がちゃS・ぷち

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No.3067
作者:シャケ弁当
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2009-09-21 21:08:40
萌えた:45
笑った:10
感動だ:46

『うそつき紅薔薇様』

 この作品の注意事項
@祐巳に聖さまインストール
A原作より祐巳がちょっとお馬鹿
B長い


「へ?」

 最近とんとお呼びのかからず、空の彼方へと消え去ったと思われた疑問系が再び喉元から飛翔する羽目になったのは、瞳子のある発言のせいだった。

「やはり難しいですか。まあ当り前ですね。すみませんお姉さま、さっきのは忘れてください」

 瞳子があっさりとその発言を翻したので、祐巳は久々に使われた『へ?』の生存確認を祝う間もなく、こちらも最近あまり稼働していなかった百面相をトップギアに入れる。

「ちょ、ちょっとまって!? そりゃ、いきなり少しの間だけ山百合会を休みたいって言われても、まいど! とか即答できないよ!」

 『いいよ』を『まいど』といい間違えてしまったが、まったく気にすることなく祐巳は続ける。

「とりあえず理由を教えて。そうでないと何にもはじまらないから」
「どこから話せばいいのか。あのお姉さま、少し長くなりますがよろしいですか?」
「もちろん!」

 元気よく答えた祐巳に、苦笑のような笑みを浮かべ瞳子が続ける。 

「わたしが何を目指しているかは言うまでもないことですので省かせていただきますが、わたしの家の近所に小さな劇団があるのですが、隔週で一日ほどですが少し前からお手伝いをさせてもらってます」
「え! ほんと、ということはプロデビュー!?」

 祐巳が驚いて立ち上がると、瞳子は苦笑しながら祐巳を制した
     
「いえいえ、プロではなくあくまで殆どのみなさんが他に職を持っている演劇好き集いのセミプロの同好会です。あとそれ以前にお姉さま、隔週一日でどんな演技が出来ると思いですか?」
「い、いや、瞳子ならできるかなー、と」

 冷静に考えれば瞳子の言うとおり。けど、瞳子と劇団の組み合わせについ興奮してそのあたりが吹き飛んでしまった。

「ふふ、買いかぶってくださってありがとうございます。けど残念ですが、わたしはあくまで裏方をのみで、そこで先輩方から色々と教わっているだけです」
「えーと、つまり舞台俳優として通っているわけではないと」

 祐巳がそういうと、瞳子はこくんと頷いた。
 そうやら瞳子の話からして舞台にすら全く立ってないみたいだ。ただ、それなら別に断りを入れる必要がないと祐巳は思えた。

「んー、話はわかったけど、隔週一日だったら別にわざわざ休まなくてもいいじゃない。だって、ほら」

 そういって祐巳は周りを見渡す。
 いつもは騒がしい山百合会がご覧通り、すっかり紅薔薇姉妹の憩いの場になっていた。
 山百合会きっての熟年カップルな白薔薇の二人、そして常に導火線(もしくはお尻)に火がついてる黄薔薇こと島津由乃とその導火線を消すどころか団扇でぱたぱたと煽っている妹の有馬菜々ちゃんの姿はここにない。
 むろんこれは別にサボタージュでもなんでもなく、ただ来る必要がないだけ。つまり、それぐらい今の山百合会は暇なのだ。
 そんな状態だからこそ、先ほどの瞳子の話では別にわざわざ許可を取るほどのものではないと思うのも無理からぬことだろう。
 そんな祐巳の疑問は、次の瞳子の言葉で半ば氷解された。

「あ、いえ、今まででのように裏方のみでしたらわたしもそのようなことは申しません」

 むむ、今までのよう、ということは。

「え、じゃあつまり、瞳子も!?」

 祐巳がそういうと、瞳子ははにかむように答えた。

「はい、次回の公演で役を頂ける事になりそうです」
「やった!」
「ありがとうございます。まあ、ストーリー上それほど重要な役でありませんけど」
「そっか、簡単な役なんだ」

 流石に新人である瞳子に主役はもらえないか、と少し残念に思った祐巳に、瞳子から言葉が返ってきた。

「あのお姉さま、一つよろしいですか」
「ん?」
「どんな役であれ、それを演じるに簡単なものなどありません。……いえむしろ、失礼ですが今のお姉さまのように軽んじてしまいかねない簡単な役こそ、より気を引き締める必要があるのです」
「あ!」

 祐巳は、自分の軽率な発言を恥じた。
 今の瞳子の発言は、明らかにプロを意識してのものだった。祐巳自身瞳子のそれを誰よりも知っていたはずだったのに、いくら悪意がないとはいえ先ほどの発言は無神経なのは間違いない。

「と、瞳子、ごめんっ! さっきのなし! い、いや、なしじゃなくて! えーと、そのとにかくごめんっ!」 

 拝み倒すように祐巳は頭を下げたが、瞳子の眉間はとっても賑やかなことになっていた。

「お姉さま!」
「は、はいっ!?」
「お姉さま、そんなに簡単に頭を下げないでください。他の生徒に見られたら、お姉さまの紅薔薇としての威厳が疑われます!」
「あ、あれ、突っ込むとこ、そこ!?」

 祐巳が拍子抜けして答えると、瞳子はしてやったり的な表情をしていた。 

「ええ、確かに演じる役に難易度があると思うのは当然だと思いますし、先ほどのはあくまでわたしの心構えに過ぎません。それに」
「それに?」
「その程度で腹を立てるようでは、お姉さまの妹などやってられませんから」

 そんな一言を、瞳子はさらりと言ってのけた。

「そ、それって、褒めているの?」
「さあ、ご想像におまかせします」

 そういって皮肉っぽく微笑むわが妹、
 ただ皮肉っぽくはあるが、その笑みは昔のような仮面のような張り付いた笑顔ではなく、どことなく暖かみを感じるものだった。

(ああもう、やられっぱなしでちょっと面白くないぞ!)

 と思いつつも、妹とのこんなやりとりを出来ることに心地よさを感じている祐巳がいた。


★ 


 そんな祐巳を他所に、瞳子が話を先に進めていく。
 
「で、先ほどの続きですが、お姉さまの言うように日曜日のみの裏方の手伝いであれば特に問題なかったのですが、さっき言ったとおり今回は自分も公演に参加させていただくので……」

 言いづらそうにしている瞳子の代わりに、祐巳がその先を頂くことにした。

「そっか、そりゃ確かに日曜のみでは練習が足りないよね」
「……はい、色々と考えては見たのですが、やはり何日かは山百合会のお仕事をお休みさせてもらったほうが、と」
「いいよ、そりゃそっちの人達は働いている人もいるんだから融通が難しいだろうし。現に……」

 そこで祐巳はテーブルの上を見る。目に留まるのは、空のティーカップと全て済の判が押された山百合会平常業務のプリントが数枚程度。

「見ての通り、こっちは開店休業状態だしね」
「すみません、我がままを言わせていただいて」

 さっきまでつけていた皮肉屋のお面を外し恐縮としている瞳子に、祐巳はふと気になったことを聞いてみることにした。

「瞳子、一つ聞いていいかな?」
「はい、なんでしょう?」 
「いや大したことじゃないけど、どうして今回から公演に参加することになったのかなって、ちょっと気になったんだ」

 瞳子の力量が認められて晴れて大抜擢! そんな姉バカまっしぐらな理由ではなく、瞳子からの返答はいたって簡潔なものだった。

「いえ、わたしからやらせてほしいとお願いしたのです」
「え、自分から?」
「はい、一応前から何回かお誘いはあったのですが、前述の通り山百合会との両立は難しいのでお断りしてました」

 祐巳は瞳子の言葉に少し違和感を覚えた。

(……ん? つまりそれだと今回からではなく、今回は、になるのか?)

 祐巳は違和感を租借して口に乗せる。

「えーと、つまり今回は参加したい理由が瞳子にあったというわけ?」
「はい、そうです。今回のみ、お願いさせてもらいました」

 今回は、ではなく、今回のみ。これはよほど瞳子がやりたい理由があるのだろう。

「じゃあ、何で今回のみに限って参加したいの? 役柄?」
「役は関係ありません。ただ、場所が」
「場所?」

 役柄かと思った祐巳に対し、瞳子からは意外な答えが返ってきた。

(ふむ? 設備かなんかの問題なんだろうか?)

 しかし、次の瞳子の言葉によって祐巳の考えは全くの見当違いなのが判明した。
 
「孤児院で、ボランティア公演予定なんです」

 孤児院、という単語を祐巳の頭の中で少し転がした後、ぼんやりとだけど答えが見えた気がした。

「そっか、なら瞳子がやりたい気持ちもなんとなくわかる」
「わかるのですか?」

 瞳子が驚いたような顔をしたので、苦笑しながら祐巳は返す。

「あくまで、なんとなくだよ」

 むろん、瞳子の全てを理解してるなんていうつもりはない。ただ数ヶ月前、バスの中でただ一回だけ打ち明けてくれた瞳子の秘密。そして、先ほどの語るときの瞳子の表情。それで今回の理由は十分。

「自分は、直ぐに今の父母に引き取られたので施設の子達と同じ境遇とは言えません……でも」

 その先を、祐巳が引き継ぐ。

「でも、何かをしたいと思っているんだよね」
「はい、自己満足なのはわかってるのですが」

 その口調からは、なんとなく迷いが感じて取れた。だけど空気の読めないこの姉は、さっきの簡単発言と同じで気にせず真っ直ぐに思ったことを瞳子にぶつける。

「自己満足、か。大いにいいじゃない、それで」
「え?」

 動きの止まった瞳子に、祐巳は福沢的自己満足ノススメを語らせていただくことにした。
 その効果は保証する。なんてったって、その生きた証拠が目の前にいるのだから。

「瞳子、自分はあなたに対して大きく自己満足の、この子を妹にしたい、っていう気持ちでめちゃくちゃ動いたよ。そりゃ、たまにはすれ違いもあったけど、今こうしてかわいい妹が支えてくれるから頑張ってよかったと思っている。でも、瞳子には迷惑だった?」

 福沢的自己満足ノススメの効果がありすぎたのか、祐巳の目の前にいた松平瞳子という存在は、真っ赤な茹ダコ(あくまで色ね。容姿じゃないよ)さんに変身を遂げた。

「め、迷惑だなんて。……嬉しかったにきまっているじゃ(ごにょごにょ)」

 とってもかわいい妹の困り顔を見て、お姉さんは大満足。
 よしよし、じゃあ次へといきますか。

「と、見ての通り、自己満足の対象者から感謝される場合あるのだから大丈夫だよ」
「で、でも、お姉さまはわたしだけではなく可南子や、いいえそんなの関係なくいつも誰かのためやっているじゃないですか。だけど、わたしのはあくまで自分の……」

 段々と声のト−ンが沈んでくる瞳子を言葉を、祐巳がはっきりと遮る。 

「違わないよ、同じだよ」

 すこし間を置いて祐巳は続ける。

「例えそれが自分の自己満足から発したものでも、そこから先が大切なんだと思うよ」
「といわれますと?」
「うん、まだ途中なのに、自分が満足した時点でやめちゃったら本当に唯の自己満足寝ると思う。でも、最後まで責任をもってやれば、それは相手にとって発端が自己満足かどうかなんて関係なくなるんじゃないかな」
「最後まで責任をもって、ですか」

 心なしか顔色がよくなった瞳子を見て、祐巳はもう一押しすることにした。

「瞳子、あとそれとは別に瞳子が自己満足を進めても大丈夫だといえる大きな理由があるんだ」
「え、何があるのですか?」
「わたしが知っているから。瞳子は、うちの妹はちょっとシャイだけど本当は優しい子ってのを。だからね、大丈夫だよ。姉であるこのわたしが保証するって」

 祐巳がそういうと、またまたかわいい茹ダコさんが帰ってきた。

「も、もう、からかわないでくれますか! いいですかお姉さま、わたしは自分が最優先のドライな性格なんですから!」
「えへへ、本気だよ」


★ 


 気恥ずかしさを振り払うかのように、乱暴にタコさんが話を戻す。

「それはわかりましたからもう結構です! と、とにかく、お姉さまが許してくれるとしても、まだ問題があります!」
「うん、わかってる。他の山百合会メンバーをどう納得させるかだよね」
「ええそうです。これは完全に私用ですし」

 少し考え込んだ後、祐巳は口を開く。

「よし、じゃあみんなには何か適当に理由を作って許可をもらおう」
「そうですね、皆に話をして全員から許可をいただくしか……はい、今なんと?」
 
 あまりに意外な提案だったのか、瞳子は目をまんまるに広げていた。
 さっきの茹ダコといい今のといい、科学的には証明は難しいそうだがどうやら百面相は遺伝するものらしい。
 祥子さまから引き継いだものを伝える前に、余計なもの(乃梨子ちゃんは喜びそうだが)を伝えてしまった当代紅薔薇は口を続ける。

「白薔薇ファミリーの二人、そして一年のアドベンちゃんも普通に話してもいけると思う。……でも」

 そこで瞳子にちらりと視線を向ける。三・二・一、よし。

「「島津由乃(さま)!」」
 
 姉妹の絆の再確認に成功した祐巳は、満足そうに笑みを浮かべた。

「そ、由乃がね。由乃はイケイケだからね」
「はい、あのお方はイケイケですから」

 何か由乃の扱いが悪く聞こえたかもしれないが、それは全くの誤解。イケイケは親友の愛称であって、決して蔑称ではないのだ。
 けど、さっきのやりとりは由乃には絶対に秘密。まだ死にたくないし。
 わずか三行で矛盾を含ませる祐巳の磨きぬかれた匠の技など知る由もなく、渋い顔で瞳子が口を開く。

「あの、お姉さま」
「ん?」
「確かにあのお方は簡単に納得してくれないかもしれません。でも、だからといって……」
「嘘をつくのは心苦しい?」
「それもありますが。ただその、自分で言うのもあざといですが、さほど忙しくないこの時期なら、ひょっとしたら由乃さまも許してくれるのでは?」
「けど、それじゃあ確実じゃないよ」
「ですが」

 瞳子にはああ言ったが、実は瞳子の言う通りさして急ぎの用事のないこの時期なら、由乃が許してくれる可能は高いと祐巳も踏んでいる。

(でも、ね)

 ただその場合、話の流れ次第では瞳子の孤児云々の話が出る可能性がないとも言い切れない。
 むろん万一、それが出たところで由乃さんや他のメンバーが瞳子に対して色眼鏡を装着するはずもないだろうが、それ以外にもある不安を感じた祐巳はその選択肢を外すことにした。
 そんなことはおくびにも出さず、まだ不満を主張しているほっぺを見て少し意地の悪いことを考える。 
 
「まあ、これがランチの手足どころか尻尾まで引き抜きたくなる夏休み明けだったら、笑いながら両手でそのかわいいほっぺをぎゅーって思いっきり引っ張ったけどね」
「ひ!」

 祐巳のわきわきした手を見て、瞳子は取られては堪らないとばかりに慌てて両手でほっぺたをガードした。うん、大成功。

「あはは、冗談だって」
「も、もう、驚かさないでください! 顔は女優の命なんですよ!」

 あまりの狼狽振りにちょっとやりすぎたかなと反省しつつも、聖さま直伝のほっぺぷにぷにをいつの日かやってみせると誓う祐巳であった。
 まあ、それは次回の課題ということで、と。

「じゃあ話を戻すけど、今回は何か適当に事情を作っていけばいいって」
「本当によろしいのですか?」
「いいの、山百合会の権力を乱用してるわけじゃないからいいの。今回の嘘は、一生徒の福沢祐巳としてで収まるからね」

 瞳子が軽く首をかしげた。

「けど、俯瞰的に見れば山百合会の仕事を私用でサボっていることになりませんか?」
「それは、部活動で休んでいる由乃や菜々ちゃんだって一緒だよ。例え私用でも、きちんとした理由があれば他の人がカバーすればいい問題」

 だが、瞳子はまだ完全に納得のいってないようだった。

「お話は分かります。でも、他の方はきちんと理由を正直に述べているじゃありませんか。わたしだけ皆を騙して手伝ってもらうのは流石に悪いかと」

 ああそういうことか。でも大丈夫。
 祐巳は右拳で自分の胸を叩く。  

「それなら心配ないよ。今回の瞳子の分は、事情を知っているわたし一人で全部やるから! って、あ、あれ?」

 言った当人は、大船に乗ったつもりでとドン! と胸を叩いたつもりだったが、残念ながら瞳子には タヌキが泥舟に乗ってポコ! とお腹を叩いたぐらいにしか見えなかったのか、それはもう冷やかな視線を祐巳に向けてきた。

「……あの、お姉さまがお一人で、ですか?」
 
 その懐疑たっぷりな視線魚雷によって、元より少ない自信と矜持を積んだ泥舟福沢丸は、出航二秒でぶくぶくと沈んでしまった。
 ああ哀れ、福沢丸。
 だが姉としてこのままでいいはずもないので、なけなしの自信と矜持をかき集め、福沢丸を再度荒波へ出航させる。
 ドン!

「ちょっと待ちなさい、瞳子! 自分の姉に対してそれはないんじゃにゃいの!」

 かなり頑張った。でも、噛んだ。
 そして水に落ちたタヌキは打てとばかりに、妹の反撃は更に苛烈なものだった。
 
「……この前、会議に使う原紙をコピーを取りにいってくれたはいいが、プリントがきしめんになっちゃった、と途方にくれてわたしに泣き付いてきたのはどなたでしたっけ?」
「ぎゃあ!!」 

 ぶくぶくぶく。福沢丸、再度沈没。
 記憶に新しい古傷を抉られた祐巳は、しどろもどろに弁解を試みる。そこにはどこをどう探しても、姉としての威厳など一ミリも存在してなかった。

「あああ、あれは、まさかコピーの隣にきしめん製造機があるなんて思わなかったし!」
 
 あの時は本当に血の気が引いた。コピー機の隣にある見慣れない小さめな機械の上にプリントを置いたら、あっという間にプリントが吸い込まれてきしめんになったのだから。

「お姉さまはお知りにならないようですが、最近のオフィスのコピー機の隣にはきしめん屋がセットで営業してますから」

 むろん祐巳とてきしめん製造機、もといシュレッダーそのものは知っていたが、家の仕事場に昔からあるお化けシュレッダー(しかも、祐巳や祐麒には絶対に触らせなかった)とはあまりにも似つかないものだったので、なんだこれ? え? お、おまちなさい! ぎゃー!! になってしまったのだ。

(ええい、それもこれも家のを触らせてくれなかったお父さんのせいだ!)、

 この辱めの恨みを父に、あとついでに祐麒にもぶつける事を心に固く誓った祐巳は、姉としての尊厳を取り戻すために再度瞳子に向き直る。
 ドン!!

「瞳子!!」
「は、はい?」

 その迫力に押されたのか、瞳子が少し怯んだ。よし、押せ押せだ!
ガンッ!

「お願いだから、その件は忘れて!!」
 
 そして、机にこすりつけるように頭を下げる。
 だが、祐巳の全力プレイにもかかわらず、瞳子からは何も返ってこない。
 コチコチと時計の針の刻む音と、ごしごしと祐巳の額が机にこする音が静かな部屋に響き渡る。
 長い沈黙に耐えられなかったのか、瞳子が口を開いた。

「……お姉さま、顔を上げてください」
「何? 忘れてくれるの!?」

 がばっと顔を上げた祐巳の顔先には、期待通以上にいい笑顔をした瞳子がいた。
 
「わかりました、忘れてさしあげます」
「ありがとう、瞳子!」

 喜びのあまり、空気を相手にオクラホマミキサーを踊る祐巳。、

「ええ、さっきの件だけだなんてケチくさいことなど言わず、お姉さまの存在そのものを記憶から消させていただきますから」
「だめー!!」

 振り向きざま、ぴょんとカエルのように瞳子に向かって跳ね上がった祐巳だが、あっさりかわされ本物のカエルよろしくそのまま床にダイブした。ぐぇ。
 ビタン!!
 床に這いつくばったカエルに、追い討ちをかけるように冷淡を形にした声がかかるケロ。

「ふん、いつまでカエルの真似事をしているのですか。早く起きてください」
「……」
「お姉さま?」
「……」
「お姉さま、しっかり!」

 ガバッ!
 獲物が近づいた瞬間、祐巳は日頃の動きからは想像もつかないスピードで瞳子の腰周りに抱きついた。

「きゃっ!」
「えへへ、捕まえたー」

 タヌキのトラップに引っ掛かった瞳子は、心底呆れ返った顔をしていた。

「……はあ、お姉さまはお顔だけでは飽き足らず、今度はタヌキ寝入りまで身につけられたのですか。まったく、そろそろ仲間と勘違いしたタヌキ達が、山からお迎えにくるんじゃありませんの?」
「ふんだ。そんなお迎えが来ても、あと一年は絶対にこっちにいるもんね」

 そう言いながら、むぎゅっと瞳子に抱きつく。

「ええい、さっさと離れてください。暑苦しい!」
「やだ、瞳子がわたしのこと忘れないというまで離さない」
「あんなの冗談にきまっているじゃないですか! 忘れませんから離してください」

 でも、祐巳はまだ離さない。

「……あと、きしめんコピー事件も忘れてくれたら離してあげてもいい」
「ああもう! はいはい、忘れてあげますから」 

 祐巳は力を緩めた後、また軽くぎゅっとした。

「まだ何か!?」
「ううん。ただ、何だか懐かしいなあと思って」
「はあ?」

 瞳子は、何のことか分からない反応をした。
 まあそれも当然のこと。だって、祐巳が懐かしいと思ったそれは、瞳子がまだ入学もしてないころなんだから。
 おまけにあの時は、祐巳は抱く方じゃなく抱かれる方だったし。
 ふにっ。

(……それにしても、これは!?)

 あのセクハラ魔人さまは、祐巳のことをぷにぷにして抱き心地がいいと言ってくれたけど、中々どうしてうちの子もふにふにしてめっちゃ気持ちいいぞこれ。
 さすりさすり。

「お、お姉さま。くすぐったいのでやめてください」 
「も、もうちょっと、もうちょっとだけ我慢してて!」

 ふにふに。ふにふに。パヤパヤー♪
 祐巳は、妹の抱き心地を全身で堪能する。
 しかしまさか自分がセクハラをする立場になろうとは、一年の時にはこれっぽっちも思いもしなかった。 

(うひゃー、聖さまの気持ちわかるわこれ)

 だが至福のおさわりタイムは、一分ポッキリで終わりを告げる。

「ええい、いいかげんにしてください!!」
「ぷぇ!」





 瞳子に蹴り剥がされたものの、それまでのおさわりで十二分に満足した祐巳はさわやかな笑顔で瞳子に向き直る、 

「あいたた。えーと、じゃあお互いすっきりしたところで話を本題に戻そうか」
「……お姉さまは随分と物事を自分の都合よく解釈する、薔薇の咲き乱れた素敵な頭をお持ちのようですね」

 祐巳は、ぽりぽりと頭をかいた。

「えへへ、いやあそれほどでも」
「ほめてませんっ!!」

 祐巳は、頭からしゅーと湯気が出ている瞳子をなだめる。

「まあまあ、落ち着いて。怒ると顔に皺が出来ちゃうよ」
「誰のせいだと思っているのですか!」

 祐巳は元気よく、誰のせい、佐藤聖! と答えようとしたが、何か取り返しのつかない気がしたので止めておいた。
 じゃあ代わりに新必殺技のタヌキ寝入り、をやったらぶんぷく怒った瞳子に茶釜のタヌキにされかねないのでここは素直に謝っておく。
 
「ごめん、つい調子にのりすぎちゃった」
「……いえ、こちらも興奮しすぎてしまいました。お姉さまに対して失礼なことを」

 姉とは違って殊勝でかわいい妹に、祐巳は肩の力を抜くように語り掛ける。

「いいよ、元はといえば悪いのはわたしだから。んで、今度こそ話を戻すけど、さっき言ったように今回は何か理由を作って瞳子には山百合会を休んでもらうつもりだけどかまわない?」
「あ、それは……」

 瞳子は、まだ何か躊躇しているようだった。

「瞳子、やっぱりわたしじゃ信用できない? そりゃ、きしめんコピーでわっしょいしたから仕方ないかもしれないけど、やるからには全力でやらせてもらうよ」

 祐巳がそういうと、瞳子はまるで壊れた扇風機のようにぶんぶんと首を横に振った。

「コピー機の件はただの冗談です! 信用できないとかそんなんじゃありません」
「え、違うの? じゃあただの遠慮?」

 今度の扇風機は、正常な首ふりを返してきた。

「いえ、それも違います」
「んー、じゃあ何で?」

 どうしてそこまで避けるのか不思議に思う祐巳の問いに、瞳子に観念したように口を開いた。

「……あのお姉さま、しつこいようですが本当によろしいのですか? わたしは仕方ないとしても、お姉さまにとっても大切なご学友であるイケ、いえ由乃さまや志摩子さまを騙すような形にもなりませんか?」

 瞳子の躊躇していた理由がやっとわかった祐巳は、瞳子が去年祐巳の家に来た時と同じ気持ちになった。
 むろん、あの時と一緒で実際に抱きつきはしない(今やったら、ただのセクハラダヌキと勘違いされて山に捨てられそうだし)
 ただ、祐巳が瞳子にいった大きな理由が正しかったという確信をより深めることができた。
 
(ああもう、こんな時でも姉の立場でものを考える子がドライなわけないじゃない!)

 にやけそうになる口元を無理やりへの字にひん曲げて、祐巳は精一杯の威厳を込めて瞳子に厳命する。 

「瞳子は瞳子の理由で、そしてわたしは失った姉としての威厳を取り戻すために、山百合会の立場としても乃梨子ちゃんや由乃達の友達の立場としても誰にも迷惑をかけないから、今回わたし達は何の気兼ねもなく嘘をつくの。オーケイ?」
 
 独自の福沢理論に瞳子は何か言いたそうに口を開きかけた後、諦めがついた表情で肩を下ろす。

「お姉さまはすっかりしたたかになりましたね。出会った頃は仔タヌキのようにしおらしかったのに」
「ふふん、そりゃあ仔タヌキも時が経てば大人のタヌキになるよ」

 男の子は三日会わざれば刮目しないといけないらしいけど、女の子だって負けちゃあいない。この祐巳だって一応女の子の端くれ、三(×百)日ぐらい寝かせれば多少の成長はする。
 
「大人どころじゃありません。まったく、たった一年でこんな煮ても焼いても食えない大ダヌキに育つなんて」
「子供のころはかわいいけど大きくなったら手に負えないなんて、都会のペット事情と黄薔薇さんちではよくあること。気にしない気にしない」

 深刻な社会問題とご近所のイケイケさん(仮名)の例をあげ、大ダヌキは飼い主からの苦情をさらりと受け流した。

「言われなくとも、最後まで面倒見させていただきますからご心配なさらず。……はあ、なんだか詐欺にかかった気分ですわ」

 結婚ならぬ姉妹(スール)サギ呼ばわりされてもなんのその、言われた当人は大きな顔してふんぞり返る。だって。

「でも、瞳子はそんなわたしの黒い部分も含めてロザリオを受けてくれたんでしょ?」
「ふん、今更そんなつまらことを言わせないでください」

 ほら、合意だったらサギにはならないんだもん。
 姉妹サギを無事無効にしてご満悦の祐巳は、瞳子に最後の確認を入れる。
  
「じゃ、そういうことで何か適当に理由を考えといて。わたしは瞳子に合わせるから」
「わかりました。ではその時はお願いします。……ふう、少し疲れました。あの、お茶でも入れようと思いますが、お姉さまも何か飲まれますか?」
「じゃあ、紅茶をマーマレードジャムスプーン二杯で」

 ぶいサインしながら答えた祐巳を、瞳子がジト目で見つめてくる。

「……お姉さまはタヌキ寝入りだけじゃ飽き足らず、今度はお腹までタヌキになられるつもりですか?」
「あい? ……ふむ」

 ぷに。
 祐巳は自分のお腹を軽くつまんだ後、しょんぼりと首を前に倒した。

「……スプーン一杯でお願いします」
「ふふ、わかりました」

 祐巳の中指が折り畳まれるのを見届けた瞳子は、満足げな足取りでお茶汲み場へ向かっていった。ちぇ。


★            


 そんな瞳子の背中を見送った祐巳は、椅子に身を預けてかるく伸びをいれる。

「んーっ!」

 とりあえずなんとかまとまった。 
 やり取りの中で祐巳の姉としての尊厳が一部削られた気もしないでもなかったが、まあ瞳子が心の負担を少なく公演に行けるのなら安いもの。あと何よりすっごく気持ちよかったし。

(さて)

 ただ、気持ちよかったの一言で済まないのが、この厳しい姉妹業界。
 今回、祐巳はあえて瞳子に嘘をつかせることにした。瞳子自身は正直に理由を言うのを望んだのにだ。

(ふにふにしてめっちゃ気持ちよかったな……いやそうじゃなくて、本当にこれでよかったのかな?)

 これが単純に公演に行きたいから休みたいなら、祐巳も瞳子に嘘などつかせず普通に皆を説得させただろう。
 けど今回、瞳子が演劇をやりたい理由は自身の境遇が大きく関係している。

(孤児、か)

 瞳子が、それにコンプレックスを感じていることは間違いない。
 むろん祐巳はそれに何の含みを持ってないし、最初にいったように由乃たちがそれを知ったところで瞳子に対して付き合い方を変えることもないだろう。
 が、今回の件はそう単純にいくものではない。
 
(そういや、あの時の自分もそうだったな)

 祐巳が祥子さまか姉妹の申し出を受け皆から好奇の目に晒された時、特に秀でたもののない自分へのコンプレックスから泣きそうに、いや泣いてしまったことがあった。
 山百合会で過ごした日々によってある程度克服できたとはいえ、あの時のことはあまり思い出したくもない。、

(お願いだからだれも自分に構わないで、って思ったっけか)

 コンプレックスの厄介なところは、祐巳の時もそうだったように自分の内から負の感情が湧き出ることだろう。
 だから由乃たちがそれを気にしなくとも、下手すれば瞳子が自分自身の感情で潰れてしまう可能性がある。

(瞳子はなんにも悪くないのにね。……マリア様のいじわる)

 祐巳としては瞳子に対して、それは瞳子のせいではないからコンプレックスを持つ必要はないんだ、と声を大にしていってやりたい。
 けど、それは最悪逆効果になりかねない。
 それぐらいデリケートな問題なのだ。努力で改善の効くものならば、まだなんとかなるかもしれない。
 しかし瞳子のそれは、本人の努力ではどうにもなるものではない。
 むろん、瞳子自身がそんなコンプレックスなどものともせず、例え由乃やみんなにそれを話す形となっても案外あっさりと乗り越える可能性はある。

(でも)

 その逆の可能性が少しでもある限り、瞳子の姉である福沢祐巳はそれ回避するように動かざるを得ない。
 瞳子が信頼する人に自ら打ち明けてくれたのと、第三者(あえてこの言葉を使う)に暴発気味にそれを話すのではあまりにも意味合いが違いすぎる。
 それが瞳子に仮面を付けさせる要因の一つになったのならば、やはり真正面から理由を述べさせるのは危険だと祐巳は判断した。

(うーん、難しいなあ)

 ひょっとしたらこの選択は、紅薔薇として間違っているのかもしれない。
 だけどこの福沢祐巳は、紅薔薇の前にあの子の姉でありたいのだ。

(まあ、ほんとは両立させないといけないのだけどね。……え?)
「……さま。お姉さま」

 はっ、と我に返ると、湯気の上がったカップを持った瞳子が心配そうに祐巳を見つめていた。
 おっとしまった、柄にもなくちょっと考え込みすぎたみたいだ。

「ん、どうかした?」
「いえ、呼びかけても返事がなかったので」
「いやー、今日の晩ごはんは何かなーって、色々と想像してたんだ」

 白から黒へ黒から白へ。今度は一転、瞳子は呆れ果てた顔をしてきた。

「……はあ、心配して損しました」
「えへへ、ごめんね食いしん坊な姉で」
「知ってますから。さあさあ飲み物もここにありますし、遠慮なさらずエア夕飯の続きをどうぞ」
「ん、ありがとう」

 惚けたのを疑われるどころか、あっさり肯定され続きを推奨されてしまった。うまくかわせたのに、なんだろうこの空しさは。
 そんな悲しみをぐっと堪え、祐巳は湯気の上がったティーカップを手にして口に含む。
 
(む!)

 祐巳の口にしたそれは、先ほどの悲しさを吹き飛ばして余りあるものだった。
 祐巳はティーカップを受け皿に置いた後、瞳子に顔を向ける。

「瞳子」
「なんです?」
「やっぱり瞳子の入れてくれる紅茶が、一番おいしい」
「……おだてても何にもでませんよ」

 そういいながら瞳子はプイと祐巳から顔を背ける。
 けど表情は見れなくなったけど、ちらりと見え隠れするその頬にはほんのりと紅色が塗られていた。
 頭ならぬ、顔を隠してなんとやら。仮面からお面、そして最近そのお面すら剥がれつつある妹を見て祐巳は目を細くする。

(……ああもう、かわいいなあ……ほんと、かわいいなあ)

 瞳子の太ももをすりすりした時とはまったく別種の安らぎが、祐巳の全身をゆっくりと満たしていった。


(コメント)
LAND >続くんですよね、ぜひ続きを(No.18144 2009-09-22 13:44:44)
シャケ弁当 >コメありがとう。んー続きか、その発想はなかったw 演劇そのものが自分にはさっぱりわからんからなあw(No.18145 2009-09-23 09:16:30)
不二さん >視線魚雷・・・泥舟福沢丸・・・ぶははは。まず笑いに一票。(No.18147 2009-09-23 23:20:47)
不二さん >最後まで読んで、萌えに一票。(No.18148 2009-09-23 23:22:30)
シャケ弁当 >不二さん>具体的に書いてくれるのはめちゃ嬉しい!ただ、比喩表現をやりすぎると原作から離れるしクドくなるから中々バランスが難しい(No.18150 2009-09-24 07:18:19)
シャケ弁当 >しかし、不正しんてんじゃないかってぐらい伸びたなw長さ的に10からよくいって20ぐらいだと思ったのに。何はともあれ、読んでくれた人、ありがとう。後よかったら、おかしいところやここをこうすればよくなるんじゃね?って所を教えてくれたら嬉しい(No.18151 2009-09-24 07:24:10)

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