【1019】 いといとし眠る野良猫緑は萌えて  (春霞 2006-01-07 03:27:08)


 麗(うら)らかというには些(いささ)かきつい日差しも、今将に萌え出づる只中にある新緑の木陰に逃げ込めばあっという間にグリーンの万華鏡にに早変わりして目を楽しませてくれる素敵な季節。 

 初夏。 

 なんとなく根拠の無いウキウキした春を経て、無意味に強化されたやる気が、エネルギーを充填 『やってやるぜ、俺は誰の挑戦でも受ける!』 と宣言してしまう初夏。 お嬢様学校のリリアン女学園と言えどそれは例外ではなく。 特に体育会系の部活動では、新入生の適正を見つつ現レギュラーの2、3年生の力を底上げし目前となった大会で少しでも良い成績を上げようと力が入る時期である。 

 それは細川可南子にとっても例外ではなかった。 

 1年時には、大分遅い季節からの中途入部と言う事もあり、またしばらくバスケットボールから離れていた時間を埋める必要もあり。 可南子と言えど即レギュラーと言うわけには行かなかったが。 そこはそれ。 なにしろ素材が違う上に、愛しい方から機会あるごとにエールをいただけば気合も満タン。 ほどなくしてセンターの座(ポジション)は不動のものになった。 
 というより、身長180cm以上の超高校級センターをいかに巧く使って得点をあげるか。 また肉体的にハードなバスケという競技では、同じ選手が試合の全ての時間に出ずっぱりともいかないので、可南子がベンチ下がっている時間にいかに失点を減らし、相手の反撃を押さえ込むかという点に、チーム戦術の重心が移っていた。 

 (もっとも当人は、未だに自分の身長を179cmであると主張していたし。 この春の身体測定後も、どこをどう切り抜けたものか、学園の公式な記録簿には変わる事無く179cmと記載されているのだが。) 

 まあ身長の事は置くにしても、可南子がリリアン女学園バスケットボール部 『わいるど・りりーず』 の名実ともにセンター(中心)に居ることは間違いなかった。 きっと一年前ならば、群れるのは鬱陶しいなどと思っただろうが、いまは沢山の人に囲まれて賑やかなのも素直に楽しむことが出来ている。 3年生の先輩には 『今年こそ4部脱出、下克上!』 と本気で言っている人もいるし。 なにしろ 『可南子ちゃんが居れば出来る。』 という事らしいが、まあ世の中そう甘くも無かろう。 都内4部総勢3百数十校を制した上で、3部48校の一角に食い込もうと言うのだから、気宇壮大な先輩である。 

 それにしても、そういう大風呂敷を、微笑ましく好感を持って受け止めている自分には驚かされるし。 まして、『まあやれるだけはやってみよう』 と思っている自分には、つくづく前向きになったものだと感心したりもする。 
 可南子としては、バスケットボールを思う存分出来る事が楽しく。 勝敗自体は正直どうでも良いと言えばどうでもいいのだが。 まあ普通のスポーツ少女として、そこそこの負けん気は持ち合わせていたし、目前のゲームが始まれば負けたくない・勝ちたいとの欲求も湧くのだから。 まあ、なるようにはなるのだろう。 

 ……と、本人は韜晦して見せてはいるが。 ”最近はテストマッチも含めて試合のたびに 『あの方』 が応援に来て下さるのだから、可南子ちゃんが負けるはずが無いよね” というのが大方の下馬評になっていることを当人だけは知らなかったりする。 

 「……『あの方』、か 」 

 どうやら、休憩時間中にうたた寝をしてしまったらしい。 先週の練習試合のことをつらつら思い出しながら、ゆっくりと意識が浮上してくる。 ああ、あの日も先輩にからかわれたんだった。 『ほ〜ら、可南子ちゃん。 あそこあそこ。 あの方が来てるよ。 嬉しい? ねえ、嬉しい? 』 可南子がぷいとそっぽを向いても、わざわざ正面に回りこんで 『嬉しい? ねえ、嬉しい?』 を続けるのだから、可南子としては開き直って 『もちろんです。 愛する方が応援してくれるのが嬉しくないはずが有りません』 と宣言するほか退路が無い。 

 どうも最近、可南子がこの宣言をやるまで追い詰めるのが、試合前の定番化しつつあるようなのが恐ろしい。 とはいえ、『あの方』 に来るな、とは決していわない。 だって、きてくれるのは嬉しい。 応援してくださるのは本当に本当に嬉しいのだから。 だからといって、試合前にチームメイトに毎度毎度からかわれるのも勘弁して欲しい。 何か良い手は無いものだろうか。 

 「ふう」 いつもの癖で肩にかかる髪を払おうとして、両手が空を切る。 
 ああ、今は髪がかからない長さなんだっけ。 

 これも、可南子の目下の悩みの一つではある。 
 しばらく木漏れ日をぼーっと眺めながら意を決し、バレッタや髪留めやヘアピンを外しにかかる。 やがてバキバキと解かれた品々が、傍らにこんもりと山積みになる頃。 ようやく可南子の緑なす黒髪は、座り込んでいる新緑の芝生の上でばさりとトグロを巻いた。 その長さは今では、腰を通り越してお尻の先に届いている。 早晩膝裏にも到達するだろうというのが、衆目の一致した見解であった。 

 可南子としては、本格的にバスケに復帰したのだし、いっそバッサリとショートにしようかと思った。 思ったのだが出来なかった。 なにしろ 『あの方』 に涙目で 「ダメ、可南子ちゃんはロングじゃなきゃ駄目だよ」 などと言われてしまえば、こちらが悪いわけでもないのに 「ハイ、ご免なさい」 と謝るほかは無い。 しかしバスケにロングヘアは絶対に間違っているはずなのに、何で自分は謝ってしまったのか。 はあ。 

 それからは創意と工夫と苦笑の日々である。 
 初めはポニーテールにしてみた。 無駄だった。 くくった先がばさばさと周囲の顔をなでてゲームにならない。 
 次に三つ編みにしてみた。 これは結構いい感じだった。 三つ編み自身の重さでそれほど跳ね回らないですむし。 でも、ドリブル中にカウンターフェイントからクイックでピボットターンをした時に、宙をうねった三つ編みがディフェンスの顔を強(したた)かにぶっ叩いてパーソナルファウルを取られた。 残り時間は、三つ編みを首にぐるぐる巻きにして試合をした。 凄く恥かしかった。 『あの方』 は可愛いよ、って言ってくれたけど、やっぱり凄く凄く恥かしかった。 私は中国人格闘家ではありません! 
 その次にどんな髪形になったかは言いたくない。 しばらく首の筋肉が痛かった。 

 みんな親切心から色々な髪形を考えてくれる。 ファールを犯さず、私のボディバランスを崩さず、乙女心に適うような髪形。 未だにコレというものは見つかっていないけど。 試合のたびによってたかって新作の髪形にされるけど。 時には練習のときにも(今日みたいに)弄られちゃうけど。 
 ……やっぱり 『あの方』 と膝詰談判しなくちゃ。 ショートとは言わないけど、せめて背中辺りでそろえられれば大分違うんだから。 うるうる攻撃にも負けない、ようにしたいな。 
 、、、あうう、乃梨子さんに立ち会ってもらわないと勝てる気がしない。 

 目を閉じて、ぼんやりと埒も無い事を考える。 こういう時間は好き。 

 遠くに吹奏楽部の金管の音が聞こえる。 

 静かだ。 騒がしい放課後の学園でも、時折こんな心地よい静けさに沈むときがある。 

 そう言えば演劇部の発声は聞こえない。 

 ことり。 

 投げ出した足の上に、覚えのある重みがかかる。 
 私は何も言わない。 
 驚かず、目を閉じたまま、その巻き毛をそっと右手でなでてやる。 
 野良猫は脅かすと逃げていっちゃうからね。 そうっと、そうっと。 

 「だれが野良猫ですか」 
 「あんた」 

 反論は無い。 

 「またぶつかったの?」 
 「……べつに。 いつものことです」 

 さわさわと風が吹き抜けてゆく。 

 「なにが不満なんだか」 
 「不満なんてありませんわ」 

 先日乃梨子さんと共同戦線を張って、瞳子を追い詰め何とか本音の一端を聞き出した。 
 それによると 『大・大・大好き』 なんだそうだ。 
 そして 『不満は無い』 のだと言うなら、結局問題は瞳子の中にあるのか。 

 周りから見れば些細な事でも、当人にとっては死命を決するほどの重大事。 と、言うのは自分自身覚えがある。 であれば、これ以上は何もいえない。 

 「あんた、本当に寂しがりやで甘えん坊よね」 飽くまでも目をつぶったまま。 

 「ふん。丁度、枕によさ気な木偶の棒が転がっていたので、有効に活用して差し上げているのですわ」 ちょっと身じろぎして言う顔は、きっと真赤に染まっているのだろう。 
 「別に寂しくなどありません。」 小さな小さな呟き。 

 颯と風が渡る。 

 新緑をはこぶ薫風。 

 まあ、練習再開までもうしばらく。 このままで居てもいいか。 
 目を閉じて、野良猫を太股の上にのせたまま、私は初夏を渡る風を楽しんでいた。 


------
v1.0:2006/01/23
v1.1:2006/01/24


一つ戻る   一つ進む