【1264】 一歩進んだテクニック壊滅的打撃  (投 2006-03-16 21:20:06)


「あれ?」
薔薇の館で私は声を上げた。
鞄を開けて中身を引っ張り出す。
教科書と筆箱しか入っていない。
ウソ。無い。どうしよう?
「いきなり、どうしたの祐巳?」
お姉さまが私に尋ねてきた。
見れば、部屋に集まっている皆がこちらに注目している。
「いえ、その……お財布が無いんです」
「お財布?ポケットには?」
「無いです」
そこは最初に確認しました。
「どうしよう……」
「落ち着きなさい、祐巳」
「は、はい」
とは言ったものの、この状況は困った。
もしかすると、教室に忘れてきたのかもしれない。
「ちょっと、教室を見てきます」
私が言うと同時に由乃さんが、待ったを掛けた。
「待って、祐巳さん」
「どうしたの由乃さん?」
「危険よ」
危険って、何が危険なんだろう?
「私が思うに、これは罠よ」
「わ、罠?」
「ええ、祐巳さんを誘き出す為の敵の罠よ」
何時の間にか由乃さんの中で、私に敵が作られた。
「あの、敵って?」
「例えば、祐巳さんを狙うストーカーとか」
私は思わず頭を抱えた。
「あのね由乃さん、ストーカーなんて……」
言いかけて、みんなの視線が一箇所を見ているのに気が付いた。
そこに居るのは、館に久しぶりに遊びに来た、背の高い一年生。
「なぜ皆さん、私を見るんですか?」
可南子ちゃんが不愉快そうに言った。
尤もだと思う。
だから、替わりに私が言った。
「可南子ちゃんはそんな事しないよ」
「そうです、今ではあまりしていません」
少しはしてるんだ……、今度から気をつけよう。
由乃さんは、今の可南子ちゃんの発言には構わずに続けた。
「祐巳さんを誘い出していったい、ナニをする気よ!」
由乃さん、『何』が『ナニ』になってるよ?
「私ではありません。そもそも、今日は祐巳さまにここでしか会っていませんし、
 挨拶しか交わしていません」
「そうなの?」
由乃さんが私に尋ねてくる。
「うん。本当だよ」
「そっか。可南子ちゃん、疑ってごめんなさい」
由乃さんが頭を下げた。
「いえ、私の以前の行いが招いたわけですから、疑われても仕方ありません」
いや、以前って……可南子ちゃんさっき、まだしてるような事を言ってなかった?
「しかし、それではいったい祐巳のお財布はどこに?」
お姉さまが呟く様に言うと、乃梨子ちゃんが思い出したように口を開いた。
「そう言えば、祐巳さま。私がここに来た時に、掃除をされていませんでした?」
あ!もしかして、その時に?
「それでは、皆で手分けして探しましょうか」
志摩子さんが、乃梨子ちゃんのセリフの後にそう続けた。
「そうね、そうしましょう」
お姉さまも賛成した。


由乃さんと一緒に、食器棚の中を探していると由乃さんが言った。
「う〜ん、無いわね」
確かに、ここには無いような気がする。
「もしかして、後ろの隙間に入ったとか?」
由乃さんが、棚と壁の間の隙間を覗き込みながら首を捻る。
「うーん、どうだろう?」
でも、隙間に入る確立は、かなり低いと思う。
しかも、動かそうとするのなら大仕事になる。
「これ、動かすの?」
尋ねてみると、由乃さんは棚を眺めながら言った。
「中身を全部、出さないと」
もう、やる気満々だった。
「令ちゃんとやるから、祐巳さんは他の所を探して」
「うん、分かった」
それなら、二人に任せよう。


私が食器棚の所から移動してすぐに、
「ああ!?」
机の周辺を探していた乃梨子ちゃんが声を上げた。
「あった?」
近付いて尋ねてみる。
「い、いえ、違うんです。ただ、これが……」
どうやら違うようだ。
皆も興味を惹かれたのか集まってくる。
乃梨子ちゃんが見つけた、机の上の袋に入っている物に、皆の視線は釘付けだった。
「クロワッサン?」
「それ、みんなで食べようと思って、私が作って持ってきたんだけど」
令さまが言った。
その時、乃梨子ちゃんが呟いた。
「と、瞳子……」
「え?」
乃梨子ちゃんは、たまに妙な冗談を言う。
「最近、瞳子の姿を見ないと思ったら、こんな姿に……」
「ええ!?」
乃梨子ちゃんが真面目な顔をして言うので、こちらもそれに乗って驚いたフリをする。
「じゃあ、これは本当に瞳子ちゃんなの?」
「はい、間違いなくそうです」
「そっか。瞳子ちゃんおいしそう……」
呟いて、二人で顔を見合わせる。
乃梨子ちゃんとは結構、仲が良かったりする。
「祐巳さま、流石に冗だ……」
「なーんてね、乃梨……」
「何を仰っているんですか!」
突然、後ろから叫ばれた。
振り向くとそこには話題の瞳子ちゃんがいた。
「だ、だよねぇ……って瞳子ちゃん、何時の間に来たの?」
「つい先程です!それよりも!祐巳さまとは一度!じっくりと話し合う必要がありますわね!」
瞳子ちゃんがとても怖い。
乃梨子ちゃんは離れたところで、両手を胸の前で合わせて私に向かって頭を下げている。
どうやら、乃梨子ちゃんも瞳子ちゃんが来た事に気が付いてなかったようだ。
でも、ちゃっかり自分だけ避難しているのはどうかと思う。
「ま、まったく。祐巳さまときたら、お……、おいしそうだなんて……」
怒っているはずなのに、何故か頬を赤く染めて、
チラチラとこちらを見てくる瞳子ちゃんはとても可愛いです。
本当においしいかも知れない。
「ねぇ、財布は見つかったの?」
と、妙な雰囲気が漂いかけた時に、由乃さんが尋ねてきた。
「あ、まだ」
あやうく目的を忘れる所だった。
「お財布ですか?」
事情を知らない瞳子ちゃんが由乃さんに尋ねた。
「実は祐巳さんがお財布を無くしたらしくて、皆で探していたのよ」
答えたのは志摩子さんだった。
「まさか!祐巳さまを狙う誰かの仕業では?」
瞳子ちゃんがそう言って、可南子ちゃんを見る。
「それはもうやったから」
私の言葉に、皆が一斉に頷いた。


「無いわね」
お姉さまがゴミ箱を見下ろしながら呟いている。
流石に捨てられていたら、私でもショックを受けます。
それよりも、お姉さまは私の財布を見てゴミだと思うのですか?
どうせ、中身はあんまり入っていませんよ……。

「瞳子、この辺りに祐巳さまの匂いが残っていたりしない?」
「乃梨子さんは私を何だと思っているのですか?」
「ここには残って無いわ」
「……」
「……」
「どうしたの?」
あそこの一年生の三人組は放っておこう。

机の所では、
「令ちゃん、それ倒れそう」
「こんなにお皿が多いとは……」
「あ、それはそっち」
由乃さんと令さまは、食器棚から中身を取り出して全て机に運んでいる。


手伝いに行こうとすると、志摩子さんに肩を叩かれた。
「祐巳さん」
「どうしたの志摩子さん?」
「もう一度、自分の持ち物を調べてみたら?」
「でも、もう全部見たよ?」
「本当に全部、見たのかしら?」
志摩子さんが意味深な事を言う。
気になって、私は自分の荷物の置いてある所に行った。
まずは鞄を開けてみる。
教科書、筆箱。
ほら、やっぱり無いよ?
と、その時ふと自分の鞄の横にある袋に気がつく。
「……」
それは私の体操着を入れている袋だった。
手が震えた。
恐る恐る、袋を開けて中を覗く。
「……!」
そう言えば、体育の授業の前に、失くさないように財布を入れたような記憶が……。
ポンっと肩を叩かれた。
「っ!?」
慌てて振り返ると、何時の間にか後ろに志摩子さんが立っていて尋ねてきた。
「あった?」
強張ったままの表情で、私は首をゆっくりと縦に振った。
志摩子さんは、そんな私を見つめながら口を開いた。
「今日の体育は合同授業だったでしょう?その時に見ていたの」
「な、な、な……」
「なんで言ってくれなかったの?」
私はコクリと頷いた。
志摩子さんはにっこりと微笑みながら言った。
「今、思い出したのよ」
この時、何故か志摩子さんの微笑みに戦慄を覚えた。


私と志摩子さんの後ろでは、

「ふぅ、なんとか動かせた」
「そうね。でもここには無いようね」
食器棚を運び終わった令さまとお姉さまが、そんな事を言っている。

「こんなに沢山あったんだ」
「元に戻すのに、すごく時間がかかりそうだわ」
「これで祐巳さまが、実はご自分でお財布を持っていたりすると、どうなるのでしょうね?」
一年生の三人組が、机の上に並べられた食器の山を眺めながら会話をしている。
「いくら祐巳さまとはいえ、そこまで間が抜けているとは思えませんが……」
可南子ちゃん。
すごく嬉しいけど、今はその言葉がとんでもなく痛いの。
「可南子さんの言うとおりだと思う。瞳子は祐巳さまにきつく当たり過ぎ」
乃梨子ちゃん、ありがとう。
でも、瞳子ちゃんの言う通りだから……。
「べ、別にそんな事はありません。私だって祐巳さまを信じています。ええ、信じていますとも!」
ごめんなさい。
私は、既に瞳子ちゃんの信頼を裏切っています。


い、言えない。
袋に入れたまま忘れていました、なんて言えない……。

「志摩子さん、どうしよう?」
「ごめんなさい。私にはどうする事もできないわ」
志摩子さんは、首を左右に振ったあと私から離れていった。

み、見捨てられた……。


志摩子さんの後姿を見送っていると、お姉さまに呼ばれた。
「祐巳、棚を戻すのを手伝ってくれる?」
「はい、お姉さま」
私は、お姉さまに近付きながら必死に考える。



タイミング!
そう、タイミングさえ合わす事ができれば、恐ろしい未来は回避できる!
いつ事実を言い出すか、タイミングが全てよ!





その日からしばらくの間、みんなに口を聞いて貰えませんでした。





「ふふふ、祐巳さん。あの時は大変だったわね」
私は志摩子さんと、数日前に起こった事件を思い返しながら会話している。
「う……、うん」
「でも、許して貰えて良かったわね」
志摩子さんが微笑みながら言う。
「う、うん……」
私は、そんな志摩子さんの微笑を見て俯いた。


今になって思えば……。
志摩子さんは、ここの所、乃梨子ちゃんと仲の良かった私に嫉妬していたのではないだろうか?
もしかしたら……、最初からどこに私の財布があるか、知っていたのではないだろうか?
私は、今日も志摩子さんの微笑みを見て、思わず身を震わせるのです。


一つ戻る   一つ進む