「ごきげんよう」
「ごきげんよう」
爽やかな挨拶が澄み切った青空にこだまする中、祐巳はいつものようにマリア象の前で手を合わせ………
「って、象!!!」
マリア様の頭が象さんだった。しかも穏やかに微笑んでるぅ!
「それはガネーシャです」
「うあっ!!」
後ろからの声に祐巳が慌てて振り返ると、そこに居たのは駱駝に乗った女性だった。……象の次は駱駝ですか。っていうか誰?
「私はゴモリー。ある御方の使いであなたを迎えに来ました」
「あるおかた?」
「それはお会いになればわかります。ちなみに島津由乃はアスタロトから、藤堂志摩子は大天使から迎えを受けています」
「由乃さんと志摩子さんが?」
「二人のことが気になるのなら、それについても聞くことができるでしょう」
胡散臭い。とても胡散臭い。そもそもガネーシャって何? アスタロトって? なぜ駱駝?
「このあたりは『歪み』があって異世界との干渉を起こしています。本来この世界に存在しないはずの悪魔が実体化しているのもその為です」
「へえ……」
半笑いを浮かべた祐巳のすぐ傍を、御伽噺に出てくるような妖精が通り過ぎた。
「いきなりで戸惑うのもわかります。少しあたりをまわってくれば状況はわかるでしょう。ですが、あまり時間はありませんよ」
状況がまともでないことはすぐにわかった。神話や伝説の中の存在があたりを徘徊しているのだ。道なりに進んで角を曲がると、目の前に犬の顔があった。二本足で立って、手には棒切れを持っていたが。祐巳の姿を認めたそれは、その棒切れをふりかぶった。
「きゃああああああ」
「伏せてっ!」
頭を抱えて蹲った瞬間、目の前のそれが吹っ飛んだ。
「……え?」
「あいかわらず無防備なんだから。祐巳さんは」
「由乃さん!!!」
「はい。ごきげんよう」
びゅんっ、と手にした木刀を一振りして笑顔で応える由乃さん。
「ご、ごきげんよう………じゃなくて! なに、なにこれ? どうなってるの?」
「落ち着いて、祐巳さん。大丈夫だから。ううん、むしろ好都合なのよ。私は力を手に入れた。もう病弱だの体力無しだの言わせない! なんだってできるわ。祐巳さん。あなたもコチラにきなさいよ。この力で一緒に世界を掴みましょう」
「由乃、さん?」
「お待ちなさい」
差し伸べられた手を取ろうとした瞬間、横から声がかかった。
「志摩子さん!?」
「ちっ!」
憎々しげに舌打ちする由乃さん。ちょっと信じられない光景だった。対する志摩子さんも厳しい視線を由乃さんに向けていた。
「祐巳さん。惑わされてはいけないわ。由乃さんは手にした力に溺れているだけ。それでは世界を混沌に導くだけだわ」
「それが何? 力あるものがその力を行使することに、躊躇う理由なんてないでしょう」
「力だけでは何も解決しないわ。その考え方が世界に混乱を呼ぶのだと、何故わからないの」
「自分達に従わないものを力ずくで排除する輩がよく言うわね」
「残念なことだと思います。でも秩序だった世界の為には仕方のないことです」
「はっ、聞いた? 祐巳さん。自分達の価値観を押し付けて、異なる価値観を排除する。どこの独裁者よ。人から自由も意志も奪う世界にどんな意味があるっていうの?」
「自由と言えば聞こえはいいけれど、皆が己の欲望にまかせて行動していたら、虐げられるのは弱者です。
私達が目指すのは弱者が弱者というだけで虐げられるようなことの無い平和な世界。由乃さんならわかってくれると思ったのだけれど?」
「うるさいっ!!」
本気の怒号。
二人の言葉はどこまでいっても平行線のようだった。
「今更話をするだけ無駄よね」
そう言って由乃さんは、祐巳を救ってくれたその剣を志摩子さんに向ける。わずかに身を沈めると、次の瞬間弾けるように突進した。普通の人であるところの祐巳の目では追いきれない程のスピードで。
真正面から突っ込んでくる由乃に対し、志摩子はふわりと体を横に開き、舞うような動きでその突進をひらりと躱した。
「菜々!」
間髪入れず叫ぶ由乃。
その一撃を躱して体が流れている志摩子の横合いから、小柄な人影が突っ込んでくる。それを認めた志摩子は体が流れるままにふわりと回りながら遠心力にまかせて腕を横から振り抜いた。
竹刀に横からの衝撃を受けて、菜々はわずかに姿勢を崩す。その横を腕を振り切った回転そのままにゆるやかにまわりながらすり抜けていく志摩子。
眼前に迫る切っ先を掌で横からはたいたのだ、と気付く。おそらくその反動すら利用しての回避だろう。
直後、菜々は足を踏ん張って無理矢理体の行き足を止める。ギリギリと足にかかる負荷を無視して踏ん張ったその勢いを逆方向へ開放し、志摩子の背後から追撃をかける。
ゆるやかな回転を止めた志摩子は視線を由乃の方に向けていた。
(とれる!?)同時に感じるかすかな違和感。進路を塞ぐように飛び出す人影が視界に入るのもまた同時だった。止まれない。避けられない。咄嗟に菜々は竹刀を新たに現れた人影に叩き付けた。
一瞬の交錯の後、大きく退がって距離をとる菜々。
二人の間に立ち塞がったのは、両手に一刀ずつ二刀を構えた乃梨子だった。その二刀をもって、菜々の一撃をはじき返したのだ。
「遅くなってすみません」
「いいえ、助かったわ。乃梨子」
視線を由乃に向けたままの志摩子がわずかに笑みを浮かべる。
「由乃さん。今日のところはこのくらいにしておきましょう。祐巳さんが困っているわ」
「逃げる気?」
「由乃さま」
あくまで戦闘態勢を崩さない由乃だったが、味方のはずの菜々にまで諌められて、ムッとしたような顔になる。
だが、潮時だ。と菜々は思った。最初の一撃、奇襲が躱された時点で機は去った。切り返しの追撃をかけたのは、あまりに鮮やかに避けられたが為に、菜々の剣士の部分がうずいたからにすぎない。
まして2対2になった以上、このまま続けるのは得策ではなかった。それは由乃もわかっていることだ。
渋々構えを解く由乃を見て、それまでただ成り行きを見ているだけだった祐巳は大きく息を付いた。
そんな様子をわかっているのかいないのか、志摩子さんは気にした風もなく言葉を続ける。
「祐巳さん。よく考えて自分で決めて。あなたの進むべき道を。私達はあなたを歓迎するわ」
いつものような穏やかな笑みを浮かべてそう告げると、志摩子さんは踵を返して立ち去った。後を一度も振り返ることなく。その後ろを、祐巳に目礼した乃梨子ちゃんが、こちらは由乃さん達から視線を外すことなく志摩子さんの背後を守るように付いて行く。
「ふん。気取っちゃって」
面白くなさそうに由乃さんが呟く。が、すぐに気を取り直したようにニッと笑った。
「まあ、いいわ。今回は祐巳さんと話したかっただけだし」
そしてあらためて祐巳を見て言う。
「祐巳さん。よく考えて、そして決めて。私はいつでも大歓迎だから」
志摩子さんと同じようなことを言って、由乃さんも引き上げていく。その後をペコリとおじぎをした菜々ちゃんが続いていった。
「……なんなのよ」
言うだけ言ってさっさと引き上げていった友人二人を見送って、祐巳は一人途方に暮れる。
この後、人も悪魔も巻き込んだ2つの陣営、ロウ(秩序)とカオス(混沌)の争いに否応も無く巻き込まれていくことになるとは、神ならぬ身の祐巳には知る由も無かった。
皇紀26XX年、世界は悪魔の跳梁跋扈する異界と化した。
これが後に『時空歪曲現象における異世界相互干渉作用及び異種生命体顕現による世界侵食』と呼ばれることになる事象、俗に『リリアン黙示録』とも呼ばれる大厄災の、世界の終わりの始まりだった。
『真・マリア転生 リリアン黙示録』 始まります。
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