【1189】 また会う日まで  (いぬいぬ 2006-02-26 22:08:15)


「最近、やっと少し暖かくなってきたわね」
「そうね。もうコートを脱いでも良い頃かしら? 」
 春も間近なリリアン女学園の放課後。そんな会話をしながら帰宅しようとしているのは、選挙を勝ち抜き、晴れて黄薔薇さまとなった島津由乃と、白薔薇さまである藤堂志摩子であった。
「それにしても、こうして志摩子さんと二人で下校するなんて初めてじゃない? 」
「そうだったかしら? 」
「そうよ。今日みたいに山百合会の仕事が無い日なんかは絶対そうよ」
 由乃に断言されても、軽く首をかしげて不思議そうな顔の志摩子。
 今日はたまたま、卒業間近の令は登校する日ではなく、乃梨子には用事があって、この二人と一緒ではないのだが、そう言われてみれば、そもそも乃梨子や聖以外と二人っきりで下校した記憶が志摩子には無い。
「そうね、初めてかも。でも、たまにはこういうのも良いんじゃない? 」
 嬉しそうな志摩子に「そうね」と笑って答えた由乃だったが、不意に黙り込んでしまう。
「どうしたの? 由乃さん」
「・・・いや、ふと今、何でこの二人で帰った事無いのか考えてみたんだけど、私達二人が揃った時って、たいがい祐巳さんもいて、2年生トリオで下校してたからじゃないかなぁ・・・と」
「ああ・・・ そう言われてみれば、3人で下校した記憶はあるわね」
 志摩子だけクラスが違えど、やはり同学年。学年ごとの行事などの都合で、帰宅時間が重なる事は多いのだ。
「そう言えば、今日は祐巳さんは? 」
「さあ? 放課後に気付いたらもう教室にはいなかったから・・・ 」
「先に帰ったのかしら・・・ 」
「そうかもね・・・・・・って、あれ祐巳さんじゃない? 」
 そう言って由乃が指差す先には、ベンチに座る人影があった。
 一人は特徴のあるツインテール。
 一人は特徴のある縦ロール。
「なんだ、姉妹水入らずだったか」
 紆余曲折の果てに姉妹となった祐巳と瞳子に気を効かせ、由乃が帰宅するコースを変更しようとすると、志摩子がそれを止めた。
「そういう訳でも無いみたいよ? 」
 そう言われ、由乃がベンチの方を良く見てみると、ベンチにはもう一人座っていた。
 老人にしてはわりと背の高い和装の男性で、祐巳は若干困った顔を、その男性に向けていた。
「ん〜? 誰だろう、あのご老人」
「・・・行ってみれば判るわ」
「え? あ、待って」
 考え込む由乃より先に、志摩子が歩き出す。祐巳が少し困った様子なので、ほおっておけなかったのだろう。
( 何か立場が逆のような気が・・・ )
 青信号のお株を奪われつつも、由乃が志摩子について歩いてゆくと、老人のやけに威厳のある声が聞こえてきた。
「本当に最近の若いモンは腑抜けとる! 寒い寒いと不満ばかりを口にして、まるで外で動こうとせん! 」
「・・・はあ」
「そもそも冬といえど、昔は春に備え・・・ 」
 腕組みをして、苦々しげな顔で愚痴り続ける老人。祐巳は相変わらず隣りで困った顔だ。
 その祐巳の隣りでは、瞳子が我関せずといった顔で座っていた。しかし、良く観察してみると、チラチラと祐巳の顔を盗み見ていた。
「はは〜ん・・・ 瞳子ちゃんも相変わらずね」
「何が? 」
 瞳子の顔を見て、何やら納得する由乃と、そんな由乃に困惑する志摩子。
「あれは、いつお姉さまをあの老人から奪い返そうかと、虎視眈々と狙っているところね」
「・・・そうなの? 何だか我関せずって顔のように見えるけれども」
「おおかた自分がお姉さまにかまって欲しくてしょうがないなんてトコは、意地でも見せたくないんでしょうね。まったく、それで一度、祐巳さんとの関係が終わりかけたっていうのに、懲りないというか何というか・・・ 」
「ツンデレも程々にって事ね」
「ツンデ・・・・・・ 志摩子さん、良くそんな言葉知ってたわね」
「乙女のたしなみよ」
 そう言って優しく微笑む志摩子に、由乃が計り知れないモノを感じていると、祐巳がこちらに気付いた。
「あ、由乃さん、志摩子さん、今帰り? 」
「ええ」
「・・・そうよ」
 由乃の返事が少し遅れたのは、瞳子の「また邪魔者が増えやがった」とばかりのあからさまな舌打ちが聞こえたからだったりする。
「ご学友かの? 」
「ええ、友人の島津由乃さんと藤堂志摩子さんです」
 老人の言葉に答える祐巳に紹介され、二人は「ごきげんよう」と挨拶をする。
 白く豊かな髪と髭をたくわえた老人も「うむ、ごきげんよう」と返した。
(なんだか軍人さんって感じ・・・ )
 由乃と志摩子が老人に同じ印象をいだいていると、老人は年を感じさせない軽やかな動きで立ち上がり、かたわらに置いてあった杖を手にした。老人の動きからは、杖が必要には見えないのだが。
( ・・・・・・なんだかあの杖、途中に切れ込みが入ってて、まるで仕込み・・・ イヤイヤ、まさかそんな )
 由乃が自分の考えを打ち消そうと首を振っていると、老人は祐巳に向かって話し始めた。
「そろそろワシも帰ることにしようかの。長々と愚痴を聞かせてすまなかったのう」
「いえ、私こそ何の役にも立たないで・・・ 」
「なに、年寄りには話を聞いてくれる相手がいるだけでもありがたいものじゃよ」
 そういって、二っと力強い笑みを浮かべる老人に、祐巳も笑顔を返す。
「・・・・・・そうじゃな、年寄りの愚痴に付き合ってくれた礼に、一つ綺麗な置き土産でも置いていこうかの。ワシなりのな」
 老人が祐巳の顔を見ながらそう言った瞬間、祐巳が微妙な顔をする。
 お土産をくれるというのに、あまり嬉しくなさそうな祐巳に、由乃と志摩子が疑問を感じていると、老人は豪快に笑いだした。
「ハッハッハッハッ! そんな心配そうな顔をせんでもよいわ! 」
「あ・・・ 」
 祐巳は、自分の顔がまた雄弁に語ってしまった事に気付いて赤くなる。
 そんな祐巳の頭を、老人は優しく撫でながら呟く。
「恥じるな。正直な心は宝じゃぞ。だいたい、心配せんでも後を引くような置き土産はせんわい。春も近いことだしのう」
 春とお土産に、何の関係があるんだろう? 由乃と志摩子が疑問に思っていたが、老人はさっさと踵を返して去っていってしまった。
「さらばじゃ。いずれ又まみえるその日までのう」
 そんなセリフを残しながら。
「・・・・・・なんだか豪快な人だったわね」
 老人を見送った由乃がそんな感想を述べると、祐巳は「うん、昔からあんな感じ」と答えた。
「古いお知り合いなの? 」
 志摩子の疑問に「子供の頃からのね」と答えつつ、祐巳がベンチから立ち上がる。
「で、今の方はどなたなんです? 」
 瞳子が聞くと、祐巳はきっぱりと、こう答えた。

「冬将軍さま」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・はあ? 」
 由乃は「あんた何言ってんの? 」的なニュアンスで問い返す。
「・・・・・・そうですか」
 だが、瞳子は何でもない事のようにスルーし、祐巳と共に帰り支度を始める。
「祐巳さん」
「何? 志摩子さん」
「私の家の近所に、評判の良い精神科の先生がいてね? 」
「・・・・・・何が言いたいのかは解からないけど、とても失礼な事を言われてるような気がするよ志摩子さん」
 祐巳が珍しく志摩子を半眼で軽くにらむと、隣から瞳子が会話に混ざってきた。
「志摩子さま。お姉さまは確かにおめでたい人ですが、嘘や虚言を吐くような人ではありませんわ」
「・・・・・・何気に瞳子も失礼だよね? 」
「まあ、おめでたいのも嘘をつかないのも解かるけど・・・ 」
「・・・・・・・・・えと、由乃さん?・・・私、訴えたら勝てるよね? 」
 由乃の言葉に、少し泣きそうな祐巳だった。
「祐巳さん、冬将軍さまって何よ? 」
「何って・・・ 言葉のとおりだよ? 」
 改めて聞く由乃に、祐巳は「あんたこそ何言ってんの? 」的なニュアンスで言い返す。
「えっと・・・ あだ名とか? 」
「だから、冬将軍さまは冬将軍さまだってば! 」
「・・・・・・天気予報なんかで“冬将軍の到来です”とか言われてる、あの冬将軍?」
「そう。何だ、判ってるんじゃない、由乃さん」
「・・・志摩子さん、その先生のとこって予約制? 今から予約取れる? できれば手遅れにならないうちに処置して欲しいんだけど」
「うわ!ヒドい! 何で私の言う事信じてくれないの?! 」
「・・・まあ、虚言ではありませんけど、一度きっちりその頭の内部構成を診察してもらうのも良いかも知れませんわよ? お姉さま」
「瞳子まで?! 」
 寄ってたかって可哀そうな人扱いされた祐巳は、本気で泣きそうだった。
「あの人、冬将軍さまなんだもん! ホントなんだもん!! 」
 軽くパニックを起こして幼児化する祐巳。
 志摩子が「そうね、あれは冬将軍さまよね」などと優しい微笑みでなだめてくるのがむしろ痛々しい。
「お姉さま、瞳子はお姉さまが嘘をついているなんて思っていませんわ」
 瞳子がそう言ってなだめるが、祐巳の頭を撫でながらニヘラニヘラ笑っているので、説得力が無い。
「そんな事言って本当は馬鹿にしてるんでしょう! 私はお姉さまなんだからね! 」
 瞳子は本当に祐巳の言葉を信じていたのだが、祐巳の頭を撫でるというシチュエーションがそんなに嬉しかったのか、にやける事がやめられず、結果益々祐巳を苛立たせてしまう。そのせいで、祐巳の幼児化は加速し、ぶんぶん両手を振り始めた。もはやその姿は、ダダをこねる幼稚園児にしか見えない。
「もう! 何で誰も・・・・・・ あっ! 」
『 ? 』
 突然上空を見上げて声をあげる祐巳に、他の3人の顔に疑問符が浮かぶ。
「ほら! 置き土産! 冬将軍さまの! 」
 嬉しそうに上空を指差す祐巳につられて、3人が上を見ると・・・
「・・・・・・・・・うそ・・・さっきまで晴れてて、あんなに暖かかったのに・・・ 」
 呆然と呟く由乃の上に、太陽の光を受けて、銀色に輝く粉雪が舞い降りてくる。
「ほらね? 嘘じゃなかったでしょ? 」
 大威張り絶頂な祐巳に答えることもできず、3人はただ呆然と雪を見つめていた。
 空はまだ晴れている。だが、視界は粉雪で埋め尽くされようとしていた。
 そんな奇跡のように白く輝く美しい光景に、誰も言葉を発する事ができない。
「後を引くような事は無いって言ってたから、すぐ消えちゃうんだろうなぁ・・・ こんなに綺麗なのに、ちょっともったいないよね? 」
 そう言って笑う祐巳に、由乃はなんと答えて良いやら判らなかった。
「・・・・・・志摩子さん、今のって・・・ 」
「・・・・・・・・・・・・・」
 由乃の問いにも、志摩子は沈黙したまま応えない。
 由乃は志摩子があまりの事に気絶でもしているんじゃないかと心配になり、再び話しかけた。
「ちょっと志摩子さん? 大丈夫? 」
「スキー場に冬将軍さまを派遣できたとして・・・ 」
「・・・・・・・・・はい? 」
「いくら儲かるかしら? 」
 そんな事を真顔で聞かれ、由乃はとりあえず心の中で「油断ならない人リスト」の先頭に志摩子の名前を刻み込む事にした。
 だが由乃はまだ気付いていない。志摩子の心の中で、由乃が「イジると面白い人リスト」の先頭に、乃梨子と共に刻み込まれている事を。
 それはともかく。
「と、瞳子ちゃん」
「何ですか? 由乃さま」
「あなたさっき、祐巳さんの言葉を信じるって言ってたわよね? 何の迷いも無く」
「ええ、この程度で驚いていては、お姉さまの妹は務まりませんから」
 本当に何でもないように答える瞳子。
「この程度?! ・・・って、他にも何かあったの?! 」
「・・・・・・お弁当を残した時に、『もったいないオバケが出るよ?』と言われて笑っていたら、本当にもったいないオバケを1ダース程の集団で連れてこられた時は、思わず失き・・・ ゲフン!ゲフン! し・・・しっかりと驚きましたわ! 」
 そう言って、ヲホホホホホと笑って誤魔化す瞳子に、同情を禁じえない由乃だった。
「それで祐巳さんに拭いてもらったのね? 」
「自分で拭きましたわ! ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・アッ! 」
 何気なく問いかけた志摩子の誘導尋問に思わず白状した瞳子を見て、嬉しそうにニッコリと微笑む志摩子。
 この瞬間、由乃と乃梨子を抜き、瞳子が志摩子の「イジると面白い人リスト」のトップへと躍り出たのだった。ホントにどうでも良い事だが。
 そんなベタなショートコントの横で、由乃はある種の絶望感に囚われていた。
 かたや異世界の住人と普通にコンタクトを取る子狸な紅薔薇さま。
 かたや異世界の住人をものともしない黒いマリアなのに白薔薇さま。
(私・・・ 薔薇さまとして1年間、生き残れるのかなぁ・・・ )
 珍しく弱気になる由乃だった。
(菜々・・・ 早く入学してきて・・・ そして私を助けて )
 粉雪の消え始めた空に、思わず祈る由乃。
 だがこの時、由乃はまだ知らなかった。
 祐巳の特殊能力に気付き、自分の好きな仏像の「本物」を祐巳に呼び出してもらおうとする乃梨子と、己の欲望の赴くままに、「面白そうだから」という理由で異世界の住人とコンタクトしまくる菜々のせいで、後に「召還士たちの黄昏」と呼ばれる、リリアンの暗黒時代が訪れる事など。
 ましてや自分を「姐さん」と慕う、ヤケに生臭い、鱗の生えた「眷属」を自分が従えて、菜々と大戦争を巻き起こす事など。


一つ戻る   一つ進む