【1118】 もういちど風よ光よ麗しきは華のごとく  (春霞 2006-02-13 01:44:02)


 福沢祐巳はぬるま湯なのだ。 



 松平瞳子は脚本を書く。 1日に1本、欠かさずに書く。 

 例えば定期考査などで書けないときには、試験が明けてからまとめて日数分書く。 そして、少なくとも3日以上放置してから一度見直して、アラのあるところを直してゆく。 それはもうここ数年来ずっと続く日課になってしまった。 
 何故か? 
 松平瞳子は女優になりたいのだ。 それも端役ではなく、脇役でもなく、主役として。 銀幕の中や舞台の上で、観客の心を全て鷲掴みに支配してしまえるような大女優になりたいのだ。 

 だから彼女は脚本を書く。 役を演ずるのは役者の仕事だ。 だが、演ずる世界を用意するのは脚本家の仕事だ。 脚本家には脚本家なりの世界観があり、脚本家なりの美意識がある。 それらを余すところ無く受け止めて、更に自分なりの世界を積み上げたい。 それだけの事が出来る役者になりたい。 
 だから彼女は脚本を書く。 脚本家をより理解するために。 

 そして瞳子は今夜も、木目縞も美しい飴色の文机に向かって脚本を書こうとしていた。 出来るならば雰囲気を出すために、部屋の明りを全て落として、机上のアールヌーボ様式のスタンド一つで執筆にいそしみたいところだが、それでは覿面に目を悪くしてしまう。 役作りとしてなら眼鏡をかけるのも厭(いと)わないが、目を悪くする事で役者として不利にはなりたくない。 だから今も部屋の中は煌々と灯りがともっている。 

 このように、自分の趣味を抑えて目をそこねないように律するなど、瞳子は多くの場合、役者としての自分に有益であるか、無益であるかという観点から物事の価値を判断する。 
 だから例えば、瞳子はTVをみない。 あの低俗な箱の中には役者にとって有益なものは何も無いから。 映画が見たければ続き部屋を改造して造ってもらったホームシアターで見ればよいし、スポーツが見たければ競技場まで足を運べばよい。 ニュースは新聞で事足りるし、即時性が必要なものはお付きのメイドが知らせてくれる。 無くても何も困らない。 

 で、あるから、毎朝のごとく級友たちが教室で 「ごきげんよう」 の挨拶もそこそこに盛り上がる前日のTV番組の話は良くわからない。 瞳子は不思議でならなかった。 あんなものの何が楽しいんだろう、と。 理解できないからと言って、彼女たちの楽しみにあえて水は差さないけれども。 だからそんな時、瞳子は自分の存在感を薄くぼやかせて適当な相槌を打つのに終始するのだった。 

 二条乃梨子という友達が出来て、瞳子は正直楽になった。 彼女もあまりTVを見ないらしいから、彼女の傍にいるときはその手の話題を振られずに済むのだ。 とは言え、周囲の少女たちの方で押しかけてきてTVの話に流れる事もままあるが。 そういう時、乃梨子はちゃんと聞き役を勤めるだけでなく、解らない事は質問するし、おかしな事には突っ込みを入れる。 そのあたり、本当に律義者というかなんというか。 初春頃の付き合いの悪さはすっかり姿を潜めていた。 

 相手の話は良く聞いてくれて、困ったときにも冷静さを失わずに最善の助言を与えてくれて、ぼけたら突込みまで入れてくれる。 普段はクールで男前なくせに、白薔薇さまが絡むともうメロメロに人格が変わる。 そんな全てが、周りから好感を持って受け止められていた。 そう、二条乃梨子は学園中から愛されているのだ。 

 ふと、眉をひそめた瞳子は、机から立ち、壁の一隅に向かう。 生まれて初めての親友のことを思いかえすうちに、嫌なキーワードにたどり着いてしまったようだ。 心のかさぶたを擦ってしまった感覚には未だに慣れることが出来ない。 

 壁に作り付けの書棚の、観音開きの扉をひらいて過去の脚本を整理した書類挟み箱を引き出してゆっくりと繰り始める。 

 学園中から愛されている、か。 
 紙を繰る手を止めないまま、無意識にあの人の事を考えてしまう。 

 二条乃梨子は学園中から愛されている。 それは中等部からも拝観遠征ツアーが組まれるほどに。 
 でも、今の学園には彼女以上に愛されている人がいる。 
 先輩からは愛され。 同輩からは好かれ。 後輩からは慕われる。 職員からは親しまれ、大学部の学生からは可愛がられ、中等部にもファン倶楽部がある。 

 福沢祐巳、さま。 

 つと、指先が目当ての一枚を見つける。 数日前に書いた脚本。 

 毎日脚本を書くということは、毎日日記を書くということに似ている。 もちろん、その日の出来事を脚本の中に綴(つづ)っているという事ではないが。 楽しい事があった日は、楽しげな。 哀しい事があった日は哀しげな。 いきどおろしい事が有った日は、荒れた。 そんな脚本が書きあがってしまう。 例え悲劇を書いたとしても、楽しい事があった日に書いた悲劇は、何故か言葉の端々がスキップしているようで、幸せな気持ちになれる悲劇 などという訳のわからないものが出来上がってしまったり。 
 更にいえば瞳子は万年筆を使うので、書き連ねた筆跡からも、そのときの自分の感情がどんなものであったかわかってしまう。 ゆき過ぎて行った感情を後から見つけ出す事が出来るという点で、毎日書く脚本は、日記と同じような能力がある。 

 心象的時間旅行能力。 

 SF小説の主人公のように、生身で時間をさかのぼり過去を改変する事は出来なくても。 記憶と感情を遡る事で得た、新たな教訓の元に未来を改変することの出来る力。 

 そして、 
 あの日、あの夜、後夜祭が終わってから書いた脚本には、一行。 

    『福沢祐巳はぬるま湯なのだ。』 

   と、しるされていた。 

 これは脚本ではない。 かといって日記でもない。 
 あの夜。 お祭りの興奮冷めやらぬままに、さあ今日は何を書こうかしらと文机に向かった瞬間。 フラッシュバックのように思い出される真っ暗い校庭、鮮やかに燃え上がるファイヤーストーム。 そして脳裏に降りてきた一片の言葉。 

『福沢祐巳はぬるま湯なのだ』 

 時折こういうことがある。 何を思うでもなく、ある言葉が頭の中で燦然と輝く。 その一節をおもむろに原稿用紙に書き落とすと、あとはその前後のシーンを猛然と埋めてゆくのだ。 台詞を、情景を、役者を。 そうして一つの世界を築きあげる。 こんな時は大抵、後から読み返してもなかなかの傑作と思えるものができるているのだ。 だから瞳子はそんな力のある言葉が脳裏に煌めくことを、ひそかに ”天啓が降りてくる” と呼んでいた。 

 あの夜も天啓が降りてきた。 でも、あの夜は何故か、この一節以外何も書けなかった。 

 松平瞳子が役者としての自分に課した戒律には、早寝早起き、というものがある。 役者というものは重労働なのだ。 重い衣装を着込んで舞台の上にたちっぱなしで何時間。 焼け付くような照明にてらされても、観客の見えるところには1滴の汗もかかず。 台詞を間違える人だの道具を無くす人だの、精神的に絞り上げられる状況も頻発する。 対抗するには何は無くとも充実した体力が必要だ。 

 だから瞳子は早く寝る。 そして早く起きて、屋敷の敷地内を走る。 敷地内と言って馬鹿にしたものでもない。 丘(築山)は有るし、小川も流れている。 ちょっとしたクロスカントリーの気分になれる位の広さはある。 瞳子の家は本館はバロック風で、これに合わせた前庭も成型庭園だが、祖父の住む離れは和風だし、その向うには日本庭園が広がっている。 一回りするだけでも1〜2kmほどのジョギングにはなる。 
 
 いつも規則正しく早く寝るために、時として脚本を書くための時間はとても短くなる事がある。 短いときは30分。 それでも、日課となっていて慣れている分、短い時間なら短いなりに、工夫の聞いた一人芝居や一場物などを書き上げるのに困る事は無い。 

 あの夜も、後夜祭の始末などで帰宅は随分と遅くなった。 だから書くための時間は1時間も取れなかった。 短いと言えば短い。 だけど、天啓が降りてきたのに。 何も書けない筈は無いのに。 

 それでも、筆は止まってしまった。 

 例えば乃梨子さんを嵌めたときの推理仕立ての奴は30分で書き上げた。 あのときの天啓は 『あなたには、こちらの方がお似合いよ!』 だった。 今、仲良くなった2人の間では、時折この言葉が飛び出す。 おもに乃梨子さんが瞳子に絡むときに使ってくる。 瞳子がダージリンを飲もうと紅茶缶を取り出すと、こつんと肩をぶつけて 『あなたには、こちらの方がお似合いよ〜』 と、アールグレイの缶を押し付けてきたり。 そして、2人して流しの前でくすくす笑いあうのだ。 
 2人の間にかすがいを渡す、我ながら歴史に残る名言だったと思う。(おもに自分史に限られるが) 

 『福沢祐巳はぬるま湯なのだ』 この言葉から構想は湧かない。 脚本の1角を構成する言葉ではない。 
 『福沢祐巳はぬるま湯なのだ』 こんな言葉を言った人は、学園祭の日、誰もいなかった。 だからこれは日記でもない。 
 ではこの言葉は何なのだろう。 私の心の奥から浮かび上がってきた、言葉。 

 心の奥から? 

 では、この言葉は私の心にとっての福沢祐巳なのだろうか。 
 ぬるま湯。 ……暖かい水。 冷たいお湯。 冷水のように心臓を刺激せず。 熱水のように肌を焼かず。 体温に程近い、水。 
 それに身を浸せば、優しいぬくもりで全身の緊張を緩めてくれる。 

 だが存外、ぬるま湯と言うものは芯から温まるには役に立たない。 温度こそ体温よりも高いものの、体温を上げるほどの力は無い。 
 むしろ、ぬるま湯は、そこから離れてしまうと、あとは身体を濡らす湯の残滓が、体温を奪ってゆくばかり。 

 瞳子は熱いお風呂が好きだ。 のぼせるほどの熱いお湯に長く長く入っていると、身体の中が思いっきり元気になって、悪いものを排出しようとフル回転してくれるのがわかるから。 
 瞳子は凍るような冷たいシャワーが好きだ。 肌をさす痛みに耐えているうちに、身体が冷水に対抗するために段々と体温を上げていくのが心地よい。 自分の身体が頑張っていると言う事がわかるのが嬉しい。 

 ぬるま湯はどうなのだろう。 好きなのか、嫌いなのか。 

 好き、とはいえない。 だが嫌いと言うわけでもない。 あえて言うなら苦手、なのだろうと思う。 

 では、松平瞳子は ”ぬるま湯” である福沢祐巳を苦手なのか。 
 ……どうやらそうらしい。 

 熱いお風呂が好きなように、瞳子は熱い人間が好きだ。 こちらも熱く対する事もあれば、あえて冷ややかに鼻であしらう事もある。 
 凍るような冷たいシャワーが好きなように、瞳子は冷たい人間も好きだ。 相手よりも更に冷え冷えと応ずる事も有れば、あえて熱く挑発する事もある。 

 いまだ十数年の人生だが、瞳子はどんな人間に相対しても対応に困った事が無い。(優兄さまのような千年うなぎはべつであるが) 
 どこを押せば泣き、どこを押せば笑い、どこを押せば怒るか。 瞳子には、まるで感情を切り替えるボタンを目の前に差し出されているかのように、あいての反応が予想できる。 

 だが福沢祐巳は違う。 怒るべきときに怒らない。 泣くべきときに泣かない。 あまつさえ、はんなり笑って腕を絡めてくる。 あんな生き物は知らない。 

 「怒るべきときに怒って、泣くべきときに泣けばよろしいのよ。 やれば出来るのだから。」 そうしたら、私はもっと楽に福沢祐巳に関われるのに。 

 楽に、関われる……?  わたしは、あの人に関わりたいのだろうか。 

 あの日、あの雨の日。 遠ざかる車窓の向うの情景が忘れられない。 
 祥子お姉さまは、未練を断ち切るように膝元ので握り締めたこぶしに視線を落とし、後ろを振り返りはしなかった。 
 でも瞳子は振り返って見ていた。 ほかの誰も見ていないだろう、瞳子だけが知っている福沢祐巳の表情を見つめていた。 

 雨の中濡れそぼち。 涙でぐしゃぐしゃの顔には泥がはね。 トレードマークのツインテールもペッショリとうな垂れ。 地べたに這いつくばっている。 そのみすぼらしいさま。 
 だがなんと生命そのものに満ちていた事か。 最後の最後まで顔を上げ、去りゆく車から視線を反らさない心。 
 あのとき、あの人の魂そのものが、剥き出しのままにあそこにあった。 
 雨に濡れ 泥に汚れたまま、それでもその華のような麗しさは瞳子の心を貫いた。 

 ぞくり、と瞳子の中の何かが反応する。 

 ”あの” 福沢祐巳が欲しい。 
 細川可南子の夢見ていたような、風のような、光のような 白く透明な天使ではなく。 
 下級生の危機に庇護してくれる、物分りが良くて、やさしい上級生でもなく。 
 泣いて、怒って、笑い、悲しむ。  全身全霊で生きてる、なまなましい感情を持った ”あの” 少女が欲しい。 

 私は、福沢祐巳に関わりたいらしい。 本気で。 

 瞳子は微笑んだ。 暗く陰惨な、ファウスト氏を誑かしたメフィストフィレスのような笑みだった。 
 今までどれほどひどい態度を採ってきた事か。 
 今までどれほどむごい言葉を投げつけてきた事か。

 それを判っていてもなお、心のベクトルが曲げられないと言うならば。 祐巳さま、 
 あなたはこれから私の本気を、思い知る事になるでしょう。 その身で。 

 あれは誰の言葉だったか、 
 『スープは熱いうちに。 しかして陰謀は冷やせば冷やすほど美味。』 

 くすくすくす。 

 時間をたっぷりかけ、からめ手を攻め、退路も援軍も断ち。 
 じわじわと真綿で首を締めるように、恐怖と苦痛と歓喜を与え。 
 遠からず、わたしなしでは生きられぬようにして差し上げますわ。 



 時計はもう就寝時間を告げている。 
 瞳子は机の上に置いたままの白い原稿用紙をみた。 今日の脚本は書けなかった。 だが、 
 さらさらと一文を書き連ね、万年筆をおく。 

 今宵は何もかけませんでしたが、自分自身を知ることの出来る有意義なひと時でした。 

 おやすみなさいませ。 ”わたくしの” 祐巳さま。 


                       ◆ 

 机の上の原稿用紙。 
 
  『全てを失い、ただ一つを手に入れましょう』 








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v0.1:読み仮名を削除。 漢字書きの一部を平仮名にほどく。 2006/02/14

 【No:1122】 ←関連SSあります。 


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