「ねぇ蓉子」
放課後の薔薇の館。
いつものように仕事をしていない白薔薇さまこと佐藤聖が、いつものように仕事をしている紅薔薇さまこと水野蓉子に問い掛けた。
「なに?忙しいんだけど」
「ちょっとクイズに答えてよ?」
「クイズ?」
書類に目を落としたままなのに、蓉子の口調には、あからさまに侮蔑が含まれていた。
「それじゃいくよ。『斧』を英語で言うと?」
「アックス」
「『6』を英語で言うと?」
「もういいわ。答えは『That』」
「………」
思わず絶句する聖。
「でしょ?」
「ちぇ」
つまんねーの、と言わんばかりに、頭の後で両手を組み、口を尖らせる。
「そんなクイズに、引っ掛かる子なんて居ないわよ」
「さぁ?どうかしらね?」
それでもまだ、自信ありげな表情の聖だった。
「ごきげんよう。遅くなっちゃったわ」
「ごきげんよう江利子」
いつものようにヤル気があるのかないのか判断に迷う表情で、姿を表した黄薔薇さまこと鳥居江利子。
「江利子、ちょっとクイズに答えてよ」
挨拶もそこそこに、江利子に食らい付く聖。
「いいわよ。どうぞ?」
「『靴下』を英語で言うと?」
「答えは『That』。OK?」
かっくんと顎が落ちた聖。
味気ないにも程がある。
「どうしてそう簡単に言っちゃうかなぁ」
「相手が悪いわよ。どうせ蓉子にも一瞬で答えられてしまったんでしょ?」
図星だった。
「あーもういい。他を当たることにする!」
ヤケクソ気味な聖だった。
「ごきげんよう。遅くなりました」
姿を現したのは、黄薔薇のつぼみこと支倉令。
『ごきげんよう、令』
「令、いいところに来たわ。クイズに答えてもらうわよ」
「唐突ですね。どうぞ」
イキナリの聖の言葉に、苦笑いしながらも促す令。
「『税金』を英語で?」
「タックス」
「『六角形』を英語で?」
「そのクイズなら知ってます。答えは『That』でしょ」
再び呆然とする聖。
どーしてみんなして知っているのか。
「納得イカーン!」
「諦めなさいって」
「いーや!こうなったら、徹底的にやってやるわ」
今日に限って、妙に意地っぱりな聖だった。
「ごきげんよう、遅くなってしまって申し訳ありません」
「ごきげんよう志摩子。委員会?」
「はい」
恐縮しながら姿を現した、白薔薇のつぼみこと藤堂志摩子に、理由を問う蓉子。
「仕方がないわね。一人足りないけど、取り合えず揃ったからお仕事お願いね」
『分かりました』
令ともども、江利子に応じた志摩子だったが…、
「その前に志摩子!」
「お姉さま、ごきげんよう」
「クイズを出すから答えて!」
「はぁ…」
「『混ぜる』を英語で?」
「ミックス」
「『蝋』を英語で?」
「ワックス」
「じゃぁ…」
「もう結構ですわお姉さま。答えは『That』です」
「もがー!」
ことごとく答えられ、ストレスが溜まること甚だしい聖。
終には、頭を掻き毟りながら大声を出す始末。
「どうか…したのでしょうか?」
困った顔で、呆れた顔の蓉子に問う志摩子。
「ほっときなさいな。どうせすぐに飽きるだろうから」
「そうそう、思っていた答えが全然出てこないから、イラついてるだけ」
「はぁ…」
口元に手を当てて、変にオーバーリアクションの聖を黙って見詰める志摩子だった。
「ごきげんよう、遅くなりました」
『ごきげんよう、由乃ちゃん』
「由乃さん、ごきげんよう」
掃除当番だったため、遅れて姿を現した黄薔薇のつぼみの妹、島津由乃。
「由乃ちゃん。来たばかりで悪いけど、お茶を淹れてくれないかしら?」
「はい、分かりました」
「と、その前に!」
懲りずに聖が、由乃の前に立った。
「クイズに答えてもらうわよ!」
「は、はぁ…」
何故かエキサイトしている聖の態度に、不信を感じる由乃。
「ど、どうぞ…?」
「よし!『電送写真』を英語で言うと?」
「えーと、ファックス」
「『固定』を英語で言うと?」
「フィックス?」
「『狐』を…」
「あー、分かりました白薔薇さま。私を騙そうったってそうは行きません。答えは『That』。でしょ?」
「なー!!!!」
絶叫する聖。
こんなに乱れた聖を見るのは、蓉子や江利子も久しぶりだった。
「ちくしょー、あと残りは誰だ?祥子だけか?」
「あ、紅薔薇さま、祥子さまから伝言です。今日は家の都合で来られないと」
「そう。仕方が無いわね」
「なんですとー!?それじゃ、この猛り狂った心情はどうすれば良いん…!」
ハタと、聖の動きが止まった。
「いや、大丈夫!まだ望みはある!最後の砦と言うべきものが!」
聖が拳を振り上げた瞬間、扉がガチャリと開いた。
「ごきげんよう。申し訳ありません、掃除で遅れてしまいま…」
「祐巳ちゃん!あなただけが頼りよぉ〜!」
「ぎゃう」
姿を現した、最近紅薔薇のつぼみの妹になったばかりの福沢祐巳に、扉の真ん前で抱き付いた聖。
「あなたならきっと、私が望む答えを導き出してくれると、そう信じてるから!」
「はぁ、ありがとうございます」
照れと恥ずかしさが半々で交じり合ったような表情の祐巳。
聖は、涙目で祐巳に頬擦りまでしている。
一同、呆れかえった目付きで、聖の奇行を見守り続けた。
「そんなワケで、クイズ行くわよ!『斧』を英語で言うと?」
「えーと、アックス?」
「アルファベット、最後から三つ目の文字は?」
「エックス」
「『6』を英語で?」
「シックス」
「『靴下』を英語で?」
「ソックス」
「『税金』を英語で?」
「タックス?」
「『六角形』を英語で?」
「ヘキ…ヘックス?」
「『混ぜる』を英語で?」
「ミックス」
「『蝋』を英語で?」
「…ワックス?」
「『電送写真』を英語で?」
「ファクシミリ…ファックス?」
「『固定』を英語で?」
「フィックス…でしたっけ」
「『狐』を英語で?」
「フォックスです」
「じゃぁ最後、『アレ』を英語で?」
「アレ?」
その瞬間、祐巳の顔が真っ赤に染まった。
「そう、『アレ』」
いやらしくニヤつく聖。
してやったり、そんな感情が見え見えだった。
「えと…、その、どうしても答えないといけませんか?」
「もちろん。さぁ、答えて。『アレ』を英語で?さぁ、さぁ!」
頬を赤くし、涙目で身体を微かに震わせる祐巳に、嬉々として詰め寄る聖。
周りの皆は、そんな祐巳から、胸をキュンとさせつつ目を逸らすことが出来ない。
「あの、その、せ…」
消え入りそうな声の祐巳。
「大きな声で答えて!」
覚悟を決めたのか、大きく息を吸う祐巳。
一同は、仕事の手を休め、固唾を飲んで次の一言を待った。
「答えは『That』です」
祐巳が答えるより早く、部屋の外から第三者の声が割り込んだ。
「え?」
「誰よー!あともうちょっとだったのに、どうして先に答えちゃうのよー!」
誰かさんのお陰で、結局叶わなかった聖は、ショックのあまり再び絶叫してしまった。
「ごきげんよう薔薇さま方」
『蔦子さん!?』
扉の陰から姿を現したのは、一年生ながらリリアン屈指の有名人、写真部のエースこと、武嶋蔦子だった。
「どうしてカメラちゃんが?」
「それはですねぇ」
聖の疑問に答える蔦子。
「学園祭の写真が出来ましたので、祐巳さんと一緒にお届けに上がったんですが…。まさか、早速新入り虐めが行われているとは思いもしませんでした」
深刻そうな口調ではあるものの、顔は笑っている蔦子に、聖も笑顔で応じる。
「やーねー、虐めじゃないわよ。コミュニケーションよ、こみゅにけーしょん」
「分かってますよ。恐れ多くも山百合会関係者が、そんなことするわけありませんし」
何が起こったのかイマイチ分かっていないような表情で、聖と蔦子を交互に見渡す祐巳。
「それにしても祐巳さん、先が思いやられるわね」
「…どうして?」
「さっきのクイズの答え。中学一年生の英語よ。いい?『アレ』を英語で言うと?」
「えーと………『That』?」
「そう。祐巳さんがさっき、何と答えようとしたのかはあえて聞かないけどね。このままじゃあなた、いいおもちゃよ特に白薔薇さまの」
「まさか。白薔薇さまは、そんな方じゃないわよ」
「………」
あまりの能天気な祐巳の態度に、溜息を吐かずにはいられない蔦子だった。
蔦子の懸念が、後に現実になったのは言うまでもない。