【1152】 よ〜く考えよう♪肉球あたーっく  (春霞 2006-02-20 23:35:26)


 バタバタバタ。 階下から随分大きな足音が近づいてくる。 
 この木造の建て屋は1F部分には物置しかない。2Fにはこの事務室と、続きの小部屋しかない。 ということは、階下の人物はやがてここまでやって来るということだ。 

 うんうん(コクコク) 
 書類の検算をしながらも、単調さのあまり、頭の片隅が現実逃避を始めた彼女は、はて、それでは誰が来るのだろう? とさらに思考が滑って行くのを止めそこなった。 

 「たぶん、やぎさんではなくて?」 テーブルの向かい側からいらえがある。 
 「え?」 口に出したつもりは無かったが、この部屋には今2人しかいないから、小さな声でも耳に届いてしまったのだろう。 お互いに書類仕事に没頭していたはずなのに、ちゃんと応えてくれる心遣いがとてもうれしい。 

 「どうしてですか?」 
 「昼休みに、私のほうから書類を差し戻しに行ったのだけど、居なかったのよ。 それで、 ”予算申請書類に不備があります。速やかに訂正の上、再提出してください。 このままでは、びた一文執行できません。” という伝言メモをつけて、机上に置いてきたの」 
 「うわぁ。 そのおっしゃりようでは、あの怒涛の足音も無理ありませんね。 怒ってらっしゃるんじゃないですか?」 
 「あら、事実をありのままに指摘しただけよ。 実際あの書類では予算の執行など出来ないのだから。 間違う方が悪いのよ。」 
 「それはそうですがーー」 

 ガンガンガンガン。 階段を踏み抜かんばかりに駆け上がってくる音がする。 
 ああ、この建物、歴史が古いと言えば聞こえがいいけど、もう大概草臥れてるんだから、丁寧に扱ってくれないかな。 また営繕費の予算を工面しなくちゃいけなくなるよ。 

 「……って、いらっしゃるのは  やぎさま  なんですか!!」 うわあ、準備しないと大変だ。 

 バキーン! 
 なに?なんなの? 若しかして、あのよれよれの階段踏み抜いたとか。 
 って、そっちは後で確認して落とし前付けるとして、ともかく今は 対やぎさま防衛戦シフトよ! 
 立ち上がって一歩で、ファックスコピー複合機の脇に置かれたトレイに右手を突っ込み、むんずと書類束を掴みだす。 
 振り返って二歩で、扉に向き直り、 『対やぎさま迎撃モード』 に突入。 

 バターン!!
 ビスケットのような部屋の扉が、まるで大根でも引っこ抜くような勢いで開け放たれる。 
 うわ、今絶対、蝶つがいが痛んだ。 修理費用はもちろん やぎさま持ち決定。 

 「すとーーーーっぷ!!!」 
 右手に持った紙の束を、今にも扉から突入せんと身構える、やぎさまの眼前に突きつけ。 
 そのまま左手でペンを差し出し矢継ぎ早に押しまくる。 

 「はい、こことここに記入してください。 あ、今日の日付も忘れずに。 そことそこの該当事項にチェックを入れて、はい、最後に末尾の署名欄にご署名を。」 

 目を白黒させながら、指示に従う やぎさま。 

 「はい、OKです。 それでは… 」 
 記入してもらった一枚目だけを確保し、残りの紙束をぽんと手渡した。 
 「これ、食べちゃっていいですよ。 そのかわり、絶・対・に、それ以外のこの室内には手を出さないで下さいね。」 

 廃棄物執行処理指示書に代理署名をさせ終えた以上、この書類の処理主管は山羊さまにあるわけだ。 あとで問題が起こっても知ーらない。 

 めえええ。 こちらの思惑も知らぬ気に、思わず嬉しそうに声を漏らすやぎさま。 
 むしゃむしゃと紙を食べながら、室内に入ってくる。 

 「ごきげんよう。 山羊さん。 書類の不備は直ったのかしら?」 一連の攻防を同ずる事無く眺めていた紅の豚さまが、ふっと冷笑して見せた。 
 あああ、何もそんなに挑発しなくても。 
 どうも、うちの紅の豚さまは新聞部と相当の確執が有るらしい。 いつもは冷静で優雅なのに、なぜか山羊さまが関わってくると理性を忘れる傾向にある。 
 ここはフォローしないと。 

 「ええと、拝見できますか? 山羊さま」 ぴょいと両手をそろえて差し出すと、肉球の上にクリアケースに収まった書類が置かれる。 
 うわ、これ苦手なんだけどな。 みょうにぴっとり肉球にくっつくから。 

 ぴとぴとするケースから、苦労して申請書類を取り出し確認する。 

 「あれ、直ってませんよ?」 
 「そりゃあそうよ。 どこも間違ってないんですもの。」 
 「ええ?、でもこのままじゃ予算オーバしますよ? さっき壊した建物の営繕費分を差っ引かなくても。」 
 「やめてよ、毎度逼迫してるんだから。 このボロ屋の修理費までこっちに言って来ないで」 
 「ええー、でも、、、」 口篭もりながら、深い緑色のプリーツの裾からのぞく、偶蹄目特有のガッチリしたひづめを盗み見る。 

 あの足でげしげしされたら、壊れるの、当たり前だよう。 

 「で、山羊さんは ”取材用ボールペン” を3,000本も買い込んでナニをしようと言うのかしら?」 
 またしても冷ややかな、紅の豚さまの突っ込み。 

 「なんのこと?」 心底本気で解らないようだ。 
 「ここです、ここ」 背伸びしながら、数量欄を示す。 
 「なによ、 30.00個って書いてるじゃない。 」 
 「書式が変更になったんですよ。 『ボールペン 0.5本 なんてナンセンスな表現、私が許しません!』 っていうことで、今度から割りようの無い物品は、小数点以下を書かないことになってるんです。 しかもこの書類だと点が有るんだか無いんだか解らないし。」 

 「なによ、聞いてないわ、そんな話」 
 ウキーとなる、山羊さま。 

 「なにいってるの。 貴女のところの学園新聞にも載せたでしょう。 先週号で」 さらに冷えびえとなるお声。 

 うわぁ、本当にまずい。 戦闘モード直前の声色になってる。 7.92 mm シュパンダウ機銃を持ち出してくる前に何とかしなきゃあ。 

 ぺちん。 両手の肉球と肉球を打ち合わせると。 ぼうううん。 真っ白い煙がもうもうと立ち上る。 

 「さあ、いまのうちに引いてください。 」 
 「なによ、私は悪くないわよ」 
 「山羊さま、本気で修繕費をつけて差し上げましょうか?」 にーーっこりと微笑んでみせる。 

 帰りの道中で、大事な書類が食べられないようにもう一度クリアケースに落とし込む。 
 それを渡しながらも、同時にぐいぐいと背中を押して扉の外へ。 

 ばたん。 

 ようやく薄れてきた煙を、つい とひと撫でして掌に収め、にっこり笑って振り返る。 

 「納得して帰っていただきました」 にこっ。 

 じーーーー。 

 に、にこっ。 

 じぃぃぃーーーー。 

 に、に、にここっ。 (ひくひく) 

 「修繕費は……」 
 「はい、もちろん払っていただきます!」 チラリと肩越しに振り返ると、ビスケットの扉は斜めにかしいで、隙間風が吹いている。 

 「でも、貴女さっき……」 
 「払わなくて良い、 とはひとことも言っていませんから。」 (笑顔全開) 




 「まあ、良いわ」 
 「えへへ」 

 「それにしても、随分たぶらかすのが巧くなった事、狸娘の面目躍如ね」 
 「そりゃあ、わたし。 本当に狸ですからー。」 

 ぽぽぽん。 


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