【1048】 探し続けよう二人の時間  (柊雅史 2006-01-22 19:58:27)



 最近、祐巳はちょっとストレス過多気味だ。

「ごきげんよう、紅薔薇さま、紅薔薇のつぼみ」
「ごきげんよう」
「ごきげんよう」
 すれ違う生徒に声を掛けられて、妹と揃ってにこやかな笑みで応じる。
「紅薔薇さま、どちらへおいでですか?」
「ちょっとミルクホールへね」
「まぁ、そうなのですか! 私もご一緒して構いませんか?」
「え、ええ……まぁ……」
 キラキラと瞳を輝かせて聞いてくる下級生に曖昧に応じると、それを聞きつけた他の生徒たちがわらわらと集まってくる。
 総勢、10名の大集団。なんでこんなに集まるかな、と思いつつ、祐巳は引きつりそうな頬を必死に宥め、そっと隣を歩く妹の表情を盗み見た。
(うわ、不機嫌そう)
 さすがにあからさまには表に出さないが、明らかに目が怒ってる。それはそうだろう、祐巳が妹を連れ出した時のセリフは「偶には二人きりで話そうよ。最近、忙しくてろくに話も出来ないでしょう?」だったのだし。
 細かな仕事をせっせと片付けていたこの妹が、仕事を後回しにして黙ってついて来たのだから、きっと祐巳と同じように感じていたのだろう。
 最近、どうにもコミュニケーションが不足気味。山百合会の細かな雑用は絶えないし、祐巳が庶民派だからなのか、薔薇の館以外でランチタイムを楽しもうとしても、すぐさま他の生徒たちが「ご一緒しても良いですか?」と近付いてくる。
 薔薇さまのイメージを壊すわけにも行かず、申し出を断れずに数週間。妹と二人きりの時間を過ごした記憶を遡ると、悲しいことに新入生歓迎会の頃にまで戻ってしまう。
 これはマズイ。姉妹の危機は普段の何気ないコミュニケーション不足から、というのを、祐巳は昨年祥子さまとの姉妹関係で学んでいた。そう言えば、祥子さまとの姉妹関係破綻危機に陥ったのも、新年度が始まってしばらく経った、今頃のことである。
 そんなわけで祐巳は妹を誘って放課後の校内デートに誘ってみたわけなのだけど――
「紅薔薇さま、お砂糖をお取りしますわ」
「あ、ありがとうー……」
 総勢10名の下級生に囲まれながら、祐巳は「なんでこんなことに……」と、そっとため息を吐いた。


「――大体、ああいう時は『職員室へ行くところなの』とでも言っておけば良いのですわ! お姉さまは融通が利かな過ぎです!」
 どうにか1時間ばかりをミルクホールで過ごし、下級生たちの包囲網から抜け出した祐巳は、妹にそう指摘されてなるほど、と頷いた。
「確かに、そう言えば良かったのかも。あ、でも、嘘はつきたくないし」
「まぁ、私もお姉さまにそんな小器用なことは、本気で望んではいませんけど」
 ツン、とそっぽを向くその様子は、正に不機嫌度120%である。例えて言うなら、令さまがバレンタインのチョコをもらうシーンを目撃した由乃さんのよう。つまり、非常に危険。
「はぁ……仕方ありませんわ。そろそろ戻りましょう。乃梨子さんにばかり仕事を押し付けていると、私が文句を言われてしまいます」
「え、戻るの?」
「乃梨子さんに一時間ほどで戻る、と言って参りましたもの。もう約束の時間ですわ」
 ふぅ、とため息を吐くその様子に、祐巳はちょっと焦る。ここで帰ってしまっては、任務達成率0%ではないか。
「だ、大丈夫、大丈夫! 乃梨子ちゃんもゆっくりしておいで、って言ってたじゃない? それにそろそろ剣道部の練習も終わって、由乃さんと菜々ちゃんも来る頃だし! 仕事なら菜々ちゃんがやってくれるよ」
「……一年生に仕事を押し付けておいて、サボるおつもりですか?」
「今日だけよ、今日だけ。うん。偶には良いじゃないの。今度こそ二人きりでお喋りしようよ。ね?」
「……ま、まぁ、お姉さまがそうおっしゃるなら」
「よしきた! んーと……そうだ! あそこ行こう、あそこ!」
「あそこ?」
「薔薇の温室! あそこならきっと、誰もいないよ」
「温室ですか……なるほど、そうですわね」
「うん、行こう行こう!」
 了解を得て祐巳は妹の手を引っ張ると、誰にも見付からないよう早足で歩き出した。


 結論から言うと、薔薇の温室には先客がいた。
「祐巳さま、ごきげんよう」
「か、可南子ちゃん?」
「なんだか久しぶりのような気がしますね」
 にっこり微笑む可南子ちゃんに、祐巳はちょっと焦る。今度こそ、と思ったのに、またもや二人きりになれないとなると、妹の不機嫌パワーはカタストロフィーを起こすかもしれない。
「可南子ちゃんは、どうしてここに?」
「……ここは私にとって思い出の場所ですもの」
 ふ、と少し遠い目をする可南子ちゃん。確かにここで、祐巳と可南子ちゃんの間にはちょっとした思い出がある。あるのだけど……
(あー、この場でそんな意味ありげな態度でそんなこと言わないでよー!)
 気配だけでもなんとなく、隣に立つ人物が「ムカ」と思ったのを感じてしまう。互いの気持ちが黙っていても分かり合えるというのは、姉妹としては最高なのかも知れないけど、ちょっと考えものだ。
「……もしかして、私お邪魔でしたでしょうか?」
「え!?」
 ふと、可南子ちゃんが困ったような顔をする。そんな顔をされて「うん、邪魔」なんて言える人がいるだろうか?
「そ、そんなことないよ! 全然、そんなことないから!」
「でも……」
「気にしすぎですわ、可南子さん。私たちはただちょっと、立ち寄っただけですもの。それよりせっかくなのですし、少しお話いたしましょう?」
 不自然極まりない祐巳の返答に可南子ちゃんが眉をひそめると、すかさず妹のフォローが入る。よく出来た妹を持って、祐巳は幸せだ。
「そうだね。可南子ちゃんとも久しぶりだもんね、お話するの」
 祐巳は安堵しつつ、可南子ちゃんにそう話しかけた。


「――まぁ、今回は仕方ありませんわ。温室に可南子さんがいるなんて、私も思い至りませんでしたもの」
「そ、そうだよねー?」
「ですが……後ほど、可南子さんの言う思い出とやらの詳細は、じっくり聞かして頂きますのでそのつもりで」
「あう……」
 結局可南子ちゃんも交えて30分ほどお喋りを楽しみ、祐巳たちは校舎内に戻ってきた。三人でのお喋りは楽しかったけど、今回の目標はそれではないのだ。
「……さすがにそろそろ戻りませんと、皆さん、心配なさるのではないですか?」
「そ、そうかな?」
「はい、今日はもう諦めて戻った方が――」
「む、むむむぅ……」
 確かにその通りなのだけど、祐巳はどうにも素直に頷けなかった。結局目標である二人きりで過ごす時間は達成できなかったのだし、それに何より、ここまで来るとむしろ祐巳の方がなんとしても二人きりの時間をゲットしたくなってくる。
「い、いや! ここはあくまでも猪突猛進、とことん行くのよ!」
「お姉さま……それではまるで、黄薔薇さまのセリフです」
「と、とにかく……どこか、人気のない場所……図書館とか、屋上前の階段とか……この際、体育倉庫でも良いし」
「……まぁ、お姉さまがそうおっしゃるなら……でも、体育倉庫なんて、そんな。あからさまな」
「あからさま? とにかく、行きましょう! きっと由乃さんたちは大丈夫! 話が長引いてるくらいに思ってくれるよ!」
「は、はぁ……」
 祐巳は妹の手を引っ張って、ズンズンズンと廊下を突き進んだ。
 妹と二人きりになれる、魅惑の桃源郷を目指して――


 結論から言うと、どこもかしこも任務失敗に終わった。
 図書館では薔薇さまフリークの図書委員に捕まり、英国魔法少年が出て来る本の紹介を20分ほどされて逃げ帰り、屋上前の階段では運悪く一年生たちが正に薔薇さまトークに花を咲かせており、とっ捕まって30分ほど拘束された。体育倉庫では先客のバレー部姉妹に、何故か不自然なフレンドリーさと共に20分ばかり世間話を強要された。
 最後の手段、職員用女子トイレに吶喊したところ、たまたまいた鹿取先生に最近の山百合会事情を30分ほど問い詰められ、這う這うの体で逃げ出したところで、祐巳はがっくりとその場に座り込みそうになった。
「な、なんでどこに行っても誰かいるのよ……」
「……今回の職員用トイレばかりは、鹿取先生がいらしてよかったですわ。いくらなんでもトイレの中で、というのは遠慮したかったですし」
「まぁ、それもそうだよね。冷静に考えれば、さすがにトイレはないよね、トイレは」
 祐巳は力なく笑って、ふらりと真っ暗になった窓の外を見た。
「さすがに、もう戻らないとマズイよね。みんなも心配しているだろうし」
「そうですわね」
「はぁ……なんかゴメンね。せっかく付き合ってくれたのに」
「お姉さまのせいではありませんわ。それにこれはこれで、中々楽しかったですわ」
「うぅ……私の望んでいたのは、こんなんじゃなかったのに……」
 とぼとぼと二人並んで薔薇の館へ向かう。戻ったら由乃さんたちになんて言おうか、と思いながら階段を上がり、ビスケット扉を開け――
「……あれ?」
 祐巳は誰もいない部屋を見回して、首を傾げた。
「どうしましたか?」
「うーん、誰もいないんだけど……」
「もしかして、皆さん先に帰ったのではありませんか?」
「そうかも……あ、メモがある」
 祐巳はテーブルに置かれた一枚のメモ用紙を手に取った。
『先に帰るね♪ 由&菜&志&乃』
「あ、やっぱり帰っちゃったみたい」
「確かに、もう7時過ぎですもの。仕方ありませんわ」
「まぁ、待たせちゃったより良かったよね」
「皆さんには明日にでも謝っておきましょう。私たちも早く帰りませんと」
「そうだね」
 祐巳はメモ用紙を二つに折って制服のポケットにしまった。
 明日、結局二人きりにはなれなかったと伝えたら、由乃さんは笑うだろうなぁ、とため息を吐き。
 それからふと、祐巳は顔を上げて室内を見回した。
「――ちょっと待った!」
「は?」
 祐巳のストップコールに、帰り支度をしていた妹が動きを止める。
「お姉さま? いかがなさいました?」
「二人きり!」
「はい?」
「今、二人きりじゃない!?」
「……ああ」
 祐巳の指摘にポンと一つ手を打つ。
「まだ7時、門が閉まるのは9時だもん、2時間もあるよ」
「そうですわね。それは失念していましたわ」
 お互いに苦笑いを浮かべつつ、帰り支度を中止する。
「ね、どうせならお茶も淹れようよ。確か乃梨子ちゃんの京都土産もあったよね?」
「ええ。では、私はお茶を淹れてまいりますわ」
 いそいそと準備を始める妹の背中を見送って、祐巳はほっと安堵の息を吐いた。


 結局のところ、何時間も校内を徘徊した結果。
 祐巳はスタート時点にて、至福の時間を過ごせたのだった。


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