乃梨子サイドになります。
第一部【No:505】 No.530 No.548 No.554 No.557 No.574 No.583 No.593 No.656 No.914 No.916 No.918 No.972 【No:980】
第二部【No:1018】→No.1027→No.1033→【No:1037】→これ
話は乃梨子が志摩子さんに『私も行きたい』と言えずに薔薇の館に戻った時まで遡る。
「乃梨子ちゃん、何かあったの?」
薔薇の館に戻り、途中だった書類の整理の続きに取り掛かっていた乃梨子に祐巳さまが話しかけてきた。
「え? いえ別に……」
「なんか仕事が全然進んでいないように見えるんだけど?」
祐巳さまに言われてしまうなんて。
そう。 実は戻ってきてから仕事に全然集中できていなかった。
本当は申請書の内容を読んで分類していかなくてはいけないのに、読んでるつもりでも書いてある内容が全然頭に入ってこないのだ。
あのとき『自分も行きたい』とひとこと言っていれば。
そんな回想が何度も脳裏を駆け巡っていた。
もう過ぎたことだからと、自分を納得させようともした。
でも、そうすると今度は、志摩子さんたちがお家に着いてもまだ乃梨子が行く時間くらいあるから、ちょうど家に着いたころ電話してお願いしたらいいんじゃないか、とか。
いや、そんなことは、なおさら恥ずかしくてできない、とか。
だからやっぱり言えばよかったんだ、とか……。
ぐるぐるぐるぐると堂堂巡りの無限ループ。
かといって、仕事をするために戻ってきたのに進まないからといまさら帰るわけにも行かない。
祐巳さまがまた「ねえ、乃梨子ちゃん?」と、正面の席から心配そうに話し掛けているとき、部屋に祥子さまの声が響いた。
「祐巳」
「はい?」
乃梨子も祐巳さまにつられて祥子さまの方を見た。
「今日はもう終わりにしましょう」
「え? でも……」
「なんだか気分が乗らないのよ。 仕事は必ず今日やらなければいけない程ではないし」
「そう、ですか?」
「そうだわ、駅前の書店に寄りたいのだけど付き合ってくれるかしら?」
「は、はい喜んで!」
いいなあ。 祐巳さま表情が輝いちゃって。
でも祥子さまがそんなこと言い出すなんて珍しいな。 なんて思っていると、今度は由乃さまが。
「あー、私ももうやめた! どうせ令ちゃんがいないと半端になっちゃうし」
承認とかは薔薇さまがやるから、令さまが部活に行って居ない今日はいくらまとまった時間があっても補佐役に出来る範囲しか仕事を進められないということだ。
「そう。 それなら一緒に終わりにしましょう。 乃梨子ちゃんはどう?」
「え?」
残って仕事をしていくかどうか?
それは無理。
一人になったらなおさら悶々と考え込んでしまって仕事どころじゃないに決まってる。
ならば答えは一つだ。
「私も帰ります」
「そう、じゃあ片付けて一緒に帰りましょう」
そして、みんなで後片付けをして一緒に薔薇の館を出た。
由乃さまが「あとから追いつくから」と令さまに帰ることを伝えに行き、残りの三人でそれを待つようにゆっくりと歩き始めていた。
並んで歩く祥子さまと祐巳さまの後姿を見ながら、乃梨子が半歩後ろを歩いていたら、祥子さまが言った。
「乃梨子ちゃん」
「はい?」
祥子さまが歩調を緩めたのでそれにつられた祐巳さまと乃梨子は肩を並べる事になった。
「言葉は思っていることを伝えるためにあるのよ」
「え?」
祥子さまはまっすぐ前を見て歩きながら話していた。
「言うまえに相手がどう思うかなんて考えるのは意味が無いことなの」
「祥子さま、いったいなんの話を……」
乃梨子の疑問を無視して祥子さまは続けた。
「いくら考えても結局、本心を伝える以外の答えは見つからないのよ。 乃梨子ちゃんはちゃんとそれを伝えたのかしら?」
すこし抽象的だったけれど、その言葉は乃梨子の心に深く響いた。
乃梨子のために祥子さまはわざわざ今日の仕事を終わりにしてしまったのだろうか?
祥子さまの話はそこまでだった。
由乃さまが追いついてきて祐巳さまと話を始めたので乃梨子は由乃さまに祐巳さまの隣を譲った。
結局そのあと、バス停で由乃さまがわかれた後も、祥子さまとの会話は無かった。
駅で「ごきげんよう」と挨拶して駅の書店に寄っていくお二人とわかれ、乃梨子は電車で家に向かった。
家に帰って乃梨子はいつもの習慣でパソコンの電源を入れてから制服を脱ぎはじめ、着替えながら器用にマウスを操作してメールをプリントアウトした。
ほとんど定期便のタクヤ君からのメール。
そこにはこんな文字が書かれていた。
≪……というわけで今日は久しぶりに小寓寺を訪ねることになりました。 今日はノリちゃんは学校で生徒会のお仕事だったかな?≫
「え! 小寓寺を訪問!?」
なんてタイムリーな。
乃梨子は慌ててメールの時刻を確認した。 メールは数十分前に出されたものだった。
≪だとすると、このメールを見たとき僕はちょうど小寓寺に居るかもしれませんね。 ああ、でもそれだと志摩子ちゃんには会えないのか。 非常に残念です≫
「もしかして、もしかしたら……」
乃梨子はTシャツをかぶるのももどかしく、慌てて『返信メール』を作成した。
『……小寓寺ですか奇遇です。 志摩子さんは今日はお友達が泊まりに行くということで早く帰ってしまったので、おそらくそのお友達共々会えると思いますよ。 実はですね、そのお友達というのが……』
朝姫さんのことから、志摩子さんが言ってくれなかったこと、自分も行きたかったことなどを思いのままに書きなぐった。
メールの文面を打ち込みながら自分でも何を書いているのだか判らなくなりかけていた。
そして、早く送らねばと送信ボタンをクリックしてから乃梨子は我に返った。
「はっ! 私ったら……」
最初の方はともかく後半は普段の乃梨子らしからぬとんでもないことを書いていたような……。
はたして送信済みに入っていたのは思わず赤面するような、なんというか、乃梨子の思いを赤裸々に綴ったメールだった。
「あー、どうしよう! あんなメール送っちゃったよー!」
送ったメールを無かったことにするにはどうしたらいいのか。
本当は志摩子さんが家に着いた頃を見計らって志摩子さんの家に電話をするつもりだったのに、メールに『小寓寺』の文字を見つけた瞬間から、そんなことはすっかり失念してしまっていたのだ。
志摩子さんがバスに乗った時間から計算して、家に着くにはまだ少し早い。
「どうしよう……」
悶々としている場合ではない。 とりあえず言い訳のメールを書こう。
ようやくそう思い至って『新規メール』を立ち上げた時だった。
「あれ、新着メール……タクヤ君から!?」
メールを送ってからまだ数分しか経っていないのにもう返信が来ていた。
長いメールじゃなかったのでプリントアウトせずにそのまま開いて読んだ。
≪ノリちゃんを置いていくなんて志摩子さんもひどいお姉さまですね。 こうなったら、こちらはこちらで仲良く小寓寺を訪問して志摩子さんを驚かせてやりましょう。 良い考えだと思いませんか?≫
先方にはタクヤ君から連絡してくれるとあった。
乃梨子は感激のあまり声を上げた。
「うん、うん! タクヤ君感謝!!」
結果オーライである。 先程送ったメールに頭を抱えていたというのに、意外と現金な乃梨子であった。
そのあと、数回のメールのやり取りで待ち合わせの場所などを決めた。
タクヤ君は小寓寺に連絡して志摩子さんのお父さんから乃梨子のお泊りOKの確認まで取ってしまった。
小父さまの招待ってことで、当然、お相手は志摩子さんにさせるとかそういう話だった。
「さて、後は菫子さんの許可をもらって……」
と、後ろを振り返っってぎょっとした。
「お帰り、早かったんだね」
「いつのまに……」
いつ帰ってきたのか、菫子さんがドアのところに寄りかかってこちらを見ていた。
「リコも変わったよねぇ……」
なにやら感慨深げにそう呟いた。
なんなんだ。
まあいいや。とにかく用件を済まそう。
「あ、あのね、これから志摩子さんのところに泊まりに行きたいんだけど、いいかな?」
「ああ、いっといで。 ストレス貯めてこれ以上おかしくなられたらご両親に顔向けできないからさ」
「おかしく……、これ以上って……」
いつから居たんだろう。
もしかして、変なメールを送ってしまって嘆いているところも見られたとか?
「あたしゃ、半裸でパソコンとお話してる娘の将来が心配だよ」
そう言いながら菫子さんはドアの向こうへ行ってしまった。
「え? あ……」
そういえば乃利子は着替えの途中だったことを思い出した。
(→【No:1043】)