【1117】 出廬  (朝生行幸 2006-02-13 01:26:46)


「それじゃ、行こうか」
 紅薔薇さまこと福沢祐巳が、黄薔薇さまこと島津由乃と、白薔薇さまこと藤堂志摩子を促しながら立ち上がった。
「え?どこへ行くのよ」
 あまりに唐突だったので、思わず問い掛ける由乃。
「ある人を誘いに、ね」
 それだけ言うと、志摩子に目配せして、二人して部屋を出る祐巳。
 置いて行かれそうになった由乃は、慌てて二人を追いかけた。

 三人がやって来たのは、クラブハウスだった。
 三薔薇さまの登場に、ざわつく周囲の生徒たち。
 一見余裕に見える微笑を浮かべつつ、祐巳たちは二階に向かった。
 そして、あるクラブの部屋の前に立つと、その扉をノックする。
「はい」
 顔を出したのは、おそらく一年生であろう生徒、薔薇さま方を前に、驚愕の表情を浮かべていた。
「ごきげんよう、突然お邪魔してごめんなさい。武嶋蔦子さんにお取次ぎいただけないかしら」
 極上の笑み(のつもり)で、その生徒に取次ぎを頼む。
「あ、も、申し訳ありませんが、蔦子さまは今…」
「あー、盗撮…じゃない、撮影に出掛けてるんだね」
「は、はい」
 挨拶も忘れるほど動揺しているのは何故だろうと思って、彼女の視線を追えば、憮然としている由乃に向いているようだった。
 そりゃ、不機嫌そうな薔薇さまを前にすれば、動揺もするだろうて。
「じゃぁ、蔦子さんが戻ってきたら、伝えておいていただけるかしら?私たち薔薇さまが訊ねてきたと」
「はい、承知しました」
「それではごきげんよう」
「ご、ごきげんよう」
 目的の相手である武嶋蔦子への訪問、一度目は空振りに終わった。

「さて、そろそろ行こうか」
 週を改めた月曜日。
 祐巳は、再び蔦子を訊ねるべく、由乃と志摩子を促した。
「………」
 あからさまに不機嫌な顔で、座ったまま沈黙を守る由乃。
「…由乃さん、行かないの?」
「…行かない」
「どうして?」
「なぜわざわざ私たちが行かないといけないのよ。呼び出せばいいじゃない?」
「用事があるのは私たちだよ。呼び付けるなんて失礼じゃない」
「でも…」
 どうやら由乃は、山百合会以外の人物に頼ることを、快く思っていないようだ。
「いいよ由乃さん、無理強いはしないから。行こう志摩子さん」
「ええ」
 渋る由乃をそのままに、薔薇の館を出る二人。
 しばらく進んだところで、後ろの気配に振り向けば、相変らず仏頂面ではあるものの、ついてくる由乃の姿があった。
「来ないんじゃなかったの?」
「…二人が行くのに、私が同行しないわけにはいかないでしょ」
 その言葉に、内心ホッとした祐巳と志摩子は、ニッコリと笑みを浮かべたのだった。

 再び訪れたクラブハウス。
 ある意味敵地であるここまで、二度も三薔薇さまが連れ立ってやって来たことに、前以上にざわつく生徒たち。
 彼女らを刺激しないように、優雅に振舞いつつ、向かうのは二階の写真部室。
 扉をノックすれば、
「はい」
 聞いたことがある声と同時に、扉が開く。
 そこには、
「ごきげんよう、薔薇さま方」
 蔦子の一番弟子を称して憚らない生徒、内藤笙子が立っていた。
「ごきげんよう笙子さん。蔦子さんにお取次ぎいただけないかしら」
「わざわざご足労いただきましたが、残念ながら蔦子さまは…」
「今日も撮影に出掛けてる…と」
 鼻で息を吐きながら、呟く祐巳。
「はい。申し訳ありませんが」
「いえいいのよ。こっちが勝手に押しかけて来てるだけだから。かえって気を使わせちゃったね」
「とんでもないです」
「また改めて顔を出すよ。悪いけどコレ、蔦子さんに渡してもらえるかな」
 ポケットから、不在だった場合を考えてしたためておいた封書を取り出し、笙子に渡す。
「承知しました。責任をもって、蔦子さまにお渡しいたします」
「よろしくお願いします。ごきげんよう」
「ごきげんよう」
 こうして蔦子への訪問は、二度目も空振りに終わったのだった。

「さぁ、今日こそは」
 勇んで立ち上がる紅薔薇さま。
 頷いて、白薔薇さまも同時に立ち上がった。
 三人して薔薇の館を出るも、由乃は面白くない顔で、途中で立ち止まる。
「…由乃さん?」
「どうかしたの?」
「…どうして、そこまで蔦子さんに拘るの?」
 由乃からすれば、山百合会以外の、しかも文化部同盟寄りの人に、そこまで祐巳たちが拘る理由が分からない。
 しかしそれは表向きのことで、本当の理由は『嫉妬』だということを自覚していた。
「いい?由乃さん。厳しいことを言うけど今の山百合会にはね、大局を見定められる人材は居ないのよ。私なんて、なんの取り得もないし」
「そうね。私も乃梨子も、与えられた仕事をこなすことは出来ても、全体を見通して的確な判断を下すことは出来ないわ」
 祐巳の言葉に、相槌を打つ志摩子。
「その点蔦子さんなら、持ち前の行動力も去ることながら、各部とのコネやそこから得られる情報を利用して、全体から個人まで、全てを見通すことが出来るのよ」
「………」
 二人が言う事はもっともだ。
 校内の目立った事件の殆どを、新聞部よりも早く察知・把握し、八方全て丸く収めるように行動が出来るのは、現時点では蔦子をおいて他ないだろう。
 それは、黄薔薇革命やイエローローズ騒動等で、一年生の頃からすでに証明されている。
「それにね…私、蔦子さんに何度も助けられてるから」
 そもそも紅薔薇さまになった顛末からして蔦子が始まりだったし、山百合会の一員になってからも、バレンタイン絡みやなんやと、蔦子のさり気ない働きによって大いに助けられている。
「私も、彼女にとてもお世話になったことがあるわ」
 乃梨子を妹にするかどうか迷っていた時、蔦子の気配りのお陰で、随分と志摩子も助けられたものだ。
 由乃も、黄薔薇絡みの問題が多い中、間接的ではあるが蔦子に助けられていると言っても過言ではないだろうし。
「だから、蔦子さんは私たちには必要な人材なんだ。分かってくれるかな?」
 二人にそこまで言われては、由乃ももはや反対する気にはなれない。
「…仕方がないわね」
 納得したのか、表情を幾分和らげて、歩き出す由乃だった。

 そして、三度訪れたクラブハウスの二階は写真部室。
 ノックに応じて、前回と同様に笙子が顔を出した。
「ごきげんよう。蔦子さんにお取次ぎいただけます?」
「ごきげんよう、ようこそいらっしゃいました薔薇さま方。蔦子さまなら、折りよく在室しております。どうぞ、お入り下さい」
 笙子に促され、部室に足を踏み入れる三薔薇さま。
「蔦子さまは、ただいま現像中です。すぐにお呼びしますので」
「あ、ちょっと待って。その現像って時間がかかるの?」
「…そうですね、あと20分ぐらいで終わるのではないかと」
「じゃぁ、済むまでそっとしておいてあげてよ」
「でも、お待たせするわけには…」
「いいのよ。勝手に押しかけてきたのはこちらの方だから。ね?」
「…分かりました。では、こちらでお待ちください」
 ごちゃごちゃしたテーブルを空け、パイプ椅子を用意し薔薇さまを座らせた笙子は、
「どうぞ」
「おかまいなく」
 インスタントながらも紅茶を振舞った。
 談笑すること十数分、暗幕を払って蔦子が姿を現した。
「はいよ出来上がり。笙子ちゃん、こっちをファイルしておいて」
「はーい。蔦子さま、先程から薔薇さま方がお待ちになってます」
「え?いつから?」
「15分ほど前からです」
「どうしてすぐに呼んでくれないのよ」
 珍しく非難が混ざった口調の蔦子。
「紅薔薇さまが、現像が終わるまで待つと仰ったんです」
「そう…」
 それ以上追求することなく、薔薇さまが待つテーブルまで移動する。
「ごきげんよう薔薇さま方、お待たせして申し訳ありません」
「いえ、了承も無く訪れたこちらが悪いのですから。それと、笙子ちゃんを責めないで下さいませ」
「恐れ入ります。それで、御用の向きは…」
「申し訳ありませんが、人払いを…」
 頷いた蔦子、笙子に目配せすれば、彼女は他の部員を引き連れて、部室から去って行った。
「笙子ちゃんに手紙を預けていたんだけど、読んでくれた?」
「もちろん。でも、私ではあまり力になれないと思うけど」
 第三者がいなくなったところで、ざっくばらんな口調に変わる。
「そんなことないよ。私たちには、蔦子さんが必要なんだ」
「あなたが応じてくれれば、『鬼に金棒』だわ」
「わざわざ訊ねてきたんだから、断るなんて言わないでよ」
 由乃の言葉に、苦笑いを浮かべる蔦子。
「一応写真部と新聞部は、中立って立場なのは言うまでもないわよね?」
「もちろん」
「更に言えば、写真部は文化部同盟寄りなのよね。それでも私を誘うの?下手をすれば、今以上に対立の根が深くなるかもしれないわよ」
 ジャーナリズムを標榜する中立の写真部及び新聞部が、どこかの勢力に肩入れなどしようものなら、非難を浴びるのは当然であろう。
「それでも構わないの?」
「ええ。私たちには、どうしても蔦子さんの力が必要なのよ。お願い蔦子さん!」
「蔦子さん」
「蔦子さん!」
「………」
 席を離れた蔦子、窓から外の景色を眺めつつ、思案することしばし。
「分かったわ。私のために、わざわざ三度も訊ねて来てくれたことだし。及ばずながら協力するわ」
 三人を見渡し、力強く頷く蔦子に、祐巳たちの顔がパッとほころぶ。
「笙子ちゃん、薔薇さま方の礼に答えるべく、私は山百合会に協力することにしたから。でも、あなたたちは、中立の立場として写真部をそのまま支えていてちょうだい」
 戻って来た笙子に、出廬する意向を伝えれば、
「そう仰ると思ってました。どうか山百合会の皆さんのお力になってあげてください」
 笑顔で、蔦子に応じた。

 こうして写真部のエース武嶋蔦子は、三薔薇さまによる『三顧の礼』に報いるため、ついに立ち上がることを決意した。
 写真部室で行われたこのやりとりは、後に『部室対』と呼ばれ、瞬く間に学園中に広まり、運動部連合、文化部同盟に対し、強力な影響を及ぼすことになるのだった…。


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