その日。笙子は武道場へ剣道部の練習を撮影に来ていた。
冷たい一月初旬の夕方。
蔦子さまとの激論(というより一方的に講義を受けていた)の末に、お年玉と、んヶ月分のお小遣いを前借りして買った、高級機種のデジカメ、ニキャン一眼レフ、Shinepix12400 。 1200万画素でひたすら令さまを狙う。卒業して外部の体育学部へ行くという令さまを撮る機会は、もうそんなに何度もあるわけはない。
† † †
〜〜〜〜〜 聖ワレンティヌスがみてた 〜〜〜〜〜
「んーーもうっっ!」
ほんとに、言うことを聞いてくれないんだからっ。
さすがに、デジカメでもこのクラスになると、シャッターを押せばだれでもそれなりにきれいな写真ができる、という甘いものじゃない。高解像度の分、わずかな手ぶれでもクオリティが落ちる。被写体の動きが激しいのでオートフォーカスは使っていない。
『まず、使い方になれなくっちゃね』 蔦子さまはそういって、時々笙子に課題をくれる。今日は、令さまの竹刀をとらえるのに必死になっていた。
『あれだけ言い張ったんだから、デジカメを生かさなくっちゃね、笙子ちゃん』
蔦子さまはそう言った。デジカメの利点は速さなのよ。これだけのカメラを使いこなすには動きのあるものに挑戦しなきゃ。
剣道部の交流試合の時の、令さまの一本の瞬間を捉えた蔦子さまの写真がある。
田中次姉さんに、面を決めた瞬間が見事に捉えられている。しかし、フィルムカメラ。
『ね、竹刀が田中さんの面にあたって後頭部に巻き付いたように見える、でもこのシャッタースピードでもぶれているでしょう。でもね、あなたのカメラならくっきり写るはずなのよ。シャッタースピードが倍以上なんだから』
『えええ!? そんなの神業ですよお。竹刀があたった瞬間にシャッターを押さなければいけないんでしょう?』
『もっちろん。でもさあ、笙子ちゃん、リズム感はいいわよね。令さまのリズムに合わせて自分の身体も動くつもりで、やってごらんなさい。しばらく剣道部に張り付き取材よ。がんばってね、デジカメラちゃん』
『うう。その呼び名、だれがつけたんですかあ。メカゴジラみたいできらいです』
そういうわけで、稽古が始まると同時に剣道場に貼り付いている笙子なのだったが。
(ふぅ。蔦子さまみたいにシャッターの感触だけでどんな写真ができたかなんて分からないから、モニターが見られるのは便利なんだけど)
何度やっても、竹刀が当たった瞬間はまだ一度も捉えられない。
(ほんとに、甘いもんじゃないなあ。蔦子さまっていくつぐらいからカメラをもっていたのかしら)
蔦子さまは使い方に慣れろって言ったんだからね。
慣れるタメなのよ、というので動画モードにしてみたらこれは大失敗。動画再生するとちゃんと写っているように見えるのに、
(コマ毎に見るとすんごいブレなんだもの)
蔦子さまの解説。
『あははは、笙子ちゃん、それはだめ。あのね、テレビの画面をよーく見てごらんなさい。せいぜい200万画素相当よ。その上、動画は一秒間に25コマか30コマって決っているの。でもあなたのカメラのシャッタースピードは最高一万分の一秒なのよ。ぜんぜん桁が違うんだから』
『そういう蔦子さまのカメラは?』
『シャッタースピード? 三千分の一秒くらいね。機械のシャッターと電子シャッターではそれくらいの差があるのよ』
(ほんとに、桁が違うわ。それにしても蔦子さま、デジカメのこともほんとによく知っていらっしゃる。やみくもにアナログにこだわっているわけじゃなくて、ちゃんと選んでいるのね)
決定的瞬間をまるで外しているとはいえ、笙子の撮った写真の令さまの竹刀はぴたりと止まったようにくっきり写っているのだ。
さっきから稽古をつけられているのはちさとさま。
練習を始めてから、令さまの防具に竹刀の先を触れることさえできない。ほとんど動かない令さまの周りをぐるぐる必死で動いて、わずかでも令さまの構えを崩そうとしているのだけれど、まったく動じたように見えない令さま。
そういえば、去年のバレンタインデーのあと、ちさとさまは令さまのあとを追いかけて剣道部に入った、という。でも、足元にも追いつけない、って真美さまの取材に一緒に行った時にちさとさまは微笑んでいたけれど。
(なんだか、蔦子さまには永久に追いつけないって思い知らされてるみたい)
もう、涙がでてきそうになっている蔦子おっかけの笙子なのだった。
半分やけっぱちになった笙子は、さっきから最高速の連写モードに切り替えていた。
(フィルムじゃないんだからメモリーがいっぱいになったら消せばいいんだもん)
ちさとさまが左に飛んで逆胴を狙う。
簡単にかわし抜いて、決まりの小手面の連続技にはいる令さま。笙子のカメラが追う。
その時、それは起きた。
強引に首を右に振って避けるちさとさま、令さまの剣がそれてちさとさまの左肩に落ちるその瞬間。
「めーーーーん!!」
ほとんど悲鳴みたいな甲高い声が響いた時、ちさとさまの竹刀が令さまの面の脳天を撃った。
「え??」
「ちさとっ。今、なにをした?」
「え? わ、わかりません」
うれしいという前に茫然としているらしいちさとさま。面を着けているので表情はよく分からない。
あちらで、防具を外していた由乃さまの口が『れ』の字に開こうとしたのが分かったけど、さすがに今は稽古中。なにもいわずに目をつり上げている。
「ふふふ、私から一本取ったのは初めてだね」
「はいっ!」
「さあ、今のを忘れないうちにもう一本!」
「はいっ!!」
結局、その日。
まぐれあたりは二度は起こらなかった。
まぐれ、がなんだったのか、それは誰も知らない……
ただ、それだけのことだった。その時には。
でも。
笙子のカメラには、一万分の一秒刻みの記録が残されていた。
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「『つづく』と祐巳は言った」
「お久しぶりです。後書き姉妹なのですわ」
「えーと、これが病院送りになったノートパソコンのHDDの藻屑と消えた中篇の導入部の再現なんだけど」
「そうなのですわ。本当は、あるサイトさんの企画に投稿するはずだったのですわね。ところが投稿目前に消失」
「でもなんとか書き上げたいの。そのお世話になったサイトさんが閉鎖してしまう前の最後の企画なのよ。でもねえ締切りが」
「いつなんですか?」
「バレンタインデーの翌日」
「むっっっちゃおめでたいですわ祐巳さま。あと十日もないじゃないですか。ムリです。むーりー」
「そうなの。しかもこれが最後の企画だから、少しずつ投稿していって、もし完結しなかったら『次』はもうないのよ」
「はあ。それでがちゃSでなんとかあがいているのですわね。間に合わなくてもなんとか完結はさせようと」
「うん。でも完結しなかったらあちらに投稿はしない覚悟。ああ、私はがちゃSのがちゃがちゃタイトルで発想をおこさなければSSが書けない体質になってしまったのね」
「祐巳さまの自業自得です(ジト眼)」
「しかたありませんわね。しかもまたヲタクなカメラ話なんですかあ? 萌えがぜんぜんないんですけど」
「ううん。カメラ話は導入部でおしまい。だって『聖ワレンティヌスがみてる』なのよ。でも設定としては【No:440】→【No:511】を引き継いでいるわ」
「さーて、書くわよー」
「仕事もしてくださいね」