「私にとって蔦子さんはね、魚が水を得たようなものなの」
武嶋蔦子を迎えて以来、以前にも増して彼女と親密な関係の紅薔薇さまこと福沢祐巳に、不満げな黄薔薇さま島津由乃と、白薔薇さま藤堂志摩子。
志摩子はそれほどでもないが、由乃の場合、その態度はかなりあからさまで、放置していられない状態だった。
しかし、ただでさえ山百合会に対する風当たりが強くなって来た現在、仲間内で争っているヒマは無い。
祐巳は、二人を宥めるために、決め手とも言うべき言葉で強引に納得させ、蔦子に対する態度を改めさせようとした。
「どうやら反発があるようね」
二人きりになった時に、蔦子が祐巳に呟いた。
「志摩子さんはともかく、由乃さんが特にね。彼女は蔦子さんとあまり関りがなかったから、尚更なのよ」
「私は気にしないからいいけどね。全員の意思と行動の統一は必要不可欠よ」
「分かってる。その辺りはなんとかするから」
済まなさそうにしながら、蔦子に頷いた祐巳だった。
「お聞きになりましたか祐巳さま?」
「何が?」
「運動部連合の一部が我々の頭を押えようと、なんらかの行動を起こしているそうです」
「なんですって?」
白薔薇のつぼみ二条乃梨子からもたらされた情報に、浮き足立つ山百合会関係者。
「随分大きな火ね。水でもかけたらどうかしら?」
ここぞとばかりに、イヤミな口調の由乃。
「そんなこと言ってる場合じゃないよ。蔦子さんはまだ?」
「ここにいるわよ」
ビスケット扉を開けて、顔を出す蔦子。
「聞いた?」
「聞いたわ。大丈夫、手は打ってあるから。でも、皆が私の献策に従ってくれないと、意味が無いわね。でもまぁとりあえず、大至急全員を集めてちょうだい」
祐巳から彼女のロザリオを預かり、程なく集まった関係者を前にした蔦子は、
「もう知っていると思うけど、運動部連合の一部が我々にちょっかいかけようとしているわ。放っておくのも一つの手だけど、座して見ているだけでは舐められる一方。ここは、先にガツンと頭を叩いておくわよ。というわけで…」
皆に今後の行動を、的確に指示した。
「それで、蔦子さんはどうするの?」
意地悪そうに、由乃が尋ねる。
「紅薔薇さまには、薔薇の館の前に待機していただくわ」
「祐巳さんじゃなくて、あなたのことよ」
「私はここにいるわ」
「なんですって?私たちを外にほり出しておきながら、あなたは何もしないって言うの?」
「ちょっと由乃さん」
「止めなさい黄薔薇さま」
慌てて由乃を止める祐巳と志摩子。
由乃は、かなり本気で頭にきているようだ。
「黄薔薇さま?」
由乃の気勢に動じることなく、右手の袖をまくった蔦子。
そこには、祐巳が先代から受け継いだロザリオが巻かれていた。
「私の言葉は、代々の紅薔薇さま、そして現紅薔薇さまの言葉も同じ。あなたも薔薇さまの一人なら、今仲間割れする愚を理解していると思うけど?」
「そうよ由乃さん。気に入らない気持ちはわからないでもないけど、今は蔦子さんに従いましょう。意見はそれからでも遅くはないわ」
しぶしぶながらも志摩子に従った由乃、覚えておきなさいよと、らしくない捨て台詞で、薔薇の館を後にした。
蔦子の読み通り、全ての策が当てはまり、空しく引き下がった運動部連合。
「まったく、恐れ入ったわ…」
「そうね。コレ程までとは思ってもみなかったわ」
黄薔薇さまと白薔薇さま、揃って帰って来てみれば、薔薇の館の前には、紅薔薇さまと蔦子が待っていた。
「ご苦労様、どうだった?」
祐巳の問い掛けに、
「バッチリ。蔦子さんのお陰で、無事追い返すことが出来たわ」
「ちょっと数が多かったけど、問題なかったわ」
認めざるを得ない二人だった。
「これも、皆で協力した結果だよ」
再び集まり、紅茶で乾杯した一同だった。
「それでは、山百合会の現況と今後の対策会議を始めるわ。蔦子さん」
祐巳に促され、ホワイトボードの前に立つ蔦子。
彼女の左手には、精密機械の埃を払うブラシが握られていたが、その様は、羽扇を手にした武候さながら。
席についた山百合会関係者をざっと見回し、満足そうに頷くと、
「さて、結論から先に言うけど、このままでは私たち、有名無実化してしまうのは時間の問題ね」
その言葉に、露骨に眉を顰める一同。
「運動部連合は人数が圧倒的に多いし、体育会系によく見られる結束の固さは侮れない。攻撃的って意味なら、運動部連合が一番ね。文化部同盟はそれに継ぐ人数だし、攻撃力がない分防御力が高い上に手が広いから、相手にするには相当骨が折れるわ。敵対勢力最大を誇る運動部連合に対抗し、これからも生き残るために、我々が取る手段はただ一つ。文化部同盟と共同戦線を張ることよ」
眼鏡をキラリと光らせて、断言する蔦子。
「でも、そう簡単に文化部同盟を説得できるかしら?」
「大丈夫よ。交渉には私自ら赴くから。いえ、私でないと務まらないわね」
「どうゆう意味よ!?」
志摩子の疑問に自身満々で答えた蔦子に、思わず突っかかる由乃。
「それそれ、由乃さんは結構短気だから、交渉には向いていないのよ。志摩子さんは押しが少々足りないし、乃梨子ちゃんは威厳が不足している。祐巳さんは相手にあっさり丸め込まれそうだし、可南子ちゃんは相手を逆上させかねない」
流石は蔦子、ほぼ正確にそれぞれの性格を見抜いている。
口惜しいけど皆納得、といった顔をしていた。
「大丈夫、文化部同盟代表の近くには、親山百合会って立場の生徒がいるし、彼女らに私の意向は既に伝えているから。そんなワケで、私自ら文化部同盟に赴き、代表と交渉し、必ず説得して帰ってくるわ」
半信半疑でありながらも、頷いた一同だった。
事前に交渉の席に着くことを、文化部同盟に了承させていた山百合会。
単身訪れた蔦子は、文化部同盟の代表、新聞部部長山口真美の前に立っていた。
彼女の両脇には、真美の妹で新聞部所属の高知日出実と、写真部所属の内藤笙子が控えていた。
さらに演劇部所属の松平瞳子と、彼女のクラスメイトにして聖書朗読クラブ所属の敦子と美幸の顔があった。
「ごきげんよう蔦子さん。一人で乗り込んで来るとは大胆なものね」
「ごきげんよう真美さん。ジャーナリストのあなたが文化部同盟の代表なんて、何かの間違いかと思っていたけれど」
「そっくりお返しするわ。山百合会に味方した、文化部の部員であるあなたにね」
余裕の笑みを浮かべ席に着いた蔦子と、ゆとりの表情で対面した真美。
リリアン女学園高等部の命運を決めるであろう交渉が、今始まった。