「どーしてこうなっちまったのかなぁ…」
鉄格子で囲まれた、狭くて薄ら寒い部屋の中で一人、藤堂賢文は呟いた。
事の起こりは今日の朝、世話になっている住職が経営している幼稚園の送迎バスから始まった。
いつものように、割烹着にサングラス、五分刈り頭に三角巾といった、他人が見ればあからさまに怪しいが、本人にとっては極めてスタンダードな格好で、園児を迎えるバスに同乗していた。
指定の場所に集合していた園児たちをバス内に招き入れ、親達に見送られつつ出発するという、ほぼ毎日行っている代わり映えのない作業。
いつも顔を合わせている園児やその親たちからは、最初は胡散臭い目で見られていたものの、現在では互いに見知った同士。
爽やかな?笑顔で挨拶を交わしたのち、送迎バスは、幼稚園に向かって出発した。
しかし、問題はその後だった。
最近入園したばかりの園児の母親が、子供が弁当を忘れたことに気付き、慌てて車に乗ってバスを追いかけたのだが、途中追いついたところでバス内を見れば、なんとそこには怪しい風体の男が乗り込んでいるではないか。
賢文の存在を知らないその母親、てっきりその男がバスを乗っ取った悪いヤツと思い込んでしまい、警察を呼んでしまったからさぁ大変。
バスが幼稚園に到着した途端、多数の警察官とパトカーに包囲されてしまった。
「なんだ?何が起こったんだ?」
賢文には、さっぱりワケが分からない。
まさか自分がバスジャック犯人と間違われているなんて、想像もしていないのだから。
周りの余りの物々しさに、下手にバスから降りることもできないし、園児たちを下ろすこともできない。
とりあえずは様子を見ようと言う事で、運転手との意見が一致した。
漠然とした不安を感じたまま、様子を伺うこと数十分。
拡声器を持った警察官の一人が、バスに向かって呼びかけた。
「あー、あー、バス内の怪しい男。君は完全に包囲されている。逃げ場はないので、素直に投降したまえ」
朝の幼稚園前で起こった珍事に、出勤途中や登校途中の人々が何事ならんと足を止めて、そのギャラリーはますます増えるばかり。
「って、俺のことか?」
キョトンとしたまま誰ともなく呟いた賢文は、思わず運転手と目を合わせた。
これ以降の賢文がとった行動は、まさに泥沼と言うべきものだった。
冷静な判断が出来なくなっていたのか、すぐにバスを降りて弁明すればよかったものを、いつまで経っても篭ったままだったし、運転手と「どうなってるんでしょう?」と相談しても、それは周りから見れば運転手を脅しているようにしか見えなかった。
更には、窓を開けて身をのり出す園児を、危ないからと注意して引き戻せば、子供の脱出を邪魔しているように見られてしまう。
ポケットの携帯電話の存在すら、完全に失念しているようだ。
当然、園内の保育士たちもこの騒ぎに気付いているのに、余りに大きいこの騒ぎに関りあいたくないのか、幼稚園の敷地内から出て来ない。
縋るような視線を向けるも、気まずそうに目を背けられる始末。
園児たちの安全を優先しているのか、警察官たちも強硬手段には出られないようで、お互いが決め手を欠いたまま、無駄に時間が過ぎてゆく。
言うまでもないが、バス内では外に負けず劣らず大騒ぎだった。
トイレに行きたいだの、どうして降りないの?だの、大声で歌いだすだの、緊張感に耐えられず泣き出すだのと、午前中は子供たちの世話で手が一杯。
幸いにも、バス内には緊急用の簡易トイレを乗せていたので大きな問題にはならなかったが、周りから見られなくするカーテンを引いたことが、また警察官たちを無駄に刺激することになった。
「おなか減った」の合唱が始まったが、殆どの園児たちが弁当を持参していたため、例の弁当忘れた子供にも少しずつ分け与えつつも、なんとか昼食を終えさせることは出来た。
もっとも、賢文と運転手は我慢だったが。
おなかが大きくなった園児たちが次に取る行動は、言うまでもなくお昼寝。
バスのシートをリクライニングさせ、なんとか全員を寝かしつけることに成功した賢文、ようやく一息つくことが出来た。
園児たちの世話で、目まぐるしく働いたことで、時間の経つのが早いこと。
しかし、事態は進展も好転もしていない。
相変らず回りは包囲されたままだし、大してボキャブラリーがあるわけでもない投降の呼び掛けが繰り返されること十数回。
気分は落ち着いているものの、思考はほぼ停止したままの賢文だった。
* * *
「あら、あなたは確か…」
「ごきげんよう園長さま。志摩子です」
「そうそう、賢文さんの妹さん」
「兄がお世話になっております」
久しぶりに早い帰宅の途中、白薔薇さまこと藤堂志摩子が出会ったのは、兄がちょくちょく手伝いをしている幼稚園の園長だった。
「今帰りかしら?」
「はい。今日は仕事がなかったもので」
「そう、よろしかったら寄って行きません?またしばらく賢文さんに会っていないんでしょう?」
「ええ…」
「彼が焼いたケーキがあるのよ。結構良い出来の。お茶でも飲んで行きなさいな」
「…わかりました。お邪魔します」
園長は、近くに止めてあった車に志摩子を乗せて走り出した。
夕方近く、幼稚園に戻って来た園長は、志摩子ともども驚いていた。
何せそこでは、一台の園児送迎バスを、多数の警察官とパトカーが取り囲んでいたのだから。
園長は、慌てて指揮を採っているらしい警察官のもとに駆け寄った。
志摩子も、その後を遅れずについてゆく。
「何かあったのですか?私は、あの幼稚園の園長です」
その警察官によれば、今朝から一人の怪しい男が、送迎バス乗っ取って園児を人質に取って立て篭もっており、事態は膠着したまま、まったく進展していないという。
事情を聞いた園長、こんな事態に陥っている以上は、園内の保育士が連絡を寄こすのは当然なのに、どうして何も言ってこないのだろうと少し腹を立てつつ、カバンから携帯電話を取り出そうとするも、何故か見付からない。
慌てて車に戻って探してみれば、見付かった携帯電話には、数十本の着信履歴が残ってるではないか。
なんのことはない、園長は朝からずっと、携帯電話を車内に置き忘れたままだったのだ。
「まぁ、なんてことでしょう」
自分の失敗に、思わず落胆の声をあげる園長。
「園長さま。取りあえずは、そのバスを確認しませんと」
「…そ、そうね。ごめんなさい、少し動揺しているみたい」
二人して取って返し、ジャックされたという送迎バスを見ればそこには、二十数人の園児と、バスの運転手。
そして、園長と志摩子が、これ以上にないぐらい良く見知った人物、即ち賢文がいるだけ。
『まさか…』
呆然と呟いた二人の声が、見事に重なった。
「はぁ…」
額に手を当てて溜息一つ吐いた志摩子。
「申し訳ありませんが園長さま、そのお電話お貸し願えますか?」
志摩子は受け取った携帯電話で、少し前に覚えた兄の携帯電話の番号をプッシュした。
園長の説明と、同僚及び園児の親たちの証言によって、なんとか誤解をとくことができた賢文だったが、当然のことながら、警察からしこたま叱られた。
本来なら、騒乱罪やらなにやらで逮捕されても仕方がない状況ではあったが、誰一人として悪意があったわけではないので、無事無罪放免されることができたのは、関係者にとって幸いだった。
しかし…。
「でも、お兄さまにまったく咎がなかったというわけにはいきませんね」
「そうよ、そんな格好でいるから、怪しまれるのよ」
「せめて幼稚園で働いている時間は、それらしい服装をなさらないと」
「サングラスは流石に拙いわね」
などなど、園長と志摩子に散々責めたてられた。
小言となれば、この二人はかなりシツコイ。
そこから逃れるため、また自分に対して、そして一応坊さんとして反省を促すため、留置所、いわゆるブタ箱に一晩だけお世話になることにした賢文だった。
「どーしてこうなっちまったのかなぁ…」
鉄格子で囲まれた、狭くて薄ら寒い部屋の中で一人、藤堂賢文は再び呟いた。