がちゃS・ぷち

[1]前  [2]
[3]最新リスト
[4]入口へ戻る
ページ下部へ

No.3538
作者:海風
[MAIL][HOME]
2011-08-19 09:27:08
萌えた:5
笑った:16
感動だ:32

『更なる高みを目指して』

【No:3157】【No:3158】【No:3160】【No:3162】【No:3170】
【No:3171】【No:3174】【No:3177】【No:3183】【No:3187】
【No:3196】【No:3205】【No:3233】【No:3249】【No:3288】
【No:3327】【No:3380】【No:3397】【No:3443】【No:3464】【No:3498】【No:3501】 解説書【No:3505】【No:3509】【No:3515】 から続いています。









  第二回攻防戦

「……?」

 枕元の花を見て、藤堂志摩子は首を傾げた。
 白く瑞々しい一輪のリンドウだ。
 ――二時間目の休み時間、三回目の“治癒”のために志摩子は保健室を訪れていた。
 患者は三人。
“氷女”と“宵闇の雨(レイン)”、そして“冥界の歌姫”蟹名静である。“宵闇の雨(レイン)”と静はベッドで横になり、“氷女”はやはり椅子に腰掛けたまま目を伏せている。
 今回は三人ともすっかり熟睡していて、志摩子の接近にも気付いていないようだ。

(いえ)

 気付いていないわけがないだろう。三人ともそこらの中堅クラスではない。きっと浅い眠りを維持しているだけだ。
 佐藤聖を襲って怪我を負った者達。
 そう考えると、力を振るう義理もなく、気持ち的に引っかかるものも相変わらず胸の奥にあるが、もう己の信念に従って動くことは決めている。決定に迷いこそないが、本心ではまだ納得できていないのだろう――それも自分の甘さだ、と志摩子は思っている。
 とりあえず志摩子は、“治療”の前に、静の枕元にあるリンドウの花を保健室にある花瓶に活けることにした。誰かが見舞いにでも来たのだろうが、裸のまま置いていくなんてあまり気が利かないと思ってしまう。手向けの花でもあるまいしむき出しで置かないでほしい。

「……あら」

 衝立の向こうに戻ると同時に、ドアが開いた。出入り口は元白薔薇勢力のお姉さま方が相変わらず封鎖しているはずだが――
 するりと滑り込んできた人物には、見覚えがあった。
 志摩子は声を掛けようとしたが、その人物が唇に人差し指を立てて沈黙のジェスチャーをしたので、開いた口から声は漏れなかった。
 きっと、寝ている人達のために気を遣ったのだろう。表のお姉さま方が通したのであれば、少なくとも敵ではないはず。
 スタスタと迷いなくベッドを目指す彼女を止める必要はないと判断し、志摩子は花瓶を探すことにした。

  ごっ

「…?」

 今、衝立の向こうで、鈍器のようなモノで何かが殴られたような音がした。

「…………」

 10秒ほど様子を見ていると、先程そっちへ行った彼女が、左手で口元抑えてフラフラと出てきた。
 相変わらず目が死んでいるが、ちょっと涙目だった。

「……どうしたの?」
「……ちょっとぶつけただけ。志摩子さん、“治療”お願いね」

 囁くようにそう応えると、「あ、“治さなくていいの?」という志摩子を無視して、彼女はフラフラした足取りで保健室を出て行った。お願いした“治療”は、ベッドの人達のことだったらしい。

「…………」

 なんだかよくわからないが、志摩子は花を活けると“治療”を済ませて保健室を後にした。




    第三回攻防戦

 三時間目の授業が終わり、志摩子は予定通り、また保健室を訪れていた。
 これで“治療”は4回目。
 あとは昼休みにもう一度やれば、少なくとも身体は回復できるだろう。精神力の消耗――いわゆる気疲れや力の磨耗まではどうにもならないが、それも少しは戻りつつあるはず。触った感じでは、静の消耗がかなりひどかったが、今日一日、本気の戦闘さえしなければ問題ないだろう。

「…?」

 志摩子のあとを追うように、またドアが開いた。振り返ると、さっきも現れた彼女がまた顔を見せた。恐らくは見舞いなのだろう。顔に似合わずマメな性格をしている。
 またしても「静かに」のジェスチャーをして、志摩子の横を通り、衝立の向こうへと消えた。

「…………」

  どごっ

「えっ!?」

 数瞬の間を置き、彼女は出てきた。
 出てきたというより、何かしらに吹き飛ばされたと言った方が正確だろう。
 衝立を背中で倒して飛んできた彼女は、ごろごろと床を転がって止まった。そんな彼女を思わず目で追った志摩子は、衝立の向こうで何が起こったのかと視線を走らせた。
 だが、一緒に吹き飛んだはずの衝立はすでに元通りになっていて、向こう側を見せてくれなかった。

「う、ぐぐっ……モロに……」

 瀕死のコオロギのように腹を抱えて弱々しくうごめきもがく彼女は、笑う膝をたしなめながら薬品棚にすがり立ち上がる。うつむいているので表情こそ伺えないが、どう見ても致命的な一撃必殺をもらったようにしか見えなかった。

「……だいじょうぶ?」
「……ちょっとぶつけただけだから。それより“治療”お願いね」

 どう見ても大丈夫そうには見えないが、彼女は不安定極まりない足取りで壁伝いに歩き、出て行った。やはりお願いの“治療”はベッドの三人のことらしい。
 今なら、どちらかと言うと彼女の方が必要としている気もするのだが。




    最終攻防戦

 すべては学習能力である。
 人が人として築いてきた文明の核は、学習能力である。
 より良く、より効率的に、より便利に。
 欲望とともに持ち合わせている「怠け癖」あるいは「自分自身」は、常に自分を楽な方へ導こうとしている。そんな自分と決別、あるいは上手に付き合うために、人類は進歩したといっても過言ではない。
 人は学ぶのである。
 より良く、より効率的に、より便利に物事を運ぶために。

(――お)

 浅い眠りについていた静は、滑り込んできた気配に瞳を開く。
 この攻防も4回目、さすがに相手も学習しているようだ。
 感じられる気配と力が、だいぶ弱くなっている――なるほど貰ったアドバイスから工夫をしてみたようだ。未熟ながらも進歩を見せたことは良い兆候である。
 滑り込んできた気配は迷うことなく、あちらと向こうを隔てる衝立の前に辿り着いた。
 そして、そこでも迷わなかった。
 物音一つ立てずこちらへやってきて――

「とうっ」

 スパッと。それはもう見事に。ベッドの中へ飛び込んだ。

「ふおおおおおお! 静さま添い寝に来ましたよおおおおお!!」

 なんと衝撃的な光景だろう。
 シーツの中でバッタンバッタン暴れる不届きな侵入者――“竜胆”は、静さえ見たことのないハイテンションで喜びと興奮を表現した。普段の気に入らないくらい不遜な平常心は形を潜め、キャラに似合わない痴態を見せ付ける。
 そんな力いっぱいで激しい添い寝があるか。それはもう、その、夜這いとか、そういうやってはいけないレベルのそれだ。
 きっと焦らされた上で成功したので、喜びのあまり“竜胆”の理性のタガが外れてしまったのだろう。
 なんだか哀れである。

「んっ!?」

 動きが止まった。
 それはもう、不気味なくらいに。嵐の前の静けさか、というくらいに。

「…………匂いが違う?」
「嗅ぎ分けないの」

 思わず口を出した静の声にピクリと反応する。
 そこから聴こえるはずのない声に。
 あとはもう、話は簡単だった。

「――誰だっ…このっ、離せっ……ああそんなっ………イヤッ……あっ」

 静は思った。
 あの人、案外付き合いいいな、と。

 はらりとシーツがめくれ、覆われていた痴情が露となった。

「冗談みたいに上手くいったわね」

 現れたのは、座っている“宵闇の雨(レイン)”と、

「…………」

 その“宵闇の雨(レイン)”に抱かれて、くたっと全身弛緩している“竜胆”である。もうくったくたで生気を感じない。
 虚ろで視点の定まらなかった瞳が、目の前にいる静を捉えた。

「……『初めて』は静さまって決めてたのに」

 不穏な呟きを漏らし、手繰った枕に顔をうずめた。「何をだ」という静の問いに答えは返ってこなかった。

「私の方が被害者じゃない?」

 心底面白がっている“宵闇の雨(レイン)”の言うことは、顔はともかく言い分はもっともである。「何をされたんですか?」という質問は「秘密」と返されたが。
 ――この事故は、静と“宵闇の雨(レイン)”がベッドを入れ替わったせいで起こったものだ。本当にただそれだけだ。こんなのそこらの駆け出しの一年生でさえ引っかからないような激甘トラップである。
 まさか引っかかるとは思わなかった。本当に。

「私の寝込みを襲う一年がいるとはねぇ。面白い逸材がまだまだいるものね」

 寝込みを襲うというか、ただの間違いだが。




「もういい?」

 入れ替わったので静のベッドサイドに控える“氷女”が、茶番の終わりを告げた。そう、暇なわけではない。いつまでも遊んでいられない。

「志摩子さんが“治療”を終えたら、私達はしばらく接触することもないはず」

“氷女”の言葉は、“宵闇の雨(レイン)”に向けてだ。これから二人は縁が切れたはずの白薔薇・佐藤聖の依頼で別行動を取る。

「あなたは護衛だったわね」

“氷女”の予定は、“瑠璃蝶草”の護衛である。本来は“宵闇の雨(レイン)”に頼まれた仕事だが、本人の優先順位的にそうなってしまった。恐らく聖も同じ順番で優先するだろう。
 それに、今だからいいのだ。
 白薔薇勢力解散の情報はすでに広まっている。だからこそ、“氷女”や“宵闇の雨(レイン)”が動く理由にまさか「佐藤聖の依頼」と考える者はまずいない。信頼関係がなくなったから解散したくせに、信頼を失った元トップの意向だとは誰も思うまい。
 つまり、白薔薇――いや、山百合会が関わっていると推測が立てづらいのだ。山百合会だからこそ注目も集まるが、そうじゃないなら多少は動きやすいはず。
 隠す理由はないが、大々的に情報を漏らす理由もない。とりあえず隠す、基本的にはそんなものだ。元隠密の“宵闇の雨(レイン)”は特に。

「可能ならば本人から情報収集してみる」

 何が理由で山百合会に関わっているのかわからない、華の名を語る者“瑠璃蝶草”。急に出てきた上に強大な力を感じさせる彼女の情報は、観察でわかる程度には“氷女”と“宵闇の雨(レイン)”も報告を受けている。
 だが、それ以上のことはわかっていない。
 色々と気になるので、当然探りは入れてみるつもりだった。

「何かわかったら教えて。そっちも気になる」
「ああ」

 知ってどうしたい、というものはない。だが知っておきたいことは山ほどある。情報は全ての事を有利に進めることができる武器にして防具、そして指針だ。知っておいて損はない。山百合会が関わるなら尚更だ。
 それに、“氷女”の護衛対象と“宵闇の雨(レイン)”の調査対象は、程度はわからないものの無関係ではない。二つの情報を照らし合わせることで見えてくることもあるだろう。
 簡単な方針を固め、“宵闇の雨(レイン)”はぐったりしたままの一年生を抱えたまま、静に目を向ける。

「じゃあ静さん。今後の予定だけど」
「はい」
「基本的に別行動になるわ。まずあなたは図書室に行って。そして――」




 リリアンには不可侵領域というものが存在する。
 保健室の戦闘不可もその一種で、そういった特別な場所、特別な扱いになっているものがいくつか存在する。今朝、佐藤聖と蟹名静がやりあったお聖堂もそれに近く――山百合会専用の闘技場として捉えられていたりする。ある意味では、新聞部の存在などもそうだと言えるかもしれない。
 そして、ここ。
 何の約束も組織もないのに、代々不可侵領域を護り、受け継ぐ場所――図書室。
 山百合会の庇護があるわけでもなく、また他者の暗黙の了解があるわけでもないのに、しかし確実に存在する安全地帯。

 ――ここは代々、有志の“図書室の守護者”が見守る地。

 二年生、無所属。図書委員。
 漆黒の長髪にぼんやり浮かぶ白い肌、初対面の相手に恐怖と動揺を与える鋭い三白眼。
 今年の“図書室の守護者”は、二つ名を“鴉”という、恐らく無所属最強の女生徒である。その実力は三勢力総統と並ぶとも言われている。そしてたぶん顔の怖さも最強である。
“図書室の守護者”は、本好きの生徒の有志によって構成されてきた。あるいはそういう名の組織だったり、二、三人のコンビやトリオだったりと時代によって形は違った。しかし、いつの代も必ず“図書室の守護者”は存在した。
 まるで歴史を通して愛されてきた本達が、それをやり遂げる意志と力を持つ者を選び、導くかのように。
 今年、そしてきっと来年も務めるのであろうこの時代の“図書室の守護者”は、二年生にして無所属最強と噂される“鴉”ただ一人である。
“鴉”は休み時間も昼休みも放課後も図書室に入り浸り、貪るように本を読み続ける――もはや景色の一部と言ってもいいくらい、図書室に同化している。
 貸し出しカウンターの特等席。
 時々やってくる蟹名静が見た時も、そして今も、そこに景色の一部のようにして座っている。

「“鴉”さん」

 横顔は、美しい。驚くほど白い肌と輝く長い黒髪のはっきりしたコントラストは、繊細でデリケートな水墨画のようだ。
 しかし、振り返ると、ちょっと怖い。目付きが常に、仕事中のゴ●ゴ並の殺気を放っているように見える。
 もう見慣れているはずの静でも、視線が合うとちょっと怖かった。なんというか全体的に幽霊っぽいのだ。本物を見たことはないが、思いっきり純和風の、白装束で柳の下に佇みうらめしそうに見詰めてくる幽霊っぽいのだ。失礼ながら暗い夜道で不意に出会ったらちょっと泣いてしまうかもしれない。それくらい顔も雰囲気も怖かった。
 ――そんな静の心の内など知る由もなく、“鴉”は静から視線を外し、また本に落とした。

「ケンカなら売っていないし、買わない」
「いきなりそれ?」

 穏健派のつもりなだけに、静は苦笑した。――ちなみに静も図書委員で、それ以上の関係ではないが面識はあった。

「厄介事もパス。争奪戦にも興味なし。それ以外の用事なら聞く」

 この無愛想な反応。静もわかる。組織関係の勧誘も、ケンカを売ったり買ったりも巻き込まれたりも、静もうんざりするほど経験してきている。

「あー……ごめんなさい、厄介事だわ」

 だから、言葉を取り繕わなかった。

「なら答えはノーよ。お引き取りを」

“鴉”はもう顔も向けてくれない。しつこくすれば実力行使に出るだろう――彼女は“図書室の守護者”ではあっても、決して温厚ではない。だから今ではめっきり静より来訪者が少ないのだ。
 ただの頼みごとなら、ここで引くべきだ。そうじゃないと身の保証はない。静が二つ名持ちであり、“鴉”がそれを知っている以上、加減なんてしない。
 しかし静は、この凶暴な“図書室の守護者”を振り向かせる魔法の言葉を持っている。

「『世界でただ一つの喜びは、始めることだ』」
「…………」

 その合言葉に反応し、“鴉”はふたたび振り返った。

「“レイン”さまの用事?」
「そう。あなたを頼れって言われて来た」

 この合言葉は、だいぶ前に“鴉”が“宵闇の雨(レイン)”に借りたものだ。その言葉を使った時、何があろうと無条件で一回だけ力を貸すことを約束していた。
 無所属の者は、所属している者より義理堅い。
 直接的な協力者はいなくても、間接的な支えはたくさんあり、それを自覚しているからだ。無所属とはいえ、決して一人ではないのだ。

「わかった」

 パタンと本を閉じ、“鴉”は正面から静に向き直った。

「誰を仕留めればいいの? 誰でもいいわよ」
「血の気多いわね。ケンカの助っ人じゃないから」
「じゃあこの顔で誰かを脅すの? 腰を抜かすまででいい? さすがに漏らすまで脅すのはお勧めしない」
「いや顔を貸してほしいわけでもないから」

 というか顔を利用するな。顔を。強面を。
 静はカウンターに両肘をつき、顔を寄せ、周囲に漏れないよう声を潜めた。

「人探しよ。大丈夫?」
「人探し……誰を? いえ、相手は限られるか」

 ようやく話が進んだようだ。“鴉”は頭の回転も悪くないらしく、多くを理解し一気に話を飛ばした。

「いつまでに?」
「明日からは誰かを探す余裕なんてなくなるでしょうから、できれば今日の放課後まで。無理ならしばらく待つことになると思う」

 今後数日の争奪戦の激化は避けられまい。
 明日か、もしかしたら今日の放課後辺りから騒がしくなるかもしれない。

「“レイン”さまは別件?」
「いえ、別ルートから探すみたい」
「……厄介ね」

“鴉”は顎に手を当てる。

「あの人が私を使うほどの調査なんて、どれだけ無茶なんだか」

 調査員としての“宵闇の雨(レイン)”の手腕を知っているだけに、事の重大さはともかく難易度は察することが出来る。あの切れ者が、戦闘の助っ人ならともかく、調査で要請するなんて“鴉”はまったく想像していなかった。
 それは独り言だったのかもしれない。だが静はこう答えた。

「いない人を探す。それくらいの無茶よ」

“鴉”は静を見詰め、そして笑った。静は思わず悲鳴を上げそうになった――邪悪すぎて。まるで眼下で行われる一方的な殺戮ショーに思わず頬が緩む悪魔……それくらい邪悪に見えたからだ。実際は普通に笑っただけだが。

「面白い。小説よりミステリーな結末を期待したいわね」

 あなたが本当は人間じゃないってオチだけはやめてほしい、と静は心底思った。
“鴉”は見た目ほどアレじゃない。
 本当は、本を粗末に扱う人が許せないほど本が大好きなだけの、ちょっと血の気が多い文学少女である。だがそのことを知っていたとしても、祈らずにはいられなかった。邪悪すぎて。




 詳しい打ち合わせに入る――と同時に、意外な人物が乱入してきた。

「あら。お友達?」

 ウェーブ掛かった髪の優しそうな女生徒が、静と“鴉”を見ていた。静は「あっ」と声を漏らしたが、なんとなくそれ以上の言葉は伏せた。
 先の言葉は静に向けられたものではない。だから答えたのは“鴉”だ。

「同い年でしょ。年下扱いやめて」
「だってあなたいつも一人ぼっちだから。何だか嬉しくて」
「私はむしろいつも一人ぼっちで本を読んでいたい。黙っていても動かなくても厄介事と面倒事と痛いことばかりがやってくるんだもの。うんざりよ」

“鴉”の心中は、静にはよーく理解できた。厄介事を持ち込んだ自分が言えることではないが、できるだけ放っておいてほしいものである。
 何気なく見ている静に、女生徒は軽く頭を下げた。

「その節はどうも」
「いえこちらこそ」

 彼女のことは知っている。
 華の名を語る者“雪の下”だ。会うのはあの福沢祐巳誘拐?事件以来である。力の抑え方を学習したのか、ここまで近寄られてもあまり意識しなかった。まあ、意識すれば、相変わらずものすごい力を有しているのがわかるが。

(さっきは“竜胆”で、今度は“雪の下”と遭遇か)

 妙な縁を感じ、ちょっと疲れた。あまり関わりたくないトラブルのタネのような連中なのに、なぜか妙に関わってしまっている。
 ――ちなみに“鴉”と“雪の下”は小学部から付き合いのある幼馴染同士である。高等部に入ってからは目覚めている・目覚めていないと区別して表立って接触はしていなかったが、“雪の下”が目覚めたことでまた親交が復活した。闘い方や力の使い方、抑え方も、この“鴉”のアドバイスの賜物である。

「知り合い?」
「ええ、少し。あなたと静さんも?」
「同じ図書委員。話したことはほとんどないけれど。まあそれはいいから、ついでに“雪”も手伝って」
「「えっ」」

“雪の下”は「何を?」みたいに疑問符を飛ばし、静は嫌な方向の意味で言葉を疑う。
 何を言い出す“鴉”。
 無関係どころか関わりたくない者を巻き込むなんて。
 戸惑う静を“鴉”が見上げる。空虚の黒が射抜く眼光が恐ろしい。

「放課後までに探すんでしょう? ならば最低人数か最低要素くらいは揃えないと」
「……この子で足りると?」
「充分。“雪”は私より役に立つ」

 本当か。“雪の下”はどうにも間が抜けた顔をしているが。どう見ても“鴉”の方が優秀に思えるが。
“鴉”のような狡猾さと残忍さが感じられるならともかく、二人が並んで一緒にいると捕食者と生きたエサ、猿回しと猿、上司と部下、詐欺師と被害者、強者と弱者という構図に見えてしまうが。それでも“雪の下”の方が役に立つというのか。

「何の話です?」
「“雪”は知らなくていい。それより“雪”は何をしに? 本の返却?」
「いえ――今日こそあなたから色好い返事をいただこうかと」

“雪の下”が真剣な面持ちで“鴉”を見据える――ものの、“鴉”の答えはそっけなく「パス」の一言だった。
 返事の内容は、“契約書”争奪戦の助っ人要請である。“鴉”は無所属最強説が流れるほどの強者で、彼女を味方に付けられれば非常に心強い。
“雪の下”は何度も何度も打診しているが、“鴉”の返事は今日も変わらない。
 ……と思ったが、今日はそれだけじゃなかった。

「って言いたいところだけれど、状況が変わった。今日これから私達がすることを手伝ってくれれば、役に立った度合いで考えてあげる。これが最大の譲歩だと思って」

 無所属が誰か、あるいはどこかの勢力に手を貸す場合、どうしても遺恨関係で敵が増えてしまう。それも「すぐ襲われる」くらいのレベルで。後ろ盾がないとはそういうことだ。
 だから“鴉”は滅多なことでは動かない。己のフィールドは全力で護るが、最初から攻めに転じることはない。あくまでも受動的なのだ。
 唯一の例外が、滅多に貸さない合言葉だ。
 自分の不利益を被ってでも借りは返す。それが“鴉”のスタンスだ。

「頼みごと、ですか……明日から本格的に動くつもりなので、あまり時間を取られるわけには」
「なら大丈夫。期限は今日の放課後までだから」
「何をするのですか?」
「人探し」

 戦闘じゃなければ、“雪の下”の答えは決まっていた。恐らく交換条件がなくても頼めば手伝っただろう。“雪の下”はそういうお人好しで、だから“鴉”はそれをしない。
 新たに加わった顔に不安を感じている静だが、“鴉”はテキパキと動き出していた。

「よろしく」

 別の図書委員に貸し出しカウンターを任せ、三人は人のいない図書室の奥へと移動する。――意外というか当然というか、“鴉”は「誰を探すか」や「どうして探すか」という詳細には一切触れない。きっと調査員に徹するつもりなのだろう。

「あの」

“雪の下”の方は色々気になっているようだが、“鴉”は「知らない」とか「知らなくていい」としか答えない。徹底している。“雪の下”からすれば訊いて当然のことさえ話さないのだから。
 だが、それでいいのかもしれない。
 必要以上に話してしまえば、巻き込んでしまう可能性もある。だから“鴉”も多くは聞かないのだ――逆の立場なら静もそうしたかもしれない。

「……で?」

 最奥の片隅に固まり、静は「これからどうするのか」と訊ねる。図書室を出ていくならともかく、奥に来て何をするのだろう。

「“雪”、今から言うものを具現化して」
「え?」
「あなたほどの力があれば、占い系だってやれるから」

 その手があったか、と静は思った。
 そう、確かに“雪の下”ほどの――リリアン最高クラスの力があれば、素養が低くても占い系の能力に転用することは可能。素質皆無じゃなければ、何かしらの答えは得られるはずだ。

「でも占いなんてやったことありませんが」
「前に言ったでしょう? あなたは天才よ。あなたが思い描けば、それは半分以上は実現できる。今までリリアンに存在しなかった“飛行”を実現し、創造した通り封印も“紅蓮の魔犬(ケルベロス)”に通用したんでしょう? 自信を持ちなさい」

 おい。
 この二人、本当に詐欺師と被害者の構図に見えてきてしまった。――ちなみに“鴉”は本気で言っている。“雪の下”は理屈と理論と仕組みと知識を無視して、勘と感覚と本能だけで全ての能力を使用しているのだ。それも単純な原始的武器の具現化ではない、前人未到の高度なこともやってのけている。これを天才と呼ばずして誰を天才と呼べるだろうか、と。
 更にちなみに、同じ感覚型で有名なのは、あの“銃乙女(ガン・ヴァルキリー)”である。彼女もこと戦闘に関しては天才である。

「できるかどうかわかりませんが……」

 自信はなさそうだが、“雪の下”はやる気にはなったようだ。

「私の言う通りにすればいいから」

 と、“鴉”は手近な棚の下の方から大きな図鑑を引き出し、水平に抱えた。どうやら台代わりにするようだ。

「それにしても」

 チラリと静を見る。

「不思議な縁を感じるわ」
「……私?」
「ええ。――“冥界の歌姫”、でしょう?」




 噂には聞いていたし、その姿を間近に見たこともあった。
“天使”。
 力を使うと同時に白いオーラを放ち、暗がりに淡く輝く“雪の下”は、やはりどこか神々しい雰囲気を持っている。

「これでいいのですか?」
「ええ」

“鴉”の指示で、“雪の下”が具現化したのは――静も見覚えがあるモノだった。

「コックリさん?」

“雪の下”が具現化したのは、五十音の文字表がプリントされた紙一枚。“鴉”が支えている図鑑の上に問題なく乗っている。
 見覚えのあるそれは、どう見てもコックリさんである。鳥居の代わりに扉が描かれているのが、違うと言えば違うが……

「ここではコックリさんに敬意を表し、“マリアさん”と呼べばいいんじゃない?」

 コックリさん改め“マリアさん”と気軽に命名されたそれは、まあ、やることはコックリさんと同じらしい。

「さて――“雪”、目を瞑って」
「え? なぜ?」
「そういう“ルール”だから」

 占い系異能のみに限らないが、確率や精度を上げるために使用者があえてリスクを負う場合がある。祭事的、あるいは祈祷的なことをして神秘性を出している・上げていると思えば早いだろう。占い系は単純な具現化能力ではないので、オカルトじみた思考や手法が積極的に取られるのもなかなか興味深い傾向である。

(使用者は結果を知ることができない、か……)

 これで使用者の個人的意見や意志を封じる、という意図もあるのだろう。公平さ、そして客観視を重視するために。
 特に占術に慣れていない……どころか初体験である“雪の下”の場合、下手に本人の意思が介入するより、強大な力の導きに任せた方がよっぽど正確性は高そうだ。思いっきり力に振り回される形だが。
 しかし、本当に驚いたのはここからだ。

「っ!?」
「おっと。やっぱり出たか」

 目を伏せた“雪の下”の背後に、思念体が発現した。穏やかに微笑み、両手を併せ、慈愛に満ちたサファイアの両眼が静達を見下ろす。それは半透明だが白くほのかに輝き、純白のローブがゆるやかに踊る。
 静の呼び出す“冥界の歌姫”によく似た、だが神々しさはまるで桁違いの“マリア像”だった。
 これと比べたら静の“歌姫”は偽者でしかない。それくらい雰囲気が違った。

「ね。不思議な縁でしょう?」

 さっき言っていた“鴉”の言葉が蘇る――“マリア像”繋がりである。
 確かに、何かの縁を感じた。
 だがそれはきっと偶然に限りなく近い縁だろう。静が“マリア像”をモデルに選んだのは身近にあって創造しやすかったからで、だがきっと“雪の下”は何も考えずに“マリア像”を創造している。
 信心の差か、思い入れの差か、それとも単純に“マリア像”に愛されているか、だろうか。

「あの、何か?」
「なんでもない。そのまま」

 目を瞑っている“雪の下”には、自分に何が起こっているかもわかっていないようだ。
 恐るべき才能というべきか、恐るべき力量というべきか。
 とりあえず、切れ者じゃなくてよかったな、と静は思った。コレで野心旺盛にバリバリ活動していたら、リリアンは更に荒れていたことだろう。

「静さん」

“鴉”が静を見ている。
 ここまでは“鴉”がお膳立てしたが、ここから先は、用事がある静が舵を取らねばならない。そもそも二人には詳細を話していないのだから。

(何からかしら……いえ、そうね)

 媒体からして、正確な質疑応答が可能。“マリアさん”占いの結果が見当違いの大間違いで振り回される可能性――占いの信憑性の有無はあるが、ここまでの力が働いている以上、当確率5割以下とも思えない。ある程度は核心に触れても問題はないだろう。
 となると、

(久保栞さんは思念体。だから思念体使いを探せばいいのよね)

 これまでの法則に乗っ取れば、まず思念体使いは相当な力を有しているだろう。
 思念体を生み出すことは簡単だが、人間型で高度な形成と高度な動きが可能で、しかもしゃべったとなれば、静以上の素質と力を持っていることは想像に難くない。今朝の小笠原祥子が佐藤聖に話していた内容からすると、まず間違いない。
 少なくとも、静よりは力量が上。そう考えていいはず。
 次に――

(……いや、待てよ?)

 恐ろしく虫が良すぎて、考えることさえしなかったが。

「久保栞の思念体使いの名前は?」

 いきなり核心に触れる質問をしてみた。それがわかれば話は早いのだから。
 ふっと“マリア様”が消えた。“雪の下”が目を開いたからだ。

「探しているのは久保栞さあっふっ」

 中断した“雪の下”の脇腹に、“鴉”の鋭いツッコミが入った。ドスッ、と。

「誰が中断していいって言った? いいから続けなさい」
「え、でも」
「あ?」
「……ご、ごめんなさい。睨まないで……」

“鴉”の殺意と悪意が見えるような恐ろしい視線に気圧され、“雪の下”は震え上がって“マリアさん”を再開した。――ちなみに“鴉”は別に睨んでいない。いたって素の顔である。
 今一度同じ質問をし、“マリアさん”が動き出す。
 白紙のそれに、ペンライトのような青い光がポッと生まれる。しかしそれは天から差し込んでいるわけではなく、裏面からライトを当てているかのように、そこだけに光を放つ。
 青い光が文字を刻む。

   わ
   か
   ら
   に
   ゃ
   い

   よ

「おい」
「あっふ」

 無防備でがらあきの脇腹に“鴉”のツッコミが入り、“マリアさん”はまた消えた。

「『わからにゃいよ』って何? やる気あるの? ないの?」
「え、なんのこと?」
「真面目にやりなさい」
「や、やってます。変な言いがかりはやめてください」
「……真面目にやって『わからにゃいよ』がデフォってこと? つまり存在自体がふざけてるってこと?」
「ひっ……ご、ごめんなさい、殴らないで……」

“鴉”の暴虐と冷酷が見えるような氷の視線に気圧され、“雪の下”は震え上がって“マリアさん”を再開した。――ちなみに“鴉”は別に睨んでいない。いたって時々見せる真顔である。
 そして静は、ちょいちょい思っていたことを確信する。

 「この二人結構めんどくさいな」と。




 蟹名静、“鴉”、そして“雪の下”が図書室の隅っこでウダウダやっている頃。
 中庭では“玩具使い(トイ・メーカー)”島津由乃と紅薔薇勢力総統“紅蓮の魔犬(ケルベロス)”の一戦が始まり、瞬く間に終了した。
 三階の廊下から中庭を見下ろす一人の女生徒が、興味を失ってまた歩き出した。
“宵闇の雨(レイン)”である。
 1分もなかったその闘いを幸運にも見ることができた“宵闇の雨(レイン)”は、今インプットしたデータを踏まえて勢力図を描き変える。――島津由乃の伸び幅が想像以上で驚いた。あのくらいならまだまだだが。

(“邪犬”と“遠吠え”、久しぶりに見たわ。相変わらず恐ろしい技だこと)

 白薔薇勢力が解散し、自らも肩書きを失っているが、蓄えたデータ全てが無駄になるわけではない。これからどうするかなんてまだ考えていないが、何かはしたいと思っている。戦線を退くのはまだ早い。
 それはともかく。

(さてさて、こっちは当たりを引けるかしらね)

“宵闇の雨(レイン)”と静は別行動を取り、お互い違う方向からのアプローチで久保栞に迫ろうとしている。
 静には“鴉”を付けた。彼女は頭も切れるしとにかく腕も立つので、消耗している静には心強いパートナーとなるだろう。前情報と足がかりに乏しいものの、きっと真相へと駒を進めてくれるはず。
 言うなれば、静達には正攻法を任せた。占い系異能を行使しての指針の決定と、聞き込み。恐らくそれくらいしか打つ手がないだろうが、だからこそある程度は進展を見込める。「情報がなかった」も立派な情報なのだから。
 そして“宵闇の雨(レイン)”は、いわゆる変化球で攻めてみることにした。
 勢力解散直後というこんな状況ながらも、まだ“宵闇の雨(レイン)”を慕ってくれる元部下に頼み、簡単な調査を頼んだ。簡単なだけに昼休み5分ほどで情報も上がってきた。
 調査内容は「ここ2、3日ほど続けて休んでいる者」。
 ――着眼点と推測は静と同じだ。
 静以上の力を持つ能力者。それも人に近く、話せるほどの思念体を創り出すという高度な技術……相当な力と素質を有しているのは疑いようもない。
 しかし“宵闇の雨(レイン)”の知る範囲では、静以上の思念体使いはリリアンに存在しない。思念体の操作は努力云々ではなく、才能に寄る部分が大きいからだ。要するに思念体使い自体が極端に少ないのだ。
 つまり。
 久保栞を創り出した思念体使いは、「ここ最近目覚めたばかり」という可能性を示している。そしてそう考えるに足る根拠も、今はある。
 ここ最近、三薔薇以上の力を持った者が、出来すぎなくらいに台頭しているではないか。かなりアレではあるが、ついさっき初歩的な罠に掛かって枕を濡らした“竜胆”もその内の一人――強すぎる力を持つ者だ。
 彼女ら華の名を語る者達は、通例として、数日間休んで潜伏していた。恐らくはその間に最低限の準備をしていたのだろう。普通に登校していればすぐに周囲に知られるし、今でもまだ力の抑え方、隠し方をマスターしていない。あんなのが普通に登校していたら周囲が黙っていない。準備なんてする時間は絶対になかっただろう。
 今朝の久保栞の件も同じパターンなのではないか、と“宵闇の雨(レイン)”は直感交じりに推測を立てたのだ。同じパターンで、授業を休んでリリアンに潜伏して思念体のみ動かしているのではないか、と。「ここ最近目覚めたばかり」なら、相応の力量があれば絶対に“宵闇の雨(レイン)”の耳に入るのだ。スカウトや、とにかく他所の勢力に優秀な人材を渡さないために、アンテナの感度は決して濁らせない。
 だから正攻法では正解に辿りつくのは難しいだろうと考えている――何せ登校はしていても表には出てきていないのだから。
 まあ、この推測が間違っていれば、“宵闇の雨(レイン)”の調査はほぼ空振り。大した情報は得られないだろう。
 しかし、もし推測が当たっているなら、思念体使いの割り出しはできる。
 ――今“宵闇の雨(レイン)”が向かっているのは、三年菊組である。
 用があるのは、リリアン屈指の占い系異能使い“調停の魔女”佐々木克己だ。回答の出し方に癖があるものの、信頼度は非常に高い。
 ここ数日の欠席者リストは、元部下に頼んですでに手に入れているので、あとはYES/NOでの二択で割り出せる。

 一人ずつ「今現在、このリリアン女学園にいるか否か」を問えばいいのだ。

 もし授業には出ていないのにリリアンにいるのなら、潜伏している可能性大である。なぜ潜伏しているのか? 目覚めたことを隠しているからに他ならない。そういうことである。
 ――ところで。

(……付けられてる、かな)

 廊下を歩む“宵闇の雨(レイン)”を尾行している者がいる、ような気がする。
 確信はない――尾行する者の腕が良いからだ。
 だが、少々腕が良すぎるようだ。だから“宵闇の雨(レイン)”は引っかかった。

(今更私を尾行して何になるんだか)

 真っ先に思い浮かんだのは、暗部――どこぞの暗殺要員だ。が、可能性は低い。白薔薇勢力が本当に解散した今、“宵闇の雨(レイン)”を狩ったところで勢力的な意味はない。
 ならば私怨か?
 それこそありえない。
 暗部は決して表に出てこない存在で、そこにこそこだわり、誇りを持つ。そして暗部が動く時は細心の注意を払い、また命じる方も気を遣う。何せ暗殺が失敗して暗殺者が確保され情報を引き出されれば、命じた相手まで辿りつくことも侭ある。それができなくても組織くらいは割り出せる。場合によっては抗争の火種になる。暗殺とは、だいたいにおいて命じる者より強い相手がターゲットになるのだ。命じる方もやる方も、決して軽はずみには動かない。
 特に、勢力に関わらないのであれば、優秀な暗殺要員ならばまず引き受けない。彼女らは極限、またはギリギリの死線を常に渡っている。決断力と用心深さはリリアン随一で、自分がそれをやり遂げた時、そして失敗した時を必ず考える――“宵闇の雨(レイン)”はそう教えられた。だからわかる。
 やると決めたら感情を捨てて機械的に動くが、やると決めるまでは大いに迷うのだ。

(……捕まえてみればわかるかな)

 ほとんど同業者のようなものである。苦労を知っている分だけ気を遣いたくもなるが、今朝の白薔薇戦の後遺症で万全とは言いがたい。いくら怪我が完治しているといっても、フルで動けるほど完全に馴染んでいるわけではないのだ。こんな状態で泳がせるのは危険だ。
 何より、相手の意図が気になる。
 無職同然の“宵闇の雨(レイン)”に関わろうとする理由はなんだ。
 ――角を曲がったところで、“宵闇の雨(レイン)”は消えた。ステルスである。
 そのまましばし待つ。
 喧騒に完全に溶け込む、かすかな足音がゆっくりと迫る。
 そして、“宵闇の雨(レイン)”の背中を追うように――ではなく、極々自然に、己の目的のために動いているだけとしか見えない追跡者が現れた。
 力を感じない一般生徒。目の前にいる視えない“宵闇の雨(レイン)”の目の前を通り、背中の見えない“宵闇の雨(レイン)”を探して目を走らせる、などということもなく、歩き続ける。
 優秀である。
 それに、これほど熟練された追跡者なら、間違いなく暗部である。例外を上げるなら新聞部部長・築山三奈子くらいしか思い浮かばない。
 が、もしかしたら、この人物は追跡者ではない可能性がある。ただの一般生徒ならば、本当にただ偶然こっちに来ただけだ。
 だから、確かめるのだ。

「待った」

“宵闇の雨(レイン)”は、追跡者の背後から肩を掴んだ。
 そう、触ればいいのだ。いくら表面上は隠せても、触れれば目覚めているかどうかはわかる。どんなに力が弱くてもわかる。そういうものだ。
 ――やはり目覚めている。力はそう強くないが、確実に異能使いだ。

「な、なんですか? 誰ですか?」

 追跡者は飛び上がって驚く。とても演技とは思えない。……本当に実際驚いたのかもしれない。
 だが、“宵闇の雨(レイン)”はここで核心した。

「振り返らない」
「え?」
「背後から肩を掴まれても振り返らなかった。だから私はあなたを暗部と看破した」
「……」
「ついでに言えば、今『暗部』と耳にしてからのあなたの脈。随分早くなったわ」
「……」

 追跡者の気配が消えた――一般生徒に紛れるのをやめ、暗殺モードに入ったのだ。

「まず下を見なさい」

 追跡者の首は、それどころか感情も動かなかった。見たかどうかはわからないが“宵闇の雨(レイン)”は続けた。

「あなたはもう捕まっているのよ」

“宵闇の雨(レイン)”と追跡者がいる一帯のみ、すでに“水”が張ってある。追跡者も気付かないくらい薄く、だがしっかりと。




 しくじった。完全に。
 細心に細心を重ね、もはや自分の限界というくらいに注意を払って“宵闇の雨(レイン)”の追跡をしていたのは、紅薔薇勢力暗部所属“bS”だった。

(すごい……やっぱり化け物だわ)

 見失う心配より、尾行に感付かれる危険の方を優先していたのに、それでも発覚してしまったのだ。
“bS”は動けない。
 背後を取られ、肩を掴まれ、何より足元に“水”。首筋にナイフを当てられている以上にまずい状況である。
 特に“水”に触れているのは、すでに攻撃されているようなものだ。脈や心音まで伝わっているのも“水”のせいである。温度か反響か、もしかしたら振動か。そこまではわからないが、即席の嘘発見器を仕掛けられていると思えばいい。
 リリアントップクラスの隠密と言われる“宵闇の雨(レイン)”。
 いつかは仕掛けてみたい、単純に力比べがしたい、トップクラスを知りたいと思っていたが、想像以上の凄腕である。

「尾行にはいつ気付きました?」
「質問するのは私。あなたは答えるだけ。おわかり?」

 だろうな、と“bS”は思った。この状況でわざわざ相手の質問に答える理由が、わずかでも情報を与える理由がない。

「でも安心なさい。あなたが私の質問に正直に答えたら、あなたの詮索はせず開放してあげる。もちろん顔も見ない」
「甘いですね」
「もうフリーだからね。そうじゃなければこんなところで問答なんてしないわ」

 さっさと仕留めて邪魔の入らないところに軟禁、後に尋問。そんな一連の流れが手に取るようにわかる。
 というか、だ。

「本当にフリーなんですか?」

 白薔薇勢力解散の報は耳に入っているし、本当らしいという情報も入ってはいるが、それでも信じがたい事実だった。

「あなた暇なの?」
「はい?」
「私は時間が惜しい。つまらない質問に答えているほど暇じゃない。この構図を誰かに見られて困るのもあなた。ほかに質問は?」
「……“レイン”さまの質問は?」
「いい質問だわ」

“bS”は、“宵闇の雨(レイン)”の言動に他意はなさそうだ、というのはわかった。どちらにせよこの状況で取れる行動なんて知れているが。

「誰かの命令で?」

 嘘はつけない。どんなに嘘が上手くても、脈まで取られていては確実にバレる。

「独断です。更にいうなら暗殺目的じゃない」
「じゃあ目的は?」
「あなたが久保栞を追う理由」
「なるほど」

 頭の回転の速い“宵闇の雨(レイン)”は、これだけで様々な推測が立てられるだろう。そしてきっとどれかは“bS”の目的と一致している。

「私が久保栞を調べていることは、どこから知ったの?」
「情報源はあなたの部下……いえ、元部下ですか。昼休みに入ってすぐ、あなたは『ここ最近、学校を休んでいる者』の割り出しを命じましたね?」
「ええ」
「その事実から推測を立てました」
「ふうん……優秀ね。すばらしいわ」

“bS”も、“宵闇の雨(レイン)”とまったく同じ推測を立てていたのだ。
 三薔薇を越える異能使いの台頭、華の名を語る者達と山百合会の関係、そして今朝の久保栞。根拠も証拠も乏しいが、これらの不可解、またはありえないような事象の数々を、孤立した案件ではなく連ねて考えている。
 決定的だったのは今朝のことだ。
 久保栞に襲われた女生徒が保健室に運ばれ、それを追うように三薔薇や山百合会メンバーが保健室に集結した。
 このことが“bS”に、「山百合会と久保栞の関連」を連想させたのだ。
 そして、人間としか思えないような久保栞という思念体を操るなど、既存の異能使いにできることではないと判断し、だから自然と「思念体使い=新たな華の名を語る者」と判断したのだ。
 華の名を語る者の共通点は、連日休みを取っていること。
 このタイミングでそれを調べた“宵闇の雨(レイン)”が、久保栞を探す以外の目的でそれを調べ、動くとは思えなかった。

「追いかけるだけでわかると思ったの?」
「偶然なんですよ。本当は」
「偶然?」

 仲間内で非合法会議の始まる前に、“宵闇の雨(レイン)”の部下の動きを察知した“bS”は、色々考えた末に久保栞を追いかけようとした。
 その矢先に、偶然“宵闇の雨(レイン)”を発見してしまったのだ。
 独自に調査し動くより、きっと“宵闇の雨(レイン)”を追いかけた方が早く久保栞に辿り付ける――そう判断したから尾行を開始した。個人的なトップクラスへの興味も手伝って。

「もう一度聞きます。あなたが久保栞を追う理由は?」

“bS”の危惧は、有望優秀な思念体使いのスカウト――“宵闇の雨(レイン)”が新勢力を立ち上げたり、他勢力に所属したりの、紅薔薇勢力にとって邪魔になる動向全てだ。
 優秀な人材は押さえるのが定石。そしてそれは早く発見すればするほど可能性は高くなる。押さえられないにしてもマークくらいは付けておかないと、思念体使い本人の意向も心配だ。何せ華の名を語る者は、山百合会の――三薔薇の敵だ。
 質問はしたものの答えが返ってくるとは思っていなかった“bS”だが、意外にも答えはやってきた。

「頼まれたから」

“宵闇の雨(レイン)”の手が、肩からはずれた。
 しかも。

「それも白薔薇にね」

“bS”のすぐ真横を通り過ぎ、そのまま追い越していった。

「――信じる信じないは任せるわ」

 一度だけ後ろ手に手を振って、振り向くことなく行ってしまった。
 呆然と見送る“bS”は、

「……すごい」

 思わず呟いた。
 技術や腕っ節ではない。潔さとでもいうのか、それとも……そう、誇り高いと言うべきなのだろう。“bS”が答えられることだけ質問し、必要な情報を引き出したら即座に開放した。「顔を見ない、詮索しない」という約束を果たして。生かしたところで自分には何の利益もないのに。
 そして、さらりと“bS”の知りたいことを漏らしていった。きっと「今は本当にフリーだから話すよ」という、最初の質問にも答えている。
 最後の情報は、きっと真実だ。白薔薇・佐藤聖の依頼で動いているのだろう。

(あの人、これからどうするんだろう)

 絶対に敵に回したくないと思った。
 白薔薇勢力幹部などという目立つポジションにいたから、まだよかったのだ。目立つだけに情報なんてどうとでも入ってくる。立場上勢力のしがらみで取れない行動もあった。なのに今現在はフリーで、どうしても完全に動向を追うことはできない。

(“氷女”もそうだけど、大変な人が野放しになったわ……)

 本人に聞かれたら「私は猛獣か」とでも言われそうな失礼なことを考えつつ、“bS”は踵を返した。
 尾行は失敗だ。これ以上続けることはできない。
 歩きながらポケットに手を突っ込む。取り出したのはウズラの卵のような小さなもので、黄色と黒のストライプ。
 ――“通信機”である。
 デザインは蜂の腹を模したもので、正直あまり持っていたくない物質だ。……モチーフを知らなければ意外と悪くないが。

「“蜂”、聴こえる?」

 この“通信機”はトランシーバーのようなもので、紅薔薇勢力二年生長“送信蜂(ワーク・ビー)”の能力の一つ。多目的ではなく“送信蜂(ワーク・ビー)”専用。彼女はもちろん戦闘も強いが、情報系の活動にも長けている。

「何かあった?」

 返事があった。どうやら今は話せる状況のようだ。
“bS”は、話が長くなるので接触したことは割愛し、“宵闇の雨(レイン)”が久保栞を探す理由のみを報告する。

「わかった。それで、あなたはこれからどうするの?」
「久保栞を追う、と言いたいところだけれど、もうやめておく」

 さすがにもう一度“宵闇の雨(レイン)”とかち合ったら、向こうは容赦しない気がする。運良く一度は助かったし、収穫もあったのだ。実力で遅れはとっても引き際くらいはわきまえねば。

「なら“契約書”?」
「ええ」

 明日から本格的に動く者は多いだろう。紅薔薇勢力の主立った連中の動きを見ても、明日からが本番と考えている節がある。
 だが、誰が所持しているかくらいは常にマークしておきたい。いつ所持者が動いても不思議じゃないのだ。その監視の目の一つとして加わってもいいだろう。

「ちなみに“ヨンさま”、あなた今どこ?」
「三階」
「ならいいわ。昼休みは待機して」
「……待機?」

 予想外の言葉に、“bS”の足が止まる。

「“鍔鳴”が仕掛けそう」
「え?」

 まさか、と思い、しかしすぐ考えを改める。
 それは充分ありえる。“鍔鳴”はあまり勢力を意識しない。戦況も読まない。

「暗部のあなたじゃ助っ人は無理でしょう? だから――」

 言葉全てを聞く前に、“bS”は近くにいた一般生徒二名を両肩に抱えて全力で走り出した。

 背筋が凍りつくような殺気が、
 真下から、
 足元から、
 まるで獲物を捕らえる蟻地獄のように広がったからだ。

 1秒後、“bS”がいた廊下が、爆音とともに瓦解し、舞い上がる。

 崩れ、傾ぎ、重量を噛まなくなった不安定な足場を“bS”は走り抜ける。爆風にゆがみ窓ガラスが砕け散り、どこからか悲鳴が上がる。
 この恐ろしいまでの殺気と、場所を選ばない派手な破壊っぷりは――

(“銃乙女(ガン・ヴァルキリー)”!? まさか“鍔鳴”の相手って……!)

“bS”は安全と判断した場所に担いだ荷物を置くと、呆然として何が起こったのかわかっていない二人を置いてまた走る。――冷たいようだが“bS”は暗殺部隊所属、表立って“鍔鳴”の味方はできない。それどころか近くにいて巻き込まれるのも避けなければならない。というか、いるだけでは“鍔鳴”の邪魔になるだろう。
 だが、どこかで見守るつもりではある。
 手を貸すことはできないが、応援する気持ちだけはあったから。




 言葉はいらなかった。
 二階廊下の窓際である。島津由乃と“紅蓮の魔犬(ケルベロス)”との一戦を見守った三名――黄薔薇勢力総統“銃乙女(ガン・ヴァルキリー)”と“複製する狐(コピーフォックス)”、そして紅薔薇勢力遊撃隊隊長“鍔鳴”は、観戦だけで思いっきり火が点いてしまっていた。
 たった十数秒の激闘だった。
 だが、とても良い一戦だった。
 どんな死闘も熱いが、様々な思い入れのせいだろうか、どんな死闘よりも熱かった。
 あの一戦を見て燃えない戦闘狂はいない。

 闘いたい。
 闘争本能に火が点いてしまった。

“銃乙女(ガン・ヴァルキリー)”と“鍔鳴”は、目を合わせた瞬間から、始めてしまった。

  ギッ

 金属が軋む。瞬時に抜かれた刀身を、“銃乙女(ガン・ヴァルキリー)”はハンドガンのグリップで受けたのだ。
 神速の居合いと、まるで来ることがわかっていたかのような超速の具現化速度。
 ただし、“銃乙女(ガン・ヴァルキリー)”は両手がある。
 右手で受けると同時に、“鍔鳴”の額には左手のハンドガンが突きつけられていた。躊躇いなく引き金が引かれる――が、“鍔鳴”は身を低くしてかわす。
 そして――

「おっ」
「ちょ、」

 ほんのわずかしかない二人の間に、“複製する狐(コピーフォックス)”は無理やりに近いほど、だが決して触れないギリギリの隙間に己の身体をねじ込んできた。

「ちょいと拝借」

 擦れ違いに舌を出し、素通りしてそのまま空いた窓から外へ飛び出した。
 二人は不可解な動きの“複製する狐(コピーフォックス)”を目で追い――ようやく何をしたのかを悟る。
 こちらを向きながら宙に身体を泳がせる彼女は、笑いながら咥えていた。
“銃乙女(ガン・ヴァルキリー)”の持っていた“契約書”の紐を。
 今の一瞬で、黄薔薇勢力総統という絶対強者から奪い取ったのだ。それも簡単に。
 そして彼女は、まるで重力が反転したかのように逆さになりながら、印を結んでいる。

「――“光”」

“複製する狐(コピーフォックス)”が呟くと、殴りつけると表したい乱暴で強烈な“光”が、印を結ぶ手から発され、二人を飲み込んだ。
 ――しかし直視していない。完全に何が起こったのかを認識していないのに、顔を背けて光速の暴力をかわす。大した反応速度である。

「“狐”えええええぇぇぇぇぇ!!」

 何が起こったのか認識し、“銃乙女(ガン・ヴァルキリー)”が激怒の咆哮を上げるその時には、当然のように“複製する狐(コピーフォックス)”は消えていた。
 追いかけても無駄だろう。
“複製する狐(コピーフォックス)”の逃走スキルは相当なものだ。たぶん黄薔薇勢力の半分くらいを費やしても煙に巻く。奴の曲者ぶりは“銃乙女(ガン・ヴァルキリー)”もよく知っている。

「くそっ!」

“銃乙女(ガン・ヴァルキリー)”は怒りに任せて壁を殴った。見事にへこんだ。――それは屈辱だろう。いくら不意打ちでも、意識外だったとしても、戦闘モード中に奪われたのだ。強さだけでトップクラスに上り詰めたような“銃乙女(ガン・ヴァルキリー)”には絶対に許されない失態である。
 もし表面上でも勢力解散していなければ、確実に汚点として残っただろう、それくらいの大失態だった。

 ――そして一見無関係に思える“鍔鳴”も、実は無関係ではない。
 あのタイミングの割り込み。
 気配が読めないというより、“鍔鳴”と“銃乙女(ガン・ヴァルキリー)”が激しくぶつけ合う闘気の流れに乗った、この場に在る当人達の誰よりも自然な動きをやってのけたのだと思う。たとえば風が吹く、砂が舞い上がる、空気が流れる、そんな「ない方がおかしい」というレベルで自然に。
 それに、何よりの屈辱は、「もし“複製する狐(コピーフォックス)”が“契約書”を奪うだけの素通りじゃなくて、攻撃を加える気があったら」だ。
 もし“複製する狐(コピーフォックス)”にその気があったとすれば、今頃は二人ともここに倒れていたかもしれない。彼女も有名な二つ名持ち、一撃必殺くらい必ず持っている。
 あれで情報屋なのである。
 決して武闘派ではないのである。
 無所属の二つ名持ちは、本当に恐ろしい人材がゴロゴロしている。
 特に、無所属最強説のある“図書室の守護者”こと“鴉”。

(“鴉”さんに至ってはたぶん私より強いしな……)

 まだ闘ったことはないが、闘っている姿を見たことはある。あれは下手をすれば三勢力総統に並ぶと思う。
 まあ、いい。
“鍔鳴”はまだ二年生で、自身がまだまだ伸びることを確信している。勝ちたい猛者はたくさんいるが、卒業までに倒せればそれでいい。

 怒りに燃える“銃乙女(ガン・ヴァルキリー)”の瞳が、見た目は平然としている(でも内心かなり渋い顔をしている)“鍔鳴”を捉えた。

「八つ当たりだけど?」

“鍔鳴”は頷き、即答した。

「いいですよ」

 お互い、闘う理由がなくなったことはわかっている。
 この場に“契約書”がない以上、やり合う必要もない。効率と今後のことを考えても闘うべきではないのもわかっている。
 しかしそれでも、お互い引かなかった。

 このまま何事もなく別れるには、腹の虫が収まらないから。

“銃乙女(ガン・ヴァルキリー)”の具現化した“ミサイル”が飛び、その全てを“鍔鳴”の刃が断ち斬り、流れ弾が天井――三階の廊下を、破壊した。
 そんな開戦合図の狼煙が上がり、理由のない死闘が始まった。




 三階廊下が爆破された頃。
 紅薔薇・水野蓉子と白薔薇・佐藤聖は、ミルクホールで爆音を聴いていた。地響きに揺れ、辺りは騒然となるも、二人は平然としていた。

「あれは“銃マニア”かな?」
「なんで校舎内で爆弾とか使うのかしら。危険にも程があるわ」
「あれで校舎内では遠慮してるつもりらしいよ。本人」
「え? 本当?」
「私も冗談かと思ったんだけどね。でも残念ながら本人は本気みたい」

 二人は思いっきり雑談しながら、学食の列が進むのを待っている――黙っていても道は空くのだが、「ちゃんと並ぶから」という蓉子の主張が通ってこの有様だ。だがしかし、順番を守るとかルールを守るとかそういうのはいいから早く要件を済ませて去ってほしい、というのが目覚めていない生徒一同の願いだったりする。やや遠巻きになっているのはご愛嬌だ。
 不思議なもので。
 リリアンの天下を三分する将の二つ、敵対しているはずの三人の内の二人が、ともすれば友達なんじゃないかという和やかなムードで横に並び、昼食を共にしようとしている。それも、その様が不思議と不自然に見えないのだから、やはり不思議である。
 ――この辺の関係は、いつか福沢祐巳が疑問に思った「敵対しているのに信頼関係が成り立っている」からだ。己と相手の薔薇の名と、誇りにかけて。倒すと決めれば、闘うと決めれば不意打ちや騙し討ち、その他姑息な手など使わない。使う理由もない。そう確信しているからだ。

「ねー蓉子、何食べるの?」
「名前で呼ばないでよ」

 なんだかんだで中等部時代からの付き合いである。馴れ合うつもりはないが、心底嫌っているわけでも恨みがあるわけでもない。まあ、細々と小言を言いたいことならたくさんあるが。

「……というか、やっぱり食べちゃダメな気がするわ」

 蓉子は真面目なので、昼食を食べることはほとんどない。紅薔薇として、山百合会として、いつでも闘えるように。食べたらどうしても動きが鈍る。勢力が解散している今ならなおのことだ。
“契約書”争奪戦には、明日から積極的に参加するつもりだ。確かめたわけではないが、きっと聖もこのまま黙っているつもりはないだろう。黄薔薇・鳥居江利子もまだまだ大人しいが、そろそろ研ぎ澄ました爪を光らせるだろう。

「私は食べるぞ」
「食べなさいよ」

 そのために蓉子は聖に付き合ってここにいる。
 聖は、異能使いには珍しくない「食事で回復力が増すタイプ」である。正確にはカロリーを摂取することで身体の調子が上がる。今朝の激闘で消耗した身体は、さぞかし燃料を待っていることだろう。
 しかし今聖は、誰に襲われても不思議じゃない状態にある。特に食事中は隙だらけになるし、食後は動きが鈍る。
 勢力に見捨てられたかわいそうなライバルのために、蓉子はボディガードを務めているのだ。無論、どちらもそのことはわかっていても決して言わないが。
 恩着せがましく言わないのも薔薇の誇りで、よその薔薇に弱みを見せないのも薔薇の誇りである。
 結局蓉子はジュースだけ、聖は日替わり定食大盛りを注文した。
 空いたテーブルに着いて、「ブルマってなんで廃れたと思う?」「は?」「国の失策だよね。あれこそ後世に伝えるべき文化だったよね」「あなたみたいなヘンタイが増加するから徐々に淘汰されたんじゃない?」「ふっ。蓉子も好きなくせに」「……付き合い長いけれど、私、あなたのことが未だによくわからないわ」とどうでもいい話をする。遠慮なく白飯を頬張る聖を、腹を空かせた蓉子がじっと見詰めながら。どうやら聖は食事をガン見されても居心地が悪くならないタイプらしい。
 話は終始、カラーバリエーションの豊富さに次世代ブルマの明るい可能性を見出す熱い主張と、日焼けしてるかしてないかの二派閥で永遠の討論を繰り広げる腹チラのことに偏り、蓉子が「私なんでこんなのに付き合ってるんだろう」と眉間にしわを寄せっぱなしになった頃、紅薔薇勢力の隠密の一人が蓉子の傍に近付く。

「伝言が」

 言葉少なに告げ、持ってきた情報を蓉子に耳打ちする。

「厄介事?」
「そうみたい」

 と、蓉子は立ち上がる。隠密はもう去っていた。

「外すわ」
「わかった」

 わずかな沈黙を挟んで、蓉子は歩き出した。

 最後に交わした視線は「大丈夫?」と「大丈夫」。
 弱っていても、佐藤聖は"白き穢れた邪華"の名を継ぐ者である。そう簡単にやられはしないだろう。




 貰った伝言は「体育館裏で待つ」、ただそれだけだった。
 誰が、とは聞かなかった。言わなかった以上、隠密も知らないのだ。
 ここで重要なのは一点のみ。
 紅薔薇としての水野蓉子に、その伝言が回ってきたことだ。
 蓉子は、個人的な挑戦を結構受けることで有名だった。一学期では分不相応、実力不足の一年生の挑戦さえ勝負を受けていた――勢力側の威圧もあって4月が終わる頃にはいなくなったが。
 佐藤聖も鳥居江利子も、歴代三薔薇も、薔薇としてのスタンスはバラバラである。大まかには多すぎる挑戦者を勢力が勝手に処理する、という形が取られるものの、今は一時的ながら勢力は解散している。
 まあとにかく、紅薔薇として、蓉子は挑戦を受ける。それだけである。
 だが、今というのが解せない。
 今は争奪戦中。紅薔薇と勝負なんていつでもできることではなく、“契約書”を狙うべきだろう。――もっとも、それを度外視するほど蓉子に執着し、蓉子との勝負を渇望する者なら、話は別だが。そういうのもいなくはない。
 しかし、執着するなら「名前がない」というのが引っかかる。知っている知っていないに関わらず、誰かくらいは言付けるものだ
 勝負を望む者ならば、だが。
 だからこそ、無視しても構わないような無礼な名無しの伝言でも、こうして乗る気になったのだ。

(勝負が目的じゃないかもな)

 だとすれば、いったい誰が蓉子に会いたがっているのか。何の用事があるのか。
 真っ先に思い浮かぶとすれば――

  ブン

「あら」

“そこ”に踏み込んだ瞬間、虫の羽音のようなかすかな振動を感じた。
 気がつけば、世界が灰色に――彩を失っていた。
 どうやら“結界”に踏み込んだようだ。有効範囲はわからないが、恐らくは蓉子を呼び出した「体育館裏で待つ者」が仕掛けたものだろう。

(たぶん“人払い”ね)

 今朝、体育館内に仕掛けられた“封鎖”のようなものだ。能力を封じられたり身体に不調が出たりということはない。ただ限られた人だけ、この“空間”に踏み込める。そういう類のものだろう。
 動かない世界、灰色の世界を、蓉子はただ一人色を持つ者として進んでいく。
 何気なく歩いているようで隙はないし、気を張っていないようで周囲を警戒している。見る者が見れば、歩き方一つ取っても蓉子の比類なき実力が伺えた。
 約束の体育館裏にたどり着く。
 そこには――

「……どういうことよ」

 いやがらせなのかなんなのか、そこには誰もいなかった。
 随分と幼稚なやり方でコケにされたものである。腹が立つより呆れてしまった。

「お待ちしていました」
「ん?」

 背後からの声に蓉子は振り返った。
 そして、驚いた。

「……」
「……どうかしましたか?」
「いや。会いたいな、と思っていた相手が現れたから、驚いちゃって」

 感じなかった気配。
 誰もいないことを確信していた周囲。
 しかし今は、気配も感じるし、こんな異常な空間にいながら生命の息吹も感じられた。

 ――目の前にいるのは、いつか見た、あの久保栞だった。

 白い制服。慈愛に満ちた瞳。呼吸に合わせて揺れるサラサラの髪は美しい。
 どう見ても人間だった。
 だが、妹の小笠原祥子が言った通り、これでも思念体なのだろう。蓉子の感覚が正しければ、彼女はいきなりそこに現れたのだから。“瞬間移動”で現れたという可能性もあるが、ここは妹の報告を信じたい。

「あなたは久保栞さん?」
「いいえ」

 すんなり認めたものである。やはり思念体のようだ。信じがたいほど精巧な。

「まず、このような形でお呼び立てしたことを謝罪し、感謝します。名前も名乗らない不躾な願いを聞き入れていただきありがとうございます」
「別に今名乗ってくれても構わないけれど?」
「――もう一つ。“本体”ではなく“私”が会いに来たことも謝罪します。本来なら直接会うべきなのでしょうけれど、理由があって会えません」

“本体”。ある程度は推測を立てているだろう、ということを察しているらしい。

「私は……そうですね、“桜草”とでも名乗りましょうか」
「私の前でよく名乗ったわね」
「便宜上仕方ないと思ってください」

 二つ名はなく、まだ本名も名乗れず、今いる華の名を語る者と無関係ではない。だから便宜上華の名を名乗ったのだろう。もしかしたら久保栞とは関係ないことも意味に含まれているのかもしれない。

「水野蓉子さん。あなたをお呼びしたのは他でもありません」

 生きているとしか思えない久保栞が、強い意志を持って蓉子を見据えた。

「あなたに女帝になっていただきたいのです」
「……どういうこと?」

 さすがに話が読めない蓉子に、“桜草”は語った。

「私は現状を憂いています。弱いから虐げられる、そんなことはあってはならない。人は等しく生きる権利を持っています。一方的な犠牲者なんて存在してはいけない。
 私は、あなたならば、このリリアンを変えてくれると思いました。あなたが頂点に立てば、きっと正しい道に導ける。
 そう考えたからあなたの前に現れました。――本当は私が頂点に立ちたかったのですが、いきなり出てきた私より、皆に知られているあなたの方が、より確実で速いとも判断しました」

 なるほど、と蓉子は頷く。

「で、話を飲むならあなたが手伝ってくれる、と」
「微力ながら尽くします」
「……そう」

 蓉子は腕を組み、目を伏せた。
 言っていることはわかる。というか女帝や導く云々を除けば蓉子と考え方は似ている。
 リリアンを正常に。
 目覚めていない者にも等しく権利を。
 ただ虐げられるだけの存在などあってはならない。
“桜草”の言葉には蓉子も同意できる。
 ただ、悩むまでもなく、答えは最初から決まっていた。

「ごめんなさい。その提案は受け入れられない」

“桜草”の表情が目に見えて曇った。かわいそうなくらいに。

「なぜですか? あなたもその力を正しいことに使わないのですか?」

 幻滅。後悔。悲哀。そんな感情が見える。

「うーん……なんていうか」

 蓉子は自分の手を見た。

「女帝になってリリアンを変えたい。正しい状態にしたい。それが“桜草”さんの意見よね?」
「はい」

 迷いなく頷く“桜草”を、今度は蓉子が見据えた。

「それって今とどう違うの?」
「……どう、とは?」
「女帝になる。リリアン最強の力を得る。その力を使って、その力を駆使して、リリアンを変える。――そうじゃないでしょう? 力を使って道を正すなんて、それこそ『力こそ正義』の象徴じゃない。
 それともあなたは、あなたこそ、大儀のために民を捨てる暴君なわけ? 大事の前の小事には目を瞑るの?」
「……」
「本当にリリアンを変えたいなら方法を選びなさい。力ずくじゃダメなのよ。絶対にね」

 蓉子の言葉は、“桜草”に重く響いた。
 そう、いつの間にか、自らも嫌悪するルールに沿って動いていた。
 ある程度は仕方ないと思う。奇麗事だけで何かを成せるなんて思わない。両手を血で染める覚悟ももうしている。
 だが、蓉子の言う通りだった。
 正しいことを貫く力は必要だが、正しいことを強いる力の使い方は、間違っている。強制していいものではない。思想ならばなおさらだ。

「……それでも」
「それでも?」
「たとえ暴君と呼ばれても、大のために小を切り捨てたとしても、多少の犠牲を払ってでもリリアンを変えたいと言ったら?」

 蓉子は笑った。

「逆ね。それくらい言わなかったら今ここで叩き潰しているわ。あなたは華の名を語ったのだから」

 華の名を語ること。
 それには、実力はなくとも山百合会と対等である、対等でありたいという願いが込められている。
 山百合会はリリアンを支配する実力主義の象徴のようなもので、狂った正義を執行する最強の組織――傍目には悪そのもの、狂ったルールそのもののように見られている。
 実際は違うが、そんなことはどうでもいい。

「さっき言ったのは、あくまでも私の考えよ。汚名が広がろうが罵声を浴びようが、あなたはあなたの華の名に誇りを持ち、あなたの正義を貫きなさい。
 力でリリアンを変える? 女帝になって頂点に立つ? 結構じゃない。何もせず最初から諦めている人より私は評価するわよ。華の名を語るなら汚れ役も嫌われ役もやりなさい。あなたの正義のために」

 我ながらお節介だと、蓉子は自覚していた。
 だからここまでだ。
 これ以上はもう言わない。

「……あなたと会えてよかった。これで私は、本当に迷わず覇道を行くことができる。最強を目指すことができる」
「目指すのは勝手だけれど、行かせる気はないわよ」

 蓉子は“桜草”に背を向ける。これで話は終わりだ――

 と、思ったのだが。




「待ってください」

 ゆったりした口調に反し、敵意が微塵もないそれに反し、言葉は闘気をまとっていた。

「時間をいただいたついでに、紅薔薇の強さを少しだけ見せていただけませんか?」

 ――断っても襲い掛かってきそうなくらいに、その声と気配には迷いはなかった。

「構わないわよ」

 さっきもこんなことあったな、と思いながら蓉子は今一度振り返り、

「こういうパターンも考え……て……」

 今度は、言葉を失うくらい驚いた。
 こういうパターンは考えていなかったから。




 振り返った先に、“桜草”が群生していた。
 そっくりそのまま生き写し、コピー、ドッペルゲンガーな久保栞の大群がいた。

「聞かれる前に答えます――49人です」

 1対49。
 常勝無敗で経験豊富な"紅に染まりし邪華"水野蓉子でも、さすがに経験のない大人数だった。




















(コメント)
海風 >やっと投稿できた……すみません、ついにこの夏ポケモンに手を出しちゃって……一目で気に入ったコジョフーがあんなわけわからんひらひらに進化するなんて思わなくてっ……………………まあ強いんですけどねw 次の話もできるだけ早めに投稿できたらいいなと思っています。がんばります。(No.20138 2011-08-19 09:31:26)
オリビア >質問なのですが、“宵闇の雨(レイン)”が「占い系異能を行使しての指針の決定」を任せた、ということは占い系は能力を知っている鴉のことでしょうか?雪の下が占いをできると“宵闇の雨(レイン)”は知っていたとは思えないのでひっ掛ってしまいました。(No.20139 2011-08-19 12:46:39)
名前 >情報がなく占いくらいでしか、探せない状況なら占いが出来る人に頼む(この世界では鉄板?)と、レインと推測していただけだけで、鴉が誰に頼むかは想定していなかったのでは?と推定しましたがどうでしょうかw(No.20141 2011-08-20 02:18:54)
えろち >なんというか、、、 相変わらず賛辞の言葉が見つかりません。 それぞれのキャラが立ちまくってます。ルルニャンの時以上に 次のお話も期待してます。(No.20142 2011-08-21 06:14:57)
海風 >もう答えが出ているのでいらないような気がしますが…… オリビアさん>名前さんのおっしゃる通りです。レインの推測では、たぶんどっかの占い使いに頼るだろうな、と。雪の下のことは接触する、またはしたことさえ知りません。すみません、伝わりづらかったですか? 文法的におかしいところもあると思うので……orz  名前さん>正直私の返答が必要か、ってくらいその通りですw ちなみに追記するなら、三年生の克己さんたちくらい有名な占い能力者は、三年生ならともかく二年生以下は要予約です。個人的な貸し借りを除いて、三年生の有名人のコネか依頼がないと優先してくれません。そんな感じです。 えろちさん>キャラ立ってますか? できるだけ書き分けてるつもりなのでよかったですw もう少しだけ続くと思うので、ちょっとだけ長い目で待っていただけると……すみませんorz(No.20143 2011-08-21 12:13:25)
砂森 月 >竜胆が可愛すぎて妹にしたい(マテ。にしてもこれだけの人数をきっちり書き分けられるのは本当に凄いと思います。しかも面白いし。続きはのんびり待ちますのでご心配なくー。(No.20145 2011-08-23 04:48:02)
ピンクマン >「わからにゃいよ」→腹筋崩壊のお知らせ(No.20146 2011-08-23 15:26:20)

[5]コメント投稿
名前
本文
パス
文字色

簡易投票
   


記事編集
キー

コメント削除
No.
キー


[6]前  [7]
[8]最新リスト
[0]入口へ戻る
ページ上部へ