【1018】 乃梨子の憂鬱だった思いの始まり  (まつのめ 2006-01-05 21:05:36)


性懲りも無く、志摩子のそっくりさんシリーズです。
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→(第二部 開始)



「じゃあ、あとはお願いしますね」
「うん、任せて」
 乃梨子が頼まれた書類の整理をしていると志摩子さんと祐巳さまのそんな会話が聞こえてきた。
 何のこと? と思って顔を上げて志摩子さんの方を見ると、なんと鞄を持って帰る支度をしているではないか。
「え? 志摩子さん、もう帰っちゃうの?」
「乃梨子ちゃん、また『志摩子さん』になってるわよ?」
 隣で仕事をしていた由乃さまからそうツッコミが入った。
「あ、お姉さま……」
「ええ、ごめんなさい。今日は約束があるので」
「そうなんだ……」
 乃梨子はなにも聞いてなかった。
 それは、志摩子さんの行動を全て把握しているわけではないのだけど、なんか今になって急に言われるとなんかなーって思ってしまう。
「じゃあ、ごきげんよう」
「あ、私も」
「待ちなさい、仕事ほっぽって帰る気?」
 立ち上がった乃梨子のスカートを由乃さまががしっかり掴んでいた。
「帰りません。戻ってきますってば」
「……ならいいわ」
 そう言って由乃さまは掴んでいた手を開放した。
 仕事に関しては基本的に各自の分担は各自が責任を持って終えることになっている。
 だから乃梨子が帰ったところで由乃さまの仕事が増えるわけではないのだけど、自分が忙しく仕事をしているのに隣で仕事をしていた乃梨子が急に帰ってしまうのは面白くないのであろう。


「志摩子さん!」
 乃梨子は校舎に向かう志摩子さんに追いついて声をかけた。
「あら、どうしたの?」
「えっと、そこまでお見送り」
 そう言うと志摩子さんは「あら」といって微笑んだ。
「ごめんなさいね。乃梨子には言いそびれてしまって」
「ううん、今日は最初に会ったのさっきだったし、志摩子さんのお家の用事だったら仕方が無いよ」
 そういうと志摩子さんは何故か目をちょっと見開いて乃梨子を見つめた。
「乃梨子」
「え、なあに?」
「お家の用事じゃないのよ」
「え?」
 じゃあ何?
「今日は人と会う約束なの」
「人と?」
「ええ、乃梨子も知ってる人よ」
 知ってる人?
 誰だろう。
 タクヤ君かな? とか一瞬思ったけど、もしそうならタクヤ君からメールくらいあるだろう。
 第一タクヤ君が乃梨子抜きで「お家の用事じゃない」のに会うというのは考えにくい。
「校門まで一緒に行きましょう」
「え」
 誰だろうかと考えているうちに二人は下足室まで来てしまった。
「履き替えてらっしゃい、待ってるから」
「あ、うん」

 乃梨子が自分の下駄箱の所まで回って外に出ると志摩子さんはちょうど校舎を出たところで待っていてくれた。
「えっと……」
 気になるのだけど、乃梨子のほうから「誰に会うの?」と聞きにくくて、結局、校門までのあいだ「銀杏の木の雌雄」について志摩子さんと大いに意見交換することになってしまった。
 ちなみに、志摩子さんは校内の銀杏の木の雌雄は全て把握しているそうだ。

 校門まで後少し。
 やはり聞かないで悶々と週末を過ごすより、『聞くは一時の恥』。
 話題が途切れたところで乃梨子は結局、聞いてみた。
「ねえ、志摩子さん、今日は誰と会うの?」
「うふふ」
 でも志摩子さんは微笑むだけ。
 言いたくないような人なのかな?
 と思ったら、校門に差し掛かったところで、その乃梨子の疑問は解けた。
「あー、志摩子さん!」
「朝姫さん、お待たせしました」
 校門の外側で待っていたのは朝姫さんだった。
 確かに朝姫さんなら乃梨子も知り合いだし、急いでいたのはここで待ち合わせだったかららしい。


「待ってないよ。むしろ早すぎ」
「あら」
「もう、もう少し待って志摩子さんと間違えられたりしたかったのに」
 朝姫さんはこんなこと言ってる。
「それはすまない事をしたわ。 でしたら私は隠れてますから、もう少し待ってみますか?」
「うーんそれも面白そうだけど……」
 いつのまにそんなに親密になったのか、登場していきなりぽんぽんと志摩子さんと言葉を交わす朝姫さん。
「あの……」
 会話に乗り遅れた感のある乃梨子は、「どこに隠れようかしら」なんて志摩子さんがあたりを見回しはじめたところでようやく声を出して会話に参加した。
「あー、乃梨子さんもおひさー」
 そう言って朝姫さんは乃梨子にむかって微笑みかけた。
 相変わらず志摩子さんそっくりで乃梨子にとっては違和感ありまくりなのだけど。
「お久しぶりです、朝姫さん」
 今日の朝姫さん、なんか前会った時よりハイテンションだ。
 なんかまだ隠れようと朝姫さんの後ろに回ったりしてた志摩子さんは、乃梨子が挨拶すると朝姫さんの後ろから乃梨子の見える位置まで出てきて言った。
「あの、朝姫さん」
「はい?」
「今日は、どうしますか?」
「あ、あの話? うーん、いいのかな」
「でも、用意はしていらしたのでしょう?」
「あ、うん、一応……」
 何の話だろう?
 でも。
「あの、もしかして……」
 乃梨子は恐る恐る話しかけた。
「うん? なあに、乃梨子さん」
 今の『用意はして来た』という話とあわせて、校門を出て朝姫さんを見てからずっと、すっごく気になって仕方がない物を朝姫さんが持っていた。
「その、まるでお泊りに行くような大きなカバンと関係のある話ですか?」
 そうなのだ。 朝姫さんが背負ってるのは、ちょうど一泊分の着替えを入れるのに丁度良いような、大き目のショルダーバッグだった。
「『ような』じゃなくて、お泊りなんだけど?」
「ええっ!?」
 聞いてないよ?
 というかいつの間に志摩子さんと朝姫さんがそんな親密な仲に?
「実はね、この前会ってから、次は何処でお会いしましょうかって話になって……」
 お泊りと聞いて少なからずショックな乃梨子とは対称的に、志摩子さんはとても穏やかに話してくれた。

 ちょっと前に志摩子さんが一人で朝姫さんに会いに行ったことは記憶に新しい。
 なんでも朝姫さんが先代の白薔薇さまに捕まったとかで、何が起こったのか確認しに会って来たんだそうだ。
 でも、そのことを志摩子さんは「たいした事じゃないから」と、なかなか話してくれなかった。
 べつに好奇心くらい持っててもいいのに、志摩子さんは『理由も無く知りたがってた』ことを恥じていたみたいだ。

「いやあ、いきなり『私の家はどうですか』だもんね」
 朝姫さんはそう言った。
 その場所を決める段になって、志摩子さんの方から家に来てはどうかと言ったとか。
「両親にね、『お医者様に姉妹に間違われた』っていうお話をしたら『是非お会いしたい』って」
 志摩子さんはちょっと苦笑い。
「それで、折角だから週末に泊まってもらったらって……」
「……親父さんが?」
「ええ」
 やっぱり。
 そりゃ、それだけ似てるって言われたら会いたくもなるだろうけど、でもいきなり『泊まれ』なんて行き過ぎでは?
「困った親父さんですね……」
「恥ずかしいわ」
「でまあ、お泊りはどうするか判らないけど、ヒマだし志摩子さんって面白いし、お言葉に甘えてお家には伺っちゃおうってわけなの」
「朝姫さんったら」
「はぁ……」
 「面白い」といわれて何故か照れてる志摩子さんを見ながら乃梨子はため息に近い相槌をうった。
 朝姫さんは「一応」とか「いいのかな」なんて言ってるけど、用意をして志摩子さんの家に行った時点でお泊りはほぼ確定でしょうに。

 ぽわんとした姉に話好きな妹。
 こうして志摩子さんと朝姫さんが並んで話しているのを見ると、表情や纏っている雰囲気は違えど、やはり『仲の良い姉妹』にしか見えなかった。

 でも――。

 『乃梨子も来る?』

 そんな言葉を乃梨子は待っていた。

 『え? いいの?』

 そして黙っていれば志摩子さんはそんなことは決して言わないことも判っていた。
 それでも、乃梨子が『私も泊まりに行って良い?』と聞けば志摩子さんは困った顔もせずそれを許してくれただろう。

 『もちろんよ。乃梨子も来てくれたら私、嬉しいわ』
 『じゃあ、どうしよう、すぐ戻って……』
 『急がなくてもいいわよ』
 『あ、でも一旦家に帰って用意してくるからさ』
 『そうね、じゃあ、駅についたら連絡して。迎えに行くわ』
 『うん、じゃ、また!』


 バスに乗り込む志摩子さんと朝姫さんの姿を見送りながら。
「はぁっ」
 ため息を一つ。
 その一言をいわないだけの理性と自尊心を自分が持っていることを、乃梨子は悔やんだ。





(→【No:1027】)


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