がちゃS・ぷち

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No.3409
作者:翠
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2010-12-08 21:35:27
萌えた:7
笑った:112
感動だ:4

『喜劇のヒロイン』

 無印のパロディで、キャラ設定やら性格やらが作者に都合良く弄られています。なので、殆どの登場人物が、どこかしら変です。また、所々に妙なネタも紛れています。微妙にオリキャラも出ます。それでも構わない、という海どころか宇宙よりも広い心の持ち主な方以外は、読まれない方が良いかと思われます。
 【No:これ】→【No:3412】【No:3416】【No:3423】【No:3428】【No:3430】【No:3433】【No:3438】【No:3440】【No:3446】【No:3449】




 とある月曜日。
「志摩子さんの話、聞いた?」
 祐巳が鞄から机の中へと荷物を詰め替えていると、後ろの席の友人に声をかけられた。
 彼女は桂さんと言って、初等部の頃から付き合いがある友人だ。なので、彼女の事なら大概の事を知っている――のだが、家庭の事情だったか何だかで、苗字だけは知らなかったりする。それは、とても不便だと思われるかもしれないが、このリリアン女学園では同級生同士は名前の後に「さん」を、上級生には「さま」を付けて呼び合うようになっているので全く問題がない。まるで、桂さんのために存在しているような慣例だ。
 祐巳は鞄の中を覗き込みながら答えた。
「聞いた。白薔薇のつぼみになったって話でしょ? それがどうかした?」
「友達が山百合会入りしたってのに、素っ気ないわね」
 山百合会とは他校で言う生徒会の事で、志摩子さんはそこの一員、つまり生徒会幹部となったのだ。
 祐巳は鞄を逆さまにして、軽く振りながら答えた。
「桂さんが騒ぎ過ぎなだけと違う?」
「……祐巳さんらしくない。機嫌悪い? 何か嫌な事でもあった?」
 祐巳は机の横にあるフックに鞄をかけた後、桂さんへと振り返って大きな溜息と共に答えた。
「お弁当、家に置き忘れたみたい……」
「あー、なるほど。祐巳さんらしいわ。――っと、噂をしていれば」
 苦笑いしていた桂さんが、後方へと視線を向ける。その視線を追うと、先ほど話題に上っていた藤堂志摩子さんが、教室の後ろの扉から入ってくる所だった。
「ごきげんよう、祐巳さん。ごきげんよう、桂さん」
 志摩子さんは、祐巳たちの所で立ち止まると笑顔で挨拶してきた。
「ご、ごきげんよう」
 祐巳の愛すべき友人がその笑顔にやられてしまったらしく、顔を真っ赤にしながら挨拶を返す。きっと、体温も急上昇中だ。
「いやぁ、暑い暑い。もう十月だってのに、桂さんはまだ八月の暑い日々を過ごしているんだねぇ」
「喧しいっ!」
 ちょっとからかってみただけなのに、頬をムギューって引っ張られた。



 お昼休み。
 ミルクホールでパンと飲み物を買って教室に戻ってきた祐巳を迎えたのは、桂さんと志摩子さんの二人。志摩子さんとの付き合いは高等部に入ってからだけれど、お昼はいつも三人で摂っているのだ。
「ごめーん。思ってたより混んでて遅くなった」
 二人は先に、祐巳と桂さんの机を合わせて一つのテーブルを作っていた。これも、いつも通りだ。後は、そのテーブルを三人で囲むように座るだけ。椅子が一つ足りないのだけれど、それは志摩子さんが自分の席から持ってくる事で解決していた。
 さて、三人揃った所で、
「いただきまーっす」
 手を合わせて、お食事開始。



「そういえば、白薔薇のつぼみになったんだって?」
 パンを齧りながら祐巳が言うと、志摩子さんは箸を置いてから「ええ」と頷いた。容姿も良いが、行儀も良い。祐巳とは大違いだ。
「白薔薇さまと一緒に食べたりしないの?」
「その事なのだけれど、明日から薔薇の館に集まらなくてはならないの」
 学園祭が近くて時間が惜しいので、これからしばらくの間は薔薇の館でお昼を摂りながら話し合いをするそうだ。
「そっか、寂しくなるね」
「ごめんなさい」
「なーに謝ってるの。学園祭を成功させるためなんだから、むしろ胸を張るべきよ。せっかく立派に育ってるんだし」
 親の仇、とばかりに志摩子さんの胸を睨み付ける。祐巳は、彼女が制服の下に凶悪なものを隠している事を知っていた。志摩子さんは着痩せするのだ。
「目が怖いわ」
 肉食獣のような祐巳の視線から逃れようと、志摩子さんが身を捩った。
「隠さなくても良いじゃない。減るもんじゃなし。っていうか、少々減っても私よりあるって。というわけで、少し私に分けてよ」
「もう、祐巳さんったら」
 赤面させてあげようかと思ったのに、笑顔で流されてしまう。
「むぅ。知り合った頃はいちいち可愛い反応してくれてたのに、最近効果薄いね。あの頃の初々しい志摩子さんは、いったいどこへ行ってしまったの?」
「単に飽きられただけなんじゃない? 祐巳さんってば、同じようなパターンの冗談多いし」
 祐巳と志摩子さんの会話を今まで黙って聞いていた桂さんが、ニヤニヤしながら口を挟んできた。
「うぐっ。さっきまで影が薄かったクセに、今のは胸にグッサリきたわよ友人A!」
「友人Aっ!?」
 それはいくら何でもあんまりだ、と桂さんが抗議してくる。
「じゃあ、親友Aにランクアップだー!」
「それホントにランクアップしてるのっ!?」
 桂さんとギャーギャー言い合っていると、志摩子さんが神妙な顔して二人を見つめている事に祐巳は気が付いた。
「どったの、志摩子さん?」
 祐巳が尋ねると、
「……先ほどの話の続きなのだけれど」
 山百合会のお手伝いを引き受けてもらえる人を探しているの、と志摩子さんは言った。



「ひんふぇれら?」
「ちゃんと飲み込んでから喋りなさいよ」
 桂さん注意され、祐巳は口を塞いでいたパンを一気に飲み込んだ。
「んんんんんんぅえふっ、ちょ、ちょっと無理し過ぎた。喉が痛い……ええっと、シンデレラ?」
「ええ」
 志摩子さんの話によると、今度の学園祭で山百合会はシンデレラを演じるそうだ。けれど、人手が足りなくて困っている。薔薇さま方も思い付く人を頼りに頼み回っているのだが、良い人が見付からないらしい。
「悪いけど、部活があるから」
 そう断ったのは、桂さんだった。こう見えても桂さんはテニス部期待の新人で、既に幾つかの大会で優勝しているほどの腕前なのだ。学園祭の準備期間中も、練習は欠かせないらしい。
 そんな桂さんに続いて、
「悪いけど、私も部活があるから」
 祐巳も申し訳なく思いながら断った。
「祐巳さんは帰宅部でしょうが」
 桂さんがすかさずツッコミを入れてくるが、祐巳は全く気にせずに続ける。
「そう。その名も、福沢流帰宅部。自由(遊ぶための時間)を求めるあまり、己が身を修羅と化す事すら厭わなくなってしまった猛者共の集う過酷な部活『道』。極めた者は、大空を翔ける鳥よりも早く帰宅する事ができるという伝説があるわ」
「というわけで、祐巳さんを連れて行けば良いわよ。煮るなり焼くなり、好きに使って良いから」
「ちょ、おまっ、私の説明の何を聞いてたのよっ!?」
 どうやら桂さんは、先ほどの友人A云々のやり取りをまだ根に持っているらしい。心の狭い奴だ。
「えっと……」
 志摩子さんはというと、困り顔で祐巳と桂さんを見比べている。
 祐巳は「仕方ないなぁ」と溜息を吐くと、志摩子さんを見つめながら答えた。
「私で良ければ手を貸すよ」
「良いの?」
 恐る恐る確認してくる志摩子さん。祐巳は、ヒラヒラと手を振って答えた。
「うーい。最初から手伝うつもりだったし、遠慮なく使ってちょーだい」
 基本的に、美人とか美少女ってやつに甘いのだ。



 祐巳の知り合いに、『リリアンの歌姫』なんて呼ばれている人がいる。
 合唱部に所属している彼女は名前を蟹名静と言い、祐巳よりも一つ年上で、隣の家に住んでいる美人なお姉さんだ。所謂、幼馴染というやつである。
 音楽室の掃除当番である祐巳は、掃除を終えると彼女との会話を楽しむ事を日課としていた。
「ねー、静ねーさま。低脂肪乳が、痩せ細った牛から採れるものだって知ってた?」
「その牛が『低脂肪牛』なんて言ったら、鼻で笑ってあげるわよ?」
 そう言った静ねーさまは既に笑っていて、祐巳のクセっ毛とは正反対の、しっとりと艶のある長い黒髪を揺らしている。
「うぐっ。じっ、実は、この間のテストで百点取ったんだよね」
「まさか、『十の位を四捨五入して百点』なんて子供染みた事は言わないわよね?」
 くっ、さすがに手強い。だったら、これでどうだ。
「言い忘れていたんだけど、私ってばここ最近で二キロのダイエットに成功しましたー!」
「――なッ!? う、嘘よっ!!」
「う、うん。嘘だけど。……何でこんなのに食い付くかな?」
 ひょっとして静ねーさま、太っちゃったのだろうか。そういえば、この間お泊りした時、二の腕の辺りが以前よりふっくらしていたような気がする。
「嘘……。そう、嘘なのね?」
 何だか危険っぽい笑みを浮かべた静ねーさまは、祐巳のトレードマークとも言えるツーテールの先っぽを握ると、そのまま強く引っ張った。
「痛っ! な、何? 痛いんだけど」
「嘘ばかり吐く悪い子には、お仕置きしないと」
「ちょ、ちょっと、静ねーさま? 本気で痛い……って、痛っ! 抜けるっ! 抜けちゃうってば! いだだだだだだ――」
「ほーら、泣いて許しを乞いなさい」
「あンっ。そ、そんなっ。静ねーさまって、意外と上手……んンッ。ふぁっ、アッ、あンっ。だ、ダメッ、そんな所引っ張っちゃ。悔しいっ……でも感じちゃう。ビクンビクン」
「本当に引っこ抜くわよ?」
「ゴメンナサイゴメンナサイゴメンナサイ、調子ニ乗ッテマシタ」
 耳元で囁かれた言葉に、祐巳は顔を引き攣らせながら謝った。静ねーさまは、やると決めたら本気でやるから恐ろしいのだ。
「うぅ、痛かった。抜けてない? 抜けてないよね?」
「抜けてない、って答えたら、祐巳ちゃんはそれを信じるの?」
 クスクスと笑う静ねーさまに、祐巳はサーッと全身から血の気が引くのを感じた。
「じっ、冗談だよね?」
「伸びているかもしれないけれど、抜けてはいないから安心して良いわよ」
 そんな事言われて安心できる人がいるなら、是非教えて欲しい。尊敬してあげるから。
「ところで、今日も部活?」
「それくらい、私がここにいる事から推測できるでしょう?」
 回りくどいのが好きなのか、静ねーさまが祐巳の質問に直接答える事は稀だったりする。単に意地悪とも言う。
「あ、そだ。私ね、山百合会のお手伝いをする事になったんだ」
「……正気?」
 頭は大丈夫? 熱はない? なんて心配された。
「いくら何でも、いきなり『正気?』ってのは酷くない?」
「飽きっぽい祐巳ちゃんが、最後まで投げ出さずにいるとは思えないもの」
 酷ーい、と祐巳は唇を尖らせた。
「確かに、飽きっぽいのは認めるけど。今回は志摩子さんに頼まれたからね。ちゃんと最後までやり遂げるつもりだよ」
「志摩子さんに頼まれたから、ねぇ。ふうん、そう。可愛いものね、彼女」
 静ねーさまと志摩子さんは、祐巳を通して面識があるのだ。
「そうそう。それに、山百合会には祥子さまもいるしー」
 るるるー、と鼻歌なんて歌ってみる。
「祐巳ちゃん憧れの祥子さん、か」
 何だか複雑そうな面持ちの静ねーさま。
「何? 嫉妬しちゃってる?」
「当然、してるわよ。ずーっと可愛いがってきた妹分が、私じゃない相手を気にしているんだから」
「だったら、もう少し優しくしてくれても良いと思うんだけど」
「可愛いと思っているからこそ、躾はちゃんとするべきだと思わない?」
「思わない」
「どうやら、この件については平行線のようね」
「静ねーさまは、自分から折れるって事を覚えた方が良いと思う。っと、そろそろ時間かな?」
 言って、祐巳は音楽室の壁にかかっている時計を確認した。
「時間?」
「志摩子さんが迎えに来るの。私が音楽室の掃除当番だって伝えたら、『迎えに行く』って」
 約束の時間までまだ十分ほどあるが、真面目な志摩子さんの事だ。きっと予定よりも早く迎えに来るだろう。いや、もしかしたら、もう音楽室の外で待っているかもしれない。
「って事で、じゃねー」
 教室から持ってきていた鞄を持って、静ねーさまに手を振りながら扉に向かい始めた祐巳は、
「頑張りなさいよ」
 と背後から応援を受けて、「フッ、言われなくても」と格好良く微笑んだ。
「もし途中で投げ出したりなんかしたら、想像を絶するようなお仕置きが待ってるから」
「うぉぉ……だ、大丈夫よ」
 絶望に腰砕けになりながらも、祐巳は何とか言い切った。



 薔薇の館は、館と言っても高等部校舎の中庭の隅に建っている教室の半分ほどの建坪の建物であった。しかし、れっきとした生徒会だけの独立した建物であり、木造二階建てという外観を見れば、館という趣は確かにある。
「どうぞ」
「ん、お邪魔します」
 志摩子さんに案内され、祐巳は館の中へと足を踏み入れた。
 入ってすぐは、吹き抜けのフロア。向かって左手側に、やや急勾配な階段。内装は、外装と同じく古い。
「祥子さま、いるかな?」
「この時間なら、おそらく」
「……何か急にドキドキしてきた」
「祐巳さんは、祥子さまのファンだものね」
 志摩子さんは微笑みながら、階段に向かって足を進める。彼女の柔らかな茶色の巻き毛を、相変わらず綺麗だなぁ、観賞用と保存用に一本ずつもらえないかな? と変態的な思考で眺めながら、祐巳はその後を追った。



「だからって、どうして私がそれをしなければならないのですか!」
 階段を上り切ると、見た目がビスケットのような扉があり、その扉の向こう側からは、ヒステリックに叫ぶ誰かの声が聞こえてきた。
「横暴ですわ! お姉さま方のスカポンタン!」
 ドアにかけられた『会議中につきお静かに』というプレートと「スカポンタン」という言葉が、妙にアンバランスだった。
「今のは誰の声?」
 扉の前でなぜか固まってしまった志摩子さんに、祐巳が好奇心から尋ねてみると、彼女はとても難しい顔をした。
「どうしたの、志摩子さん?」
「……幻滅しないで聞いて欲しいのだけれど、その……祥子さまよ」
 志摩子さんは決して祐巳へと振り向こうとせず、ドアに顔を向けたまま答えた。
「って事は、今のスカポンタンが祥子さま?」
「それだと、祥子さまがスカポンタンみたいに聞こえるわ」
「え? でも、スカポンタンが祥子さまなんでしょ?」
「だから、それだと――」
 志摩子さんが尚も食い下がろうとした、その瞬間。
「分かりました。そうまでおっしゃるなら、ここに連れてくれば良いのでしょう! ええ、今すぐ連れて参ります!」
 という捨て台詞とも言える言葉と共に、一人の生徒が部屋から飛び出てきた。
「えっ?」
「あっ」
 それは、ドアの真ん前で立ち話をしていた事により起こった不幸な事故だった。開いたドアに突き飛ばされた志摩子さんを祐巳は何とか受け止めたのだけれど、そこに更に部屋から飛び出てきた人影が衝突したのだ。
「にゃ――――っ!?」
 視界が回って、身体のあちこちに衝撃を受けた。一番痛かったのは頭だ。どうやら祐巳は、倒れた時に頭をぶつけてしまったらしい。
「うぅ……」
 何が何だか分からない、凄い状況になっていた。とりあえず、自分が仰向けに倒れているのは分かる。それから、誰かの豊かな胸が顔を押し潰しているのも分かる。しかも左右で人物が違うらしく、顔の右側に押し付けられている胸の方が若干重く感じられた。
 感触から察するに、左が志摩子さんだろう。発育具合を確かめるために何度か触診した事があるので、手のひらが覚えている。もっとも、今は手じゃなくて顔で触れているのだけれど。じゃあ何で分かったのかというと、匂いが志摩子さんだったからだ。
 しかし、そうすると右はいったい誰なのだろう? 
 まさか志摩子さんよりも豊かな胸の持ち主に出会うとは、と新たな出会いに感激していると、祐巳に覆い被さっていた人物の一人が身を起こした。
「痛……」
 右側に乗っていた人物がゆっくりと身を起こし、祐巳の視界が広がる。彼女の長くて美しい黒髪が、零れるように流れた。
(嘘ぉ……)
 ああ、何て事だろう。彼女こそ、祐巳の憧れの人。紅薔薇のつぼみ(ロサ・キネンシス・アン・ブゥトン)こと、小笠原祥子さまだ。こんな事なら、もっと感触やら匂いやら堪能しておくんだった、と後悔する。
 そうこうしている間に、左側に乗っていた志摩子さんも祐巳の上から身体を退けた。
「祐巳さんっ!?」
 夢見心地でニヤニヤと笑っている祐巳を見て、志摩子さんが声を上げる。おそらく、祐巳が頭を打ってそうなったと勘違いしたのだろう。変態でごめんなさい。
「あーあ、随分派手に転んじゃったね」
「祥子の五十キロに押し潰されちゃったの?」
「お〜い、被害者。生きてる?」
 騒ぎに気付いて、部屋の中から生徒たちがぞろぞろと出てきた。紅薔薇さま(ロサ・キネンシス)、黄薔薇さま(ロサ・フェティダ)、白薔薇さま(ロサ・ギガンティア)と三薔薇さま揃い踏みの上に、黄薔薇家に至っては黄薔薇のつぼみ(ロサ・フェティダ・アン・ブゥトン)と、その妹(ロサ・フェティダ・アン・ブゥトン・プティ・スール)まで揃っている。
 こうなると、いつまでも床に寝転がっているわけにはいかない。それは、とっても失礼に当たる。
 祐巳は、怪我なんてしてません、と伝えるために元気良く立ち上がった。
「ちょ、ちょっと、急に立ち上がって大丈夫なの?」
 心配そうに、祥子さまが尋ねてくる。
 まだ頭は痛いし身体はフラフラしているけれど、それよりもオロオロしている祥子さまを安心させる事の方が大切だ。そう思ったので、祐巳は早速口を開いた。
「胸だけで五十キロ?」
「……」

 何かね、思ったよりも頭にダメージがあったみたいです。ヤな感じに時が止まりました。あははのはー。



 とっても気まずい雰囲気の中、一番最初に動いたのは祥子さまだった。彼女は祐巳の首に腕を回すと、耳元でこう囁いた。
「あなた、面白い事を言うのね」
 傍目には抱擁に見えるのだろうけれど、首に回された腕には恐ろしい力が込められていて、とっても痛くて息苦しかった。だが、何よりも顔が一番怖い。笑ってるのに笑ってないってこういう事を言うんだ、と実感できる表情だった。
「あ、あはは、どうも頭をぶつけたらしくて……申し訳ありませんでした」
「そう。それなら仕方がないわね。時に――」
 祥子さまが、ほんの少し祐巳の首を締める腕から力を抜く。
「あなた、一年生よね? お姉さまはいて?」
「姉妹(スール)制度の姉、という意味ならいませんけど」
 内緒話のような雰囲気なので、祐巳も声を殺して答えた。
 姉妹(スール)制度とは、リリアン女学園でも高等部特有のもので、生徒の自主性を尊重する学園側の姿勢によって生まれたと言える。義務教育中は教師やシスターの管理下に置かれていた学園生活が、生徒自らの手に委ねられ、自分たちの力で秩序ある生活を送らなければならなくなった時、姉が妹を導くが如く先輩が後輩を指導するようになった。以来それを徹底する事により、特別厳しい校則がなくても、リリアンの清く正しい学園生活は代々受け継がれてきたのである――とまあ、ぶっちゃけ普通の先輩後輩といった関係とあまり変わらないのだけれど、少しだけ普通と違うのは、我がリリアン女学園では上級生からのロザリオの授受によって、どんなに鈍感な人間だって間に入るのを遠慮しちゃうような、より親密な一対一の関係にランクアップする事が可能なのだ。
 それから、スールはフランス語で姉妹の事。また、姉、妹、という意味も持つ。この単語を多く使う会話をしていると、たまに相手がどれを指してスールと言っているのか分からなくなってしまう事があるのだが、そこら辺りは話の流れや勘、その場の雰囲気で何とか乗り切っている。今の所、失敗した事はない。ちなみに姉妹(スール)の自己紹介などで、どちらが姉でどちらが妹なのかをはっきりと伝えたい時は、姉をグラン・スール、妹をプティ・スールと言って分かり易く区別する。……どうしてこっちの分かり易い方に統一しないのか、不思議で仕方がない。
「結構」
 祐巳の返答を聞いた祥子さまは素早く身体を離すと、薔薇さま方の前に進み出た。
「あの、何だか嫌な予感がするんですけど」
「お姉さま方にご報告いたしますわ」
 祥子さまの凛とした声を聞きながら、人の話を聞いちゃくれない、と祐巳は溜息を吐いた。
「先ほどの約束を果たさせていただきます。今すぐ決めれば、文句はないのでしょう? ですから私、この祐巳にします」
 何で私の名前を知っているの? と思ったが、先ほど倒れていた時に志摩子さんが名前を呼んでいた。おそらく、それを聞いて覚えていたのだろう。ところで、何で呼び捨て?
「祐巳。お姉さま方に自己紹介なさい」
 話の展開に付いていけてないが、祥子さまに促されて祐巳は自己紹介する事になった。
「一年桃組三十五番、福沢祐巳です」
「フクザワユミさん、ね。漢字でどう書くの?」
 紅薔薇さまが、腕組みをしながら尋ねてくる。
「福沢諭吉の福沢に、巳年の巳。それから、しめすへんに右を書いて祐。合わせて、福沢巳祐です」
「さっきと名前が変わってるじゃない」
「さすがは紅薔薇さま。注意力ありますね」
 にっこり笑うと、
「面白い子だわ」
 黄薔薇さまから、とても良い反応を引き出せた。
「そうでしょそうでしょ。ところで祥子さま、さっきからお顔が怖いです」
 代わりに、話を中断させられた事が気に入らなかったのか、コメカミに青筋立てた祥子さまに睨まれる事になったけれど。
「で、祥子。『先ほどの約束』というのは、もしかして部屋を出る直前に喚いていたあの捨て台詞?」
 紅薔薇さまが探りを入れるように尋ねる。
 それに対して祥子さまは、「勿論」と勝ち誇ったような笑顔を浮かべ、この場にいる全員の度肝を抜くような言葉を発したのだ。
 即ち、私は今ここに福沢祐巳を妹(プティ・スール)とする事を宣言いたします、と。
「ヤですよーっだ」
 あっかんべーをしながらの祐巳の一言に、全て台無しになってしまったけれど。



「どうぞ」
 湯気の立ち昇るティーカップが、祐巳の前に置かれた。中身は紅茶だ。
「ミルクとお砂糖は?」
 尋ねてきたのは祐巳と同じ一年生で、背の低い美少女、島津由乃さん。近年、見かける事の少なくなったお下げ髪の持ち主(希少種)である。ここが人目に付かない場所であったなら、お持ち帰りしたい所だ。なんてまるっきり犯罪者の目で見ていると、由乃さんが身震いした。
「いえ、結構です」
 おっと、危ない危ない、と視線を外す。
 今現在、祐巳は祥子さまが飛び出してきた部屋の中――会議室にいた。
 クルリと周囲を見回してみる。床や壁は、廊下や階段と同じく板張り。木枠の出窓が、廊下側を除く三方にあり、清潔そうなコットンのカーテンがかけられてある。部屋の中央には、八人掛けの楕円テーブル。そのテーブルの上には、先ほど由乃さんが運んできたティーカップと、なぜかクッキーまで置かれてあった。
 山百合会の幹部になると、ここまで優遇されるものなのだろうか。
「う、美味しい」
 目の前に置かれたクッキーを摘んで唸る。
「はっ!? このクッキー、山百合会に入れば食べ放題なんじゃ……先ほどは申し訳ありませんでした。私、やっぱり祥子さまの妹(プティ・スール)になります」
 祐巳が告げると、途端に三人の薔薇さまが顔を見合わせた。
「この子、お菓子に釣られたわよ」
「今までにない新しいキャラね」
「これが完全に他人事なら、微笑ましく見守っている所なんだけれど」
 好き勝手言う白と黄の薔薇さま方に溜息を返した紅薔薇さまは、祥子さまへと顔を向ける。
「ねえ祥子。あなたは自分に課せられた仕事から逃げ出したい一心で、通りすがりの祐巳さんを巻き込んでいるだけでしょう?」
(課せられた仕事?)
 それが何を指すのか分からなかったけれど、紅薔薇さまの言葉の中に訂正すべき箇所があったので、祐巳は「はい」と手を挙げた。
「何かしら、祐巳さん?」
「誤解されているようなので言っておきますが、通りすがりじゃありません」
 そもそも、薔薇の館の中を通りすがる人間がいるのだろうか。何かしら用事があってここにいると考えるのが、普通ではないだろうか。
「そういえば、祐巳ちゃんは何でここに?」
 興味深そうに祐巳を見ていた白薔薇さまが尋ねてくる。
「志摩子さんから聞いたのですが、山百合会は現在、人手が足りないとか」
「ああ、なるほど。そういう事ね。祐巳さんは、志摩子が連れてきた助っ人ってわけか」
「ちっちっち。確かにそうですが、ただの助っ人ではありません。頼りになる助っ人です」
「頼りになる、ね。例えばどんな風に?」
「例えば肩が凝った時、その原因となる箇所を私の魔法の手で解す事によって、凝りを取り除く事ができます」
 祐巳が白薔薇さまの胸を見つめながら言うと、「結構よ」となぜか断られた。
「上手いって評判なのに」
「誰に?」
「志摩子さんに」
 テーブルの端の方の席に座っていた志摩子さんが、「え、何言っているの?」みたいな顔したのが見えた。
「嘘っ!?」
「嘘」
「……」
 白薔薇さまが、全身から力が抜けたように机に突っ伏して、
「マズイ。この子、ウチに欲しいわ」
 黄薔薇さまが目を輝かせる。
「残念ですが、私は私のものなので、誰にもあげる事ができません。というか、あなたには妹(プティ・スール)どころか、そのまた妹までいらっしゃるじゃありませんか。と、私なりに上手く纏めた所で、お聞きしたい事があります」
 そう言って椅子から立ち上がった祐巳に、皆が注目する。
「祥子さまが私を妹(スール)にしようとした理由が、さっぱり分かりません。当然、説明していただけますよね?」
「そうね。こちらの事情に巻き込んだ以上、説明しなければならないわね」
 応えたのは、祐巳の向かい側に座っている紅薔薇さまだ。
「実は、今度の学園祭で」「シンデレラ!」
「……その主役を演じるのが」「祥子さま!」
「さっ、祥子は、その役を」「今になって嫌がった!」
 紅薔薇さまが、疲れたのか眉間を指先で押さえながら言った。
「あなた、エスパー?」
「いえ、話の流れから推測してみました」
「それにしてはピタリと当たっていて、何ていうか……神懸かっていたわ」
「わおっ。私ってば、いつの間にやら神に愛されてた?」
 感動に身を震わせる祐巳を眺めて一つ大きな溜息を吐いた後、紅薔薇さまは話を続けた。
「今年は花寺からゲストを呼ぶ事になったんだけれど、祥子はそれが不服らしいの」
 花寺ってのは、お隣にある男子校だ。お隣と言っても、本当にすぐ隣って意味ではないので、そこの所誤解のないように。んで、そこからゲストを呼ぶってのは毎年恒例の事だそうで、先月行われた花寺の文化祭では、逆にこちらからお手伝いに行ったらしい。要するに、近所付き合いみたいなものだ。
「ゲストを呼ぶ事に反対しているんじゃありません。でも、花寺の生徒会長をわざわざ王子にする事はないじゃありませんか」
 祥子さまは、ぼそりと言った。
「じゃあ、何をしてもらうの? シンデレラ? それともゲストに裏方をさせる? そんな失礼な事、冗談でもできるはずがないでしょう?」
「私が納得できないのは、今になって配役を替えるって事です」
 紅薔薇さまと祥子さまの論争。一対一の姉妹対決だ。
 二人の言い争う声を聞いていると、どうも薔薇さま方の方に不手際があったらしく、なぜか祥子さまだけに花寺の生徒会長が王子さま役を演じると伝わってなかったらしい。そりゃ、祥子さまのお怒りもごもっとも。それから、もう一つ分かった事があって、祥子さまは男嫌いなんだそうだ。
(男嫌いねぇ。お父さんとかも苦手なのかなぁ)
 そんな事を考えていると、祐巳を見つめている白薔薇さまと目が合った。何か用なのかな? と思って待ってみたのだが、口を開く様子がないので祐巳から話しかけてみる。
「妹さんを私にください、お義母さん」
「姉なのか母なのか、どちらかに統一してから出直してきなさい」
「むぅ、手厳しい」
 祐巳が顔を顰めると、今まで空気のように静かだった黄薔薇のつぼみが吹き出した。
「ぷ、くくっ」
「ちょっと」
「だって、由乃。あの子、祐巳さんだっけ? 面白過ぎる」
「令ちゃんっ」
 黄薔薇のつぼみが、黄薔薇のつぼみの妹に窘められる。この部屋にあるのは、とっても平和な光景だった――。
「いくらお姉さまと言えど、数々の暴言もう許せません。今度という今度は、無様に這い蹲らせて差し上げますわこの雌豚っ!」
「何よ、やる気? そっちがその気なら、受けて立つわよ三下がっ!」
 ――祐巳の隣と正面で、ヒートアップする紅薔薇姉妹以外は。
「はいはい、蓉子も祥子も落ち着いて。祐巳ちゃんが呆れてるわよ」
 黄薔薇さまが二人を止めに入る。蓉子ってのは紅薔薇さまの事で、フルネームを水野蓉子。ちなみに、黄薔薇さまが鳥居江利子で、白薔薇さまが佐藤聖という名前だったはずだ。
「呆れるっていうか、思いも寄らなかったお二人の姿に引くっていうか。結局、何がどーなって私を妹(スール)にしようとしたんですか?」
 早く答えて欲しいなー、と思いながら再度尋ねると、今度は黄薔薇さまが答えた。
「最初は、劇について普通に会議していたのよ。でも、配役の所で祥子が駄々を捏ね始めたの」
 黄薔薇さまが溜息を吐き、白薔薇さまが後を継ぐ。
「そこで祥子を黙らせようとして、『妹(プティ・スール)一人作れない人間に発言権はない』って蓉子が言ったのよね」
「あれは、心臓にずっしりと突き刺さりましたわ」
 思い出したらしく、祥子さまが小さく愚痴った。紅薔薇さまは聞こえないフリして、白薔薇さまの後を継いだ。
「そして、部屋を飛び出した祥子は、最初に出会った下級生――つまり、祐巳さんを妹(スール)にしようとしたわけ」
「なるほど。祥子さまは単純、と」
「誰が単純ですって!?」
 祥子さまが文句を言う。
「言われても仕方ないじゃない」
「お姉さままで!」
 キッ、と紅薔薇さまを睨み付ける祥子さま。でも理由が理由だけに、どうにも格好付かない。
「ま、私を妹(スール)にしようとした理由は分かりました。それで、助っ人の私は何を手伝えば良いんです?」
「祐巳さんが助っ人だって、すっかり忘れていたわ。そうね……演劇の経験はある?」
 紅薔薇さまに尋ねられて、祐巳は自信満々に胸を張りながら答えた。
「初等部の頃、クラス発表会で六年間ほど背景の木の役を」
「……」
 シン、と部屋が静寂に包まれた。
「なぜに皆さん絶句?」
 信じられない、なんて顔している人もいる。
「六年間も木の役って、どうしてそんな事に……あ、いいえ。えっと、台詞のある役を演じた事は?」
 皆が動かない中、意を決したらしい紅薔薇さまが尋ねてきた。
「喋る木を演じた事はありません。っていうか、普通、木は喋らないと思います」
「そうね。そうよね。普通、木は喋らないわよね。ははっ、私ったら何を期待して……」
「蓉子、ファイト!」
「蓉子、頑張れ!」
 黄、白、二人の薔薇さまが紅薔薇さまに声援を送るが、当の紅薔薇さまは窓から見える景色に目を向けて、ブツブツと何やら呟いている。
「……じゃあ、台詞は少ないけれど、姉Bの役なんてどうかしら? 若しくは、裏方」
 紅薔薇さまを現実に引き戻すのを諦めたらしい白薔薇さまが提案してくる。
「私としては劇に出てみたいんで、姉Bの役で。ところで――」
 祐巳は言葉を一旦区切り、祥子さまへと目を向けた。
「祥子さまはどうされるんですか?」
「私?」
 突然話を振られて、キョトンとする祥子さま。その様子があまりにも可愛かったので、脳内フィルムにしっかりと焼き付けておく。
「シンデレラ役、やりたくないんですよね?」
「ええ、そうよ」
「そこで祥子さま」
 祐巳は悪戯っぽく微笑んだ。
「私と賭けをしてみませんか?」
「賭け?」
 聞き返してきた祥子さまに、祐巳は賭けの内容を説明する。
「ええ。学園祭までに私を妹(スール)にする事ができるかどうか。勿論、祥子さまには『できる』の方に賭けていただきます。祥子さまが勝った時は、祥子さまが姉Bを演じてください。シンデレラは、私が演じます。でも、勝てなければ」
「私がシンデレラ、あなたが姉B。そういう事ね?」
 答えを先回りしての祥子さまの言葉に、祐巳は満足しながら頷いた。
「そうです。でも、これだと私に賭けをするメリットがありません。そこで、期限までに祥子さまが私を妹(スール)にできなかった場合、祥子さまがシンデレラを演じるのは勿論として、それとは別に……ええっと、あー、そーですね。私と一日デートしていただきます」
「なるほど……でも、その条件だと、私が不利なのではないかしら? だって、勝敗はあなたの気分次第なんだもの」
 確かにその通りだ。祐巳が祥子さまの妹(スール)になる事を認めなければ、祥子さまが勝利する事は決してないのだから。けれど、その事を指摘されるのは予想していたので、既に対策を練ってあった祐巳は意外そうな顔を浮かべて言ってやった。
「おやおやー? 祥子さまは、私をその気にさせる自信がないとおっしゃる?」
 ピクリ、と祥子さまの眉が動く。
「弱気ですねぇ。でもまあ、自信がないのなら仕方ありません。これ以上恥をかかないためにも、やめておいた方が良いと思います。ええ、自信がないのだから、ふふん」
 祐巳が馬鹿にした笑みを浮かべながら挑発すると、プライドの高い祥子さまはすぐに乗ってきた。
「誰が受けないと言ったかしら? その賭け、勿論受けるわよ」
 単純だ、と今この部屋にいる何人の人が思っただろうか。少なくとも、祐巳は思った。
「分かりました。という事で、薔薇さま方」
 祐巳は、紅、白、黄の、お姉さま方へと顔を向けた。
「勝手に話を進めた事は謝罪します。ですが、私と祥子さまの賭けを認めていただけないでしょうか?」
「そうね。山百合会としても悪い話ではないし、良いわよ」
「面白くなってきたわ」
「祥子がどこまで頑張れるか、見物だわね」
 三人が三人とも、快く認めてくれた。
「では、勝負は明日から学園祭前日までの二週間という事で。祥子さま、期待してますよ?」
「ええ、見ていなさい。必ずあなたの姉(スール)になってみせるから」
 そう言って不敵に微笑む祥子さまは、何だかやたらと格好良かった。

 それはともかく。
 こうして、祥子さまと祐巳の賭けが始まったのである。



 ……うん。始まったのだが、祐巳は早速後悔していた。
(しまった。あの時は、適当に思い付いたにしては良い方法だと思ってたけど、これだと姉Bとシンデレラ、両方の台詞を覚える必要があるじゃんか)
 祐巳が勝った場合、祐巳が演じるのは姉Bだ。けれど、祐巳が負けた場合、演じるのはシンデレラとなる。負けるつもりなんて全くないのだけれど、それを理由にシンデレラの台詞を覚えない、なんて事を許してくれるような薔薇さま方ではないだろう。何かの間違い(その場のノリと勢いとか)でロザリオを受け取ってしまう可能性も、全くないというわけではないのだし。というわけで、祐巳は両方の台詞を覚えなければならないのだ。
 学園前のバス停で、思い付いたその事実に祐巳が愕然としていると、
「わっ!!!! こんな所でどうしたの?」
 と、急に背後から声をかけられた。
「ぎゃああああっ!?」
 とんでもない悲鳴を上げながら慌てて振り向くと、祐巳のよく知っている人物が微笑みながら立っている。
「しっ、栞ねーさま!? もうっ、びっくりさせないでよ!」
「あら、ごめんなさい。驚かせるつもりはなかったのだけれど」
「いやいやいやいや、最初に『わっ!!!!』って叫んでたじゃない」
「まあ、信じてもらえないなんて悲しいわ。小さな頃は、あんなに素直だったのに……くすん。このタヌキ面」
「目を逸らして誤魔化した!」
 しかも微妙に毒吐いた!
「ふふふっ、冗談よ。祐巳ちゃんがボケッとしているようだったから、つい驚かせてしまいたくなってしまったの」
「そういうのやめてよね。驚き過ぎて心臓が」「口から飛び出た」「出てない出てない。変な所で口挟まないでよ」
 プンスカ怒り心頭の祐巳の前で微笑んでいる少女は、名前を久保栞と言う。その名前を聞けば、大概の人が思い浮かべるのが、謎の美少女だろう。実際、彼女は美少女で、且つ謎の多い人物だ。そんな彼女は祐巳よりも一つ年上で、同じくリリアン女学園に通っている。実は、静ねーさまと同じく栞ねーさまも幼馴染で、家族ぐるみで付き合いがあり非常に仲が良い。ちなみに、福沢邸を中心に、静ねーさま宅が右隣で、栞ねーさま宅が左隣にあったりする。
「ところで、冴――浮かない顔していたようだけれど、何か心配事でもあるの?」
「今、『冴えない』って言いかけなかった?」
「さすがは祐巳ちゃん。糸こんにゃくのように鋭いわね」
「鋭い糸こんにゃくって……。ま、いいや。んーっとね、心配事っていうか」
 祐巳は、本日二度目の説明となる言葉を口にした。
「実は私、山百合会のお手伝いをする事になりましたー!」
 途端に目を見開く栞ねーさま。
「正気? 頭は大丈夫? 熱はない? はっ! ひょっとしてあなたは、祐巳ちゃんに化けた宇宙人……」
「静ねーさまと同じような反応ありがとう。何だか胸がムカムカしてきた」
「その症状、身に覚えがあるわ。きっと、恋煩いよ」
「そうそう、恋すると胸がムカムカするよねー……って、んなわけないでしょ! 祥子さまの事を思い浮かべたって、私は別にムカムカしたりなんか――」
 祐巳は言葉を止めて小さく首を傾げた後、栞ねーさまから目を逸らしながら続けた。
「ごめん。やっぱり恋煩いだ」
「いったい何を思い付いて、そんな結論になったの?」
 シンデレラ役を降りたいがために利用されそうになった事を少々。



「なるほど。そんな事があったの」
 薔薇の館での出来事を話し終わると、栞ねーさまが「憧れの祥子さんと親しくなるチャンスね」と微笑んだ。
「そうなんだよね。もう嬉しくて嬉しくて、このまま空に舞い上がっちゃいそうな気分なんだ」
 うっとりとした表情で今の気分を語る祐巳に、栞ねーさまは警告する。
「気持ちは分かるけれど、気を付けた方が良いわ。人生と言うものは、良い事があれば、その分悪い事もあるものだから。例えば、今回の祐巳ちゃんの場合」
「場合?」
「夢オチが待ち受けているのかもしれないわ」
「不吉な事言うな」
 有り得そうで怖いじゃないか。
「夢オチかどうかは後の楽しみに取っておく事にして、祐巳ちゃんはこれからどうするつもりなの? 姉妹(スール)になるために、わざと賭けに負ける?」
「まさか。それとこれとは話が別。賭け事で負けるのは大嫌いだし、わざと負けるつもりなんて全くないよ」
 祥子さまを真似て、不敵に笑ってみせる。
「では、そのまま『はい、さようなら』という可能性もあるわけね」
「が――ん!」
 栞ねーさまの鋭い指摘に、祐巳は落ち込んだ。それはもう、ずーんと落ち込んだ。祐巳が賭けに勝った場合、祥子さまと一日デートできるのは嬉しいが、それだけで終わってしまう可能性があるからだ。下手をすれば、もう二度と会話する事もないかもしれない。
「どうせなら一日デートなんかじゃなくて、祐巳ちゃんが勝っても妹(スール)にしてくれるようにお願いしておけば良かったのに」
「――!?」
 祐巳は目を見開いて、花のような笑顔を浮かべている栞ねーさまの顔を見た。
「ぎゃあああっ! 私ってば大馬鹿だ――――ッ!」
 咄嗟の事だったとはいえ、そんな簡単な事を思い付かなかった自分が憎い。ああっ! 過去にっ! 過去に戻りたいッ! はっ、そうだ。どこかにトラック走ってない? ん? でもあれって、転生だっけ?
 悲鳴を上げて後悔する祐巳に向かって、栞ねーさまは優しい声で追い討ちをかける。
「肝心な所で抜けているのが、実に祐巳ちゃんらしくて可愛いわ」
「……」
 祐巳はその場に蹲ると身体を丸めて小さくなり、指先で地面に「の」の字を書き始めた。
「どうせ抜けてますよ。救いようのない馬鹿ですよ。きっと私の頭には、どこかの案山子みたいに脳みその代わりに藁が詰まっているんです。でも、良いんだ。何も詰まってないよりかはずっとマシだから……ちくしょう。涙で前が見えない……」
「泣き虫ね。ほら、手を貸してあげるから元気出して」
「誰がこんなに落ち込ませたと思っているのっ!?」
 祐巳が吼えると、栞ねーさまは「ごめんなさい、私だったわね」と胸の前で手を合わせた。
「お詫びに良い事を教えてあげるから、許して欲しいのだけれど」
「良い事?」
「ええ。祐巳ちゃんにとって、とても良い事よ」
 栞ねーさまは祐巳の脇に手を入れると、無理やり立ち上がらせながら言った。
「祐巳ちゃんが勝ったら、デートできるのよね? だったら、その時に告白すれば良いのよ。振られた相手からまさかの逆告白。シチュエーション的にも、グッとくる事間違いなしよ。もし私なら、間違いなく堕ちるわ」
「それだッ!」
 祐巳は立ち直った。立ち直るのが異様に早いけど、立ち直った。とにかくもう完全に立ち直った。
「相変わらず単純で助かるわ。頭に藁が詰まっているというのは伊達じゃないわね」
「胸揉むぞコノヤロウ」
 実は栞ね―さま。志摩子さんと同じように細身に見えるが、それはそれは素晴らしいものを制服の下に隠し持っているのだ。何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も確認済みなので間違いない。
「ま、何はともあれ、先を心配しなくても良くなったのは栞ねーさまのお陰か。って事で、どうもありがと」
「どういたしまして」
 一頻り笑い合った後、祐巳は夕焼け空を眺めながら口を開いた。
「ホントはさ。栞ねーさまたちのどちらか一人を姉(スール)に選ぶつもりだったんだ」
 栞ねーさまは何も言わない。
「二人とも、私が悩んでいるの、知ってたよね? 私が答えを出すの、待っていてくれたんだよね?」
 栞ねーさまは何も言わない。ただじっと、祐巳の言葉に耳を傾けている。
「それなのに、こんな事になってごめんなさい。私、やっぱり祥子さまの妹(スール)になりたいんだ」
 祐巳が頭を下げると、栞ねーさまがようやく言葉を発した。
「馬鹿ね」
 その声は、悲しい答えを突き付けられたにも関わらず、酷く優しいものだった。
「私は――いえ、私と静は、別に祐巳ちゃんと姉妹(スール)になれなくても良いの。だって、それで私たちと祐巳ちゃんの関係が変わるわけではないんだもの。姉妹(スール)にならなくても、私たちは祐巳ちゃんの姉。今までずっと、そうだったでしょう? 静だって、絶対に私と同じ事を言うわ」
「うん」
 顔を上げて、祐巳は頷いた。
「だから、祐巳ちゃんが気に病む必要なんてない」
「うん」
 もう一度、祐巳は頷いた。
「それでも、どうしても気にしてしまうと言うのなら」
「うん」
「祐巳ちゃんの初めてを私にちょうだい」
「私の初めては祥子さまに捧げるからヤだ」
「……ふ、ふはははははははっ……やってくれるわね、小笠原祥子。私の祐巳ちゃんの心を奪っただけでは飽き足らず、貞操まで奪おうとは。身のほど知らずな泥棒猫ってのは、どこからでも涌いてくるものなのねぇ……」
 地面に視線を落として、ブツブツ言い始める栞ねーさま。
「罰を与えなければ……相応の罰を与えてやらなければ……。ええ、そうよ。これは神の意思――神罰よッ!」
 昏い笑みを顔に貼り付けたまま、栞ねーさまが弾丸のように学園内へと舞い戻って行く。
 あんなのがシスター志望で、学園では薔薇さま並の人気を誇る上級生のお姉さまというのだから、祐巳は不思議で仕方がなかった。
 それはともかく。
 既に点となりつつある栞ねーさまの姿を、しっかりと視界の真ん中に捉えながら祐巳は叫んだ。
「祥子さまに何かしたら、栞ねーさまの事嫌いになってやるからっ!」
「NOォォォォ――――ッ!」
 栞ねーさまが、大胆に足を縺れさせてド派手に転んだ。
 とっても痛そうに見えたが、栞ねーさまなので心配はしない。なにしろ栞ねーさまは、神様にでも愛されているのか、生まれてこの方傷を負った事がないという『奇跡の聖女』さまなのだ。
「う……う゛え゛え゛え゛え゛え゛ん゛っ、痛いよ゛ぉ゛祐゛巳゛ち゛ゃ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ん゛っ」
 でも、痛みはバッチリあるのだった。


(コメント)
翠 >二年ぶり。全十一話。途中執筆を中断(ゲームやってた)したりして、書き上げるのに二年かかりました。おかげで、当時は最新だったネタが古くなっちゃってます。でも、気にしない気にしない……くすん。ちなみに、一話一話が平均してこれと同じくらいの長さとなります。(No.19477 2010-12-08 21:58:25)
bqex >何でしょう、この面白いものは。爆笑しましたわ。(No.19479 2010-12-08 22:21:13)
Sてる >小等部6年間背景の木、笑いました(No.19480 2010-12-08 22:51:55)
砂森 月 >面白すぎるー(爆笑)(No.19481 2010-12-09 02:21:06)
名無し >すばらしい、全員の性格の改変具合が最高(No.19482 2010-12-09 05:04:49)
ななし >翠さまの復帰にびっくりして初コメです 最近読み返した所だったのでうれしいです(No.19483 2010-12-09 06:13:33)
クゥ〜 >栞さまが可愛い!(No.19484 2010-12-09 16:48:13)
愛読者v >いいキャラでてますね〜(No.19485 2010-12-09 23:47:51)
通行人ドM >面白すぎました!!! 続きがかなり期待です!!!(No.19489 2010-12-10 22:43:26)
ケテル >面白かった〜、栞が走り出したとき、静がラリアットか何かで止めるのかと思いましたが・・・・・。 祐麒はどう絡むのでしょうね? 出てこないかな?(No.19491 2010-12-11 09:52:38)
翠 >皆様、コメントありがとうございます〜。久しぶりの投稿で、久しぶりの百超え。もう思い残す事はないです(ぇ(No.19500 2010-12-12 02:04:23)
ピンクマン >祐巳ちゃんがおっぱお星人すぎるwww(No.19537 2010-12-22 21:36:07)

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