【1155】 あたらしい予感風が吹けば  (春霞 2006-02-21 06:48:20)


「……興味深いお話ですが…お断りさせていただきます」 

 菜々は、にこりと微笑みながら手の中のものを由乃に返した。 

 式の直後に捕まえる事が出来ず、さんざ探し回って、公孫樹並木でようやく菜々を見つけた由乃。 かねてからの決意どおり、その場で 『私の妹になってほしい』 と一度はロザリオを握らせたのだったが。 

 あの、ある意味衝撃的な ==Girl meets Girl== 以来これまで。
 由乃から積極的に動いて、幾度かの強引な逢瀬を果たしてきた。 それぞれに、かなり苦しい理由付けだったのだが、筋が通る通らないにはあまり頓着せずに、くすくす笑いながら付き合ってくれていた菜々。 
 いけるという確信があっただけに、ここで断られるとは思ってもみなかった。 
 由乃の読みが甘かったということなのか。 

 そりゃあ確かに、愛しげな眼差しというよりは珍奇な小動物を観察するような眼で見られている感じは、今までにもたびたび有ったのだけれど。 今みたいに、こんな、突き放すような冷たい目で見られたことは無かった。 

 だから余計にショックだった。 
 正直、姉妹の申し込みを断られたことよりも。 冷たい、いや、むしろ無感動な。 道端の小石を眺めるような眼で見られていることに、由乃は堪らないほどの痛みを感じていた。 
 これならまだ、好奇心だけが動機の観察者の眼で見られているほうがよほどいい。 

 なにしろ姉妹の申し込みを下級生側から断るシーンは、一昨年の秋、親友が目の前で見せてくれたし。 それから程なくして自分自身も上級生に十字架をつき返す荒業をやってしまったわけで。 姉妹という関係に絶対安全はないというのは身にしみて解っていたから。 

「………理由…聞かせてくれる?」 
 断られた事よりもむしろ、その冷たい眼差しの意味を知りたくて、由乃は勇気を振り絞った。 

「……クリスマス会でのことを覚えていらっしゃいますか?」 
「ええ、当然でしょ」 
 由乃は、その薄い胸を無意味に張って、ふんぞり返ってみた。 無論虚勢である。 

 島津由乃は、まごうかたなく内弁慶である。 

 それはそうだろう。 幼い頃から心の臓をわずらい。 両親はもとより、伯父夫婦や従姉もそろって、壊れやすい白磁を扱うように徹底的にお姫様扱いしてくれてきた。 自らが望む前に、察しよく気を回して大抵の事をかなえてくれる人々のおかげで、由乃は幼少期、言葉をつかって望みを表明する必要がほとんど無く、おかげで言語知能の発達がやや遅れるということまで起きた、らしい。 
 過日『笑い話』としてお母さんが教えてくれたけれど、どこまで本当なのかと小首をかしげる自分に 『あら、脚色、フィクション一切無しよ』 と、ころころ笑われたのにはまいった。 自分では覚えていないが、あの両親たちなら本当にそのくらいやりかねないところだし。 

 そこまで愛されてきた由乃には、正面から心底憎まれたり嫌われたという記憶が無い。 幼稚舎に入って以降も、同情されたり敬遠された事はあっても、嫌われた事は無かったし。 
 だから、高等部で自分を嫌ってくれた 田沼ちさとが、この人生での初体験ということになる。 (おかげで少女は、由乃の心の中では、令ちゃんなどよりも数段高いところにランキングされていたりするが。) 

「あの時、自ら招いたゲストを放り捨てて、ホステスである貴女は周りの全てを忘れましたね。 打ち捨てられた私がどう思ったか解りますか?」 
 由乃は、自己弁護したい気持ちを抑えて先を促した。 この娘はこれからなにを言うつもりなのか。 聞くのが怖い。 握り締めたこぶしが微かに震えていた。 
 それでも自分は聞かなくてはならない。 

「人として、信ずるに足らない方だ。 他人を導く力の無い人だ。 と。  出会い方が出会い方でしたし、あなたが妹をお持ちでない事も後から調べればすぐにわかりました。 もしかしたら、この人の妹になる可能性もあるのかな?とおもった事もじつは有りましたが。 あの日、全てが覚めました。」 

 常に周囲から好意のみを与え続けられてきた幼い少女が、増長するなど簡単な事だ。 
 何もかもが自分の思うとおりになる、ならねば癇癪をおこす。 そうして他人に八つ当たる。 つまるところ女王さまで暴君さまで。 周りはそれでも全てを赦す。 

 たとえ自分を甘やかす人間の少ないアウェイゲームでも、支倉令さえ背後にいてくれれば、たちまち一転ホームフィールドアドバンテージが得られるし。 
 だから由乃は、自分が我が侭で、人格者でない事を良く知っていた。 

「もちろん同世代相手に過大な期待をするつもりは有りませんが。 あの有様は、まるで小学校低学年くらいの子供が、頑是無く駄々をこねているように見えて」 

 これまで島津由乃の人生にとって、恐ろしいのは自分自身の心臓以外にはなかった。 つい一年半前までのことだ。 そして、手術をしてからは怖いものなど何も無くなった。 
 だが、今、目の前の少女が本当に怖い。 
 自分の未熟さ故に、初めて自分から好意を持った少女に見限られえようとしている。 縁が切れようとしている。 それは、これまでの由乃の我が侭な人生の結実なのだ。 

 自分がもっと勇気を出して、早い時期に手術をして健康になっていれば、令ちゃん達も由乃を甘やかす事も無く、もう少しマシな人格を形成できたかもしれない。 
 自分がもっと勇気を出して、早い時期に手術をして健康になっていれば、早くから剣道を学んで、この菜々を指導できるほどの実力が得られたかもしれない。 

「そんなこと…」 「無いと言えますか?」 
 条件反射で否定しようとした由乃を、菜々は間髪いれずに追い詰める。 この娘は由乃に恨みでもあるのか。 何故こんなにも悪意に満ちている? 

 支倉令は、決して島津由乃を否定しない。 どんな言葉も、叱責でさえ好意と愛情に裏打ちされている。 由乃が無茶を言っても笑って赦してくれるし、何かをしでかしても怒って赦してくれる。 

 必ず自分を赦し受け容れてくれる存在。 藤堂志摩子はそれを神に求め、やがて二条乃梨子に至った。 小笠原祥子は柏木優を望み、やがて福沢祐巳を得た。 
 島津由乃は敢えてソレを探した事が無かった。 生まれたとき、既に支倉令がいたから。 彼女がいれば、由乃の狭い世界の全てはホームフィールドだったのだ。 

 だから結局のところ。 
 島津由乃は、まごうかたなく内弁慶で ”あった”。 

「せめて親離れしている相手と、人として対等な関係を結びたいんですよ。 どうせなら」

 かつて、黄薔薇革命という銘で、燦然とリリアンの歴史にその名を刻み込んだ事件があった。 
 あれは結局、全て満ち足りた少女期から、遅ればせながら思春期に突入しようとしていた自分の反抗期の現われであったのだと 今なら理解できる。 
 全てを慈愛深く包み込んでくれる無償の愛が鬱陶しくなったのだ。 
 祐巳さんに問われたとき、令の精神的自立を錦の御旗に協力をえた。 だが、あの時自分はなんと言ったか。 

『その代わり、令ちゃんにだけ苦しませやしない。 私だって強くなるから』

 あれは、本当は心臓の事だけを言ったのでは無かったはずなのに。 
 自分の足で、並び立って歩きたかった。 それは心のありようをも示していたはずなのに。 
 あの時十字架を返した時の自分自身が、鏡のように自分の心を突き刺してくる。 
 -----島津由乃、あなたはあれから何か成長したの? べったり寄りかかっていたのは貴女の方ではなくて?-----  なぜか江利子さまの声で幻聴が聞こえる。 高笑いまで聞こえる。 

 袖すり合うも多少の縁、という言葉がある。 よい格言では有るが、当事者のどちらかが 『あ、今、袖がすり合いましたよ〜』 とアッピールしなくては、何の発展もありえないという意味にも取れる。 

 そして、いままで。 島津由乃は自分の方からアッピールした事が無い。 
 今では親友の祐巳だとて、昨年の梅雨頃に自分から一念発起してお節介をしてみたけれどあっさりと素気無くされて。 そのあとは、自分から歩み寄って拒絶されるのが怖くて、『このまま、またいつもと同じように、ただのお知り合いとして遠くなってゆくのかな』 とやきもきしているだけだった。 
 でも彼女は自分で立ち直って、向うから手を差し伸べてくれたから。 今のように親友でいられるのは全て祐巳のおかげ。 

 だから有馬菜々という少女をこましてやろうという現在の状況は、最初の切っ掛けこそ凸さまからのプレッシャー故としても。 
 生まれて初めて、島津由乃が自分自身の意志で他人と関る決意から生まれたことのはずだった。 

 だがそれも、小姉と大姉に全てお膳立てされ、のせられ、導かれていたのだとしたら。 
 私の意思はどこにある。 
 有馬菜々への思いはどこから生まれた? 


「菜々、……さんの言いたいことはわかったわ。 あと、もう一つだけ聞かせて。」 
「なんでしょうか?」 
「今日の菜々、……さんはどうしてそんなに攻撃的なの? わたしが姉としての資質に欠けているとしても。 昨日までは、まだずっと柔かかったのに」 

 じっと由乃を見つめる菜々。 ふう、とため息をつく。 
「そうですね。 ここまで言いたい放題言って、自分の事情を明かさないのはフェアでは有りませんね。」 




 昨晩、支倉令さまが我が家にいらっしゃいました。 
 『由乃を頼みたい』 と。 ご本人も随分苦悩されたようですが、自分なりに結論を出せたせいでしょう。 随分と爽やかな笑顔で去っていかれました。 
 わたしの応えも聞かずに。 
 私は、正直なところお古とかお下がりとかにはウンザリしているんです。 
 4人姉妹ですから。 何がしか新品ということはめったに有りません。 なにもかもが姉たちの使用済みですよ。 小学校では、会う先生方会う先生方、皆さん 『お、四人姉妹の末っ子だね』 とおっしゃってくる始末。 
 わたしは別に好きでカルテットを組んでいるわけではないのですから、全くのところ不本意な言われようでした。 


 そう言えば。 と、くるりとその場で一回り。 高等部の制服、似合っていると思いますか? 

 にこりと微笑まれて、今日ようやく菜々のいやみのない笑顔を見られた由乃は、嬉しくてここぞとばかりに誉めそやして機嫌を取り結ぼうとする。 
 これだけ言われても、菜々の笑顔が嬉しく愛しいのは、何故だろう。 
 だが菜々の方は、由乃の言葉にはさして反応せずに、一人で微笑んでいる。 


 リリアンを選んだのは、制服で、なんですよ。 ミーハという人も居ますけど。 流石にこの制服ばかりは、お下がりという事はありえませんから。 
 上の3人は皆、公立中学校から太仲女子に行きましたし。 
 親の方は私にも同じルートで太仲女子に行って欲しかったみたいですけど。 長姉の道具が全部使いまわせて安上がりですから。 
 ですが、リリアンのブランドには説得力がありますからね。 喜んでもらえましたよ。 

 だから私はこの制服をとても気に入っているんです。 中等部のリボンを結ぶ奴も。 この高等部のセーラカラーを結ぶ奴も。 
 私が、私自身の意思で、私自身の綿密な計算を遂行する事によって。 ようやく手に入れた、私だけのもの、ですから。 

 それで、わたしはもうお古はいらないんです。 
 由乃さまとの関係は、じつは昨日まで随分と考えていました。 これからどうしよう、と。 ですが、支倉令さまのおかげですっぱりと吹っ切れました。 
 わたしは、支倉令さまのお下がりで、島津由乃さまのお世話係を引き受ける気は全くありませんから。 

 中学生で私はリリアンの制服を手に入れました。 高等部でも何か自分だけのものを手に入れますよ。 有馬という姓は姉たちが持っていないものですし。 歳を経ながら、わたしは、わたしだけのもの。 自分が拠って立つ場所を一つずつ自力で手に入れてゆくつもりです。 
 そういうわけで、自分自身の人生に忙しいということも有るんですよ。 

 それにしても、剣に於いて私に及ばず。 知に於いて私に及ばず。 人品に於いて私に及ばず。 一体なにを以って、由乃さまは私を導く姉(グラン・スール)に、適うと思われたのですか? 

 もはや、わたしの人生と由乃さまの人生が交錯することも無いでしょうが、これからはどうぞ黄薔薇さまとして、後進の指導にお励みください。 
 遠くから見ている分にはとても面白そうですから。 

 それではごきげんよう。 



 言いたいことを言いたいだけ言い放って去っていった菜々。 
 由乃はその後姿をじっと見詰めていた。 




 由乃と菜々の間を桜の花びらをはらんだ風が抜ける。 
 由乃は、菜々の背中を見送りながら、同時に自分の心の中をじっと見つめていた。 

 のりでもなく、誰かに言われたのでもない。 自分自身の中で生まれ出た思い。 
 それは果たして、これからの2人をどこへと連れてゆくのだろう。 

 春、何かに出会う季節の昼下がりの出来事だった。  








 『取り敢えず余計な事をしてくれた令ちゃんは、10年間くらい放置プレイ決定ね』 




『黄薔薇交差点』
┣ 『気づいた時には 【No:1074】』

〆 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| ☆ さて、どうする?
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|   由乃が立ち去る。 ⇒ 『負けじ魂増殖』 【No:1081】 へ 
|    冒頭を(ぴー)って平行。 ⇒ 『どうしたいの菜々ちゃんに 【No:1086】』 へ
|    抜刀する。 ⇒ 『使用上の注意妹をバックアタック 【No:1099】』 へ
|    聖ワレンティヌスがみてる。 ⇒ 『貴女しかいないでもレイニー再び 【No:1136】』へ 
|  >冒頭どころか、色々(ぴー)って平行世界 ⇒ これです。

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v1.0 冒頭部分を含め、読み下しにくいところを改訂。 
     末尾のBGMは削除。 
     今回は、ほとんど漢字をほどかなかった。 2006/02/21 


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