だけならすでに頂点に立っている。
にも関わらず――
「誰それが強いというより、私達が弱いと判断するべき。――特に“鳴子”は、よくわかっているはず」
「うん」
“鳴子百合”は神妙に頷く。
「山百合会はともかく、山百合会最弱の島津由乃にも劣ると言われる二年三年……“小さな暗殺人形(ミニチュアドール)”にさえ勝てなかったからね」
月曜日、“小さな暗殺人形(ミニチュアドール)”と闘ったのは、“鳴子百合”である。この“教室”に隔離し、一対一でやりあった。だから目撃情報がなかったのだ。
自分の力がいかほどのものか、そして打倒山百合会の手始めとして、“鳴子百合”は由乃のケンカ友達と闘うことを選んだ。その中でも好戦的ではない、比較的穏やかな人物と言われる“小さな暗殺人形(ミニチュアドール)”を選んだのは、お互い大怪我を負うことを避けるためだった。
だが、甘かった。
実戦経験がなく加減のやり方さえわからない“鳴子百合”に対して、いきなりのフルパワーにて短期決戦で望んだ“小さな暗殺人形(ミニチュアドール)”の選択は正しかった。何せ力量だけなら薔薇さえ凌駕する相手と一対一である。出し惜しんで乗り越えられるような相手じゃないと判断したがゆえに、だ。
おかげで、お互いが力の限りを出し合ってぶつかりあってしまった。
結果だけ言ってしまえば、相打ちだった。
彼女は大怪我を負ってようやく戦闘不能になったし、“鳴子百合”も同じくらいの大怪我を負った(ちなみに治癒能力の差で、“鳴子百合”は自然治癒ですぐ治ってしまった)。
“鳴子百合”は驚いた。
戦闘経験の差とは、ここまで如実に現れるのか、と。
力だけなら圧倒的に自分が上にも関わらず、“小さな暗殺人形(ミニチュアドール)”とは接戦になってしまった――“創世(クリエイター)”なんて戦闘異能持ちではない相手にも関わらず、戦闘異能を駆使する“鳴子百合”が、だ。
しかもだ。
邪魔も入らない、逃走ルートもないような隔離された場所において、という“鳴子百合”が有利な状況で、である。これで場所や――“小さな暗殺人形(ミニチュアドール)”に味方する者が参戦した場合、もはや勝ち目がなくなるだろう。
思い知った。
皆、目覚めたから強いのではない。
目覚めてから強くなったのだ。
――こと、わざわざ遊んでくれた黄薔薇に関しては、強いとか強くないとかそういう問題ではなく、「何が起こったのかさえわからない」というのが“鳴子百合”の率直な感想だった。
気がついたら意識を失い、保健室にいたのだ。
黄薔薇の強さ……本気じゃないにも関わらず、桁も格も経験も、恐らく戦闘センスさえ負けている。
「由乃さん、すごく強かった」
直接やりあったことのある“竜胆”も、闘うことに関しては思うことがある。見た目はやる気なさそうだが。
「私は彼女に勝てる気がしない。けれど」
いずれはやり合うことになるだろう――“竜胆”は左腕を摩る。爆発で肉を持っていかれた部分……怪我はもう完治しているが、由乃のことを考えるとなぜか触れてしまう。
二度目のコンタクトで、完全に恐怖を植え付けられた。
もしあの“爆発する弾丸”を直接食らったら、問答無用で戦闘不能になるのではなかろうか。
あんなスピードで飛んでくるものを、本当にかわせるのだろうか。
かわせる、はず……だがかわしても“爆発”に巻き込まれた。
ただ飛ぶだけではない弾丸の可能性を、身をもって思い知らされた“竜胆”が、軽くトラウマを刻まれるのも仕方ない。
自分の力がちゃんと通用したという実績ある接戦を経験した“鳴子百合”と違い、“竜胆”は力及ばず軽々圧倒された――由乃の見せた余裕、いわゆる自分を強く見せる絶対強者の虚像は、本人さえ無自覚だが“竜胆”の闘争心を確実に削り、言ってしまえば苦手意識を抱かせていたのだ。元々闘争心が乏しいせいもあり、すでに闘うことが怖くなっている。
力が強いだけに、由乃との単純な力量差が大きいだけに、戸惑いも強かった。
けれど、
「由乃さんとは、もう一度やり合うんだろうなぁ……」
憂鬱そうに呟く“竜胆”は、逃げるという選択肢をもう捨てている。
それに、由乃を超える者がゴロゴロいるという事実である。
特に山百合会なんて、あの由乃を末席に置くような組織。そんな組織を相手に勝たねばならないという絶望的な現実が、ようやく“竜胆”にも理解できてきた。
「大丈夫ですわ。皆さん」
一番大丈夫じゃなさそうな“雪の下”が、ほがらかな笑顔で言った。
「正義は負けません。いつだって勝つんです」
やっぱり大丈夫じゃなかった。どこまで能天気だ。自分だって祥子に切り刻ざまれたくせに。
しかし“雪の下”の場合は、“防具を具現化する”という可能性をすでに見出している――そういう意味では、“竜胆”や“鳴子百合”よりも一歩先に進んでいるのかもしれない。
「今時は魅力的な悪も多いから」
「闇の眷属が主人公ってこともあるよね」
「正義も悪も負ける時は負けるし、死ぬ時は死ぬからね。そういう意味ではドラゴ●ボールって斬新だったわ」
「ああ、そうね。主要人物が大体一度は死んでたからね」
「でもやっぱり、何度考えても人名にブルマとブリーフはないと思うの。私」
「そんな履き物的な名前を背負わされるなんて、衝撃的な人生よね」
「…………」
なぜか始まってしまったドラ●ンボール話に花を咲かせる三人を他所に、あの名作を知らない“雪の下”は一人ポツーンと寂しげだった。
――そして10分ほどして、“瑠璃蝶草”はハッと我に返った。
「なんでドラゴンボー●の話なんてしてるのよ」
「…? いきなりどうしたの?」
「それより、どうやったら本当にか●はめ波が出せるか考えようよ。“瑠璃”も真面目にやって」
「…………真面目に?」
――もう怒った。
“瑠璃蝶草”は、本気で“鳴子百合”に鉄拳制裁を行うことにした。その様をなぜか“雪の下”だけがちょっと嬉しそうに見守っていた。
「じゃあ真面目に考えましょうか」
「あーい」
「痛くない?」
「すんごい痛い。あいつ基礎能力低くないよ。実は闘えると見た」
「そこ黙れ。
――で、今後だけどね。もう動くしかないと思う。それに私はもしかしたら、もうあなた達を率いることはできなくなるかもしれない」
「「え?」」
“瑠璃蝶草”の言葉に、三人とも驚いた。
「なんで?」
「まさか私を見捨てるのですか?」
「もう『それより』とか『それはいいとして』とか言ってないがしろにしないから、ここにいてよ」
「理由云々の前に、“鳴子”は話を別にしてそれは守れ。不愉快」
ないがしろにしている自覚があったとは腹立たしい話であるが、でも今はそれどころではないのだ。●ラゴンボールの話をしている場合でもないのだ。ベジー●のおでこはどこまでがおでこでどこからが頭になるのかも今はいいのだ。
「別にあなた方がどうこうという話じゃなくて、私の存在がバレたから。私……というか、“契約者”の存在が」
“瑠璃蝶草”の思考は、山百合会が立てた推測とほぼ同じである。“契約者”としての自分の存在が周囲に知られることは、今以上の戦乱を生み出す。
それがわかっている以上、その秘密を知った山百合会には、交渉のために接触する必要がある。主に口止めについて。
恐らく「これ以上能力者を増やさない」という条件で、“契約者”の存在は隠されるだろう。
そうなれば、もう“瑠璃蝶草”は動けなくなるも同然である。
「私もあなた方と同じ正義だから。だから、これ以上リリアン女学園を傷つけたくない。そのために、私はもう“契約者”として、あなた方のような者を増やすことはできなくなると思う」
山百合会に対抗するために、あと二人は欲しかった。
特に福沢祐巳は、この面子の中で一番強い存在になると踏んでいた。仮に仲間にならないとしても、まず敵にはならないはず。それはそれでよかった。今の正義に反対する力なら、たとえ身内じゃなくても構わない。
だが予想外が二つ。
一つは、祐巳の覚醒のこと。
“瑠璃蝶草”は、“契約書”の能力自体、人が持つには過ぎた力だと思っている。正直まだ扱い切れていないし、わからないことも多い。
目覚めた力が「枯れる」なんて、そんなことがありえるのか?――それさえわからない。あんなケースは初めてで、“瑠璃蝶草”自身もまだ戸惑っている。
そしてもう一つは、山百合会が祐巳達を追いかけてこの“空間”に乗り込んできたこと。
正規ルート以外で入り込んだのも驚いたが、それ以上に、それを実現した発想力にこそ驚嘆する。絶対的な安全地帯だと思っていただけに、その衝撃は大きかった。
今こうしている間にも、また誰かが入り込もうとしているかもしれない。そんな可能性が僅かでもある限り、ここは決して絶対的な安全地帯ではなくなってしまった。安全地帯だからこそ、ゲストの存在も容認できたのだ。ゆっくりじっくり口止めの説得もできたから――“瑠璃蝶草”も正義である。やり方は選ぶが、陰謀めいて隠す必要はあっても理由はないと思っている。参謀役としては失格だが、正義を口にする以上、やり方を選ばないのでは本末転倒だ。
まあ、そもそもだ。
「それに、そろそろ授業出なきゃ」
この場の全員が、“契約”を交わしてからは周囲に身元がバレるのを警戒して、ずっとここに潜伏している。“契約した者”が最低あと二人増えるまでは、派手な行動は控えて訓練に励み、組織力を上げる……つもりだったのだが。
しかしサボる理由もなくなってきた。
瓦版の記事に載ってしまった以上、そして山百合会に認識されてしまった今、もう隠れている意味もない。
この“教室”の存在も知られてしまったし、それどころか乱入まで許してしまった。
「もう少し時間が欲しかった。せめてあなた方が、島津由乃さんに勝てるレベルになるまでは、腕を磨いてほしかった」
力だけなら楽勝だとさえ思っていたのに、“瑠璃蝶草”を除く三人掛かりで勝負を挑もうとも、きっと由乃には勝てないだろう。
それほどまでに山百合会は――認められないルールは強かった。
組織力でも負け、個々の戦力でも劣り、人数でも勝らない。
このままではどう足掻いても勝てない。「ちょっと話題になったよくある新興勢力」としてちょっとだけ噂され、そのまま消えていくだろう。敵は山百合会だけではないし……いや、むしろ周囲は敵だらけのはずである。
色々なものが足りないが、まず必要なのは強さ――いや、己の力を知ることだ。それに関しては“瑠璃蝶草”に言われるまでもなく、全員が痛みを伴って悟っている。それも何の因果か山百合会のメンバーとやり合って。
「今日が木曜日。金曜、土曜、日曜……今日を含めて四日だけ、私が時間を作るから。その間にあなた達は少しでも強くなってほしい。これ以上の時間は捻出できないと思う」
組織力でも負け、個々の戦力でも劣り、人数でも勝らない。
どう見ても勝ち目がない状況下に置かれた場合にだけ、“瑠璃蝶草”は一つの切り札を持っていた。
それは、自分が“契約者”であることを鑑みて、思いついたこと。
――組織力でも負け、個々の戦力でも劣り、人数でも勝らない以上、もはや組織である必要さえないのである。
この内の誰か……この三人の内、誰か一人が頂点に立てばいい。組織として活動するのではなく、個人として。
最悪なのは、固まっていたせいで一度に三人とも倒れてしまうこと、である。数も質も大したことがないのだから、むしろ個別で行動した方がいいだろう。
あとは“瑠璃蝶草”が、その舞台を用意するだけでいい。
「……アレをやるの?」
“瑠璃蝶草”がこれからやることを察し、ようやく緊張感を滾らせる三人の中、“竜胆”が静かに問う。
対して“瑠璃蝶草”は、珍しく顔を引き締めている三人の前で、穏やかな笑みを浮かべる。
「私達の気持ちは変わらないでしょう? たとえ組織ではなくなっても」
脇目も振らず迷うこともなく全員が頷く。
揺らがない。
心に秘めし正義が、決して消えない光となり、掛け替えのない信念としてその胸の奥で輝き続ける限り。
たとえ違う道に歩み出そうとも、その正義さえ掲げていれば、いずれその道は交わるはず。
あとは、誰が先に頂上へ辿り着くか、だ。
木曜日早朝、名もなき弱小勢力が誰にも知られず解体される。
この日より、噂の“重力空間使い”と“天使”の素性が知れ渡り、波紋を呼ぶことになる。
華の名を語る者達が、それぞれ校内へと散って行く。
噂が飛び交う午前中を経て、ようやく昼休み。
彼女らはそれぞれの目的のために動き出していた。
“竜胆”は“冥界の歌姫”蟹名静に会いに。
“雪の下”は図書館へ。
“鳴子百合”は“小さな暗殺人形(ミニチュアドール)”を訪ねる。
――そして“瑠璃蝶草”は、薔薇の館の前に居た。
(果たして山百合会は、この切り札を受け入れるだろうか)
いや、違う。
受け入れさせるしかないのだ。
そうじゃないと、もはや1パーセントの勝機さえなくなってしまう。
失態、失策の大多数が、油断だと“瑠璃蝶草”は考えている。だからこの手を使うことになった。それもかなり早い時期に。
自分達は、確かに山百合会に対抗できる力を得たのだろう。
しかし、それを使いこなすだけの経験が足りなかった。自分にも、仲間達にも。
才能……ではない、とは、信じたいところだが。
――しかし“瑠璃蝶草”はこの後すぐ、少なくとも“紅に染まりし邪華”水野蓉子に対しては、才能という決して得られない特別なものを感じることになる。
驚いた、という言葉が陳腐に思えるくらい、恐ろしい経験をすることになるのだ。
まさか切り札を読まれている――同じ考えを抱く者が居ただなんて。
根本的な誤解があったのだ。
山百合会は強者こそ正義のルールを掲げる者達、だと思っていたが、違ったのだ。
山百合会は、正義のルールを厳守し、執行する者達の集まりである。
そこに個々の思想はほとんど関わらない。
いや、むしろ、この組織は皆を守るための礎であると考えた方が、より正確なのである。
(正義って何なんだ)
山百合会の面々を前にして、“瑠璃蝶草”は戸惑いを覚えていた。
諸悪の根源のように思っていたこの組織は、歪んだルールの象徴のように思っていたこの組織は、そんなことはなかった。
――果たして、自分達が望む正義は、本当に正しいのか?
もしあのまま時間を得て、山百合会を倒せるだけの組織を形成し、実際倒してしまったとして。
それから後、リリアンはどうなっていたのだろう。
唯一無二のルールが崩壊したリリアンは、どうなっていたのだろう。
立場が違えば、見える正義もまるで違う。
それくらいはわかっていたはずなのに、この場で迷いが生じるだなんて、考え方が足りなかった証拠だ。
厚意も悪意も、全てを受け止めて尚そうあり続ける山百合会という組織は、まさしく正義である。予想以上に大きくて、想像以上に深い懐を持つ、偉大なる正義である。
だが――自分達の正義も、正義だ。
若木のように細く頼りない小さなものかもしれないが、偽らざる正義である。
もう信じると決めている以上、迷うことがおかしいのである。
「一つ提案したいと思います。私の“契約”の力があれば、リリアンの頂点に立つ女帝に、女帝たらしめる力を与えることができます。
そろそろ決めませんか?
強者こそ絶対の正義であるという、その言葉を体現する女帝を」
これが“瑠璃蝶草”の切り札だった。
(コメント)
海風 >T2B全開! ……そうでもない感じですね。ええ。(No.18604 2010-05-29 09:17:15)
XYZ >毎回楽しみにしてます。次の展開はどうなるのかわくわくです。(No.18605 2010-05-29 16:22:17)
taro >同じくわくわくです。(No.18612 2010-05-31 19:41:58)
愛読者v >どきどき(No.18615 2010-05-31 23:55:03)
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